●リプレイ本文
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(やはり‥‥!)
割れた窓から放り投げたネックレスの鎖をキメラが飲み込むのを確認した彼は、仮説が正しかったことを確信する。
無線機が鳴ったのは、そのときだった。
『お待たせして申し訳ありません。ただいま到着しました』
能力者の少女の言葉が意味するところを理解した彼は、正面の草原で確かに明滅する光を見つけた。
あれはシグナルミラーか――と、そこまで考えたところで、キメラの咆哮が彼の耳に突き刺さる。ヘリの真下を褐色の巨体が加速して通り過ぎた。
明滅する‥‥光。
彼は無線機に叫んでいた。
「危ない!」
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「見渡す限りの‥‥草原ですね! ‥‥はははは‥‥はぁ」
どこか遠い目をしてルミネラ・チャギム(
gc7384)が言う。
能力者たちは、草原を疾走していた。
街を背に。正面の空には遠く、キメラと空戦を繰り広げる『サイレントキラー』が見える。
「‥‥き、緊張してなんか‥‥ないんだから、ねっ!」
大型キメラとの戦闘経験がない香月透子(
gc7078)は、自分に言い聞かせるようにそう言った。
「お待たせして申し訳ありません。ただいま到着しました」
透子の後ろは『サイレントキラー』のパイロットに無線で連絡をとるギン・クロハラ(
gc6881)。その隣には、シグナルミラーで『サイレントキラー』に光を送るテト・シュタイナー(
gb5138)の姿がある。
不意に。
キメラが『サイレントキラー』を離れ、こちらに頭を向けた。褐色の巨体がヘリの腹をくぐるようにして加速してくる。
「‥‥なんで急にこっちに来た!?」
翼竜型キメラは想像を上回る速さで能力者たちに迫ると、口を大きく開き、後衛のテトへ突進した。
テトとキメラの間に飛び込んだのは、秋月 愁矢(
gc1971)だった。正面に『プロテクトシールド』を構え、重心を落とす。インパクトの瞬間に、盾の紋章が輝き‥‥。愁矢は衝撃を完全に受け流した。土煙をまとって飛び立つキメラを輝く蒼の瞳が見送る。
「‥‥でかいな。けど、やるしかないか」
バイク上で小銃『DF−700』を掲げ、同じくキメラを見送った黒木 敬介(
gc5024)が、ぽつりと言った。キメラは既に小銃の射程を脱している。翼の付け根に銃撃を仕掛けたが、わずかな出血量から見てそのダメージは微々たるものだろう。
トランシーバーを片耳に押し当てていたアイ・ジルフォールド(
gc7245)が、納得した様子でメンバーに告げた。
「パイロットからの情報だよ! 『このキメラは光物に反応する』!」
「俺の鎧には反応しないのか‥‥」
ギラギラと輝く『プレートアーマー』に全身を包んだ愁矢の言葉に答えたのは、シグナルミラーをキメラに向けていたテトだった。
「シグナルミラーにも反応しないぜ!?」
『そうか‥‥』
無線機が鳴った。
『一度引きつけられたものには、もう反応しないんだ』
テトのシグナルミラーにも、愁矢の『プレートアーマー』にも、一度引きつけられた以上、もう興味を持たない、ということか。だが、それならば筋は通る。
「私の鏡で誘導してみるわ」
透子が手鏡を取り出して空に向けた。定期的に角度を変えて『光物』という印象をキメラに与えていく。
「――いい方法があるのだよ」
静かなその声の主は、それまで沈黙していた緑間 徹(
gb7712)だった。
徹のアイデアは、驚嘆をもってメンバーに受け入れられる。
弾頭矢にアクセサリーを巻きつけて飛ばす、というのだ。頑丈な鱗に覆われたキメラであっても、口の中は防御が薄いはずだ。アクセサリーに食いつくキメラの性質を利用した見事な作戦だった。
弾頭矢ならある、とスナイパーのアイが言う。
「けど、アクセサリーは‥‥」
アイはネックレスに通した指輪を強く握りしめた。弾頭矢に巻きつけて飛ばす、ということは、そのアクセサリーが消失することを意味する。
「アイのそれは大切なものなのだろう。これを使うといいのだよ」
「私のも使ってください」
アイの表情に感じるところがあったのか。徹とギンが相次いでアクセサリーを手渡す。アイは感謝の言葉を呟くと、作戦の要となる弾頭矢にアクセサリーを巻きつけ始めた。
「‥‥! ‥‥来ますよ!」
ルミネラが『バロック』を構えながら叫ぶ。反転したキメラが再び迫ってきていた。
狙いは、透子。いや、透子の持つ鏡、というべきか。
遠距離武器を所持するルミネラ、透子、ギン、敬介、テト、愁矢が立て続けに攻撃するが、キメラは致命傷になりうる一撃を巧みに回避し続け、さらに透子に接近した。
「厄介な‥‥!」
吐き捨てて、透子の前に出た愁矢は防御の構えを取る。鈍い音。褐色の翼竜が飛び去った後に、わずかな距離も押し込まれていない愁矢の立ち姿は歴戦の風格を纏っているが、その表情は厳しい。
「こうも速い一撃離脱を繰り返されては‥‥」
『キメラが街に向かった!』
無線に乗ったその声は、悲鳴に近かった。
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「弾頭矢の準備が出来たよ!」
希望の声が聞こえたのは、無線の悲鳴とほぼ同時だった。
アイの手元には、アクセサリーを巻きつけられた弾頭矢と通常の矢の二本がある。通常矢は敵の警戒心を解くためのものだ。
「アイさん、走ってたんじゃ間に合わない。乗ってくれ」
「分かった!」
アイがバイクに飛び乗るや否や、敬介はエンジンを目一杯にふかす。能力者用にチューンされたそのバイクは、弾丸のように飛び出した。
「何とかしてキメラを連れ帰るから、緑間さんたちは、迎撃の準備を。それから――」
トランシーバーに叫ぶ敬介の声を聞きながら、アイは胸元のネックレスに視線を落とした。次いで、無線機を取り出す。通信先は『サイレントキラー』のパイロットだ。
「私にも大切にしている首飾りがあるんだ」
『‥‥』
「‥‥もし君にとってそれは取り戻して欲しい物なら取り返すけど‥‥?」
『‥‥‥‥お願いしても、いいですか?』
「任せて」
言い終わらないうちに、アイは草原を駆け抜けるバイクの上で立ち上がり、通常矢を『夜雀』につがえた。
キメラは遠い。その鼻面に、これを飛ばす‥‥。
『お願いしても、いいですか?』
遠慮がちなパイロットの言葉が脳裏に反響する。
肩の力を抜いて、アイは矢を放った。静かにアイの手元を離れた矢はキメラの正面へ向かって――
「食いついた! アイさん、引き返すよ!」
アクセサリーを通常矢ごと飲み込んだキメラが、こちらに注意を向ける。
バイクは大きな弧を描いて反転した。仲間たちのもとへ。
『タイミングが重要だぜ! しっかりな!』
テトの言葉を無線越しに聞きながら、アイは振り返った。キメラの姿は先ほどより大きくなっている。敬介のバイクの速度よりも、あちらのほうが速い、ということだ。
『弾速はゆっくりでいい。巻きつけた物を落とさぬようにな』
アイは『夜雀』に本命の弾頭矢をつがえる。
高度を落としたキメラ。その鋭い牙の一本一本が見える。
そっと。真上に。
弾頭矢が舞い上がった。
バイクの真上を飛び去りざま、キメラが弾頭矢を飲み込む。
――瞬間。
こもったような音がキメラの口から響き、黒煙と同時に鮮血が吐き出された。弾頭矢が炸裂したのだ。
「‥‥っ!?」
弾頭矢のダメージによって一時的に平衡感覚を崩したキメラが落ちてくる。バイクの真上からだ。敬介はスロットルレバーを限界まで回すのと同時にハンドルを切った。
翼がわずかにバイクの後部をかすめ。どぉん、と腹を揺さぶる振動が伝わる。
抜けた。後は仲間たちに任せればいい。
敬介は口元に笑みを浮かべながら、振り返った。
「どう? 惚れた?」
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落ちたキメラに対して、真っ先に飛び出したのは愁矢だった。
「借りは返させてもらう」
抜き放った『酒呑』を腰だめに構え、矢のように加速。刺突する。起き上がりかけたキメラの喉元に『酒呑』が突き刺さった。
「歌います!」
大きな深呼吸をしたギンの体がわずかに白い光に包まれ、次いで、キメラの体が同じ光に包まれる。ギンの小さな口から紡がれるのは、文字通り『呪いの歌』だ。瞬間、キメラの体が大きく痙攣し、その動きが止まる。
「行くぞ、アキレウス。お前の出番だ」
目にも止まらない速度でキメラに接近した徹の腕が、淡く光った。振り上げられていたはずの『アキレウス』は、既に『振り下ろされている』。一拍遅れて、キメラの翼の付け根から一文字に鮮血が吹き出した。
「食らいなさい、幾らでも好きなだけ、ね!」
透子が振るう『クラウ・ソラス』から衝撃波が放たれる。振り下ろしざまに一撃、振り上げつつの二撃目、さらに切り払って三撃。徹が切りつけたのと反対側だった。翼の付け根に飛来した衝撃波は褐色の鱗を吹き飛ばす。
「援護する。気ぃ抜くなよ!」
テトの周囲に浮かぶ映像紋章の一つが収縮し、輝く星となって、ルミネラの小銃に飛んだ。
「あなたの相手は‥‥こちらです!」
テトの支援を受けたルミネラは、一度大きく息を吐き出すと、『バロック』の引き金を引き絞る。フォースフィールドの貫通を目的に製作された貫通弾は、ルミネラの狙い通り、キメラの片目に突き刺さった。
キメラが咆哮する。
それは絶叫に近い咆哮だった。
重ねられた痛みが『歌』の束縛をわずかに緩めさせる。キメラは全身を回転させて、その長い尾を振るった。
――油断はなかった。
ただ、能力者たちはほんの少し、攻撃に熱中していた。
透子は冷静に、潜り込むようにその尾を回避したし、愁矢は眉ひとつ動かさず『プロテクトシールド』を構えた。前衛の二人にダメージはない。
聞こえた悲鳴は、鈍い音に重なっていた。
ギンの小柄な体が宙を舞う。愁矢が受け止めたかに思われた尾が、しなるようにしてギンを打ったのだ。愁矢は攻撃の直後だったため、ギンとの距離が開いており、万全の防御が出来なかった。
一瞬、能力者たちの動きが止まる。
その隙に、呪縛から解かれたキメラは空へ飛び上がった。
「大丈夫か!?」
いち早くギンのもとへ駆け寄ったテトは、ギンを抱き起こしながら『錬成治療』を施す。
「‥‥っ。ありがとうございます‥‥」
ギンの表情が幾分和らぐ。表面上の変化はないが、ギンの体の細胞が活性化し、急速な回復が進んでいるはずだ。
苦い表情の徹がトランシーバーを取り出した。
「支援射撃を‥‥。ああ‥‥。頼めるか。今なら、当てられるはずだ」
徹の要請を受けた『サイレントキラー』が能力者たちの真上を飛び去る。
手負いのキメラと最新鋭攻撃ヘリの勝負だ。結果は見えている。必死に逃げようとするキメラの後ろに『サイレントキラー』がつけた。
一拍遅れて、主翼下部のミサイルラックから、ミサイルが放たれる。白い尾を引いて加速する爆弾は一つ残らずキメラに突き刺さった。翼、背中、尾、首‥‥。
立て続けの爆発に呑み込まれ、キメラは満身創痍だった。
再びその頭が能力者たちへ向かう。方向感覚が失われているのか、それとも最後の最後で能力者たちが身につける光物に惹かれたか。
いずれにせよ、キメラの高度は低く。
能力者たちは既にそれぞれの武器を構えている。
射程に入るが早いか、愁矢の『ブラッディローズ』から飛び出した散弾がキメラの腹を抉り、アイの矢がキメラの口腔に飛び込んだ。ルミネラと敬介は翼の付け根を小銃で攻撃する。
「この程度ならまだ届く。フェンサーの間合いなのだよ」
徹の『アキレウス』から飛び出した衝撃波がさらに翼の付け根に突き刺さる。
全てのダメージが蓄積し、キメラは半ば叩き落とされるようにして草原に墜落した。
「‥‥チェックメイト、ってね?」
キメラを前に。大上段に『クラウ・ソラス』を構え、透子が艶然と笑む。
その後ろには、テト。周囲に浮かぶ映像紋章の配列が素早く入れ替わり、輝きを増していく。超機械を構えたテトは、叫んだ。
「取って置きってヤツだ。ブッ飛びやがれ!!」
透子の渾身の一撃はキメラの喉を切り裂き、テトの超機械攻撃は巨大なキメラの体を一瞬持ち上げるほどの威力で腹の鱗を根こそぎ吹き飛ばした。
盛大に血を吐き出したキメラは、空に、一番好きな世界に、もう一度飛ぼうととするかのように首を高く持ち上げた。
ふ、と力が抜ける。
力尽きたその首が空に向くことは二度となかった。
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水平計をもう一度だけ確認し、彼はペダルに載せた足の力を緩めた。ずん、と腹に響く振動が伝わり――その振動はすぐに、地面の認識と生きているという実感を彼に与えた。
ヘッドセットをシートに放り投げながらハッチを開き、彼は草原に飛び降りる。手を振ってくれた能力者たちの表情は明るい。彼らの背後には、小山のような褐色の骸があった。
ルミネラ、透子、アイの三人が彼に歩み寄る。
「少し形が崩れていますが‥‥大事なものなのでしょう?」
彼の心臓が、一度大きく跳ねた。
ルミネラの手の平でキラリ、と光ったのは、彼が数十分前に手放したロケットだった。呆然としたまま受け取り、キメラの胃液でわずかに劣化した表面を撫で、それでも手になじむロケットの感触を確かめる。
「‥‥本当に、何とお礼を言ったらいいか‥‥」
「大変だったのよ? キメラのお腹を切り開いてね」
「え? でも、楽しんでたよね?」
透子のため息混じりの冗談に冗談で返したアイは、すぐ真顔に戻って言った。
「――また手放したりしたらだめだよ」
彼は、アイの首にかけられたネックレスとそれに通された指輪を見た。アイは指輪を握りしめてはにかむ。その笑みの理由を、彼は想像するしかなかった。
『サイレントキラー』からもキメラからも少し離れたところで、ギンがうつむいている。ルミネラたちがキメラの腹を裂くのを手伝おうとして、その光景の凄まじさに思わず走り去ってしまったのだった。
「‥‥大丈夫か?」
「緑間、さん‥‥」
徹はしばらく黙って、スポーツドリンクをギンの小さな手に滑り込ませた。
「あの‥‥」
「俺は自分の気の済むようにしたいだけだ」
ぶっきらぼうな言葉にほんの少し元気をもらって、ギンは感謝の言葉を呟いた。
「彼にも帰る所がある。素晴らしいことだ」
『サイレントキラー』のパイロットを遠目に見ながら、愁矢が言った。
「俺様たちが救ったわけだ」
「――と、言うわけで。俺たちも帰りますか」
テトの言葉に被せるように、やけに明るい口調で敬介が言った。
「みんな! どう? 俺とデートでもしない? 好きなところに連れていくよ!」
草原を流れる風は柔らかい。
その風に乗って能力者たちの笑い声が聞こえる。
彼らも、この依頼が終われば散っていくのだろう。
だが、と彼は思った。
(俺は忘れない)
――戦友。
そんな言葉が脳裏をかすめ、操縦桿の感覚が残る指でロケットの縁をもう一度なぞった彼は、能力者たちに深々と頭を下げた。