タイトル:【OF】月と太陽マスター:ユキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 易しい
参加人数: 5 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/08/31 18:09

●オープニング本文


 一般の人間が扱うソレとは規格外の性能を持つCPUが、休むまもなく演算を繰り返す。
 その部屋から明かりが消えることはなく、その部屋の主が吐き出す紫煙は、
 フル稼働する空気清浄機を持ってしても吸い尽くすことはできない。
 机の上には、乱暴に押し消されたタバコの吸殻の山と、空になった漢方薬の箱が散乱している。

――ガガッ、ザ、ザザッ

 端末の駆動音。ファンの悲鳴。空調。
 無機質な音に包まれる部屋に響く、ノイズ交じりの音声。
 それはあの日、彼らが残した会話。
 第1回の打ち上げ実験の失敗。
 解析された通信記録。
 空を目指し、飛び立ったパイロットたちの、最期の言葉。

『‥‥こちら‥‥――ガガッ‥‥‥攻撃を‥‥――ザッ‥‥姿勢制‥‥燃料がもた‥‥』

 それを最後に、そのパイロットとの通信は途絶えた。
 軍から渡されたのは、この通信記録と、その解析レポート。
 そして、「宇宙開発」への協力要請。
 その軍は今、宇宙に散った彼らの手がかりとなるものの回収に躍起になっている。
 彼らにいったい何があったのか。機体になんの問題があったのか。

「‥‥ふん」

 演算の終了を告げる機械音。
 打ち出される紙面。
 はじき出された結果を一瞥すると、特になにを言うでもなく、
 部屋の主は紙を横のデスクへと、無造作に置く。
 そして、新しい煙草に火をつける。
 立ち上る紫煙。
 ふと窓辺に目をやれば。
 男はブラインドを上げる。
 紫煙に淀む部屋に差し込む、新しい朝日。
 眠らぬ夜の後に訪れる、代わり映えのしない一日。

 白んだ空の光。それをどこか鬱陶しいそうに、眩しげに見上げれば。
 遠く空の果て。
 うっすらと見える月。
 その色は、いつから赤と教えられるようになったのだろう。
 そんなこと、男にとってはどうでもいいこと。

「‥‥遠いものだな」

 現代科学。その技術の粋を集められた場所。
 そして、まだ未知の、未来の科学を追求し、追究する場所。
 未来科学研究所、その副理事、ジョン・ブレスト。
 
 マイマグカップに注いだ珈琲を一口。
 しかし、数日眠ることのなかった思考は冴えず。
 届いた新聞に目を手にする。
 ふと、一枚の便箋が落ちる。
 何気なくそれを持ち上げ、差出人の名前を見ると、彼の眉間の皺が一瞬、その溝を深める。
 ペーパーナイフで封を切り、内容を確認すると一度、とてつもなく深いため息を吐いた。
 ブレストは便箋を自分のデスクの引き出しにしまうと、
 端末の前で、机に突っ伏し涎を垂らす助手の一人の頭を新聞で叩き、仮眠室へと消えていった。

「少し寝る。客が来ても、起こす必要はないぞ」

 そう言い残し。


 ‥‥‥‥

 
「ふーむ」

 LHの一角。
 一般人は立ち入ることのない、研究区画。
 そこに、帽子を被り、涼しげなアロハシャツの上から肥えた腹を叩く老人の姿があった。

「む?」

 老人は一度、目の前の案内表示を見ると、左右をきょろきょろ。

「むお」

 そして、もう一度案内表示とにらめっこ。

「ぬぅ」
 帽子を脱いで頭をくしゃりと1度。
「困ったの。まるで迷路じゃ」
 どうやら道に迷っているらしい。
 そこに、傭兵の一団が通りかかる。

「あれ? おじいさん、どうかしたんですか?」
「この区画にいるってことは、傭兵‥‥って風でもねぇなぁ」

 見慣れぬ老人に興味を持ったのか。
 傭兵の方から声を老人にかけてくる。
 渡りに船。老人はニカッ、っと笑顔になると、歩み寄る傭兵たちに向き直る。

「ちょうど道に迷っておったんじゃ。未来科学研究所は、どちらかな?」



 傭兵に案内され、やってきました研究所。
 研究所はいつものように、あるいはいつも以上に戦場の有様だった。
 走り回る研究員。奥の方から聞こえてくる、計器のアラーム。
 ふむっ、と顎を撫でると、老人は手近な研究員に声をかける。

「もし。ブレナーというものじゃが、ブレストはおるかの?」

 声をかけられた若い男性研究員は、ふらりふらりとこちらへ歩み寄る。
「あ、ようこそ、未来科学研究所へぇ‥‥今日は、何の改造‥‥?」
 だが、話が通じない。
「む? なんのことじゃねパンダ君。わしはブレストに会いに来たのじゃが」
 明らかに血色の悪い顔に、目のしたのクマ。出会って数秒で、彼の呼び名は決まってしまった。
 その後もしばらく、全体的にどこか色の薄い彼との会話はかみ合うことはなかった。

「えっと、副理事に会いたいということ、ですね‥‥アポイントメントは、おとりでしょうか?」
「残念じゃが、わしはアパートメントの販売にきたのではなくての」
 終始こんな様子だが、やっと本題に入ったようだ。
「副理事は多忙な身でして‥‥それに、アポのない方をお通しするわけには、いきませんので‥‥」
 仮にも未来科学研究所の副理事。
 まして、人類にとっても貴重な頭脳の持ち主だ。
 そうやすやすと、アポのない人間が会えるわけはない。
「何、細かいことを気にすることはない。古い馴染みでの。ブレストも、ワシの顔を見ればきっと笑顔で抱きついてくるじゃろうて」
 と、口元に指を立てて、ウィンク1つ。 お茶目というべきか、年甲斐もないと思うべきか。
 その場にいた一同が、そんなブレスト博士を想像することができるはずもなく。
「残念ですが、副理事は研究に疲れていらっしゃって、今、仮眠をとられておりますので‥‥後日、アポをとった上でお越しください‥‥」
 ペコリと会釈し、持ち場に戻ろうとするパンダ君。しかし。

「研究に忙しい、と。つまり、あれじゃな‥‥? ブレストの奴は今‥‥」
 と、突然アロハシャツの襟元をただし、厳しい表情を見せる老人。
 その様子に、「?」と振り返るパンダ君と、後ろで半ば呆れながら話を眺めていた傭兵たち。
 彼らに対し、老人がいった次の言葉。

「ウチュウにムチュウなのじゃな!」

 しばしの沈黙。

「‥‥えっと、研究内容に関しては、お答えできませんので‥‥」
 パンダ君、どこか気まずそうに口を開く。
 老人はゴホン、と咳払いひとつ。
「それじゃ、仕方ないのう」
 そういうと、うーんとなにかを考え。
 そして、顎をさすっていた指をピーンと立てる。
 
「おまえさんら、暇かね?」
「‥‥はい?」
 話しかけられた傭兵たち。むっふっふっと笑う老人。
 さっきから、やな予感しかしない。逃げておけばよかった。誰かがそう思ったかもしれない。
「どうじゃ。せっかくきたんじゃ。茶でも飲みながら話でもせんかね。
 わしも昔はパイロットでの。君は飛ぶのは好きかね? 宇宙はどうじゃ!?
 宇宙はいいぞう。ウチュウにムチュウ!」

 言うが早いが、パンダ君の手をとり歩き出す老人。
 「ちょ、え? なに? どういうことでしょうか〜‥‥」
 と自体が飲み込めないまま連れ去られていくパンダ君。
 その様子に呆気にとられていた傭兵たちは、我にかえると、大きなため息を吐きながら、
 重い足取りで老人の後を追った。

●参加者一覧

シーヴ・王(ga5638
19歳・♀・AA
時枝・悠(ga8810
19歳・♀・AA
サンディ(gb4343
18歳・♀・AA
愛梨(gb5765
16歳・♀・HD
黒木・正宗(gc0803
27歳・♂・GD

●リプレイ本文

「あら、おじいちゃん!? どうしたの!? どうしてこんなところにいるの!?」

 見覚えのある大きなお腹を見つけ、サンディ(gb4343)は思わず驚きの声をあげ駆け寄る。

「おぉ、お前さんは! いやぁ、この間は世話になったのぅ」
 
 老人は満面の笑顔で彼女を迎え、挨拶のハグを交わす。
 予期せぬ再開と、老人が自分を覚えてくれたことに、サンディも笑顔で応える。

「あれ? この間の元気な博士、なんでこんなところに?」

「おぉ! そっちのお嬢ちゃんも! いやぁ奇遇じゃのぅ!!」

 冷めた様子の時枝・悠(ga8810)の反応には我冠せず、傭兵たちとの再会を喜び、
 そのときの興奮を思い出してか語気を荒げ、思わずハグにも力が篭る。
 もちろん、一般人のハグなんて能力者の彼女たちには痛いことはないが‥‥なんとも肉厚だ。

「盛り上がっているところ申し訳ねえんですが。この元気で珍妙な爺ぃは誰でありやがるですか?」
 
 3人が顔見知りな様子に、家路に着こうとしていたところを巻き込まれたシーヴ・王(ga5638)が間に入る。
 
「あ、紹介するね。彼はラムズデン・ブレナー。宇宙を夢見るおじいちゃんだよ」

「わしにかかれば、夢ではないぞ!」

 サンディの紹介に、ブレナーはえっへんと胸、ではなく肥えたお腹をはってみせる。
 その様子にサンディーはくすりと笑みを零す。

「まぁ、こんなだけど一応凄い博士らしい」

 そんなくすくす、ふぉっふぉっふぉと笑いあう2人の横で、時枝が説明に補足する。

「へぇ。おじいさん、有名なの?」

 シーヴ同様、半ば強引に巻き込まれてしまった愛梨(gb5765)が、老人の意外な素性に、素直な疑問を口にする。
 ブレナーはうむうむ、と2度頷くと

「ぶっちゃけ、それほど有名じゃないわぃ」

 きぱっ、と真顔で返す。
 なにやら急に、どっと疲れを感じる一部の傭兵たち。

「まぁ、この時代じゃ。宇宙工学なんぞに金をだしてくれる国も少ないからの。金がないと、研究もできんわい!」

 ハッハッハッと豪快に笑ってみせるブレナー。
 歯に衣着せぬというか、愛嬌があるというか。憎めない老人だ。

「それよりもお前さん、暇かね?」

 くるりと向き直り、サンディへと尋ねるブレナー。ころころ変わる様子を楽しそうに眺めていた彼女は、
 一瞬「え?」と驚くが、すぐに「うん」と笑顔で応える。
 彼女も、機会があればまたこの老人と会って話したいと思っていた。

「そうかそうか、さすが、毎日が日曜日じゃなっ!」

「・・・?」

 一瞬固まる初見の面々。反面、ため息をつく時枝と、あははと声をあげて笑い出すサンディ。

「まぁ、立ち話もなんじゃ。パンダ君、この辺に茶でも飲めるところはないかね?
 わしゃあそろそろ座りたいんじゃが」

 話題を振られた研究員、命名パンダ君は繋いでいた電話を慌てて切ると、
 「それなら」と一行の前へ出て、道案内を始める。

「さぁレディーたち、いこうかのぅ」

 ふぉっふぉっふぉと、また上機嫌に歩き出すブレナー。
 なんだか、変な博士に関わってしまったものだ。そう思いながらも、これも何かの縁。

「タイムセールにはまだ時間がありやがるですし、少しくれぇなら、です」
「ま、暇だし、話し相手くらい付きあってあげなくもないけど」

 それぞれにふぅと息を吐きつつ、老人の後に続く。

「ほれ、お前さんも一緒に来んか。ワシとパンダ君だけじゃ、レディーたちをエスコートできんからの」

「‥‥はぁ」

 老人と女性たちのどこか和気藹々とした会話を後ろで眺めていた赤木・総一郎(gc0803)にもまた、
 ブレナーは声をかける。特に断る理由もなかった彼もまた、道連れとして一行に加わった。

「何、ブレストの奴が起きるまでの小一時間じゃ。あやつも疲れとろうしのぅ。
 ウチュウにムチュウ! よいことじゃ」

「‥‥宇宙に、夢中ですか? 研究所の副理事ともなると大変な研究をされているのでしょうが、
 私たち傭兵が知るところではないので、何をされているのかはなんとも‥‥」

 ブレナーの言葉に、まともに会話を返す赤木。
 だが、なぜだろう。
 周囲の女性はサンディを覗いて、皆どこか呆れたようなため息をついている。
 
「‥‥‥‥ああ」

 歩きながら彼がそれに気づくまで、少しだけ時間がかかった。





「はい。おじいちゃん、ちゃんとご飯食べてる? 好き嫌いしちゃダメだよ?」

 サンディがカウンターで受け取った野菜たっぷりのプレートを、ブレナーの前に差し出す。
 小腹がすいたというブレナーの訴えで、近くにある職員向けの食堂兼カフェテリアへとやってきた一向。
 到着早々、ふぅやれやれと重い身体を椅子に沈めるブレナーに、
 何かもらってくるねといって、持ってきたのがこれだった。

「むぅ。わしゃあ、肉が好きなんじゃがのぅ」

 クゥーンという声でも聞こえそうな子犬、にしては大きいがどこか愛嬌のある顔で見上げるも、
 笑顔のサンディには敵わず。
 ブレナーはしょんぼりしつつ、パンダ君が持ってきたアイスコーヒーにガムシロップををだぼだぼと注ぎ込んだ。
 平然と。

「で‥‥その研究員はいつまで拉致られたままでありやがるんですかね」

 自分は1人、持参の栄養ドリンクを飲んでいる研究員をみやりながらシーヴが呟くが、かといって、
 助け舟を出すつもりもないようで、

「まぁ爺ぃが満足しやがるまで、休憩だとでも思って諦めやがるのが賢いかとも思う、です」
 
 一蹴した。
 パンダ君もすでに諦めているようで、ここに来るまでに研究室に連絡を入れているのだろう。
 ブレナーの素性も知ったようで、接待に専念する腹のようだ。
 
「‥‥それでおじいさん、くず鉄博士に何か用事あったんじゃないの? 会わなくていいの?」

 これまでの様子で、おそらく放っておいても話が進むことはないだろうと察したか。
 たずねる愛梨の言葉に、一瞬ブレナーの目がまんまるくなり、ついで、ハッハッハと笑い出した。

「ジャンク博士、か。タバコとコーヒー中毒な奴にはぴったりじゃな!」

「胃薬も手放せないようですね。
 それで、ブレナー博士はブレスト博士にどういった用件でいらっしゃったのですか?」

 赤木の問いに、うむっ、と頷きながら、豊かな顎を擦る。

「先日空を見上げておったら、ちょいと気になるものを見つけての。わしはそれを全世界に伝えた。
 じゃが、あのかつてのライバルソビエト‥‥いや、今はロシアじゃったな。
 やつら、わしの警告を無視しおっての。もうお前さんらの耳にも届いとるかもしれんの。
 ‥‥流れんで良い、若い血が流れた。悲しいことじゃ」

 それまでの軽い雰囲気とは一点。心の底から悲しんでいるかの様子。
 遠い日を思い起こすかのように、瞳を曇らせ、深く息を吐く。
 おそらく、その件でなにか話があったのだろう。それを察するには十分だった。

「そういえば博士、昔パイロットだったんだっけ?」

「む? おぉ、そうじゃぞ! 若い頃は活躍してのぅ!」

 時枝が空気を察して話題を変えると、ブレナーはまたころりと表情を変える。
 本当に珍妙な爺だ。

「へぇ‥‥宇宙の博士みたいだけど、宇宙が好きだからパイロットになったの?
 パイロットだったから宇宙が好きになったの?」

 投げかけられた問いにふむ? と少女の方へ向き直りじっと見つめるブレナー。
 見つめられた愛梨は、どこか気まずそうに、けれど、なんとなく負けじと目をそらさずに睨み返す。
 そんな様子に、ブレナーはふぉっふぉっふぉと柔和な笑顔を向ける。

「お前さんたちは、空は好きかね?」

「?」

 ブレナーのまた突然な質問。一瞬、顔を見合わせる傭兵たち。

「空は好きでありやがるですが、飛ぶより見上げる方が良し、です。
 自分の力で飛べやがるなら別ですが、機械で飛んでやがるかと思うと微妙、で」

 口火を切ったのはシーヴ。素直な感想に、うむうむと、嬉しそうに頷くブレナー。

「私は空を飛ぶの好き。能力者になって、初めてKVに乗って空を飛んだ時、
 空がすごく近くて、すごく気持ちが良かった」

「そうじゃろうそうじゃろう」

 ブレナーは心から嬉しそうに、顎を揺らして何度も頷く。

「わしも同じじゃよ。戦争じゃからパイロットになったんじゃが、あのソラをみたら、ソラー感動したわい!」

「? どのような空を見たのですか?」

 こういうとき、彼がいてよかったと周囲の女性傭兵たちは皆思っただろう。
 赤木の言葉に「うむっ」と一度深く頷くと

「あ、ちょっとそれ、あたしの‥‥!」

「ふぉっふぉっふぉ! ナイスミートユーじゃの!!」

 愛梨のプレートの上にあったウィンナーを1本、その体格からは意外な素早さで掠め取ると、
 フォークに刺さったお肉に挨拶一言、そのままお口にあむり。
 怒る愛梨に、横でお腹を抱えるサンディ。
 当のブレナーは綺麗にナプキンで口元を拭いてから、急に真面目な顔で愛梨を見つめる。

「お嬢ちゃんは、黒い空を見たことはあるかね?」

「え? 黒い、空‥‥?」

 また突然の質問に戸惑う愛梨。
 目の前の老人は自分から目を離さない。うぅ‥‥と返答に困り果てる。

「空は青いもんだろ? 爺さん、目に来たか?」

 くだらない冗談と大人気ない言動のせいだろうか、時枝の言葉から多少なり垣間見えていて敬いの念が
 どこかへフェードアウトしている。

「わしゃ目はいいわい! 元パイロットじゃぞ!!」

 むきーっ! と言葉を返すブレナーだが

「爺ぃ、その体型じゃ説得力がねぇでありやがるです」

 シーヴの突っ込みに、むぅ、とお腹をポンポン叩く。

「そ、そうよ、空は青いものでしょう?」

 愛梨の微妙な心境を感じ取って、どこか微笑ましく感じるのは歳を重ねた故か。
 若者たちそれぞれの様子に、ブレナーはにこりと微笑む。

「そうじゃな。じゃが、空の上はどうじゃ?」

「空の上‥‥つまり宇宙ですか?」

 赤木の言葉に、ブレナーは頷くでもなく、何かに思いをはせる様に、どこか宙を見つめる。

「若い頃、飛行機で見た宇宙との境界。手が届きそうで届かないその世界は、綺麗じゃった‥‥」

「あぁ‥‥」

 ブレナーの言葉に、時枝は以前北京の空で見た光景を思い起こす。

「それでおじいちゃんは、宇宙が大好きになったんだね」

 笑顔のサンディに、ブレナーも優しい笑顔でうむっ、と応える。

「たしかに、星空は綺麗だと思いやがるですよ。
 それに、可能性をいっぱい秘めてやがると思うと、宇宙にも興味はありやがるです」

「でも、じゃあなんで宇宙飛行士にならなかったんだよ」

 ――――ダン!!

 突然、握り締めた拳をテーブルに叩きつけるブレナー。
 その拳は、わなわなと震えている。急な変貌に、思わず言葉を失う一同。

「よくぞきいてくれた! わしは、わしはの‥‥!」

 よほど辛い思い出でもあったのか、立ち上がり、
 奮い立つ感情を抑えながら言葉を振り絞るかのように、ブレナーは

「学校、いっておらんかったからの」

 さらりと言った。
 そして、何事もなかったかのように、愛梨の最後のウィンナーをもう1本、失敬した。

「‥‥学校よりも、その身体のせいじゃねぇの?」

 すでにかなり冷たい時枝の視線と口調が、よく膨れた老人のお腹に刺さる。

「失敬な、わしゃ当時はもっとスリムで、イケイケだったんじゃぞ!
 ただまぁ、退役してから学校に通っても年齢も厳しくてのぅ。
 宇宙飛行士になれんと思ったら、ついつい節制しなくなってしまって、
 そしたらすぐにファーット太ってしまったのじゃよ。てへっ」

 てへっじゃない、てへっじゃ。
 なんて、もはやここで突っ込む者はいなかった。





「っと、もうこんな時間じゃ、悪いの。お前さんらにも予定があろう」

 時計を見れば、すでに大分経っていた。

「今日は思いがけず楽しい時間を、ありがとうのぅ。
 若い者たちが昔のわしらのように空を飛んで戦ってるというのは、少し悲しいことじゃが‥‥
 同じように空を好いてくれとるのは、嬉しいもんじゃ」

 顔をくしゃくしゃにして笑う老人の笑顔に、どこかどっと疲れを感じていた一同にも、ふっと笑みが零れる。

「そうじゃ! こないだの礼もある。こんどホームパーティーでも企画するか。
 機会があれば、遊びに来ておくれ。あ、わしは肉ならなんでも大丈夫じゃ!」

 ちゃっかり食材を催促するあたり彼らしいと、呆れ半分、傭兵たちは帰路についた。
 この後は傭兵とは別の仕事が待っているシーヴは、慌てて家路に着く。
 その頭はすでに主婦に切り替わっているのだろう。
 時枝は顔見知りの赤木に「あの爺さんの冗談を真に受けることなんてない」と指摘する。
 赤木はしばらくの間長考し、老人の冗談を把握する。
 「すまない」と口にする赤木だが、おそらく、別段すまないとは思っていないのだろう。
 真面目で、一見堅物そうなのになんでも受け入れてしまう、彼らしい。


「サンディ」

「え? なぁに?」

 帰り際、呼びかけられて振り返れば、ブレナーが帽子を取って頭を下げている。
 え? え? と戸惑うサンディ。

「さっきは、名前を冗談にしてしまって、すまんかったの」

「さっき‥‥あ、あのことなら、気にしなくていいんだよ」

 急に改まって謝られて驚いたが、そのことならと、サンディは笑って返す。
 その言葉にほっ、っと笑顔を返すブレナー。

「傭兵には色々事情もあろうて。親からもらった名前かもしれんし、自分でつけたもんかもしれん。
 じゃが、名前は大切なもんじゃ。‥‥のぅ? そっちのお嬢ちゃんも、そう思わんか?」

「お、お嬢ちゃんじゃなくて、あたしには愛梨って名前があるのよ!」

 愛梨のすぐに熱を帯びる、そんな背伸びをしているだろう様子にほっほっほ、と笑みを零すブレナー。

「愛梨か。いい名前じゃの。親御さんがくれたのなら、きっとたくさんの気持ちがこもっておろうて。
 今日はこんな老いぼれの相手をしてもらって、ありがとうの、愛梨」

「あ、うん‥‥」

 はじめて名前を呼ばれて、感謝されて、つい大人びた態度を取ることを忘れてしまった。
 一瞬だけ見えた等身大の少女の姿に、ブレナーは優しく微笑むと、「それじゃあの」と去っていった。

  



 暗い部屋、立ちのぼる紫煙。
 口にするコーヒーの苦味が思考を覚醒へと導く。
 デスクに腰かけ、引き出しから今朝届いた手紙を取り出す。
 まったく、いつ以来だろうか。
 彼が自分とスチムソン博士のもとを去ってから。
 バグアの出現の最中。エミタの研究に1人でも多くの頭脳を必要とする中。
 宇宙なんてモノに執着したあの兄弟子。
 しかし、今自分の前に現れた問題は‥‥その宇宙。
 皮肉なものだ。

 ――――コンコン

「‥‥お久しぶりですね。アポを頂いた覚えはありませんが? ‥‥博士」

 部屋の入り口から射す廊下の明かり。
 逆光に映る大きなシルエットが鳴らすノックに言葉を返す。
 逆行で見ることはできないがおそらく、影の持ち主はあの日と変わらない憎たらしい笑顔を浮かべているのだろう。