●リプレイ本文
暗く細い通路の先に問題の倉庫はあった。足元だけはコンクリートで補強されていたが、側面は岩盤がむき出しになっている。所々結露したかのように水滴が溜まり、その僅かな水分を競うように苔が住処を居場所を争っていた。
「少し暗いですね」
水路の調査から戻ってきたユーリ・ヴェルトライゼン(
ga8751)は天井に下げられている唯一の裸電球を睨んだ。風は無いが、虫が激突を繰り返しているため絶えず細かく揺れている。工場長は確かに倉庫と呼んでいたが、水気が多く虫のいる場所では食糧は元より金属も腐食が進む。武器であれ弾薬であれ、余り良い保管場所とは言えないはずだった。
「倉庫だから照明は普段使わないと言う事なのかも知れませんが、これでは心許無いですね。他に部屋があるという事はありませんか?」
「無いと思いうね」
沙玖(
gc4538)が視線を下げたまま答える。
「足元見てくれ。結構虫沸いてるだろ」
ユーリも地面に目を向けると羽蟻のような昆虫が地面を這っている。何匹かが必死に彼の足を登ろうとしていた。
「コイツ達の動きも見てたんだけど、他の場所に逃げてる様子は無いんだ。ここは多少手は入れられてても見た目は基本天然の洞窟、そこまで本格的に改造したって訳じゃないと思うぜ」
話を聞きながらユーリは足を登る昆虫を一匹摘み上げる。見たところ特におかしな点は無い。逃げようと足を動かしているが、指に襲うような素振りは見せない。キメラではなく純粋にただの虫なのだろう。
「どちらにしても倉庫には向いているとは言えませんね」
「それに関しては他の人も同意してる、勿論俺もな。そもそも虫に関しては沖田の発見だ。シュミレーター経験がある分、余裕があるってことだろう」
「その肝心の他の人の姿がないが」
「ブロントは黒瀬さんと連絡中、五十嵐と沖田は罠を作りに行った。もうすぐ戻ってくると思う。ところでそっちの調査結果は?」
「揃ったら話そう。工場長には聞かれたくないからな」
ユーリは摘んだ虫を倉庫の出入り口に向けて投げつける。だが虫は扉にぶつかる前に羽を広げ、二人の視界の外へと逃げていった。
五分後、倉庫に五十嵐 八九十(
gb7911)、黒瀬 レオ(
gb9668)、沖田 護(
gc0208)が戻ってくる。ブロント・アルフォード(
gb5351)、倖石 春香(
gc6319)の姿は無いが、それぞれが自分の立ち位置と武器を確認する。
「ブロントさんからはキメラを見つけたという連絡が入りました。誘導が成功すれば間もなく来るだと思います」
「失敗する見込みは?」
「脇道があればそちらに逃げるかもしれません。だが無かったのでしょう?」
黒瀬がユーリの顔色を伺う。
「それに関しては保証しましょう。そのようなものがあれば、作戦に大きな支障をきたします」
「それはそうですね。ところで工場長の方はどうだったのですか?」
五十嵐も思い出したように声を上げた。
「倖石さんが付いています。結構親しく話されていましたから、それなりに信頼を得る事ができたのかと思われます」
「突如裏切る可能性もありますが」
「工場長が一般人なら能力者から逃げる事はできないでしょう。もしそれでも逃げ出すようなら声を上げてくれるよう頼んでおきました」
「エミタの有無は?」
「残念ながら確認できませんでした」
黒瀬は小さく首を振った。
「本当に無いかもしれないんだから仕方ないだろ」
尊敬する先輩のために沙玖が即座に助け舟を出す。それに沖田も便乗した。
「露骨に怪しんでは向こうも態度を硬化させていますからね。ところで罠には上手く引っかかってくれるのでしょうか?」
「すんなり罠にはまって来てくれれば楽なんだけどな‥‥いや、案外罠にはまっているのは俺たち、か?」
「それを判断するのは今からです。こちらとしては苦労して準備しただけの見返りは求めたい所ですが」
五十嵐が怪訝な顔を浮かべる。この日のために準備してきたアイテムなのだから、上手く作動してくれればこの上ない。もし上手く行かなかったとしても、今後のために原因を知りたいというのが気持ちがある。逸る気持ちを深呼吸で落ち着かせながら水路のある方へと視線を向ける。銃声が響いたのはその後間もなくの事だった。
同時刻、倉庫の外の一室で工場長と倖石が静かに紅茶を飲んでいた。休憩室らしく室内は白と緑で統一されている。椅子とテーブルも脚は白で統一され、樹脂特有の淡い色合いを出している。落ち着いていると言う反面、どこと無く病院のような印象を倖石は感じていた。
紅茶を一口含む。忘れていた温かさが静かに身体を包んでいった。
「案外いいものを飲ませておるんじゃな。従業員が羨ましいぞ」
「それなりのものを出さなければ士気が上がりませんからね」
額を手で押さえながら工場長は話す。
「このご時勢ですからね。KVの部品なんかを発注されている所はともかく、私共のような小さな町工場では納期に数時間遅れただけでも死活問題ですので」
「前例でもあるのかね?」
「専門学校時代の同期が首を吊りましてね。納期遅れが直接の原因というわけじゃないんでしょうが、仕事が他所の会社に持っていかれたそうです」
「特需と騒ぐ連中もいるようだが、それが現実というものじゃろうな。だがこの騒動でそなたの納期も問題になるのではないのかね?」
「ははは」
工場長は乾いた笑いを浮かべながら茶を啜る。本来なら稼動しているはずの機器類がすべて止まっているせいだろう。二人の話す声、茶を啜る音、全ての音声が吸収される事無く無駄に広い作業場で反響している。
「一応私も工場長です、ここで首を吊れば付いて来てくれている部下が路頭に迷う事になります」
そこまで口にして工場長は席を立った。
「済まない、用を足してくる。歳のせいかどうも近くてな」
「場所のせいじゃろう? ここは寒いからな」
茶を飲み干し倖石も席を立った。
「一応これでも護衛役なのじゃからな、ついて行こうぞ」
「お手数おかけします」
「顔も洗った方が良いぞ、人形師としての忠告じゃ」
背を向けたまま工場長は静かに頷いた。
銃声に遅れてブロントの声が響く。
「ワニが来ます。二匹です」
「残る一匹は?」
「罠にかかりました、遅れてくる事になります。まずは二体を処理してください」
「了解だ」
始めに飛び出したのは沙玖だった。サングラスを一度かけなおし、忍刀「颯颯」を手に走りこむ。だが三歩進んだ所で踏みとどまったってしまう。姿を現したシルバーの左腕がワニの口内に飲み込まれていたからである。
「大丈夫か」
「気にしないで良いです。痛みがあるので神経は切れていません。それに口を塞いだわけですから光弾を封じる事にもなります」
「分かった。沖田、治療を頼む」
「了解です」
「俺も手伝おう」
沖田に続き五十嵐もバンダナを手に瞬天速で駆け寄る。
「サングラス無かったので、こっち手伝わせてください。このまま口を封じましょう」
「分かりました」
シルバーは再度握り拳を作り感覚を確かめる。ワニの舌が何度も嘗め回して来るが直接的な痛みは無い。どちらかと言えば付近の虫が発てる羽音の方が耳障りだった。
一方もう一匹のワニにはユーリ、黒瀬、沙玖が向かう。正面に立ちはだかるのは黒瀬だった。紅炎を青眼に構え、ワニが攻撃を仕掛ける事と逃走に転じる事の両方を視野に入れる。側面にはユーリと沙玖がそれぞれ機械剣「ウリエル」、忍刀「颯颯」を構える。
「どう出てきますか?」
先に動いたのはユーリだった。彼の背後には弾薬が積まれてある。そこからワニを離れさせるためである。だがワニの方も正面を向いたまま尻尾で応戦、ウリエルを叩き落しにかかる。そこで反対から沙玖も攻勢に転じるために一瞬だけ覚醒する。
「できればしたくないんだけどね」
狙うのは腰、刺した後に反転させられれば御の字であるがそこまでは求めていない。そして黒瀬もソニックブームを放った後で再度距離を詰める。
「いきますよ」
「いつでも」
沙玖が腰に忍刀を突き刺す。悲鳴を挙げなげるキメラ、だがまだ余力を見せ正面に迫る黒瀬目掛けて口を開く。口内には光弾の元となる光源が黒瀬の瞳にもはっきり見えていた。
「きなさい」
紅炎を片手に持ち替え、黒瀬は腕を十字に構えて防御を徹する。満を持して発射される光弾。だがサングラス越しの黒瀬の眼に映ったのは、光弾発射直後で硬直しているキメラの姿だった。そのまま黒瀬は再び紅炎を両手に持ち替え振り下ろす。両断剣・絶の構えだった。
「下手に長引かせるつもりは無い。一気に叩く!」
ユーリ、黒瀬、沙玖が一体目を片付けた時には、ブロントの腕に噛み付いていたキメラも既に離されていた。五十嵐のバンダナによって口を封鎖、そしてブロントが抜刀・瞬で蛍火の刃をキメラの体内へと押し込んでいく。
「斬らせて貰うぞ!」
右腕一つでは十分な威力は出せなかったが、五十嵐がスティングェンドを傷口に差し込んで致命傷へと変える。やがて三体目のキメラが登場する頃には、二体目の傷口にも羽虫が止まるようになっていた。
三体目のワニを始末し、能力者達は倉庫を後にした。頃合を見計らったのか、工場長と倖石が出迎える。逃げた場合の算段まで決めていた黒瀬と倖石だったが、工場長の隣に立つ倖石は工場長から見えないように小さく首を振る。逃亡していないという二人の合図だった。
「依頼完了しました。確認願いますか?」
ユーリが話を切り出す。
「分かりました」
工場長を先頭に能力者達は再度倉庫へと入っていく。工場長の背中はどこか寂しそうだった。
後日、マックス・ギルバード(gz0200)から本部を通じて参加者に結果報告が届けられた。どうやら今回舞台であった工場が親バグア派寄りであったこと、問題の倉庫が取引現場であった事、ワニ型キメラがバグア基地への運び屋であったのだろうという憶測が伝えられる。だがそれ以上の進展は望めないだろうという見解も添えられていた。
「工場長を叩けば埃は出るかもしれない。だがトカゲの尻尾切りになるだろうというのが俺と地元警察との一致した見解だ。しばらく監視を続け、誰かに接触する機会を待とうと思う。その時にはまた力を借りたい」
末尾には今回は本人だから疑わないようにと注意書きが添えられていた。