●リプレイ本文
「屋敷を見て回りましたが、特に怪しい場所はありませんでしたね」
辰巳 空(
ga4698)の言葉に、エドワード・マイヤーズ(
gc5162)と祈宮 沙紅良(
gc6714)、アルジェ(
gb4812)が頷く。使用人や屋敷全てを念入りに検め、更には彼らの業務や仕草まで、チェックを入れた。使用人達には、FFの発生は見られない。また、侵入経路に予測を立て、死角を丁寧に潰していき、猫の子一匹入るのも困難な監視、警備を引いた。時間操作の可能性も考え、時計は自前で用意する念の入れようである。
「え? チョコレート?」
「ええ。今日はバレンタインデーで御座いますから」
そんな中、微笑を浮かべた沙紅良が、板チョコを葵杉 翔太(
gc7634)に渡した。若干焦って、頬を染めた翔太だったが、すぐ隣のルティス・バルト(
gc7633)にも渡したのを見て、「ああ‥‥」と、遠い眼をして影を落とした。ですよねー。板チョコの時点で、その可能性はあるわけないですよねー。と、そんな事を考えていたら、ルティスが何かを察したのか、翔太の肩に肘を乗せて、ぐいと、もたれ掛ってきた。
「ふふ。世の中にはツンデレというのもあるからね。手の込んだ義理チョコよりも、本命の10円チョコの方が、重いこともあるんだよ? バレンタインは価格じゃない」
「うっ、うるせぇ! あと、ちけーよ!!」
「つれないじゃないか、翔太さん」
本気で嫌がる翔太に、ルティスは悪戯っぽい笑みを浮かべている。その後ろで、沙紅良は空と、宵藍(
gb4961)、エドワードにもチョコを手渡していた。どうやら、男性陣全てに配ったようだ。紛れも無い義理チョコである。
それでも、悪い気はしないだろうが、しかし宵藍は、何か複雑そうな顔をしていた。首を傾げる沙紅良。
「しかし、薔薇の名前がバレンタイン、ね。恋人にプレゼントするには、ぴったりだな」
いや、そんなのいないけどな! と、呑んだ言葉には哀愁が漂う。
「豪華で可憐で、様々な表情を魅せてくれる花‥‥。翔太さんには、良く似合うね」
ルティスは活けてあった花瓶から、さり気無い仕草で華奢めな赤の薔薇を抜き出すと、そっと、翔太の耳の上に差し込んだ。翔太は吃驚して、耳まで赤くすると、「うばばばば」と、口をパクパクさせた。
「ほら、思ったとおり」
小刻みに震えながら、怒っているとも照れているとも分からない表情の翔太は置いておいて、沙紅良はやっぱり、いつものマイペースさで、微笑み、
「月明かりに輝く薔薇‥‥綺麗で御座いましょうね。ご主人が大切にされている薔薇、奪われる訳には参りません。しかと、お護り致しましょう」
と、意気込んだ。
*
予告時間が迫る。
古びた柱時計から、『コツコツ』と規則正しく秒を刻む振り子が、静まり返った屋敷に木霊していた。
アルジェ、沙紅良、ルティス、翔太の4人が研究室前を固め、更にその鍵となる主人をエドワードが、使用人達を一部屋に集めて宵藍が監視し、屋敷の外に空が待機する。更にVセンサーを三重に利かせ、万全の態勢。
監視モニタを眺めていた宵藍に、メイドの一人がソファーから立ち上がり、少しモジモジして、控え目に言った。
「あの、トイレに行きたいのですが‥‥」
「もう少しだけ、我慢は出来ないかな?」
「す、すみませんっ」
宵藍は顎に手を当てた。監視は、2人でやるべきだったか。しかし今、ここを離れるわけにはいかない。
メイドの顔を見ると、紅潮していた顔が、何時の間にか蒼白だった。限界かもしれない。
「分かった。でも、早く済ませてきて」
「あっ、ありがt」
「いいから、早く」
宵藍が溜息を吐くより早く、メイドは慌しく部屋を出て行った。
*
その部屋は決して狭いわけではなかったが、部屋を圧迫するような本棚に挟まれ、その奥に大きな机と、薔薇園を覗ける大きな窓がある。エドワードは探査の眼を働かせ、些細な変化も見逃さない面持ちで、周囲を見回した。
部屋の安全を確認したエドワードは、主人をソファーに座らせ、アイマスクを主人に装着させた。催眠術を防止する目的と説明し、念を押す。
「僕がいいって言うまで、決して外してはいけませんよ。いいですね?」
特徴的な丸眼鏡が、月明かりを帯びて、僅かに光を反射する。その下の表情は、窺い知れない。
「薔薇園、拝見させていただきましたが、いやー、本場英国に、全く引けを取りませんな。‥‥ところでご主人、あの薔薇は、どうやって開発なさったのですか?」
エドワードは、主人をリラックスさせる為に、何気なく世間話でもするつもりで振った質問だったが、しかし主人は、深くソファーに背を沈めて、重々しく頷いた。
「それにはまず、『遺伝子導入』を、説明しなければならないな」
「遺伝子導入、ですか?」
聞き慣れない言葉に、エドワードは首を傾げるが、主人は構わず言葉を続ける。
「アグロバクテリウム、‥‥土壌菌の一種だが、これが持つDNA分子のプラスミドは、自らプラスミドを切断し、植物のゲノム上に遺伝子を導入する性質がある。それで作られたのが、青い薔薇だよ」
「青い薔薇‥‥。聞いたことがあります。通常の交配では、生まれないと」
「そう。青花のパンジーから、花弁を青くする酵素遺伝子を取り出し、遺伝子導入によって、青い薔薇は生み出された。‥‥あの『バレンタイン』も、その技術を応用している。組み込むパーツを発見したのは、本当に偶然であったが」
その出会いは、恋にも似た感覚だったのかもしれない。我が子を愛しく思うような、深く優しい声には、主人の特別な感情が感じられた。
「なるほど」
「こう言っては君達は不快に思うだろうが、私はバグアの技術に興味があってね。あの技術があれば、もっと素晴らしい薔薇を生み出せるのではないかと、思うのだよ」
*
異変が現れたのは、19時54分。宵藍が電源を落とし、予告時間にセキュリティを封じ、中に入れなくしようと待機していたその時であった。
「薔薇って貰えるんだよな。‥‥一輪貰ってって、茉苗にでもやるかな」
なんて、のんびりと翔太が呟いていると、ルティスが顔を顰めているのに気付いて、思わず「いや、他意はねーよ!?」と思いっきり否定したが、返ってきた言葉は「‥‥何か匂わないか、翔太さん」だった。
少しすると、研究室の扉の僅かな隙間から煙が湧き、地下に充満し始めていた。慌てて、扉横のモニタから部屋の中を覗くと、床からバチバチと青白い炎が飛び、それが周辺を焦がしているのが見える。
「かっ、火事!」
焦る翔太に対して、ルティスはVセンサーを発動させて、冷静に中の様子を確認した。
「何か液体のようなものが換気口から流れて、それから火花が出ている。他に、気配は無いようだけど。‥‥どうしよう?」
「どっ、どうするって、何が」
「‥‥これが、怪盗の仕業なら、ここを開けさせる意図がある」
テンパった翔太をスルーして、アルジェが視線を真っ直ぐ通路の向こう、沙紅良が待機している階段へ向けて、冷静に呟いた。
だが、護衛対象が燃えてしまっては意味が無い。主人もそれを許さないだろう。
「より確実な警備をするのであれば、誰かが直接見ていることができる状況であるべき。――薔薇は、アルが守る」
無線機を取ったアルジェは、エドワードに連絡を入れた。
*
『――ということで、電源はそのままで、お願いします』
無線から沙紅良の連絡を受けた宵藍は、納得がいかない表情で了解し、後ろ頭をボリボリと掻いた。確かに換気口も調べ、使用人も、一人もここから――‥‥
そこまで思考し、ハッとしたように顔を上げた。一人だけ、部屋から出た人間が居る。ほんの僅か、3〜4分程であったが。しかし、その人物に視線を向けた時には、既に彼女は窓際に立っていて、次の瞬間には、夜が支配する向こう側へ、ふわっと、飛び降りていた。
「空、使用人が一人逃げた!」
無線から、空の声で応答があった。
『キメラらしき影も捉えました。彼女を薔薇園に追い込んでください』
「わかった!」
残りの使用人達には、部屋で待機するように告げ、後を追って宵藍は窓枠を踏んだ。メイドを追い、二階の窓から飛び出すと、空に言われるまま、薔薇園の方に駆け出していく。
月光が芝を照らすが、足元は心許無い。暗視ゴーグルを装着し、起動させた。意外と障害物が多く、迅雷で追うのは難しいが、追い付けない移動速度ではなさそうだ。
メイドを追って、宵藍が薔薇のアーチを潜る。煌々と月夜が蒼く輝き、香り立つ薔薇達が、艶やかな色を帯びている。その中に佇み、じっと氷の眼差しを向けるメイドに、冷たいものを感じ、宵藍は固唾を飲んだ。
「宵藍さん!」
空の声にいち早く反応し、飛び退くと、重々しい棍棒が振り下ろされ、地面を叩いた。豚頭のキメラは、続けて棍棒を振り上げたが、高速機動を発動させた空に首元を直刀で突き刺され、醜い悲鳴を上げる。
気が付けば、メイドが気を失って倒れていた。宵藍は念の為、持参したロープで腕を縛り拘束する。空が首を竦めた。
「どうやら、怪盗を甘く見ていたようですね」
「ああ、どうせ囮だとは思っていたけど、まんまとやられたぜ」
「お、おでヲ、無視スル、ナァ!!」
待ち伏せていた豚キメラを空が捉えていた為、宵藍への不意打ちは失敗した。分厚い脂肪で守られ、致命傷を逃れた首元を抑えながら、豚キメラは2人に棍棒を向ける。空は小さく息を吐いた。
「そんなに、挽肉になりたいですか?」
「ブキィ!」
煽り耐性が無いのか、いきり立ったキメラが、ドシドシと音を立て二人に迫る。だが、機動性を備えた二人の傭兵とは、とことん相性が悪かった。
*
階段で立ち塞がっていた沙紅良を、何時の間にかすり抜け、その背後に立つ少女。黒で統一されたフリル付きのスカート、腰元と胸元には大きなリボン。そして、艶やかな黒色のツインテールを靡かせ、悠々と階段を下りていく。怪盗の足を止めるべく、沙紅良が歌声を響かせようとしたが、声すらも上手く発することが出来ない。どうやら、先程燃えていた液体。ただの可燃物ではないようだ。
「こんばんは、傭兵の皆様。予告通り、薔薇を戴きに参上しました」
スカートの両裾を掴み、しとやかに頭を下げる怪盗。年の頃は12、3歳くらいの、あどけなさが残る横顔に、杖型超機械を持つ沙紅良の手が躊躇う。しかし、どうやってVセンサーを潜り抜けたのか。侵入経路は? そんな疑問が、沙紅良の脳裏を巡るが、疑問をぶつけるより早く、翔太が怪盗の懐に瞬速縮地で飛び込み、両手に構えたダガーを交互に振り抜いた。しかし、ダンスのステップを踏むように、スルスルと攻撃は潜り抜けられ、意に介さないように、怪盗は前進していく。
「ボクの顔ですか? ご覧になりたければ、どうぞ」
ルティスの心を読んだかのように、少女は何時の間にか、自分よりも50cmは高い彼の懐に立っていた。スッと見上げた瞳に、視線を合わせた瞬間――
「えっ?」
少女はルティスの背後に立っていた。
「何やっているんだよ、ルティス!」
翔太の声にハッとして、ありのまま起きたことを話したい衝動に駆られながらも、扉の前で仁王立ちするアルジェに振り向いた。
「暗器使い‥‥それも想定済み‥‥アルには‥‥効かない」
「裏付けの無い自信は、ただの無謀だと思いますよ」
にこーっと、屈託の無い笑顔を浮かべる怪盗。シャキンと、澄んだ音が響き、スラリと伸びた袖から、二振りの短剣、靴の先から刃物が飛び出す。
アルジェからアクロバティックに繰り出された剣と爪の乱舞は、無数の流星となって狭い通路に降り注いだが、それを尽くかわす怪盗。アルジェのマントの下には大量の投剣が仕込んであるが、こう回避されるのでは、後方の味方に流れる危険がある。狭い射角が枷となった。
「今度は、こちらから参ります」
ふわっと風が流れ、アルジェは直感的に武器で、銀色に煌く太刀筋を弾いたが、二つの何かが、怪盗の軽やかな動きに連動して柔らかな軌道を描いてうねりを上げ、アルジェの脇腹に交互に重い一撃が入った。表情を濁らせたアルジェは、よろっと、扉に背中をつく。息が、できない。
「あまり手荒なことはしたくはありませんが‥‥」
呟く少女の手に握られた短剣が、逆手に構えられる。そこに、沙紅良とルティスの呪歌が重なり、合唱となって、怪盗の動きを束縛した。煙の効果が薄れ、歌声が戻ったのだ。この状態ならば、あの変な『催眠』も使えないだろう。
翔太が一歩踏み出したその時、階段の上から大音響の犬の雄叫びが、地下一杯に響き渡った。あまりの反響に、全員が耳を塞ぎ、近距離で閃光手榴弾を投げつけられたような衝撃が、脳を揺さぶった。
「ますたー。オムカエ、キタヨー」
「あれ、豚さんは?」
「‥‥トチュウ、オチタ」
「落ちたんですか。困りましたね‥‥。ああそうそう、これはお返しします」
朦朧とした意識の中、怪盗から沙紅良に手渡されたのは、ガラスケースに収められた『バレンタイン』そのものだった。
「手癖の悪さなら、ボクの方が上みたいですね」
それは、気を失ったアルジェに向けた言葉か。くらくらした頭で、沙紅良が感知したものは、何時の間にか屋敷の上に降りてきていた、巨大な球体であった。
「これは、熱‥‥気球?」
「ちっ、お約束かよ‥‥っ!」
翔太が覚束無い足取りで階段を昇ろうとしたが、危うく転び落ちそうになったところを、ルティスが優しく支えた。
「さようなら、傭兵の皆様。御機嫌よう」
少女は礼を告げるように、柔らかい表情を浮かべ、その場を後にした。
後を追ったが、気球は既に、夜空の遥か彼方。一同は首を傾げた。怪盗の目的は、薔薇ではなかったのか?
しかし、エドワードだけが、確証を得たように呟いた。それは主人から、何気なく聞いた話だったが。だが、そういう事ならば合点がいく。まして、相手がバグアなら。
「そうか、奴の目的は、もしかして――‥‥」
*
――後日、カフェ『フェアリーテール』。
いつも通りの場所に稲玉が腰掛けると、いつもの黒髪の美少年が、いつもの珈琲を淹れてくれた。今日も今日とて、ナイス半ズボン。カウンター越しに、チラッチラッと、彼に気付かれないよう、白く透き通った太ももに視線を向けていると、ふと、日の当たる出窓のところに、ポツンと、小さな鉢植えが置いてあることに気が付いた。
「あの鉢植え、何も植わってないけど‥‥。何か埋めてあるの?」
稲玉が訊ねると、少年はコップを磨いていた手を止め、日差しの注ぐ窓際に、視線を移した。その瞳はどこか遠く、悲しげにも見える。
「‥‥薔薇の種ですよ。暖かくなれば、芽も出てくると思います。妹が、バレンタインのプレゼントに、送ってきてくれたんです」
「ふぅん。それは楽しみね」
「ええ、本当に‥‥」
その小さな鉢植えを眺めながら、稲玉はゆっくりと珈琲を啜った。