タイトル:黒猫くるんマスター:有天

シナリオ形態: ショート
難易度: 易しい
参加人数: 5 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/07/30 15:10

●オープニング本文


「なあ、お前だけでも先にラスト・ホープに移住しないか?」
 男は身重の妻に言う。
「馬鹿ね、あなたとお義父さんやお義母さんを置いて1人であんな遠くに住んでも楽しくないでしょう?」
「でもなぁ‥‥」
 男は先日行った適応検査で適合者と判明し、能力者の手術を受ける事になっていた。
 それに併せて今迄住んでいた町を離れ、ラスト・ホープへの移住を決めたのだった。
「俺は署の引き継ぎとかあるからしょうがないけど、おふくろや親父、お前は俺に付き合ってここに残っている必要がないだろう?」
「何を言っているの、タカシさん。家事の出来ないあなた1人置いて行ったら、あっと言う間に餓死しちゃうわよ」
「お義母さんの言う通りですよ。引っ越すなら皆一緒ですよ」
 バグアとの競合地域ではなかったが、男の住んでいる所はキメラが時々確認される地域であった。
「お母さんと妙子さんには、逆らわん方がいいぞ」
「親父迄、それかよ。初孫の安全の為にもラスト・ホープの方がこっちよりずっと安全だろう?」
「ラスト・ホープがどんなに安全も俺はこの土地の方が性にあっているんだよ」
 男の心配を余所に呑気に茶を啜る家族達。
 男は溜息を1つ吐いて、外出した。
 今日は男に取って久々の非番であったが、男はラスト・ホープの仲介業者に頼んでおいた貸家をラスト・ホープに見に行く事になっていた。
 入島への手続きは面倒だが、家族に取って大事な新しい家である。
 男は溜った有休を一緒に取り、ラスト・ホープに向かった。
 男は仲介業者に連れられて家を見て回った。
「どうです? この価格でこの広さ。山口さんはお1人目のお子さんがもう時期だそうですが、この広さならすぐにお2人目が出来ても大丈夫ですよ」
 お世辞だと判っていても男の口元がほころぶ。
 男と妻にとって15年掛かって出来た待望の赤ん坊である。
 男は手続きをして日本に戻った。

「班長、何処に行っていたんですか?!」
 帰りがけに顔を出した職場、消防署で待機の救急隊員が男を見て、血相を変えて走って来た。
「班長の家の近所でキメラが大暴れしたんです。死者3名、行方不明者15名‥‥‥班長の御家族が不明者に混じっています」
「何?!」
 男は家へと走る。
 走って、走って、心臓がはち切れるのではないかと言う程、全力で走った。
 規制線に区切られ倒壊した我が家を呆然と見つめる男。
 フラフラとその中に入ろうとする。
 男を止めようとした警官をレスキュー隊員が止める。
「いいんです、こちらの家族の方です」
「‥‥親父とおふくろ、は?」
 男は自分の声が震えているのが判った。
 レスキュー隊員の視線の先にシートが掛けられた遺体が2つ。
「た、妙子は‥‥‥?」
「おおーい、見つかったぞー!」
 男は弾けるように人込みをかき分け声の方へと進む。
 担架に掛けられたシートを剥ぐ。
 上顎から上が無くなっていたそれは男が最後に見た妻と同じマタニティードレスを着ていた。
 ヘタヘタと座り込む男。
 男が故郷を離れ、ラスト・ホープへの移住と能力者の道を選んだのは妻と子の為と知っていた同僚達は声をかける事が出来なかった。
 他にも不明者がいる状況で1つの現場に何時迄も留まる事は出来ない。
 同僚達は男の肩を無言で叩き、生存者がいるのを信じて次の現場へと向かう。

 ──ぐるにゃーん。
 男が猫の声に反応する。
(「猫‥‥‥こんな所に猫がいるのか?」)
 そういえば母が床下に猫が住み着いたと言っていたのを思い出す。
(「いない‥‥こっちなのか?」)
 男は生き物の姿を求めて瓦礫の中を探す。

 ──ぐるにゃーん。
 さっきより小さい声が聞こえた。
「タカシ君、何をやっているんだ?!」
 隣の家の主が声をかける。
「ああ‥‥オジさん、猫がいるんです。生きているみたいなんですけど、どこにいるか判らなくって‥‥探してやらないと‥‥」
 ガタガタと瓦礫をひっくり返す男。
「あ‥‥‥」
 頭から血を流し小さい子猫が死んでいた。
 側にもう1匹。
 安らかな死に顔の綺麗な死体だった。
「このサイズなら母親からまだ乳を貰っているサイズだな」
「ええ‥‥」
 男と隣人は、ガタガタと瓦礫を動かす。
「あ‥‥」
 母猫も死んでいた。
 だが、まだ温かくその張った乳房からは白いミルクが滴っていた。
「可哀想に‥‥‥子供を呼んでいたんだな」
「しっ!」
 男が隣人に黙るように言う。
「聞こえる、こっちです」
 倒れたスチール製の物置きを二人掛かりで起こし、扉をこじ開ける。
 工具の入った道具箱の中から一際小さな真っ黒な子猫が這い出て来た。
「ぴーっ‥‥‥」
 か細い鳴き声を上げる子猫。
 工具に潰されたのだろう、子猫の両前足は血だけだった。
「血は止まっているな。お前は運が強い子だな‥‥」
 男はバックの中から職業病とも言える滅菌ガーゼと包帯を取り出し、子猫の両前足に撒くと男は死んだ母猫の乳房の側に子猫を置いた。
 必死に乳を吸う子猫の姿を見て、男は初めて泣いた。

 こうして男は子猫と暮すようになった。


 ──それから1ヵ月。
 男はラスト・ホープの依頼斡旋窓口にいた。
「‥‥で、いなくなった子猫の特長は?」
「全身黒の長毛の雑種、目はでかくて金‥黄土色‥‥いや金だな。漫画に出て来るような子猫の顔をしている。生後2ヵ月位で体重が800g、両前足の指が一部欠損して‥‥これは人間で言ったら両手の人さし指の第一関節から先が欠損していると思ってくれればいい。しっぽは豚のようにくるんと巻いている。元気に飛び回るが、やや左後ろ足が小さいので時々転ぶ。名前を呼べば多少人見知りをするが‥‥‥出て来ると思う。あとは‥‥紐遊びが好きかな?」
「いなくなった時の状況は?」
「一昨々日だ。任務に出ている間にハウスキーパーを頼んだんだが、うっかり子猫がいる事を伝えるのを忘れてね。子猫の世話をしに来てくれたペットメイトの人とハウスキーパーが一緒に探してくれたらしいんだがどうしても見つからない‥‥できれば探し出して欲しいが、死亡している場合は確認作業を、誰かに拾われているのなら、それを報告してくれればいい」
「『連れて帰る』ではなくてよろしいんですか?」
「大事な家族だが‥‥俺はどうしても留守がちだからな。大事にしてくれる新しい家族がいればその方がいい」
「名前は?」
「『くるみ』だ。『くるん』とか『くるるん』とか呼んでも来るな」
 オペレータの女性は、厳い顔の40代男が真剣な顔をして子猫をじゃらしているのを想像して一瞬吹き出しそうになったが、男の真剣な顔に慌てて堪える。
「判りました。では捜索の依頼を発注させて頂きます」

●参加者一覧

ネイス・フレアレト(ga3203
26歳・♂・GP
忌咲(ga3867
14歳・♀・ER
天道・大河(ga9197
22歳・♂・DF
梶原 悠(gb0958
23歳・♂・GP
朔月(gb1440
13歳・♀・BM

●リプレイ本文

●なにもない
 朔月(gb1440)が家を訪ねた時、タカシは丁度出勤する所だった。
「写真?」
「あと、子猫に使っていた洗濯していないタオルと使用していた餌」
「タオルと餌はあるが、写真、か‥‥」
「えっ、ない?!」
 タカシの答えにびっくりする朔月。
 朔月にとってペットは大事な家族である。
 一緒に撮った写真は山程ある。
「本当に1枚もないのか?」
 再度朔月に問われたタカシは暫く悩んだ後、ペットの飼育代行会社(ペットメイト)に申込んだ際、そこの係員から貰った事を思い出す。

 外で待つのも暑いだろうと家の中に通される朔月。
(「これって‥‥」)
 カーテンの引かれたリビングの隅っこに置かれた7ichTVと電話、子猫の寝床と猫用トイレ、数冊の専門書と寝袋、衣類がキチンと畳まれ置いてあるだけである。LHに引っ越して1ヵ月と聞いていたが荷物と言うモノが殆どない。
 暫くしてタカシが子猫の写真を持って来た。
「写真はこれしかないな。タオルは寝床にしていた物でいいのかな?」
「充分だよ。‥‥‥あのさ」
 一瞬、どうしようか悩んだ朔月だったが言わずにはいられなかった。
「諦めるのは、足掻くだけ足掻いた後でなけりゃ後悔するぜ?」

●気持ちは1つ
「私も猫大好きなんだ〜。だから見つかると良いね」とくるみ探しに協力を申し出た忌咲(ga3867)。
 ちょっと困った顔をしたふわふわとした掌サイズの黒い毛玉(子猫)の写真に「はぅ〜っ♪ ぬいぐるみみたい♪」と萌える。
「くぅ‥探す相手じゃなかったら連れて帰りたいぜ!」と天道・大河(ga9197)。
「美猫ですねぇ‥‥あいたっ! もちろんリオンさんの方が美猫ですよぉ」
 愛猫に脛をカプッと噛まれるネイス・フレアレト(ga3203)。

「これだけ可愛い子猫なら他の方が保護している可能性も高いですが、赤ちゃんです。怪我でもしていたら大変ですね。急いで探しましょう」
「まだ小さな子猫だし、自分であんまり遠くに行ったりは出来ないと思うけど‥‥」
「タカシんちは周りに公園とか学校とか多いなら子供が拾ったりちょっかいを出している可能性も高いぜ!」
「誰かが拾ってたりすると、結構範囲が広がっちゃうね?」
 皆が熱く思いを語る中、朔月だけが険しい表情である。
「どうした?」
「なんか、依頼人の山口って依頼を出すくらいだから子猫が帰って来なくて良いとか考えてはいないんだろうけど、なんか『必死』感が伝わってこないんだよね。実際の所は持て余しているのかなぁ‥‥『誰かに拾われているのなら、その旨報告』だろ」
「山口のおっさんがどうしたいかってのは俺達が口にしちゃいけない所なんだろうけどな。だが、俺としては、おっさんにはくるみが必要で、くるみにはおっさんが必要ってのは譲れない所だぜ!」
 ぐっと拳を握る大河。
 パチパチと忌咲が拍手をする。
「それは私も譲れないよ。山口さんにはくるみちゃんが必要だよ」
「私も同感ですね。今の山口さんにはくるみさんが必要だと思っています。でもきっとまだ山口さん自身の気持ちがよく判っていないのかも知れませんよ」
 ネイスのリオンが「その通り」だと言わんばかりに朔月の足に体をすり寄せて来る。
「今すべき最優先は『くるみさんの安全確認』ですねぇ」
「‥‥そうだよな。くるみを見つけて、山口に一発ガツンと言ってやる!」
「皆で頑張ってくるみちゃんを見つけようね♪」
 忌咲が天使の笑顔でにっこりと笑った。

●地道に足で稼ぐしかないのです
(「う‥‥ここにもある」)
 タカシの家を管轄する保健所、警察署とメジャー所の動物愛護団体に写真付きチラシを持参した朔月は一瞬目眩を感じる。
(「そりゃあ確かにペットメイトとハウスキーパーが探したってあったけど‥‥」)
 行く先々に問い合わせとポスターが貼られ、警察には遺失物届け迄提出されていた。
 愛護団体にはFAXであったが、問い合わせが貼られていた。
 それでも窓口の女性に新しい情報がないか確認し、朔月が忌咲に電話をかける。

「忌咲、朔月だけど?」
『よかった。今携帯しようと思っていたんだよ』
「そっちに既にくるみのポスターってあるか?」
『一杯だよ。貼らしてくれそうな病院やペット関連のお店の他、カフェとかフードショップとか手当り次第貼ってあるよ』
「こっちは目新しい情報ないみたいだから山口の家周辺で聞き込みをするよ」
『私は子猫用の餌を扱っているお店で最近子猫用の餌を買いに来た人を聞いてみて、それでも駄目だったら私もそっちに行くね』

 朔月からの電話を切り、ポケットに携帯をしまう忌咲。
 人通りの多い商店街に単独で子猫のくるみが来る可能性はかなり低い。
 保護した子猫が病気や怪我をしていれば動物病院に連れて来るだろう。
 それに常識のある人間であれば、何かしらリアクションがあってしかるべきである。
 第三者による悪意による隠ぺいとくるみが既に死亡していると言う可能性がある──。
(「うっかり、状況分析してしまったら‥‥落ち込みだよ」)
 こういう時理系な分析思考が恨めしい。
 プルプルと頭を振り、嫌な思考を吹き飛ばす忌咲。
「にゃ〜、にゃ〜っ、くるみちゃん、出ておいで〜」

 猫の好きそうな路地。
 ふっと覗き込んだ植え込みにキジ猫が目をつぶって座っていた。
「あなたは、何ちゃん? きっと誰かの家族なんだよね?」
 忌咲が話し掛けるとキジ猫はペリドットの目を開くと差し出された指の匂いを嗅ぐ。
「うるぁ〜ん」
 一声鳴くとゴロゴロと咽を鳴らしてスリよって来る。
(「なつっこい子‥‥」)
 キジ猫を撫でていると側のドアがガチャリと開き、住民が出てくる。
「きゃ!」
「おや、ぶつけなかったかい?」
「大丈夫です」
 パタパタと服に着いた埃を落とした忌咲はバックからチラシを取り出す。
「こんな猫を見ませんでしたか? くるみちゃんって言うんです。もしくるみちゃんを見かけたら、ここに連絡してください」
 ぺこりと頭を下げる忌咲だった。

 手持ちのチラシを近所のポストに放り込んだネイスは、リオンを使って捜索開始である。
 タカシの家の玄関先にリオンを置くネイス。
「それではリオンさん。くるみさんは上の猫道はまだ通れませんから『下』でよろしくお願いしますねぇ」
 ネイスの言葉にリオンが尻尾で合図する。
 器用に植え込みの下に潜り込むリオン。
(「いきなり難関です‥‥」)
 ゴソゴソガサガサ‥‥
 植え込みをかき分け、リオンの後ろを着いて歩くネイス。
 ゴッ!
「いたたた‥‥っ」
 余所見をしていたネイスが強かに下がり壁に額をぶつける。
「にゃー」
 大丈夫か? とばかりにリオンがネイスを振り返り、一鳴きする。
「ああ、大丈夫です。リオンさん、気にせず先に進んで下さいねぇ」
 頭を摩るネイス。
 普段とは違う猫の目線で歩く。
 長い三つ編みを枝に引っ掛け、悪戦苦闘し乍ら人の庭を進む。
 突然植え込みが切れ、明るい場所に出るネイス。
「‥‥ここは‥‥公園ですか?」

 大河が携帯ゲーム機で遊んでいる子供らを見つけて近付いて行く。
「何やって遊んでいるんだぁ」
「見た通りゲーム」
「友達待ってんだけど来ないし」
「こいつならお前らがソフトを持ってなくても4人迄対戦出来るが、やらないか?」
「あ、これ。俺、発売日に手に入れられなかった奴だ」
「マジ、すげーっ」
 大河が見せたソフトに子供達がよって来る。

「俺のターン、ドロゥ!」
「‥‥天道さん、何をやっているんですか?」
「おお、ネイス。俺はまさしく強敵(とも)呼ぶに相応しいこの勇敢な戦士(バトラー)達に一戦を挑んでいる所だ。御主はどうしてここに?」
「‥‥入り込んでいますねぇ。私はリオンさんに連れられて来たんですよ」
「へぇ‥‥後で俺もこの子らに聞いておくよ」
「お兄ちゃんは、ターンエンド?」
「まだだ、俺のバトルフェエイズはまだ終了しちゃあいないぜ!」
 子供達とゲームで真剣勝負をしている大河を横に公園を散歩している近所の住民らに話を聞いて回るネイス。

「やったぁ!」
「くくぅ‥負けたぁ。貴様ッ、このゲームやり込んでいるな!」
「前のだよ、お兄ちゃんが弱過ぎっ」
「人が折角誉めてやっているのに、素直に喜べ!」
 そうだ、忘れないうちに‥‥‥とごそごそとポケットからくるみの写真を取り出す大河。
「こんな感じの子猫を探してるんだけど、しらないか?」
「知ってる。くるるんだ!」
「くるんだよ。しっぽがくる〜んって」
「馬鹿だな。『くるみ』って言うんだよ。オジサン言っていたもん」
「おっさんを知っているのか?」
「山口さんでしょう? くるみを良く触らせてくれたよ?」
 どやらタカシはよくくるみを公園に連れて来ていたらしい。

 だったら話早いと、話を切り出す大河。
「そのおっさんは、くるみがいないと一人ぼっちになちまうんだ。何とかしてやりたいんで、頼む、ちょっと手ぇ貸してくれ」
「え〜? オジサン、遠くに行くから早くくるるんに新しい家族を探さなきゃって言っていたもん」
 なーっ。と、子供らが顔を見合わせて言う。
「そうなのか?」
「だから1年の子の家の子になったんだよ」
 少女が一昨日くるみを抱いて歩いていたと言う。
「嘘だァ。だってあいつ、バグアじゃん」
「じゃあ盗んで来たのかなぁ」
「えー? 6年の女子がくるるんにヌイグルミをプレゼントしたって言っていたよ」
「それって先週じゃなかった?」
「あいつらオジサンが休みの日に皆で押し掛けていたんだぜ」
 一斉、話し出す子供達。
「頼む! 一斉に話さないでくれ、俺は聖徳太子じゃないんだぁ!」

 子供らの話を纏めた所、タカシはアジア方面への長期出兵が決まっており、くるみの里親を探していた。
(この件に関しては愛護団体の人が朔月に同様の話をしているので、間違いない内容である)
 そして、タカシの家に良く猫を見に来ていた近所に祖母・姉と一緒に住む歩という女の子がくるみを連れて行った事が判明した。

「その子の家‥俺、行ったぞ? 猫は飼っていないって‥‥なぁ」
「一緒だったから間違いないよ」
 朔月と忌咲が顔を見合わせて言う。
「内緒で飼っているんですよね、多分‥‥」
「本当なら子供だろうとなんだろうとくるみの為にならない事をしているから正面きって取りかえしに行きたいけど‥‥」
 朔月が口籠る。
「この子の両親、回復施設にいるんだろう?」
 矯正、更正、回復、病院、施設、メンタルクリニック‥‥名前の呼び方は様々であるが、バグアの洗脳を受けた人間を保護し、リハビリを施し一般生活に戻す為の機関である。
 だが元入所者やその家族に対して一部理解無い者からは根も葉もない噂を流されたり、差別を受けているのが現状である。
 実際、忌咲や朔月が能力者と判ると歩一家を逮捕してくれという住民に出くわしたりもしている。
「穏便に済ませようぜ」

●小さな友達
 ──翌昼。
 勤務を終えて帰って来たタカシは、いつものように窓を開け、ヤカンに火をかけ、コンビニで買って来た新聞とビールを取り出す。
 誰もいないと判っていても癖で目が生き物の気配を探す。
「『足掻く』か‥‥」
 救命の現場、勤務中は、そんな事を思っている余裕はない。
 油断すれば掌から落ちてしまう命を支えるのが精一杯である。
 だが仕事を終えて1人になった時、自分には足掻きたい程の何かが残っているのだろうか?
 ふと、くるみの寝床に目が止まる。

 インターフォンが鳴った。
 ドアを開けるとネイス、忌咲、大河、朔月。そして、くるみを抱いた歩姉妹と姉妹の祖母が立っていた。

「悪いな。客らしい客がうちには来ないんでな」
 床に置かれたカップは小学生が好きそうなキャラクターが描いてある。
 歩は勝手知ったタカシの家なのであろう猫じゃらしでくるみ、リオンと遊んでいる。
 タカシの前で恐縮して座る祖母、歩の姉は真っ青な顔して震えていた。

 事の顛末から言えば、公園でくるみを見つけた姉妹は当初タカシの家にくるみを届けに行ったが不在であった為に家に連れ帰り、遊んでいるウチに可愛くなり、ずるずると返しそびれていたという。
 その内段々ポスターが増えて行き、怒られるのが恐くなって言えなくなってしまったのだ。

「この子達のアパートに使われていないロッカーがあるんだけど、そこでくるみを育てていたんだよ」
 小学校は夏休みで祖母がパートに出ている間は部屋に連れ込んでいたのだと言う。
「食事は自分達のご飯やおかずの魚、時々子猫用パウチを買っていた様ですぅ」

 黙って聞いていたタカシが口を開く。
「まず、君らには礼を言おう、くるんを見つけてくれた。ありがとう──そして歩ちゃんとお姉ちゃん、くるみを保護してくれていてありがとう」
 体を正して能力者と歩姉妹に頭を下げるタカシ。

「おっさん、この後くるみはどうすんだ?」
 大河が重い口を開く。
「このままペットメイト使うとか、人に預かってもらうとか‥‥里親も一つの手だと思うけどよ。くるみの親はタカシしかいない。そこは譲らないんだぜ?」
「本当は寂しかったんだろ? なんで認めないんだよ」と朔月が言う。
「‥‥‥俺が寂しかろうがなんだろうが、俺のアジア行きは変わらんよ。あっちは医療の手が足らない」

 タカシが無心で遊んでいる歩とくるみを見る。

「‥‥‥‥‥一つ、貴女達に提案があります」
 歩の祖母を見るタカシ。
「この家は前の職場の退職金で2年分の家賃を前払いしてありますが、今言った通り私は近日中に戦地に向かいます。残念な事に前払いした家賃返還が出来ない取り決めになっていましてね。まあ、それでここに住んでいるんですが‥‥どうでしょう、私の代りにここに住んでみませんか?」
「おっさん、それって!」
 黙るように手をあげるタカシ。
「歩ちゃんの御両親が戻って来たら今のアパートでは手狭になるはずでしょう。私も休暇の全てを家の掃除に謀殺されたくありません。光熱費はそちら持ち、家賃代として家の掃除とくるみの飼育に掛かる費用とたまに帰って来た時の私の食事、風呂等を負担してもらう。どうですか?」
 勿論、くるみが病気や怪我をした等の手術代はタカシが負担すると言う。

 2、3日考えさせて欲しいという歩家族が帰って行くと──。
「おっさん、計算尽くかよ!」
「かっこつけすぎですぅ!!」
「仕事柄、気持ちの切り替えは早いんだ。悩んでも答えが出ない時は、進んでみるのが俺の信条だ」
「私も言いたい事山ほどだよ! でも、その前にくるみちゃんと遊ぶよ!!」
 ずっと我慢していたんだもの。と楽しそうに忌咲とネイスがくるみとリオンと遊ぶ。
 クレームを着ける大河に腕逆菱固めを決めているタカシを唖然と見る朔月。
「能力者としては君らの方が先輩だが、俺が君の何倍生きていると思っている?」
「‥‥こ、この、タヌキ親父!!」
  朔月の叫びが青い空に響く。

 ──タカシの家へ歩一家が引っ越したのは、1週間後の事だった。