タイトル:うたかたに君を探してマスター:津山 佑弥

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/02/22 23:42

●オープニング本文


 君さえいれば、他に何も要らない。
 大袈裟に思われるかもしれないけれど、それが私の本音だった。
 だけど、君は――今はもう、水面の向こう側。

 どんなに手を伸ばしても届かないほど、ずっと、遠くに。

 ■

 森に囲まれた、ある湖のほとり。
 闇夜を飾るBGMはしじま――否、今はそこにいる二人の男女の息吹、だろうか。
「懐かしいな、ここは‥‥」
「二人で来るのは三年ぶり、かしら?」
 ともに金髪、西欧系の容姿の男女。
 女の方は目鼻立ちの整った顔で、雰囲気的にはごくありふれた――ヨーロッパの町娘、といった風情。
 対する男の方は、若干――武骨さを全身で表しているが、今女を見るその表情はとても穏やかだった。
 男はUPC欧州軍に所属する軍人、かつ能力者でもあり、数日前に休暇を取って――恋人である女が住む近くの街へとやってきた。
 五年前の、この場所。
 まだ能力者など存在しない時代。女と、一兵卒でしかなかった男が出会ったのは――とある作戦中。女はその時、保護対象の一人だった。
 男は怪我をしていた。それにも関わらず、自分たちを助けにきた。勿論助けに来たのは彼一人ではなかったけれど、女は男のその強さに惹かれ。
 自分を護ってくれる存在を気遣う女のその心に、男もまた惹かれ。
 ――その結果が、恋。

 けれど、それももう五年。男は能力者であることもあり、今は中尉。
 ――折角の休み、ただ安らぎの時を求めてきたわけではないのは、女にも分かっている。

「――あの、だな」
 湖の傍に並んで座り、しばし黙りこくった後――男はやや照れくさそうに口を開いた。
「その、単刀直入に言うが、もし君さえよければ――」
 男は、そこで言葉を切った。
 言いだせなかったわけではないことに、女は男の顔を見て気づいた。――男はやけに険しい表情で、湖の中心辺りをにらみつけていたからである。
「――ここから離れるんだ」
 軍人か、それとも能力者としてなのか。いずれにしても女にはわからない感覚が、男にそう言わせているのは分かった。
「え、でも‥‥」
 君はどうするの?
 女が言いかけたその言葉は、
「――早くッ!」
 怒号、そして直後に水面が何者かによって破られた音によって遮られた。
 押し出されるように走り出した彼女が一度だけ後ろを振り返って見たものは、剣を構える男の後姿と――無数の蛇を従えた、全身水色の女だった。

 ■

 女は純粋に、そんな噂を聞いていなかった。
 休暇を取っていた男は、情報を知らなかったのである。
 つい先ごろからこの湖に、キメラがいたことを――。

 ――結局、男は戻ってこなかった。
 夜が明けて、再び訪れた湖には――男の姿も、キメラの姿もなく。
 女は、ただ大量の血痕を目にすることになった。

 ■

「――依頼よ」
 朝澄・アスナは神妙な表情で能力者たちにそう告げる。
「貴方たちには、ある湖に巣食っているキメラの討伐に向かってもらうわ」
 彼女がコンソールを叩いてディスプレイに映し出したのは、昼間の湖。
「この湖の中に、キメラは潜んでいるの。キメラと言っても、形は人間の女性だけど。
 夜行性なのかどうかは分からないけれど、被害を出すのは夜ばかり。湖の中心辺りに浮かんでいて、今のところそこから自身が移動したことはないみたい。
 自分で移動はしないけど、湖に近づく動物や人を髪――というか、蛇によって捕え、絞殺してから湖の中に引きずり込むそうよ」
「蛇? ――メデューサみたいなものか?」
「正確に言えばちょっと違うわ。
 蛇としての行動を起こすとき以外は、普通にロングヘアーなのよ。行動するときだけまとまって、何匹かの蛇の形になる」
 主だった攻撃方法は、両掌から生み出す水圧弾だ。
 無数の弾丸が放たれる一度の攻撃における効果範囲は、約九十度コーン。
 たった一発ならばそれほど痛いわけではない。しかし密集率が凄まじく、一発喰らうのは十発喰らうのと等しい。それで弱った者を捕えるのだ。
「森に住む動物は仕方ないにしても、人は湖に近寄らない限り被害は出ないから――湖付近への立ち入りを禁止して自然死するまで待つ、という手段もあるにはある。
 けれどこうして依頼になったのは――既に十人近くなっている犠牲者の中に、UPCの正規軍の将校がいるからなの」
 アスナが再びコンソールを叩くと、ディスプレイにユベールの写真が映し出された。
「ユベール・スタック中尉――二十五歳。欧州軍の人だから私は直接知らないけど。
 ――それと、スタック中尉には恋人がいた。名前はシュゼット・マクイール。
 中尉が襲われた時、彼女も一緒にその場にいて――中尉は自らを犠牲にしてまで彼女を逃がしたから、まだ生きているわ。
 でも――」
 アスナはそこで、目を伏せる。
「でも?」
「それからというもの、彼女は昼夜問わずちょくちょく湖に行っているみたいなの。多い時は一日に何度も」
 キメラも毎晩動くわけではないようで、幸いまだ被害者にはなっていないが――彼女の眼は虚ろそのものであり、キメラに遭遇すれば逃れることさえしないのではないか、という危惧がある。

「恋人を失ったあの時間が夢で、湖に行ったら平然と立って自分のことを待っていると考えているのか。
 それとも、ただ単純に死にたがって――彼の許へ行きたがっているのか。それはシュゼットにしか分からないわ。
 けれど――どのみちキメラに近づく以上、私たちにとっては彼女は救出対象なのよ。‥‥だから、出来れば彼女の方もどうにかしてあげて」

 ■

 他に誰もいない、湖のほとりで――シュゼットはその水面を見つめていた。
 澄んだ水面は、今は夜闇の色。彼女の顔も映りはしない。携帯して来たライトの光を当ててみても、そこにはただ黒があるだけ。
 彼は――ユベールは今、向こう側から一方的に自分のことを見ているのだろうか。

 そんなことを考えている彼女は――水面の向こう側から迫るモノに、未だ気づいていない。

●参加者一覧

御影・朔夜(ga0240
17歳・♂・JG
篠崎 公司(ga2413
36歳・♂・JG
藤村 瑠亥(ga3862
22歳・♂・PN
周防 誠(ga7131
28歳・♂・JG
ラウル・カミーユ(ga7242
25歳・♂・JG
美空(gb1906
13歳・♀・HD
立浪 光佑(gb2422
14歳・♂・DF
クリス・フレイシア(gb2547
22歳・♀・JG

●リプレイ本文

●喪失と
 突如盛大に水面を破って現れた『それ』。
 闇の中に浮かび上がるその姿を見、シュゼットは目を見開いたまま動けなくなった。
 ――否、心のどこかでは、「動きたくなかった」のかもしれない。
 蛇と化した『それ』の長い髪はいとも簡単に彼女に巻きついて、締め上げて。
 僅かながら抵抗をみせるシュゼットが面白いのか、キメラは暫く彼女を縛った蛇を振り回して遊んでいたが――やがて抵抗がなくなったと見るや、締め付ける力を強め始めた。
 これから意識を奪い、そして水中へと連れていき――その後のことを自分が知ることは恐らく出来ないだろう、とシュゼットは思う。
 このまま彼のいる場所へと連れていってくれるのなら――薄れ始める意識の中で、そんな思いが脳裏を過った時だった。

「Open Fire!」

 森のどこかから、そんな合図とも取れる叫び声が上がったのは。

 ■

 五人のスナイパーたちは、キメラに気づかれぬよう隠密潜行を用いながら森の中を移動していた。
 合図を出したクリス・フレイシア(gb2547)は、西側。
 もっとも早く反応出来て当然である彼女は、素早くライフルの引き金を三連続で引く。
 辺りは暗いが、決して肉眼で何も見えなくなるほどではない。無抵抗な獲物に夢中になっていた無防備なキメラの身体を標的としたライフルの銃弾は、狙い違わず命中していく。
 クリスの連射が終わった頃には、他のスナイパーたちも引き金を引き始めていた。
 だがそれらは皆、今は殲滅ではなく牽制のためとしてのものだ。
 東側の篠崎 公司(ga2413)は、暗視ゴーグルを装備しているため、夜の闇に構わず射撃を続ける。
 湖北東の周防 誠(ga7131)や北西の御影・朔夜(ga0240)とて闇雲に狙いを定めて引き金を引いているわけではなかった。朔夜はスキルによって視覚を強化し、キメラの弱点だと判断した箇所――即ち頭部に狙いを定める。
 一度に撃てるのは、三発。
 一発目、高さこそ合っていたものの弾丸はキメラの後頭部の横をすり抜けていった。
 二発目、今度は掠めはしたが、肩。
 三発目――。
 今までよりも更に神経を研ぎ澄ませた一射は――キメラの側頭部を撃ち抜いた。

 キメラが形容し難い悲鳴を上げる。
 ――その上半身に幾つかの弾痕が生まれ、更に二本の矢が突き刺さっているのがシュゼットからも見えた。
 次の刹那、キメラが未だ自由になっている両掌の上に水を収束させ――それから一気に拡散させる。
 標的は、シュゼットではない。
 北の道から猛然と湖に迫りくる、三人――正確に言えばその背後で弓を構えているラウル・カミーユ(ga7242)を含む四人の能力者だった。

 ■

 戦場に赴く最中、ラウルは考えていた。
(「キミさえいれば、他に何もいらない――か」)
 自分にしたって小さな頃からずっと、『彼女』についてそう思って生きてきた。
 それほど大切にしていた人が、モノが、するりと離れていってしまった時の喪失感を――シュゼットにとってのユベール中尉のように死という形によってではないけれども、ラウルは知っている。
 心に空いた穴。埋める術は、そう簡単に見つかるものではない。
 苦しいのが、分かる。だから――。

 ■

「これ以上の犠牲は出させないヨ。ロングヘアは好きだケド、蛇は食用以外いらないっ!」
 銃声が響き続ける夜の湖、その中心にいるキメラに向け。
 若干ながら自分にも襲いかかった水圧弾に構いもせず、ラウルは装填時間のラグをおかずに続けて二本の弓を放つ――!
 ――ダメージが蓄積し、シュゼットを締め付ける蛇の力が緩んだその一瞬を、接近していた一人である立浪 光佑(gb2422)は見逃さなかった。
「――ッ!」
 エミタを通常以上に活性化させている状態で、メタリック化した手に握られた壱式の細い刀身は――滑るように蛇の身体に斬り込み、そして両断する。
 宙に浮いていた状態から崩れ落ちる格好になったシュゼットの身体を、藤村 瑠亥(ga3862)が抱きとめる。彼は竜の鱗で守りを固めた美空(gb1906)にシュゼットを預け、それから二人は一気に湖からの脱出を図った。
 だが、その頃にはキメラは再び奇声を上げつつも蛇を髪に戻している。
 自分に背中を向けた瑠亥や美空に向け水圧弾を放とうと両掌を構え――その水色の横顔に、眩いライトの灯りが照らされた。シュゼットが囚われる前まで持っていたライトを光佑が灯したのだ。キメラの注意が完全に彼に向いたその一瞬で、瑠亥と美空は北の道へ更に近づいていく。
 ――しかしそれでも、背中を向けた獲物というのはキメラにとっては格好の標的のようだった。
 すぐに北へ向き直ると、二人と美空に抱きかかえられているシュゼットに向け今度こそ水圧弾を――。
 放てなかった。否、撃っても当たらない。弓からサブマシンガンに持ち替えたラウルが、三人に当たらないようタイミングを見越して弾幕を張ったのだ。
 キメラが攻撃を逡巡した次の刹那には、もう三人は森の闇に姿を消していた。
 獲物を逃した――。
 そのキメラの怒りの矛先は、光佑と、三人が場を離れたことで牽制をやめたスナイパーたちに向く。

 ■

 キメラの脅威から逃れてもしばらく走り続け、戦闘音すらもだいぶ遠ざかったところでようやく美空と瑠亥は足を止めた。
「ここまでくれば大丈夫なのですよ」
 美空がそう言ってシュゼットの身体を地面の上に下ろす。そしてすぐに踵を返し、仲間たちの元に戻ろうとして――
「‥‥ったた‥‥」
 AU−KVごしに、肩に手を当てた。
 迫りくる高密の水圧弾をやり過ごしながら、こちらから接近する――その行為はたった一度にして予想以上のダメージを二人、そして光佑に与えていた。
 三人とも決して万全とは言えない状態になっている。
 大丈夫か、と瑠亥がかけた声に、大丈夫です、と美空は返す。
 ――そう、まだ戦えるのだ。
 そのやりとりを最後に、美空はこれから使うことになるであろう大口径ガトリング砲を用意しながら来た道を戻っていった。

「‥‥一つ、訊かせてもらおうか」
 しばし場を包み込んでいた静寂を破り、瑠亥は問うた。力なく座り込み俯いていたシュゼットは、胡乱げに顔を上げる。
「何であの場所に行き続けていた? 危険なのは分かっているんだろう?」
「‥‥彼がいない世界で、どうやって私は生きればいいの?」
 ぽつり、シュゼットは問い返すように呟いた。

 ■

 それまで水圧弾による攻撃を繰り返していたキメラの動きに異変が起こったのは、美空たちが姿を消してから少し経ってだった。
 これまでの射撃で、能力者が東西以南にはいないことを本能的に把握したのだろう。突如としてキメラは水上を浮遊したまま動き出し、やや南側に離れる。
 弾丸の嵐から距離を置くための方策?
 ――否、それはない。たとえ高々十メートル距離を離したところで、射程が届かなくなるということはない。むしろ朔夜などはここにきて戦闘スタイルを近距離射撃に切り替えただけだから、届かなくなりようがない。
 ならば何故――?
 訝しみながらも、自分が注意を引かなければ水圧弾の被害が仲間に及ぶことを理解している光佑はあえて接近する。
 ――失敗した、と瞬時に悟ったが、遅かった。
 しばらくの間ずっと使わずにいた髪が、突如蛇へと変貌を遂げる。一部分だけではなく髪全てが、だ。
 そしてキメラは、そのまま頭を振り回す――!
 近くにいた光佑は数発横殴りの打撃を受け、クリスや誠にも被害は及んだ。後者二人の場合は、打撃によって隠れ蓑に使っていた木が倒されたことによる間接的ダメージだったが。
 兎角、それまでにも水圧弾を数十発分受けている光佑へのダメージは大きかった。
 活性化を使うべく一旦距離を置こうとした光佑だったが、目に見えて弱っている彼を逃すつもりはないらしい。蛇のうちの一匹が伸び、彼の足に絡みつく。
 蛇はそのまま光佑の身体を、強引に湖の中へと引きずり込んだ。
「まずい‥‥!」
 咄嗟にクリスは木陰を飛び出し、湖へ飛び込んだ。潜水用エアタンクなら持ってきている。
 キメラ本体の身体はまだ水上。つまり、夜の色に染まった湖面より向こう側である水中は見えていない。その証拠に、クリスを狙っていると思われる蛇の横殴りの打撃はてんで的外れな方向にばかりいっている。
 ただ、その蛇の身体に光佑が締め付けられていることを考えると長居は出来ない――クリスは携帯してきた水中用銃を構え、引き金を引いた。
 暗闇の湖中に、僅かに赤が舞う。
 蛇は動かなくなっていた。

 クリス、そして水中で活性化を行いながら何とか浮かび上がってきた光佑が地上に戻ると、キメラは戦闘方法を更に変えていた。
「厄介ですね‥‥」
 公司は射撃を続けながらも、周囲の有様を見て眉間に皺を寄せる。
 今までは蛇に変化させることしかなかった髪の先端が、鋭い刃となっているのだ。そのせいでスナイパーたちが隠れ蓑にしていた木々はほぼ全てがなぎ倒されてしまっていた。
 もちろん木々だけでなく、刺戟は能力者たちにも及ぶ。
 ――だが、その可能性を予め読んでいた者もいた。
「‥‥やっぱ、そう来たか!」
 ラウルである。携帯してきたシルフィードに素早く持ち換えると刃となっている先端を捌き、その少し後方、ただ束ねただけの髪を切り落とす!
 はらりと落ちたキメラの髪――本体とくっついているその量は、戦闘前よりも大分少なくなっていた。最初の牽制射撃で偶発的に落とされた分もあるが、どうやら蛇が殺されると髪も焼け落ちるらしく、銃撃で撃ち落とすにつれ徐々に短くなっていっているのだ。
 もっともそうするまでの間に、能力者たちも結構な数の水圧弾や蛇による打撃、そして先ほどの刺戟を受けてはいたが――クリスたち、そして美空が戻ってきたことで、能力者たちの有利は動かないものになった。
 いよいよ本当に追い詰められてきたのか、キメラは銃撃をかいくぐるように回避行動を取り始めた。
 しかし一つの銃弾を避けた先には、別の能力者が放った弾丸がある。避けようとしても――それの繰り返し。
 最終的には弱り、攻撃する余力さえもなくしたのか、キメラは誰もいない南方へと逃げようとする。
 だが――
「誰が逃がすものか――貴様は此処で、死んで逝け」
 至近距離まで接近した朔夜の銃撃が、その最期を告げる。
 それが明確な既知であることを自身で嘲りながら、朔夜は終わったとばかりに目を伏せた。
 
●未来と
 キメラの身体が湖底に沈んだのを確認した後、クリス同様潜水用エアタンクを持つ誠と美空は湖へ潜った。

 冬の湖の冷たさは服を着ていてもこたえたが、二人はそれに耐えながら潜り続ける。
 そして――あるものを探すこと、しばし。
(「見つけました」)
 誠は偶然ながら近い場所にいた美空にそう手で告げ――二人は、それぞれ『彼だったもの』の前で手を合わせた。

 地上――湖畔には、戦闘が終わったことを知った瑠亥とシュゼットが戻ってきていた。
「彼は自分が逃げるのではなく、貴方を逃がす事を選んだ。その意味を良く考えてください」
 公司にはそう言われ、
「逆の立場だったら、君はどうする? 相手にどうして欲しい?」
 朔夜には問われたものの、未だシュゼットの中では思考はまとまりきれていないようだった。
 そんな中、ずぶぬれになった誠と美空が湖から戻ってきた。
 シュゼットは二人を呆然としながら見つめていたが――不意に誠が差し出してきたモノを見、息を呑む。
 本来は上質なものだったであろう、青い皮張りの小さなケース。
 ケースを開く。

 中には――銀に輝く指輪が、二つ並んでいた。

 ペアリング。
 本来片方を嵌めるはずだった人が二度と戻ってこないという意味では、もうペアの意味をなさないモノ。
「‥‥あ」
 シュゼットは、気付いた。
 ユベールが何の目的で、これを持っていたのか。
 キメラに襲われる直前、彼が何を言おうとしたのか。
 ――気づいた瞬間溢れだした涙を止める手段を、彼女は持っていなかった。

「無理に忘れなくていいヨ」
 ようやく彼女の嗚咽が収まりかけた頃、ラウルはそう声をかけた。
「‥‥でも、生きてよーネ。
 キミがいなくなったら、彼を覚えて愛おしんでくれる人がいなくなる。彼が守ったモノが壊れてしまうカラ。
 ――心の傷は永い時間が必要だケド、抱えたままでもヨイと思うんだ」
 上手く言えなくてゴメンネ、と苦笑した彼に続き、今度は美空が口を開いた。
「シュゼットさんがこのままだったら、やっぱり中尉は悲しむと思うのでありますよ。
 忘れるんじゃなくて彼の分も生きてほしいのであります」
「そのために、中尉も命を賭けたのではないでしょうか」
「彼は君を護って殉職した。君はその命で、生きれるだけ生きれば良い。
 彼を忘れず、新しい人生、頑張ってくれ‥‥」
 更に続いた誠とクリスの言葉に――。

「――はい‥‥」

 シュゼットは震える唇を動かし、そして肯いた。
 手のひらほどの大きさの青いケースを、愛おしそうに抱きしめながら。

 夜が明けていく。
 緑なき冬の森にも朝の陽光は差し込み、湖面がその光に反射して輝いて。
 能力者たちが先に帰った後、シュゼットもまたその輝きの強さに背中を押されるように――踵を返し、新しい日へと歩み出した。