●リプレイ本文
一部では名を馳せらせつつあるかも知れない御仁――知られていないほうが本人にも後ろにも大変宜しいのだが――ミハイルは、今日も今日とて試験管を片手ににやりと口角を上げていた。
そんな彼を後ろで見守っているのはマスターとしたいつつも、明らかに何をしでかすのか不安そうに見守る養子のクロリア・ドーミングである。
ハラハラとしつつ、その視線の中心は、彼の激しく渦巻く眼鏡によって近い物ですら小さく捕らえられる。
一体全体、何が好きなのだろうか。そんな疑問が脳内へと木霊す中、傾けられた試験管がぴちょり‥‥反対側の手で支えられていたフラスコの中へと吸い込まれていったのだった。
◆
既に数回の薬を傭兵たちを伴い人体実験まで発展させていた経歴が物語っているのだろうか。
回を増すごとに何処まで出来るのかわからなくなってくる。有害性はないとはいえ、人体を一種改造させている物としか思えないこの薬、幻想試薬、今回は猫の日なる物のために厳選された動物変化薬である。
「昔はえがった‥‥」
そんな言葉を発するのは作ったご本人、ミハイルだ。それもそのはず、何しろ作るのはいいが、肝心の実験の被験者が少なくなっているのは間違いないであろう事実は否定出来ない。
まぁ、毎回グレードアップは若干ながらしているものの、同じ物に引っかかるような方もいなければ、人間、誰しも学習能力と言うものがある。怪しきものには近寄らず‥‥や、遊び好きな純粋思考の方がそんなにいるわけもないのが現状であろう。
それはさておき、何を考えたのだろうか、去年と引き続き今年も招待状を出してしまった彼がいるわけで‥‥そんなわけで、ここは会場の中だったりする。
わざわざラストホープにまで会場を設営したのだが、その参加人数たるや10名程。明らかに若きカッポーが見えるのが、なんともこの薬の効果を狙っているのかどうかわからない状態では有るが、勇気あるものとして見守りたい。
「こんにちはー、おじいちゃん。また実験するの? ボクもまぜて〜♪」
扉を開けて飛び込んできたのは、月森 花(
ga0053)だ。後ろからはちょっとだけ頬を染めて空を見つめる宗太郎=シルエイト(
ga4261)がいる。
「ふぉっふぉっふぉ、久しぶりよのぉ」
懐かしい、しかし確実に成長している花の姿に目を細めつつ、後ろのいる宗太郎の様子をそれとなく見つめるミハイル。話しによるとどうやら、今回の参加は宗太郎の誘いがあったかららしい。にやりと眼鏡の奥の瞳を光らせると、気まずそうに視線をそらせるところを見ると、何やら考えが有っての参加か。
他にも見知った顔、初めての顔もチラホラと現れ始めた。
「ミハイルのおじさんっ、僕の姉様連れてきたですよっ」
現れたヨグ=ニグラス(
gb1949)の手を繋いでいるのは、艶やかな黒髪の少女、ケイ・リヒャルト(
ga0598)だった。
「どんな効果が有るか、博士にもわからないのよね?」
走ってきたヨグにせかされたせいか、少し困り気味で目の前に現れたケイに、ミハイルは「人によって違うからのぉ」とのんきに言葉を返す。
「偶にはこんなお仕事も楽しそうだと思って」
息が整ったのか、次に顔を上げたときの彼女はにこやかで、少し悪戯な視線を投げかけていたのだった。
◇
柿原ミズキ(
ga9347)は隣にいるイスル・イェーガー(
gb0925)の様子をちらり、ちらりと伺っていた。イスルの方も気にしている様子である。それもそのはず、彼らはいわゆる恋人同士の関係に有り、一緒に過ごせること自体に喜びを感じているのだ。そして、目の前には怪しい薬品が有る。
飲むことによって、どんな効果がきたされるのだろうか。簡易的な説明は、会場に入ってから一通り受けた。肉体的悪影響はないこと、副作用として4時間ほど記憶障害となること。それだけではあるのだが。
(「ぼ、ボク‥‥イスル君とならっ」)
柿原の頭の中は何故か始終ピンク色に染まっていそうである。
「それじゃ、行くよ」
喉がなる。乾いた唇に押し当てられるガラスコップの冷たさに、思わず緊張が高まった。コップの中にはピンク色の液体が、ふわりと甘い匂いと少しだけ大人な香りを鼻先へと届ける。喉に下った液体は、僅かな熱い衝撃を残しつつ胃の中へと流れていった。段々と熱くなる体。自分の中で脈が速くなっていくのがわかる。
「あれっ何だか‥‥身体が‥‥熱いよ‥‥それに頭がぼーっとして‥‥」
蹲る柿原を、イスルは自身も熱くなりつつも気にかける。
「‥‥ミズキ姉さん、大丈夫‥‥? う‥‥僕も段々きた‥‥かな‥‥」
熱さに、思わず喉下を緩めようと手を伸ばすと、視界に入った。普段は目立たない毛が緩やかに手元を覆い始めたのだ。
「ん‥‥前回は黒兎だったけど‥‥」
今回は何になるんだろうか、そんな事を思いながら変化に伴い、意識が朦朧としていったのだった。
薬を飲んだ花は、次第に変化をしていく周りの様子を見て慌てていた。
「そ、宗太郎クン‥‥これ‥‥。わゎっ‥‥」
何となく参加したのは宗太郎に誘われたから。一緒に過ごせる時間が出来たと喜んでいたので、何をやるかなどと言うところなど考えてもいなかったのだ。
(「そういや、おじいちゃんの研究だった‥‥」)
昔に受けた実験のことを思い出すも、既に遅い。慌てながらつかんだ宗太郎も、既に変化が始っており、気まずそうに視線を逸らすところを見ると、承知でココに連れてきたことも想像できた。
(「そ、宗太郎クンの癖にっ」)
いつもであれば奥手そうな彼の意外な部分に驚きつつも、意識はズルズルと奥底にひきずられていったのだった。
手元に置いた薬のグラスをよそに、ヨグはじっとケイを見つめていた。その瞳はキラキラと輝き、期待してますといった具合であろう。
「あら‥‥ヨグは飲まないの?」
「ケイ姉様が飲んだら飲むかもしれないですっ」
そんな事を答えつつ、彼は飲む気などサラサラない。
ケイや知っている友人たちの変化を期待しているのだ。
(「ま、まさか蝶々になってしまうとかっ!?」)
黒蝶と渾名されるケイを見て、ふと思いつく。いや、彼女は黒猫にも見えるしなやかさを持つのだ、流石に蝶は昆虫である。それはないだろうとヨグは頭を振った。
そんな様子を不思議に見つめつつも、ケイはこくんとグラスの中の薬を飲み干した。
◇
にゃーにゃーと鳴いているのは蓮角(
ga9810)だ。もそっと生えた猫耳と尻尾を携えながら、彼は牛乳瓶を片手に参加者に混じっている猫に向けて話しかけている。そう、ミハイルが連れてきた普通の猫だ。彼ら用に用意されたお皿には、ミルクが入っており、どうやら話し相手になっている様子である。
「にゃー、うにゃん‥‥にゃぁ‥‥」
時折寂しげな声を出す蓮角、その度に猫たちはスリスリと膝などに擦り寄ってきたりして慰めているところを見ると、相談事でもしているのだろう。もしかしたら、愚痴なのかもしれない。
猫たちと戯れているのは、蓮角だけではなかった。
ケイも他の猫たちとじゃれ付いて遊んでいたりする。
猫たちと変わらない大きさまで縮んだ彼女は、いたずらな目で他の猫たちを嗾け、高いところに登ったり、毛布やボールにじゃれ付いたりしていた。
そんなケイを楽しそうに見ているのはヨグである。しかし、彼が呼びかけてもケイは振り向きもしない。
「うぐぐっ‥‥姉様つれない」
ちらりと他の人たちの様子を見回すと、離れたところでは薬の飲んでいないセシル シルメリア(
gb4275)と頼まれて根負けして薬を飲み猫へと変化した鳴神 伊織(
ga0421)がこれまたつれないやり取りをしているのを見かける。セシルはうるうると涙ぐみながらも、一所懸命に伊織猫へとアピールを続けていた。
「うぅ‥‥諦めないです‥‥!」
セシルの目からは涙があふれ出てくるばかりである。
また別のところでは猫化した柿原と犬化(どうやらダックスフントのようだ)したイスルがじゃれあうように絡み合っている。
(「わわっ、これはマズイとです!?」)
柿原の方は暑かったのだろう、着ていた服を脱いでいた。まぁ、全身に毛がふさふさなくらい覆われていたので倫理上問題はない。しっかりその様子を観察するヨグ。目を手で覆いつつも、その隙間からのぞき見てしまうのであった。
少し離れたところでは、黒い怪しい獣がいたりもした。優雅に一人、いや1匹机について本を広げてみているのだ。その様子をじっくりと観察してしまう。
(「あれは‥‥」)
見たことあるような、そんな事を思って見つめていたのだが、不意に目が合う。
(「あんのん兄様です!?」)
漆黒の鬣を持った獅子へと変化していたのはUNKNOWN(
ga4276)だった。くいっと指、いや、肉球で上げられた縁無しの眼鏡がいつもと違って印象深かったのを覚えている。
(「みなさん、楽しそうです」)
ごくりとヨグの喉がなった。ケイは変わらずに猫たちと遊んでいる姿が見える。
時間が経ったためだろうか、薬の色は少し変化しており、不思議な色へと変わっていた。
(「メロンソーダと争えるですねっ!」)
何故にメロンソーダなのだろう。ヨグであればプリンが代名詞かと思っていたのだが、どうやら彼はメロンソーダも大好きらしい。うむ、その点は気にしない方がよいようだ。
「ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ」
音を立てて薬を飲むヨグの姿に、ちらりと目配せするケイ。キラリと目が光っていた。
耳と尻尾が生えた宗太郎は、体が縮んで猫化していた。その大きさは花よりも小さい。同じく猫の耳と尻尾が生えた花はそんな宗太郎を見て、口角をあげていた。
「にゃぁ‥‥」
擦り寄ってくるかと思って、嬉しそうに目を細めた宗太郎に対し、花は寸前で上へと飛び掛って踏みつけていく。中々哀しい鳴き声を挙げる宗太郎の様子を視界の片隅に納めると、その表情は愉悦に浸っていた。かなりのS、ドSである。
会場内に散らばっている飲み物や食べ物は、UNKNOWNによって用意されたものだった。猫たちをはじめ、薬を飲んで変化した参加者達によってテーブルの上だけでなく、床にも広まっている。そんな中、セシルは何処に紛れていたのだろうマタタビやら猫じゃらしを使って伊織の気を引こうとしていた。
最初は遠くから様子を見ていた伊織ではあるが、徐々に警戒は解かれつつあった。それに猫じゃらしの誘惑には、中々勝てるものではない。思わず手が出てしまうのは、猫化してしまったがためのものであろう。
「あ、こっち向いたです!」
その様子に、セシルは思わず笑みを零さずに入られなかった。
時間を置いて薬を飲んだヨグではあったが、猫へと変化するとそれを待ち構えていたケイが飛びついてきていた。耳の付け根をあまがみされたりするため、時折「うなーっ」と声を上げたりしている。ヨグ持参のみゆ社長のぬいぐるみも、先程から他の猫たちと混じってじゃれ付いたり、隠そうとしたりしていた。
その横では同じく他の猫たちと遊んでいた柿原が、大人しく『お座り』状態のイスルに気付いた。どうやら彼の存在を少しの間忘れていたらしい。
途端に走り出した柿原はそのままイスルに向かって突撃する。その勢いに押され、イスルは後ろに倒れてしまう。
「わ、わふっ‥‥!?」
鼻先を舐めつつ、上から柿原はどこうとしない。しかし、戸惑いつつ、慌てたような視線で見上げるイスルに気付いた時、その行動は止まっていた。そして、何かを探る様に離れていく。隅の方へと丸まる柿原の行動を不思議に眺めていたのだが、どうやら誤解を与えたらしいことに思い当たると、イスルは反対に柿原へと擦り寄っていった。
「‥‥くぅん‥‥? ‥‥きゃん‥‥」
頬を摺り寄せ、そして瞳に溜まった涙を舌で舐め取る。それから徐々に身の硬さが解れてきたのだろう、嬉しそうに喉を鳴らす声が聞こえてきたのだった。
セシルのゆっくり伸ばした手に、伊織は少しだけ額を擦り付ける様に近付いた。
額から後頭部にかけて、ゆっくりと髪にそって撫で上げる。
「‥‥あ、‥‥えへへ〜。やったです‥‥」
触ることを許されたセシルの頬が緩んだ。生え揃った猫耳の付け根を、そっと触るとぴくぴくっと揺れ、細まった目元が弧を描いた。
◇
花はすっかりまどろみの中であった。横には寄り添う様に宗太郎が丸くなっている。大きさは違うけれど、それは守ってるかのように。
緩やかな日差しが、大きな窓から入ってきておりとても優しい空間が眠りを誘うのだろう。少し寝相が悪いのだろうか、伸びやかに出てきた手が宗太郎の顎下に入ったのは気のせいであろう。
それでも気付いていないのだろうか、いや、涙目になりつつも離れないところを見ると気付いてるのかもしれない。
「本当に、いつもありがとうございます‥‥」
セシルはゆっくりと猫の伊織を抱きしめた。最初はつーんとしていたが、次第に緩やかに揺れる尻尾を自分に向けてくれた彼女。この実験に誘った時も、「仕方ないですね」と最後には許してくれた伊織。
いつもは見せない、少しだけ違った彼女を見られたことにセシルは満足と感謝をしていた。そっと頬ずりするような形で頭を近づけ、そっと頭を抱え込む。
普段言えないこと。言わせてくれないこと。
(「ありがとうございます」)
その言葉をずっと口ずさみながら、もうすぐ切れるであろう薬の効果を待っていた。
時間は、刻々と過ぎていく。
不思議な薬も、その効果を終える時刻が近付いてきたのだ。
副作用なのだろうか、次第に参加者の意識が途切れてきていた。
いや、薬を飲んでいないものも眠くなってきたのだから、これは漂ってきた甘い香りのせいなのかもしれない。
どこか、心地よい空気が漂う。
まどろみに誘われるようゆっくりと閉じられる瞼が、この実験の終わりを告げているようであった。
◆
「ねぇ、ヨグ。あたし達、外から見てどうなってたのかしら‥‥」
首を傾げながら聞いてくるケイに、ヨグは満面の笑みで見つめ返す。
ヨグは最初の方は薬を飲んでいない。しかし、そのことは言うつもりがない。
「どうだったんでしょうね?」
同じく首をかしげたヨグに何も疑問を持たず、ケイは残念そうに呟いた。
「少しでも記憶が残っていれば良いのに‥‥ね!」
「はいですっ」
知らないケイを見られたことを嬉しく思いつつ、その事実を告げないことにヨグはくすりと満足していた。誰も知らない、その秘密を持ったこと。それがなんとも嬉しく彼は見つけた秘密を然りと握り締めるのだった。
「なんとも楽しかった気がしますです。今度はカノンにい様に飲ませてみよっ」
きっと喜ぶ人がいっぱい出そうだと、くすくすと笑みを零しながらヨグはケイと共に帰路を辿っていたのだった。
「あー‥‥何だか少しすっきりしたような気がします」
首をコキコキと鳴らしながら歩く蓮角は晴れやかな表情だった。
胸の奥のしこりが取れた、そんな様子なのである。どうやら猫たち相手にお悩み相談と言うか、愚痴を披露していたことによって、すっきりとしたようなのだった。
「な、なんでボク脱いでたんだろう‥‥」
落ち込む柿原にそっとイスルは頭を撫でていた。薬が切れた時、参加者は気付いたら寝ていた。そして、起きたとき柿原は己の格好にびっくりしたのだ。被せてあったのはイスルの上着。そしてその下は‥‥。
他の誰かに見られたかもしれない、そんな事を心配しているのだが、イスルによると彼が最初に目を開けたらしい。真っ赤な柿原を支えつつ、そんないつもと違う彼女を見られたことに、少しだけ嬉しさをイスルは感じていたかもしれない。
ホクホク顔で皆が帰る様子を見守るミハイルに、UNKNOWNが近付いた。
「爺さん、いいデータはとれたか、ね?」
そんなの当然じゃとばかりに、不敵な笑みを返す老人に、UNKNOWNは深く帽子をかぶりなおした。
後ろではわたわたと機材などを片付けるクロリアの姿が見受けられる。それを横目に見つつ、指で杯を持つ形を示すとくいっと口の手前で傾けた。
「少し飲みにいかんかな?」
「ふぉっふぉっふぉ。生憎じゃが、今回は遠慮しておこうのぉ」
時刻はまだ夕暮れを指し示したあたり。
飲むには‥‥まだ早すぎる時刻であった。