●リプレイ本文
サアッ‥‥と、河川を抜けていく柔らかな風に揺られ、桜達がざわめいた。漆黒の空に、瞬く光の点描が燦々と輝き、優しい月の光が、微笑を零している。
「‥‥あっ、皆さん、こちらです!」
八分咲きの桜の下、傭兵達の姿に気付いたオズワルドは、高く手を上げ、手をパタパタと振った。いつもの半ズボンは、今日はカンパネラ学園の制服のもので、茣蓙の上で膝立ち姿。彼の視線が傭兵達に向くや否や、その後ろで胡坐を掻いて缶チューハイをチビチビやっていた稲玉の眼光が、キュピーンと赤く光る。膝立ち。それは、半ズボン美少年を、最も美しく魅せるスタイルといっても、過言ではない。
「‥‥?」
何か良からぬ視線を感じ、振り向くオズワルドと連動して、稲玉の視線は明後日に。一連の動作を見ていた、宵藍(
gb4961)が苦笑いを浮かべた。
「日本の花見って、桜だっけ。中国じゃ梅の花が馴染み深いけど、夜見る桜ってのも、神秘的でいいもんだな」
「確かに、悪くはない。が、花見の場所取りに、何ゆえ護衛がいるのだ‥‥?」
薄紅色の春の綻びを仰ぎ、感嘆の溜息を洩らす宵藍の隣で、シドウ(
gc8670)が、不満げに言葉を洩らしている。確かに物騒な世の中ではあるが、バグアの支配地域でもない場所で、能力者の傭兵が6人も必要なものだろうか? まぁ、しっかりと報酬は出るし、その上花見が出来るのなら、割りは良いと、納得するしかない。
そんなシドウを見て、うん、それが普通の反応だよねと宵藍は思うが、祈宮 沙紅良(
gc6714)はしみじみとした口調で、
「茉苗さんがお花見の場所取りと聞いて、心配でなりませんでした。私達傭兵にお声を掛けて下さって、良う御座いましたわ」
と言ったので、事情を知らないシドウは「そうだr‥‥えっ?」と、半分頷いて、ガッと、顔を上げた。捕捉するように宵藍は言う。
「茉苗のキメラ遭遇率は半端ないからな。場所取りをさせるなんて、何かあると決まったようなもんだ」
「‥‥まさか。冗談が過ぎる」
「コンビニにちょっと出掛けるだけでも、キメラと遭遇するくらいだぞ?」
推理小説の定番そうなところでは、確実にキメラと遭遇する稲玉。寝台特急で出掛けようものなら、余裕でキメラと遭遇してもおかしくない。宵藍と沙紅良は顔を合わせ、同じタイミングで、溜息をついた。
「はじめまして、オズワルド! あなたの噂を色々聞いているわー」
クレミア・ストレイカー(
gb7450)が、明るい声で揚々とオズワルドの肩を、ポンと叩いた。その瞬間、クレミアの身体にぞわっと悪寒が走り、思わず振り返った。
「‥‥?」
今何か一瞬、殺気のようなものを感じたけれど‥‥。もしかして、敵? まさか、キメラが? 慌てて視線を巡らせたが、そこには傭兵達の姿だけ。クレミアは不思議そうな顔をして、首を傾げた。
「はは、よー来たね」
複雑な表情を浮かべた稲玉が缶を置き、ゆっくりと立ち上がった。既に少し酒が入っているのか、頬は仄かに赤い。
稲玉本人には若干の自覚はあり、普段であれば警戒して酒は控えるところだが、今回は傭兵の護衛もあるということで、安心してか、ほろ酔いモードに入っているようだ。
「一人で待つのも辛いからね。朝まで長いけど、よろしく。‥‥ところで」
少し遠い目をした稲玉が指を向けた先に、葵杉 翔太(
gc7634)の両手を取るルティス・バルト(
gc7633)の姿。
「夜桜‥‥綺麗で儚いね。ねぇ、翔太さん‥‥まるで、恋のようだ」
外灯に照らされたピンク色の花弁が、ほんのりと甘い息を散らしている。ルティスの少し潤んだ目をぼうっと翔太は見詰め、でもそれはちょっとキザ過ぎるだろ、と少し思ったが、桜色の空気に意識の半分を、すっかり持っていかれ、「ああ、うん。‥‥そういえば、俺、夜桜って、初めてだな」と、上の空で相槌を打った。
はらはらと、優しく降ってくる桜色の雪が、あまりにも綺麗で、幻想的で、ふわふわと夢心地の中にいるような彼の甘く囁く言葉が、心の中枢まで染み入って、うん、コイツが言うと、納得できちゃうな。‥‥などと、心奪われかけた瞬間、何時の間にか握られていた手に気が付き、バッと振り解こうとした。
「て、て、手を離せ、手をー!!」
「翔太さん、桜も薔薇科って知ってた? ほら、この花弁。翔太さんに似合う‥‥」
解こうとした手は、更に強く握り返され、桜のように赤く頬を染めた翔太を、胸元に引き寄せるルティス。翔太は、彼よりも大分身長の高いルティスを、どうしても見上げる形になる。そして見上げた空には、薄紅色の宵の桜。暖かな日差しで芽吹いた春の音。それが今、妖艶な香りを携えて、ルティスの背後にある。‥‥ああ、この男以上に、この輝きの花弁を背負えるものはいるだろうか。
「‥‥って、何考えてんだ、俺は! いい加減、離せ!!」
「ふふ、そうだね。まだ、夜は長いからね」
小悪魔のような笑みを浮かべ、ルティスは少女を大事に扱うように、翔太からパッと、離れた。少しよろけて、つんのめる形になった翔太は、ガックリ肩を落としながら「‥‥どういう意味だよ、どういう」と、呟いた。
「仲が宜しくて、羨ましいですわ」
そこまで見守って、沙紅良がのんびりとした口調で答えた。いや、前から気になってたのは確かだが、一体どういう仲だよ。とか、無粋な事は聞いてはいけない気がする。稲玉はそれ以上、踏み入らない事にした。
ピンク色の空間を切り離すように一度大きく息を吐き、稲玉は、傭兵達をぐるりと見回した。
「やることは場所取りだけど、交代が来る朝まで、桜が楽しめるわ。‥‥というか、既に楽しむ気満々みたいね?」
「お分かりですか?」
「そりゃ、その荷物を見れば」
大事そうに置かれた沙紅良持参の重箱から、微かに良い匂いが漂ってくる。中は確認していないが、随分気合の入った内容である事は、彼女の満足げな表情を見れば明らかだ。
「酒とつまみもある」
更に宵藍が、どかりと色々詰まったビニール袋を下ろした。見ればクレミアも、酒と食べ物を用意している。そこに翔太の荷物も合流し、見事な宴会一式セットが揃う。流石に、夜中ということで、カラオケセットを持ってくる人間はいなかったが。どかどかと並ぶ酒瓶を眺め、翔太が、ふと思い出したように呟いた。
「‥‥宵藍って未成年じゃないのか?」
「俺は27歳だ!」
余談であるが、年齢ネタはLHでは鉄板だといわれている。外見が小学生にしか見えないオズワルドは苦笑した。そして、そのオズワルドと並ぶ事で、自分が老けて見えてしまう沙紅良も苦笑した。
「ま、とりあえず座って、座って」
稲玉が茣蓙の上を勧めるが、シドウは手の平を見せ、静かに首を振った。
「‥‥いや、私は見回りをしよう。一応、名目上は君の護衛だ。無意味ではあると思うが」
「意味はあると思うよ?」
茣蓙の上に腰を下ろしながら、ルティスは言うと、続けて翔太が言った。
「あー。茉苗はキメラに好かれてるんじゃねーかと思う時があるくらいだな、うん」
翔太もルティスも、さも当たり前のように言うので、シドウは、もしかしたら、自分の方がおかしいのか? と、少し心細くなってきたが、同じように見回りを買って出たクレミアが、「いやいや、まさか」と言うので、若干自信を取り戻した。
*
キメラは唐突に現れた。
いや、決して、何も無いところから突然と、というわけではない。ただ、キメラらしからぬ挙動で、普通に酒盛りをやっていたものだから、軽く見落としてしまっていたのだ。また、夜中であったことも、発見を遅らせる要因であった。
しかし、何を思ったのか突然、桜の木の下で相撲を取り始めた、兎人間と蛙人間。それはまるで――‥‥
「――どこの、鳥獣戯画ですの?」
かくり首を傾げる沙紅良。日本最古の擬人漫画の、一ページを切り取ったような幻想的な光景が、桜舞う中、繰り広げられている。
ばしーん。どたーん。
力の蛙に、技の兎。僅かに、蛙の力量が勝っているのか、取り組みは蛙優勢に進んでいる。何の意味があるのかは、全く分からない。いや、バグアのすることに、意味など求めてはいけないのかもしれないが。ちょっとほのぼのした空気が流れ、沈黙する一同。
「‥‥本当に出たのか」
呆れ混じりに鳳仙を抜き、シドウがキメラに刃を向ける。
「はいはい、こっちよこっち!」
先手とばかりに、クレミアのペイント弾が、蛙の頭にペチャリと大輪を咲かせた。相撲を邪魔されたキメラが、ギロリと、傭兵達を睨む。
「何処ぞで見たキメラだな。折角の花、散らしてんじゃねぇ‥‥よっ!」
蛙キメラに、一瞬の内に間合いを潰した宵藍が、胴を抜いた。
桜は散らしていない、言い掛かりだ。僕等だって、桜を愛しているんだ。と、言いたげに蛙は振り向き、舌をみょいんと伸ばしたが、宵藍に僅かに届かず、逆に流し切りが綺麗に入り、分厚い肉の腹が、パックリと裂けた。
そこに、薙刀のフォン‥‥と、重く空を切る音が踊る。瞬速縮地で詰めた翔太が振るった流れるような一撃が、一筋の流星となって、蛙の頭部を天空に打ち上げた。
クレミアの鋭角狙撃が頭部を弾き、兎キメラはよろけた。更に重なり合う、沙紅良とルティスの二つの歌声が重い鎖となって、自慢の俊足を大地に縛り付ける。
「水が入るのは、心苦しいが。無粋な輩には、退場願おう」
苦し紛れに、シドウに向けて放たれた兎の回し蹴りも、死角から放たれたルティスの銃弾が撃ち抜き、駄目押しに両肩をクレミアの銃弾が交互に吹き飛ばした。その隙を逃さず、深く踏み込むシドウ。繰り出された一撃は綺麗な円を描き、一陣の風と共に、鉄の匂いを巻き上げる。
シドウは静かに刀を鞘に収め、その次の瞬間には、兎の上半身は下半身と永遠の別れを告げ、大地に崩れ落ちていた。
*
驚くほど呆気なく、秒殺という勢いで土に還ったキメラ。しかしそれでも、一般人からすれば脅威には違いが無い。もし稲玉が花見の場所取りに来なければ、傭兵も派遣されず、被害が出てしまっていただろうか。
「茉苗‥‥。いつか静かな日々を送れるといいな」
宵藍は言うが、結果的にそれが誰かの身代わりになって、救いになっているのならば、悪くないと稲玉は思う。それに今更、刺激の無い日々が来ても、面白くない。‥‥心配してくれる彼らには悪いが。
「そろそろ、ですわね」
カセットコンロに座した土鍋が、くつくつと熱気を帯びて白く煙る。沙紅良は、御玉でくるりと鍋を掻いて、具をお椀に掬った。ダシからしっかりと仕込んだ汁を、たっぷり吸ったおでんダネ。
「へぇ。これが、オデン、ですか」
興味津々に覗き込むオズワルドの眼前に、そっと差し出される椀。
「どうぞ、オズワルドさん」
「ありがとうございます」
受け取り、慣れない手付きで箸でコンニャクを掴もうとするが、つるつる滑って、上手く掴めない。
「むむ〜‥‥」
悪戦苦闘しているのを見かね、沙紅良は彼に渡した椀を、一度預かり、そこから箸で切って、彼の口元に運んだ。キョトンとして、首を傾げるオズワルドに対し、耳まで赤く染まった沙紅良。少し俯きながら、「‥‥あ、あ〜ん」と、か細い声を絞り出した。
ニヨニヨ、ニヨニヨ。
周囲からの刺さるような視線が痛い。重い空気の中、オズワルドは口を、餌を強請る雛鳥のように開け、パクリと頬張った。はふはふ、と、口の中で転がし、熱を冷ましながら、租借する。
「ど、どうですか‥‥?」
恐る恐る訊ねる沙紅良に、オズワルドは、ニッコリと微笑んだ。
「お、美味しいです」
照れ臭そうにはにかんで、少年は答えた。
「あ。こっちもこっちも。はい、オズワルド、あーん」
「えっ? あー?」
隣で稲玉と一緒に、半ズボンを眺めていたクレミアが、不意を付くように、マシュマロを口の中に放り込んだ。
「ああっ、イイ‥‥。その仕草、とても可愛いわね」
もきゅもきゅと、まるで小動物のような仕草に、クレミアはうっとりと、恍惚の表情を浮かべた。隣の稲玉も深く頷いている。できれば口に入れたとき、指もちょっと、舐めちゃう感じだといいね。くらいの、乗り掛かりで来ても、不思議は無い。
それも束の間。ガッと、片手で顎を掴まれ、ぐいんと、強制的に沙紅良の方を向かされるオズワルド。沙紅良の顔は、これ以上ないくらいに穏やかな笑顔であったが、目が、笑っていない。
「お約束していました、コロッケ、ですわ。此方が普通の、此方はカレー、チーズ‥‥。たっぷりと、召し上がってくださいま、せ?」
「は‥‥はいぃぃ!!!」
オズワルドは竦みあがった。‥‥タワシコロッケが無かったのが、唯一の救いだったかもしれない。
「で、なにこれ」
プチ昼ドラを開始した二人を放って、稲玉はクレミアが持ってきたレーションを手に取った。酒を片手に、手をヒラヒラと振る、クレミア。
「んー。私にもわからないのよ」
「え、なにそれ、こわい」
怖いのは、火種を起こして放置する方かもしれないが。
「‥‥へぇ、皆料理上手いのな」
宵藍がベーコンに撒かれたアスパラガスを口に運ぶ。何気なく摘んだ料理、一つ一つに、深い愛情のようなものを感じた。沙紅良のちらし寿司も美味であったが、これはまた違った味わいがある。
「べ、別に、日本料理だけってのも寂しい、とか、思ったからじゃないからなっ!」
和メインの弁当の中に、誰かを気遣うように忍ばされた洋風の料理。別段指摘されたわけでもないのに、頬を染め、プイッと、そっぽを向く翔太。そんな彼を見て、ルティスは優しく微笑んだ。
日本酒が注がれた猪口に、ひとひらの桜。それをぼんやりと見詰め、ちょっとしんみりした稲玉を気遣うように、澄み入るような二胡の調べ。
優しく、柔らかに弾かれる弦が、虚空を満たしていく。宵藍が徐に始めた二胡の演奏に、即興でルティスがフルートの音色を乗せ、夜桜を彩る小さな音楽会が、風に流れていった。
「うむ。‥‥やはり、良い」
耳に心地よい情緒溢れる音のせせらぎが、キラキラと舞う花弁の中に溶けていく。シドウは桜の木に背を預け、ピンク色に染まった木々を縫って、月夜の空を見上げた。
その遥か向こうに、まだ、戦いの火は燻っているが、しかし今は、今くらいは、この安らかな時間を享受しようと、彼は思う。
沙紅良の点てた抹茶の湯気が、朧に隠し、ぼんやりと陰影を落としている。
イギリス人の少年には、抹茶は苦くて渋かったが、ゆっくりと降ってきた一枚の花弁越しの少女が、あまりにも可憐で、味覚など、風と共にどこかへ飛んでいってしまいそうな幻想に、囚われていた。パァッと咲いて、闇へと散っていく。桜のように儚く、美しい、桜色の少女。
そんな錯覚に、オズワルドは思わず、足掻くように手を伸ばし、少女の手に触れる。少女は少し驚き、でも不安そうな彼の手を、そっと握り返して。
そして、小さな笑顔の花を咲かせた。