●リプレイ本文
非常用階段の二階に差し掛かったところに、『KEEP OUT』と書かれた黄色のテープが、申し訳程度に3本、進路を塞いでいた。傭兵達はテープをくぐり、2階のフロアへ通じる、防火扉を開ける。ギィ‥‥と、重々しく鉄の扉が開いていく。
ひゅぅと、風が流れ込み、月居ヤエル(
gc7173)は、ふるっ、と、小さく震えた。
「‥‥動くマネキンとか、怪談にありそうだよね。実在したら、それはそれで困っちゃうけど」
「あら? ヤエル、怖いんですの?」
日下アオカ(
gc7294)が、その姿を見て、クス、と笑う。
「武者震いだよ。これ以上被害がでないようにガツンとやっちゃうよ!」
意気込むヤエルの声が、驚くほど響き、大きく感じた。
オープン前のデパートは、ひっそりと静まり返っていた。
安全の為、一時的にオープン準備を中止したのだろう。まだ日は沈んでいなかったが、広々としたそのフロアには、傭兵達以外に人気は全く無かった。これが真夜中ということであれば、人が居なくても、『そういうもの』だと納得できたが、逆に人が普通にいる時間に全く人が居ないという違和感は、特に人の多く集まるデパートという環境では、余計に不気味に感じるものだった。何より、音が遮断された空間、というのがいまいち慣れなかった。
見上げると、照明は付いている。エレベーターもエスカレーターも動いていなかったが、どうやら、最低限の灯りは、オーナー側で気を利かせてくれているようだった。‥‥どうせなら、ついでに音楽でも流して欲しいところだが。
「それにしても、珍妙なキメラも居たものですねぇ」
比良坂 和泉(
ga6549)が、ポリポリと、首の後ろを掻きながら言った。ですよね? と、横に視線を送ると、カメラを熱心に調節している未名月 璃々(
gb9751)が視界に入った。
「あなたの全ては私の物とかいう、マネキンですかねー」
とかもう、すっかり、その珍妙なキメラを写真に収めることしか頭に無い璃々。ふと、小脇に何かの雑誌を挟んでいることに、和泉は気が付いた。
「その雑誌、なんですか?」
「ああ」
少し和泉と見詰め合ってから。それから思い出したように、ゆら〜っと、ゆっくり、ごそごそカメラを仕舞うと、脇に挟んでいた雑誌を取り出し、ペラペラと捲っていく。何かの美術雑誌だろうか、美術に疎い者でも、どこかで一度は見たことがある、有名な絵画が並んでいた。璃々がピタと、動きを止め、そのページを和泉に見せた。「うっ」と、和泉の顔が引きつる。
ページには、狂気に満ちた巨大な髭もじゃの老人が、人を喰らっている絵が描かれていた。自分の子供に殺されるという予言を信じてテンパった神様が、殺られる前に殺れと言わんばかりに、我が子を頭からバリバリ喰ろうてしまったという伝承をモチーフにした絵画である。
「インパクト的にも、申し分ないですねー」
うん、と。本気か冗談かわからないような、感情の篭らない表情で、璃々は頷いた。
「‥‥」
和泉は、反応に困った。それ、もしかしてそれ、マネキンキメラに、真似させるつもりなんデスカ? と、口にしなくても、顔にでかでかと出ていた。ていうか、それを真似させて、一体どうするつもり? とかぐるぐる考えてみるが、一向にまとまらなかったので、和泉は考えるのを止めた。
「‥‥でもそれ、その雑誌を持った璃々に化けるんじゃないのか?」
葵杉 翔太(
gc7634)が、何気なく言った。「あ」と、二人同時に言葉を漏らす、和泉と璃々。いや、気付いてなかったのかよ。と、心の中でツッコミを入れる翔太の肩に、ルティス・バルト(
gc7633)が肘を乗せ、軽くもたれかかってきた。
「ふふっ、人を擬態するマネキンか‥‥面白いね。俺を擬態すればフェミニスト2人の、出来上がりだ」
「女たらしー、の間違いじゃないか?」
すかさず、翔太が切り返したが、「ふぅん」と、魔性に満ちた笑みを浮かべたルティスが、その長身をゆっくりと屈め、ぐいっ、と、更に顔を寄せてきた。
「おや、葵杉さん。俺の美貌に嫉妬かな?」
近っ! すっごい、近っ! 急に接近してきた端整な甘い顔の男に、翔太は思わず頬を紅潮させた。それはあまりに急なことで。だからだろう、多分。
「‥‥べっ、別に、真似されてもサマになんだろうなぁとか、カッコ良いだろうなぁ、とか、全然これっぽっちも、思ってないぞ! 見てみたいとかも、思ってないからなっ!」
と、思わず、口に出して、言ってしまった。結構大声で。
「‥‥」
シーンと、静まり返る人気の無いフロア。
少し先行して歩いていた、ヤエルとアオカも、ピタリと歩くのを止め、こっちをじーーっと見ていた。無言で目をパチパチさせると、ふぃっと、二人顔を合わせ、そしてヒソヒソと何かを話し始める。
多分、翔太にとって、好ましくない話題であることは、想像に難しくなかった。
「葵杉さん」
がっくりと項垂れた少年の肩を、璃々がとんとん、と叩いた。
「なっ、なんだよ」
「ツンデレの黄金比は9:1‥‥ですからね」
●真似禁!
「もしかして、アレ?」
ヤエルが指差した先、無理やり取っ払われたのか、切れ端の残ったビニールが、ショーウィンドウのガラスに、申し訳程度にくっついていた。そこに二体の素っ裸のマネキンが、澄ました顔で立っていた。逃げも隠れもせず、立っていた。「どや?」と言わんばかりだった。とりあえず、璃々がパシャッと一枚、写真に収めた。
「舐められたものですわね」
腕を組んで、鼻を鳴らすアオカに反して、ヤエルは乾いた笑いを浮かべている。ショーウィンドウの奥に店内が見えた。ブティック『ららら』の中は商品棚が並び、せいぜい二人並ぶ程度の通路幅しか見られない。
「店内では、戦うのは難しそうだね」
ルティスは、店の外からガラス越しのマネキンに近付き、手を振ってみるが、反応は無い。もしかして、本物のマネキンか。とも、思ったが、僅かに肩が上下しているのが見えた。間違いない。生きている。しかし何故か、マネキンは外に飛び出してくる気配は無かった。制約があるのか、はたまた、単にその場所が気に入っているだけなのか。
「無粋ですわね」
アオカは躊躇うことなくツカツカと、入り口に向かって歩き出した。
「人数の利を活かして思いっきりやる為には、狭い店内より広い通路。アオが誘き出して差し上げますわ!」
「え? わ、わ、待ってよ、アオちゃん!」
その後を、ヤエルが一歩遅れて続く。つられる様に翔太が更に続いて、その背中にピタリと、けだるそうな璃々がくっついていった。店内には床を汚さない為のビニールが引かれている。床に張られたビニールが結構、滑る。
「コケない様に注意しろよ‥‥って、別に心配してる訳じゃないぞっ! か、勘違いすんなよ」
明らかに心配顔で璃々へ振り向くと、その顔を、精巧な人形のような冷めた目が、翔太を見詰めていた。翔太は、え、何、俺何か、言った? みたいに戸惑い、「し、確り頼むぞ」と、なんとなく誤魔化した。
「任せてください。皆様の勇姿、バッチリとメモリーさせていただきますー」
「‥‥いや、写真じゃなくて」
やる気ゼロの少女に、げんなりと、翔太は肩を落とした。
少年少女を送り出し、割と大人な2人は顔を合わせた。
「俺達は、ここで待機しましょうか」
和泉がルティスに言った。ルティスは小さく頷く。追い出すのであれば、挟み込むように待ち伏せるのも必要だろう。異論は無かった。
「ところでルティス。そのワインはなんですか?」
ふと、手にしたボトルに気付いて、和泉が訊ねた。
「ああ、これ? これはね‥‥」
ぐぁしゃぁぁあぁぁん!!
「あ」
「あ」
突然、目の前のショーウィンドウが粉々に砕け散った。『アオカ』が、その破片の波に包まれながら、通路に転がり出てきたのだ。その奥を見てみると、アオカとヤエルが、顔をつき合わせて何か揉めていた。
それで気付く。‥‥あ、これ、キメラだ。と。
「アオのっ、姿のっ、マネキンをっ! 何か思うところがあるのかしら、ヤエル!」
「殴ったの、キメラなのに何で怒るの〜〜?!」
「二度も、しかも顔面っ!」
「だって、キメラだもん!」
「キメラはキメラでも、アオの姿をした、キメラですわっ!」
そこで何があったのか、聞くまでもなかった。その隣に視線を移すと、翔太が『翔太』と向き合っているのが見える。真似する以上、一歩遅れるのだから、キメラは手前の『翔太』だろう。
「真似すんなぁ!」
『べっ、別に真似なんかしてないんだからねっ!』
くねっくねっと、あざとく上目遣いで頬を染めた『翔太』。ムカッとした翔太は顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。それを涼しい顔の璃々が、ちょいちょいと、腕をつついた。
「葵杉さん」
「なんだよ!」
「今のは、良い表情でした」
「だぁぁぁ! お前は、撮るなぁーー!!」
その様子を、和泉が遠い目をして見ていた。傍らのルティスは面白そうにニヤニヤしながら、顎に手を当てて眺めている。
「‥‥うん。中々、素敵にカオスじゃない?」
「これ、笑える状況じゃ無い気がするんですけどねぇ。高いですよ、あの手のガラス」
「あー。高いよね、アレ。特注だろうしね」
と、ダメージを負ったアオカ姿のマネキンが、生まれたての子馬みたいに、プルプルと立ち上がった。くるっ、と、振り向くと、すっかりルティスに姿を変えている。ルティスの片方の眉が、ピクリと上がった。
「さて‥‥。キミに、俺の真似が出来るかな?」
ルティスが手にしているのは、ワイン。当然『ルティス』にもワインが握られていた。
「俺のペースに付いて来れるかい?」
と、おもむろにワインの栓を抜き、キメラとカツーンと、ボトルを乾杯(?)させた。ぐいっ、と、酒を煽るルティスと『ルティス』。飲み比べ、のようだが。これ、意味あるんですか。と、とりあえず、和泉は生暖かく見守った。
「俺を模倣したからには、女性には優しくしなくちゃいけないよ?」
ふわんと、甘く切ない流し目で、ルティスは少し、うっとりと、見詰めあった。何故か和泉がちょっとイラッとした。
その脇に、ズサーっと『翔太』が通路に滑り込んできて、店内から翔太が飛び出してきた。
「‥‥っ!?」
ルティスに変身したキメラを見て、翔太は動きを止めた。コイツ、攻撃、しなくちゃいけないのか? 同士討ちのような気分に陥り、翔太は困惑の色を見せた。その背後から、シュタタタタッと青い光が、行過ぎる。
「真似できるものなら‥‥してご覧なさいな!!」
スラリと伸びた自慢の脚。そこに備わった機械脚甲「スコル」が、唸りを上げて『ルティス』を捉えた。グラッと、身体を崩したキメラに、駄目だしとばかりに、瞬速縮地で間合いを詰めていたヤエルの鉄扇が、ぼぐぁ、と鈍い音をフロア全体に響かせた。問答無用だった。
ルティスは横笛型の超機械「スズラン」を静かに構え、
「‥‥だからといって、女性が優しくしてくれるとは、限らない、けどね」
痙攣している自分の姿見に、止めを刺した。
「あー。日下さんは、遠慮なくいきましたねー」
のそのそと、店内から出てきた璃々が、ポツリとそんなことを言った。微妙に、ルティスだから攻撃を躊躇ったんじゃないか、という空気が流れた気がした。翔太は顔を真っ赤にして「い、いや、ちがうし!」と、もう、慌てた。慌てるしか、なかった。
「ふ、ふは‥‥は」
そんな騒動そっちのけで、誰かが、壊れた笑いを零した。ふと、そちらに視線を移すと、和泉と『和泉』が対峙している。和泉の表情が、もう、すっかり、温厚な好青年では、無くなっていた。
ふわりと、優しい表情を見せる『和泉』。サッと、髪をかきあげ、ニコリと微笑みを浮かべていた。和泉は、この顔が嫌いだった。軽い性格に見られがちな、その姿に、激しい憎悪を持っていた。
だが、自分を辞めることなんてできない。そう思えばこそ、余計に腹が立った。
ならばせめて――‥‥
「そのニヤケ面‥‥潰すゥッ!」
あ。これ、キレてる。
ルティスは、不穏な空気を感じ、「あの‥‥」と、和泉に落ち着かせようと、一歩踏み出したが、
「潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰すツブスつぶすつb――」
あの温厚そうで、紳士的な和泉が、我を忘れ、狂ったように自分に化けたマネキンを、馬乗りになってスパナでボコスカ殴っている姿を見て、止めるのを止めた。経験上、こういうのは、スッキリするまでやらせたほうがいい。溜めると逆効果、だしね。と、爽やかに、見守ることにした。
「ぶっ‥‥、潰すッ!!」
ごきゃっ。
マネキンの首が3回転半回って、文字通り、糸の切れた人形のように、キメラはぐったりと力尽きた。
「化ける相手は‥‥選ぶんだったな」
しかし和泉は言い知れぬ虚脱感に襲われていた。スッキリするかと思ったが、どうも、そうはならなかったらしい。
「根性の無い、キメラですわね。ヤエルに変身させる前に息絶えるなんて」
そんな彼に構わず、アオカが残念そうに首を振った。
「え、ちょっと、それどういうことなのかな!? かな!?」
「少々造形を崩して差し上げた方が、ヤエルは可愛くなると思いまして。‥‥試しに」
「ちょっと、それ、どういうことよ〜!」
再びぐるるるる〜と、睨み合い、口論を始めた二人に、翔太が「まぁまぁ」と、宥めに入ったが、
「うるさいですの!」
「邪魔しないでよね!」
と、同時に一蹴され、うぐっと、引っ込む翔太。それを、慣れないことをするもんじゃないよ、と、いつの間にか翔太の側に立っていたルティスが、慰めるように頭を優しく叩いた。
とんとん、と、自分の肩を叩き、割れてしまったガラスの破片に視線を落とす和泉。
「しかし、派手にショーウィンドウを割ってしまいましたね」
「ああ、大分派手にタックルかましてましたしねー。いやしかし、いやらしい、キメラでしたー」
戦闘の影で、璃々がこっそり、商品棚を寄せていたのも幸いした。6坪という狭い空間で、あれだけ動いてこの程度の被害なら、僥倖であった、ともいえる。和泉は、頭をポリポリ掻いて、そこでようやく、納得したように、息を吐いた。
「さ」
パン、と、この場の蟠りを、全て吹き飛ばすように、アオカは手を叩いた。
「甘いもの食べさせてくれるフロアはどこですの?」
「ここのお店、まだ開店してないよ。何時ものお店行こっ」
気が付けば、いつの間にか喧嘩は終わっていて、隣に並んだヤエルが、アオカの手を引き、駆け出していた。
「ちょっと、ヤエル。そんな急がなくても。‥‥仕方ありませんわね」
困ったような顔をしながらも、アオカの声は穏やかで。まるで、何事も無かったかのように、二人は並んで駆けて行く。
「なんだよあれ、素直じゃないよな」
ちょっと納得いってない翔太が、仏頂面で呟いた。それを隣で聞いたルティスは、
「お前が、言うなよ」と、クスリと笑った。