●リプレイ本文
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グラウンドに集まった多数の傭兵達。ホワイトデーを中止するか否かで陣営の別れた彼らは、静かに視線の火花を散らしてその時を待っていた。
今一度経緯とルールを確認しておこう。
まず、ホワイトデーが何であるか、ということは今さら説明すべきことでもなかろう。だが敢えて、説明する。多くの人にとっては当たり前すぎて退屈な話になるかもしれないが、まぁ我慢して欲しい。
ホワイトデーとは!
先立ってのバレンタインデーで、卑しくも女性からチョコレートなんぞを受け取り、世間一般に勝ち組と捲し立てられ浮かれ舞い上がった男共が、調子に乗ってホワイトチョコやらマシュマロやらを女性に三倍返ししてしまう狂気の宴である!(※偏見を含みます)
このような行事は即刻中止せねばならないと立ち上がったのが、悔しくもバレンタインデーで女性からチョコレートをもらえなかったと思われる男達。こうした人物が中心となり、中止派の勢力というものが生まれた。
だが、このホワイトデーを心待ちにしている人間も当然存在する。そんな人物らは推進派と呼ばれた。
この二派が激突するのは必至。互いに争う運命なのだ。
そのための本試合である。
題して、ホワイトデー争奪戦! ちなみに今命名した! 実行委員会が。
とはいえ、中止派が勝利してもホワイトデーがなくなるわけではない。中止派の勝利――いや、リア充共の敗北にこそ、意味がある。そう、リア充共の上に立つことこそが、中止派の目的なのだ。
どうだ、不毛だろう!
「こんな事してねぇで素敵な人を探せばいいのさ‥‥」
競技には参加せず、観戦しようというビリティス・カニンガム(
gc6900)は、グラウンドの外側に設けられたベンチに腰掛け全くの正論を呟いた。
そんなにリア充が憎ければ、それほど恋人が欲しければ、嫉妬にまみれて他人を恨み、呪うよりは、納得いくまで求めれば良い。
当然だ。当然だが‥‥。
「探したって、求めたって、手が届かないことも、あるんだ。でもな、俺は‥‥」
「ん?」
傍らの青年、村雨 紫狼(
gc7632)は、張りつめた表情。彼を知る人間なら、普段の朗らかさとは異質な雰囲気に、おや、と思ったことだろう。
決意か恐怖か。それとも緊張か。何か固い意志のようなものを感じさせる様子に、ビリティスは期待にも似た感情を芽生えさせていた。
何かを言おうとしている。何かを伝えようとしている。
その言葉をきっかけにしようと、ずっと待っていた。
これまでの関係を、終わらせることが出来るかもしれないと‥‥。
きっと、次の言葉で。
心臓が大きく跳ね回るのを押し殺し、先を促した。
「‥‥ノータッチを決め込んでいるからな」
YESロリータ、NOタッチ。
これは、村雨の信条だ。ロリコンで何が悪いかと。幼女大好きでも良いじゃないかと。彼はそう主張していた。
ただし一線は越えない。行き過ぎない。それだけは自らに強く強く言い聞かせてきたことだ。
こうしてビリティスを連れて競技の観戦に訪れたものの、そこに深い意味などないと。そう伝えた。
‥‥今は。
「そっか、兄貴だもんな!」
そう呼んで村雨を慕うビリティスは、ニカッと笑んでみせた。
あぁ、やっぱり兄貴だな、と。
その胸の内に、涙を滴らせながら。
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「実況はこの俺、ランク・ドール。お前ら、くれぐれもやり過ぎには気をつけろよ」
グラウンド全体を見渡せる位置に仮設テントを設け、用意されたテーブルに着いたランク・ドール。知り合いの話にはいはいと適当に返事をしていたら、何故か本競技の実況をやることになってしまったとのこと。どうしてこうなった、と考えるのは本人だけで良い。
いかに能力者達が争うフィールドとはいえ、ここはLHの一角。当然このグラウンドも所有者がいるし、相手は人間である。スポーツマンシップと節度を適度に守って楽しくヤりあいましょう。
だが、その注意がどれほど効力を発揮するのだろうか‥‥。
参加者の興奮は、今や極度に高まっている。彼らが待つのは、開始の合図それのみ。
ふぅ。ランクは溜め息。こうなれば、もうどうなろうと知ったことではない。やばいことになったら、その時はその時だ。
「じゃあいくぞ。ホワイトデー争奪戦2012、レディー――」
「うぉぉおおおおおおっ!」
合図を下そうとしたランクだったが、それを待たずして中止派がフライング気味に駆け出す。
慌てて待ったをかけようとするランク。しかしこれに呼応して既に推進派も動き出してしまった。
これを制止するのはあまりにも野暮か。
ええいもうどうにでもなれ。俺は知らん!
マイクを切って呟きながら、ランクは戦況を見守ることにしたのだった。
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「リア充は粛清だ! 爆発だ! 殲滅だ! しっと団の底力、今が見せる時! しっと戦車、突撃ィ!」
リアカーを、真っ白に塗装した段ボールで装飾したしっと戦車なるものに乗るのは、モテない傭兵達の対リア充テロ組織しっと団の総帥白虎(
ga9191)。
手の空いていそうな周囲の中止派に呼び掛けて戦車を押してもらい、自らはその中で檄を飛ばす。
この姿が、中止派にどれほどの激励となったかは言うまでもなかろう。
そしてしっと戦車は、そのために作られたのではない。その中には、とっておきの砲弾が用意されているのだ。
だが、まだその時ではない――。
まずは挨拶代わりの一撃だ。
「臨時しっと団、しっとレーザースタンバイ!」
「しっとレーザー、スタンバイ!」
すっかり嫉妬にまみれてしまった中止派の面々。
そして嫉妬界のカリスマ白虎の脅威的指導力により、中止派の一部はまるで軍隊のよう。
白虎が号令すれば、臨時の部下達が復唱する。
彼らが用意したのは、板のようなもの。複数人がそれを持ち、予め決められていたのであろう位置へと移動する。
しっとレーザーと言ったか。もしや、超機械? いや、SES搭載武器の持ち込み、使用は禁止されているはずだが‥‥。
「しっとレーザー、照射!」
「照射!」
次なる号令と共に、臨時しっと団人がその手の板をすっと持ち上げる。
板の正体。それは鏡。
降り注ぐ太陽光が反射に反射を繰り返し、やがて一点に収束して推進派側へと解き放たれた。
中央の木箱へ飛びかかろうとした推進派。しかしいきなり飛んできた濃縮太陽光――しっとレーザーに目を奪われた。
彼らは一様に悶え、地に伏し、以下のような言葉を叫んだ。
「うおっ、まぶしっ!」
「目がぁぁああああッ!」
これは大きなチャンス。中止派はこの隙にいただけとばかりに猛進を開始。汚い、さすがしっときたない!
しかしことはそう上手く進まない。しっとレーザーを逃れた者もいるわけだ。
雁久良 霧依(
gc7839)。彼女もそんな一人。
「あらあら、張り切ってるわね。チョコがもらえなくてあんな風になっちゃうなんて‥‥」
あれだけ派手に動けば、嫌でも目立つというもの。いや、目立ってこそというものだろう。
臨時しっと団の戦車やらレーザーやら‥‥。バレンタインデーにチョコレートをもらえなかったからこんな弾け方をするのだろうと見た雁久良は、哀れみを込めた溜め息を吐く。
嘆かわしい。実に嘆かわしい。
「愛を勝ち取る為にはもっとアグレッシブに生きなきゃ! ネガってる暇なんてないわ!」
そうだ、愛が欲しければ、自分をさらけ出さなくてはならない。受け身な愛よりも、積極的に働きかけて得なくては。愛とはそういうものだ。
と、雁久良は胸の内に決心を固めると、戦車の上に立つ白虎へと視線を向けた。
嗚呼、私好みのショタ――ゲフン。彼さえ止めれば、中止派勢力を一気に沈静化させ、かつ一連の負の連鎖をも断ち切ることが出来るかもしれない。
お忘れではなかろうが、本競技の目的は、木箱を自陣に運び込むことである。
いかに参加者同士が争おうが、最終的に勝敗を決めるのは運び込んだ木箱の数なのだ。
故に、真面目に木箱の奪取へ向かう者だって当然いるわけだ。
「やるからには徹底的にやるかぁ。かかって来い、中止派どもぉ」
木箱へ手をかけた中止派の男を蹴り飛ばし、レインウォーカー(
gc2524)は愉快そうに笑う。
ある人物に面白そうなものがあるから観に行こうと誘われ、調子良くついてきたら何故か推進派として参加することに。何故こうなった‥‥。
だが参加する以上手は抜かない。やるからには全力だ。
木箱をひょいと担ぎ、自陣へ運ぶべく移動を開始。
「うぉぉおおおっ、木箱を取らせてなるものか! しっと戦車GO!!」
しかし白虎がそうはさせまいと動く。改造リアカーを臨時しっと団員に押してもらいながら、彼のその手には水風船。
そう、これこそがしっと戦車の砲弾である。
「しっと砲弾、FIRE!!」
妙に良く回る舌で叫ぶや否や、手にした水風船を思い切り投げつけた。
ふわりと宙を飛ぶ水風船。木箱を担いで無理な挙動は難しく、飛んできたそれは膝にぶつかり、弾けた。
「はっ、そんなもん足止めにもならな‥‥?」
溢れるようにして飛び出た水。だがそれは、無色透明なそれでなく、赤。イタズラにインクでも混ぜられていたか?
いや、そうではない。
立ちこめる刺激的な香りが、レインウォーカーの脳に危険を訴える。これは、尋常ではないと。
むせ返る程の臭気。苦しいというよりも、痛いという感覚。これは――。
「ゲホッ、唐辛子なんか混ぜるなよ」
その臭いは目にまで達し、涙を誘う。
視界は歪み、脳は揺れ、周囲の状況が一気に把握出来なくなった。
思わず舌打ち。あまり好ましい状況ではない。
「もらった!」
この隙を突いた白虎の突撃。
レインウォーカーの担いでいた木箱はあっさりと奪い取られてしまった。
「毎度毎度精が出るなぁ、しっと団長どの‥‥ゲホッ」
咳込みながらも強がり。奪われたのではない、くれてやったのだとでも言いたげな光を瞳に、歪みに歪む目で白虎の姿を探す。
返事はなかった。
代わりに、レインウォーカーの言葉に反応した者がある。
「あら、精が出るなんて、随分直接的な表現ね。欲求不満?」
雁久良だ。
しかし姉さん、それは違います。精が出るって、そういう意味じゃないんです。えっちなのはいくない!
「ええい、うるさいリア充め! くらえ、この、これでもっ、えいっ、えいっ!」
欲求不満‥‥?
ああそうだ、それに間違いはない。でなければ誰が好き好んで血涙を流す思いで中止派に参加などするものか。
だが欲求といっても別に性欲がどうのというわけではない。
求めるものは、満たしたい欲は、リア充を粛正したいというそれのみ。
そしてこの場でのリア充とは、粛正すべき者とは、推進派の連中であると見て相違ない。
しかも欲求不満を指摘したということは、つまり、目の前の女性――雁久良は、欲求が満たされているということではないのか。ならば彼女はリア充だ。リア充に違いない。
粛正せよ。しっと団総帥としての自覚が、意識が、魂が、強く強く訴えかける。
大きく振り上げた手には、水風船。嫉妬が、ドス黒い感情が詰まったこの風船が、リア充を粛正するのだと。
投げつけられたそれには、そうしたものが込められているのは当然。そして物理的には――。
先にレインウォーカーにぶつけられたそれには液状化した唐辛子が詰められていたが、今度はどうだろうか。
「あぁんっ、イカ臭いわぁ」
イカ墨だ!
黒くどろりとした異様な臭いを放つ液体が、雁久良の胸といわず顔といわず、体中のありとあらゆる部位にねっとりとまとわりつく。
立ちこめるイカの香り。これが、雁久良の何かを刺激した。
もしかしたら、反射なのか。腰をくねらせ、なめかましく小指を唇に、潤んだ瞳に熱い吐息‥‥。何でか、とっても、悩ましい、です。
「でも可哀想。もっと早くに知り合えていたら、私がバレインタインにチョコをあげたのに」
多くの場合、イカ墨水風船などぶつけられようものなら怒り狂うのであろう。だが、雁久良の場合はそうではない。
感情は、哀れみか。
「こっ、断る!」
思いがけず投げかけられた甘い言葉。
だがこれに白虎は拒絶。
何故なら。答えは簡単だ。
「そんなことで義理チョコをもらったって、嬉しくも何ともない! 粛清だ、そんな甘言で我々非リア充を惑わす存在は、しっと団の名の元に誅する!」
そうして取り出したのは、巨大ぴこぴこハンマー(※SES非搭載)。
そのサイズは、なんと白虎の身の丈程(ただし白虎自身かなりの小柄)。名に恥じぬほどの巨大さ(に白虎には見える)のそれは、見る者を圧倒するような雰囲気を備えている(ような気がする)。
白虎はこの巨大ぴこぴこハンマーで雁久良を粛清しようというのだ。
「しっとハンマーをくらえ! 爆発しろ! セイヤーッ!」
勢いよく振り降ろされた巨大ぴこ――しっとハンマー。
だが素早く間合いに入った雁久良の手が、それをしっかりと受け止めていた。
すっと距離を詰めた雁久良は白虎を抱きすくめ、そのまま一歩、二歩と押すように歩を進める。
身長差の関係から、白虎の眼前には巨大な双丘が二つ、ドアップでそびえている。何が起こっているのか、これは一体どういうことか、白虎は咄嗟には理解出来ない。体からふわりと力が抜き出され、ただ、雁久良に押されるままに後退するのだ。
「ふふっ、爆発したいのは、あなたの方じゃないかしら? それとも、まだ早いかな。‥‥いいわ、お姉さんがちゃんと教えてあ、げ、る」
「え、いや、違――そうじゃ、え、え? 待っ、ちょ、アッー!」
気がつけば、背中にはぴったりとしっと戦車。押し込まれるようにして倒れ込めば、吐息を頬に感じる程近くに寄った雁久良の顔。
何があったのか?
‥‥敢えては語るまい。
ただ一言注意を入れるとすれば、別に卑猥なことはありませんでした。まる。
白虎が雁久良に気を取られている隙に、唐辛子攻撃から立ち直ったレインウォーカーはこっそり木箱を奪い返していた。
今ならば、容易に味方に有利に働けるだろうと。
だが彼には、一つ気になることがあった。
「あいつはどこで何を‥‥」
この競技に誘った張本人が、まだ姿を見せていない。
そもそも、何故誘ったのかもいまいちよく分からない。それでも推測は立てられた。
少なくとも、観客の中にはいないだろう。推進派陣営にもその姿は見えなかった。とすれば、考え付くことは一つ。
簡単なことだ。この場にいるのなら、消去法で考えれば良い。観戦に回っておらず、推進派にもいない。とすれば――。
「申し訳ありません。木箱を運ばせるわけにはいかないのですよ」
声の主は、音桐 奏(
gc6293)。
彼こそ、レインウォーカーをこのホワイトデー争奪戦に誘った張本人なのだ。
「やっぱりそっちにいたかぁ。それで、ボクを無理やり引っ張ってきた挙句敵側に参加してるのはどういう事だぁ?」
「騙して済みませんが私にも理由がありましてね。簡単なことですが」
何故、こうして対峙する必要があるのか。
そもそも、バレンタインデーだとかホワイトデーだとか、そういったイベントに興味があってここへ来たわけでもない。それは恐らく、音桐も同じだろう。
では、どういうことか。
「時には敵同士となり本気で戦うのも悪くないと思いませんか。昔の様に」
この言葉に、レインウォーカーは思わず笑った。
「‥‥くくっ、ははは。何があったか知らないけど面白い。その話乗った。久しぶりにやるとするかぁ、本気の戦いを」
木箱をそっと降ろす。
戦う。かつてのように。
今でこそ良き友人であり、互いに信用し合う相棒でもある。
そこに至るには、一言では語りつくせない経緯があった。そう、仮に彼らの胸に今も焼き付いているきっかけがなかったとしたら、今頃どちらかが‥‥あるいは両者とも、この世の者ではなくなっていたのだろう。
だが今では、争い合う理由などない。理由がないから、争わない。命を預け合う関係でありながら、傷つけあうことのメリットなんてなかった。
だというのに、音桐は戦おうと言う。
理由は何か。いや、今はそんなことなどどうでも良い。
せっかくの誘いだ、無碍に断るわけにもいかないだろう。いずれにせよ、断るつもりもなかったが。
睨み合う二人。どちらが先に動くか、何をきっかけに動くか。
少々離れたところで、しっと戦車がメキリと音を立てた。
「行きますよレイン!」
「望むところぉ!」
これを合図に、両者は飛び上がるかのように地を蹴った。
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競技の様子を観戦するビリティスの顔は晴れやかではなかった。
妙な緊張が、落胆が心を支配し、グラウンドの状況などまともに情報として入ってこない。どこか上の空とも言える。
覗き見た傍らの村雨。キュッと引き結んだ唇が、時々泳ぐ瞳が、決心と迷いを往復しているかのようだった。
それが、期待を生む。落胆を引き起こす。
先に村雨は言った。ノータッチを決め込んでいる、と。
だから、一々期待を抱く自分が何だか馬鹿らしく思えてくる。きっと自分に対しても、そうなのだろうと。触れてはくれないのだろうと。なのに気持ちを抑えることが出来ずにいる。それは、まだ自分が子供だからなのか? 子供だから彼は触れてくれないのか? 踏み込んでくれないのか?
押し潰されそうだ。
この場から逃げ出したくなる。
嗚呼、泣き出してしまいそう。
せっかく誘ってくれたのに。せっかくデートだなんて思い込んで舞い上がったというのに。
結局、自分は彼にとって妹のような存在でしかないのか。
‥‥いや、妹のような存在になれたことが奇跡だったのかもしれない。
そう思うと胸が締め付けられて、切なくなる。じっとしてなどいられなくなる。
彼は、村雨は‥‥、改めて見ると随分とたくましく見えた。横顔も、体つきも、その腕も。
今にもそこに飛び込みたい。叶うのなら、そのまま力一杯に抱きしめられたい。
妹分としてではなく――。
ふと、落とした視線に手が映る。右手だ。その薬指には、小さな指輪。誕生石であるダイヤをあしらったそれは、ホワイトデーに合わせて村雨がプレゼントしてくれたものだ。
右手薬指。そこを選んだ理由は、言葉には出来ない主張だった。左手ではいけない。この指輪だけは、自分自身の手では左手にははめることが出来ない。だから、右手に。そして、一番この指輪をはめたい指に‥‥。はめて欲しい指に。
気付いて欲しい。
伝えたい気持ちに。
伝えて欲しい気持ちに。
でも嘘は嫌だ。本当の心を、偽りのない心を。
それが、喩え望まぬものであったとしても。ありのままを受け止めてみせる。
沈黙には耐えられない。ただ憶測だけに支配される二人の静寂は、あまりにも重い。
「お、おぉっ! 推進派リードじゃねーか? 行け、もうちょっとだっ!」
堪らず捻り出した声が震えていたことは、自分でもハッキリと感じることが出来た。
もう、嫌になっていた。ずっとこのままでいることが、この場にい続けることが。
こんな生殺しのような環境に置かれて、手を伸ばしても届くかも分からないような光に縋っているよりは、早くこの状況を脱してしまいたくなる。
思わず送った声援が推進派に向けられたものであったことは、決してランダムではない。彼女の意識が引き起こした小さな主張であり、催促であり、きっかけだった。
「‥‥決めた」
小さく、村雨が呟く。
きっと誰にも聞こえなかっただろう。どんなに近くへ寄ったって、聞き取れた人間などいなかっただろう。
だがビリティスには分かる。彼女にだけは聞こえていた。
彼の言葉が。ずっと恐れていて、ずっと待っていた言葉が。
「俺は、普段から女の子にちょっかい出したり、空気読まないフリして、バカ騒ぎしたり女装したりさ。自分でもバカやってる自覚があるんだ。バカやりたくて、バカやってんだ。誰かの笑顔を守る為に、全力でバカやって、全力で戦う。そんな理想まみれの、ありきたりな正義感でさ。でもきっと、俺がバカやれば誰かが笑ってくれるって本気で信じてんだ。そのためなら、俺は周囲に正真正銘のバカだと思われたっていい」
つらつらと、溢れるように。
言葉が、感情が、開いた口から滝のように漏れ出す。
止められなどしない。止めようとも思わない。
ビリティスはそれを耳に、ただ視線だけをグラウンドに向けていた。一字一句聞き逃さないように、彼の本音を受け止めるために。
「でもさ‥‥俺自身は誰にも救われなかった。こんなに悲しみや憎しみに溢れた世の中だから、皆に笑って欲しい。そのために俺はバカやって‥‥。だけどな、俺だって悲しいよ。争いばっかりの世界は、俺だって嫌だよ。それを俺なりに隠して、俺が悲しみを背負うことで、一つでも笑顔が咲けばいいなんて思って。でも、悲しかったんだ」
こんな話、聞きたいとは思わない。
こんな湿っぽい兄貴分の姿を見たいとも思わない。
それは決して拒絶ではない。ビリティスなりの、受け入れだ。
何故なら、全部分かっていたから。
感じていた。意識することは、なかったかもしれない。でも彼のそんな気持ちをどこかで感じていたんだ。
だから今の気持ちがある。村雨に対する、曇りのない心がある。
「けどビリィ、お前の無垢な好意がどれだけ俺の心を救ってくれたか‥‥。どれだけ嬉しかったか‥‥。法律とか難しい事もあるけど、どんな想いでその指輪を送ったか‥‥」
「兄貴」
もういい。
もう言わなくてもいい。
きっとこのまま言葉を紡ぎ続ければ、村雨はきっと自分の感情に潰れてしまうだろう。
だから、これでいい。
この指輪でいい。
右手の指輪‥‥。そっと抜き取って、村雨の手へ。
返還ではない。
あらためて、送ってもらうのだ。
差し出した、左の手に。
「俺は‥‥。そうか、ビリィ、気づいていてくれたんだな」
小さく頷いてみせる。
そっと、村雨の手が自分の左手に添えられる。
ピンと伸ばした薬指。
そこへ、全ての気持ちが込められた指輪が納められてゆく。
これ以上の言葉はいらない。
これ以上交わす言葉はない。
これが全てだ。何にも代え難い、二人の全てだ。
それでも気持ちは押さえきれない。
気持ちを表すのは、いつだって言葉だ。
どんな時だって――。
「俺はっお前が欲しい、お前を愛しているんだあああっ!!!」
「あたしだって‥‥あたしだって好きだよ! 愛してるよ! 一生、兄貴と‥‥村雨紫狼と一緒だよっ‥‥!」
叫びだ。
何を言葉にしているのか、自分では分からない。分からないけども、偽りのない全てを吐きだしていることだけは確かだ。
心も、体も、最早距離などない。全てが一体となってゆく。重なり、融け合ってゆく。
気づけば、唇が触れ合っていた。
頬を、熱を帯びた雫が伝う。
三月の暖かくなりつつある風が一迅。祝福するかのように強く吹き抜けた。
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佐渡川 歩(
gb4026)は知っていた。
中止派のカリスマ的存在にまで上り詰めた白虎が、誰かのためにホワイトデーに合わせたプレゼントを用意していたということを。
そして佐渡川もまた、中止派に参加した身。中止派――それ即ち、リア充を滅する勢力。
このホワイトデー争奪戦成立の経緯をもう一度思い出していただければお分かりいただけるだろう。そもそも、中止派の成立が先に立って今回の争奪戦だ。対抗する推進派をリア充と見なすのはもちろん、それ以外にもリア充が存在すればそれを誅する。
だが見境なくリア充を襲えば良いというものではない。だからここは、敢えて対抗戦を設定することによって相手を限定し、それで妥協しようというのだ。
同胞。同志。
共に血涙を流す、中止派の面々。
ここに裏切り者がいるというのだ。許せん!
いかに雁久良の魔手を逃れてきたとはいえ、労いも労りも必要ない。
貴様もリア充だ!
「しっと団総帥という立場にありながら、僕を差し置いてリア充を続けるなんて! そんな総帥、粛清してやる!」
「僕はリア充ではないのです! 違うのです!」
「問答無用! チェアーッ!」
あんなことやこんなことがあり既にへとへとな白虎。
しかしそこへ襲いかかる佐渡川。
粛清だ。リア充でありながらしっと団の総帥を名乗るなど片腹痛い!
飛来する佐渡川を受け流す白虎。よろよろと押してきたリアカーの中には、どこで拾ってきたのか木箱が。
そう、佐渡川の狙いはこの木箱の方だ。
「あなたには任せられない! これは僕の手柄にするんです!」
これを奪取した佐渡川は自陣へ向けて走り出す。
背後では白虎が何か恨みごとのようなことを叫んでいるが、裏切り者の言葉など耳に入らない。
最早精根尽き果てた白虎に、これを追うだけの力は残されていない。だがよくよく考えてみれば、互いに中止派の人間。いずれにせよ自分らに得点が入る。なら、いいか。
「ふん‥‥物事を表面的にしか捕らえられぬ馬鹿者どもめ! そんなことをされては困るのだ!」
しかし佐渡川の行く手を遮る者がいた。
ルーガ・バルハザード(
gc8043)、推進派の人間だ。
そう、彼女のような人物からすれば、中止派の人間こそが誅すべき存在。いかに中止派の成立が先に立ち、それに付き合う形で推進派が起こったとはいえ、中止派に憎しみにも似た感情を抱く者もいた。ルーガのように。
「邪魔です、どいてください!」
「断る。ホワイトデーが中止となれば、お返しがいただけないではないか!」
「そんな不純な動機で――ッ!」
「黙れ! チョコが欲しければ、貴様にもくれてやったものを!」
「どうせお返しが欲しいだけだと言うのでしょう?」
「当然! 三倍でなァ!」
最早木箱をも放り出し、己が欲望を賭けての争いへと発展。
片や愛を求めて。
片や利を求めて。
「はぅはぅ、ルーガがんばってー、なの」
だが利を求めるルーガには、サポーターがついていた。
弟子でもあるエルレーン(
gc8086)。観戦者としての立場である彼女は、ベンチから檄を飛ばしていた。
彼女には中止派の思考が理解出来なかった。ホワイトデーに罪はなく、むしろ存在する以上、そこには必ず何かしらの意義があるはずだ。それを否定するのは、何だかおかしな話ではないのか。
(はぅはぅ‥‥あの人たちはモノゴトをヒョウメンテキにしかとらえられていないのですなの)
つまりは、リア充だから滅する。そんな考え方はあまりにも短絡的ではないか、ということだ。
真に誅されるべきなのは、他人の迷惑をも顧みずに所構わずいちゃつく、いわゆるバカップルではないのかとエルレーンは考える。
そう、愛の素晴らしさを知れば、中止派の人間もきっと目を覚ますに違いないのだ。
バレンタインデーの必然性、そしてホワイトデーの有用性に気づくはず。
なればこそ、ルーガの勝利は必須。
当然エルレーンの応援にも熱が入る。
「えぇい外野め! 失せなさい、僕のアイデンティティのために!」
「はぅはぅ、ルーガ今なの!」
挟まれた外部からの声に集中力を一瞬失った佐渡川。
その隙を突いたルーガが当て身をかます。
「もらった!」
思わず取り落とした木箱を、ルーガが奪取。そしてくるりと反転するや、自陣へ向けて猛ダッシュ。
意図せず二人の連携プレーとなったようである。
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音桐とレインウォーカーの戦いは熾烈を極めていた。
というのも、ただ殴り合うだけでなく、木箱の存在をも意識した戦いである。隙あらば味方に向かって木箱を投げるなり蹴り飛ばすなり。その間に拳を交わすのであるからグラウンドの中央はまさに格闘技のリングのようでもあった。
「はっ」
木箱に手をついたレインウォーカーはそのまま逆立ちの体勢。勢いを利用して体をぐるりと回転させ、投げ出した足に遠心力を乗せた。
背後に音桐が迫っていることを感知していたのだ。
しかしその体勢から繰り出された蹴りを、音桐は読んでいた。
互いの戦闘スタイルは熟知している。対処の方法を弾き出すのは一瞬だ。
飛んできた足をさっと掴んだ音桐は、遠心力の働く力を下方へと向けた。
予期せぬ方向へ運動エネルギーを逸らされたレインウォーカーは、地に突き立たんとする自らの足に引っ張られるようにして木箱から引きはがされた。
「もらいますよ」
この瞬間に、音桐は木箱を自陣の方へと蹴り飛ばす。
だがその先に、レインウォーカーが回り込んでいた。
「何と!」
「そら、パスだぁ」
放り投げられた木箱は推進派の手に渡り、運搬されてゆく。
残る木箱はなし。あれが最後だ。
競技の残り時間は、それがいずれかの陣へ運び込まれるまで。
今から木箱を追うか?
否。
「せいっ!」
「よっ」
なれば雌雄を決する。
いずれが勝つか、いずれの力が上か。
音桐は振り向き様の回し蹴り。
その膝を押さえこむように手を添えたレインウォーカーが飛び上がる。空中で体を捻り、降下に合わせた蹴り落とし。
だが音桐もやられない。上体を逸らすようにしながらレインウォーカーの膝裏に腕を通し、ぐいと引き倒せば空中で姿勢を崩したレインウォーカーが地に落ちる。
倒れ伏した彼に立ち上がる隙は与えない。
瓦割りの要領で、拳を素早く頭部へ突き入れる――寸前で、止めた。
「‥‥負けたぁ」
「引き分けですよ」
この瞬間、最後の木箱が推進派の陣地へと運び込まれた。
勝負は決まった。二人の戦いは音桐に軍配が上がり、ホワイトデー争奪戦の競技としての勝敗は推進派の勝利という形になったのである。
●
「ぐぬぬ、何故ボクがこんなことを。おのれリア充めェ」
競技終了後。
白虎は運営に混じってグラウンド整備を行っていた。
しっと戦車や水風船で散々荒らしまわったのだから当然である。
ボヤいてもしょうがない。ちなみにこれはリア充のせいというわけでもない。
自業自得。中止派が負けたというのも悔しい。それだけでなく、なんだか体がイカ臭いのが気に入らない。
掃除どころか、グラウンドに大穴の一つでも開けてやりたいような気分だった。
その外では、音桐とレインウォーカーが煙草吹かしていた。
「何があったか知らないし興味もない。けどまあ思ったよりも愉しめたよ、今日はぁ」
「ふふ、それはよかった」
結局のところ、理由はよく分からない。
ただ音桐が、互いに争う立場になるよう競技に参加し、実際戦うことになったのだ。
だが理由など関係ない。愉しかったというその感情だけがあれば良い。
「明日からまたよろしく頼むよ、相棒」
「こちらこそよろしくお願いします。相棒」
小さく拳を突き合わせる。
二人の間には、それだけで十分だった。