●リプレイ本文
●予感と確信
喪ってはならぬものを奪われた時、人は心を凍らせる。
怒りに憑かれ、鬼と化すか。
虚無の淵に誘われ、ひたすらに沈んでゆくか。
あるいは――失意の果てに、自らの消滅を願うか。
狂気と呼ぶには、その想いはあまりに愚かで、哀しい。
バグアの脅威に満ちたこの世界で、キメラが人を襲うのは決して珍くない。能力者ならば、それによって命を落とした者を知らない方が稀である。
しかし、ありふれた事件も、当事者にとっては無二の悲劇に違いなく。
今回、事件の犠牲者となった母娘の遺族――彼女らの夫であり父親である男性の心中は、察するに余りあった。
「可愛い盛りの一人娘と愛する妻を一度に亡くした男か‥‥危険だな」
見渡す限り真っ直ぐに続く道路を駆けながら、榊兵衛(
ga0388)が低く声を放つ。
「十中八九来るだろうからなー‥‥、己の保身すら忘れて‥‥勝ち目の無い復讐に」
頷くようにして、ギル・ファウスト(
gb3269)も答えた。
男の境遇が、自らの過去に秘めた記憶を呼び起こすがゆえ。そして、そういった者を数多く見てきたがゆえ。彼らの言葉は、苦い。
「復讐か‥‥下らねぇ‥‥」
短く言い捨てるブレイズ・S・イーグル(
ga7498)の瞳は、鋭く前へと向けられている。母娘が命を奪われた惨劇の現場は、すぐそこだ。
「もしもキメラのところに行ってしまってたら‥‥大変です、死んじゃいます」
やや遠慮がちな天城(
ga8808)の言葉は、どこか呑気なようでいて、彼女なりの真剣さに満ちている。
妻子を理不尽に殺され、絶望の底に落とされた男が姿を消した――その後の足取りとして想像できる選択肢は、そんなに多くはない。遅かれ早かれ、彼が到底勝ち目のない仇討ちに向かうことは、容易に想像がついた。
「――もう一度、確認しておきたいのだけれど‥‥」
男が現れた時の対応ついて、榊原 紫峰(
ga7665)が全員に声をかける。
キメラは極力こちらへ注意を引き付け、男から距離を確保した上で包囲、殲滅。その間、男には専任の護衛をつけて守り、戦場へ近寄らせない。
事前に話し合った方針を確認し、紅 アリカ(
ga8708)、フィオナ・シュトリエ(
gb0790)が同時に頷いた。
「仇を討って心も救う、か‥‥俺に出来るのかな‥‥」
男の護衛を任せられたメンバーの一人である鷹代 朋(
ga1602)が、静かに呟く。肩にかかるものは、どこまでも重い。
その直後、傍らの仲間から短く声が上がった。前方に、目標たるキメラが姿を現したのだ。
黄金と漆黒の毛並みを持つ虎狼。しかし、その巨体はこちらに背中を向けていた。訝る間もなく、反対方向から歩み寄る人影が視界に映る。背の高い、痩身の男――
傭兵たちは、自分たちの推測が的中したことを知った。
「‥‥やれやれだぜ。アイツの保護、頼んだぞ」
ブレイズの声に、朋は答えなかった。今、自らが何をすべきかは知っている。あえて言葉にする必要はなく、ブレイズもまた、返答を求めてはいない。
せめて、これ以上奪われる命がないように。傭兵たちは、一斉に動いた。
●仇
「お前の相手はこっちだよ!」
声を限りに、フィオナが叫ぶ。
キメラとの距離は、傭兵たちより男の方が近い。まずは、キメラの注意をこちらに向け、引き離さなくてはならなかった。
「とりあえずこっち向けってー」
天城、アリカらが威嚇射撃を行う中、朋とギルが瞬天速で駆ける。
朋が男のもとへ向かったのを視界の端で見届け、ギルは虎と狼の混血を思わせる獣へと重爪「ガント」 を繰り出した。
――目覚めが悪くなるんでな、生きて貰おうじゃねぇか。
キメラが獣の咆哮をあげ、雷を纏ってギルへと突進する。宵闇の空を映した瞳が、自らが放つ鈍い光と、放たれた稲光で強く輝いた。
肉体を駆け巡る衝撃に、辛うじてギルがその場に踏み止まった瞬間。接近した兵衛が、その身に炎を宿したような紅い槍を構えた。
「幸いにして敵は一体‥‥ならば、早急な殲滅が手っ取り早い」
ソニックブームの衝撃波が唸りをあげてキメラを襲い、そこを追い撃つように紫峰が放った銃弾が叩き込まれる。
「好き勝手やってくれたらしいが‥‥覚悟は出来てんだろうな?」
全身から噴き上げるようなオーラを放ち、ブレイズが大剣を手に凄んだ。
目の前で起こっていることを、男は正確に把握できていなかった。否、把握するつもりなどなかった、と言うべきか。
妻と娘を無惨に引き裂いた憎き獣。最愛の家族の仇。そいつが今、自分に背を向けている――彼が認識できたのは、そこまで。この場に駆けつけた傭兵らしき者たちの姿は、まるで意識の外にあった。
あとは、あの獣と戦うだけだ。自らが爪にかかり、命尽きるその瞬間まで、この恨みを刻み込んでやる。
武器は山歩き用のナイフが一本のみ。キメラに対する武器としては、あまりに頼りない。蛮勇は元より承知の上、理性など、とうに捨てた。
叫び、男が駆け出した時。割り込むように、朋がその前へと立ちはだかった。
「あなたを行かせるわけにはいかない」
「‥‥どいてくれ」
絞り出すような男の声に、朋は黙って首を横に振る。家族の復讐を果たしたい、その気持ちは否定できない。同じ立場なら、きっと自分もそれを選んだだろうから。――でも。
男が、朋を強引に振り切って進もうとする。その腕を、朋はしっかりと掴んだ。
「! ――放せ!」
暴れる男の手からナイフを落とし、後ろから羽交い絞めにする。
「あなたが死んだら弔う人がいなくなってしまう‥‥だから、絶対に行かせない」
●叫ぶ者
戦う力を持たぬ男を襲わせまいと、前に立つ者がキメラを取り囲む。対する虎狼は猛りながら、電を帯びた爪や牙で傭兵たちを迎撃した。
「これ以上の犠牲者を出させはしないよ!」
銀の瞳に決意を込め、フィオナが凛と声を放つ。戦いながらも、この場にいる全員の位置を把握することは忘れない。仮に、キメラが男のもとに向かおうとしたなら、自らを盾にしてでも止める覚悟だった。
彼女が、僅かに側面を向いたキメラの隙を捉えて剣を突き入れると、虎狼は一際高く吼えた。
キメラの猛攻に、ギルが思わず顔を歪める。先ほどからの雷撃で、彼のダメージは確実に蓄積していた。
「ちょっと電撃って卑怯じゃないー?」
やや後方に位置を取った天城が、援護すべく洋弓から弓を放つ。口調とは裏腹に鋭い射撃がキメラの脚へと突き刺さった時、ギルもまた、手痛い反撃をその傷へと叩き込んでいた。
男は、必死に羽交い絞めから逃れようとする。力では到底敵わぬ相手、朋の腕は一向にびくともしなかったが‥‥それでも、抵抗をやめない。
「頼む――俺を行かせてくれ‥‥ッ!」
あの、憎きキメラのもとへ。愛する妻子のもとへ。
魂を分かつ伴侶を、己の血を継ぐものをともに喪い、たった一人でどうやって生きろと言うのか。
血を吐くような男の叫びを止めたのは、アリカの平手打ちだった。
「‥‥いい加減落ち着きなさい。今ここで死に急いだところで、いなくなった人は喜んだりしないのよ」
人と人の出会い、大切に思う縁が、どれほど自分に影響を及ぼすものか、アリカは知っている。男の心情を思えばこそ、彼が愛する妻子の心情をも思わずにはいられなかった。彼女らはきっと、夫や父が後を追うことなど望むまい。
男は目を見開き、しばらく無言のままアリカを見つめていたが、やがて憑き物が落ちたのか、全身の力を抜いてうなだれた。
背を向け、銃を構えて警戒にあたるアリカ。その肩越しに、男の低い嗚咽が聞こえた。
男の慟哭は、前線で戦い続ける者たちの耳にもはっきりと届いていた。
「その悲しみ、ボクが安息を与えられれば良いのだけれど‥‥」
静かな言葉とともに、紫峰が直刀を手にキメラへと向き直る。
最愛の者を亡くした悲しみは、正直、まだわからないけれど。眼前のキメラが、一つの幸福を打ち砕いたことは明らかだ。
「愛する者を失った悲しみ。君にも味あわせてあげようか‥‥」
キメラは愛など理解しない。そんな事はわかっている。それでも、男の苦しみの一片くらいは、この獣に思い知らせてやらなければ。
紫峰が繰り出した直刀と交錯するように、雷撃を纏う爪が彼の肩を掠める。そこに、素早く回り込んだ兵衛が側面から槍を突き入れ、 フィオナの紅蓮衝撃が赤いオーラを纏って炸裂した。
「一気に行くぜ」
男が抵抗を止めたのを横目で見届け、ブレイズが身の丈を超える大剣を構え直す。外野の安全が確保された以上、もはや遠慮は不要だ。
「貰ったぜ‥‥エアトリガァ!」
立て続けに巻き起こった衝撃波が、キメラを挟み撃つように左右から放たれる。動きを止めたところに肉迫し、ブレイズは己の力を武器へと注ぎ込んだ。
「終わりにするか‥‥ファフナーブレイクッ!」
紅の軌跡を残し、あらゆるものを両断する勢いで叩き込まれる斬撃。激しく傷つきながら、虎狼はなおも、狂ったように猛り吼える。残された力を全て注ぐかのごとく、一際強い稲光が周囲へと散った。
兵衛がすかさず、槍で突撃を仕掛ける。深紅の瞳から流れる血涙は、果たして誰のためか――炎の色を映した穂先が、彼の力を受けて強く輝いた。
「我が槍の穂先でその命を絶てたのを最後の誉れとするが良い!」
雷すら貫く一撃。無辜の命を食らった虎狼は、遂に果てた。
●命ある限り
キメラが滅び、後には男が残された。
一通り感情を燃やし尽くしてしまったのだろうか。朋の羽交い絞めから解放された後、男は力なくその場に佇み、一向に口を利こうとしない。
「‥‥気が済んだか?」
ブレイズの声に、男は僅かに視線を動かした。戦いを終えた傭兵たちが男のもとへと集い、次々と言葉をかけてくる。
「大切なモノを亡くした今のお前の気持ちは俺も少しは分かるつもりだ。俺も大切な人を亡くした事があるからな」
兵衛の後を継ぐように、朋が静かに口を開く。
「でも、あなたまで死んだら‥‥誰が亡くなった二人に心から手を合わせてあげることが出来るんですか‥‥?」
男は、答えない。表情の揺らぎが、彼の心中を如実に表していた。
「親しい人が殺されたのは辛いと思う‥‥でも、あなたまで死ぬ事を望んでる人はきっと誰も居ないし、あなたが死ぬとそれでまた悲しむ人が他に出るかもしれない」
続いて歩み寄ったフィオナが、言葉を選びながら、穏やかに声をかけていく。男を見上げる彼女の目に、消耗した彼の姿は痛々しく映った。
「‥‥さっきも言ったけど、死に急いでも貴方の奥さんと娘さんは絶対に喜んだりしないわ。二人を想うのなら、二人の分も生きなさい。それをきっと望んでいるはずだから‥‥」
毅然とした態度で、アリカは男に言い放つ。一見冷たくも思える無表情の裏には、彼女なりの想いが込められていた。
男にも、それはきっと伝わったのだろう。口を結び、必死に気持ちに整理をつけようとするかの如く、小さく俯く。
「だから‥‥生きて」
フィオナが、背中を押すように言葉を重ねた。
「ま、復讐なんて下らねぇ事するより‥‥もっと他に出来る事があるんじゃねぇか・・‥?」
ブレイズが、素っ気無い口調で語りかける。彼自身、男に一言を叩きつけてやるつもりだったのだが、どうやら先を越されたようだ。そこに、先の戦闘で負った傷の手当てを受けていたギルが口を開いた。
「お前さんにしか出来ねぇ事が一つある。‥‥それが何か分かるか?」
こちらを向いた男の返答を待たずに、彼は続ける。
「――語り継ぐ事だ。この世界に確かに存在していたって事を伝えてやれ」
同じ道は歩めずとも、死者は生者の記憶の中で生き続ける。忘れ去られた時、それこそが本当の死であると、ギルは信じていた。
一方、紫峰は何とか男を励まそうとするものの、口下手が災いしてどうにも上手く言葉を見つけられない。内心であたふたしていたところに、ギルの手当てを終えた天城がおずおずとやって来た。
彼女もまた、紫峰と似た性質であるらしい。何度か口を開きかけるも、声にならないまま止まってしまう。
やがて、何を思ったのか。天城は、自らの荷物の中から日本酒の酒瓶を取り出し、男にずいとそれを勧めた。呆気に取られる男を前に、ようやく言葉を絞り出す。
「ただ命を捨てるくらいなら‥‥UPCに転職とか‥‥」
台詞との関連性は不明だが、未成年の彼女として、大人には酒が一番だと思ったのかもしれない。悲しみを全て洗い流すには、到底足りないだろうけれど。その不器用な気遣いは、凍てついた男の心に確かに届いた。
「――考えてみるよ」
酒瓶をそっと受け取り、男はやつれた顔にようやく微笑を浮かべる。その様子に、紫峰も胸を撫で下ろした。
まだ本来の笑顔には遠く及ばないとしても、それは男にとって大きな前進であっただろう。
「君たちには迷惑をかけた‥‥すまない」
傭兵たち、一人一人の顔を眺めた後、男が深く頭を下げる。そこに、アリカがもう一度口を開いた。
「‥‥私達は、貴方のように大切な人や物を失って苦しんでいる人達を何人も見てきたわ。だから、そういう人達を一人でも少なくするためにバグアと戦っているのよ」
先程より幾分か、その口調は柔らかい。男の目に光が戻りつつあることを見て取り、兵衛も言葉をかける。
「バグアへの憎しみは捨てなくても良い。能力者でなくとも、バグアと戦う方法はあるからな」
死者を悼むのも、戦うのも、命あればこそ。生きている以上は、自暴自棄にそれを捨てるべきではない。それが、死者を想うことにも繋がるだろう。
「‥‥貴方が挫けない限り、また新しい未来が開けるわ。‥‥しっかりね」
「――ありがとう」
その後、傭兵たちは男に別れを告げて帰投した。
男がこの先、いかなる道を選ぶのか。彼らが知ることがあるとしても、それは暫く後のことになる。
いずれにしても、彼は残された人生を懸命に生きるだろう。
どこまでも儚く、弱いからこそ。
大切な誰かへの想いを胸に、人は強くなれるのだから――