タイトル:【厄】帰還マスター:矢神 千倖

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/10/26 03:49

●オープニング本文


「大した役者ね。呆れを通り越して感心するわ」
「君の言い方には感心を通り越して呆れるがね」
 移動用の車両の中、スコット・クラリー少佐とその部下としてつけられたレベッカは皮肉を言い合っていた。これはこれで、この二人なりのコミュニケーションの取り方らしい。いちいち腹を立てるような様子も、ない。
 涼しい顔でそんな冗談を飛ばすレベッカであるが、ちょっと視線を落として右足へ向けると、裾から伸びているべき足首から先がなくなっていた。
 隊の初陣となった前回の戦闘で受けた手痛い敗北。その撤退の最中キメラに噛みつかれ、彼女は片足を失ってしまったのだ。
 しかしレベッカは命があるだけ幸運であった。あの戦いでは、隊員五名が戦死し、さらに三名が光を失って退役した。
 二十人いたクラリーの隊員は、今や十二人。かなり減ったものである。
「それで、よくここに漕ぎつけたものね。予測してたのかしら」
「偶然であるよ。連中の当てつけであろう」
 彼らの向かう先は、かつてクラリーが預かっていた基地である。当時は前線の範囲に入る街に存在していたが、今は戦線が押し上がったことですっかり後方の基地となった場所である。
 クラリーはここでの行いを咎められ、降格処分を受けた上に前線で危険な任務を請け負う隊を任されることとなったわけである。
 それが何故、この基地へ戻ってくることとなったのか。
 簡単にまとめれば、「初戦で半数近くも隊員を失った隊長さんに前線での戦闘なんて無理だよね、君はこの後方の基地の下っ端戦闘員でもやってなさい」ということである。
「てっきり、あの基地へ戻されることまで予見して敗北を演じたのだと思ったわ」
「それで役者、か。私はそこまでの脚本は書けぬよ」
「どうかしら」
 基地は、目の前まで迫って来ていた。

 基地は基地としての力を求められなくなり、極端な縮小が行われて閑散としていた。それが、クラリーが赴任していた頃の状態だ。その中でもなんとか基地を動かしていくために、クラリーは予算を誤魔化すなどしてやりくりしていたとされている。
 それが、どうだ。
「スコット・クラリー前司令の到着である。総員敬礼!」
 基地の前に到着し、車両を降りたそこには、百数十人の兵がずらりと立ち並び、わざわざ花道まで設けて出迎えていたのである。
 クラリーがいた頃より、圧倒的に兵の数が多い。
 そういうことか。クラリーは呟いた。そして率いる隊員を伴い、歩いた。
 花道の先に立っていたのは、クラリーと同い年くらいの男だった。階級章を見るに、中佐である。
「お待ちしておりました、スコット・クラリー大佐殿‥‥いや、今は少佐でしたな。私はライオット・アロガン中佐だ。この基地を預かっている」
「スコット・クラリー少佐。ただいま到着しました」
 敬礼を交わす。
「少佐が赴任していた頃とは様子が大分変っているだろう? 感謝したまえよ、私の力と人望で、この基地をここまで立てなおしたのだ。なかなか骨だったよ」
 そう言って、ライオットはくくっと笑った。
 もちろん、それは嘘だとクラリーは見抜いていた。当時大佐だった自分があれだけ冷遇を受けていたというのに、中佐であるこの男にこれだけ与えられるというのが、そもそも力だとか人望だとかいったものだけで裏付けられるようなものではないのだから。
 そも、上層部がクラリーを嫌って与えなかっただけなのである。察するにこのライオットという男は、上の愛犬なのだろう。
「まあまずはゆっくりと休むことだ。我々は丁度付近でワームによる偵察を察知していてね、これからそれを落としにゆくところだ。少佐は吉報を待っておれば良い。諸々の話はそれからしようではないか」
 はっは、と笑うと、ライオットは基地の中へ消えていった。
 やることなすこと、わざとらしい。第一、これから出撃だというのに、わざわざ出迎えのためにこれだけの兵を並べるというのも異常だ。よほど当てつけたいらしい。
 だが、出撃するというのであれば、その手腕を見ておく必要はあるだろう。
 クラリーはレベッカに口を寄せると、傭兵の手配を言い渡した。
 ライオット子飼いの兵の力を見、報告を入れるようにと。

●参加者一覧

乾 幸香(ga8460
22歳・♀・AA
レティア・アレテイア(gc0284
24歳・♀・ER
ロシャーデ・ルーク(gc1391
22歳・♀・GP
ドゥ・ヤフーリヴァ(gc4751
18歳・♂・DF
秋姫・フローズン(gc5849
16歳・♀・JG
茅野・ヘルカディア(gc7810
12歳・♀・SN

●リプレイ本文


 基地を飛び立った四人の兵が駆るのは、今なお第一線で活躍するKVフェニックスだ。かなり劣悪な環境での戦闘も強いられることの多い軍にあっては、恵まれた戦力が与えられていると言っても良い。
 確認されたというHWは六機。KVを飛ばせばさほど時間のかからない位置にあり、これを撃墜、あるいは撃退するのが彼らの任務だ。
 数の上では相手の方が多い。また、基本的にはバグアの戦力の方が人類を上回っているのだから、まっとうにぶつかるのならば死にに行くようなものである。
 しかし、彼らは陽気だった。
「こいつはいいぜ! このフェニックスなら負ける気がしねえ」
「全くだぜ。ちゃちゃーっと片付けてよ、ちょっと怪我したように見せて衛生のネェちゃんのとこにでも行こうぜ」
「おいおい、テメェんじゃ相手にもしてもらえねぇよ」
「ンだ!? 馬鹿にしやがって、後でホンモノを見せてやる!」
 色々と下品である。が、これがエリートだというのだから、世話がない。
 そう、エリートだからフェニックスが与えられている。この様子からして、優れた能力の持ち主、という意味のエリートではないことは容易に想像がつくだろう。
 そんな彼らが飛ぶ様子を、遠方より観察する影が六つあった。それは、HWなどではない。
「‥‥あれが‥‥エリート‥‥?」
 スナイパーライフルのスコープを覗き、茅野・ヘルカディア(gc7810)が呟く。その会話の内容がどうというわけでなく、ただ単に観察対象を見つけて発しただけの言葉である。
 彼女らの任務が、それだ。相手にそれと悟られぬように、その手並みを観察しようというのである。
 どうやら、気付かれている様子はない。大分離れた距離ではあるが、ギリギリの観察は可能。どうやらレーダーの範囲外に上手くつけたらしい。
「久しぶりの依頼は偵察任務か」
「だからって気を抜かないで。デリケートな任務だから」
「フヒヒ、分かってるって」
 ロッテを組んだ相手に観察を任せ、不測の事態に備えるドゥ・ヤフーリヴァ(gc4751)は、若干の物足りなさを臭わせるような言葉を吐いた。
 これを敏感に受け取ったのはロシャーデ・ルーク(gc1391)。以前、クラリー自ら出陣した戦いで苦い経験をしている彼女に、失敗は許されなかった。あの時の悔みを、晴らさずにはいられない。だから、気を緩めることは出来ない。
 そして、同じ立場の傭兵がもう一人。
「‥‥無線傍受‥‥開始します‥‥」
 秋姫・フローズン(gc5849)だ。彼女もまた、失敗を繰り返すわけにはいかないといった思いでこの任務に携わっていた。
 周波数を合わせ、前方を横切るようにして飛ぶ四機の会話の記録を開始する。
『帰ったら、あのネェちゃんの胸にむしゃぶ――』
 声が聞こえてきたかと思うと、秋姫は即座に傍受装置の電源を落とした。何故かはよく分からないが、体が勝手にそう反応したのだ。
 実に賢明である。
「傍受は‥‥戦闘が始まってから‥‥再開します‥‥」
 恐らくそれが無難であろう。
 しかしここまで離れていては、一応の観察は出来るものの、やりにくいと感じたのだろう。
「もっと近づいてみましょう」
 乾 幸香(ga8460)はそう提案した。
「その方が観察しやすいでしょうね」
 と、レティア・アレテイア(gc0284)も提案に乗る。
 だが、これにロシャーデが待ったをかけた。
「見つかったらどうするつもり?」
「周辺状況の把握を主とした偵察任務と言い、嘘がばれない様にすれば問題ありませんよ」
「‥‥大分苦しくないかしら」
 レティアの言うそれを素直に相手が信じてくれれば良いが、どうしてもそう上手くいくとは思えないロシャーデである。
 そして、本当の問題はそこだけではない。が、彼女らはまだそこに気付いていなかった。
「いざとなれば助太刀すればいいんですよ。大丈夫、上手くやります」
 そこまで言われては、ロシャーデも説得のしようがない。
 渋々肯定すると、乾、ドゥ、レティア、秋姫の四名が先を飛んだ。ロシャーデと茅野はその場に留まり、遠望による観察を行う。
「一緒に行かなくて良かったのですか?」
 ふと、茅野がそんな疑問を漏らす。
「遠くから全体を見ることで得られるものもあるわ。何かあったら、助け舟を出しましょう」
「分かりました‥‥」
 そんな、判断である。


 兵の肉眼が、うっすらと点のような飛行物体を捉えた。撃破対象のHWである。まだレーダーの範囲にまでは接近していないが、流石に一応は訓練を受けた兵だけあって、それまでのふざけた調子がにわかに消える。
 ‥‥というのも、飽く迄彼らの基準によるものではあるのだが。
「来やがったぜ。この最高のマシンでプチッとやっちまおうぜ」
「ああ。負ける気がしねえや」
 といった様子。
 訂正する必要があるだろう。下品な冗談を言わなくなっただけ、と。
「おい待てよ。レーダーに変なのが映ってるぞ」
 ふと。誰かが言葉にする。進行方向に対して、側面。
 回り込まれた!?
 四人が一斉に緊張。肉眼による確認を行う。
 が、どうもHWのようには見えない。むしろ‥‥。
「KV? なんだってこんなところに」
「待て、今コンタクトを取る」
 それは、彼ら兵達を観察するために接近を試みた傭兵達だった。
 もちろん、兵はそのことを知らない。だから不審がったのだ。
「そこのKV、こちらはUPC欧州軍所属のKV部隊である。そちらの所属を述べよ」
「ULT所属の傭兵です。この空域の偵察任務を受け、現在その活動中です」
 通信に応えたのは、レティアだ。内容は先ほどロシャーデにも答えた通り。それで押し通すつもりのようだ。
 しかし曲がりなりにも、相手は軍人である。
「そんなはずはない。ここは間もなく戦闘空域となる。何の通達もなく、ここ一帯の偵察が行われるなど、非常識だ」
 それが妙なことであるくらいは、見抜いていた。何かの拍子で通りかかった、というのならばまだしも、これからドンパチやろうという場を現場とする他の依頼があること自体、普通あり得ないのだ。
 う、とレティアが返答に詰まる。そう切り返されることを想定していなかったのだ。嘘をついている時は、往々にして想定外のことへの反応が鈍るものである。
「すみません、気付かないうちにコースを外れてしまったようです。引き返しますね」
「そうか、気をつけろよ」
 咄嗟に切り返したのが乾だ。
 一瞬ひやりとした一同だが、この機転にホッと胸をなでおろす。‥‥暇もなかった。
「いや待てよ、こいつはツイてるぜ」
「何がだよ?」
 兵達が、そんな会話をし出したのだ。
「おいお前ら、武装してるな? 今からあっちに見えてるUFO共をぶっ潰す。手伝ってくれよ、な?」
 迂闊に接近するのではなかった。流石に乾でも、これでは言葉が出ない。
「そうは言ってもこっちは傭兵だし、報酬が出ないなら無理に協力するわけにはいきませんよ」
 何とかその場を切り抜けようと、ドゥが言葉を返す。
「いずれにせよ、近くで偵察してんだろ? お前らも見つけちまったはずだぜ、あのHWをよ。見つけちまった以上、放ったまま帰って報酬もらおうなんて都合良すぎるぜ」
「そうだそうだ。だいたい、俺達と接触しなきゃ、この辺も偵察してたんだろ? 結局変わらねぇよ」
 ここまで言われてしまっては、流石に巻き返せない。
「‥‥分かりました。ですが‥‥あれの撃墜が貴方達の任務なら‥‥こちらはサポートに徹します‥‥」
 仕方がない。秋姫はそう条件を出すことで、承諾した。
 だが、問題がある。あるからこそ条件を出したのだから当然ではあるが、これでは兵の実力を十分に測ることが出来ない。
(やはりロシャーデさんの言ったように、遠くから観察しておけば良かったかな)
 乾は密かにそう感じていた。


 HWとKVが互いの射程に入った。市街地の上空。形を残したままでの墜落や撃墜が許されぬ中、戦闘が始まった。
 真っ先に飛び出した四人の兵が、一斉にロケットを放つ。
 敵は六機のHWだ。さっと散開してミサイルを避けたかと思うと、上から下からと包囲網を形成した。
 と、彼ら兵達は感じた。
 実際には各個撃破を狙っているらしい。だが、場数の少ない彼らにとっては混乱から正常な状況把握が出来なくなっていたのである。
「やべえ、囲まれたぞ!」
「くそが! 誰だよ最高のマシンとか言ったやつ!」
 最早見境なし。彼らは滅茶苦茶にバルカンやロケットをばらまき始めた。
 下は、市街地。この戦い方を許せば、やがては街に被害が出ることだろう。
 それを、見過ごすわけにはいかない。
「さすがエリート部隊。この程度の敵にはやる気は出ないと言う事ね」
 レティアはそう言うが、皮肉っている場合ではない。
 ドゥがミサイルを放ち、一機のHWを爆煙に包んだ。
「援護‥‥行きます‥‥!」
 黒煙を狙い、秋姫が光線で貫く。天へと伸びたそれが、円盤を確実に捉え、霧散させた。
 これに、兵達が歓声を上げる。
 数で言えば、人類優勢。兵は最早囮と化しているが、傭兵達は手際良く戦力を展開していった。

 その様子を遠望していたロシャーデと茅野。
 やはり、とロシャーデは呟いた。
「そう簡単にいかなかったようね。‥‥さて、全体の動きを撮影するのはこんなものでいいかしら」
「では‥‥?」
「ええ。行くわ」
 加勢に入るか。そんな茅野の問いかけにロシャーデは頷いた。
 こうなってしまえば、これ以上観察対象の情報を得るのは不可能だろう。ここで参戦しなくては、後になって後ろ指を指されることにもなろう。そんな面倒事はごめんだ。

「‥‥手を貸しに‥‥来ました‥‥」
「交戦状態に入ったとか言うから来てみたら‥‥。偵察に来て正解だったわね」
 二人が戦列に加わった時には、既にHWの数は二機にまで減っていた。
 幸いにして、味方の被害は少ない。街に被害が出た様子もなかった。
 情報収集はともかく、戦闘自体は楽に終わりそうだ。
 一同は、安堵しかけた。だが、そう簡単に終わるわけがないのである。
「何だ、味方か? ッハァ! こいつはやれるぜ!」
 とたんに元気が良くなった軍人達が、一斉に前へ飛び出したのだ。
 ここでHWを撃墜出来れば、手柄になる。さらに出世して、エリートとして高みへ登るのだ。だから彼らは、なりふり構わない。
 その動きは滅茶苦茶。どうせ誰かがフォローしてくれるとでも考えているのか、HWの真正面から遠慮なくミサイルやらバルカンやらをばらまいて行く。
「‥‥何かしら。あの無様な戦いぶりは」
 お世辞にも鮮やかとは言えない戦い方に、ロシャーデは思わず嘆息する。
「言っている場合じゃありませんよ。私達も、行きましょう」
 やはりため息混じりに言った乾。
 だが、たった二機までに減ったHWを落とすのは、いかに無茶苦茶な戦い方をする軍人が一緒とはいえ、さほど困難なものではなかったのである。


「とんだサプライズが入ったものだ」
 報告を聞いたライオットは手を叩いた。付近を飛行していた傭兵が、戦闘に介入したというのである。
「残念だ。私の部下の力を存分に見せつけられなかったのは」
「いずれにせよ助太刀は助太刀。彼らを基地に招き、礼の一つでも述べるべきでは?」
 にたぁと笑みを浮かべるライオットを前に、クラリーは表情を崩さず提案した。
 面白くない。ライオットは吐き捨てる。
「では代理で出迎えてこい。礼を述べるのと、燃料補給してやるくらいにして、即刻帰すように。居座られては不愉快だからな」
「了解」
 クラリーは大げさな素振りで敬礼をすると、そのままくるりと背を向けて部屋を後にした。
 ふん、とライオットは鼻を鳴らす。そして部屋に備え付けられた受話器を手に取った。


「お久しぶり‥‥です‥‥」
 加勢の礼として燃料補給の申し出、それにありがたく乗っかった傭兵達は、作業が完了するまでの間、基地の客室で休憩することになった。
 ただ待たせるわけにもいかない、ということで、クラリーが挨拶に訪れたわけである。
 それに誰よりも早く反応したのが、秋姫だった。
「しばらくだな。‥‥当基地所属のスコット・クラリー少佐である。諸君、今回の加勢、御苦労だった」
 小さく会釈。
 それに合わせて、レティアがすくっと立ちあがった。
「初めまして、此れは‥‥」
「早速で申し訳ないが」
 ポケットに手を入れ、何かを取り出そうとするレティアの姿を見て、クラリーは素早く言葉を遮った。
 ポカンとするレティアだが、それを気にしてやることもない。
「念のためだ。身分証を見せてもらおう。ULTから発行されたものがあるだろう」
「あ、はい」
 ごそごそと身分証を差し出すレティア。
 それを確認する様子を見て、ロシャーデはその意味に気付いた。何度となく彼に関わってきた彼女だからこそ、ピンときたのだろう。
「二人も身分証を見せれば、十分かしら」
 そう言って、彼女も自らの身分証を提示する。その下に、小型のデータディスクを重ねながら。
 受け取ったクラリーは、ディスクを誰にも見られぬような手つきで自らのポケットへ忍ばせた。
 こうしたやりとりがあったことは、当人達二人にしか分からない。今知られてはならないのである。
「あの、クラリー少佐‥‥」
 だから、乾は焦った。せっかくのデータを渡す機会を失ってしまう。そう感じたからだ。
 こうなるのであれば、受け渡しの方法も考えておくべきだった。
 このまま渡せずにいれば、任務を全う出来たとは言えない。
「何、余計なことなどではないよ。こちらとしても、戦死者が出る可能性があったのだ。だからこうして、燃料の補給を――」
「いえ、そうではなくてですね」
 どう言ったものか。
「私達の‥‥情報は‥‥大丈夫でしょうか‥‥?」
 秋姫が助け舟を出す。
 これで少佐が気づいてくれれば。乾は祈った。
「‥‥十分だ。諸君の情報は確かに預からせてもらった。後で確認も必要だろうが、問題なかろう」
「それは、良かったです」
 何とか気づいてくれた、と安堵すると共に、彼女自身、ようやく気付いた。
 あの身分証を提示した場面で、既にデータが渡されていたことに。


 外は晴れていた。暗い青の世界が、広がっている。決して、美しくなどない。
「お母さん、お父さん‥‥今日も生き残ったよ」
 そんな空へ向かい、茅野は手を伸ばしていた。その手はあまりに弱々しく、そこにある何かを掴もうとするよりは、触れようとしているかのようだ。
 彼女は、人の輪の中にいることが出来なかった。狭い部屋に、生命の行方を共にした者達といえど、人と共にいることは、彼女に耐えがたい何かを植え付けることだった。
 その肩を叩いたのは、ドゥだ。
「どうかした?」
「!」
 ビクリと震えた茅野だが、動揺はなかった。
「‥‥何でもないです」
「そう。ならいいけどさ」
 彼女は、また空を見た。
 ドゥも、共に空を見た。
 重苦しい青の片隅に、赤い月が嗤っていた。