●リプレイ本文
峠に道があるのは、須らく人々の生活を繋ぐ為。無論、封鎖できる時間は限られる。空の顔を窺っている余裕は無い。
「風邪引く前にとっとと叩き潰すぞ」
降りしきる雨が、嫌な事ばかりを脳裏に蒸し返す。冷たく暗く、音さえも割いて、自分に認識させる。
‥‥雨は嫌いだ。杜若 トガ(
gc4987)は忌々しいとばかりに、刺す様な雨を見上げ、呟いた。
「全くだ。愛車はずぶ濡れ、タバコは吸えねぇ。良いコンディションとは言えねぇな」
麻姫・B・九道(
gc4661)は、愛車SE−445Rのタンク部に胸を乗せ、曲がりくねった道を見据えている。隣には同型車両に跨る那月 ケイ(
gc4469)の姿。
「嫌な雨だけど、雰囲気は出てるねぇ」
幽霊に、雨は付き物。首なしライダー退治には、良い舞台くらいの気持ちなのだろうか。その様子に麻姫は首を竦めて応えた。
雨音が強く、加えて真下から響くエンジン音が、声を掻き消していく。日の出ている時間だったが、薄暗く、ただでさえ道に余裕の無い峠道を、余計に狭く感じさせた。ライトの光が心許ない。
「さて‥‥始めっか、ケイ?」
その距離でも、声はほとんど聞こえない。しかし、言わんとしたことは理解して、ケイはコクリと頷いた。後方をチラリと確認し。横殴りの雨と、独特の張り詰めた空気だけを、その場に残し――
そして3台は、緩やかに走り出した。
***
思った以上に雨足が強い。軽い台風でも来ているんじゃないか? そのくらいの豪雨が時折、ハッと思い出したように地面を殴りつけていた。ガードレールの先から見える山林の向こう、流れる川が激しい勢いの濁流を噴出している。この雨では、土砂災害の危険すら孕んでいるだろう。
「せっかくなら、天気の良い日にきたかったな」
なだらかなカーブが続く峠道で、最も直線になった道で停車したジーザリオの車中。フロントガラスを左右に行き来するワイパーを眺めながら、翡焔・東雲(
gb2615)は言った。
いやこれは、なんというか、車外に絶対でたくねぇ。そんな空気がほんのりと、車中に充満している。特に、助手席に座る未名月 璃々(
gb9751)なんかはもう、ガッチリはめたシートベルトを外す気配すらない。いやそんなことより、手にしたカメラが物凄く気になったが、しかし東雲は色々面倒になって、とりあえずバックミラーをチラっと見た。
「雨いっぱい‥‥。雨具‥‥持ってくればよかったですね」
後ろの座席、安原 小鳥(
gc4826)が、雨で絶え間なく雨粒が滴り落ちていく窓から、外を眺めている。隣でその横顔を、ジョシュア・キルストン(
gc4215)は、ボンヤリ眺めていた。
生理的なものに関しては、能力者も一般人もそう大差のあるものではない。雨に濡れれば気持ちが悪いのは当然のこと。多少の雨なら、耐えようもあるだろうが‥‥。
唯一、軍用レインコートを着てきた猫屋敷 猫(
gb4526)は、2人の座席を詰めて同乗していた後部座席から早々に降り、目標が速度を落とすであろう、手ごろなカーブのあるポイントへ向かっている。その様子を見送り、自分達の用意が甘かったことを再認識させられた。
身に染みていたはずだ。スノーストーム、そして記憶に新しいブライトンの気象操作。規模こそ比べ物にはならないが、天候は時として、どんな敵よりも恐ろしいと。
強いノイズが混じえ、無線機が悲鳴を上げた。小鳥が少し不安そうにジョシュアに視線を投げると、彼はその不安を拭うように、柔らかく微笑を投げかける。
「恐らく、囮班がスタートしたのでしょう。僕達も行動開始ですね」
「雨が強くて、霧みたいになってるな。外が全然見えん。外に出れば多少はマシかもしれないが、出て待つか? 私は嫌だ」
「私も嫌ですー」
東雲の意思表示に璃々が即、反応した。その様子を見て、ジョシュアが苦笑しながら、ノブに手を掛ける。
「女性を、この雨の中立たせるわけにはいきません。この、雨も滴る良い男、ジョシュア・キルストンが、外に」
キリッという擬音を当ててもいい台詞を吐く紳士。しかし二人は視線すら送らない。
「そうか、頼む」
「よろしくお願いしますー」
「うわァ、反応が棒過ぎる」
前の席の二人の、ある意味お約束的な反応に、苦笑いしながら、ガチャと、ドアを開けた。ビュゥと、車内に吹き込む雨風が、男を一瞬躊躇わせる。そこに伸びてきた細い指が、僅かにコートの裾を掴んでいた。
「小鳥‥‥?」
「ジョシュア。どうかご無事で‥‥」
白と黒の羽が、はらりと舞い降りてくる。覚醒したのだ、と、ジョシュアは感じた。発動させたバイブレーションセンサーの範囲は100m。その範囲に、敵影も土砂災害の兆候も、見られない。だから、彼を送り出せる。
ジョシュアはそれを察して、安心を覚えたが、
「終わったら、温かいお茶‥‥淹れますね♪」
という、料理音痴の小鳥の不穏な一言に、不安が蒸し返した。
***
安全運転を心がけましょう。
首が無くても心がけましょう。
危険運転の方にはお仕置きですよ。
首が無い、ではまだ怖くないです。
まだ付いていてぶら下がっているほうが怖いですね。
ぶらぶらと。おお、こわいこわい。
猫は軽々斜面を駆け上り、レインコートのフードの傘を持ち上げて、遠くに光が4つ、こちらに向かってくるのを確認していた。恐らく先頭3台が味方、その後ろのがキメラ、と思われる。それと向かい合う形で、ジーザリオの前で待ち伏せた迎撃班。
「私は、静かに待ち伏せるだけですね」
上手く囮に誘き出されたのならば、あとはタイミングと、位置取り。如来荒神の描かれた鞘をしかと持ち、その場所へ、雨飛沫を裂いて、猫は駆けていった。
***
高温を帯びたマフラーが雨滴を焼き、駆動がうねりを上げる。少しの雨なら多少の無茶もできるが、流石にこの豪雨であまり速度も出せそうにない。
先行する2台、ケイと麻姫は競り合うようにカーブを曲がっていく。レースのつもりだろうか。しかし無理をせず、インを麻姫に譲るケイ。遅からず速からず、追従する。徐々に熱を上げていく麻姫だったが、一方のケイはノリに付き合うくらいの気持ちで、意識は半分後ろに向いていた。
ふと、ライトがチカチカと点滅したのに気付き、後ろを走るトガが、合図を送っていることに気付く。
「残念、お客さんだ」
黒い皮のジャケットを着た、首無しの男。漆黒の、少しパンクの入ったようなデザインの車体。雨を弾き飛ばしながら、グイグイと近付いてきている。この雨の中、とても普通の人間が操っているような動きではなかった。ケイはクラクションを鳴らし、麻姫に知らせる。
「‥‥ちっ、そういや依頼だったな。しょうがねぇ、さっさと片付けてやるか‥‥」
麻姫は減速させつつ、タイミングを見極める。ケイも同じように、サイドミラーで首無しライダーを確認しながらゆっくりと速度を落としていた。
片刃の太刀、獅子牡丹を片手にトガがキメラの横に付けたのを見て、麻姫とケイは一気に減速をかけた。その真ん中をキメラとトガが抜け、飛び出していく。
「おらぁ! 舐めてんじゃねーぞぉ!」
ギュルルと、うねりをあげてホイールから飛び出してきたドリル。同時に獅子牡丹が煌き、キメラの車体を。そしてドリルはリンドヴルムの前輪を穿った。一気にバランスを崩し後輪がぶれて、転倒するトガ。横倒しのままガードレールの方へ滑っていく。キメラの斜め後ろにつけたケイと麻姫が、叫ぶが、声は雨音に掻き消された。
「本職がよぉ、馬鹿な姿、見せられねぇだろうが!」
滑りながらも、AUKVを強引に装着し、竜の鱗を発動させる。火花が散り、装輪がアスファルトに車輪の線を深く刻んだ。
「っつ‥‥!!」
ガードレールがぐわんと弛み、強い衝撃と激痛が、トガの全身を駆け抜けた。
「あぶっ!?」
何時の間にかばら撒かれていた撒菱を踏みそうになり、ケイは車体ごと身体を揺らす。どうやらカーブを曲がる瞬間に撒いたらしい。これでは、斜め後ろについても、避けるのは難しい。事前にかけておいた幸運のおまじないのせいか、辛うじてその間を縫えた。
「野郎‥‥!!」
舐めた真似に麻姫が激昂する。だが嘲るようにキメラは、あろうことか、水飛沫を跳ね飛ばしながら、アクセルターンで反転し、ピタリと停止した。見るとタイヤから鉤爪のようなものが飛び出し、地面に食い込んでいる。
そのまま向かい合った麻姫に向けて、バイクの頭から弾丸が放たれる。だが、その脇から、トガが竜の咆哮を発動させながら、機械脚甲「スコル」で痛烈な飛び蹴りを浴びせた。
首無しのライダーが斜面に叩き付けられる。衝撃で射線が逸れ、弾丸は麻姫の頬を掠めて飛んでいった。
「‥‥んだと?」
トガが疑問符を投げる。飛ばされたライダーはゴム鞠のように吹き飛び、斜面に強く叩き付けられ、ぐちゃりと潰れていた。しかし、
「FFが‥‥発生していない」
ケイが呟き、麻姫が叫ぶ。
「つまり、本体はバイクか!!」
キメラがライダーを狙う以上、後方に付けたのは、囮として失敗だった。麻姫とケイは進路を阻まれ、停車を余儀なくされる。加えて――
「避けて!!」
「!?」
悲鳴にも似た叫びが、響き渡る。
その声の主を確認するより早くケイは動き、ワンテンポ遅れた麻姫の手を引く。斜面に叩き付けられた衝撃か、そんなこと関係なく起きたのか。崩れる土砂が地響きを立てて迫った。飲み込まれるバイクとキメラ。トガは一瞬迷いながらも、2人とは反対側へ飛び出し、土砂崩れを回避した。
「あぶねぇ‥‥」
へた、と、その場に尻をつく麻姫。
見れば、向こう側にはジーザリオと、小鳥達の姿が見えた。
「へくしっ! うぅ、お気に入りのスーツが雨で重い‥‥」
ぷるぷるしながら、ジョシュアが小鳥の後ろから姿を現した。状況を辛うじて見ていたジョシュアと、バイブレーションセンサーで目標を感知した璃々。そして、探査の眼で土砂崩れを探知した小鳥。
「そして運転手、あたし」
東雲がちょっと、ドヤ顔していた。確かにこの状況では、ジーザリオを持ってきた東雲、グッジョブ、なのだが。助手席の璃々が、相変わらず熱の篭らない瞳でその横顔をなんとなく見た。でも、特に何も言わなかった。
「しかし、キメラの撮影がー」
カメラを手に、ガックリと、割りとガチで残念そうな璃々を尻目に、東雲はドアから顔を出して、キメラが埋まった土砂の方に視線を移した。勿論、あれでキメラを倒せるわけがない。傭兵達は声を交わさずとも、自然とその場を囲んだ。
すると、地面がビシビシと振るえ、土砂がゆっくりと盛り上がった。ドバッと、腹を食い破って飛び出してきた寄生獣のように、黒光りする四肢の獣が、姿を現した。装甲の隙間、関節部から、生々しい筋繊維のようなものが見える。ヘッドの部分が口のように裂け、そこから、けたたましい雄叫びを上げた。
これは撮影チャンス! とばかりに、璃々が雨に濡れるのも構わず、車から半身を乗り出してシャッターを切る。ここ一番のショットが収まった。
「なにコレ。どこぞのバイクよりも、高性能なんじゃ‥‥」
「他に敵影、ありません。雨も少し弱まったようです」
呆れながら呟いたジョシュアに、小鳥が手にした大鎌「紫苑」をガチャリと静かに構え、告げた。
「クカッ、生きたバイクか、まったく、面白ェなぁ!」
「俺の愛車、シャカにしやがって。落とし前、つけてもらうぜ!」
まだ半身を抜け切ってないキメラに、麻姫とトガが迫る。炎剣「ゼフォン」が前足を薙ぎ、トガの蹴りが、頭部を吹き飛ばした。ヘッドライトが砕け、ギャン! と、悲鳴をあげるキメラ。
「小鳥さん! 攻撃は任せるぞ!」
続けてケイの弾丸が、何かの管をぶち抜き、なんとか後ろ足が抜け出したそのタイミングで、小鳥の放った脇腹にエアスマッシュの一撃が決まる。
「‥‥ジョシュア‥‥今、ですっ」
ジョシュアはふらつきながらも、果敢に駆け出すキメラをひらりとかわし、擦れ違い様に円閃を発動させ、硬質の金属を裂いて、痛烈な一撃を浴びせた。しかしキメラは動きを止めない。剥がれ落ちそうなフレームを引き摺り、眼を潰されながらも、ただ本能のままに、小銃を構える。
「‥‥やるしかないね」
「できればバイク携帯も撮影したかったですねー。一度バイクに戻りませんかー?」
東雲が放った弾丸が剥き出しのラジエーターをふっ飛ばし、璃々の放った電磁波が、エンジンらしき部分を焼き払った。ボフッと煙が噴出し、ボルトとナットが5〜6本周囲に散らばる。マフラーがガランと落ちた。オイルか血か、黒い液体が雨と混ざり、滲んでいく。それでも、まだ牙を剥き、周囲を威嚇するキメラ。
再び大鎌を構える小鳥を、ジョシュアは静かに制止する。雨足が、一瞬弱まった気がした。
「――我が太刀筋、しかと味わうですよ」
声がした。
見上げると、斜面を駆け、そのまま駆け下ってくる少女の姿。脇に構えた鞘から、一瞬の曇りなく、放たれる剣線。光の軌道は正確に、キメラの首筋を捕らえ――
「これで、依頼完了です」
猫が鞘に太刀を収めると同時に、その首はボチャリと、水溜りの中に削げ落ちた。
***
――後日。
UPC本部に続く廊下。たまたま依頼に携わった傭兵の一人を見つけ、ULT職員の稲玉が駆け寄ってきた。挨拶もそこそこに、手にした事後報告書に視線を落としながら、話し始める稲玉。件の依頼について‥‥。
「‥‥あれからね、少し気になって、調べたの。
このキメラはライダーを襲って殺しては、その死体を乗せていたらしいわね。どうしてそうするかはわからないけど…。常に新鮮な死体を求めて、彷徨っていたみたい」
搭乗している人物の特徴が複数目撃されていたのは、その為だったらしいと、稲玉は続ける。傭兵達がキメラを討伐した後、山林から複数体の遺体が発見され、その全てに首が無かったことから、推測される、と。勿論、便乗した犯罪の可能性もある。一概に断定はできないが。
だが、最後にキメラに搭乗していた人物の背格好が、あの夜、自分を最初に追い抜いていったライダーのものだった。‥‥それを確認する気には到底なれない。彼は、稲玉の代わりに、犠牲になったのだから。気丈な振る舞いの彼女の表情に、一瞬翳りが落ち、決して他人事ではなかったと、そう思わせていることは、想像に難しくなかった。
「でも、あの場所で他にキメラは確認されていないし、依頼は無事完了ね。‥‥そうそう。破損したバイクの修理代は、必要経費として計上してあるから、安心してね」
実はその分、予め報酬を少なめにしていたのは、稲玉しか知らない。しかし、少なくとも一台は犠牲になるだろうと予想はしていた上で、である。
「今度は晴れた日に、皆でツーリングに行きたいものね」
最後に稲玉は、まるで少年みたな、屈託の無い無邪気な笑みを浮かべた。