●リプレイ本文
●出発前
「そこのモツ煮定食が絶品でした。仕事帰りの腹の足しと思って足を運んだのですが、これがなかなか‥‥」
「良さそうな店だ。黒い悪魔などがいなければ私も一度行ってみたいな」
「黒い悪魔?」
ふつと光佑(
gb2422)は数瞬だけ考え込んで、ぽむすと手を打つ。
「ああ、ゴキブリ」
ぞわー。と擬音が浮かぶ勢いで真理亜(
gb1962)の全身に鳥肌が立った。少し悪い事をしたかと光佑は頭を掻く。輸送機の硬いシートにはもう慣れたものの、座り心地はどうしても悪い。真理亜は腕組みしたまま黙然と目を閉じているが、光佑は落ち着かない様子でそわそわと姿勢を変えている。
搭乗口が開くと、二人の視線が入ってきた青年に向けられた。
「全体の見取り図は残ってないそうで。調査に入って追い返された人が作った入り口周辺の物を譲って頂いたので、これを元にして捜索しましょう。行方不明者の身元は判明しているので、道すがらお話します」
誠(
ga7131)がシートに腰掛けると、共に資料を請求に出ていたマリオン(
ga8411)が遅れて戻ってきた。
「お待たせ。みんなもう依頼請けた時に見たと思うけど、捜索対象の人が残した手記も手がかりになると思って本部から借りてきたわ。それじゃあ、みんな準備はいいかしら」
それぞれが諾の意を示すと、マリオンが軽い動作でシートに腰掛け内線を取る。
「ハーイ聞こえてるかなぁ、運ちゃん。出してくれる?」
輸送機のパイロットは彼女の軽口に応じ、こちらも慣れた様子で冗句を交えた内線を通した。
『本日もUPC航空便をご利用頂き、ありがとうございます。当機はこれより離陸、日本国○○県××村上空まで飛行した後、垂直降下にて着陸いたします。揺れますので、デリケートなお尻をお持ちの方は座席にクッションをお敷き下さい。では、離陸準備に入ります』
降ろされた村の外れの山中にひっそりと――と言うには大き過ぎる屋敷であるが――佇む逸見邸の古めかしい門前で、一行は捜索対象の顔写真を眺めていた。
「伊藤圭吾。職業は作家、エッセイスト。私事でもいつも同じスーツばかり着てるらしいから、その写真通りの服装で間違いないでしょう。もし原型を止めていないようだったら、彼の物と推測される物品でいいので持ち帰るように。手はず通り、自分と光佑君は二階、コーダンテさんと神宮寺さんは一階をそれぞれ手分けして探索。連絡は怠らず、臨機応変に動く事」
手早く説明を終えると、誠は逸見邸の錆びた鉄門を押し開いた。日はまだ高い。空から見た建物の規模から考えれば、終わる頃には夕暮れになるかどうか、と言った所だろう。
「真理亜ちゃーん! 危なくなったらいつでもお姉さんを呼んでいいのよ?」
「そちらもお気をつけて」
内部にはキメラの群れが生息している可能性がある。本来ならば各個撃破されるのを防ぐ為にも人員を分けるべきではないが、人手が足りないため仕方のない処置と言えた。
●探索
「人探しねぇ」
ゴツリゴツリと、光佑の体格の割に低い足音が朽ちた床を叩く。木造でこそないものの、かなり老朽化しているようで強く踏むとみしりという嫌な音が僅かに聞こえる。小さく溜息をつくと、光佑は日差しの差し込む廊下を歩き出す。
「面倒臭いなあ‥‥九分九厘、食われてると思うんだけどなァ」
とはいえ、手記にあった逸見家の三流ホラーのような話に惹かれたのも確かである。
部屋を見つけると、手当たり次第に扉を開いて中を改めて行く。幸運か否か、どこを開いても噂のキメラとはついぞご対面とはならず、ただ扉を開けて閉めるだけの作業を、冗長に作られた屋敷で繰り返す。
ぎい、ばたん。ぎい、ばたん。ぎい、ばたん。
ぎっ、ばたむっ。ぎっ、ばたむっ。ぎっ、ばたむっ。
段々と乱暴になっていくようである。
暗がりや曲がり角では一応警戒してはいるものの、かなりおろそかになっている。
「なんでこう無駄に部屋が多いんだ‥‥ホテルじゃあるまいし」
とぼやいた瞬間。角の向こうから微かにきちり、と鳴る【自分の立てていない音】に気付く。緩んでいた表情は鋭さを増し、体のメタル部分が肉の肌に手を伸ばし始める。
(「クモか」)
曲がり角から片目を出すようにして覗く。本来ならば柔らかい腹すらも装甲に覆った巨大なクモが、向かいの廊下を横切った。鋼の肌は鳴りを潜め、覚醒状態から常態へと戻る。
(「あれならまあ、糸巻きで保存されててもおかしくはないか」)
ふんと鼻を鳴らし、先へ進むべきか悩む。と。
「あ、らあ?」
ぎぎぎ。
寄りかかった壁――見ただけでは何の変哲もない白塗りの壁だった――が、金属の擦れあう音を上げながら内開いていく。中には今までよりも少しばかり手狭な。まるで、そう。
「隠し扉ぁぁぁっ!?」
忍者屋敷かよ、と心の中で突っ込みを入れながら、光佑は小部屋へと倒れ込んだ。
●遭遇
ほぼ同時刻。
真理亜の瞳が赤く妖しい輝きを帯びて、暗闇の中に浮かんでいるように見えた。
強く床を踏む音がする。それは人間の足が立てるべき音ではなく、より硬質で重量のあるものが立てる音だ。
真理亜は、採光窓のない暗所へ足を踏み入れた途端に出くわしたビッグスパイダーと対峙していた。
既にエミタは稼動し覚醒状態にある。
(「おそらく一番近いのは‥‥」)
じつとクモの動きを注視する。その脚部が僅かに動いたのを見計らって――。
ずん、と。
AUKVの性能を生かした強烈な足踏み。
不意を突かれたクモの体が硬直する。と、判断した時には既に真理亜は既に身を翻していた。無線を弄り、マリオンへと繋げる。
『こちら神宮寺。ビッグスパイダーと接触した、応援を』
『了解、すぐに向かうから待ってて』
ノイズと共に通信が切れる。覚醒状態の能力者であればそう時間も掛からない距離だ。同属など呼ばれる前に倒してしまわねばと、真理亜は腰の拳銃を抜いた。
威嚇。
抜き打ちで射撃し、追撃しようとするクモを牽制する。
一瞬だけ足を止めたものの、すぐに体勢を立て直して真理亜へと高速で迫る。その装甲に包まれた体表へと拳銃弾を撃ち込み続けるが、意にも介さぬ様子である。
「くぉ‥‥」
ギリギリまで引き付けてから素早く身を避わした。勢いのまま突進してきたビッグスパイダーが背後の壁に突撃。
べごり、と破砕音を立てて大きく陥没した壁が、その威力を物語っている。
ありったけの弾を撃ち込んだ銃のシリンダをスイングアウト。空薬莢を排出して素早くスピードローダから弾丸を装填する。陽炎を上げながら床に薬莢が転がった。
虫がその口吻を動かす時のきちりと言う音がひどく耳に障る。知らず早くなる鼓動を意図的に無視し、銃照星を合わせる。クモ型キメラの八本の足に力が蓄えられ、その足元の床が爆発した――――瞬間。
「あたし参上ーってやああああ!」
「‥‥は?」
横合いから金髪の少女が飛び出し、真理亜とビッグスパイダーの間に割り込んだ。
だが、無論すでに勢いのついた動きを中断する事もなく。
キメラも急には止まれないのである。
闖入者にいち早く気付いたクモが頭をそちらに向けたのも不運ではあったろう。とても鈍い音と、布団を二階建ての建物から落としたような音が連続して響いた。
「‥‥あ、あの、コーダンテ殿‥‥無事か?」
「う、ウフフ。マリオンて呼んでいいのよ真理亜ちゃん」
よろよろと立ち上がった姿は見るも哀れであるが、命中すると分かった瞬間に自ら跳んで衝撃を逃がしたのは元軽業師の面目躍如といったところだろう。
「よくもやってくれたわねこのクモ! 節足動物!」
頭を振って感覚を取り戻したマリオンが目を三角に吊り上げて銃を撃つ。続けざまに二発。その内の一発が足の関節を偶然撃ち抜く。
「真理亜ちゃん、足を狙って。関節を重点的に、でなければ足を。胴体よりは装甲が薄そうだわ」
「承知!」
真理亜も膝をついて拳銃を構える。銃口のマズルフラッシュが連続し、その銃声で屋敷全体が振動しているようにも思えてしまう。
十字砲火を嫌ったか、ビッグスパイダーが狭い廊下へと下がっていく。
が。
それを見逃すほど、マリオンも素人ではないのだ。
「Get some!」
動こうと意識した時こそが狙い目である。マリオンがクモの退くのに合わせるようにして、とんぼを切ってその装甲に覆われた背に飛び乗っていた。
「じゃね。ちょっと痛いかもよ?」
手に握られたアーミーナイフが振り下ろされた。
頸部を切り飛ばした為に付いた体液を振り払いながらナイフを鞘に納めると、今まで揺らいでいた髪の毛もが力を失ったようにそのゆらめきを止めた。
「さーて、それじゃ探索続けましょーか」
「ああ。ありがとうマリオン殿」
どういたしましてと笑顔で応えると、二人は更に奥へと進んでいった。
●収束
誠のエミタは既に発動状態にあった。
館の二階へと昇ってからは常時である。右目の虹彩が銀色へとシフトしているのがその証だ。手馴れた様子で敵の気配を窺い、時折見つけるクモ型キメラの姿に館の構造を想像しながらルートを選んで行く。
(「先程の戦闘音に気付いた奴が多く向かったな。それだけこちらに固まっていたという事は、やはり奴らがエサを保管しておく場所が近いという事か」)
考えながら無線機を起動し、全員に注意を促しておく。
クモがいないのを確認しつつ更に進む。ここまで多くのクモを一方的に発見しておきながら、一度もの接触も持たないのは驚異的な技量と言える。
(「次の廊下は少し広いな」)
無防備に歩く時間が長くなる。誠は大きく息を吸い込んで、緩やかに吐き出した。意識を拡散させて、極めて観念的なやり方ではあるが――――己の気配が霧散するイメージを浮かべ、忍び足で歩き出す。クモは振動を感知する能力に長けるというから、可能な限り振動も抑えた方が良いだろう。特に、クモが密集しているエリアならば尚更だ。
――――。
僅かに、覚醒状態で拡大された聴覚にかかる声がちょうど右手で開こうとしていた扉の向こうから聞こえた。静かに扉へ耳を付けると、やはり人の声のようである。
「――――ん、やはりバグアが――――このまま――――」
ノブを捻り、隙間から目だけを出して中を覗く。
中には複数の簀巻き――――もとい、糸巻きが、群を作ってぶら下げられていた。誠は室内にキメラがいる事も考慮して45口径リボルバーを抜き出してドアを大きく開いた。
キメラなし。糸巻きは4。うち動体1。男性。写真を見比べると、やはり同一人物。伊藤圭吾本人のようだ。
「UPCです。救出に来ました」
「おおっ! いやよく来てくれた、地獄に仏とはこの事だなまさに! ははは、いやあ目が醒めてから向こう話し掛ける相手がみな死んでいるようなので独り言で暇を潰していたんだがね、やあようやく話せる人が来た。どうだい、世間話などしないか」
「‥‥後にして下さい。まずはここから脱出するのが先決です」
おおそうだったな。
伊藤は今ようやく己が囚われの身だと気付いたとでも言うかのように身をくねらせた。
誠が小太刀で糸を切る。他の人間たちも解放するべきかと悩んでから、これだけの人体を外へ運ぶ余裕はないと割り切って、太刀を納めた。
「出ましょう。体に異常はありませんか」
「ずっとじっとしていたので体が上手く動かんのだね、これが」
誠は渋面を作った。
「では背中に乗って下さい」
「迷惑を掛けるねえ」
まったくだと内心でひとりごちて無線機を取り出す。
『周防です。行方不明者を確保しました、これより館を脱出しますので陽動よろしくお願いします』
●崩壊
「結局、取材ならずか‥‥」
月が昇り始めている。
命からがら脱出した逸見邸を名残惜しげに見つめながら、伊藤はがくりと膝をついて項垂れた。当然ではあるが、もう一度あのクモの巣に戻ろうとは思えないようである。
「ああ、そう言えば館の中で隠し部屋があって」
ほれこんなものが、と光佑は折り畳んで持っていた古い紙を伊藤に渡した。陰鬱とした顔でそれを手に取り、開いて中身を見る瞳が徐々に明るい色に変わって行く。
「こっ、ここここれだよ! これだよヤングメーン! イャッホォーウ!」
狂喜乱舞。
「よく持ち出す余裕がありましたね」
誠は感心した様子で目を丸くする。
「はあ。手記からするとこう言う物をお探しかと思いまして。もののついでに」
「いやあ、ありがたし! これは私からの気持ちだよ若人諸君。何か美味しい物でも食べてくれたまえ!」
彼は目当ての物が手に入り、先程と打って変って嬉々とした様子で財布から紙幣を抜き出してそれぞれに渡す。なにやらこみ上げるものを抑えきれないようで、肩を震わせながらクククと含み笑う。
マリオンはドン引きである。
「おおゥ、こうしてはいられん! 早速帰って執筆作業に戻らねば。うちの担当編集に切腹させるわけにはいかんからな! フハハハハハハ!」
全員が呆気に取られて、体が上手く動かないとぼやいていた男が坂を駆け下りていく、その背中を見送っていた。一行の背後では、まだクモの騒ぎ収まらぬ屋敷が。
あ、崩れた。
「‥‥コーダンテさん、何か無茶をやらかしましたね」
「なんで名指しなのよー!?」
「では神宮寺さんにも聞きましょうか」
真理亜は首を振った。
「‥‥コーダンテさんは?」
「ちょ、ちょっとだけ、その、弾丸がやばそうな柱にめりこんじゃったかな? とか‥‥その、てへ☆」
「まいったな。減額されたらあなたの分から引きますからね」
涙目で抗議するマリオンに冷淡な反応を返しながら誠は本部と連絡を取る。
結局のところ、逸見邸の物語の核心は明らかになる事もなかった。光佑は逸見子爵の記録から垣間見た狂気にうすら寒い物を覚えながら帰途についた。崩れ落ちる館の中から、クモ型キメラの物とは違う得体の知れない断末魔が聞こえた気がした。
「あ、どうせならうまい定食屋で打ち上げでもしませんか。俺が前に仕事帰りに寄った所なんですが」
行く人ー、と聞くと、全員の手が挙がった。真面目そうな真理亜も控えめに賛同している。
一行は、夜になるまで存分に食べたり飲んだりしたとかしないとかいう話である。