タイトル:【染】沈ス先ハ金海・後マスター:津山 佑弥

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/05/17 23:44

●オープニング本文


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「――今のところ順調にやってるみたいね」
 カプロイア日本支社・六階――。
 階段を上りきったところで、先刻までそのフロアを支配していた黄金が消え去っているのを確認し、アスナは言う。
「早速――まずはここから上のフロアの話に入るわ。
 ここまでみたいにフロア中を黄金が埋め尽しているわけじゃないけど‥‥」
 アスナはそこで一旦言葉を切り、上を見上げる。
「ちょうど、この真上ね。七階から八階、それとその上――階段を上りきったところに、騎士風の姿を象ったキメラが待ち構えているそうよ。‥‥やっぱり黄金の、ね。
 ここから上も階段の隣はエレベーターだから、実質エレベーターホールっていうことになるかしら」
「それを倒せばいいんだな」
「そうなんだけど‥‥階段の上にいるっていうことは地形的に有利な位置にいるじゃない?
 あとキメラの得物――って言ったらいいのか分からないけど、兎に角槍状のもの、しかもやたらリーチの長い三叉の槍で攻撃してくるからちょっと頭を使う必要はあるかも」
 ドアが開いた瞬間の危険性もなくはないが、エレベーターを使うのも手、だという。
「というか、最初からエレベーターで飛ばせばいいんじゃ」
「出来ればそれは何より、だけど。ここまでやっておいてそれが出来るとは思えないのよね。
 これは、ちゃんとした証拠があるわけじゃないけど‥‥」
 言葉通り少しだけ自信なさげに、アスナはそう答えた。
「――で、十階。最上階については――」
 若干申し訳なさそうな表情を浮かべて、アスナは告げる。
「分かっているのは、支社長室がありえない状態になっているのと、それ以外には特に何もないこと、くらいなの」
「ありえない状態?」
「当然私だって実物を見たわけじゃないから信じ難いんだけど‥‥本来あるはずの天井がなくて、支社長席の両脇から空に向かって二つの階段が伸びている、という話よ。
 そしてその途中で、それぞれドアがある――そこから先の情報は、流石にないわ」
 アスナがそこまで言った時、まるで見計らったようなタイミングで一つ、構内放送を告げる音が鳴った。
『ここで問題でーす。支社長さんはどこにいるでしょー?』
 ――そして響く、夢芽の声。
 驚くことはなかった。人気はなく、支社長も行方不明のまま――そうなるとこんなことが可能であるのは彼女しかいない。
『いちばーん、左側の白いドア。
 にばーん、右側の黒いドア。
 さんばーん』
 そこで一度言葉を切った夢芽は、小さく息を吸い込んだ後に再び声を発した。
『どっちにも居る』
「‥‥?」
 その選択肢には、アスナを含めた全員が首を傾げた。
『それじゃあ皆で考えよー。あ、どっちにも居ないっていうのは今回はないから安心していいよ★』
 夢芽はそう言って、放送を切った。
「‥‥‥‥」
 少しの間、無言の時が流れる。
「――どっちにも居るとしても、どちらかは偽者だろう?」
 そんな言葉が能力者から漏れ――我に返ったアスナが、口を開く。
「そう――そうね。
 ここからはあの支社長のことになるんだけど――将来的には独立して、それこそメガコーポーレーション並みの企業を作るっていう野心もあったそうよ。
 その話は伯爵の耳にも入っていたみたいだから間違いないわ。
 ‥‥これは私の推測でしかないけど、二つのドアっていうのはその将来を示してるんじゃないかって思うの。――成功するか、破滅するか、ね」
 それと、と付け加えてアスナはショルダーバッグから資料を取り出す。
「あの子――夢芽のことだけど、ヨリシロか強化人間かは兎も角、バグアであることは間違いないみたい」
 彼女が白い自転車にまたがり最初に現れた地――福島県のとある街。
 調査の結果、その隣町で一人の少女が数ヶ月前に謎の失踪を遂げていることが分かったのだ。
 凪島・夢芽。それが少女の名前だと知り、アスナは更にその少女について調べた。
「友達は‥‥多くなかったみたいね。
 ここに来る前に無理やり時間を作って彼女が通っていた学校に行ってみたけど、『大人しい子だった』って担任の先生も言っていたし」
 ただ、とアスナは続ける。
「作り話を作るのが大好きで、将来は作家にでもなったらいいのに、とも担任は思っていたそうよ」
「作り話‥‥」
 それが彼女が今まで作り続けてきた怪異のベースであるとみて間違いはなさそうだ。
「他にも何かありそうだけど――今は、それを調べるよりも先にすることがあるから、ね」
 そう言ってアスナは、上を指差す。
 ――兎に角今はやるべきことをやるだけ、と。

●参加者一覧

白鐘剣一郎(ga0184
24歳・♂・AA
ホアキン・デ・ラ・ロサ(ga2416
20歳・♂・FT
ブレイズ・S・イーグル(ga7498
27歳・♂・AA
夜十字・信人(ga8235
25歳・♂・GD
鈍名 レイジ(ga8428
24歳・♂・AA
ヤナギ・エリューナク(gb5107
24歳・♂・PN
黒瀬 レオ(gb9668
20歳・♂・AA
沖田 護(gc0208
18歳・♂・HD

●リプレイ本文

●騎士が護るモノは何ぞ
 階段の踊り場を曲がりかけたところで、能力者たちはその敵の姿を捉えた。
 無機質な通路を背景にして、黄金の騎士が立っている。
「騎士に対するは九人の戦士。
 その先頭には竜騎兵。
 これも夢芽ちゃんの筋書きなのでしょうか」
 言葉通り前衛に立ち、沖田 護(gc0208)はそんな疑問を投げかけた。
 それに答えられる者は少なくとも今は、いない。ただ分かっていることは一つだけある。
「ともあれ支社長を救い出さない事には、か」
「ここまで来たらやり抜くしかねェだろ‥‥」
 白鐘剣一郎(ga0184)が呟き、ヤナギ・エリューナク(gb5107)は呻くように言う。やり抜かなければ得られない結末が、その先には待っている。
「アスナ、斬り込むので援護を頼む」
 夜十字・信人(ga8235)は最後尾についてきていたアスナにそう声をかける。信人に渡されたフォルトゥナ・マヨールーを手に彼女は小さく肯いた。
 踊り場を完全に曲がりきったところで騎士も能力者たちの存在を察知し、階段の下に向け構えた。
「いくぜ!」
 戦いの先陣を切ったのはヤナギだった。
 迅雷で階段を駆け上がりながら盾を構えた護の前を横切ったところで、騎士が思い切り槍を斜め下に向かって突き出した――否、三叉の矛が『伸びた』。もっともヤナギ自身は囮、騎士から放たれた突きは結果として護の盾がガードする。
 ――が、騎士の挙動はそれで揺らぐことはなかった。ヤナギに続いて階段を駆け上がった信人の姿を察知したか、伸びていた槍を一瞬にして収縮し――更に次の刹那には再度伸ばす!
 今度は矛の伸びた先は一方だけではなかった。護の盾、信人、更には護より数段上がったところにいた剣一郎にも襲いかかった。護は例によってガードし、手数相殺に専念するつもりでいた剣一郎も捌くことに成功したが、信人だけはついていた勢いに加えて地の不利もあって避けきれなかった。服を破り、薄く破けた皮膚から血が滲む。
「‥‥っ。なかなか危なっかしい物を持っているじゃないか」
 一旦階段下に戻った信人はそう呟き、再度駆け上がる。
 何度やっても同じ――そう言わんばかりに槍を構えた騎士は、あることを失念していた。
 アスナが構えていた拳銃が火を吹く。銃弾は騎士の顔面を貫いたが、やはり性質は六階以下のものと同じなのかあまり効いている様子はない。
 それでも騎士の注意が階段下の護とアスナに向いた――その刹那。
「ここまで来たら防ぎようねェだろ!」
 再度迅雷を使用し更に接近、騎士の懐に入ったヤナギが身体を回転させてイアリスを叩きこむ――!

 ■

 一方、その頃。
(「夢を見るのは自由だろうさ」)
 ホアキン・デ・ラ・ロサ(ga2416)は、シャフトを登攀しながら心の中で呟いた。
 彼を含めた残り四人の能力者がいるのは、本来ならエレベーターが上下往来する縦穴だ。エレベーターを支えるシャフトを伝う形で、彼らは今七階を目指していた。無論奇襲の為であるが故に、騎士や夢芽に気づかれぬよう六階の監視カメラは破壊してある。ちなみにエレベーターの箱自体は、今は下の階にあることだろう。
(「その夢に白黒つけるのも本人だしね」)
 胸中で更に言葉を付け足す。
 この場所に今起きている現象が、支社長の夢から夢芽が造ったものなら――それは同じ人間である自分たちへの冒涜でもある、と彼は考えていた。
 鈍名 レイジ(ga8428)はシャフトを登りながらも、多すぎる謎に対し気持ちだけ首を捻る。
 十階にあるという二つのドアが意味するところは、何となくわかる。それは他のメンバーもそうだろう。
 ただその正解――どちらに支社長がいるのか、という点については、ヒントがなさすぎる。
 何より、夢芽自身のことについては未だに不明な点が多かった。
(「まぁその前に、キメラは荒っぽくいきますか、と」)
 次いで、そんなことを考える。
 所属していた小隊――今は解散してしまったが――の隊長であったブレイズ・S・イーグル(ga7498)をはじめ、いいメンバーが揃ったものだとレイジは思う。
 分からないことだらけのこの怪異を攻略するにあたり、これほど頼もしいものはなかった。
 ところでそのメンバーの一人にして、レイジ自身は『日々輝きを増している』と考えている対象――黒瀬 レオ(gb9668)はといえばレイジに続いてシャフトを登っているのだが、その見上げる眼差しにはやはり尊敬の念が交じっていた。何をしてもかっこいい人だ、と心から思う。
 七階のフロアに通じる扉が近づいたことに気づき、一度その念を振り払いながら――
(「大人しい子で、作り話が好きだった、か」)
 考える。
 彼女がヨリシロであったとして――バグアにはヨリシロとなった子の記憶は継がれるのかな、と思う。
 その場合、彼女の自我はどこにもないのだろうか。
 ――だとしても‥‥。
「開けるぜ」
 登る列の一番上にいたブレイズがかけた声を切っ掛けにして、レオはその思考を振り払い――。

 ■

 ドアが突き破られる鈍い音、七階のエレベーターホールの監視カメラが破壊される音が連続して響き。
 次いで、破ったドアの残骸を遮蔽物――死角にし、騎士の斜め後方からホアキンが紅炎を払う。
 騎士の体勢の揺らぎを突いて、今度は正面からヤナギと信人が追撃をかけ、
「天都神影流・虚空閃」
 今までは守勢に回っていた剣一郎もここにきて真空の刃を放つ。数歩後退した騎士はついに、階段を上ったところから引き剥がされることになった。
「頭を使うのは面倒だが、こういう肉体労働なら歓迎ってとこだ‥‥」
 槍を此方に向けて振り回そうとしたのを見計らい、ブレイズはソニックブームでその動きを牽制する。
 そのタイミングでレイジが騎士の懐へ飛び込んだ。槍の柄で殴り倒そうとした騎士だったが、
「ヌルいぜ‥‥俺を染めるにゃ足りねーな!」
 レイジは怯まなかった。赤い炎を宿したグラファイトソードで盾の向こうにある装甲を突き破る!
 更に今度はレオが牽制のソニックブームを叩きこみ、再度後退したところでまたヤナギたちの攻撃に遭う――。
 ――そうして行き場を失い、心臓を突かれて崩れ落ちた騎士は溶け――。
 最後に、黒い鍵を残して消えた。

●対峙せしは二重の闇
 七階にいたキメラと同じように、八階、九階のキメラも倒していく。
 八階のキメラが遺したのは黒の鍵。七階の鍵と対比するモノ。
 話に聞く二つのドアを開ける為のものだと考えるのが妥当な線だろう。
 そして、九階。
「これは‥‥?」
 騎士にとどめを刺した為に最も近い位置にいたホアキンが、『それ』に気づく。
 掌大の大きさの、透明な球体。
 これも必要なものなのだろうか――?
 ひとまず回収することにして、能力者たちはまた一つ階段を上がった。

 十階。
 アスナの情報通り、通路には金の海も、立ち塞がるキメラの存在もなかった。
 見た目上は今までで最も安全な階層とも言えるのだが、それは支社長室『以外』の話であった。

 支社長室の両開きの扉を開く――。
 バグアの少女は、支社長席の机に腰掛けて待っていた。

「来たよ、夢芽ちゃん」
 まず話しかけたのは護だった。
「聞いてきたよ、君のこと。
 支社長さんやぼくらを使ってどんな話を考えているの?」
「‥‥さぁねー」
 素性がばれたのが意外だったのか、はぐらかすその言葉までに若干の間があった。
「あの青い雨の時のように、いい事か悪い事かの二択、ってか?」
 レイジが投げかけた問いには、「そうだよー」夢芽は素直に正解であることを示す。
 その返事を受けてから、レイジは考える。
(「――でも、青い雨も、宝玉の噂も、結局実現するのは悪い事ばかりだったハズだ」)
 正解ならば。或いは、間違いならば。
 そんな推論も脳裏を過ったが、根拠になるものが今はなかった。
 問答は、尚も続く。
「なかなか色鮮やかだね」
 虚空に浮かぶ二つのドアを見上げ、ホアキンは言う。
 視線を夢芽まで下げ、問うた。
「支社長はどちらかな?」
「‥‥」
 夢芽は笑みを浮かべるばかりで、その問いに返す言葉はないようだった。
「お前は白黒どっちが好きなんだ?」
 だからヤナギは、切り口を変えた質問をする。
「どっちも好きだよー」
 夢芽はそんな答えを口にした。
「たぶん分かってる人もいると思うけど、白いドアは希望、黒いドアは絶望。普通なら、皆白い方が好きって言うよねー。
 ――でもあたしはそうじゃない。
 だって『物語の結末は一つだけ』なんてことは、夢の中だって、現実でだってあり得ないから」
「‥‥」
 それらの答えは彼女の内面を少しだけ写し出しはしたものの、今求めているモノには直結しなさそうだった。
 結局のところ、実際ドアを開けてみるしかないらしい。
「白と黒の扉‥‥俺は双方同時で異存はないが、どうする?」
「支社長の安否が確認できていないならば、五割の確率を考えるより、両方を開けるのが妥当だと思うがね」
 剣一郎と信人の言葉が、能力者がこの先の手段を選ぶ根拠となり――。
 白いドアの前に、剣一郎、レイジ、ヤナギ、レオ。
 黒いドアの前には、ホアキン、ブレイズ、信人、護が立った。アスナは支社長室に留まり、夢芽からはやや距離をとっている。

 ――そしてタイミングを合わせ、二つのドアが同時に開かれた。

 □

 視界にとらえたその白はどこまでも続いていた。
 問題なく一歩を踏み出せたので床という概念はあるのだろうが、天井や壁といったものについてはないようにさえ思える。遠近感が麻痺しそうな程に現実味に欠けたその空間が確かなリアルであることは、開けたままにしておいたドアの向こうにある空と支社が示していた。
(「白い鎌では殺さない、と彼女は言っていた」)
 聞いた情報を、レオは記憶の中で反芻する。
 それは彼が白を選んだ根拠でもあった。
 白だから、殺さない。ならばそれは安全なのではないか――。
「いたぞ」
 慎重に歩くこと数秒。盾を構えていた剣一郎が、最初にその姿に気がついた。
 背広を身に纏った男性の細い後姿――アスナから仕入れた情報と照合するに、彼が支社長であることに間違いはなさそうだ。
「大丈夫ですか」

 レオがかけたその言葉に対する反応は、ない。
 ――何かがおかしい。
 そう誰もが思った時、背後でドアが勢いよく閉じられた。
 その音に四人が一瞬身体を竦ませた――その刹那。

 支社長の身体の胸の中心を突き破り、黄金が迫る――!

 ■

 一方、黒のドアの先。色こそ対照的ではあるが、空間の概念は白のそれと同様であった。
 やはり歩くこと少し。視界全体に広がる深い黒の中、仰向けに倒れているその姿はよく目立った。
「社長、しっかりしてください」
 支社長であることは間違いなさそうだ――そう判断した護が彼の身体を揺さぶる。
 脈こそ感じられたが、幾ら揺さぶっても反応はなかった。昏睡状態に陥っているらしい。
 外傷らしきものは見当たらない――その状態を把握した後、護が支社長を背負い、四人は急ぎドアの向こうにある支社長室へと引き返した。

 戻るなりアスナに声をかけ、救急車を呼ぶ。
 支社長の身体を再度横たえた後になってようやく、能力者たちは白いドアの様子に気を向けることが出来た。
 開きっぱなしにしていた筈のドアが閉じられている――?
 四人の視線が、一斉に夢芽へと向く。
 彼女はその視線に込めた猜疑心すらも嘲るかのように、笑みを零した。
「言ったよね。『結末は一つじゃない』って。
 ――たとえば希望の先に何かが仕掛けられていたとしても、何もおかしくはないじゃない?」

 □

「――『どっちにもいる』ってのはそういうことかよ!」
 繰り出された三叉槍の矛先の一つをかろうじてかわし、レイジが叫ぶ。一つは剣一郎が盾で受け、もう一つはヤナギがレイジ同様避けた。
 支社長――正確にいえば『支社長だったモノ』――は槍に突き破られたと同時に黄金に変色し、能力者たちが攻撃をかわす間に槍の柄と同化した。それにより、矛も含めた槍全体が一層太さと強さを増したようにも見える。
 それを扱うは、勿論黄金の騎士。
 面倒なことに今度は両手に槍を構えている。それはつまり一度に六方向に攻撃を仕掛けられる、ということだ。
 が――今度は地の有利不利がない、という意味では、能力者にとってみれば寧ろ先程よりもよい条件だった。
 囮になり、盾で受け、撹乱し、懐に入る。そして、叩きこむ。やることは、先ほどと変わらない。
 新たに構えた左手の槍はどこまでも短く出来るらしく、懐に入っても短剣のように扱われたそれに反撃されることもしばしばあったが――。
 もとより死角からのヒット&アウェイを念頭に置いていたブレイズは、最終的に騎士の背後を取ることに成功した。
 背後からの動きで懐に入られては、伸ばしたままの左の槍では受けることもままならない。
「頂きだ、ヴォルカニック――ランチャーッ!」
 突きあげるような斬撃――に加えて、そのまま後退してのソニックブーム。
 いずれも綺麗に騎士の心臓に入り、キメラの身体が溶けていった。
 
 ■

 白いドアが向こう側から開かれたと同時に、ホアキンは何かが割れる小さな音を耳にした。
 ごく近いところ――自分の服のポケットの中を探る。
 すると、九階のキメラを斃した時に拾った透明な球体が砕けているのが分かった。
「‥‥乗り越えてくるんだね」
 残骸を注視していた能力者に、夢芽が声をかける。
 ――その声音には、初めて不機嫌な色が交じっていた。
 彼女は手にしていた白い鎌を一薙ぎする。
 すると砕けていた球体は砂のようになり、風に溶けて消え――同時に二つのドアと階段が消え、代わりに本来の天井が現実に還ってきた。
 夢芽はそれから踵を返し、支社長室の扉の前まで歩いたところで立ち止まった。
「いいことを一つだけ教えてあげる」
 相変わらずの声音で、言う。
「この鎌じゃ皆を殺さない――っていうか、『殺せない』んだよね。
 だけど忘れないで。この鎌がある限り、今この瞬間(とき)も、皆あたしの世界の住人――」
 ――そして低い笑い声を零しながら、彼女は支社長室を去っていった。

●モノクロの余韻
 支社長の意識が回復したのは、病院に搬送されてから数日後のことだった。

「鎌で襲われてからのことは何も覚えていない、と‥‥」
 支社長との面会を終え、自身の執務室に戻ってきたアスナは報告書にそう記す。
 記憶こそ混乱しているが外傷はなかったこともあり、退院し業務に復帰する日はそう遠くはないらしい。支社自体は既に本来の状態に回復しつつあった。
 ただ――。
 アスナはコンソールを叩き、報告書の続きをタイプする。

『それまで自分の中にあった存在を忘れてしまったようなモヤモヤした感じを、ずっと抱えている』――。

「‥‥もう少し、彼女について調べる必要がありそうね」
 データを保存し終えたアスナは、そう呟いてデスクを立った。