●リプレイ本文
●悪夢の島へ
目的地の島へ向かう移動艇の中で、傭兵達の口は一様に重かった。
この気分は、まだKVが本格配備される以前、自らの力を遙かに凌ぐ大型キメラと生身で戦わざるを得なかった初期の能力者達の心境に通じるものがある。
むろんこの1年余りで人間用のSES武器も格段の進歩を遂げているし、2つの大規模戦闘を通じて能力者自身も成長している。そうと判っていても一抹の不安を拭えないのは、敵であるアビスの形態、能力などが一切不明であるからだ。
そもそも全人類の深層意識に潜む「恐怖」の根源なるものが、果たして存在するのか?
「‥‥そんなモノがいるとしたら、俺には一つしか思い浮かばないな」
それまで何事か考え込んでいた鷹見 仁(
ga0232)が、己の推理を口にした。
「その形は違えど、世界中の神話に登場し、ある時は神として、またあるときは悪魔の化身として畏れられ、恐れられる。即ち‥‥竜、いわゆるドラゴン」
単なる予想に過ぎない、と断りつつも、
「だが、もしそうだったら‥‥恐るべき相手なのは間違いないな」
「しかし、ドラゴン型のキメラだったら過去に何種類も報告されてるだろ?」
ゲック・W・カーン(
ga0078)が反論する。
「確かにキメラの中でも手強い奴らだが‥‥あれを見た能力者が恐怖で錯乱した、なんて話はさすがに聞かないぜ?」
元はアフリカの自然保護区でレンジャーを務めていた彼にとって、ワームやキメラ以外に「恐怖の対象」と問われれば、やはり経験上から獰猛なサバンナの猛獣、そしてそれ以上に危険な人間の密猟者達を思い浮かべてしまう。
「ねぇ、ボクふと思ったんだけど‥‥」
口を挟むのは、今回の事件に発端から関わってきた潮彩 ろまん(
ga3425)。
「宇宙人がその怪獣を放置していった理由、基地の中で育ててたら予想外におっきく育ち過ぎて、基地から出せ無くなっちゃったとかもないかなぁ? だったら、ちょっと間抜けだよね‥‥時間もたってるし、誠君が夢で見たのよりもっとおっきくなってたらやだな」
(「それは確かに勘弁して欲しい‥‥」)
その場にいる誰しもが思う。万一、創造主であるバグアでさえ制御できず放棄したような怪物なら、それこそ今までのキメラに対する認識を捨ててかからねばなるまい。
「ま、余計な先入観は捨てて挑むべきだな。いらねー想像を膨らます事になるっつーのと、勝手な想像を前提に行動するのが一番まずいからよ。ケケケ!」
とOZ(
ga4015)が笑う。不安を隠せない一同の中で、彼だけは目前に待つ危険を楽しんでいるかの様だ。
「確かに『恐怖の根源』がどうの、ってのは全部ラザロさんの憶測だからな‥‥今の所バグアの実験が成功したのか、アビスがまだ生きてるのかさえ判らないわけだし」
いわゆる「腐れ縁」というべきか――過去何度か依頼を共にした、ある意味でバグア以上に底知れぬ闇を抱えた能力者の男を思い浮かべつつ、新条 拓那(
ga1294)は移動艇の窓から下に広がる青い海を見やった。
「へへ‥‥そのラザロってオッサンにもぜひ会ってみたいねー。噂によれば、なかなか面白そうな奴じゃん?」
「そうかい? アタシは気に入らないね。あの男も、SIVAとかいう会社も」
美川キリコ(
ga4877)が不愉快そうにため息をつき、しなやかそうに引き締まった脚を組み直す。
「アビス‥‥大層な名前がついたモンだね。知ったら知ったで、ムカッ腹が立ってきたよ。そんなくっだらねーモンをこさえる為に‥‥サァ?」
正確な数は不明だが、アビス製造のためバグアは千人近い地球人をモルモットにしたという。
ジャーナリストとして、能力者の傭兵として、社会に潜む闇、人間の暗黒面を過去幾度となく覗いてきた。おそらくは今回も、別の意味でさらに深い闇を垣間見てしまうだろう――その予感が、キリコにどうしようもない苛立ちを与えていた。
「‥‥これ以上の犠牲は出さない。アビスはやっつける。それだけ、だ!」
「あの‥‥」
そのとき座席の端に座っていた少年が、おずおずと口を開いた。
「皆さん‥‥本当によかったんですか? その、こんな危険な依頼に参加して‥‥」
高瀬・誠(gz0021)はやや青ざめた顔つきで俯く。当初は自分とラザロの2人だけで行く事を強く希望したのだが、ULT側が許さず、今回の部隊編成となったのだ。
「まさか、こんな事になるなんて‥‥元々僕個人の問題だったのに、もし皆さんの身に何かあったら――」
「君のせいじゃありませんよ。事実を隠していたUPCにだって問題はありますし‥‥それにそんな危険なキメラなら、いずれ誰かが倒さなければいけなかったんです」
動揺する誠を、鏑木 硯(
ga0280)が窘めた。
「はっきりとは言えないけど――1度恐怖を受けたグラハムさんのエミタが抗体となって君を護ってくれるんじゃないかな? 恐怖に打ち克ちアビスを倒せれば‥‥君だけじゃなく、グラハムさんもそこから開放されると思うよ」
「‥‥」
その言葉に納得したのかどうか、誠はただ無言でエミタの埋め込まれた自らの手首を繰り返し撫でた。
「私にとっての恐怖は何も解らないこと。科学的に解明できることは『恐怖』ではなく『脅威』だよ」
最年長者のランドルフ・カーター(
ga3888)もまた、親子ほど歳の離れた少年に語りかける。
「だから私は闇も怖い! あと死は恐怖ではないよ。でも飼猫達に会えなくなる事はとても『寂しい』事――だから私は死ぬのは嫌さ。そう考えると恐怖の数は少なくなるだろ?」
「カーターさんの仰る通りです。昔の人間は天災や伝染病を『神の怒り』と信じて怖れてきました。でも先人達が科学の力でそれらの恐怖を一つずつ克服し‥‥そうやって人類は進歩してきたのですから」
分厚い医学の専門書で半分顔を隠しながら、ナタリア・アルテミエフ(gz0012)が頷く。
彼女自身は能力者だが傭兵ではない。それでも今回の依頼に周囲の反対を押し切ってまで参加してきたのは、自らが主治医として誠へのエミタ移植を担当したという事に内心で負い目を感じているだろう。
「キメラだって所詮は異星人の科学が生み出した生物兵器――そう思えば、脅威ではあっても恐怖するに値しませんわ!」
と勇ましくいう割に、手にした本は逆さまで額に冷や汗をかいている。
もっともナタリアは重度の飛行機恐怖症なので、アビスではなく移動艇で空を飛んでいる事が怖いのだろうが。
(「‥‥あー、ただでさえ厄介そうな奴が相手だってのに、苦労屋の先生まで一緒とはな」)
前途多難な依頼の行方を思い、ついこめかみを押さえるゲック。
とはいえ、生身での危険依頼に回復役のサイエンティストは欠かせぬ存在だ。
「安心しな‥‥相手がどんなバケモンか知らねえが、誰ひとり死なせやしねえよ」
座席から少し離れた艇内の隅で、1人黙々とシャドーボクシングを繰り返す筋肉質の男が、ボソリと呟いた。
元プロボクサー、黒川丈一朗(
ga0776)。彼はこの危険な依頼の内容を知ったとき、ある一つの決意を固めて参加を決めていた。
――任務を果たし全員で生還する事。
(「究極のキメラ? へっ、上等じゃねえか――相手になってやるぜ!」)
人の恐怖を凝り固めたという未だ見ぬ敵の姿を思いつく限りイメージし、丈一朗はひたすら宙に向けて鋭くパンチを打ち続けていた。
「今回の敵はかなり危険そうですけど、皆さんと一緒なら何とかなると思いますよ‥‥はむ」
前回の調査行から続いての参加となる王 憐華(
ga4039)がほんわかした笑みを浮かべ、持参したお団子を一同に配ると共に、自分でも頬張る。
出発前からずっと顔を強ばらせていた誠も、憐華の微笑みとお団子の甘い味に、ようやく少し和んだように口許を綻ばせた。
●封印されたキメラ
移動艇が海岸に着陸し、傭兵達が島に降りると、先に到着していたラザロが出迎えた。
その背後には、50名近いSIVA側の傭兵部隊が完全武装で待機している。
ラザロ同様黒い野戦服に身を包み、ガスマスクを兼ねたフルフェイス・ヘルメットで顔を覆った彼らは一様に無言で、その姿はあたかもバグアとは別種の異星人であるかのようだ。
「大型キメラはこの前片付けたといっても、ジャングルにはまだ小物が潜んでる可能性がある。だから護衛を連れてきた。といっても、同行するのは入り口までだが」
SIVA側の部隊にも一部能力者はいるものの、大半は一般人の兵士なので、地下施設に連れて行っても却って足手まといになるだけだろう――というのがラザロの説明だった。
「首尾良くアビスを倒した後は、一応地下施設をこちらで調査させてもらう。元々はSIVAが請け負った依頼にUPCが横槍を入れてきたんだ。これくらいの取引は許されるだろう?」
「もし‥‥俺達が失敗した時は?」
ゲックが尋ねた。
あまり愉快な想像ではないが、一応確認は取っておかねばならない。
「日が暮れても俺達が戻らなかった場合、SIVAの部隊はこの島から撤退する。後はUPC軍の判断になるが‥‥おおかた、フレア弾で島ごと焼き払うんじゃないか?」
さして興味もなさそうな口調で、ラザロが答える。
傭兵達は額を寄せ集め、僅かな間話し合った。
どうやらSIVAとUPCの上層部では既に合意が成立しているらしい。どこか釈然としないものは残るが、ここは先方の要求を呑むしかあるまい。
――自分達の任務はただ一つ、アビス殲滅だ。
30分ほど後、先行したSIVAの斥候部隊から安全を確認する報告を受け、双方の傭兵達は密林の奥を目指して移動を開始した。
「‥‥で、答えは出たのかね?」
密林を行軍中、ラザロが顔見知りの拓那に突然尋ねてきた。
「何の話です?」
「アビスを形作るもの‥‥人間の恐怖の根源について。どうせ、移動艇の中であれこれ話し合ってたんだろう?」
「そんなの判るわけないだろ? 怖いモノなんて、人によりけりなんだからっ」
拓那より先に、ろまんがふくれっ面で口を挟んだ。
「でも、ここまで来たんだ。ボクこの事件の元凶を、しっかりとこの目で確かめるつもりだよ!」
「その件については、むしろあなたにお尋ねしたいですね」
拓那は逆にラザロに問いかけた。
「あなた自身はどういう風に対抗するつもりです? ラザロさんが恐怖に飲み込まれるってのは、俺には少し想像がつきませんけど‥‥」
「対抗策? そんなものはないよ。『それ』が何であろうと‥‥俺はそっくりそのまま受け入れるだけさ」
こともなげに、ラザロがいった。
「これまで、随分人が死ぬところを間近で見てきた‥‥迫り来る死に怯える人間の表情を、それこそ目と鼻の先でね」
「それは戦場で? それとも、あなた医者か何かだったんですか?」
慎重に探りを入れる拓那の質問には答えず、男はただニタリと笑った。
「――そのうち、俺の中にある『欲求』が芽生えた。本当に『死』こそが人の恐怖の終着点なのか? それともその彼方に、本来なら人が覗くことも許されぬ暗黒の地平線が開けているんじゃないのか? 出来るものならぜひ確かめたい‥‥過去、多くの作家や芸術家が『それ』を形にしようと心血を注いできた。といっても、所詮人間の想像力には限界がある。だがバグアの技術力なら、あるいは‥‥」
やや興奮気味に早口でまくし立てながら、胸ポケットを探り煙草を取り出す。だがあいにく切らしていたらしく、空のケースを握り潰し舌打ちして放り捨てた。
そんなラザロに、ランドルフがポンと高級煙草を投げ渡す。
「個人的前払いだ。是非受け取ってくれ」
「おや。こいつはすまん」
「ここだけの話、君とは馬があいそうだ。素人作家が見たところ、君は恐怖に対する感覚に飢えてると見た。バグアにもUPCにも入らないのはそうなんだろ?」
「素人とはご謙遜を。貴方の本は全部読ませてもらったよ、カーター先生‥‥まあ愛読者といってもいいね」
煙草の封を切りながら、男は灰色の目を細めた。
「ご賢察の通り、俺はこの戦争の勝ち負けに興味はない。UPCに義理もないし、バグアの同類になる気もないよ‥‥人間の世界にいればこそ、本当の意味で人の恐怖を味わう事ができるわけだからな」
「ったく‥‥やっぱりついてきてよかったよ。こんなイカレた野郎とアンタを2人きりで行かせてたら、どうなってか知れやしない」
キリコは誠に小声で囁くと、少年の手を引いてラザロから引き離した。
対照的に、OZはニヤニヤ笑いながらランドルフとラザロのやりとりを眺めている。
(「俺的にスゲー好きなンだよね。一切他人に期待しねー姿勢っつーか‥‥こーゆー人間には損得抜きで協力したくなっちまう」)
やがて一行は、目的地であるバグア軍の施設跡へ到着した。
残存キメラの襲撃に備えてSIVA側傭兵が周囲を警戒し、プラスチック爆弾により溶接された床面の「扉」が爆破される。
ULT側の傭兵達とラザロは、地下への潜入に備えて各々装備品の最終チェックを行った。
一行のうち、暗視スコープを装備しているのは仁、拓那、OZ、ラザロ、ナタリア。
後の者には作業用のライト付きヘルメット、及び短時間ながら照明の代わりになる発火筒が貸与されている。
仁は予備で持参していたもう1個の暗視スコープを、誠に貸してやった。
「ありがとうございます‥‥鷹見さん」
アビスが一体いかなる能力を持ったキメラなのか、それは仁にも判らない。
(「だが最後にものを言うのは恐怖に負けない心の強さ――それに大切なものを思う心。それさえあれば、どんな怪物にだって負けやしないさ」)
「なあ誠、お前にもいるんだろ? もう一度会いたい相手が」
「‥‥はい」
一瞬、少年は故郷である日本の方角を遠い目で見やり、暗視スコープを装着した。
本来ならエレベータで昇降していたらしい地下への縦穴はその機能を停止していたので、一行はSIVA側から提供された縄梯子を使い順次降りていった。
10mほど下った所で地下の床面へ着き、周囲を見回すと壁の一角に坑道と思しき入り口が開いていた。
広さ5mほどの暗い横穴を、覚醒した能力者達は2列縦隊を組んで慎重に進んでいった。
前衛:仁、丈一郎、ろまん、キリコ、誠、ラザロ
後衛:ゲック、ランドルフ、OZ、拓那、硯、憐華、ナタリア
これはアビスやその他のキメラと遭遇、交戦状態に入った場合の班編制でもある。
ランドルフは天井や壁の崩落を、そしてろまんは異常な音や吠え声が聞こえないか注意深く警戒したが、今の所それらしい危険は察知できなかった。
またアビス本体が巨大に成長しすぎて地上に出られないとしても、仮に触手などを武器にしている場合、狭い通路とて油断はできない。
(「まさかナタリアがいるからって、触手攻撃を‥‥いや、これ以上考えるまい。本当にそうなりそうだから」)
と、つい妙な妄想を膨らませるゲック。
そんな風にして10分ほど進んだ頃、坑道の突き当たりに半ば開いたまま停止したスライド式の自動扉を発見した。
暗視スコープを装備した仁と誠が偵察のため先に入り、安全を確認してから後続のメンバーを招き入れる。
そこは、研究所の実験室くらいのスペースを有するかなり広い部屋だった。
いや、実際に得体の知れぬ機械類が整然と並んでいる所から見て、ある種の「実験施設」であった事に間違いないだろう。
「‥‥!」
暗視装置やライトで室内を見回した傭兵達が、思わず表情を曇らせた。
予想はついた――が、出来ることなら見たくはないものを見てしまったからだ。
壁際にずらりと並んだ椅子型の機械。その上に座る、ボロボロの衣服をまとった白骨遺体――施設に連行されたという地球人の捕虜だろう。
「ひどい‥‥」
憐華が目に涙を浮かべて呟く。
犠牲者達の亡骸に短く黙祷を捧げ、傭兵達は装置周りの検分を始めた。
遺体の頭部には全てヘルメット型の機械が被せられ、そこから伸びたケーブルはコンピュータと思しき別の機械の筐体へと連結している。
「人間の脳から直接思考を読み取る装置でしょうか? ‥‥詳しいことは、分解して調べないと何ともいえませんが‥‥」
震える声で、ナタリアが推測した。
ただしこの部屋にある遺体の数はせいぜい十数体。他の捕虜達はどこへ連れて行かれたのか――?
「ほーう‥‥こりゃ面白い」
遺体の列にはさして関心も示さず、独りで室内を調べ回っていたラザロが、ふいに声を上げた。
「見てみろ。こんなモノが落ちてたよ」
そういって、キアルクローの爪に引っかけ差し上げたのは、一冊の雑誌。
兎のロゴをトレードマークにした、米国製の有名な男性向け成人誌である。
「ちょっとアンタ!? こんな時に、何を下らない――」
獣人化した牙を剥いて怒りかけたキリコの言葉が、途中で止まる。
他の傭兵達も、ラザロのいわんとする事に気づき絶句した。
――バグアが、捕虜のためにわざわざ娯楽雑誌など用意するだろうか?
「どうやらここには、実験台の他にも地球人がいたようだな。バグア側の協力者として」
「親バグア派‥‥でなけりゃ、占領地域から強制連行された科学者じゃないのか?」
「なら、いいんだがね」
ゲックの反論に、ラザロがニンマリと笑う。
「案外、こちら側の‥‥たとえばどこぞのメガコーポレーションが協力したのかも知れんぞ? いや、事によればアビス製造の計画じたい、そいつらが持ちかけて――」
そのとき。
ウオォォーーンーー‥‥
どこか遠くから、人とも獣とも知れぬ遠吠えが響いた。
傭兵達の視線が、実験室の一角に注がれる。そこには、入り口とは別にもう一つの自動扉が存在していた。
固く閉ざされた扉一枚の向こうから、その遠吠えは聞こえてくる。
ロック装置と思われる機械をスナイパー達が銃撃で破壊し、ファイター達が腕力に物を言わせて扉をこじ開けた。
そこから先に広がる光景は、天然の鍾乳洞と思しき広大な地下空洞。
実験室から一歩外に出た誠が、口の中で小さく悲鳴を上げた。
「ここです‥‥僕が夢で見た場所は!」
非戦闘員のナタリアを室内に残し、傭兵達は各々の武器を構えて鍾乳洞の内部に進み出る。
百mほど離れた洞穴の端で、ゆらりと巨大な影が動いた。
人型KVよりひと周り巨大なその輪郭は、鳥のような逆間接の2本脚と長い尻尾を持ち、翼がないことを除けば、仁のいったドラゴンに似ていなくもない。
傭兵達が、手にした発火筒に点火し一斉に投げつける。
「こいつが、アビス‥‥!?」
目映い炎に照らされ浮かび上がったキメラの姿に、その場にいた全員が言葉を失った。
一見、直立歩行の恐竜にも似た巨大な怪物――だがそいつには「頭部」と呼べるものが存在しない。
その代わり大きく膨れた腹の中央にイソギンチャクを思わせる口が開き、そして体表面の至る所に。
腫れ物のごとく、幾百とも知れぬ人間の顔が浮かび上がっていた。
男が。女が。老人や子供も――。
既に正気を失っているのか、一つ一つの顔は白目を剥き、口から涎を垂らしてただ悲鳴を上げ続けている。それらが一つに重なり合い、最初に聞こえた獣のような咆吼となって洞内に木霊していたのだ。
「あれは‥‥何だ? あなたなら判るんじゃないですか?」
ラザロの反応を注意深く観察しながら、拓那が問い詰めた。
「奴らは‥‥初めは人間の深層意識を分析し、恐怖の元型を探り当てようとした‥‥だが、それが効率の悪い手段だと気づいたんだろうな。だから生き残りの捕虜を無理やりあのキメラと融合させて――彼らの『恐怖』を直接具現化させようと図ったんだろう」
暗視スコープで目許を隠したラザロの口許に浮かぶのは、恐怖でも驚愕でもなく。
――失望だった。
「だが、それも結局は失敗した。千人近い人間を喰らったアビスは、彼らの『恐怖』を一つにまとめきれず‥‥何の知性もない、出来損ないのキメラにしかならなかった――。はっ! バグアが奴を放棄した理由は簡単だ。要するに『役立たず』と見捨てられたんだろうさ!」
「では、あの人達は‥‥アビスに取り込まれたまま、死ぬことも出来ずに今まで? ‥‥そんな!」
喉元までこみ上げる嘔吐を堪え、憐華が掌で口許を押さえる。
「考えるのも嫌だったから口に出さなかったけど‥‥当たってしまいましたね。最悪の予想が‥‥」
「アンタもかい‥‥」
暗澹とした表情で呟く硯に、キリコが虚ろな口調でいった。
失敗作とはいえ、キメラとしての闘争本能はしっかり刷り込まれているのだろう。
発火筒の炎で傭兵たちの存在に感づいたアビスが、巨体の向きを変え、地響きを立てこちらに向かってくる。
傭兵達は当初の打ち合わせ通り前衛・後衛の2班に分かれ、迎撃の体勢を取った。
――が。たとえもう助けられないと判っていても、アビスに取り込まれた犠牲者達の顔を目にして、どうしても先に手出しすることができない。
ふぉおぉおおおおぉぉ。
無数の短い触手に覆われたアビスの環状口から、冷気のような波動が放たれた。
運悪く正面にいた仁、丈一郎、ろまんが波動を浴びてしまった。
人の精神に直接ダメージを与える霊的ブレス攻撃。一般人ならその場で心臓麻痺を起こしかねないショックをエミタAIがブロックするが、その代償として一瞬身動きの取れなくなった3人を、長く太い尻尾の一撃が人形のごとくなぎ払う。
最初に動いたのはラザロだった。
瞬天足で素早くアビスの懐に飛び込み、丁度目の前にあった子供の顔を無造作にキアルクローで抉り取る。
再び元の位置へ後退すると、背後の傭兵たちに半分振り返り冷然と告げた。
「何をボンヤリしてる? 早くこいつらを楽にしてやれ――それとも、おまえらもアビスに取り込まれたいか?」
「‥‥っ!」
それを聞いた誠が蛍火を構え直し、言葉にならない叫びを上げつつアビスに斬りかかる。
しかし刃が届く寸前、伸ばされた巨大な腕に捕らわれてしまった。
「うわぁーーっ!?」
みしっ――。
肋の折れる音が響き、半ば失神しかけた少年の体がアビスの腹の口へと運ばれる。
「させるかっ!」
灰色の狼獣人と化したキリコが蛍火の急所突きでアビスの腕に斬りつけ、ひるんだ隙に誠の体を取り返す。
その時いくつかの顔を一緒に切り裂いたが、もはや彼女に迷いはなかった。
「アンタを倒して解放する。犠牲になった人達の魂をッ!」
後衛についたスナイパー達も、気を取り直して各々の射撃武器で一斉にアビス狙撃を開始した。
「紅天弓姫、参ります!」
覚醒の証たる呪印を胸に浮かべ、憐華が長弓に弓を番える。
「紅天弓姫の一射、いきます!! あなたが与えてきた痛みと同じとは言えませんが、今度はあなた自身が痛みを味わいなさい!!」
アビスの醜い姿にバグアと、彼らに協力した非道な人間達の姿を重ね合わせ、怒りを込めた強弾撃の一矢を放つ。
カウンターで霊波動を浴びてしまうが、己の唇を破るほど噛みしめ必死に耐えた。
「私には信頼できる味方がいるんです。それに、私の帰りを心配しながら待っている人がいるんです。あのひとの為にも、こんな処で負けるわけにはいきません!」
OZはアサルトライフルを構えつつ、敵の波動の射程距離、効果の及ぶ範囲を冷静に見極めようと努めた。
元より「誰かを助ける」などという発想はない。
己が生き残る事。任務の成功こそ第一。
「つってもワンマンじゃ生き残れねーからな。そこン所は上手く立ち回らせてもらうわ!」
したたかな笑いを浮かべがら、キメラの巨体にスキル併用で銃弾を叩きこんだ。
その傍らで、ランドルフもまたアサルトライフルのトリガーを引き続ける。
「所詮恐怖など脳の神経反射!」
若いとはいえない年齢だが、彼にも元海兵隊員として修羅場を潜ってきた経験がある。
また彼は、敵の霊波動で金縛りにあった仲間を見かけ次第、女性には平手打ち、男は容赦なく拳の一撃で目覚めさせた。
その間、硯は誠を始め、重傷を負った仲間達を背負いナタリアのいる研究室へ往復を繰り返していた。
「あ、あの‥‥外では一体何が?」
「あなたは見ない方がいい!」
超機械で負傷者の錬成治療にあたるナタリアに鋭く叫ぶと、再び戦場へと取って返す。
「一番恐ろしいのは大事なものを奪われる怖さ‥‥与えられる恐怖なんかに、膝を屈するわけにはいかない!」
●悪夢の終焉
ゲックが天井に向けて照明銃を放ち、目映い光に紛れて拓那と共にアビスの側面から後方へと回り込んだ。
「俺達はただ恐怖に飲み込まれるだけじゃない。それを切り拓く勇気って牙を突き立ててやるよ!」
拓那が叫び、超機械から光の矢を放つ。
背後に回り込むことで霊波動は受けずに済むが、代わりに敵のもう一つの武器――尻尾の一撃を浴びて地面に叩きつけられた。
「俺にとって一番恐いのは‥‥俺のせいで誰かが泣いちまうことだ! それに比べりゃ‥‥っ、この程度の痛みなんざぁぁっ!」
口から流れる血を拭うのも忘れ、武器を大剣へと持ち替えアビスの脚の腱を狙って斬撃を決める。
キメラの巨体がグラリ、と傾いた。
その頃、ナタリアの治療により戦線に復帰したろまん、丈一郎、そして仁も動きの鈍ったアビスに対して肉迫攻撃を繰り返していた。
「確かに怖い、お前は人が怖いって思うものをいっぱい詰め込んでいる‥‥でも、だからこそボク達は負けない! くらえ、波斬剣――目覚めの太刀ーっ!」
疾風脚で霊波動を回避しつつ、ろまんは敵の死角をついて月詠の急所突きを決めた。
「だって人は恐怖を乗り越えていく事が出来るんだもん! 悪夢は、もう終わりだっ!」
丈一郎はプロボクサーとして人生の全てをかけ体に刻み込んできた拳闘のフォームを基本から思い出すことで、アビスの霊波動に身を以て対抗した。
フットワーク。バックステップ。ダッキング――。
鍛え上げたメタルナックルの拳がのめりこむ度、アビスの全身に浮かぶ人面が苦痛に歪む。
「伊達に生涯かけて拳闘やってる訳じゃない!」
恐怖というなら、リングに上がるボクサーは常に生身で殴り合う恐怖と戦っている。
だからこそ、異星人の科学が生んだ仮初めの恐怖になど臆するわけにはいかない――それが能力者であり、格闘家でもある丈一郎の矜持だった。
戦いは小一時間にも及んでいたが、ふいにアビスの霊波動が途絶え、その動きも目に見えて弱々しくなってきた。
勝機と見た仁が突進し、横に回り込みながら蛍火による流し斬り。
既に体内のエネルギーが底をついたのか、両腕と尻尾による肉弾攻撃で最後の抵抗を試みるアビスに、スナイパー達の銃弾と矢が殺到する。
「これでトドメだぁーーっ!」
仁の蛍火と白雪の二段撃が巨大キメラの土手っ腹を十字型に切り裂いたとき、ついにアビスはその動きを止め、洞内を揺るがせて大地へ倒れ伏した。
人間の恐怖そのものを具現化した究極のキメラ――仮に完成していれば、人類にとって恐るべき天敵となっていたであろう。
しかし現実にはその遙か手前で挫折し、失敗作としてバグアにすら見放された哀れな怪物は息絶えた。
アビスの体内に「永劫の囚人」として捕らわれていた犠牲者達の死に顔が安らかなものに変わっている事が、傭兵達にとってせめてもの救いだった。
●エピローグ
「‥‥しかし、バグアの奴等も不要品は自分で片付けてほしいもんだぜ。こっちがいい迷惑だ」
ゲックがうんざりした口調で独りごちた。
アビス殲滅を達成し、辛うじて地上へ生還した傭兵達は、そこでSIVA側のサイエンティストから改めて錬成治療を受けていた。
「所詮、バグアどもに人間の恐怖など理解できなかったか‥‥」
地面の岩に腰掛け、苦々しい表情で煙草を吹かすラザロの前に、丈一郎がずいっと歩み寄った。
「存在しちゃいけないものは世界にはある。そういうものだ。違うか?」
ラザロは灰色の目でジロっと丈一郎を見上げた。
「‥‥だから、何だ?」
「SIVAの連中にいえ。調査が済んだら、焼夷弾か何かであの施設を焼き払えとな」
「いわれなくても、その予定だよ」
男は視線を地面に戻し、フウっと煙を吐いた。
「どういうわけかUPCからせっつかれててな。あの施設をさっさと処分しろと‥‥正確には、UPCのお偉方に顔が利く何処かのメガコーポらしい‥‥がな」
「あの、僕のエミタ‥‥やっぱり交換する事になるんでしょうか?」
誠がナタリアに尋ねた。
「ええ。一端溶かして、エミタ合金だけを再利用する事になると思います」
「その時、ほんの少しでいいんです‥‥欠片だけでも残して貰えませんか? ソニアさんに、届けたいから‥‥」
「判りました‥‥私から、何とか上司に掛け合ってみますわ」
ラザロと別れた傭兵達が移動艇へ帰り着いたとき、島全体を揺るがすような爆音が轟き、黄昏近い空に高々と黒煙が昇った。
調査を終えたSIVA側が、焼夷弾で地下施設を焼却したのだろう。
「送り火だ。たくさんの人がこいつに関わって死んだ‥‥送り火だよ」
試合を終えたボクサーのごとく、丈一郎は島に向かって一礼する。
「忘れちまえば幸せかもしれない。でもアタシ達は刻み込んでいかなきゃいけないのサ。‥‥今、この世界で起きてる事と向き合う為にね」
潮風に長い髪を靡かせながら、自らに言い聞かせるようにキリコが呟いた。
<了>