●リプレイ本文
かつてDF−04「マリア」と呼ばれた少女――メアリー・ブラウンを伴い、傭兵達は高速移動艇へ乗り込んだ。
白いワンピースドレスの上にピーコートを羽織った少女は、抵抗もしない代わり一言も喋ろうとしない。ただ人形のように、傭兵達の指示に従い動くだけだった。
「ああ、あそこ‥‥2006年にバグアとの戦場になった街ですね。よく憶えてますよ。あの戦闘には自分も兵士として参加しましたから」
行き先を聞くなり、操縦席のパイロットが表情を曇らせた。
「本格的な市街戦が始まる前、何とか一般市民を脱出させましたが‥‥ただ一組、どう説得しても自宅を離れようとしない夫婦がいまして。何でも『行方不明の娘が帰ってくるまで、ここから動くわけにはいかない』って‥‥その後どうなったかは知りませんが」
「‥‥」
少女はそれを聞いても眉ひとつ動かさず、ただ勧められるのに従って奥の席に座った。
「俺は鷹見 仁(
ga0232)。人呼んで稲妻のヒーローだ。よろしく」
重い空気を破るように、最初に声をかけたのは初対面の仁だった。
「‥‥」
「マリア、本名メアリー、か。どちらの名で呼ばれたいんだ?」
「‥‥マリア、でいい‥‥」
蚊の鳴くような声で、初めて少女は口を開いた。
「あのひとが‥‥そう呼んでたから」
それを聞いた桜崎・正人(
ga0100)、八重樫 かなめ(
ga3045)、大賀 龍一(
ga3786)、イレーネ・V・ノイエ(
ga4317)、ミハイル・チーグルスキ(
ga4629)が複雑な面持ちで目配せし合う。
マリアがいう「あのひと」が誰を指しているのか、彼らは知っているからだ。
(「さて、この少女の物語は一体どこで終わるのか‥‥」)
心の中で嘆息するミハイル。
「呼び方はマリアでいいか? それと俺の呼び方は‥‥兄貴と呼べ!」
詳しい事情を知らない、いやあえて聞かなかった須佐 武流(
ga1461)が、いつものごとくノリのいい調子で声をかける。
「お前は俺が守ってやるよ‥‥任せとけ」
「守る? ‥‥なんで?」
「細けぇコトは気にすんなって。なんかあったら俺に言ってくれ。こう見えても喧嘩はそこそこ強ぇんだ」
(「正直、名前なんざ如何でも良いと思うがね」)
仲間達からやや距離を置いた席に座り、八神・刹那(
ga4656)は独り思っていた。
(「『メアリーであった頃』を憶えていないなら、その名は他人も同じだろ? 第一、思い出せたとして封印した記憶も一緒なら本末転倒だ」)
武流とは逆に、彼は依頼前に「DF計画」を巡る一連の報告書にも目を通していた。
(「――確信がある。仮に、オレがカメル側にいたのなら間違いなく同じ道を辿っていただろうと。シモン‥‥話でしか知らねえ相手だがな。だから理解出来る。人類全てに憎悪を持つ奴がマリアを連れていた理由も」)
刹那の内なる人格「久遠」が、心の奥からそう語りかけるような気がした。
(「然し‥‥クソ、感情移入が強過ぎたか。‥‥如何したモンかね。取り敢えずは終わるまで刹那の真似事か?」)
「そう言えば、この子数年振りの帰郷だな。おめかししないとな‥‥で、女性陣、メアリーを少々、小奇麗にしてやってくれないか?」
移動艇がL・ホープを飛び立った頃、龍一がふと言い出し、持参のメイクセットを取り出した。
「化粧箱は持ってきたから」
「あ! じゃあ、ボクがやるねっ」
マリアの隣に座っていたかなめがメイクセットを受け取る。今回、自ら志願して彼女の世話役を買って出たかなめは、カメル軍基地からの逃亡時にマリアが所持していたヴィアも預かっている。
「‥‥なんで、私に優しくするの?」
不思議そうな顔で、少女が尋ねた。
「私‥‥あなたを殺そうとしたのに」
「もうボクら敵同士じゃないんだよ。だから殺し合う必要なんてないんだねっ」
マリアに年相応の化粧を施してやりながら、かなめがにっこり笑う。
「これから、どこに行くの?」
「家に帰るんだよ。きみの家が在る所まで送り届けるのがボクらの仕事。でも、その先はきみ自身が決める事」
「‥‥家? ‥‥おぼえてない」
銀色の前髪がわずかにかかる碧眼を伏せ、マリアは口の中で呟いた。
「記憶が有ったって無くったって、きみは今此処に居るんだもの。これから楽しい事を経験していけばいいんだねっ」
イレーネの提案により、移動艇は目的地の街より徒歩で2日ほどの地点に着陸した。
道中で少し時間をかけて会話を交わした方が、彼女の心のケアに繋がるのでは、との考えからだった。
「‥‥車欲しいなぁ」
2年前の戦闘の名残か、所々に焼けこげた戦車や装甲車の残骸が点在する草原を歩きながら、龍一がボソリとつぶやく。
今回の依頼にあたって、彼はULTのオペレーターにジープとテントの貸与を申請したのだが、あいにくどちらも却下された。前は借りられたテントも、次なる大規模作戦を控えてUPC上層部から厳しい物資統制令が出され、改めて貸与基準が厳しくなっているらしい。
結局、借りられたのは人数分のシェラフ、それにキャンプ用の固形燃料のみだった。
草原の中に通じる小径を歩きながら、かなめとイレーネ、そしてカメルでの事件に関わりのない仁と武流はあれこれとマリアに話しかけた。
もちろんキメラに対する警戒も怠らない。
いや、今回の敵はキメラだけとは限らないのだ。
「さて、彼女の物語に不必要なものが来ないか‥‥気をつけなければね」
ミハイルを始めカメルでの戦闘に参加した者達が危惧するのは、死亡直後にバグア軍に回収されたシモンが、バグアのヨリシロ(宿主)となって再びマリアを取り戻しに現れる事だった。
イレーネはなるべくマリア自身から会話を引き出し、彼女の不安を取り除くと共に閉ざされた心を開こうと努めたが、残念ながら少女は相変わらず無表情のままだった。
ただ一度、マリアは一同の顔を見渡し、自ら尋ねてきた。
「あなたたちは‥‥なぜバグアと戦ってるの?」
「俺があいつらを一体でも多く倒すことで、守れる笑顔が一つでもあるなら、その為に苦労しようが怪我しようが、そんなのは軽いもんさ」
仁が答えると、
「‥‥そう」
それだけいうと、少女は再び黙り込む。
「喉乾いてねえか? まぁこれでも飲めや」
武流が差し出したミネラルウォーターを、ただコクンと頷いてひと口だけ飲んだ。
夜。いちおう武流が私物のキャンプ用テントを持参していたが、もちろん全員は入りきれない。
「男共は見張りついでに野宿! 反論は許さん!!」
持ち主である武流の一喝で、哀れ男性陣は夜空の下で野宿と相成った。
キメラやシモンへの警戒として、それぞれ交替で見張りに立つ。
「‥‥過去に向き合うのが怖い、思い出が怖い‥‥タンゴでそんな歌があったっけ」
冷たい地面の上でシェラフに潜り込み、龍一はマリア達が泊まるテントの灯りを見やった。
「帰るってのは、過去と再会することなんだとさ。それが乗り越える為なのか、ただ思い出に身を委ねるのか、どちらでもな。まずは帰ってみなきゃな。それから、明日を歩めば良いさ。思い出さなきゃ、思い出さなくても良いさ」
同じ頃、テントの中ではイレーネとかなめが、昼間同様マリアに話しかけていた。
かなめが自らの体験――避難生活や失敗談などについて面白おかしく話すと、初めてマリアはクスリと笑ったようにも見えたが、それは固形燃料が燃える仄かな灯りの加減であったのかもしれない。
翌日。一行は、ようやくメアリー・ブラウンの生まれ育った街へと到着した。
いや、正確には「街だった場所」と呼ぶべきかもしれない。
「これはひどいな‥‥」
双眼鏡で周囲を確認しつつ、思わず正人が声に出す。
2年前までは多くの民家や商店が並んでいた筈の街並みは、今や見る影もない廃墟と化していた。
ショートボブの銀髪を風になびかせながら、マリアはただ虚ろな表情で「故郷」だった地を眺めている。
ここで引き返すべきか? ――傭兵達は話し合ったが、ともあれ記録に残る彼女の住所まで確認することにして、前の依頼からまだ練力が回復しきっていない龍一を除く全員が覚醒し、マリアを護衛する形で廃墟の街へと踏み込んでいった。
一度は街を占領したバグア軍も、戦略的価値はなしと判断して、トラップ用のキメラ群を残して立ち去っていったのだろう。
いわば使い捨ての生物兵器であるキメラの寿命はそう長くない。2年経った今、果たしてどれだけの数が残っているかは、実際に調べてみないと何ともいえなかった。
廃墟の中に入ったとき、それまで殆ど無表情だったマリアに変化が生じた。
時折立ち止まり、半ば崩れかけ蔦に覆われた建物や、広場の枯れた噴水などをじっと見つめている。
「どう? 何か思い出した?」
「わからない‥‥けど‥‥何となく、懐かしい気がする」
かなめの質問にそう答えてから、ふいに少女は割れ目から雑草の伸びた石畳を踏んで小走りに歩きだした。
依頼書にあったメアリーの家がある方角だ。
傭兵達も慌てて後を追う。
特に正人はスナイパーとしての知覚を研ぎ澄まし、周囲の廃墟など隠れ家になりそうな場所、怪しい物音などに注意してキメラの襲撃を警戒した。
十分ほど後、一行は街の一角に立つ瀟洒な屋敷の前に立っていた。
他の建物に比べると比較的被害は少ないが、それでも窓ガラスは全て割れ、廃屋と化しているのは一目瞭然だ。
「‥‥メアリーの自宅だな」
イレーネが呟いた。
まずは武流と仁が安全確認のため先行して踏み込み、練力を温存していた龍一も覚醒状態に入る。
そのとき、マリアがかなめの制止を振り切って屋敷の中に飛びこんだ。
やむなく残りの傭兵達もその後に続く。
マリアは邸内の階段から迷わず2階へと駆け上がっていった。2階廊下ホールを回ってそこにある1室へ入っていく。
背後から追いかけたかなめが見たものは、元は子供部屋と思しき荒れ果てた室内と、その中央で呆然と佇むマリアの姿だった。
「ここがマリア‥‥メアリーちゃんの部屋?」
「わからない‥‥でも私、確かにここに居た‥‥」
少女はこめかみを押さえ、苦しげに顔を歪めた。
かつてこの家で過ごした、幸福な時代を必死で思い出そうとするかのように。
だが人身売買組織に誘拐された後の、忌まわしい記憶の封印に遮られてしまう。
もし「それ」を思い出せば――間違いなく彼女は壊れてしまうから。
「‥‥」
おずおずと部屋の学習机に近づき、卓上に置かれた写真立てを取り上げる。
両親と共に写る、幼い少女の幸せそうなポートレート。
だがその写真は半ば焼けこげ――3人の顔の部分が焼失していた。
マリアの喉から迸る悲鳴を聞きながら、かなめは背後に異様な気配を感じ取って咄嗟に振り返った。
全身を炎のような朱色につつんだ、ライオンに似た姿のキメラ。
「――ッ!!」
攻撃より先に瞬天速でマリアを庇ったかなめは、キメラが口から吐いた炎弾をくらって壁際まで吹き飛ばされた。
「‥‥なんで?」
驚きに目を見開き、かなめを凝視するマリア。
「ボクだって痛いのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だよ。でもね‥‥」
火傷の痛みに耐えつつ、かなめは辛うじて起き上がった。
「目の前で誰かがそういう思いをするのは、もっともっと嫌なんだよ!」
「――返して。私の武器」
かなめが背負っていたヴィアの柄を握って引き抜くと――。
マリアは覚醒し、キメラに向き直った。
同じ頃、1階にいた傭兵達も同型のキメラ数匹の襲撃を受けていた。
「ちっ。奴ら、やっぱりまだ居残ってやがったか!」
ディガイアで敵の炎弾を食い止めた武流が、パンチで応戦する。
「ここはキメラの巣窟か‥‥そうと判れば長居は無用だ!」
仁は蛍火の流し斬りで1匹を倒し、2階にいるマリア達を連れ戻すようイレーネに声をかけた。
そんな中、「久遠」になりきった刹那は獣の皮膚で身を固め、相変わらず自滅を厭わない狂躁を以て瞬速縮地による吶喊を繰り返していた。
SES武器を持たぬ彼の攻撃はキメラに一切ダメージを与える事はできないが、それでも己が傷つくのも構わず狂おしいまでの攻撃を続ける。
マリア達が救出されるまで、自らを盾にしても屋敷からの退路を守る覚悟だった。
(「‥‥いや然し、刹那の殻を被っているお陰かねぇ? オレも中々憎悪以外を抱けるじゃないか。‥‥だからかな。それを向けられる相手を繋ぎ止めたいと思うのは。‥‥イカレたオレが想いを抱ける相手なんざ限られているからな‥‥」)
豪破斬撃でキメラに手傷を負わせたものの、反撃の体当たりを受けたマリアが床に弾き飛ばされた。
かなめはすかさずバックラーを盾に割って入り、敵の炎弾を食い止めつつハンドガンの銃弾を撃ち込んだ。
「2人とも無事か!?」
部屋の入り口に立ったイレーネが、振り返ったキメラにアサルトライフルの銃火を浴びせる。強弾撃で正確に右目を撃ち抜かれたキメラは、そのまま頭部を吹き飛ばされ、絶命して床に横たわった。
マリアを含む3人が階段から駆け下りて来るのを確認した傭兵たちは、正人と龍一の援護射撃を受けつつ撤退を開始。既に屋敷内にはキメラの吐いた炎が燃え移り、各所に火災が広がっている。
9人が脱出した数分後、屋敷は中に残ったキメラもろとも、火の粉を高く舞い上げ燃え落ちて行った。
「君には可能性がある。今ではない別の道を進むことも修正することもできる。それを否定しないで欲しい」
帰途に向かう飛行艇の窓から、遠ざかる故郷の地をぼんやり見つめるマリアに、ミハイルはいった。
「これからは自分の意思で自分の足で歩いていける。だが、それには‥‥『選択する自由』とそれに伴う『責任』もできる。過去は変えられなくても‥‥自分の明日ぐらいは自力で変えていけ!」
武流もまた、励ますように言葉をかける。
マリアがそれをどのように受け止めたのかは、判らない。
やがて彼女は窓から振り返ると傭兵達に向き直り、
「‥‥ありがとう」
俯き加減で、ただ一言ポツリといった。
一ヶ月後、ラスト・ホープ――。
ULTの受付を訪れた一人の少女が、研究所からの紹介状と共に傭兵登録を申請した。
「ええと、クラスはファイターですね‥‥では、こちらの書類にご記入をお願いします」
提出された書類を見て、オペレーターは眉をひそめた。
書類の氏名欄にはただ「マリア」と書かれているだけで、その他の国籍や経歴等が全くの空白だったからだ。
「あの、これ‥‥」
「いいの」
ヴィアを背負い、小さな手荷物だけ持った少女は、ぎこちなく微笑んだ。
「私はマリア。あとは、全部置いてきちゃったから‥‥あの家に」
<了>