タイトル:【DS】幸福謳う六の弦マスター:津山 佑弥

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 14 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/10/11 23:23

●オープニング本文


 ピレネーで能力者に救出されてから少し後、あたしは久しぶりにラスト・ホープの地に来ていた。
 といっても、ここにきて何かをすることが最終目的ではないのだけれど。

「久しぶりだね」
 オペレーターのユネさんはあたしの来訪に驚きつつ、そう声をかけてくれた。
 彼とは前にラスト・ホープに来た時に知り合ったから、一年ちょっとぶりの再会になる。
 聞いたところによると、この間あたしを救助する依頼を能力者に提示したのも彼だという。
「あの時は本当にありがとう」
「僕は仲介をしただけだよ」
 彼はそう言って苦笑した。
「ところでまたラスト・ホープに来るなんて、何か用事でもあるのかい?」
「それなんだけど、あたし一人じゃ判断出来ることじゃないから訊きにきたんだ」
 助けられてからずっと考えていたことを、あたしは告げる。
「――アフリカって今、行けるのかな?」
「な‥‥」
 流石にユネさんも絶句したみたいだった。
「確か、この間チュニジアに人類の要塞が出来たんだよね? そこに行ければ‥‥と思ってるんだけど」
「何のために?」
「‥‥難民キャンプに行きたい、って言えば、大体分かってくれる?」
「――成程、ね」
 ユネさんは合点がいったらしく肯いた。彼はあたしが旅をする目的を知っている。
「でも――」それでも何か言いたげなユネさんに対し、
「あたしは既に戦争を体験しているのに、って言いたいんでしょ?」
 あえてそう口にする。当たっていたみたいで、彼は口を噤んだ。
「ちょっと前までは、あたしもそう思ってた。自分の体験に勝るものなんてない、って」
 目を伏せる。
 結果的に酷い目に遭わされたとはいえ、ベアトリクスと出会ったことは決して無駄ではなかったと思う。
 彼女の言うところの『環境の変化』は、今のあたしには確かに必要なのだ。そう気付かされたのが、聊か強引すぎた彼女の手口のせいだというのは皮肉な話だけれど。
 一言で言ってしまえば、ちょっと平和ボケしているところがあったのかもしれない。去年訪ねたビトリアだって、復興が始まって大分経っている。
 歴史も人の記憶も、時間が過ぎれば薄らいでいく。忘れられていく。
 あたしにとっては、父さんを失った時の戦火の記憶は今でもはっきりと思い出せるけれど――それでも、当時覚えていた全てを覚えているわけでは、きっとない。
 あたしが歌いたいことの対極にあるもの――『戦争の爪跡』という名の『非日常』。
 対極にあるからこそ、歌うたいという名の表現者としてはその記憶は鮮明に持っていたかった。どこかに、それがある限り。
「――分かったよ」
 あたしの考えを聞いたユネさんは諦めたように溜息をついた。
「丁度傭兵をスタッフとして手配しての慰安イベントがあるみたいだから、それについていくといい」
「傭兵を使って?」
「まだ要塞も構築されたばかりだからね。物理的な頑強さは兎も角、内部的なことは軍内でも整備中なんだよ。
 だからってその間難民を放置するっていうのも考えものだろ?」
 それもそうだ。
 
 ありがとう、ともう一度礼を告げてユネさんのオペレーティングルームから去る間際、あたしは心の中で言葉を付け足した。
(――ユネさんの分まで見てくるから)
 本当はアフリカにかける思いは、軍に関わる人の中でもひときわ強い筈なのに――業務の為にと留まる彼の為にも。

 ■

 数日後、チュニジア――要塞『ピエトロ・バリウス』。
 そこに設けられた屋外広場に、あたしはいる。
 広場、といっても地面は特に整備されているわけではない。凸凹が多少ならされたくらいで、風が吹けば砂は舞う。地上層は突貫工事だというから仕方ないと思う。
 あたしがいるのは広場の隅、広場と要塞内の通路を遮る金網の傍。引っ張ってきたパイプ椅子に座ってあたしはギターを抱えている。
 目の前ではたくさんの難民が、傭兵たちが行っている炊き出しに向かって列を作っている。
 老若男女問わない、というのが、人類とバグアの戦争ならではの光景なんだろう。これが人類同士の戦いなら、少なくとも若い男性はこんな場所にはいない。
 他には――あたしから見ると丁度広場の真向かいに、ステージが設けられている。
 民族楽器を用いての、慰安ライブ。少ない時間の中で軍の兵士が練習したそうだ。
 ――広場は結構な広さがある為、音はこちらまではあまり響かない。それはあたしのギターも同様だろう。互いの音の邪魔をしない程度の距離があるのは救いだった。

(――出来る)
 爪弾きながら、手応えを得る。
 食事をし、笑顔を浮かべる人々。
 民族楽器の音に、思い思いに身体を揺らす人々。
 勿論、難民キャンプという環境に押しこまれている彼らが本当の日常を取り戻したわけではないけれど――。
 そこにそうして佇む彼らと、周辺の状況とを見比べることで、あたしの中で何かが開けた。

 後は、詞――。
 どうしよう、かな。

●参加者一覧

/ アルヴァイム(ga5051) / 百地・悠季(ga8270) / ガーネット=クロウ(gb1717) / 澄野・絣(gb3855) / 橘川 海(gb4179) / 月城 紗夜(gb6417) / リスト・エルヴァスティ(gb6667) / 黒瀬 レオ(gb9668) / ソウマ(gc0505) / 佐治 容(gc1456) / ヘイル(gc4085) / 天野 天魔(gc4365) / 鎌苅 冬馬(gc4368) / 霧罪(gc4436

●リプレイ本文

「炊き出しを、フェスタの出店形式で出せないですか?」
 慰安イベントの数日前、橘川 海(gb4179)はそんなメールを企画の責任者に宛てて出していた。
 バグアの配給や現地の人々の生活がどんなものだったのかは知らないけれども、やるなら少しでも楽しんでもらえる形式にしたい――。
 そんな思いから、ラスト・ホープ内で行われる祭り用の出店のセットを輸送してもらえないかULTに打診する等、準備段階から精力的に動いていた。
 その行動の根底にあるのは――『一緒に思い出を作り上げたい』という思いだった。
 誰もが、日常的に色々なモノと戦っている。
 誰もが、幸せになる為の力を戦争に浪費させられていく。
 だから今幸せ、ということは難しいことだと海は思う。
 けれど――。
(振り返ったときに俯瞰できる幸せ。それがきっと、思い出なんじゃないかな?)
 そうも思っている。
 自分にとっての母親との『思い出』、皆との『思い出』がそうであるように。
 後から思い出した時にそれが「幸せ」だと感じることが思い出の最たる価値であり、その思い出した瞬間にも幸せを感じることが出来る。
 そんな力は、権利は、誰もが持っている筈。
 だから、今日という日がそんな日になるように手伝いがしたかった。

 そんな彼女の要望も大方通り、イベント当日を迎える。
 実際の出店の設営には数人のスタッフの力が必要となったが、その中にはリスト・エルヴァスティ(gb6667)の姿もあった。暑さに慣れていない為タンクトップになっている彼の後姿には、背中に彫った天使のタトゥーが垣間見えた。
 出店も含め、急ピッチで進められた設営作業は当日朝には九割方終わっていたが、急であるが故にステージの足場の強度には不安が残っていた。
 その穴を埋めたのはアルヴァイム(ga5051)だ。事前にステージを含めた会場で使われる資材のチェックを済ませていた彼は、それに合わせた補修用の資材をジーザリオに積載してきていた。
(日常の幸せ、か。誰もがそれを享受できる事が『平和』の証なのだと思うがね)
 ジーザリオから資材を下ろしながら、アルヴァイムは思う。
 ともあれ、舞台は整えることにしよう。
 本人にその気があるかは確認はとっていないけれども――この場の空気は、きっと彼女がこのステージに立つことを望んでいる。
 ならば自分は歌われぬ者として、やるべきことはやっていよう――そんな風に考えた。
 足場の補強が施され、とりあえず開催するにあたっての問題はなくなった。その頃には炊き出し用のテントなども本格的に用意され始めていて――。
「‥‥?」
 要塞から偵察に出ていた帰りだったガーネット=クロウ(gb1717)がそれらの様子に気づいて足を止めた。
 ついでに、その設営の様子を少し離れたところで見守っている少女の存在も気になった。
 設営していた兵士にイベントのことと少女のことを聞く。もっとも後者に関しては歌うたいであることくらいしか兵士も知らなかったが――。
「日常がテーマ‥‥。どんな歌なのでしょう」
 少し興味が湧いたガーネットは、イベントのスタッフとして参加することにしたのだった。

 ――それからもう少しだけ時間が過ぎ、やがて難民キャンプの人々が広場に集い始める。
 そして、イベントの為――或いはそれを護る為にここへ来た、傭兵たちも。

 ■

 岬が座っていた場所は広場の端で、広場自体それなりに広かったからその辺りは人の密度は薄い。
 だから彼女を探すことも、岬が自分に近づいてくる人の姿を捉えることも簡単だった。
 とはいえ、後者は広場を見渡していればの話。
 傭兵たちの中では最初に黒瀬 レオ(gb9668)が彼女の姿に気がついたのだけれど、その時彼女はギターを見下ろして作曲に集中していたようだった。
「‥‥岬ちゃん」
「あ」
 目の前まで来て話しかけたところでようやく岬は顔を上げた。つい先日の恩人の顔は流石にはっきりと覚えているらしく、少々嬉しそうな表情を浮かべる。
「この間は災難だったね」レオは岬が被っているキャスケット帽の上から手を置く。
「‥‥ん、でも助けてもらったし、あのことがあったからここに来ようと思ったのもあるしね」
 はにかみながらそんなことを言う岬を見つつ、レオは思う。
(ちっぽけな僕でも、この手の届く範囲で護り抜けたものがあったんだろうか?)
 少し前にある出来事が起こってから、自分の非力さを痛感していた。
 けれども岬のギターと帽子を見つけ、それが切っ掛けで彼女の命と繋がり、救い、今こうして出会えたことで――そんな自分も、少しは許せたような気がした。
 彼女が無事でいてくれることが、自分にとっての唯一の救いで。
 彼女がこうして笑っていてくれるのなら、自分も前を向いていい――そんな風にも思える。
 だからこそ――今この場は、護り抜きたい。
「君の歌を――あの時見つけたそのギターの音を、どうしても聴きたかったんだ。
 楽しみに、しているよ」
「‥‥うんっ」最初の一瞬こそ驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに岬は再び笑顔を見せた。
 それに肯きを返してから、レオは広場の外へ――傭兵として在るべき場所へと向かった。
 弦を爪弾きながらもその姿を見送っていた岬の許に、今度は佐治 容(gc1456)が歩み寄ろうとしていた。
 岬も今度はそれに気づいて、一度目を見開いた後に軽く頭を下げる。
「それ、あの時のギターですか?」
「うん」
「そっか――こういう音がするんだ」
 容はレオが話しかける少し前からギターの音色に耳を傾けていたのだった。
「音楽に絶望してなくて‥‥本当によかった」
「え?」
 首を傾げた岬に、容は苦笑いを見せた。
「俺は半ば絶望して、楽器を剣に持ち替えちゃったからさ。
 あの後君がどうしたかっていうのは気になってたんだ」
「そうだったんだ‥‥」
 一歩間違えれば暗くなりそうな雰囲気が漂う。けれども、容はそんな風にしたいわけではない。
 ただ――伝えたいだけだ。
「だからいい表情で‥‥ほっとしました」
 目の前の少女が自分のようにならなかったことへの、感謝を。

 容も警戒へ向かってから少しして、天野 天魔(gc4365)が岬の方へと歩み寄ってきた。
 彼の手には買ったばかりのカメラが握られている。アフリカの今を記録する為に、広場内の警備をしながら暇を見ては難民たちの表情を撮影しているのだ。
 そんな彼が、軽い初見の挨拶を交わした後、「作った曲を録音させてくれないか」と言い出したものだから、流石に岬も少し驚いた。
「え、そこまでして‥‥?」
「俺は今任務という非日常なんでな。日常の幸せを謳う曲ならオフに、日常で聴いてみたいと思った、では駄目か?」
「‥‥なるほど」
 その言い分には納得せざるを得ない。
 岬が肯いて返すと、天魔は難民たちの方に視線を向けて口を開いた。
「幸と不幸は等量だ。故に例えそこが地獄であろうとどんな場所にも幸はある。
 しかし人は不幸は容易く見つけられるが幸は中々見つけられない生物だ。日常では特にな」
「‥‥そうだね。昔の――こうやって旅をする前のあたしもそうだったと思うよ」
「難民たちもそうだ。今は慰安という非日常で幸を見つけているが日常に戻ればまた不幸ばかりを見つけるだろう」
「バグアから解放されたといっても、元の生活が戻ってきたわけじゃないしね‥‥」
 日常を意識するのは、その日常が平穏であればあるほどに難しい。
 とはいえ平穏でないからといって、幸福を意識し易くなるかというと決してそうでもないのだ。
「故に彼等を真に安らげるにはすぐ隣にある幸、『日常にある幸せ』に気付かせねばならない」
「本当は難民だけじゃなくって、色々な人に気づいてほしいと思うけど、ね」
 それぞれの言葉に、肯き合う。
 幸福である為に必要なものは、勿論過去にも、これから追いかける未来にもあるだろう。
 けれども、たとえ今の日常が恵まれていなくとも――その中にもきっと種はあるのだから。
 
 ソウマ(gc0505)は周辺警戒に出る間際、難民たちを見て思考に耽っていた。
 イベントはまだ始まったばかり。難民の間にも慣れない空気があるからか、今はまだ活気には乏しい。
 この状態が、空気が和んできた後にどうなっているか――。
 このイベントの成否はそこにかかっているだろうとソウマは思っていた。
 人々の心と身体を少しでも癒せれば。
 明日を生きたいと思わせられれば――それが最上の結果だろう。
 そんなことを考えていた彼の耳朶に、不意にギターの弦の音が響いた。
 音のしたほうに視線を向けると、少女の姿が目に入る。
 イベントのスタッフとして参加する際に、少女の存在はそれとなく話だけは聞いていた。
「‥‥あのお姉さん、勇気がありますね」それでも実際に目にして、感心したように呟いた。
 それから彼もまた岬に歩み寄り、挨拶を交わす。
「『日常にある幸せ』を歌っているんですか」
「うん。‥‥何か、意識してることってあるかな?」
 そう尋ねられ、ソウマはしばし沈思した末に口を開いた。
「『おはよう』『おやすみ』と言える人の存在‥‥かな」
「おー‥‥」
 何か思うところがあったのか、岬は膝元に広げていたメモに『おはよう』『おやすみ』とペンを走らせた。
 その様子を見つつ、ソウマは言葉を続ける。
「僕にとっては、ですけどね。
 なんだか、僕はここに居ても良いんだという安心を感じれるんですよ」
「分かる分かるー」うんうんと岬は何度も肯いた。
「お、っと‥‥そろそろ行かないと」
 ソウマは広場の外に視線を送り、呟く。
 それからもう一度岬を見て、問うた。
「もしよかったらイベントが終わったら話しませんか?」
 その誘いを岬が拒否するわけがなかった。

 ■

 イベントに最初こそ若干戸惑いの表情を見せていた難民たちだったけれど、彼らが主旨を理解するにつれ俄かに広場は賑わい始めた。
 広場で炊き出しの列の整理を行っていたスタッフの忙しさもそれに比例して増していく。
「慌てないで。大丈夫です」
 そのスタッフの一員として働いていたガーネットはそう言って急ぐ人々を制した。
 海が提案した通り出店形式で出された炊き出しは、用意し得る限りの素材を用いていくつかの料理が用意されている。多少人気が偏ったとしても、そうそうすぐに無くなるということはないだろう。

 周囲が少し落ちついたところで、ガーネットは空を見上げた。同時に、炊き出しの匂いが鼻腔に届く。
 今日までのことがそうだったように、今日のこの空も匂いも、ラスト・ホープの兵舎や仲間のことさえもいずれは過去になるのだろう。
 ただ、『現在』や『未来』が『過去』になっても――自分のいる『日常』は変わりはしないのだとも思う。
 顔も知らない『あしながおじさん』と過去を探すことが目的である日常は。
 ――そんな、ある意味では諦観とも取れる思いを抱いているからこそ、興味を抱いたのかもしれない。
 今は人々の波に隠れて見えない『彼女』が座っているであろう方向に視線を向ける。
 歌――。
 そのものは、好きでも嫌いでもない。
 教会の讃美歌で皆と声を合わせる一体感が好きだっただけで、その讃美歌も一人となった今では口ずさむこともなくなっている。
 ただその感情はガーネットのものであり、今まさに歌を作りだそうとしている『彼女』にとっては全く違うものなのだろう。
 彼女に関することは、兵士に最初に聞いた後、他の傭兵たちの口ぶりから少しは知ることが出来た。恐らくは全く考え方の異なる彼女の過去に浅い共感を覚えたのも、歌を聞いてみたいと思った一因なのかもしれないとガーネットは思った。

 ガーネットが列を整理している炊き出し。
 その出店は提案した海の親友である百地・悠季(ga8270)が中心となって運営されていた。
「地道な努力による暖かい支援が、希望の灯火に繋がると――さて、友愛の輪を広げるわよ」
 そんな言葉通り、悠季は特に目いっぱい動いていた。
 マカロニ系のパスタを用いたパスタ料理数品を用意しつつも、それでも難民に対して向ける笑顔は忘れない。
 時折返される感謝の言葉には、激励で返し――手際よく配膳していく。
 他にもスタッフはいるにはいたが、それでも多少手が足りなくなってきた頃、
「さて、何か手伝う事あったら、遠慮なく言ってくださいね?」
 もう一人の親友、澄野・絣(gb3855)が姿を現した。普段から身に纏う着物は襷掛けにし、その上に割烹着を着込んでいる。手伝う準備は万端、といったところだ。
 絣は悠季の手伝いをしながらも、自身でも豚汁を作り振る舞い始めた。
 ――が、それからしばらくして
『西門より2000、キメラ狼タイプ。数は3。C地点にて迎撃予定。増援、お願いしますっ』
 無線連絡が入った。今は要塞の外で周辺警戒に当たっている海からだった。
 絣と悠季は顔を見合わせ肯きあうと、他のスタッフに炊き出しを任せてその場を離脱した。

 ■

 事前に数名の傭兵により要塞周辺で目に付いたキメラは掃討されていたけれども、何せ少し前までバグアが全域占領していた地帯である。無数の人の気配に気づいた別のキメラたちがすぐに接近を図るのも当然だ。
 強固に作られた要塞の外壁を突き破り人々に危害を加えるのはどちらにせよキメラにとって容易なことではないのかもしれない。
 ただ――少なくとも今日という日には、難民たちにはバグアの影も形も見せてはならない。
 それに――。
「歌を、あいつの邪魔はさせない」
 海から伝わった援護要請に応えるべく走りながらリストは呟いた。
 過去は覆せるものではないからこそ、『今』全力を出すことが大事なのだと思う。
 全力を出すのも決して後で振り返った時に言い訳にする為ではなくて、そうした結果として誰かを護りたいからだと。
 そして今護りたいものは――人々と、岬と、彼女の歌。
 彼女の歌は、きっと難民たちを安心させることが出来る――リストはそう信じている。
 全力を出す理由はそれで十分だった。

 海のいる地点へ向かう途中で、レオと合流する。
 彼は駆けながらも何やら考え込んでいる様子を見せていた。
「黒瀬、どうした?」
「あ――いや、このキメラの襲撃も、例の組織の仕業なんじゃないかってちょっと思っちゃって」
「天鶴を攫った奴らのことか?」
「うん‥‥杞憂だと思いたいけどね」
 リストの問いかけにレオはそう頭を振って答えた。
 リストもまた少し考えた後、告げる。
「‥‥とりあえず今は殲滅することだけ考えよう。後で問題が続かなければ、関係はないだろう」
「――そうだね」
 二人は肯き合い、更にスピードを上げた。

 海は最初の報告では数は3といっていたが、それから逐一敵が増え――迎撃地点に指定した場所に近づく頃には、海は一人で10近くの敵を引き寄せていた。殆ど負傷していないのはAU−KVのバイク形態で引きつけながら走っている為だったけれども、ちょっとでも気を抜けばたちまち危機に陥り得る状況だけに海は適度に慎重にバイクを走らせていた。
 けれども――これだけ敵を引きつけているということは、同時に要塞に近づいていたモノも少なくなっている筈だ。
 今日という日が、楽しかったなあって皆に思い出してもらえるように。
 明日への活力としてもらう為に――そういった海の目的を叶えるには、理想的な状況を作り出しつつあった。

 迎撃地点には、既にレオとリスト、絣と悠季が待ち構えていた。
 対するキメラの内訳は、狼型が3、蛇型と馬型がそれぞれ2、ライオン型が1匹――。
「その隙、逃がさないわよ?」
 キメラたちは海を追うのに夢中で、相手の援軍の存在に気付くのが少し遅れた。その間に、覚醒を済ませていた絣が矢を解き放つ。
 矢は先頭に立って海を追い掛けていた馬型の目の前に降り注ぎ、その後ろも纏めて踏鞴を踏んだところで。
「いきますよっ!」
 反転した海の叫びを号令として、傭兵たちは攻勢に乗り出す。
 数はキメラに分があったが、海が壁となっている間に悠季が剣でダメージを与えていき、最終的には絣がとどめを刺し――。一方ではリストとレオが交互に剣戟を加えていく。
 先頭にいた馬型が早々と倒されてしまった後、キメラは態勢を立て直す余裕もなく次々と崩れ落ちていった。

 ■

 海たちによる掃討が終わり、絣や悠季が再び広場へと戻っていた頃――。
 彼女たちの迎撃地点からは大分離れたところにいた為、鎌苅 冬馬(gc4368)は最初に自分がいた地点での警戒を続けていた。
「‥‥初めての依頼、緊張するなー‥‥」
 ここに来る前に広場内での誘導をしていたりはしたけれども、いつキメラが現れるか分からないこの状況下ではその緊張が身体を襲うのも無理はなかった。
 ――これで本当に自分のところにキメラが来たら多少動きが硬くなってしまうかもしれない、などとちょっと考えたものの、そうはならなかった。やはり警戒班で行動しているヘイル(gc4085)から敵発見の連絡があったのだ。少しばかり数が多く、増援が必要とのこと。
「了解です! すぐに向かいます!」
 冬馬は言うが早いか、全力で駆け出した。

「こちら警戒班。敵襲あり。これより迎撃に向かう。そちらも警戒を」
 無線でまず広場にいるスタッフに連絡を入れたヘイルはそれから冬馬やアルヴァイム、容に連絡を入れ――。
「‥‥ここから先は一匹たりとも1mmたりとも進入はさせない。ソウマ。――殲滅するぞ」
「――はい」
 近くにいた為すぐに合流したソウマと肯き合い、駆け出した。
 キメラの数は5匹。3匹は偶然にも海たちが目にしたのと同じような狼だったけれど、残りの2匹は長い鼻の代わりに先端の鋭い刃をつけた象に似た異形だった。象をモチーフにしているだけあってか、当然体躯はヘイルたちや狼より遥かに大きい。冬馬たちに連絡を入れたのも異形には梃子摺るかもしれないと判断したからだ。

 実際問題、仲間が増えてみればそれほど苦労はしなかった。
 事前偵察で周辺の地形が把握出来ていたのが大きい。その為アルヴァイムが敵の潜んでいそうな要警戒区域を選定するのも楽だったし、そこから敵が現れない以上は今目につく敵さえ倒してしまえば警戒を解くまでにそれほど時間は要しない。その理屈は、傭兵たちに精神的な余裕も与え――それは、戦時に頭を働かせることにもつながる。
 結果として、射撃と接近戦――全てが連携し、傭兵たちは少々傷は負いつつも確実に、終始有利に戦闘を進めたのだった。

 ■

 月城 紗夜(gb6417)は広場内での警備を続けていた。
 同じように警備を務めているスタッフに不審な姿が見えないかどうか聞いたり、疲れているように見えるスタッフには水を配ったりしていたけれども――イベントも盛り上がっている中、不意に兵士たちが演奏を続けているステージに目を向け、そちらへと歩き出した。
 今日ここに来たのは、イベントの補助をするだけではなく――彼女なりの、もう一つの目的があったから。

「ステージを空けて欲しい?」
 ステージ管理者のスタッフが首を傾げたところで、紗夜は数枚の楽譜の束を取り出した。
「弟の遺した歌だ‥‥我は姉として、弟の作り上げた歌を広めたい」
 幸い、兵士たちが演奏している楽器の中には楽譜で使われている楽器の代用が出来そうなものもあった。寧ろ普段から見知っている分、楽譜内で使用されている楽器の方が扱いやすいかもしれない。
 そんな理由もあって、紗夜は自身がステージに上がるとともに、楽譜を手にしたバックバンドがついた状態で目的を叶えることになった。

『温もり』と弟が名付けた曲の序奏を耳にしながら、紗夜は思う。
 笑って生きていける世界を望み、自分を庇って死んだ、弟。
(アイツの為に私が出来ることは何なのか――)
 考えた結果が、これだ。
 アイツが遺した歌を、一人でも多くの人に聞いて欲しい――。

    手を伸ばした君 指先が温かくて
    悪戯に僕の頬に触れ 僕はその手を握る
    心が温かい 君の指先も、温かい
    生きる温もり その笑顔
    守る事、出来なくても 寄り添う事、したいから
    君が 君と 君へ 言葉を紡ぐ
    ―――ありがとう

「バグアとの戦が終わってもまだ、人間の心は惑う――いつか、アイツが笑える世界を」
 歌い終わった後、紗夜は小さくそう呟いた。

 キメラとの戦闘を終え、ヘイルは一旦広場に戻ってきていた。
 軽く治療を済ませて広場の確認に入ったのと、紗夜がステージに上がったのはほぼ同時だった。故に、兵士たちはまだ楽器を再度奏で始めてはいない。
 それもあって、賑わいの中ギターの弦の音がヘイルの耳に届いた。
(‥‥いい曲だ。何処からだ?)
 周囲を見回すと、広場の隅でギターを弾いている少女の姿が目に飛び込む。
(彼女が弾いているのか。邪魔しては悪い。離れて聴かせて貰おう)
 ふらりと人々の間をすり抜け、広場の隅――岬とは少し距離を置いたところで金網に背を預けた。
 奏でられる心地よい旋律を耳にすること暫し、
「――木漏れ日の中 君が笑う 夜になったら星を観よう 手を引く暖かさに‥‥」
 そんなフレーズが、自然と口から洩れた。
 少し違うな、と思っていた矢先、弦の音が止み、少女の視線が自分に向いたことに気がついた。
「っと、聞こえてしまったか? 済まない、邪魔するつもりは無かったのだが」
 詫びを入れつつ、岬に歩み寄る。
「初めましてになるな。傭兵のヘイルだ。よろしく」
「えと‥‥天鶴・岬です」
 差し出した手に対し岬からも手が伸ばされ、握手を交わした後――。
「良い曲だな。完成しているのか?」
「ううん、もうちょっとだけど」
 質問に対し、岬は首を横に振った。
「‥‥そうか、出来上がったら是非聴きたいものだ」
「多分ほんと、もう少しだけどね。ちょっと歌詞が決まらないだけだから」
 そう言って、岬は苦笑する。その様子を見てから、ヘイルは人々の方に目を向けた。
「歌というのは不思議だといつも思うよ。風になれる、花になれる、誰かになれる。それを誰かが聴いている」
「‥‥あ」
 不意に岬が声を上げた。
「どうした?」
「――や、何でもないの」言いながら岬はペンを走らせていた。何かが閃いたのかもしれない。
「もう少し聴いていてもいいかな?」
 その問いには岬は肯き、ヘイルが再び弦の音が聞こえる程度に距離を取った直後――。
「――できた」
 メモに目を向けていた岬は呟き、同時に、
「岬さん、お久しぶりです」
 こちらも広場に戻ってきていた絣が声をかけた。
 久しぶり、と岬は笑顔で返し、
「設営の方で海ちゃんが関わってるって聞いたから、きっと来るんだって思ってた」
 そう続ける。絣はその言葉に少々驚きつつも、
「良かったら軽く合わせませんか?」
 以前ビトリアでそうしたように――誘いをかける。勿論、そんな絣の手には横笛『千日紅』が握られていた。
 すると岬は、
「勿論そのつもりで用意もしておいたんだよ?」
 数枚の楽譜を絣に差し出した。
 今度は目を丸くして驚いた絣に対し、岬は悪戯っぽく笑って告げた。
「来ると思ってたって言ったでしょ?」

 とは言っても岬も笛の楽譜は初めて書いた為、演りにくい箇所はどんどん絣の判断でアレンジし――楽曲が、遂に完成に至った時。
 歌い終えたばかりの紗夜がステージの反対側にいる岬のところまでやってきて、告げた。
「――場を空けてもらったついでに、という言い方も変だが‥‥貴公もあそこに立って歌わないか?」
「‥‥え?」
 紗夜はスタッフから、自身と同じように歌を歌っている存在の話を聞きつけたのだ。
 目を丸くした岬に、紗夜は言葉を続ける。
「その方が、皆聞いてくれるだろう? ――警備にあたっている傭兵も含めて」
「あー‥‥」
 言われ、イベントが始まったばかりの時にレオに言われたことを思い出した。
「――分かった」
 
 兵士が去ったステージ上に入れ替わるように二人の少女が現れたことで、人々は一度騒然となった。
 それがスタッフの呼びかけに収められた後、岬は口を開いた。
「えー‥‥急にここに立つことになったから、喋ることなんて考えてなかったんだけど‥‥」
 ギターを提げたまま頬を掻き、
「だからこそ、歌に全部を込めようかなって」そう言って、掻いていた指で弦を押さえた。
「――あたし、いつもは自分が作った曲に曲名って殆どつけないんです。
 曲名って、その曲を象徴する記号だと思ってるから‥‥逆に言うと、自分の言葉をそこに集約したくなくて」
 でも、と岬は続ける。
「今から歌うこの――さっきまで作っていた、出来上がったばかりのこの曲には、名前をつけました。
 象徴する記号、ってだけじゃなく、この歌が『皆のお陰で出来た歌』――あたし一人じゃきっと作りたくても作れなかった曲だから。
 ――それじゃ、聴いてください。‥‥『アンプラグド』」

    おはよう 今日がまた始まるね
    寝ぼけ眼を擦りながら 今のことを確かめよう

「あ‥‥」
 この単語は――。
 最初のフレーズに、ソウマは思わず声を上げる。
 イベントも終わりが近く、徐々に警備の範囲を狭めていた為、広場の外にいる面々にも岬の声は届いていた。
 とはいっても、戦闘は完全に終わってはいない。広場からは見えないぎりぎりの範囲のところで、レオや容、冬馬がキメラに対して刃を振るっていた。
 ――護るモノがある時、人は強くなれるって‥‥ホント、かな。
 歌声を背に、レオはそんなことを思った。

    眩しい 痛いくらいの太陽
    滲んだ汗が気持ち悪くて 水を飲んで一休み

    誰かのココロ 乾いたら
    そっと優しさ 与えられる
    柔らかな風になりたい

    だから伝えよう ありがとうって昨日の僕に
    君がいたから今日もまた 僕はここに立っているんだ
    失くしたものが戻らなくても 後悔しない
    それでも進んだこの道だけで 手に入るものもあるから

「しみるなあ、何でしみるんだろ」
 キメラを片付けて武器をしまい、歌を聴きながら容は呟く。
 同じことを感じている者は、きっと他にもいるのだろう――。

    新しい日
    ご機嫌いかがですか
    こっちは今日は雨みたい
    雨上がりは好きだけど‥‥

    冷たい雨にうたれたって
    雑踏の蒲公英のよう
    いつも咲いていたい

    だから伝えよう 大丈夫って昨日の僕に
    君が泣いたことがまた僕を強くして笑えるんだ
    足跡はきっと消えることない僕らの絆
    瞳閉じればすぐそこに 信じられるものがある

 ややアップだった楽曲がそこで若干テンポを落とし――絣の笛の音が強調されるパートへと入り。
 それにやがて、丁寧に爪弾かれるギターの弦の音一つ一つが絡み合い始める。
 その頃には人々は炊き出しのことも忘れ、誰もがステージに見入っていた。

    止まない雨がないように
    晴れもずっと続くわけじゃないから
    大事なものは追いかけるだけじゃなくて
    ちょっとずつ足元から拾っていこう

 広場の中で警備を続けながら歌を耳にしていたガーネットの脳裏に、不意にかつて歌った讃美歌が浮かんだ。
 そして、気づく。
 目的と違い日常は不変ではないけれど――そんな、讃美歌を歌っていた過去の『日常』も、残るものなのだと。
 
    だから伝えたい 大丈夫って明日の君に
    君にも ほら 今日までに手にしたものがある

 静かに続いていたメロディーは、弦が一際強く弾かれたそのタイミングで再び転調する。

    そして伝えよう 明日も明後日もずっとずっと
    繋がれていく命 全てに日々があるんだって
    躓くこともきっとあるけどそんな時には
    ありのままのこの歌で 手を差し伸べに行くよ

    おやすみ 明日は晴れるかな
    雨でも僕は止まらない
    今日の笑顔が力をくれるから――

 ■

 イベントは終わりを迎え、日も落ちようとしていた。
 再び広場の隅に戻り、緊張から解き放たれたからか手足を投げだしていた岬のところへ数人の傭兵がやってきた。
「有難う。良いものを聴かせて貰った。こういうものを守れると言うのは励みになるよ」
 軽く拍手をしながらヘイルはそう言い、岬は照れ臭そうに笑みを浮かべた。
「曲の礼だ。アフリカの今が映っている」
 天魔が記録媒体を岬に手渡す。データの中身は、彼が今日一日撮っていた人々の写真だろう。
 受け取ってから岬は、その場にいる傭兵たちの顔を見回し――申し訳なさそうに首を少し引っ込めた。
「なんか‥‥いいのかな。難民の皆の為だけならまだしも、あたしの為にもこんなに動いてもらっちゃって‥‥」
 スタッフとしての働きだけではない。歌詞を作る際のヒントも、彼らからたくさん貰っていた。
「いいんだよ」レオは言う。
「最初に言ったよね。君の歌を楽しみにしてるんだって‥‥それは僕だけじゃないと思うよ」
 彼の言葉通り、数人がすぐに同意を示した。その楽しみにしていた歌は今、レオの手元にもデータとして存在していた。
「そういえば、岬さんはこれからどうするのっ?」
 一日警備に回っていた為、面識はあるとはいえ海が岬と会話するのは今日はこれが初めてだった。投げられた問いに、
「うーん、そろそろ一回家に帰ろうかな、って思ってるよ。
 また旅には出るけど、母さんを安心させたいし――父さんにも話さなきゃいけないことが、色々あるしね」
 岬は苦笑交じりに、そう答えた。
「そうか――では、また。縁があれば何処かで」
「うん‥‥またきっと、そのうちに」
 ヘイルの言葉に、岬は表情を純粋な笑顔に変えて肯いた。


 アフリカの大地に夜が訪れる。
 ――明日、そしてそれから更に続く日々を迎える為に。