タイトル:ツバクラメマスター:愉縁

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/06/28 08:03

●オープニング本文



 小さな影が日を遮ったので、稲玉はなんとなく、頭を上げた。
 曇りぎみの空に、一羽の燕が風を切って空を泳いでいく。そういえば、もう、そんな季節になったのか。と、稲玉は年々早くなっていく時の流れに、少し苦笑いを浮かべた。

 ツバメは穀物を食べず、害虫を食べる益鳥で、特に農村部では古くから大切に扱われている。また、人の住む場所に営巣することから、繁栄・安全のシンボルともされた。稲玉も、物心ついた頃にはそう教えられ、ツバメに悪戯などしようものなら、天罰が下ると、幼心に畏れを抱いたものだ。

 ‥‥そういえばさっきのツバメは、だいぶ低く飛んでいた。『ツバメが低く飛ぶと、雨が降る』という。ツバメは空中を飛ぶ虫を捕食するが、湿度が高くなると、その虫の羽が重くなって高く飛べなくなるから、結果としてツバメも低空を飛ぶ為‥‥らしい。

「ひと雨くるかしら‥‥」
 立ち止まり、鬱蒼とした空を見上げた稲玉は、小さく呟いた。

 ULT職員の稲玉は、依頼終了後の後処理が主な仕事だ。至極業務的なことではあるが、依頼の過程で生まれた、損害保障や必要経費も、決してタダではない。そこには公正な調査が必要になるだろう。だが、書類だけでは目の行き届かない場所も多く、必要があれば現地に向かい、時には依頼人の理解を得る為の交渉も行う。日の当たることの無い裏方中の裏方、実に地味な仕事を行っている。

「さてと‥‥」
 キメラの死骸を積み込んだトレーラーを見送り、稲玉は愛車の大型ネイキッドバイクに跨り、セルのスイッチを押し込んだ。キュルキュルとスターターが回る音が2、3回聞こえた後、ドルンッ! と、けたたましくもご機嫌なエンジン音が、タンク越しに響き渡る。ヘルメットを被り、ジャケットの襟元をキュッと閉めながら、怪しくなってきた天候を仰いだ。
 バイクで一番嫌な事は、天気が崩れること。一応合羽は常備しているが、着るのも、片付けるのも面倒だ。本格的に降り出さないうちに、帰るに限る。
 ハンドルのクラッチを切り、つま先を押し込みんで、ギアをニュートラルからローへ。右へ出る方向指示器を出して、後方を確認した。もっとも、交通規制が敷かれ、稲玉以外、その道を進む車両はいない。

 走り出してすぐに、ぽつ、ぽつ‥‥と、ヘルメットのシールドに、小さな水滴。思ったより、崩れるのが早そうな気配。‥‥やっぱり合羽を着るべきだったかと、軽く後悔しながら走っていると、スーッと黒い影が目の前を過ぎり、脇道へと消えていくのが見えた。
 先程のツバメか? 稲玉はバイクの速度を落とし、道の先を眺めた。ツバメは人の住む場所に営巣するという。‥‥この先に民家があるのだろうか。少し迷ったが、方角的にこの道を突っ切った方が、早く戻れそうだ。
 稲玉はハンドルを傾け、脇道へと侵入した。

「なんだ、ここ‥‥」
 少し走って見えてきたのは、7〜8軒の民家が集まった、集落のような場所だった。住民はどこか別の場所へ移ってしまったのか人の気配は無く、壁は崩れかけ、屋根が崩壊している建物もある。倒れた地蔵、戸の無い納屋、枯れた井戸、彼方此方に散らばるガラス片。日はまだ高い時間であったが、高い木々が日差しを遮って薄暗く、空気も湿っていて、とても気味が悪い。

 ピカッ。

 不意に空が光った。見上げた空には、何時の間にか暗雲が立ち込め、今直ぐにでもひっくり返したような雨が降ってきそうな雰囲気が漂っている。

 ‥‥ああ、遅かったかな。そんなことを思いながら視線を戻した瞬間、唐突に眼前に何かが迫り、稲玉は反射的に車体を斜めに倒し、頭上スレスレを過ぎっていく鈍い光を放つ、銀色の刃を見送った。
「ぎゃんっ!?」
 横に倒しながら、身を車体に巻き込まないように乗り捨て、柔らかい土の上に飛び、倒れ込む。乗り手を失った愛車は、斜面を跳ねながら転がり、太い木の根に躓いていっそう大きく跳ねて、そのまま木々の向こうへ飛んでいってしまった。

 先月、ローンを払い終えたばかりだったのに‥‥。

 その姿はもう見えなくなったが、斜面を転がっていく激しい音は、辺りに木霊して、稲玉の耳とハートに響いた。身体も痛いが、心と懐も、痛い。
 ‥‥しかし、傷心に浸っている場合ではない。稲玉は直ぐに身を起こし、飛び込むように前転しながら、建物の影に身を隠した。その先に、3mはありそうな大男。頭に麻袋を被り、一つだけぽっかり明いた穴から、ギョロリと真っ赤な眼球が覗く。手にした巨大なマチェットは、切断するというより、破壊する為の道具に見える。

 視界が狭いのか、稲玉を見失った大男が、のっそりと振り返った。どうやら、そんなに動きが早いキメラではないらしい。これなら、隙を見て逃げる事も容易いだろう。
 タイミングを見計らって飛び出そうとした瞬間。大男が軒先に何かを見つけ、巨大な手を伸ばした。同時に素早く動く黒い影がその手をかすめ、赤いFFの輝きが、小さく放たれた。

(‥‥ツバメ?)

 20cmにも満たない小さなツバメが、果敢にも体当たりを放ち、大男から気を反らそうとしている。そこで初めて稲玉は気が付いた。その先に、ツバメの巣が、――自分の子供達がいることを。

「‥‥」

 稲玉は、小さく溜息をついて、頭を振った。
 たかだか数羽のツバメの為に、命を張ることなんて、当然ない。気がツバメに反れている今なら、あれから簡単に逃げる事もできる。

 ‥‥でも。

「ああもうっ! 私って、ホント馬鹿! 大馬鹿だっ!!」
 稲玉は物陰から飛び出すと、大男に向かってヘルメットを投げつけた。

●参加者一覧

辰巳 空(ga4698
20歳・♂・PN
智久 百合歌(ga4980
25歳・♀・PN
祈宮 沙紅良(gc6714
18歳・♀・HA
フール・エイプリル(gc6965
27歳・♀・EL
ルーガ・バルハザード(gc8043
28歳・♀・AA
烽桐 永樹(gc8399
17歳・♂・FT

●リプレイ本文



 雨足が強まるアスファルトが白く煙り、まるで霧のように周囲を隠していた。稲玉から連絡を受け、救出へと赴いた6人の傭兵が、その地に立つ。

「廃村に、キメラが? よくよく災難を呼び寄せるな、稲玉殿は!」
 一歩前に出て、拳を握り締めるルーガ・バルハザード(gc8043)が、掻き消えそうな雨の向こうにごちり、その後ろで、軍用レインコートのフードのつばを摘んで、空の様子を伺っていた智久 百合歌(ga4980)が、視線をルーガに移した。
「‥‥稲玉さん? ああ、噂のキメラ高遭遇率のULT職員さんね。虫もそうだけど、見つける人は何故か見つけちゃうのよねぇ」
「そうですね。相変わらずのようで‥‥。ご無事と聞いていますが、何時までも安心は出来ませんし、早々にキメラを倒してしまいませんと‥‥」
 苦笑いを浮かべた百合歌と同じ雨合羽に身を包んだ祈宮 沙紅良(gc6714)が、呟く。翠雨が叩く雨音は、世の全ての雑音を、雨水と共に排水溝へと流してしまうようで、側で話す者の声すらも、気を抜くと聞き取り難い。百合歌は頷いて、少し大きめの声で言う。
「そうね、笑い事ではないわ。いつまで隠れていられるかなんて分からないから、さっさと助けに――‥‥あら、あれかしら、稲玉さんのバイク」

 百合歌の指差す方向。ガードレールに直角に突き刺さったそれは、一瞬見れば、事故現場というより、そういうオブジェのようにも見える。タイヤの片方は途中で落としてしまったのか、残った前輪だけが、水車のように雨に押され、回っていた。
「そのようですね」
「すると、件の集落はこの先ね」
 意図せぬ狼煙をあげることになった稲玉のバイクから、濃く深く茂る森の中へと視線を移す。見れば、申し訳程度の細い道がひっそりと伸び、奥へと続いていた。
 ルーガを先頭に、無言で顔を見合わせ、脇道へと入っていく百合歌と沙紅良。辰巳 空(ga4698)が、それに続いた。

(もう、燕の渡りの季節で‥‥)

 空が心の中で呟く。

(未だ、世界中に広がるキメラの脅威‥‥。最終的な勝者は人類でもバグアでもなく、もしかすると、新天地を見つけたキメラではないかとも思いますね)

 地球の半分以上をバグアに抑えられていた数年前から一転、破竹の勢いで戦局を覆し、今度は逆に、彼らの本拠地にまで押し込もうという現在、地上に残されたバグアは着実に数を減らしてはいるが、未だ、多くのキメラが猛威を振るっている。

(兎に角、心置きなくキメラを狩れる立場になった以上は、少しでもその被害を減らしたい物です。‥‥それが傭兵の無謀から始まった物だとしても)

 地上にはまだ、キメラの生産拠点も残っているだろうが、今は、虱潰しに倒していくしかない。空は、しっかりと足を踏み締めて、前へと進んだ。


 人が姿を消して時間が経つのか、その道は荒れ果て、外灯もなく、鬱蒼と闇へと誘うかのような、不気味な雰囲気を醸し出している。
「雨で視界が悪い上に足元も滑り易いから、気をつけないと」
 フール・エイプリル(gc6965)が、周囲を見回した。少し分かり難かったが、どうやらこの辺りからが、集落の入り口のようだ。
 隣を歩いていた烽桐 永樹(gc8399)が覚醒し、眩い焔を纏わせた。
「俺の覚醒の炎で雨を! ‥‥って、まぁ無理か」
 言いながら、持参した槍を軽く振り、気を張った。木造の建物が点在する、人を失った空間。
 傭兵達は互いに顔を見合わせると無言で頷き、二手に分かれて、捜索を開始した。


●遭遇

 丁度良い軒下を見つけ、空とルーガ、永樹は、濡れた身体を払った。3人とも、足回りだけはしっかりと気を配ってはきていたが、身体を上から下に伝う雨水が、張り付いた衣服に浸透して肌へと伝わり、不快感を与えている。長髪のルーガは、特に鬱陶しく思っていることだろう。
 後ろ髪をぎゅっと束ね、雨水を搾り出すルーガの隣で、空の身体が淡い茶系の光に包まれた。発動したバイブレーションセンサーが周囲を巡り、空へと還元されていく。雨のせいで精度は落ちるかと思われたが、地や壁を伝う数多の振動が、逆に精密で立体的な情報を空へともたらす。

「!!」
 空はすぐさま隣のルーガを突き飛ばし、自身も転がり込むように飛び退いた。朽ちた玄関を斜めに切断し、巨大な鉈が大きく弧を描き、軒下を丸ごと粉砕する。
「うわっ、いきなりかよっ!?」
 言葉では焦りつつも、しっかりと身を屈め、自力でかわす永樹。どこからどう入り込んだのか、自分の身体よりもずっと小さい玄関を左右に引き裂くように、大男が顔を覗かせた。ゆっくりと身体を起こし、建物を瓦解させながら傭兵達を見下ろす大男。丸太のような右腕には、重厚なマチェットが、鈍い輝きを洩らしている。

「出たな、能無しキメラ! こんな場所で、退屈していたことだろう! 我々が遊んでやるぞ!!」
 威勢良く吼えるルーガ。内心ちょっと、キメラが予想の斜め上をいくスピードで出現して吃驚していたりもするのだが、そこは気丈に振り払い、足元へとランタンを蹴り転がし、刀を抜いた。

 ぐちゃりと、巨大な足跡がぬかるんだ地面に形を作る。みすぼらしい麻袋を頭から被った巨漢のキメラは、上半身は裸で薄汚れていたが、下半身をみっちりと覆う重厚の鎧。一見、ちぐはぐな格好に見える。

(格好からして、各種蹴り技を駆使して来るのでしょうか‥‥)
 空はじりっ‥‥と、間合いを取り、動きを封じるべく呪歌を発動した。大男の動きが鈍った直後、まず、永樹が動く。狙いは防具の無い上半身、それにあの重々しい鉈を持つ腕だ。
「胴体が‥‥お留守だぜ!」
 猩々のような赤い髪を靡かせ、赤紅の穂を深く、突き刺した。ぐにゅっ‥‥と、気持ちの悪い感触が柄を通して持ち手に伝わり、永樹は眉を顰める。キメラの胴に刺した槍の切っ先が、磁石に引き寄せられるようにジリジリと、奥へ奥へと引き込まれた。
「こ、こいつ!」
 刺さったまま抜けなくなった槍の柄を2〜3度引っ張り、ハッとしたように永樹が顔を上げた。目線があった位置を水平に抜けていく、重く黒い光。
 槍を手放し、転がる永樹を飛び越え、空が躍り出る。左右に握られた直刀を振るい、呪歌によって、動きの鈍った鎖骨と頭部に向けて斬撃を繰り出した。重く守られた大男の足が、深く沈む。
(蹴り‥‥?)
 跳ね除ける為の蹴撃‥‥と読んで、一旦素早く間合いを取ろうと飛び退くが、予想に反し、下半身を捻転させた大男は、勢いよくマチェットを持つ手を振り抜いてきた。不意をつかれ、体勢を崩す空。
「!?」
「やらせはせんよ、そんな汚らしい刃にはな!」
 全員近接攻撃に回った為、結果的に飛び込むタイミングを計り、その一挙一動を観察していたルーガは、ゴムのように細く長く急激に伸びた大男の腕を見切り、突き上げるように刃を振るい、切断した。
「はん、乱暴なだけの男は敬遠されるぞ!」

『ギギィィイ!!』

 腕の切断部から緑色の血を噴き、キメラは劈くような金切り声を張り上げた。鼓膜を破らんばかりの爆音に、全員が反射的に耳を塞いで口から音を抜き、空の呪歌も中断する。
「っつ‥‥っせぇなぁ!!」
 今の攻撃で外れたのか、足元へと転がった槍を飛びつくように拾い、遠心力をつけ、払い撃つように攻撃を繰り出す永樹。相変わらずの手応えの浅さだが、今度は深く入れず、一度振り戻し、連続して攻撃を繰り出した。柔らかい胴部が、震えながら波打ち、衝撃が拡散していく。
「真っ二つにする! 脳漿をブチ撒いて逝くがいい!!」
 永樹の連打に足を止めたキメラへ、高く跳ね飛んだルーガが、紅蓮衝撃と強刃を上乗せした一撃を、脳天へと振り下ろした。が、紅き軌道は僅かに頭部を反れ、肩から腹部までへを深く切り裂き、止まる。ギロリと見下ろす赤い目と、ルーガは視線を交わしたが、彼女の目に焦りの色はない。
「‥‥これで、仕舞いです」
 横一線に剣線が煌き、刎ね飛ぶキメラの頭。
 衝撃で麻袋が脱げ、露になる頭部。それを一番最初に見ることになった空は、流石に顔色を変えることになった。


●その正体

 何度となくキメラと遭遇しながらも、一般人の稲玉が無事に過ごしてこられたのは、勿論、運と友に恵まれたというのもあるが、ULT職員として、数多のキメラ資料に目を通し、身につけた知識と経験、そして、非力ゆえに備わった、サバイバル能力に由るところが大きい。
 もっとも、それを知らない人間であれば、当然の如く彼女の安否を優先して考えるのが普通だ。稲玉の名を呼んで探す、フールのように。しかし帰ってくるのは雨音だけで、何の反応も無い。‥‥今は無理して探さず、キメラの討伐を優先した方が良さそうだ。

「祈宮さん、どう?」
 レインコートのフードを片手で持ち上げ、百合歌は訊ねた。
 沙紅良は苦笑いして、百合歌と視線を交わす。バイブレーションセンサーを発動させた沙紅良にでさえ、稲玉の居場所が察知できないのだから、キメラから身を隠すことに関しては、ずば抜けた能力の持ち主かもしれない。
「茉苗さんの位置が分かりませんけれど‥‥上手く隠れられている証拠ですわね。このまま静かに潜んで頂き、その間にキメラを倒してしまいましょう」
 今にも雷鳴も轟かせそうな黒く厚い雨雲が、時折叩き付けるような豪雨を降らせ、周囲から視界と音を奪っていく。沙紅良のバイブレーションセンサーが頼りだ。キメラはまだ、こちらに気付いていないのか動いておらず、察知できない。ならばと、百合歌はブブゼラを取り出した。

「ファンファーレといきますか!」
 雨は依然として強く降ってはいるが、身に付けた雨具が気持ちを雨の中へと動かした。建物の影を警戒し、なるべく視野が広く取れる場所へと移動する。百合歌はブブゼラを唇を添え、『ブァァーーーーー』と、高らかに鳴らした。

 サァァァ――‥‥。

 鳴らして暫く、返ってくるのは雨音だけ。沙紅良が、3度目のセンサーを発動させた。雨による振動‥‥その中から、集中して敵の位置を読み取るように。
「‥‥。見つけました。右側の雑木林から来ます」
「我らが神セベクよ 私に加護を与えたもう」
 沙紅良の声に反応して、フールが覚醒した。白炎が全身を覆う。
 百合歌が散弾銃を、沙紅良が機械杖を構え、斧を構えるフールを先頭に、キメラを待ち構える。

『グォォォォオオオ!!』

 雄叫びが天へと響き、草木を押し潰して巨体のキメラが飛び出してきた。ダンプカーの如くの質量を、まず百合歌の散弾が頭を弾き、挫く。動きを緩めたところに、沙紅良の練成弱体がかかり、この間にフールが一気に間合いを詰め、スキルで強化した斧を振り上げた。――この大きさ、モデルは下位巨人族か?――と呟きながら太腿へと振り下ろす斧は、鈍い金属音を弾き出しながら、地面へと沈む。

 浅い――が、手応えはあった。感じて見上げたフールの眼に、麻袋が破けて吹き飛び、その下のものが目に飛び込んだ。

「‥‥まさか」
 意外な麻袋の中身に、フールは一瞬動く事を忘れた。動きを鈍らせたフールへ、今度はキメラの重い一撃が振り下ろされる。

「――神掃へに掃へ給ひて」
 沙紅良は呪歌を発動させ、百合歌のショットガンが火を噴く。弾かれたようにフールは飛び退き、目標を見失った鉈が、宙を裂いた。

 ピカッ!

 雷光が、大男の頭部を照らす。――頭。いや、頭のようなものが、そこにはあった。つるりと楕円形の部位に、ルビーのような赤い玉が、鋭い光を放っている。
 昆虫の中には、偽の頭部を持たせ、捕食者からの攻撃を逸らすものがいる。また、イカの頭は足の前にあり、眼の上にあるのは胴体だという。自然界にでさえ、特異な身体の構造を持つ生物は多い。まして、合成して作るキメラならば、人の眼を欺く形状に仕上げるのも容易というものか。
 これ見よがしな格好だとは思ったが、まさか、偽頭だとは。

「となれば、狙うのは‥‥下半身!」
 百合歌は銃口を鎧に守られた下半身へと向けた。防具は弱点を覆うためにある。露骨な姿だとは思っていたが、そういうカラクリか。

『グオォォォ!!』
 大きく踏み込み、地面を穿ちながらキメラは鉈を振り上げたが、呪歌で動きを鈍らせたキメラの動きは、雨の中であってもかわすのは容易なことだった。フールが横に反れながら、関節の隙間を縫って斧を振り抜いた。
「タフな感じですが、そう緩慢だと意味が無いですね」
 ガクッと崩れたキメラへ沙紅良の放った電磁波が降り注ぎ、柔らかそうだったキメラの上半身が、ギュウッと硬直する。そこへ至近距離から散弾を撃ち込んだ百合歌が、更に一歩踏み込んで、装甲の隙間へ直刀を深く、突き刺した。


●ツバクラメ

「稲玉さんも、無事でよかったですね」
 燕の巣を、元あった場所に戻す稲玉へ、フールが声を掛けた。沙紅良や百合歌が気を回し、建物から離れて戦った事で、彼らが世代を越えて残してきた場所は守られた。
「しかし、まさか古井戸から出てくるとは、思わなんだ」
「ええ、あれには、驚きましたね‥‥」
 遠い眼をしたルーガに、空が頷く。
「何にせよ、無事で何よりだ、稲玉殿」
 と、爽やかな表情のルーガが、まさか30歳前後の婚き遅れシンパシーを稲玉に抱き、同志だと勝手に思っていることなど露とも知らず、稲玉は「ありがとう」と礼を述べた。

「燕を追って、なんて、茉苗さんらしいですわね。でも、無茶は程々になさって下さいませ。‥‥止めても無駄だと思います故、するなとは申しませんけれど」
「‥‥いや、私だって好んで無茶したいわけじゃないけど」
 と、稲玉は沙紅良に返した。仕事の関係もあるが、バグア襲来以前からのトラブル遭遇率を誇る彼女なので、たとえどんな仕事に就いていたとしても、状況は変わっていなかったかもしれない。逆に、この仕事についているからこそ、彼らの恩恵を受けられ、生き延びてきたのではなかろうか。
「‥‥茉苗さんの無線機、壊れてしまいましたわね」
「まぁ古かったし、今度は防水のものを買うわ。‥‥はぁ、また出費が。経費で落ちるかな、コレ」
 ガックリと肩を落とした稲玉に、不幸オーラをキャッチしたルーガが元気付けるように肩を叩く。


「やっぱ、いいもんだよなぁ、ツバメの巣って‥‥‥‥食べられるし」
 その横でボーっと燕の巣を眺めていた永樹がボソリと呟き、ルーガと稲玉が同時に振り向いた。

「えっ?」
「えっ?」



「‥‥よろこびの美鳥、ね」
 百合歌の言葉に、一同は空を見上げる。天空へと舞う、親燕の姿。雲の合間から射す光が、小さな影を浮かび上がらせている。さっきまでの豪雨は嘘のように上がり、しっとりと濡れた森と、滴り落ちる葉露。

 燕は外敵から身を守る為に、人間が住む場所に営巣するという。ここに住んでいた人間も、きっと、来年の今頃には戻ってくるだろう。


「細き身を、子に寄添る燕かな――ですわね」
 じっとりと生温く吹く風に、沙紅良は眼を細めながら呟いた。