●リプレイ本文
●星空の下で
能力者たちは夜になってから丘を訪れた。
雲の欠片ひとつ見えない空には、丘が星見の名所と呼ばれるにふさわしいと思えるほどの数の光が見える。周囲に街灯などはあまりないにも関わらず、能力者たちが互いの姿をある程度確認できる明るさだった。
「好みのタイプに見えるキメラだ? 変身能力があるヤツとは珍しいな」
黒羽・勇斗(
ga4812)は満天の星空を見上げながら厄介だな、と舌打ちする。同時に内心、依頼内容もよく見ずにそんな厄介な依頼を受けた自分を少しばかり後悔した。
一方、
「すごいですね! キメラってこんな能力を持っているやつもいるんですね!」
まだ能力者となって日が浅いこともあるのだろう。神浦 麗歌(
gb0922)は「早く見たいなぁ」と変わった能力を持つキメラに好奇心いっぱいの様子である。
「やだなぁ‥‥可愛い仔ニャンコとかに、見えた、ら‥‥」
はしゃぐ麗歌をよそにそう呟くのは緑(
gb0086)。
一メートル以上の体躯の猫がいたらそれはそれで不気味だが、それ以前に好みのタイプ=猫ということに突っ込みを入れる者はいなかった。
「まったく、えらい物作ってくれるぜバグアの奴ら」
ザン・エフティング(
ga5141)はやれやれとばかりに溜息をつく。
『やれやれ』の原因はキメラの能力以外にもう一つある。
斜め後方をちらりと見る――依頼を斡旋してきた時同様何か妙に燃えている朝澄・アスナ(gz0064)の姿がそこにはあった。視覚の情報が変換されれば敵の実体が見えるのではないか――そういった能力者たちの読みもあり、ディスプレイの映像を撮ったカメラ越しに周囲の景色を見てはいるものの、相変わらず落ち着かない様子である。
「『恋に恋する女の子を傷つけるなんて許せない』――か。
妙に気合入ってるケド、アスにゃーもそなの?」
横からのラウル・カミーユ(
ga7242)の問いかけに、う、と喉を詰まらせるアスナ。どうやら図星のようだ。
「気合が入るのも分かるが無理はするな、犠牲者が増えても困る」
前方にいたCerberus(
ga8178)からそんな言葉が飛んできた。彼がポケットに手錠を忍ばせていることとその意味に気づき、アスナは思わず唸る。
そんなアスナの頭を、ラウルがぽむぽむと柔らかく叩いた。
「ま、熱くなり過ぎて一人突撃とかしちゃ、ダメだよー?」
「わ、分かってるわっ――あ」
カメラだけあり、視界に捉えられる範囲も広い。最初にそれに気づいたのはアスナだった。
いた、と端的に告げる。能力者たちの予想通り、デジタルに変換された視界ではキメラは土気色の実体そのものだ。
「こうやってみると、普通に、見えるんですけど、ね」
モニターを覗きこんで、緑がそんなことを言う。
「‥‥ですが、油断は出来ません」
シエラ(
ga3258)はそう冷静に言い放つ。実際問題、彼らは戦闘中にまで視界をデジタル変換する手段を持ち合わせていない。
キメラと能力者たちの距離が、更に縮まる。
――スナイパーたちの最大射程ぎりぎりにまで距離が詰まったところで、
「Einschalten」
まずシエラがその呟きと同時に覚醒を済ませたのを皮切りに、能力者たちは次々に覚醒していった。
●近付けば近付くほどそれにしか見えない
覚醒後、真っ先に動き出したのは勇斗だった。
小さく跳躍し勢いをつけた後、一気に距離を詰め――と思いきや、途中で動きを止める。
まだ後方にいる仲間たちには不自然に映ったろう。ただし勇斗本人には、そのことに気づく思考の暇は与えられていない。
彼の視線は真っ直ぐ目の前の人間に、否、それに成りすましたキメラに注がれている。その似姿は――彼の相棒の姿で。
――顔の上半分を覆うファントムマスクをもってしても、キメラの作り出すまやかしの魅惑に打ち勝つのは容易ではなかった。一瞬前までの攻撃の意思を奪われた勇斗は、だらりと力を抜いてそこに立ち止まってしまう。
その横をすり抜け、ザンがキメラに迫る。
彼の眼に映るキメラの姿は小柄な女性だ。ストレートのロングヘアを風になびかせ、均整の取れた人型が丘に立っている。
ザンは『彼女』の顔を見ずに駆けていた。彼が思うに、好みを判断するのに一番重要なのは顔なのだ。だから顔さえ見ずにいれば魅了されずに済むのではと考えたのである。
狙い通り、嗜好の生み出す幻惑に負けることなく接近し――キメラが光を放とうと構えた瞬間にショットガン20の引き金を引いた。
虚を突かれたキメラが纏っていた衣服――それすらも幻覚である――がぼろぼろになっていく。そう見えているのはザンだけだが、ダメージを与えていることを確認できるならばそれで十分だ。
「もう一丁っ!」
まだ蛍火を振るうには距離がある。ザンは叫びとともにもう一度ショットガンの引き金を引いた。
今度も当たる――ザンはそう確信を抱いていた。しかし、
「――くそっ!」
次の瞬間目の前で起こった事態に舌打ちする。
ザンが引き金を引くモーションに入っていた一瞬の間に動いていたのだろう。Cerberusがザンとキメラの間に割って入ったのだ。それが原因で無意識のうちに狙いが逸れたか、銃弾はCerberusをかすめるに留まった。
なんにせよ、Cerberusも勇斗同様魅了にかかっているらしい。他はどうか、とザンは一瞬周囲を見回す。
シエラはキメラに向かってきている。他は最初からそれほど動いていない――。
スナイパーたちが揃って狙撃眼を使用することを選択したのは実に効果的だった。
戦闘に入ってすぐ――勇斗が魅了された段階で分かったことだが、距離を置いたままならば魅了にはかからないようなのだ。
キメラの姿こそ変われど、魅了に至るほどに注視して好みの姿かどうか確認しなければいけないということがまずない。
加え、エリク=ユスト=エンク(
ga1072)のように万一魅了にかかりそうになっても万全の態勢を敷いている者もいた。
「――!」
エリクは無言のままにアルファルの弓弦を指から放つ。
標的は過去のトラウマもあり正直見るだけで気持ち悪くなりそうなものだったが、ぐっとこらえた。その甲斐あって放たれた矢はフォースフィールドを破りキメラの頭頂部辺りに突き刺さる。
エリクからやや離れた地点では、麗歌も弓を構えている。
彼が見ている幻覚は黒髪のおっとりとした女性――自分の姉によく似ていた。ただしその表情は、麗歌が知っている姉のものではない。距離があるところにいる彼自身がそれを知ることはなかったが、それ以前に魅了にかかっておらず、覚醒によって感情の起伏を失っている彼には関係のないことだった。だからその一射に躊躇いはない。
しかし弦を指先から離した瞬間、その予測軌道上に魅了されたままの勇斗の姿が入った。
――当たる。麗歌も、勇斗が動いたことで何かが起ころうとしていることに気づいた他のメンバーもそう思ったに違いない。
だが次の刹那、銃声と同時に勇斗の体が再び動いた。間一髪矢を避けることになり、麗歌の一撃は当初の狙い通りに姉の似姿に突き刺さる。
銃声を生みだしたのはラウルが手にしているアサルトライフルだった。彼は麗歌の攻撃が当たるよう、自らの射撃で勇斗を引きつけたのだ。
威嚇の意味合いもあったこともあり、もちろん勇斗を傷つけてもいない。――そして今度は威嚇ではなく本当の攻撃に転じる番だった。
「乙女心は弄んじゃダメ、だよ?」
引き金を連続して引く――SESが活性化され殺傷能力が高まった銃弾は、狙いを違うことなくキメラに命中した。
更に別の方向から銃声。キメラの背面に回っていたアスナが銃の引き金を引いたのだ。
「絶っ対に許さないんだからっ!」
「あ、アスナちゃん、落ちつい、て‥‥!」
今にも接近して射撃しようとせんばかりに怒り狂うアスナを、緑が懸命に食い止めている。ちなみにちゃん付けしているアスナの実年齢が自分より上であることを彼は知らない。
アスナの銃弾が命中した直後、それまでキメラに背を向ける格好になっていた勇斗がキメラへと振り返る。
「俺を本気にさせたことを後悔しやがれ!」
キメラを視界から外して時間が経ったこともあったのだろう。魅了の効果が切れた勇斗が、ゼロにも等しい距離でドローム製SMGを乱射する――!
●深淵の向こう側
勇斗が我に返る一瞬前、キメラは次なる手を打っていた。
その狙いは――。
キメラに向かって駆けていたシエラは、不意に足を止めた。
『それ』の全貌に気づいてしまったからだ。
覚醒により、本来失われているはずの視力を取り戻した彼女は『それ』を目にしたことで――
「――ぁ‥‥」
閉ざしていたはずの記憶の世界の扉を、開いてしまう。魅了されたわけでもないのに、身体がぴくりとも動かなくなる。
――否、それは他の者たちとは違う形といえど、ある意味では彼女を魅了していた。
扉の向こう、その背景は鮮血を表す朱一色のみ。
そしてその世界の真中に立つのは――母。
次の瞬間、衝撃とそれに伴う痛みがシエラを襲った。母の似姿が放った光が弾丸となり彼女を貫いたのだ。
それで我に返ったシエラは、
「‥‥焦がれていた」
俯き呟いて、再度駆けだす。
再度迫り来る光弾。数発一気に放たれたそれは筋肉を強化された脚をもってしても全てかわしきるには至らなかったが、それでもシエラは駆けることをやめない。それどころか更に速度を上げ、一瞬にしてキメラとの距離を詰める。
母のようになりたいと思っていた――。
そんな羨望の対象はしかし、
「――あの腕は‥‥もう、掴めない――」
もうこの世界には形として存在していなくて。
その悲しみと怒りの色を静かに灯した眼で、勇斗の弾丸にさらされて隙を見せていたキメラの死角を捉え――穿つ。
全員の視界に異変が襲う。
――それぞれの眼に映っていたキメラの姿に、ブレが生じたのだ。
好機――。
それを生かしたのは、アスナから離れキメラに接近した緑と、キメラの異変とともに魅了から解き放たれたCerberusだった。
「みんなに迷惑かけた報い、受けてもらいます、よ‥‥!」
緑がシエラとは更に別の角度から死角を突いた一撃を浴びせる。今度は姿はブレなかったが、キメラは思いきりのけぞった。
その頭部を、Cerberusが掴む。
かつて己が生き延びるために殺した恋人の似姿がブレたのは、ほんの僅かな瞬間だけ。しかしそれでも――もう、惑わされない。
「このようなキメラこれ以上出させてなるものか」
過去を振り払うべく、刹那の爪を装着した脚を振り上げ――
「俺のような者を増やさないためにも‥‥なっ!」
キメラの脳天に叩き落とす――!
●七夕まで、もう少し。
――力尽きて崩れ落ちた後のキメラは、もう誰の眼にも幻を生むことのない土気色のモノでしかなくなっていた。
「はぁ‥‥」
討伐前のテンションはどこへやら。麗歌は少しどころではないショックを受けていた。
自分の好みのタイプ=姉、ときたのだから無理もない。周囲にはそれを知らせていないのでシスコンだと思われることもないだろうが、それは周りに思われていないだけであってちょっと自覚してしまっていた。
「‥‥、な、何を見たかは知らねーが、とりあえず終わったんだからいいじゃねえか、な?」
尋常でない落ち込みようの麗歌を、ザンはその理由を知らないながらも何とか慰めている。
その横には、ラウルと緑、そして妙にすっきりした表情のアスナの姿がある。
「アスにゃーには、どんな姿に見えた?」
「え? ――んー、教えない」
笑顔で問いかけるラウルに、機嫌がよくなったアスナも普段通りの様子で答えた。
それを見ていた緑は、
「‥‥女の人って、怖い」
と呟いたが、それはアスナの耳に届くことはなかった。
遥か頭上を見上げれば、戦闘前と変わらない満天の星空。
「とんだ七夕シーズンだったぜ‥‥ったく」
勇斗は空を見ながらため息をついて、それから昔のことを思い出した。
家族と過ごした七夕の日の思い出――平和だったあのころを懐かしんでから、今年の七夕の日には相棒を誘って天体観測というのも悪くないか、などと考える。
彼の少し後方には、同じように空を見上げているシエラの姿がある。覚醒を解いた故視力は喪われているが、それでも空のある場所を間違えることはない。
「――Es tut mir leid」
――母国語であるドイツ語で「ごめんなさい」を意味するその言葉を呟く彼女の眼には、大粒の涙が浮かんでいた。
もうすぐ、七夕。
今年も多くの人が夜空を見上げるのだろう。
そんな人々が見上げる空に輝く光の中に、まやかしはきっと、ない――。