タイトル:【VL】限定未来の混成図マスター:津山 佑弥

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/11/30 18:35

●オープニング本文


 部屋中に散乱するキメラの死骸――。
「――これで二つ目、か」
 それを見回す男が、一人。
 男の様相を一言で表すとしたならば、『不自然』がもっとも相応しい言葉だろう。
 短く刈りあげた金髪は何故か耳の後ろの部分だけが異様に伸びており、静止している今は先端が床につきそうなほど。
 黒いジャケットに包まれた腕は――左腕が格闘技を生業にしているような輩と同等に太いのに対し、右は針金ほどしかないのではないかと思えるほどに細い。胴体の筋肉は一般的な西洋男性とそう大差ないことを考えると、太いにしても細いにしても異常なレベルである。
 男はその太い左腕で、足元に転がっていたキメラの死骸をつかみ上げた。
「可哀想にな」
 つぶれた顔を見てそれだけ呟くと、放り捨てる。その時、
「駄目だねー。こっちも完璧にオジャンになってたよー」
 背後から陽気な声がして、振り返る。
 開けざらしになっていた扉の向こうから、ゴシックドレスを身に纏った――こちらも金髪の少女が現れた。
 歳の頃はまだ十歳にいったかどうか。白と黒の衣装に対して、金の髪と紅の瞳は人形と見紛うほどに映えていた。その手の指十本すべてに指輪を嵌めこんでおり――それぞれの親指の指輪だけ、そこから長さ五センチほどの鎖がさがっている。
 少女はとててて、と小気味よいリズムで男に駆けより、自分よりも頭数個分高い所にある彼の顔を見上げる。
「もうねー、死体とか破片とかでぐっちゃぐちゃになっててねー。おまけに資料は全部持ってかれたみたいー」
「そうか」
 男は少女の頭を撫でた。
「大方、ULTかUPCで何かしらの動きを見せ始めたのだろう‥‥。
 ――前の分も合わせると資料の量もそこそこに増えているはずだ、そろそろ対策を打たねばな。戻るぞ」
「はーい」
 少女はその場で跳ね――軽々と、男の左肩に飛び乗る。
 落ちないように少女をしっかりと左腕で支えて出口へ向け歩きながら、男は思う。

(「――呪縛からはそう簡単に逃れられはせんよ」)

 ■

「‥‥来たか」
「ああ」
 オペレーターを前にし、早川雄人は力強く肯く。

「この間君達が捕虜として連れてきた研究員からの聴取と資料から――また、いくらか情報を得た」
 オペレーターは自分で整理したらしい資料に視線を落とした。
「どうやら――あの組織は、ただ単にキメラの数を増やしたいとか、能力者となる子供の数を減らしたくて孤児院の子供をキメラにしているわけではないようだ」
「どういうことだ?」
 雄人が訊ねると、オペレーターは顔を上げて雄人の顔を見た。
「もしそれだけが狙いなら、解せないことがある。
 この間行ってもらった施設は、話した通りあそこ自体ではキメラの生成は行っていない。行っているのは、生成したキメラを強化改良する研究だ。
 ――このご時世、バグアとの戦争によって親を失う子供も多い。それだけ孤児院には子供が溢れやすくなる。
 それはつまり、奴等にとってもキメラとする対象が見つかりやすくなるということ。キメラの数が増やしやすくなる、ということだ」
「‥‥何が言いたい?」
「――徐々にバグアを押し返しつつある能力者たち相手に、量産も、強化改造も――そこまで、バグアの役に立つと思うか?」
「それは‥‥」
 訊き返された言葉に、雄人は口を閉ざす。
 確かに言われてみればそうだ。
 今でも世界各地で一般人を困らせたり――悲しい目に遭わせるキメラは多いが、それの多くは能力者によって斃されている。
 まして仮に強化改造を施したものを量産化したとしても――戦時なら最悪、KVさえ出せば地上戦のキメラは一網打尽になるのである。
 それが分からない連中ではないはずだ。
 なら、何故――?
「そこで今回の向かう先、だ」
 雄人の思考が疑問に至るのを待ったかのようなタイミングで、オペレーターは机の上に資料をばらまいた。
 雄人はそのうちの一枚を拾い上げ、そこに書かれていた単語を読み上げる。
「ローマ?」
「ああ、そこに奴等の――『Vie de letoile』の本部があるらしい。今回はそこへ行ってもらおうと思う」
「いきなり本丸攻めか」
「そうとも限らない」
 オペレーターは首を横に振った。
「何せ街が街だから警備も比較的厳重だし、作ったキメラが外で暴れるなんてことがあったら速攻でばれるだろうしな」
「――そこにあるのは表の顔だけ、ってことか。ならどうして?」
「奴等の本当の目的を探るなら、一見して何もなさそうなところを探るのもまた一つの手段だろう?」
 雄人の問いに、オペレーターはそう答える。
「皮肉な話だが、こんな時勢だから毎日のように世界のどこかで孤児は生まれる。
 奴等の場合、まず本部を介してから各地にある孤児院に送るらしい。
 そこで、だ。今回君達には孤児の仮の後見人として本部へ行き――施設内部を捜索して欲しい」
「といっても、肝心の孤児はどうするんだ? ‥‥まさか」
 雄人の脳裏に、先日病院で面会した一人の少女の顔が浮かんだ。
「アメリー・レオナールではない」
 だが、オペレーターはそれを否定した。
「彼女はまだ怪我が癒えきってもいないし‥‥今そういうことをするには、まだ少しショックが残っているだろう」
「‥‥まあ、な」
「君たちの中の誰かが演じてもいいし――作戦に応じて必要な人数、こちらで演じられそうな年代の傭兵に声をかけておこう。
 もちろん事情も聴かせた上でな」
 オペレーターはそこで一つ咳払いをした。
「――街中のビルの中だから、あちらも手荒な真似はしてこないと思うが‥‥攻めるわけではないと言っても本丸は本丸だ。
 何が起きるか分からない、ということもなくはないから――十分に注意してくれ」

●参加者一覧

クラーク・エアハルト(ga4961
31歳・♂・JG
リャーン・アンドレセン(ga5248
22歳・♀・ST
ルイス・ウェイン(ga6973
18歳・♂・PN
風代 律子(ga7966
24歳・♀・PN
秘色(ga8202
28歳・♀・AA
リオン=ヴァルツァー(ga8388
12歳・♂・EP
ルーシー・クリムゾン(gb1439
18歳・♀・SN
御巫 ハル(gb2178
23歳・♀・SN
蒼河 拓人(gb2873
16歳・♂・JG
ハイン・ヴィーグリーズ(gb3522
23歳・♂・SN

●リプレイ本文

 ローマ市の中心からやや外れたところ――どちらかというと住宅街に近いその通りに、『Vie de letoile』の本部ビルはあった。

 最初に彼らを見つけたのは、裏口の警備員だった。
 彼らはビルの裏手にトラックを停めると、数人がかりで段ボール箱をいくつも運び出す。
 訝しげに彼らを見ていた警備員に気づいたのか、荷物を運び出していたうちの一人が小走りに駆けよってきた。
「あ、すみません『Vie de letoile』本部ってここであってますか? 荷物の宅配で初めて来たんですが?
 玩具メーカーから寄付って事なんですけど」
 そう言う白髪の男の胸元には顔写真や社員番号らしきものがラミネート加工された社員証がさがっている。
 荷物が送られてくる、という話は聞いていないが、連絡不備は今回でなくともたまにある。そしてそういう場合も大抵組織側から見れば問題ない荷物だったりするのだから、今回もきっとそうなのだろう。
 軽く照会を済ませると、警備員は宅配業者と名乗った彼らを裏口からビルに入れた。
「直接手渡しで渡さなければならないものもある」とも白髪の男は言うのだが、それだけ分けるのが面倒だと思えるほどの量だったからだ。

 ――だが、警備員は当然知らない。
 白髪の男――クラーク・エアハルト(ga4961)が男に吹きこんだ情報、ついでに言えば社員証や照会時に記入した名前などが全て偽のものであることを。

 荷物である段ボール箱の数は多く、見守るのが面倒になってきた警備員の注意が徐々に散漫になる。
 だから、ビル内部へと運びいれられたある箱を――二人がかりでやたらと重たそうに運んでいることにも気がつかなかった。
 当然、その中に蒼河 拓人(gb2873)がいることも知らない。
(「キメラを作り出し、強化する真の目的、かぁ」)
 拓人は胸中で呟く。
 その心の中に好奇心と、支える何かを抱えながら。

 五分ほどの時間をかけ、ようやく全ての荷物の運びいれが終わった。
 やれやれ、やっと出ていくか――と、警備員は思っていたのだが。
「すいません、ちょっとトイレをお借りします」
 裏口からひょっこり顔を出したクラークにそんなことを言われ、肩をすくめざるを得なかった。
 と、目の前の道路に停まっていたトラックが少しだけ移動し始めた。
 路上駐車はローマでは割と当たり前の話だが、流石に裏口目の前は迷惑かと運転手が判断したのかもしれない。

 その運転手――御巫 ハル(gb2178)はと言えば、
「俺が段ボールを開けたときに蒼河が入ってたら、そのままお持ち帰りするけどね。――かははっ、冗談だよ」
 ハンドルを回しながら笑っていた。助手席にはルーシー・クリムゾン(gb1439)の姿がある。
 ハルは窓から顔を出し、裏口を、そしてその上に聳え立つ建物を見上げて呟く。
「‥‥奴等のせいで泣く子供がいる。それだけで動くには十分だ」

 ■

 ほぼ同時刻。
 正門のある通りを歩く能力者が、二人。秘色(ga8202)とリオン=ヴァルツァー(ga8388)である。秘色に関しては普段の和装ではなく洋服を着ていた。
「表の顔は慈善団体。裏の顔を知らぬ者は、斯様な組織で働いておる事を誇りに思うておるじゃろうのう。
 ――允、遣る瀬無きものよ」
 秘色は溜息を吐きだす。
 リオンはといえば――自分たちが組織から救い出し、先日病院で面会した一人の少女のことを考えていた。
 もし今回自分がこの役を買って出なければ、助っ人として呼びだされたのは彼女かもしれない。
 彼女とて、孤児院としての側面を持つ『Vie de letoile』には世話になったのだ。真実を知ったとはいえ、それは皮肉が過ぎる。
 だから自分が――。
(「‥‥アメリーのためにも、ね」)

 受付の女性は一見して親戚関係にあるようには見えない――実際ないのだが――東洋系の秘色と西洋系のリオンを見比べてやや困惑したようだったが、とりあえずリオンが孤児だということで受付を済ませた。
 面接までの待ち時間の間、自由に動き回れるという一階から三階を二人で見て回る。
「まぁ図書室も。見て来たら?」
 いつもとは異なる――後見役としての口調で言う秘色に対してリオンは肯き、二階にある図書室へと向かっていく。
 それを見送ってから秘色は階段を下り、受付付近にあったパンフレットを全種類回収した。
『未来を作る子供たちのために明るい環境を』
 パンフレットの表紙にはキャッチコピーとしてそんな文言が書かれている。
(「‥‥どんな未来を、とは書いていないのじゃな」)
 実態を知らなければそれでも疑うことはないだろうが――。
 ラウンジのソファーでそれを眺めながら、秘色は人知れず険しい表情を浮かべた。

 一方リオンはといえば、秘色に言われたとおり図書室にいた。
 話ができそうな子供を探し――後見人と一緒にいる子はあえて避け、一人でいる子供に話しかける。
「‥‥君はどこから来たの‥‥?」
 彼と同い年程度に見えるその子供は、スペイン、と答える――それだけで子供が何故孤児になったのか、リオンは何となく察しがついた。
 だが次の瞬間子供から放たれた言葉に、耳を疑う。
「皆を殺したのは、ワームでもキメラでもないんだけど、ね‥‥」
「――!?」
 リオンが思わず驚きの表情を浮かべた時、受付にいた女性が秘色を連れてやってきた。
 面接の時間である。

 面接と言っても特に組織側で受け入れ拒否というものが存在するわけでもなく、どちらかといえば後見人に安心を与えるものらしい。
 だからか、
「私が世話をしていましたが、近々引っ越すことになって連れて行けず‥‥。
 でも心配ですし、色々知っておきたいんです」
 心底心配そうな表情を浮かべながら秘色が問いかける様々な問いにも、面接官は丁寧に答えた。ただ組織の後ろ盾は、リオンが先ほど調べた通り多すぎて説明しきれないそうだったが。
 子供にこまめに目が届くか、という点に関しては問題ないとの答え。各孤児院には最低三人本部からの監査役が派遣されており、孤児院スタッフの仕事ぶりや孤児の様子は常時本部にレポート出来る環境が整っているという。

 そこまでの問答を終えたタイミングで、リオンがトイレに行きたいと言い出して離席。
 彼の姿が面接室から消えたのを確認し、秘色は更に質問をぶつける。

 本部は何故ローマなのか、という問いに面接官はこう答える。
「少し前までは本部はパリで、このビルは支部のうちの一つでしかなかったんですが‥‥ほら、以前起こったヨーロッパでの戦争の舞台はイタリアやスペインだったでしょう?
 そちらで本格的に動いた方が孤児も確保しやすいだろう、という判断からですね。スペインにしなかったのは言うまでもないでしょう」
 もっともらしい理由ではある。スペインでない理由に関しては確かに訊くまでもない。
 能力者になりたいという意思があるようだが、エミタ適性があった場合そのように取り計らうことは可能か――。
 その問いに「もちろんです」と答える前に、面接官が一瞬だけ口の端を歪めて――何かを企む笑みを浮かべたのを秘色は見逃さなかった。
 全施設の場所に関しては、パンフレットの末尾に記載されていたので訊くまでもなく――何を訊こうか、と秘色が考えた時、

 ビル全体に、火災報知機作動を告げる警告音が鳴り響いた。

 ■

 どうやら火災――リオンが起こしたただの騒ぎだということは分かっているが――は三階で起こっているらしく、ばたばたと階下へ降りて行く足音が四階や五階、六階の廊下でも響き渡る。
 風代 律子(ga7966)は六階天井裏の排気管から六階を見下ろしていた。
 彼女の眼下には七階へ続く階段が見える。階段と直結している部屋は人が多いようだが、階段のすぐ隣に部屋側からしか開かないと思しき扉も見える。
 ふと、階段から人が下りてくる気配を感じた。
 ――そいつは六階へ降りてくると、隣の扉を開いて外に出ようとする。
 律子はすかさず――隠密潜行を使用しながら六階へ飛び降り、部屋を出ていったそいつの後を追った。
「――!?」
「命が惜しければカードキーとパスワードを教えなさい」
 背後から銃を構え、脅す。
 そいつは驚愕と怯えの入り混じった表情を浮かべながら、律子に言われるがままそれらを教え――律子はそいつを本人の自室へと行かせると同時に気絶させた。
 再び排気管に上り、先ほどと同様の手段で階段目前に降りる。
 そうして誰にも気付かれぬまま、彼女は七階へ足を踏み入れた。

 それから数分。ルイス・ウェイン(ga6973)は人の流れを六階の通路の陰に身を潜ませることで逃れ、落ち着いたところで再度捜索行動を開始する。
 彼はリオンが騒ぎを起こす前に、既に彼は事務階層の一室――幸いにして誰もいなかった部屋で、七階以上で必要なカードキーとパスワードらしき記号が描かれたメモを見つけていた。
 後は七階に上るだけなのだが――なかなか階段が見つけられずにいた。人が多い所にいけばそれだけ見咎められる可能性も高く、慎重にならざるを得なかったからだ。
 ただし今はチャンス。
 ――先ほどまで人があふれかえっていた事務階層の一室の隅にて、ルイスは階段を発見した。
 更にそこには先客がいた。ハイン・ヴィーグリーズ(gb3522)である。彼は機械室で監視カメラの電源を落とそうとしていたのだが、構造が思った以上に複雑で諦めて素直に上に上ることにしていたのだ。
「キーは?」
「持っている」
「なら急ぎましょう」
 端的に会話を終え、二人は上に上った。

 リャーン・アンドレセン(ga5248)は人の姿が減った四階、五階で資料を漁り始める。
 その大半は『表向き』のための資料で、今回の目的とは違うものであったが――五階の隅の部屋に入った時にあるものを見つけた。
 資料などではなく、けれど申請しておいたビデオカメラで撮影しておく必要があるもの。
 それは――檻の中に収容されていた、大型の猿型キメラ。
 ゴリラと言った方が正しいそれの腕は、なぜか片方だけが存在しなかった。
「なんだ、これは‥‥」
 リャーンがそれに不自然さを感じたのは、その『存在しない腕』は、決して最初からそうではなかったというのが檻越しで見ても分かったからである。
「こんなところで傷を負ったキメラを保管して、何をしようとしている‥‥?」
「あ、いたっ」
 背後から声をかけられ、リャーンは思わず身をすくめた。
 振りかえって目に入ったのは、一束の資料を抱えた拓人の姿だった。そのすぐ後ろにはクラークの姿もある。
「上でばれちゃったっぽいよ! 逃げよう!」

 ■

「なんだ‥‥?」
 七階に上ってすぐ。
 二人のうち先にそれに気づいたのはルイスだった。
 妙な気配がする。
 敵意――或いは悪意。そんな言葉が脳裏をよぎった。
 直後、
「そこで何をしている! ここは社員以外立ち入り禁止だぞ!」
 二十メートルほど離れている廊下の端から、女性の叫び声が聞こえた。遠目故顔つきなどははっきりしないが、金髪でスーツを身に纏っていることだけは分かる。
「――くそ!」
 今ならまだ六階へと引き返せる。そう咄嗟に判断した二人だったが。
 女性の方が判断は早かったようだ。何らかの目的のためのシャッターを作動させたらしく、二人が背後の階段を振り返った一瞬の間に階段がふさがれたのだ。
 こうなると逃げるしかない――だが、更に予想だにしなかった事態が二人を襲う。
 廊下の端にいたはずの女性が――気づいた時には、こちらに肉薄しようとしていたのだ。
「――能力者か!?」
「――」
 女性は答えずに、代わりとばかりに走りながら懐から拳銃を引き抜く。
 銃声。
「――っく!」
 肩を打ち抜かれたハインが呻く。動けないほどではないが、それでも決して浅い傷ではない。
 更にまずいことに、ルイスとハインが今いるのもまた廊下の端だということだ。
 すぐ隣は窓ガラス。窓の向こうに見えるのは七階建の方のビル故、七階にいる今は屋上へ飛び移れない。
 もう一つの盲点は、潜入前にハルから渡されていたロープを使う場所を考慮していなかったことだ。壁伝いに降りようという目的のものだったのだが、上の階でくくりつけておく場所を考えていなかったのだから意味がない。
「――こうなったら!」
 ルイスは肩に手を当てていたハインを引きずって、窓ガラスを突き破って飛び降りた。
 眼下に待っていたのはコンクリート――重傷とまではいかずとも、無傷で済むわけはなかった。

「まずいわね‥‥」
 律子は唇を噛んだ。
 とりあえず人のいない部屋に踏み込んだのはいいものの――その直後に、部屋の前の通路を獣じみた鳴き声と足音が通過していったのだ。
 問題はもう一つある。律子本人にとってはこちらの問題の方が大きい。
 七階へきて早い段階で傭兵の侵入がばれただけに、八階より上に進む階段が見つかっていないのだ。逃走手段として屋上から別のビルに飛び移ることを想定していただけに、この事態はかなり不味い。そして彼女もまたルイスたち同様、ロープによる逃走を考慮できていなかった。
 律子は部屋から外へ逃れる唯一の手段――窓を見遣る。
 見下ろすと仲間たち――ルイスとハインを除く全員の姿があった。裏口のようだったが、流石に彼らも悠長に待っている余裕はないのか焦っているのが見て取れる。ハルとルーシーが先頭に立って、裏口から出てきた仲間たちを先導しているが――今はそこにいない律子たちのことも案じているのか、特にルーシーがしきりにビルに視線を向けている。
 背後の気配はさらに増えている。
 ――意を決して、律子も窓ガラスを突き破った。

 ■

「どうやらネズミが入り込んでいたようだな」
「みたいだねー」
 能力者たちが何とかビルから逃れてから数時間後。
 黒いジャケットの男とゴシックドレスの少女は、本部ビルの十階にいた。少女は相も変わらず男の肩に乗っている。
 男はデスクについており、幅広の机を挟んで――七階でハインとルイスを追い詰めた女性が立っていた。
「申し訳ございません。彼らの侵入は会長の留守を預かっていた私の過失です。
 盗まれたと思しきカードキーは無効にしておきましたが――彼らが入手したパスワードを書きかえるのはセキュリティシステム全体に影響を及ぼすため、対処はすぐには‥‥」
「案ずるな」
 女性は叱責を覚悟していたが、予想に反し男の声は平静を保っている。
「システム的なものは兎も角、今回の件で計画のことを知らない者も含め警戒は強めることが出来るだろうしな。
 それはあちらも予想出来ているだろうし、今回がこれで裏をかいてこようとは思うまい」
「‥‥確かに」
 女性は少し考えてから肯く。それを受けて、男は言葉を続けた。
「だが、ここへの侵入までされるとは少々面白くないな。

 ――次は、こちらから仕掛けるか」