タイトル:Sexualisνマスター:Urodora

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 7 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/06/20 05:08

●オープニング本文


 
 歩く人影に紛れる通りの先。
 迷者にのみ姿を現す城があると言う。
 実在から切り離された狭間におぼろげに立つという城は、世の制約から逃れるために建てられた。
 逆回転する法則。
 散りばめられた慙愧は無塵、陽光は曇る想いに閉ざされる。
 城に住む者達は身を守るため、死誕を逆手に取り境界の守護者をあつらえたと聞く。
 霧に惑う意思が並べられた悪意の刃なのか、立ちはだかる善意の壁なのかは分からない。
 だが‥‥‥追う者の 数だけ動かぬ肢体は夥しく転がっていく。
 現実と虚構が触れ合うのは、その一点からだった。
 奏でられるのは静寂に満ちた安寧、たおやかな音色にまどろみは舞い降りる。
 今日もまた、旅人は訪れるだろう。
 二度と──目覚めぬ事を願うために。

●ミスカトニック探偵事務所

「城?」
 聞き返した男は、銀紙を灰皿に落とす。
 鈍く光るそれを眺め思う。
 吸うことを辞めてからそれほど経つわけでもない。やはり、手持ち無沙汰な感覚は消えない。
「そういう噂があると聞きました」
 父を捜して欲しい。
 ある日依頼に訪れた少女は、名をメアリーという。
 彼女は、所長であるジュードにアーカムに流れる一つの噂を話した。

 選ばれたものだけが訪れることができるという霧中に浮かぶ城。
 城門を守護するのは一頭の白狼と銀の乙女。
 錠を穿つものを光槍にて打ち払うという。

 ジュードは少女の話から、その噂に関する確信と懐疑、突きにくい核心を問う、
「君のお父さんは、その、過去に何かあったのかな?」
 メアリーの顔に翳りが浮かぶ、
「父は半ば死んだようなものでした。生きる意志を捨てていましたから」
 淡々とした声が痛ましさを感じさせる。結末を予測しつつもジュードは再び口を開く、
「お母さんは何と?」
「母は、もういません。襲撃で‥‥‥それから父は」
 言葉に秘められたものをジュードは察した。
「君は、お父さんに帰ってきて欲しい。だからここに来た。俺は城を探し出し、お父さんが居た場合は連れ戻す。依頼はそれでいいんだね」
 沈黙。
 応えを待つ二人の間に流れる静寂は、どこか重苦しい。
 彼女の返事は──。

 やれやれだ。
 去っていく依頼人の背を見送った後ジュードは、皺が寄った茶のトレンチコートに手をやった。
 先代の唯一の形見。だが、春の陽射しに重いコートは似合わない。それでも彼はコートを手に取った。
 懐を探り取り出すのは銃。相手によっては、こんな玩具ではきっと気休めにもならないだろう。
「護衛が、必要か」
 ジュードは、呟いた後で、食事の片付けをしていた姪に話しかけた
「ケイト、後は頼む」
「いってらっしゃい! 当面の生活費はもらっておいたから、大丈夫。安心して行って来て」
 抜けめの無い事で。
 ケイトの返事を聞いたジュードはそう思い、肩をすくめるのだった。

●アリス

 アリシアの元に一通の手紙が届いたのは、そよ風の心地よい午後の事だった。
「アリス。手紙よ」
 母に呼ばれた彼女が受け取った手紙、
 渡された封筒は、青色。そっけなさと簡素さがほどよく混ざった物で、特徴の無い事が特徴のどこにでもあるような封筒だった。
 表にはアリシアへの宛名、そして差出人の名前とおぼしきものが稚拙な文字で書いてある、
「valr?」
 そう記されていた。
 アリシアは、名前を思い出そうと記憶の糸を手繰るが捕まらない。
 上げた右手、人差し指で無意識に頬を押さえる。それは彼女が考え事をする時の癖だった。
 開いた窓、吹き込む風に結んだ茶色の髪が揺れる。アリシアは、ざらつく封筒を何度か指なぞったあと、思い切って封をあけた。
 少しだけ鼓動が高まる。期待よりも不安がそうさせた。ちっちゃな妖精が必死になって字を書いているのなら、いいのにな。彼女はそう思った。
 だが、開いた先にあったものは、封筒に住む妖精でも魔人でもない。ありふれた白い紙は、期待を裏切ったことを謝るかのように、日に焼け色褪せた顔をゆっくりとアリシアに向けた。
 便箋には整然とした罫線がある。並べられている線は窮屈そうだ。線の段、文字らしい文字は中央、真ん中に、
「城へおいで」
 と、だけあった。
 城が何を意味するのかを分からなかった。だから母に聞いた。
「ママ、城って何なのか?」
 母は娘の知識のなさに呆れた。城は、城だ。
「アリス、お城は城でしょう、建っている」
 母が何を言っているのかアリスは理解すると同時に、瞳に宿った色から、これ以上話しても無駄なことにも気づいた。
 母は話を自分の話を真面目に聞かない。
 それはアリシアが夢を見るようになってからだ。
 自分を見る視線に冷ややかさを感じる。
 夢は、やって来る。予期せぬ時に‥‥‥。観る夢に意味があるのか、彼女自身は分からなくても、それは現実だった。
 アリシアは遊びに行くと言って家を出た。
 だが、その先にも居場所はないのかもしれない。未来が見える彼女に安らぎの地などなかった。


 陽が西に沈む頃。
 彼女は公園に一人佇む少女を見つけ、声をかける。
「アリスちゃん!」
 かけられた声に少女は振り返った。 手を振り駆け寄ってくる顔は見知ったものだった。
 朱を反射して金の髪。染まる闇に浮かぶ光は、少女には見える輝きに見える。
「ケイトお姉ちゃん?」
「どうしたの? こんな時間に女の子一人で危ないよ」
 どこか儚げな笑顔を向けてくる少女に、ケイトは話しかけ、自分も女の子という範疇にぎりぎり引っかかるの? そんな思いを巡らせた。
「なんでもない、よ」
 口ごもりながら答える様子に何かあることをケイトは察する。けれど自分には何も出来ない事も彼女は知っていた。中途半端な同情は相手を傷つけるだけだ。
「お姉ちゃんと帰ろっか、おくっていくよ」
 ケイトはアリシアの手をとって、それだけ言うと引いた。ちょっと嘘っぽいかな、ケイトはそう感じた。それでも、ただ引いた。
 そのわざとらしさがアリシアにとって、安らぎにも似たものなぜか感じさせた。
 アリシアに向けて放たれる言葉はいつもどこか乾いている。その乾きに混じり湿った恐怖を隠す者もいない。それは、力あるものへの畏怖と差別の証。
 世界を救う勇者は救世後、賞賛と感謝の花束で迎えられる。だがいつしか罵声と銃声の響く死刑台への階段が待ち受ける。
 人は醜い生物だ。自らに無いものを笑って感受できるほど優しくも強くもない。
「本当のことを言わないで、嘘をついてもいい。あたしそう思うんだ」
「‥‥‥うん」
 陽が自らの役割を終え西に走る中を、二人は手を繋ぎ歩き出す。
 その帰り道。
 視界を霧が覆った。


 平穏を求める者の眠りを覚ます事を生と呼ぶ。
 触れることさえ叶わず追い求める物が幻であるとしても。
 そこは、救われること無き者が住む楽園。
 現世との繋がりを絶ち、自らの幸福のみを求め集う地。
 何もかも在るが何も無い。霧城のユートピア。
 響くの音色は、纏ろう者のフーガ。

●参加者一覧

リディス(ga0022
28歳・♀・PN
キーラン・ジェラルディ(ga0477
26歳・♂・SN
クレア・フィルネロス(ga1769
20歳・♀・FT
如月・彰人(ga2200
18歳・♂・FT
ザン・エフティング(ga5141
24歳・♂・EL
ベルティア(ga8183
22歳・♀・DF
使人風棄(ga9514
20歳・♂・GP

●リプレイ本文

●城へ


 意味があるのか求めているのは誰でもない。
 歩む先にある現実さえ一つの虚像のようなもの。
 霧に建つ白金の城はある。だが、それが城なのかさえ分からない。
 混沌の渦の中で巻き起こるイレギュラー。
 歪みがもたらしたささやかな寓話の中に歩き出そう。

 その日、探偵であるJは、集まった能力者たちに向かって言った。
「後悔したことのない奴には道は開かれないってさ」
 かけられた言葉を聞き、能力者たちはお互いの顔を見合わせた。
 一人、使人風棄(ga9514)だけは、輪に混ざらず遠くからその様子を見ていた。血塗れた服を無造作に羽織る風棄は、なぜか笑みを浮かべている。
 他の能力者たちの姿をみつめる彼の視線は虚ろだ。内部に淀む色は、斑に混ざった白と黒に赤をたらしたような色合い、複雑な感情なのかもしれない。どちらに染まりきれず、ただ逃れるために安らぎを求める。しかし決して逃れることはできない。
 風棄の視線に気づいたリディス(ga0022)は、嘲りにも似た微笑みを口元に刻む、リディスは風棄の視線に、自らの持つ影と似たものを感じていた。だが、同時にそれは忌避すべきものであることも理解している。過去に捕われている姿は醜いものだが、愛着のようなもの感じずにもいられない。
 リディスは、覚醒すると煙草を吹かす。
 なぜ彼女がそうするのかは分からない。彼女自身の過去に関係があるのかもしれないがそれは彼女の問題だ。
「後悔ね、後悔はするが、諦めはしない。それで、その城の場所は分かっているのか?」
 男は意味もなく、指を鳴らしたあと言った。鳴る音は、口笛よりはこの場に相応しい、被った帽子は、曇り晴れ間に顔を出した陽に照らされる。
 その男、ザン・エフティング(ga5141)がJに問いかける。Jは、何度か頷いた後、軽口で答える。
「知ってるよ、しかしお兄さん、こういう暗めな雰囲気とは違う明るい感じだね」
 返事を聞いたザンは、ハットのつばに手をかけた後、答えた。
「人生ってやつは不思議なもの、一筋縄でいかないから面白い。こういう縁もあってもいんじゃないか。場所はみつかったんだろ。OK流石は探偵と言った所か、俺達はあんたとその父親の護衛をすれば良いんだな」
「ああ、よろしく頼む、どうやら今回は」
 Jの視線の先には、キーラン・ジェラルディ(ga0477)クレア・フィルネロス(ga1769)の顔を通り過ぎた。
「知った顔が多いな」
 キーランは、Jの視線に気づき無言の会釈で挨拶をした。キーランの顔は疲れのようなものが一瞬浮かんだ。それは疲労というよりも、独特の影ようなものだ。その翳りはキーランの顔から、すぐに消えた。
「ところでジュード、ケイトはお留守番ですか?」
 ジュードにキーランが話しかけた。
「ああ、相変わらずだよ。あれじゃ、嫁の貰い手はないな、やれやれだ」
「出来のよい姪をもつと大変ですね」
「おいおい、それじゃ、俺が間抜けみたいじゃないか」
「そうは言っていませんよ」」
 ジュードの言い草にキーランは笑う。 
 キーランがここにやって来たのには彼なりの訳があるのだろう。その訳を語ることがあるかどうかは別として‥‥‥も。
 そのキーランの隣にいるクレアは、なぜか思いつめたような眼差しを地に向けて俯いている。彼女は自ら作った殻に篭っている。
 殻自体の出来た理由は分かりやすいもの。誰でも理解できる。そのために彼女は復讐を願う。だが、殻の中にいるクレアの心を理解するのは難しい。
「相変わらずのようですね」
「何がですか」
 リディスがクレアに声を掛けた。クレアはどこか強張った顔のままリディスを振り向き笑おうとするが、上手く笑えないことに気づく。
 ぎこちない態度のクレアの態度を眺めていたベルティア(ga8183)は、吹いてきた風に乱れた髪を手で漉いた。目の前にいる彼女達へ何を言うかは迷ったが、何も言わないことが得策だと判断した。
 ベルティアは、内心悪戯めいた質問をいくつか用意していた。だが、それを問うほど彼女も子供でもなかった。
 如月・彰人(ga2200)は元気だった。彼はどこか陰鬱で影のあるものが多いメンバーとは違って、独特の単純さを備えている。単純というものが誇れるかどうか、また別の話だが、見回したメンバーの半分が女だったことに気づいた如月は、誰に声を掛けていいの迷った。
「いったい、なにを迷ってるんだい?」
 ザンがやや同じ空気を持つ、如月に寄ってきた。
「いや、その誰と話をしたらいいか‥‥‥」
 如月がなぜか弱気そうだった。
「女性が苦手ってことか」
「苦手ってわけじゃない、ただ」 
 ザンは、自分とキーランを目で教えたあと。
「男同士話すも、そう悪くはないが」
 ザンは口笛を吹く──そんな風景がここにあった。

●ν

 何も見えない。
 瞳に映るものを幻影と呼ぶのなら、幻影に浸るものは不幸に苛まれるのかもしれない。
 過去は現実のきざはし、ならば過去と未来の関係はいかに?

 門に立つのは銀の乙女。
 立ちはだかるものは乙女というには散文的な存在。
 大柄ではなく細身だ。身を包む装甲は無機質、鉛のような輝きをした金属が銀に見えなくもない。
 彼女頭部は独特の形をした兜。メットに覆われている。鍬形と呼んで良いのか分からないが、覆われたバイザーに装着されているのは、歪んだV字のよう、伸びた髪が揺れる。バイザーの向こう、裸眼は遮断されてこちらに通らない。下部より見える口元は整い、内部の何者が美麗なのだけは分かる。異様なのは全身に纏わりついた鎖と、手にも巨大な杖。
 寄り添うように、傍らに眠る犬型の生物がいて、唸る。
 足音に気づいた乙女は、右手に持った杖で侵入者を指した。絡まる鎖が鳴らす音がざらつく、さらけ出された装甲版が瞬くと、彼女は言葉を口にした。
「淀む者」
「朽ち果てる者」
「問い欠ける者」
 つなげた三つを聞き立ち止まった訪問者達に、さらに通る声で紡ぐ、
「実在に蠢く人の群。遍く現世の毒より逃れることも出来ぬならば、せめて光に去すのが慰み。此れより先は血塗られた過去を背負う者の宴。未来を望むものに開く扉は無い」
 乙女は右手を上げた。杖を掲げた。そして言った。
「審判を受けよ」
 這える穂先は光を伸ばし握ると、構えて佇むは波の如き刃。
 光源を見、吠えた狼は駆け出した。
 散開したパーティーは各自、己の得物を取る。
 初め、拡散するエネルギーが大気を振動して放たれた。キーランが放った光線は歪みながらも直線の描きた白狼へと打ち込まれた。
 狼は素早く避ける。
 再びキーランが銃を打ち込む前に、狼は彼へ牙を
「理屈はどうでもいい、邪魔をするなら。倒すのみです」
 クレアは言った。
 右手に握った柄を軽く振り回す。回転させて構えた両の手先にあるのは、槍。槍と槍の相対する中で、駆け出した彼女の鼓動と振動する兵器が虚を突いた。だが、穂先の前には霧。
 見回すクレアの頭上、空に跳ねた乙女は腰に下げた銃に手をやる、バイザーの向こうに輝く瞳の色が変わる。
 乙女を見上げる、四者、最初に飛んだのはリディス。
 振るう爪にちぎれた黒い闇、羽ばたき振るう爪が届くか届かぬ前に、乙女は銃口をリディス向ける。
「落ちろ」
 爆音と共に、発射された衝撃で乙女は宙に刹那浮く、撃たれる弾丸は無数の風を切ってリディスを襲う、防御する暇さえなく嵐に巻き込まれた彼女はきりもみ大地に向かって落ちた。
 土煙をあげ、叩きつけられるリディスを横目に彼らは、牙を立てる白狼と如月は対峙していた。
「右だ!」
 ザンが銃を構えた、弾き出される乱舞を掻い潜るように白は大地を駆け抜ける、刃を抜いた如月は迫る白狼を斬る、斬る、斬る。
 弧を描いた軌跡は、確かに狼を斬った。かに見える、初撃は一撃、ニ撃を交わした狼は如月の背後に回るべく走る。 
 如月は利き手から逆手に刀を持代え払うが、使い慣れない逆手と片手。威力と速度に劣る。切り裂かれた空気に追いつくより先に、交わした白狼は足を地につけ、左に跳ねる、再び構えたザンの射線は如月によって覆われた。
「ちっ」
 知ったザンは、舌打ちするが時は遅く、仲間を巻き添えにすることも出来ない。
 銃を捨てるとザンは刃を抜いた。

 ──。

 しばらくして、一時的に衝撃は去った。
 そして、男は独りいる。
「ここを通してほしいのですが」
 乙女は男を見る。着衣には血の乱れがある。バイザーを通して値踏みするようにみつめた後。
「血に染まり自分だけを愛する。自身の孤独さえ癒す事もできない人形。ならば門の彼方に消えて泣くがい」
 乙女はそれだけ言うと、風棄に道を開ける。戦う事を求めていたわけではないが、あまりのあっけなさに拍子抜けしつつも、彼は一歩ずつ踏み出した、彼がここを通ることが幸せかどうかは、別として。
 乙女は残った者たちに、構えた槍を告げた。
「お前達は戦う意味はもう無い。目的を果たして帰るがよい」
 乙女の声とともに白狼も動きをとめた、能力者たちはどうするか迷った。唯一その場にいない男に全てを託すのか、託すべき人物には見えない。
 だが、こびりついた血の匂いをさせたその男は城の中にいる。
 追憶という名の記憶は望郷の匂いをさせるが、混ざるのは滅びの腐臭。甘く濁った過去に覆われ眠りにつくために、たどり着く最後の場所は、目の前に男が居た。
「あなたが依頼人の父ですか? 親子の壊れた関係。壊すならばともかく、直すのは得意じゃないのですが」
 だが、彼は無言のままだ。
「あなたを壊す仕事ならば、1時間くらいかけてじっくりなぶり殺しにしてますよ? あなた自身の幸せなど、どうでもいいのですよ。命を捨てるのならば、その命、娘さんのために使いなさい」
 だが、彼は無言のままだ。
「あなたが奥方を必要としていた、娘さんもあなたを必要としています。言いたい事は、わかりますよね」
 風棄は、最後に言った。
「あなた殺して娘さん殺してもいいのですよ?」


●霧

 霧はまどろみのようなものだ。じっとりと濡れたような感覚、冷たいが暖かい。
 女は自らの滑らかな銀髪に手をやると言った。
「私には、貴方がどれ程の虚無感や絶望感を抱いているのかを、分かち合う事が出来ません。ですが貴方にはまだ、愛した人の忘れ形見が居ますよね? その人にも、今の貴方と同じ気持ちを味わせるおつもりですか? 貴方の愛した方は、そのような事は望まないと思います」
 風棄に連れてこられたメアリーの父は虚ろだった。ベルティアは彼を見出したあと、話しかける。
 声を掛けられ目の前にいる女を見たとき、男は過去の残影を見出した。
 力なく手を伸ばす、ここに生きる意味などなくても、触れた温もりに嘘はない。
 差し向けられた指なぞる頬、黙ってベルティアは受け入れると。 
「さぁ、帰りましょう貴方、私達の愛した方が残された、絆の元へ」 
 囁くと優しくく抱いた。
 氷解した思いは現世に繋ぐ思いの楔、男は何度も頷くと、気を失った。
 その光景を見ていたキーランは、
「人は誰かに寄り添わなければ生きていけないものです。自分も‥‥‥親友の存在が無ければ早々とこの世とお別れしていたに違いありません。例え、それが思い出であっても」
 俯いて言った。
「思い出に縋れなければ生きていけない。それは不幸なのか幸せか、難しいものです。何かを失った時、立ち止まるか進むかは、自分で決めることですから」
 答えたリディスは、湿気た煙草を捨てると踏み潰す。彼女の視線の先にはクレアの姿がある。
「生きるためには希望が必要、それがどんな形でも」
 クレアはリディスの視線に言葉で答えた。特に何を聞かれた分けでもなかった、だが、なぜかそう返していた。
「それにしても霧は思ったよりも重く、寒いもの。俺は早くかえって紅茶の一杯でも飲みたい」
 キーランが濃くなった霧を感じて呟いた。
 その後、ジュードは城門周辺で気絶していたケイトとアリスの姿をみつけた。なぜこんなところにいるのか驚いたが、無事だった事に気づくと安堵した。
 アリスは知った顔がいることに気づくと
「やっぱり来てくれたんだ」
 微笑んだ。
 アリスがここに呼ばれたのが何ためだったのかは、アリスさえも知らない。単に偶然という符号が紡いだものなのかもしれない。だが、アリス自身は彼らがやってくる事を知っていた。

「何せよ、待つものの元に帰るのだから、良いことだ。怪異も関係なかった。いや全て怪異のようなものかな」
 独特の雰囲気に、やや重苦しさを感じたザンが、少しおどけて言った。
 それを聞いていた如月は、アリスから伝えられたvalrについて考えていた。valrは戦死者を意味する。
「そうか、VALKYRIEか!」
 謎が解けた如月は、声を上げて喜んだ。その姿を皆驚き見つめる。
 ありきたりだが、その結末がきっと相応しい。
 陽炎のように建つ城。
 立ち去る彼らの後ろにその城はあった。
 銀の乙女は、何者なのかは分からない。あえていうなら彼女は能力者たちの持つ輝きに似たものを持っていた。乙女がなぜここに居て、城を守るのかは、アーカムの歴史に消え行く定めのようなもの。
 語られぬ定めを知る必要はない。
 城はずっと霧に包まれ、街が命を終えるまで存在し続けるだろう。


 独り歩く風棄はこびりついた血糊を剥がした。
 赤黒く鼻をくすぐる匂いを放つ物体を風棄は指で数度こねると宙に放した。
 霧に浮いた塊はしばらく漂っていたが、すぐに景色に溶け込み落ちる。
 目的は果たした。
 歩き出した彼、城から離れるにつれ、霧は深くなり薄くなる。
 狼の遠吠えが聞こえた。
 冷えていく身体、温もりを求めようにも誰もいない。
 ふと、風棄は自らの指先を強く噛む。
 傷より流れる鮮血を含むと、静かな温もりを感じ。
 なぜか──涙が溢れ出た。


 了