●リプレイ本文
●カレーなる人達
「如何して茉苗さんはキメラに遭遇されてしまうのでしょう‥‥」
頬に手をあて、柔らかく首を傾げた祈宮 沙紅良(
gc6714)の言葉に、ルーガ・バルハザード(
gc8043)が「そうか」と言いながら、静かに頷く。
「こんなに平和的なイベントでも、稲玉殿は敵を呼び寄せるのか‥‥。軍はこの才能を有効活用するべきではないのか?」
などと冗談交じりに言うと、稲玉が首を竦めた。ULTがUPCの下部組織である以上、ある意味で、稲玉は有効活用されているとも言えるが。
「カレーですか。お持ち帰りできるかなー」
ほわんとした雰囲気で、パイドロスを纏ったヨグ=ニグラス(
gb1949)が言う。
「ええ、最近大きなお仕事も終わりましたし、なんかこう、美味しいものを皆さんと食べたいので、パパッとキメラ退治して、是非ともお持ち帰りしたい所で! まま、会場はおっきいですし、だいじょ‥‥」
言いながらくるりと視界を動かすと、そこには分厚い宇宙服を身に纏った最上 憐(
gb0002)の姿。格好が格好なので、一瞬誰だか分からなかったが、透明なフェイスガードから覗く顔は、見慣れたもので。
(憐‥‥さん‥‥ですと‥‥!?)
そう、彼女こそ、七つのカレー界を渡り歩くという旅人。その界隈で知らぬものは居ない『カレーウォーカー・憐』、その人なのだ。
ある意味キメラより恐ろしく、もうカレーの心配で頭がいっぱいのヨグを尻目に、憐は一言「ん」と、気合を入れるように呟いた。カレーの匂いに少しでも誘われたら、自分を見失う事は必然。気密性の高い宇宙服を着込んだのは、ステータス異常を防ぐ意味もあるが、それ以上に摘み食いを自戒する為である。
その熱意が伝わったのか、いつもと雰囲気の違う憐に、ゴクリと固唾を呑むヨグ。‥‥しかし、完全に匂いを遮断しているにも関わらず、ふらふら〜っと、カレー鍋に近付いていく憐を見て、ちょっと安心したような、不安なような、複雑な表情でヨグは見詰めた。
「フェスタを続ける為にも、早くキメラを倒しましょう!」
ぐっと、両手の拳を握り締めたエイルアード・ギーベリ(
gc8960)が言った。『彼』は何故かゴスロリワンピースを着ていて、その後ろで、ボーっとそれを眺めていたアリーチェ・ガスコ(
gc7453)の視線に気付き、エイルアードは慌てて手を振った。
「ち、違うんです、この格好は‥‥彼女が!」
「彼女?」
「すぐに分かりますよ‥‥ううっ」
耳まで赤く染まった顔を伏せ、涙目になったエイルアード。アリーチェは小さく首を傾げた後、鮮やかな黄色に塗装されたアシュタロトのフェイズガードをシャッと閉め、キメラが潜んでいる調理台エリアへと、視線を向けた。
「あの」
控え目にエイルアードが訊ね、アリーチェは振り向いた。
「はい?」
「その手に‥‥あるのは?」
スリムな女性型のフォルムを持つAUKVアスタロトに身を包む、長身の女性。その手に握られているのは、アルティメット調理器具。
「おたまと、まな板ですが何か?」
「あ、いえ‥‥」
ふと気が付けば、憐はおたまとなべの蓋。ヨグは泡だて器にプリンみたいな盾。沙紅良もおたまを手にしている。エイルアードは、深く考えない事にした。
「カレーで世界を癒すという趣旨、面白う御座いますし、美味しいカレーを待っている皆様の為にも、確りキメラを退治致しましょう」
沙紅良がきゅっと唇を結び、カレーの匂いが漂う会場へ、一歩踏み出した。
●カレー味のスライム
「ふはははは!」
会場に入り覚醒したエイルアードが、急に高らかに笑い、隣でガスの元栓を閉じていたアリーチェがビクッとして、そちらへ振り向いた。
「妾はリンスガルト・ギーベリ! うむっ。お気に入りの服装じゃな! 大義である!」
髪は伸びて、膝裏までのロングウェーブに変化し、外観がすっかり可愛らしい少女へと変身したエイルアード。先程までおどおどしていたのが嘘のように、強気にふんぞり返っている。覚醒の影響か、人格が変わってしまっている様だ。
「キメラ共め覚悟するがよいわ!」
エイルアードは、わはははーと豪快に笑いながらも、意外と慎重に自分達が担当するエリアの鍋を開け、調理台に備わっていたおたまを取り出して、鍋の中へと突っ込んだ。アリーチェも気を取り直し、同様にまな板を盾にしながら、おたまを突っ込んでいく。キメラであれば赤いFFの光が確認できるはずだが。
鍋ごと全部破壊してしまえば早いだろう。だがそれでは、全てを台無しになってしまう。傭兵達はひとつひとつ、中々に地道に作業を続け、いつしか全員が無言で黙々と作業を繰り返していた。
そんな中、最初にカレースライムをヒットさせたのは、憐とヨグのペア。
「‥‥ん。匂いを。封じても。油断すると。無意識に。飲み込みそうになる」
カレーの香りを嗅がないよう、外気から遮断された宇宙服の中に、憐の吐息が洩れた。囮用の食材を側に置き、盾の鍋のふたを構えながら、カレー鍋の蓋を開く。すると、その背面で憐の動向に――いや、キメラの動きを警戒していたヨグが、調理台の影で蠢く茶色い影にいち早く気が付いた。
「憐さん!」
気密性の高い宇宙服。ヨグの危機を知らせる声は聞き取り難い。しかし偶然か、はたまたカレーに対する執念か、唐突に憐が振り向き、その目をキュピーンと光らせた。鋭い眼光が、カレースライムに突き刺さる。キメラは可愛く『ピギィ』と鳴き、プシューとカレービームを吐き出した。憐のお鍋の蓋へと中り、周囲に飛び散るカレー。
「わっ!?」
思いの他勢いのよかったカレービームが盾に反射して、飛沫がヨグの顔へと襲い掛かる。
「ぷっ! か、辛いぃ!!」
つま先から頭の天辺まで駆け抜けていく痛烈な刺激が、味覚を支配した。わたわたしながら、携帯していた水を流し込んだ‥‥が。
「ぎゃぁ!? か、からっ!?」
辛さが和らいだと思ったのも束の間。噎せ返るような辛さが戻り、ヨグを襲う。刺激は舌から鼻、目にも効果を及ぼし、視界が涙でボヤけた。
ちなみに、唐辛子に含まれるカプサイシン。これは脂に溶ける性質があり、辛いと感じて水を飲んでも、その冷たさで一時的に辛さを抑えられるが、洗い流すことはできない。
この場合、効果的なのは乳製品だ。カゼインというタンパク質がカプサイシンと結合し、これによって舌、胃腸への刺激を和らげてくれる。
もがき苦しむヨグを尻目に、何時の間にか距離を詰めていた憐が、手にしたおたまでズブリと、キメラを殴りつけた。キメラの性質か、手応えが浅い。浅いが、動きはやや緩慢になり、至近距離から発射されたカレービームも難なく盾で塞ぎ、カウンターのおたまが、再びカレーキメラへ直撃した。茶色い飛沫が宙を舞う。
「くぅぅ〜」
この間に辛うじて視界を回復させたヨグは泡立て器を構え、キメラに直進しようとしたが、不意に憐が振り向き、こっら側を見たので、確認せずに身を屈める。ヨグの背面にあった鍋から放たれたビームをかわし、その勢いのままに、泡立て器を鍋に突っ込んで、スイッチを入れた。
カレーうどんを侮る無かれ。あれはいくら気をつけていても、どうにもならないもの。沙紅良は、髪をヘルムの中に収め、雨具とゴーグルでカレー対策を取っていた。恐らく、キメラ自体は脅威ではないだろう。だが、カレー染みだけは、なんとしても避けたい。
「カレー‥‥加齢‥‥シミ」
ああああ。
沙紅良は、正気度が低下した。周囲に童顔が多い為、大人びた容姿にコンプレックスがある沙紅良にとって、年齢は禁句である。勿論、気にするほど老けてはおらず、加齢より、佳麗と呼ぶに相応しい。
「たかがカレーとはいえ、侮れぬぞ」
そんな沙紅良の事情は知らないが、落ち込んだ雰囲気を感じ取ったルーガは、気持ちを切り替えさせるかのように、凛とした声で言った。沙紅良の視線がルーガに向き、見詰め合う2人。見た目も実年齢も、10歳年上のルーガ。沙紅良の正気度が、回復した。
「今物凄く、失礼な空気を感じたのだが」
「気のせいですわ」
にっこりと微笑んだ沙紅良が子守唄を歌い、続けて蓋の開いている鍋を閉じていく。一歩遅れてルーガが続き、鍋を開けてはおたまを突っ込んで中を確認した。ガスの元栓も極力早く閉め、安全対策も忘れない。反応の無い鍋は、地道にステージへと運び、隔離していった。
静寂が辺りを支配する。沙紅良の子守唄が効いているというのもあるが、元々活発に活動するキメラではないようた。ステンレス製の蓋が擦れ合う乾いた音が、淡々と響く。
ルーガの頬に、一筋の汗。作業は地味に長く掛かり、更に、単調な作業の繰り返しが、緊張感を少しずつ削っていく。やがて、昼食後の退屈な授業を受けている時にくるような眠気が、ルーガを蝕んでいた。
「キメラ、おりまし――」
眠気に負けそうになり、頭をカクリと前に傾けた瞬間、ルーガの頭上を黄色い弾丸が掠めた。バッと、身体に染み付いた戦いの記憶が、無意識に身構えさせる。
「カレーは香るもの。臭うものでは御座いません」
天剣「セレスタイン」を構えながら、呪歌でその動きを束縛する沙紅良。
「カレー臭‥‥加齢臭‥‥」
ブツブツと呟く沙紅良の目が、虚ろで怪しい光を放つ。どう見ても、そこまで老けてはいないのだが‥‥。ゆらりゆらりと揺蕩いながらキメラへと近付く沙紅良。身動きが取れない以上に、異様な気配を放ちながら近付いてくる沙紅良に、怯えるカレーキメラ。そして、何か腑に落ちない様子のルーガ。お前位で老け顔気にしていたら、私はどうなるんだ。
「むっ!」
ぐいっと、二足の間合いを飛び越えて、ルーガが沙紅良の背後に身を滑らせた。10m先のカレー鍋の蓋が浮き、そこから放たれたカレービームをガードで防ぎ、飛沫を弾く。僅かに身体にカレー染みが付着したが、構わず駆ける。
「ふっ! 辛さで目が覚めたわッ!!」
紅蓮衝撃の紅蓮のオーラが身を包み、直刀烈火の刃が紅色の軌道を宙へ描く。カレーキメラはルーガに気付いて引っ込んだが、深く踏み込んだ一撃はそれを逃さず、キメラが入った鍋ごとを切り裂いて、粉砕した。
「ふんっ! 私の刀に、斬れぬものなしッ!」
「みぎゃああ! 辛い! でも我慢なのじゃ!」
瞳一杯に溜めた涙を堪えながら、エイルアードは叫んだ。最初に見つけたキメラをアリーチェに任せ、自身は周囲を警戒し、突如飛来したカレービームを盾で防いだまでは良かったが、その際に飛び散ったカレー粒が跳ね、まだ幼さの残る顔を襲った。
「大丈夫ですか?」
敵から視線を逸らさずに、アリーチェは気遣う。
「妾の心配は要らぬ! 構わず成敗するのじゃ!」
尖剣「スピネル」を構えながら、力強く叫ぶエイルアードであったが、表情は歪んだまま。ショタ好きのアリーチェは、できればこのままお持ち帰りしたい衝動を抑えながら、竜の角を雷を帯びた拳に込めた。地道なキメラ捜索は意外と長引き、朝食を抜いてきたアリーチェの空腹はマックスに到達している。
「一晩寝てから、出直してきてください」
周囲に被害を及ぼさないよう、一点集中に絞られた一撃が鍋を付き抜け、キメラを四散させた。
●カレーフェスタ
「ん。カレーは飲み物‥‥」
それだけを言い残して、矢のように飛び出していった憐はさておき、傭兵達の活躍で特に大きな被害もなく、カレーフェスタの会場は守られた。慎重を重ねた為、開催時間に遅れが出たが、夜の部も設けることになって、イベントは大きく盛り上がりを見せている。
傭兵達も、フェスタの手伝いを行いながら、お祭りを堪能していた。カレー文化圏の国々が一同に会したイベントだけあって、その数も多く、全てを回るだけでも日が暮れそうだ。
「我が家のカレーは、お肉以外はすりおろして煮込んでおりますわね」
ドイツ屋台で受け取った、カレー粉をまぶした焼きソーセージを手に、沙紅良は稲玉に言った。
「へぇ、カレーも家ごとで違うものね。私はそうね、炒ったバナナを入れるかな」
「バナナですか?」
「日本だとあまり、果物を温めて食べる習慣がないから想像し難いかもしれないけど、結構美味しいのよ」
そこに、一通りの片付けを終えたルーガが、ココナッツミルクたっぷりのカレーを片手にやってきた。ルーガ自身は料理が苦手という次元を超越した料理下手な為、稲玉の料理の腕前を聞いて、感嘆の溜息を洩らす。
「素晴らしいな、稲玉殿! きっと――」
いいお嫁さんになれるだろう、と言いそうになって、慌てて止めるルーガ。共に枯れた道を歩む同志。下手に傷つけるわけにはいかない。ルーガは急に、暖かい眼差しになった。
「今、物凄く失礼な空気を感じたんだけど‥‥」
「うむ、気のせいだ、稲玉殿!」
ぽんぽんと、肩を叩くルーガの背後から、ひょっこりとヨグが顔を覗かせる。手には、ヤギ肉を煮込んだカレーの乗った陶器。
「茉苗さんでした? えと、なんかまた美味しそうなのあったら行ってみてね! そして依頼して! プリンとかお勧め!」
と、ぐいぐいと前に出てくるヨグに苦笑いの稲玉。以前には饅頭キメラなるものもいたが、流石にプリンキメラは‥‥と、思ったが、意外といそうで怖い。
「‥‥ふむ、それは何じゃ?」
まだ元に戻らないエイルアードが、アリーチェが煮込む鍋を覗き込んだ。オリーブオイルに焼けた大蒜の香りが漂い、バジリコ、パルメザンチーズ、トマト水煮などイタリアンな食材が目立つ。具材は豚肉と各種キノコ、玉葱が入っていないのが特徴だ。
「折角なので、イタリアンカレーを。‥‥ところで、そちらは何を?」
「うむ。これが貴族のカレーじゃ!」
「‥‥え。納豆が、見えるんですが」
「うむ! 水を入れて、度重なる温め直しで薄くなったカレーは、納豆ご飯とよく合うのじゃ! 一度試してみるがよい! 妾の好物なのじゃ! ふはははは!」
‥‥なんとも庶民派の貴族のようだ。
「しかし、カレーというのは不思議なものですね。辛味甘味酸味苦味、それが複雑に絡み、調和して、味に深みを出す‥‥。色々な個性が、この鍋の中では一つの大きな力になる。
‥‥人類もまた、カレーのようにありたいと思います」
様々な食材、様々な調味。様々な個性がひとつの鍋の中で融和し、高らかに口の中で奏でるハーモニー。それがカレーという食べ物である。
人類もまた、様々な人種、言語、思想を持つ。
一つ一つの味では単調でも、色々な素材が混ざり合えば、それが深みを増し、何十、何百倍もの力を発揮する。群を束ね、一丸となり、広がり続けるネットワークを武器に、多様に進化して繁栄してきたのが人類だ。群を纏める代価として、人は善と悪、罪と罰を背負う事にはなったが、私達の持つ独自の力が、バグアに劣る事は決してないだろう。
青藍の空に浮かぶ赤い星を見上げ、アリーチェはぱくりと、カレーを口へ運んだ。