タイトル:仮初の正義マスター:津山 佑弥

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/08/15 02:47

●オープニング本文


 その日――アメリー・レオナールは、久しぶりにかつて生家が存在した村の跡地を訪れていた。
 ヨリシロと化していた妹を去年この場所で永久に眠らせた時から、一年に一度はここに来ようと思っていたのだ。

 生家は相変わらず、屋根が吹き飛ばされて存在しないこと以外は形を保っていた。
 その様子を上から下まで見回した後、アメリーは瞑目する。
(わたしは元気だよ)
 心の中で近況を報告する。
 妹を手の届かない場所に見送ってからも、色々なことがあった。
 友達よりも、ひょっとしたら家族と同じくらい、大切な人が出来たこと。
 ヨリシロとしての妹に武器を与えたと思われるバグアの組織を、他の傭兵と一緒に壊滅に追いやったこと――。
 人類とバグアという大きな争いは兎も角として、彼女自身の状況は昔に比べとてもよくなっている筈だった。
 後者に関しては決して穏やかな話題ではないけれども、しがらみの一部を確かに取り払えた。
 だから苦い思いは感じつつも、決してそればかりではないとも思って納得している。

 ――不意に鼻を突く異臭を嗅いだのは、そこまで思い返して近況報告を終わろうとした時だった。

 荒廃しきった村の物品は殆どが風化し、廃墟と化した時には無数に存在したであろう遺体も全て白骨化している。
 故に、それまで空気に溶けていたのは土臭さだけだった。
 けれど――
(なに‥‥この臭い‥‥)
 突如放たれた異臭に対してのその疑問への答えを、アメリーは既に知っていた。
 傭兵となって、数度嗅いだことのあるもの――血の臭い。
(この近くに、バグアが‥‥?)
 一瞬で浮かんだその推測は、反射的に彼女の両手を腰の脇に提げた細剣の柄に触れさせていた。
 そうとしか考えられない。野盗の類だとしても、獲物を狙っての縄張りとしてここに寄り付くことはないだろうし、拠点とするつもりなら人の気配はもっとあからさまにあるはずだ。
 アメリーの能力者としての感覚はそれに気づかないほど鈍くもないし、逆に人がいるならアメリーの存在に気づいてもおかしくはない。なのに今の今まで何のアクションも起こされてはいなかった。
 だからバグアだという推測は十中八九当たっている自信はあったけれど――、それはそれで、今の状況では正直面倒ではある。
 道中の自衛の為に武器こそ携帯してきたけれど、個人的な来訪故に他に傭兵はいない。
 弱いキメラの一匹二匹なら兎も角、強力なものだったり――或いはそれが『人』であった場合、一人での勝算は限りなくないものとアメリー自身思っていた。
 ここは相手の如何に関わらず、退くべき。
 アメリーは柄に手を置いたまま覚醒し、迅雷を用いて臭いの発生源から離れようとする。
 しかし。

「あれ、逃げるの? ってことは君一人?」

 背後で響いた少年の声に、弾かれるようにアメリーは再び発生源の方角を振り向く。
 常人より遙かに優れたその視覚は、前方に浮かぶ人影をはっきりと捉えていた。
 黒髪に黄色人種の肌、序に草色の浴衣、に似たもの――それを甚平と呼ぶことをアメリーは知らない――を纏った少年の年の頃は、自分と然程変わりはないようにも見える。
 ヨリシロだった場合その判斷は正しくないけれども、
「きみは‥‥?」
 とりあえず同年代と見、警戒心を解かぬままに尋ねる。
「名乗るほどの者じゃないよ、ただの強化人間さ。‥‥一回言ってみたかったんだよね、この台詞」
 少年は肩を竦めた。
 強化人間ということは能力的には全く太刀打ち出来ないわけではないのかもしれない。
 けれどもどこか余裕を感じさせる少年の仕草を見て、どうにも敵いそうにもない、という直感がアメリーの中で勝った。
 再度後退――撤退を始めようとし、足を僅かに動かす。
 すると、
「やっぱり行っちゃうのかー」
 アメリーの意思を見透かしたかのように、少年は残念そうに声を上げた。
「‥‥一人じゃ勝てないって考えた相手から逃げることが、駄目だっていうの?」
 或いは逃がすつもりもないのかもしれないという予感を感じつつも、アメリーは思わず問うていた。
 だけど、少年の答えは意外といえば意外なものだった。
「言わないよ? バグアだって似たようなことしてるしね」
 あっけらかんとした表情で言った後、
「でも、人類が掲げる『正義』ってその程度のものなんだって思っちゃうんだよねー」
 再び残念そうに肩を竦めた。
 アメリーが唖然としていると、少年は近くにあった小石を蹴っ飛ばしながら言葉を続けた。
「別にそれだけで『正義』が薄っぺらいとか言うつもりもないけどね。一人じゃ勝てないから勝つためにっていうのは作戦だと思うし。
 でもさぁ、そうやって『正義』を建前にすれば何でもやってもいいって思ってる?」
「それは‥‥」
 すぐには返答しかねた。答えは一目瞭然な気もしたし、そうでない気もする。
 自分の中でもあやふやになっていることに気づき、アメリーは愕然とした。
「僕さー、嫌いなんだよね。自分が正しいと思い込んだことを勝手に『正義』にして、その為なら相手に何をしてもいいと思ってるヒト。
 『正義』って言葉にしてなくてもそうだよ。正しいと思ったことに絶対に間違いがない、ってどうして言い切れるのかなって凄く疑問。
 そういう意味ではバグアの方がまだ好きかな。個人的なポリシーがある人は兎も角、生物の価値観に正義とか悪とかがそもそもないからね」
 少年がそこまで言ったところで、鼻を突く臭いがそれまでに増して強くなった。
 思えば少年は武装らしきものを持っておらず、顕になっている素手にも血の痕跡はない。
 考えたところで、少年のすぐそばにあった高い瓦礫の影から体長二メートルは優に超えるであろう二足歩行のキメラが姿を見せる。
 アメリーはその姿の全貌を視認した瞬間、ひっと慄きの声を上げていた。
 全体の輪郭はグリズリーに近いけれども、口からは牙の代わりに無数の触手が飛び出している。
 またキメラは今、自身の目の前に爪で頭を掴んだ人間の体をぶら下げていた。
 触手の一部はその手首や脚を更に固定し――残った触手は、まるで医者が手術でそうするかのように腹を開き、内臓を抉り出していた。
「一体人間のどこを弄ればそういう身勝手がなくなるんだろうね」
 少年は呟いてから、アメリーに対し「あっちいけ」という手振りをした。
「さっきも言ったけど別に逃げるのが駄目ってわけじゃないし、ちゃんと逃げれば逃げ切れると思うよ?
 ‥‥ま、せいぜい考えておくといいよ」

 ――数日後、ULTの本部にフランス南部で出現したキメラの討伐依頼が出された。
 少年の言葉通り逃げ切れたアメリーはしかし、その依頼に出るべきか、モニターの前で判斷しかねていた。

●参加者一覧

国谷 真彼(ga2331
34歳・♂・ST
リオン=ヴァルツァー(ga8388
12歳・♂・EP
絶斗(ga9337
25歳・♂・GP
ヨダカ(gc2990
12歳・♀・ER
不破 炬烏介(gc4206
18歳・♂・AA
三日科 優子(gc4996
17歳・♀・HG

●リプレイ本文

「あれは‥‥アメリー?」
 本部で同じように依頼群を眺めていたリオン=ヴァルツァー(ga8388)が、まず最初に複雑な表情を浮かべているアメリーに気がついた。
 彼女の視線を追った先に表示されている依頼について、彼も思うところがあった。
(‥‥あの依頼の場所って――アメリーの、生まれたところの近くだよね‥‥)
 何にせよ、依頼も彼女も放ってはおけない。リオンはアメリーの方へと歩み寄った。

 それから少し時間が経って、本部の一室には依頼を受けるべく集まった傭兵たちと未だ悩んでいるアメリーの姿があった。
 アメリーから以前に起こった事件のことを聴き――。
「ずいぶんと妙なのに絡まれたですね、おねーさん」
 最初にそう口を開いたのはヨダカ(gc2990)だった。
「今時正義なんて政府のプロパガンダがコミックの中でしか見かけないと言うのに、人類の歴史なんて謀略だらけなのですよ?」
 後ろから殴って、勝ったら謀略、負けたら卑怯なのだと。
「そも、コミックヒーローじゃなくて『概念としての正義』は人間の味方じゃないのですよ」
 ヨダカはこうも言った。
『正義の味方』は人類種の敵であって、正義は断つべきもの――。
 彼女の指摘はどれもこれも実に鋭く、的を射ている。
 アメリー自身、それが自分の抱える悩みの答えの最適解なのだろうとは思っていた。
 が、しかし――それでも頭の中には、微妙な靄が残った。
「迷いが、あるのかい?」
 変わらぬ表情の意味を察したのか、国谷 真彼(ga2331)は問う。
 アメリーは数度目を瞬かせた後、
「‥‥正直、ちょっとだけ」
 言葉通り自信無さげに答えた。
 理由は分かっている。
 世界的にはヨダカの言うことが真理だとしても、今までそれらを意識してこなかった自分は、果たしてその真理に沿っているのだろうか――。
 その確信が、なかったからだ。
 真彼の問いへの返答を見、「ねぇ、アメリー」それまで黙って話を聴いていたリオンが呼びかけた。
「君は‥‥『正義のため』なんて理由で‥‥能力者になったわけでも‥‥今まで戦ってきたわけでも‥‥ないよね‥‥?」
「――うん」
 ここは素直に肯く。
「あの時‥‥アメリーが能力者になろうって決断した時の気持ち‥‥。
 そして、コレットのこと――あんな悲劇が二度と起こらないように戦おうって誓ったあの時の気持ち‥‥それは、その子が言うような薄っぺらなものだったのかな? 違う、よね?」
 二度目の首肯は、言葉を伴わず。けれども表情からは自然、迷いの色が剥がれた。
 意識していなかった以上は、気にするべくもないことなのだ――。
「――行こう。せっかく、この前のことが終わって静かになったばかりなのに‥‥。
 また騒がしくなったら、アメリーのお父さんもお母さんも‥‥コレットも、静かに眠れないから‥‥ね」

 リオンの言葉に肯くアメリーを見、真彼は人知れず微笑する。
(君が思うほど、君は弱くない)
 アメリーがそれだけのものは乗り越えてきたということを、真彼も知っている。
「まあ、少年が護ってあげたいと思う程には、か弱い方がいい思うよ、なんてね?」
「え?」
「いや、なんでもないよ」
 呟きはアメリーの耳にも届いたらしく聞き返されたけれど、微笑のままやり過ごした。


 そして、フランスの現地へ。

「――正義‥‥何故。その言葉、は‥‥在る?
 正義とは‥‥何、だ‥‥?」
 未だ現れぬキメラを待ちながら、不破 炬烏介(gc4206)は呟く。
 先ごろヨダカは『正義』の害悪性を説いた。
 それもまた一つの答えとして、そもそも何故その言葉はあるのだろう。
 ヒトの意思の根本たるところ――善悪といった魂的なものに関心のある彼としては、気になる命題の一つだった。
 ――が、思考に耽る時は一旦終わりを迎えた。
 少し遠くに、大型の熊のような影を捉えたからだ。そしてそれがただの動物であるということは、周囲の状況からしてありえない。
「――正義は、知らん‥‥が。
 ソラは言う‥‥『<裁キ>ハ古来ヨリ在ル。穢レニ罰ヲ‥‥』‥‥殺す、殺して‥‥やる」
 言葉とともに、覚醒。右手から炎のような気を放つ鱗が顕現し、それは瞬く間に炬烏介の身体を覆いつくしていく。
 他の傭兵たちも手早く覚醒を済ませ、早速戦闘に移ろうとした矢先――真横から強烈な風が吹き、砂塵が視界を埋め尽くした。
「む、早速ですね」
 ヨダカは言う。ゴーグルを装備している彼女を始め、全員顔に何らかの装備をしている為に砂が目に入ることは無かった。
 が――敵の刃の動きまでは、砂塵を突き破ってくるその時まで気付くことは出来ない。
 狙われたのは、前に立っていた五人のうち、絶斗(ga9337)とリオン。
「‥‥っ」このうち最初の邂逅の段階で覚醒と共に自身障壁で防御を固めていたリオンは、咄嗟に盾を構えたこともあり事なきを得た。
 しかし絶斗は腕を絡め取られると、一気に引き寄せられた。元より以前の戦闘で傷を負った状態のまま参戦した為に、踏ん張りが利かなかったというのもある。
「いきなりやってくれるやないか!」
 三日科 優子(gc4996)はその触手の動きを追うように瞬天速でキメラへ接近する。
 風に靡いてほぼ真横に流れていた金色の髪が、ゆらりと重力に従ったその一瞬――踏み込んだ足に体重を乗せ、勢いのままにデュラハンで絶斗を絡め取っていた触手を切断した。
「――ッ!?」自由になった絶斗が苦しい表情ながら安堵したのも一瞬のこと。
 着地体勢をとった次の刹那には、新たな触手が伸び――片手もつけバランスを取った彼の全身を上から叩いたのだ。元よりコンディションが最悪に近かったこともあり、その一撃で継戦出来なくなってしまう。
 無論、同様の攻撃はほぼ同時に優子にも、しかも二発及んだ。一発目はまともに食らいバランスを崩したが、連続して襲い掛かったニ発目は再度の瞬天速で退いて難を逃れる。
 ちょうど砂塵が晴れ、その優子とスイッチする形で今度はリオンとアメリー、炬烏介が前に出た。
 その接近の合間に真彼が優子に回復を施し、ヨダカは超機械でキメラへの攻撃を図る。
 攻撃は命中しなかったが、キメラの行動を鈍らせることには成功したらしい。ヨダカの攻撃から一瞬遅れて炬烏介へと向かった触手は、避けるまでもなく標的から逸れた。
 自身の脇を通過した触手を、炬烏介が斧で断つ。
 触手はしなやかではあるものの、先ほどの優子のように全力で攻撃を行えば切断出来る程度の耐久力のようだ。
 それまでのキメラの行動からそう判断した真彼は、再度前に向かった優子を見送りつつも、一方でアメリーにヒットアンドアウェイで敵の攻撃を引き出すよう指示を送った。
「通電率アップなのですよ! デジタル電波をくらえ〜バリバリ、なのですよ」
 真彼の横からは、ヨダカがキメラに属性変化を施す。時を同じくして、優子が雷遁による知覚攻撃を放った。通電性を高められたばかりのキメラの身体に、雷遁の電流はよく通る。
 蹈鞴を踏むキメラ。傭兵たちは更に攻勢を仕掛けようとしたが――次の瞬間、再び強い風が吹き荒れ、視界を砂が覆った。
 次いで、最後方にいた真彼やヨダカの許にも砂のヴェールを突き破って触手が迫った。力任せに振るわれたであろう一撃は二人ともに掠めるだけに留まったものの、横殴りだった為に遠心力が働き、想定していたよりは大分重い衝撃が走る。時を同じくして前方の砂塵の向こうでも打撃音が響いていた為、二人の背を若干嫌な汗が伝った。
 砂塵が晴れた時、リオンやアメリー、優子にはそれまでになかった傷が増えていた。尤も照準を合わせにくいという意味ではキメラも同じ条件を背負っていたらしく、風がない時ほど正確な攻撃でもないようだったが。念押しの意味を込めつつ、真彼は即座に三人にそれぞれ練成治療を施した。
 そして炬烏介はといえば――自身に攻撃が来なかったこともあり、砂煙が発生している間にキメラの後背を取ることに成功していた。
「こっちも電気を流すですよ〜」
 それを見たヨダカが彼の斧にも属性変化を施した。
 先ほどキメラに浴びせたのは水属性への変化――今度は、雷属性へ。
「‥‥喰ら、え‥‥全身全霊‥‥!」
 スキルを乗せた一撃を、キメラの足に見舞う。
 キメラが頑強なのは手ごたえで分かったが、それでも力で刃を振り切った。
 片足を深く斬られたキメラはバランスを崩し――地面に立てた爪と無事な片足で踏ん張ると、触手で炬烏介の腕を絡め取った。そのまま背負い投げの要領で投げられた炬烏介の身体は宙を舞い、一瞬で地面に叩きつけられる。
「がっ‥‥」思わぬ攻撃に受身も取れず、炬烏介の口からそんな声が漏れた。
 だがそんな瞬間でも、キメラに優位が与えられることはなかった。リオンとアメリーが接近していたからだ。
 バランスを崩していたキメラに対し、まずはアメリーが二刀を立て続けに振りかざす。キメラは片手の爪でアメリーの腕を取ろうとしたが、
「‥‥させない‥‥!」リオンが立ちはだかり、盾でこれを防いだ。
 そしてアメリーの刃は狙い通りにキメラの足――先ほどの炬烏介の攻撃で既に深い傷を負っていた部分に連続して食い込み、二つ目の刃で完全にこれを切断した。
 ――そんな折、三度目の砂嵐が吹く。
「そう何度も同じ手を食うかいっ!」
 黄土色の視界の中、不意に混ざった別の色――触手に優子は素早く反応、デュラハンでこれを切断した。
 明らかに傷を負っているし、触手も既に何本も断ち切られている。
 それでも最初同様に攻撃を繰り出してくる生命力には舌を巻かざるを得ないが、逆に言えば注意すべきなのはそれだけだ。
 触手の動きほどキメラ本体の行動は機敏ではないのも、既に看破済み。追撃はないと踏んだ優子はそのまま瞬天速でキメラがいるであろう方向へ迫る。
 片足を失ったキメラは、自身の移動能力を完全に失っていた。優子がキメラを視界に捉えた時、キメラは触手を壁にしてアメリーやリオンの刃を防いでいるところだった。腕で身体を支えなければならない為に、もはや爪も使えない。
 一方敵との間に格子状に張り巡らされた触手を前に、二人はダメージこそ受けないものの攻めあぐねて――。
 否、それもまた一つの時間稼ぎであることは、自分とは別方向――リオンたちの背後から動いている炬烏介の存在が優子に教えていた。自分が迫っている方向が無防備になっていることにも気付き、優子は接近しながらも刃を振るい始める。
 重い手ごたえ。しかし勢いのままに下から突き上げるように振るわれた一撃は、前屈みに倒れていたキメラの身体を逆に仰け反らせた。
 そして――砂嵐が晴れ。がら空きになったその胴体に、遠方から無数の知覚攻撃が襲い掛かった。真彼とヨダカが一斉に攻勢に転じたのだ。
 電気を伴った攻撃を多数受けた為に痙攣しているキメラの後背に、再び炬烏介が回り込み――。
「――ソラノコエ、言う。『正義トハ意思。遂ゲル意思』‥‥必ず、殺す‥‥! 虐鬼王斧‥‥!」
 今度はトドメとなる一撃を――キメラの口、そして頭部を真っ二つにした。

 キメラの死亡を確認し、途中から動けなくなっていた絶斗にも応急処置を施す。
 優子はその合間に、きょろきょろと周囲を見渡した。
「おらへんなー‥‥」
「え?」
「自分が見たっていう子や」
 聞き返したアメリーに向かって優子は言う。
「キメラを引き連れておったんなら、おると思ったんやけどね」
「呼んだ?」
「!」
 思わぬ方向――村内から声がかかり、多くの傭兵たちが身を固くした。
 全員の視線を集めた少年は、しかし動じることなく肩を竦める。
「あ、勘違いしないでねー。村の人たちには何もしてないよ」
「‥‥じゃあ何で‥‥そんなところに?」
「安全に戦いを観るには一番いい場所じゃない?」
 リオンの問いに、少年はそう答える。
「つまり、キメラに村を襲わせようとしたこと自体――君の『観察』の為だったというわけですか」
「そ」真彼の指摘に対しては短く肯いた。
「結局討伐も『自分たちの手で村人を護りたい』っていうエゴめいたものでしょっていうのを見たくてね」
「身勝手で結構ですよ」
 真彼の言葉を聴き、少年は片眉を上げた。
「――正義、とは、何だ‥‥? 其れは善か?」
 一方で炬烏介は、アメリーにそう問うていた。
 アメリーは少し考えた様子を見せてから、首を横に振る。
「善‥‥じゃ、ないと思う。誰にとっても『正しい』ことなんて、多分ないから」
 その言葉を聴いて炬烏介は小さく肯いた。
「‥‥思うに。正義とは‥‥『己ガ在リ方ヲ示シ貫ク事』‥‥故、に必ず‥‥何者かと反目する‥‥」
 そしてそのまま、視線を少年に投げる。
「――そして、否定‥‥するは簡単だ。『違ウ』‥‥と言うだけ、故に。
 故に‥‥『己ハ何モ示セナイ』のだろう‥‥穢れども‥‥!」
「可哀想な人やね、自分」
 挑発めいた言葉のせいか歪んだ少年の顔を見つめながら、優子は言う。その表情には慈しみと同時に寂寞の色が浮かんでいた。
「潔癖で完璧症なんやね‥‥。
 綺麗であれない人間に失望して、正しくあれない自分に絶望した。白くなれないから、黒に染まってしまおうと思ったんね」
「‥‥そうかもしれないね」
「間違っててええんよ? 綺麗じゃなくてもええんよ?」
 肯いた少年に対し優子はそう言い放った。少年の表情が、怪訝そうなものに変化する。
「正しさなんてものの見方の差や。
 大切なのは間違っていたことを認め、変わることや。人生にリセットボタンはあるんよ」
「‥‥‥‥」
「なぁ? こっちに来んか?」
 ついに何も言わなくなった少年に対し、優子は手を伸ばした。
「ウチが一緒にごめんなさいしたる。完璧はそれ以外に何も必要ないと言うことや。
 完璧は、少し、淋しい。やから――」
 一緒に行きましょう。
 その意思を込めた手を――しかし少年は取ることなく、背を向けた。
「‥‥行けない」
「どうしてや?」
「僕の気持ちがどうだとしても‥‥母さんを置いてはいけないから」
「‥‥君のお母さんも、バグアに?」
 真彼が問うと、少年は顔だけを少し傭兵たちの方に向け――首肯を示す。
「今は――日本で、山梨で、ちょっとだけ偉い人になってる。
 元々僕らは、そこに住んでたんだ」
「‥‥!」傭兵たちの表情が、それぞれ驚きに歪んだ。
 山梨――そこから程近い東京で起こっていたことも、県自体バグアの強い影響があることも、アメリーもおぼろげながら知っている。
「‥‥自分の名前、教えてや」
 優子は少年にそう言葉を投げた。
「ウチか、そうでなくとも誰かが、いつか自分を迎えに行くわ。勿論自分のおかんもや。
 ――その為の、目印が欲しい」
「‥‥琴原」
 ややあって、少年は答えた。
「琴原・椿。母さんの名前は、桜」
 その言葉を最後に、少年は歩き去っていく。
 隙だらけの背中を、しかし誰も追うことはしなかった。