タイトル:白銀の世界でマスター:愉縁

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/01/27 06:39

●オープニング本文




「‥‥まったく、アンタといると退屈しないよ」
「それは、どーも」

 稲玉茉苗と、七島恵那は隣り合って床に座り、壁にもたれて、天井を見上げていた。止まったシーリングファンを、ボーっと眺める。
「で、どうすんの、マナ」
 幼馴染で親友の恵那は、姿勢をそのままに呟いた。消された暖炉には、まだ熱は残っていたが、徐々に室内が冷え込んできていて、フローリングは氷のような冷たさを帯び始めている。稲玉は、顎に手を乗せた。


 年度始め。少し遅めの年始休暇を、稲玉と七島はのんびり、ウインタースポーツでも楽しむつもりで、このペンションにやってきていた。スキー場まで1〜2時間という場所にあるペンションだったが、値段も手頃で、なにより料理の評判が良く、良いワインも揃えている。学生時代に良く世話になった場所だ。
 しかし、こんな場所で、『奴ら』と遭遇することになろうとは‥‥。窓を覆うカーテンの隙間。そこから奴らの姿は確認できない。だが、奴らはそこに居る。ULTに5年務めて来た、稲玉の勘がそう告げていた。


「お年寄りや子供もいるし‥‥。大勢連れての脱出は無理ね。助けが要るわ」
 視線の先、身を寄せ合って震える、家族連れの泊り客を見る。ペンションに居る人間は、この広間に居る20人。それと稲玉と七島だ。
「でも、電話は通じない‥‥」
 ありがちな展開ではあったが、電話は切断されていた。意図して切られたのか、事故だったのかは、今は判断が付かないが。幸いだったのは、奴らの存在に気付くのが早く、速やかにペンションの中へ全員退避出来たことであろう。だが、飢えた鮫が回遊する場所に、オールのない小船で放置された状況には変わりは無い。 
「直接、助けを呼びに行くしかないわね」
 稲玉は冷静に言う。いや、静かに言葉を発しているのには意味があった。
「呼びにいく‥‥たって、外は奴らでひしめき合っているのよ。自殺行為じゃない」
「奴らの視覚は弱い。聴覚か‥‥いや、触覚で獲物を感知する性質があると思う。私が敵を引き付けて囮になるから、その隙に恵那、貴女が行って。ULTに連絡をするのよ」
 七島は首を竦めた。
「アンタ、そんなことばかり言って、いつか死ぬわよ」
「何もやらずに死ぬよりは、何かやって死ぬほうがマシでしょ。それより分かっているの? 車は使えないんだから‥‥」
「XCスキーでしょ? 少なくともアンタよりは身体能力に自信はあるんだから」
 クロスカントリースキー。斜面を滑り降りるアルペンスキーとは異なり、平らな所を進んだり斜面を登るための工夫が施されたスキー板を使用するスキーのことだ。
 振動を感知する奴らの前で、車のエンジンを始動させる行為は無謀。また、冷え込みの厳しい今の状況で、一発でエンジンスタートが出来るとは限らない。
 この移動手段ならば、徒歩よりも早く、振動も少ない。稲玉は溜息をついた。
「‥‥こんな目的で使いたくはなかったんだけどね」
「ホントよ、まったく。休暇が台無し」
 音を立てないように慎重に立ち上がると、心配そうにこっちを見ていた少年が、稲玉の側に寄ってきた。腰を屈め、小さな少年の頭を優しく撫でる。
「おねーちゃん‥‥」
「大丈夫よ。すぐに、能力者の人達が助けに来るからね。それまで静かに、待っているのよ?」
「うん」

 大丈夫。――そう、それは、自分にも言い聞かせた言葉。

 稲玉はペンションのオーナーに近寄って、プランを話した。難しい顔をしながら、オーナーは稲玉を見ている。もう20年若かったら、彼女の代わりに自分が買って出た役目だろうか。いや、彼女のように、奴らに対して見識が深くなければ、とてもその勇気は湧かない。

「物音は立てないように。私達が外に出たら、鍵をかけてください」
「しかし、その後アンタは、どうするのかね?」
「ちゃんと考えはあります。ただ一つ、お願いがあるのですけど‥‥」
「私に出来ることなら、なんでも言ってくれ」
「実は――」


 ***

 カチャ‥‥。

 静かに鍵を外し、裏口の扉から、左右に視線を巡らせる。相手は真っ白いキメラな為、目視で直ぐに見つけられないのが怖いところだが。背後で、心配そうに私を見つめるペンションのオーナーに、私は安心させるように視線を送った。
「‥‥」
 右手に握り締めたキー。これが稲玉の命運を握っている。スノーモービルが格納してある離れの倉庫まで、20歩の距離。そう、遠くは無い。

 ジャッ。
 雪を深く噛み締める音が、静まり返った銀世界に、想像以上に大きく響き、遠くで、何かがザッ! と動く音がした。奴らに気付かれのか。‥‥だが、悠長に確認している時間は無い。稲玉は直ぐに駆け出した。

 ガサササササ!!

 猛然と突き進むそれは、左右に掻き出す雪を粉塵のように巻き上げ、稲玉を囲むように集まってきた。予想よりも動きが素早い。それに比べ、彼女の足は雪に足を取られ、重く、纏わり付くようだった。
「くっ‥‥!!」
 少し浮いていた倉庫のシャッターを掬い上げ、滑り込むように中へ入る。あとで借りようかと思って、状態を見ておいたのは幸いだった。すぐさま跨り、熊のキーホルダーが下がったキーを差込み、回す。二度、三度、空回りするが、四度目に、けたたましい音と共に、エンジンが起動した。

 ドガッ!! ガシャァァァアッ!!

 同時に目の前のシャッターがうねりを上げて崩れ落ちる。だが、好都合。スロットルを回し、たゆんだシャッターの隙間、それを叩き壊した奴らの脇をすり抜け、勢いよくハンドルを切った。雪飛沫がペンションの壁を叩き付ける。
『ギギギギギギギギ!!』
 金属を擦り合わせたような、気持ちの悪い音が、奴らから発せられた。

「‥‥ふふっ、最高に、ツイてる」
 自嘲気味に吐き出した呟きは、白く篭った息と共に、激しいエンジン音の中に霧散した。

●参加者一覧

宵藍(gb4961
16歳・♂・AA
ルノア・アラバスター(gb5133
14歳・♀・JG
神楽 菖蒲(gb8448
26歳・♀・AA
未名月 璃々(gb9751
16歳・♀・ER
南 日向(gc0526
20歳・♀・JG
春夏秋冬 立花(gc3009
16歳・♀・ER
シルヴィーナ(gc5551
12歳・♀・AA
祈宮 沙紅良(gc6714
18歳・♀・HA

●リプレイ本文


 稲玉の指示で、振動や音を出すものは全て停止させられ、外に降り積もる銀雪が更に音を吸収して、闇より深い静寂に包まれていた。時刻は5時。冬の日差しは短く、天候の悪化もあって、周辺は早々に青い闇が差し迫ってきている。

 外で物音がした。音を立てないよう慎重に、少年はカーテンの隙間から外の様子を覗く。稲玉が言っていた『能力者』が、助けに来てくれたのだと、彼は思った。寒さが支配するフロアの上、数時間も息を潜め、恐怖に耐えてきたが、『これで、助かる』という安堵感が緊張感を緩めたのだろう。だから、ほんの少し好奇心がそれに勝ってしまったのだ。
 しかし、見える光があまり多くない。2つか、3つか。目を凝らして見るも、確証を得るシルエットは見えず。それで更に鼻を窓に押し付け、時々、パンパンッと、弾け飛ぶ雪飛沫と、ガラスに爪を立てたような奇怪な鳴き声が響き渡る白銀の世界を、じっと見ていた。

 不意に光が弾け、辺りに甲高く、少し長めの破裂音が轟く。
 そこで初めて、少年は保護色と暗さで、窓を挟んだほんの10歩くらいの距離に、奴が居たことに気が付いた。

 ――ギイッ。
 思わず一歩引き、踵を沈ませたフローリングの床が、軋む。静寂が支配するその場所で、その小さな音はあまりにも大きく響き、少年は、自分の血の気が引いていくのを感じていた。


 ***

 時は僅かに遡る。

 深々と降り注いでくる降雪の中、8人の傭兵は、周囲を警戒しながら、救助者が待つペンションに向かっていた。
「マジで巻き込まれ体質なんだな、茉苗。相変わらず無茶しているようだし‥‥。早いとこ、キメラをぶっ倒さないと危ないな」
 宵藍(gb4961)が苦笑いを浮かべる。曲りくねった道を黙々と進み、間も無くペンションが見えてくる頃か。同じように彼女の不遇を知る祈宮 沙紅良(gc6714)が、コクリと頷いた。
「‥‥そうですね。今も茉苗さん御一人で頑張っていらっしゃるかと思うと、心配で早く駆けつけとう御座います」
「ああ。ペンションに篭ってる奴らも安全とは言えないし、急ごう」

 その二人とは少々違った思いで意気込んでいるのは、南 日向(gc0526)だ。小さい頃、雪山に遭難した経験から、寒さの中、取り残される人の気持ちが良く分かる。
「絶対に‥‥助け出してみせます!!」
 ふつふつと湧き上がる気持ちを抑えるように胸に手を当て、一呼吸。彼女にとっては、過去の自分を救いに行く意味も持つ。春夏秋冬 立花(gc3009)が七島から聞き込んだ情報と、ルノア・アラバスター(gb5133)が集めてきた周辺情報で、彼女の大体の所在にアタリがついている。逸る気持ちが抑えきれない。
 日向の言葉に、「わん! みせますです!」と同調したのは、シルヴィーナ(gc5551)。わんこ気質を持つ彼女は、銀世界を前に、別方向のテンションを上げながらも、その目は正義の炎に燃えている。

「寒い。ちゃっちゃと片付けて平和に紅茶でも飲みましょ」
 先頭を行く神楽 菖蒲(gb8448)が、少し身震いをして、コートの襟を立てた。少しずつではあるが、先程より雪の勢いが増してきている。そういえば、天候が回復するのは明け方になると、オペレーターが言っていた。キメラさえ倒してしまえば、急ぐことも無い。今日はそのペンションに宿泊することになりそうだ。
「‥‥見え、ました」
 暗視スコープを起動させてルノアが言った。腰に括った懐中電灯を直しながら、未名月 璃々(gb9751)が、バイブレーションセンサーを発動させる。ペンションの周辺に、動いている人型の物体は5体。想定していたより、少々数が少ない。センサーは『範囲外』『動かないもの』には効果が無い。もっと奥に行ってみなければ、全ての数を把握するのは難しいのか。
『ギッ、ギギギッ』
 こちらの接近に気が付いたのか、近くの2体が移動を開始した。雪を巻き上げ、物凄い勢いで雪を掻き分けて突き進んでくるキメラ。
 その姿は、まさにエイリアンと呼ぶに相応しい、グロテスクな形状をしていた。少し、ワラスボに似ている。
「素晴らしい被写体ですねー。気持ち悪さ、気味の悪さ、素敵です」
 夜間撮影にも対応したカメラで、璃々がその禍々しい姿を、のほほんと撮影を始めたその脇を抜け、シルヴィーナが、雪上を駆ける。一歩遅れて、宵藍も駆け出した。一応、視認性を高めるという理由で、ペイント弾を用意してきたが、こう、ド派手に動き回るようなら必要は無いだろうか。

 ペイント弾の派手な蛍光色がキメラを染める。それは彼らにとっての死に化粧。辺りに雪を噴き飛ばしながら、飛び出すキメラに、しかし菖蒲は冷静に距離を見極め、相手の攻撃、リーチの懐に一気に飛び込み、横一線に獅子牡丹を振り抜いた。
「悪趣味だってのよ」
 横に抜け、地を蹴り叩く。既に意識は二体目のキメラにシフトしている。彼女の背中を、グリンッと、キメラの頭部が追ったが、その手が伸びるより早く、菖蒲の背を預かる立花が一撃を深く叩き込む。まるで電電太鼓のように、両腕が明後日方向に降り抜かれたそのタイミングで、最大まで引き絞られた日向の弓が解放され、僅かに繋ぎ止めていた上半身を、根元から引き千切り、天高く、吹き飛ばし――
「ごめんね。悪いけど、ここで終わってもらうよ」
 ――それが地面に降りてくるより早く、立花の機械刀の光がその頭部を削ぎ落とした。

「何つーか、気持ち悪いとしか言いようがないわ」
 ペンションから離れた拓けた場所に移動しながら、宵藍は閃光手榴弾のピンを抜き、発動数秒前に遠投した。
 パッと眩い光が飽和し、クラッカーを鳴らしたような派手な音が、銀雪の世界を包む。視力や聴力を持たないキメラに、その特殊効果は無かったが、何事かと、弾けた光の方角に、一斉に振り向いた。
 光をやり過ごした後、沙紅良がバイブレーションセンサーを発動させた。残ったキメラの数は全部で6体。1体は菖蒲達の前に、残りは宵藍達の方に集まってきている。行くならば、今が良いタイミングであろうか。
「神楽さんっ、よろしくおねがいします!」
 日向の弓の援護と言葉に頷き、菖蒲がキメラの死角に回り込んだ。滑り易い足場で、あまり派手に動き回ることは難しかったが、距離を詰めてしまえば楽なものだ。
「ふん。結局のところ、自分から近付いて来るんでしょ?」
 振り向くよりも早く、袈裟切りに一刀を加える菖蒲。しかし、悶絶したキメラは、雄叫びを上げながら、派手に毒液を撒き散らす。
「菖蒲さん!」
 レジストを発動させた立花が彼女と入れ替わるように立ち、踊り狂う放水ホースのようになったキメラの喉元に、機械刀をスッと突き立てた。ビクビクと痙攣しながら、グラリと倒れるキメラ。
「‥‥大丈夫?」
「はい、かすり傷程度です!」
 菖蒲が気遣いを見せたが、ぺかっと笑顔を見せた立花に、安心の吐息を漏らす。そしてそれから、日向に視線を移した。彼女は決意の篭った瞳で、静かに頷く。菖蒲はそんな彼女達の前に立ち、歩き出した。
「‥‥いいわ。貴女の正義に乗っかるだけよ」


 ***

「三日月狼の名の下に‥‥貴様らを殲滅する」
 魂を刈取る大鎌を構え、狼のような鋭い殺気を放ちながら、シルヴィーナはキメラを睨み付けた。対するキメラも、能力者の力を把握したようで、少しずつ警戒し、じりじりとその距離を詰めるように動くようになっている。
「結構吹雪いてきたか。風音が邪魔だな‥‥」
 バサバサ横殴りの雪が、宵藍の頬を叩いた。装備する暗視ゴーグルに水滴が付着していく。
「布瑠部由良由良如此祈所為婆――」
 膠着した状態を打開するべく、沙紅良がほしくずの唄を響かせると、彼らを囲っていた一体が、耳障りな悲鳴を高く上げ、頭を抱え、その場に蹲った。
「‥‥どうやら、キメラは、互いの、状態を、共有して、いるよう、です」
 混乱の効果を受けたキメラに連動するように、他のキメラが僅かに反応を示したのを、ルノアが気付いた。恐らく、動物や昆虫レベルのコミュニケーション術だが、ある程度の連携が行えることを示唆している。

 バサッッ!!

 ペンションの方角で、大きな雪飛沫が上がった。カメラを構えた璃々が、ペンションの中へ呼びかけながら、窓を叩いた、その瞬間であった。
「‥‥!」
 カメラではなく、弓を構えていれば結果が変わっていただろうか。ハーモナーの歌は、高い支援効果を持つが、それは誰かの庇護を受けて、初めて意味を成すものだと、彼女は身を持って知ることとなる。

 呪歌の効果は一瞬、キメラの動きを鈍らせたが、振られた腕は勢いを失わず、鞭のようにうねり、彼女の脇腹を強く払い飛ばした。呪歌は中断され、キメラは続けざまに彼女の両腕を掴んだ。いや、掴むなどという生易しいものではない。彼女の華奢な腕を、握り潰さん力で締め付けてきたのだ。鈍く軋む音が、無表情の顔を徐々に濁らせていく。キメラの口がゆっくりと開き、どろどろの唾液が、彼女の肌に触れる度に煙を吐き、激しい痛みを呼んだ。

 ズタタタンッッッ! プシャッ!!

 今まさに、キメラが璃々の頭部を飲み込もうとしたその瞬間。正確無比の3発の弾丸が、キメラの頭部を弾き、続けて放った弾丸が、執拗に頭部にクリーンヒットした。唾液と血液が周囲に撒き散らされ、キメラは断末魔を上げながら、ぐにゃりと腰から折れるように、雪の中に沈む。
「‥‥リロード」
 オープンサイトがルノアの視線を外れ、漆黒の銃身が降りる。流れる動作で、弾倉は数秒の内に入れ替わった。
 意識も朦朧にその場に倒れ込んだ璃々を、ペンションの裏口から引き摺っていく男性。彼女を安全な室内に移そうというのだろうか。ルノアが、彼に話しかけようとした瞬間、殺気が周囲に散らばり、咄嗟に身を屈めた。
 粉のような雪が吹き上がり、彼女の銀色の髪にキラキラと反射していく。スッと背面に向けられる逆さまの銃口が、背後の気配に発射される。手応えは浅いが、牽制としては十分だ。
「ルノア!」
 宵藍が繰り出した衝撃波が、薄くキメラの背中を切った。キメラは雪の海へ沈み、急速に離れていく。足が重い。地形の優位は相手にあるようだ。
「シャオさん。未名月さんが、ペンションの、中へ、運ばれ、ました」
「ああ、俺も見ていた! くそっ!」
 苦味潰した顔をした彼の、背面に迫る一撃をシルヴィーナの大鎌が払い上げ、沙紅良の超機械から放たれた電磁波が、その身体を焼き焦がした。だが、致命打には及ばず、不意打ちが失敗したと悟ると、すぐさまキメラはその場を離れた。

「存外、動きが早いな」
 手応えを確かめるように、鎌を持ち替えたシルヴィーナが、ペンション周辺に集まりつつキメラ達を、ぐるりと見回した。ここに残っているのは4人。ペンションの中に人が居ることを察知されてしまった今、この人数で機動力に優れる4体のキメラから、ペンションへの侵入を防がなければいけない。
「一人一体、面倒を見るしかないな。菖蒲達が早く戻ってきてくれれば良いのだが」
 今、手段は選べない。3人は顔を見合わせ頷くと、先に駆け出していったシルヴィーナの後を追って、ペンション周辺に散開した。


 ***

 雪で薄れつつあったスノーモービルと、キメラと思しきモノが通った後を行くと、大声で呼ぶまでも無く、稲玉は直ぐに発見された。携帯電話の電飾が定期的にチカチカと光を放っていて、それが目印になったのだ。近付くと、勢いよくシートが舞い上がり、身を屈めていた稲玉が、のっそりと立ち上がった。
「茉苗さん、無事でしたか!」
 パアッと、輝いた顔で彼女に近付く日向に、しかし稲玉の顔は、鬼のような剣幕で、思わず日向は途中で足を止めた。
「まだ戦闘は続いているでしょう! なんでこっちに来た! 私は慣れているからいいけど、彼らはそうでないの! 直ぐにペンションに戻って!!」
「で、でも‥‥」
「私の足と、貴方達の足、どっちが速いと思ってるの! 私を足手まといにする気!?」

 その様子を菖蒲は顎に指を当て、そしてその背中に隠れるように、立花が見ていた。黙り俯いてしまった日向に変わって、菖蒲が口を開く。
「‥‥分かった。でも、ここに一人にするわけにはいかない。日向を護衛に付ける。ナイムネ、行くわよ」
「な、ナイムネ言うなー!」
 ムギャーと、吠えた立花を引き連れ、すっかり闇に落ちた雪の中を、走り去っていく菖蒲。その場には、稲玉と、日向が残された。


「‥‥」
 しゅんとした日向に、稲玉は小さく溜息を漏らし、こう告げる。
「‥‥昔、自分が案内した依頼で、弟を失ってね。一番怖いのは、何も出来ないまま、自分でない誰かが傷付く事だって、私は知っているの」
 そして少し悲しそうな顔をして、優しく日向の頭を撫でた。
「私のトラウマを、呼び起こさないで‥‥」


 ***

「ご無事で宜しゅう御座いました‥‥」
 子供に囲まれ、優しい歌を聞かせていた沙紅良が、鼻水を垂らし、入り口に突っ立っていた稲玉に、微笑みながら言った。暖炉の前には、トランプを切る立花の姿。灯りと暖房が満ちたペンションの中、人々の笑顔が心までを温めている。それを見て、ようやく緊張の糸が切れたのか、稲玉は近くのソファーに、ドサっと座り込んだ。


 ――あの後、菖蒲と立花がペンションに戻り、数的優位が戻った傭兵達は、防戦から一気に反撃に移り、瞬く間にキメラを殲滅した。いやらしく、隙あらばペンションへの侵入を試みるキメラに手を焼いたが、一体一体を丁寧に囲んでしまえば、さほど苦労はしなかった。


「心配したぜ? 無事みたいで良かったが‥‥。しかし、こんな時まで酒か?」
 のそっと宵藍を見上げる稲玉の手には、小さなワインボトル。中身はもう、僅かにしか残っていない。
「ん。オーナーにお願いしてね。体温を保つのが、サバイバルの鉄則よ」
「へぇ、いいワインじゃんそれ、俺も飲みたい。あと、温かいもん食いたい」
 稲玉の持つボトルの銘柄を眺めながら宵藍が言うと、沙紅良がふわふわニコリと、桜色の微笑を零していた。
「では、僭越ながら私が――」
「あ、オーナー。夕飯、夕飯出るよな?」
 沙紅良の言葉に、宵藍が被せ気味に言う。‥‥まだ、根に持っているのか。

 携帯を握り締め、安堵の表情で眠る日向に、稲玉は彼女を起こさないよう、毛布を掛けた。そして次に、横たわっている璃々に近付いた。彼女は、相変わらずの無表情で、ボーっと天井を見詰めている。一つ咳を払い、業務用フェイスに切り替え、稲玉は言った。
「幸い、民間人に負傷者も無かったので、今回は報酬減額に処分を留めますが、今後は不用意な行動は控えるように。いいわね?」
 璃々の視線が、僅かに稲玉へ向く。何を思っているのか稲玉には分からないが、ぽんと、額に手を乗せて、子を叱った後の母親のような表情で、言葉を続けた。

「うん。怪我も深くなくて良かったわ。ゆっくり休みなさい」