タイトル:春の食卓のジーニアルマスター:墨上 古流人

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/05/03 07:09

●オープニング本文



 ラストホープ居住区外れ、一画に小さく立っているスイーツショップ『スリジエ』
 暖色系の厚手のカーテンがレールから外され、透き通るようなレースのカーテンがゆっくりとぶら下げられていく。
 
「ごくろうさーん。ちょっと休憩するかい?」
 厨房の奥から声をなげかけながら、妙齢の女性がトレーを両手に現れた。
 机や椅子、資材等がごちゃごちゃしたフロアを器用に体を捻りながら通り抜け、
 カーテンを取り変えていた女性、柚木 蜜柑と藍風 耶子の元へやってきた。

 バスケットに盛られていたパンはほかほかで、食欲そそる光沢の骨付き肉が、
 手を添えられるのを待ちわびるかのようにアルミの持ち手を彼女らへと向けていた。
 蜜柑は丈の短いオペレーター服であるのも気にせず、脚立から飛び降りると耶子よりも童心を見せて食べ物にくぎ付けになる。

「やーんv さっすが梨那ねーさん、わかってるじゃない! まったく、春向け内装チェンジのお手伝いなんて言われた時は何で私が、とか思ったけどね」
「ほぅ、蜜柑あんたそんな風に思ってたのかい‥‥?」
「くるトチュウもさんざんぶつぶついってたですよー」
「ちょ、いや、あれはそう、ほら、ね?」
「主語も述語も身も蓋もない言い訳はききませーん」
 笑顔でヘッドロックをかけにかかる店主、梨那。
 その豊かな主張に埋まる形で首を決められるのを、厨房から無精ヒゲの男が羨ましそうに見ていたが、
 誰も相手にはしなかった。

「たべものも、おねーさんも、あったかくてとってもたのしいのですよー♪」
「耶子は素直でいい子だねぇ、まったく、どっかの子供な大人にもこういう可愛げが欲しいもんだよ」
「可愛げなくってすみませーんー。いいもんだ、春の日の午後、カフェで紅茶を嗜むよりも、赤提灯で日本酒すする方が好きだもんっ」
「おとなというか、おぢさんですー」
 ぶーと拗ねる蜜柑に笑い、そう言えば、と梨那が話を切りだした。

「おぢさん、で思い出して悪いんだけど、雅は?」
「今は、弟や両親の事件の、引き金になった張本人を拘束して、そいつ関連の仕事についてる」
「時間かかるのかい?」
「どうなのかしら。面倒なのは確かよ。何か散々不貞腐れてそっぽ向いてたくせに、向こうから折れたから独房じゃなくて特別監視の病棟にしろー、とか、掛け合ってて、まったく何がしたいのかしら‥‥」
 素直じゃないわよね、と苦笑する蜜柑に、それならしょうがないか。と一人頷いて、梨那は話を続けた。

「蜜柑、本部に依頼持ってってくれるかい?」
「ふぇ? そう? 悪いわね、じゃあ内装の残りは傭兵に‥‥」
「飯食った以上は逃がさないかんね。そうじゃなくて、私がひいきにしてる農家の話なんだけどね‥‥」

 梨那の言う事によれば。
 毎シーズン、旬の食材を使った料理・お菓子を提供する為に、こと食材については鮮度や産地に気を使っている。
 その中の得意先の一つ、新鮮な野菜を食卓に並べる為、利益を殆ど考えていない小さな菜園があるそうだ。
 それは森の中にあり、木漏れ日が目立つ程に生い茂った深さでは無く、低木や草花の生えた場所なのだそうだが。

「そこでね、野菜が最近人を襲うようになったっていうのよ」
「野菜? あら大変、そういうキメラの話は既に何件も聞いてるけど‥‥」
「うまってるのが、むくむくへんしんしちゃうですかー?」
「いや、野菜が、野菜を喰っちまうらしいんだよ」
「草食系キメラなのね。女にはモテなそう」
「‥‥蜜柑、あんた今の一言でモニターの前の男子ほとんどを敵に回したよ」
「草食系がモテるのなんてフィクションだけだかんね? 男なら! 少しの失敗なんていいから! どっしり構えてがつんと来なさいよ!!」
「はなしがすすまなそうなのでおつぎへどうぞですー」
 あぁ、悪いね、と咳払いをしてから梨那が続けた。

 鮮やかな緑のキャベツ、甘くみずみずしい玉ねぎ、そしてぷっくり艶やかなイチゴ。
 それらが、キャベツ、たまねぎ、イチゴ型のキメラに襲われているのだという。

「人への被害はまだ出てないけど、持ち主としてもキメラに近づくわけにはいかないし‥‥ってんで、今回の依頼よ」
「なるほどねぇ。色々忙しいけど、そういう時にこそ、地域密着なスポットを当てた人助けも忘れちゃいけないものねっ」
「食材フェチが功を成した、というかねぇ」
「何よ食材フェチって‥‥」
「そいつぁもちろん! なすとか人参とかで官能的な気分になっちまうって事っすよね店長!!」
 厨房から出て来た男の言葉は、厨房に飛んでいった椅子によって遮られた。

「新鮮な春キャベツ、新たまねぎ、イチゴはまだ菜園に残ってるみたいだからさ、ちゃちゃっとキメラ倒したら、花見にはちょいと遅いけど、春真っ只中を満喫しましょうや」
「どういうことですー?」
「食材は持って帰ってきていいってよ。ここで一緒に食おうってことさ」
 蜜柑と耶子が、一気に顔を明るくした。
 もし、二人に獣耳としっぽがついていたら、ピーン、と立っていたことだろう。

「ここまで聞いて何もしないなら、女が廃るわね。耶子、美味しい春野菜と菜園の為に、私達が一肌脱ぐわよ!」
「うち、これ以上ぬいだら、あぶないですー‥‥」
「あんたは色々危ないから、物理的には脱がない事。そうときまれば、早速依頼張ってこなくっちゃ」
 腕をまくる振りをして、ブックカバーをつけたスケジュール帳を引っ掴むと、
 急ぎ入り口の方へと駆け出してゆく蜜柑


「‥‥テーブルクロスと花の差し替えも、忘れないでおいてくれよ?」
 その襟首を、子猫をぶら下げるようにむんずと掴んで離さない梨那だった。

●参加者一覧

レーゲン・シュナイダー(ga4458
25歳・♀・ST
比良坂 和泉(ga6549
20歳・♂・GD
柊 理(ga8731
17歳・♂・GD
時枝・悠(ga8810
19歳・♀・AA
カララク(gb1394
26歳・♂・JG
エイミー・H・メイヤー(gb5994
18歳・♀・AA
一ヶ瀬 蒼子(gc4104
20歳・♀・GD
立花 零次(gc6227
20歳・♂・AA

●リプレイ本文



「厨房使うのは構やしないけど‥‥あんた、仕事は?」
「えぇ、これからですよ」
「そうかい、にしても何で今? 話には聞いてたけど、サンタクロースってのはやっぱり慌てん坊なのかい?」

 妙齢の店主は、よくやるよ、と半ば呆れ気味に笑みを浮かべる。
 手伝う様子はない。むしろ手伝えない、のかも知れないが。

「はやる気持ちは、否めませんね。美味しいイチゴが手に入るとお聞きしたのでー」

 優しく、嬉しそうに微笑んで、立花 零次(gc6227)はタルト生地を入れた冷蔵庫の扉を閉じた。



「さァ、やっておしまい!」
 レーゲン・シュナイダー(ga4458)――レグが、覚醒と共に啖呵を切り、練成強化を味方へ飛ばす。
 女性に対して免疫の薄い比良坂 和泉(ga6549)が、びくっとしながらゴーグルを絞めなおし、前へと出た。
 同じく前に立ち突撃してくるキャベツ型キメラを、豪力発現と共に盾で受け止める。

 その和泉の後ろから時枝・悠(ga8810)が飛び出し、鋭い軌道で切りあげる。
 大型キャベツも紅の軌跡に巻き込まれ宙高く打ち上げられた。
「大人しく摘まれてくれれば面倒も無いが‥‥」
 育ちすぎたな、と宙で回転するキャベツに狙いを定めるカララク(gb1394
 タクティカルゴーグルの倍率を上げて、エネルギーガンを打ち込んでいく。

「世の中の野菜達も同族による暴挙に心を痛めている筈です。止めないと!」
 柊 理(ga8731)が飛び込んできたタマネギ型に対し、押し返すように自身障壁込みのバックラーを突き出す。

 押し返された敵を追いかけるエイミー・H・メイヤー(gb5994
「キメラには早々に退場して頂いて、早く食事会にしよう」
 目と鼻の先まで追いつくと踏み込んだ足を軸に重心を固定、くるっと『円閃』して伸びた根を一太刀でざっくり切り落とした。

『探査の眼』で察知した一ヶ瀬 蒼子(gc4104)が足を早める。
 隆起した土から、土飛沫をあげて苺型が飛び出し、小型イチゴをミサイルのように打ち出してくる。
 構えた盾が揺れるのを抑えながら、衝撃が途切れた、その一瞬の隙で、最小限の体を出して引き金を数回。

「キメラにするならもっと他に相応しいのがあったでしょうに‥‥」
 盾に戻りながら、浴びた汁にウンザリしつつリロード。『眼』を再び発動し備える。

「そこだ!」
 後方で広く見通していた零次が、盛り上がった土に反応し矢を放つ。
 レグは吐き捨てるような軽い舌打ちと共に小太刀を抜くと、いなすようにスライス。
 切り刻まれた身は、零次の一瞬遅れて駆けつけた矢に勢いごと持って良かれ、近くの木に串刺しにされた。

「レグ!」
「心配ないさね、さっさと畳んじまいな」
 返り血、もとい真っ赤な返り汁を浴びて、小太刀をぺロリとひと舐めする悪役風レグ。思わず様をつけて呼びたくなるような雰囲気だ。

「こう動かれては‥‥少し止まって頂きましょうか!」
 和泉が苦無を構えてキャベツへと放つ。『四肢砕き』を乗せた攻撃は、
 野菜の四肢、もとい体を押さえつけ、跳ね回っていた体を大人しくさせる。

「春キャベツは柔らかいと思ったのに‥‥お前なんかキャベツじゃない!」
 すかさずキャベツへ近付き、直刀を振り下ろす理。
 突き出したバックラーに隠れていた刃の軌道に避けることはできず、ざっくりと小気味よい音と主にキャベツは抵抗をやめた。

 最後の一体、残る苺型を制圧射撃で押さえ込むカララク。
 地面に潜らせないよう、足元(?)への銃撃を多めに、土へ入るに入れずで宙で踊っているような挙動になる。

「いただきます」
 そこへ悠が間合いを詰め、すっ、と苺型のいる位置まで飛び上がる。

「間違えた。これで終わりだ」
『天地撃』を乗せた脚甲で踵を勢い良く振り下ろす。
 斧のような衝撃に体をへこませて、苺型キメラは土煙を上げて地面へと埋まってしまった。

 エイミーは心配もあいまり、レグに駆け寄りハグっと飛びかかる、と。
「お料理前に、シャワーも浴びなきゃ、なのです」
 胸の中で甘える子猫を撫でるひよこ。
 二人に限らず、傭兵達からは実に美味しそうな、野菜、果物の旨みたっぷりの芳醇な香りが漂っていた。



 エイミーとレグは、色違いのお揃いのエプロンで仲良く並んで立っている。
 エイミーが作りたいものを、レグがサポートする形で行程は進んでいた。
 美味しそうな香りと共に待つ楽しい食卓を考えると、つい野菜を切る音に合わせて体がリズムを取り出してしまう。

 その横では一生懸命フライパンを振るっている蒼子と、耶子が手伝いに勤しんでいた。
 新キャベツと新玉葱たっぷりのキャベツメンチカツが油の中で段々静かになってくる。
 お願いできるかしら? と蒼子が言うよりも早く、すとととっ、と素早い箸捌きで油を切っていく耶子。
 
「あら、種類沢山、すっごく幸せになる食卓ねっ」
 ひょこ、と厨房に顔を出すのは柚木 蜜柑。カットされた苺をひょいっとつまみぐいしながら上機嫌だ。
「藍風さんとはよく食事に行くけど、柚木さんとこういう機会を一緒にするのは初めてね」
 メンチカツに伸ばした手を箸でさされた蜜柑に、蒼子が一息ついて声をかける。
「今日は日頃お世話になってる感謝を込めて腕によりをかけて作ったから、しっかり味わって食べなさいよ?」
「あら、じゃあワインの蓋は閉めて待ってようかしら。期待しちゃうわねっ」
 微笑んで、念を押すように出来上がった皿を突き出す蒼子。
 蜜柑は軽い足取りでそれを受け取りホールへと運んでいった。

 パスタやコロッケのオイル系、スープやソースのトマト系、デザートのクリーム系、
 トリコロールな香りを掻い潜り、刺激的なみずみずしさを演出している苺。
 零次が仕込んでおいたタルト生地を完成させ、苺とクリームをデコレーションしていく。
「タルトを作るときのコツなどあれば、色々教えていただきたいです」
「よく冷やした生地なら型に敷いた時、焼き縮みしないっすよ。あと、焼いてる時浮いてきちまうんで、タルトストーンって重りを乗せる。それぐらいっすかねぇ」
 不精髭の料理長よりアドバイスを受けながら、レパートリーを増やそうと色々話を聞く零次。

 みんなの料理が出来上がってきたところで、出番まで冷やしていたコールスローサラダをレグが取り出し、
 エイミーはオーブンにオニオングラタンスープをセットし、点火する。
 ホールのメンバー達が、鼻をくすぐる好奇心の正体に気がつくのも、あと少しだ。


「初めまして。えーと、今回はご馳走になります」
 コールスローサラダに手を付けていた和泉が、梨那と蜜柑にぺこ、と挨拶をする。
 
「おやこいつはご丁寧に。どうだい、お味の方は」
 とても美味しい、と素直に感想を述べる和泉、ポトフに手を伸ばし、一口。
 野菜の旨みがふんだんに煮込まれたスープには思わず目をつむってしまう。

「料理をする際のコツとか、隠し味とか、ありましたら是非教えていただきたく」
 和泉の質問に、料理はしたことがないという理も、すっと身を乗り出して口をもごもごしながら聞きに来る。
「んー、美味しいお酒を用意するとか?」
 蜜柑の口にあつあつジューシーなメンチカツを突っ込んで梨那が言う。

「やっぱり『楽しくなること』これが一番じゃないかねぇ。『作る』という作業でも『美味しいものが食べたい』という結果の為でも、とにかく自分がメンドくさがらず楽しんで作れることさね」
 ほれ、と言って指を鳴らすと、厨房の奥から料理長が、
 ゴブレットのような金属の器に並々入ったチョコレートと、苺を初めとする種々のフルーツを持ってきた。

「作りも食しもいっぺんに味わってみるといいよ」
 ふふりと微笑んでチョコレートフォンデュの串を差し出す。
 食卓にまた新たな幸せが添えられようとしていた。

「何故だかよく、お前は料理出来ないだろう、みたいな事を言われる」
「ほうなの?」
 悠に出していたアイスティーで口のやけどを冷やすべく逃げてきた蜜柑。
 
「作れないのではなく作らないだけだと主張してたけど、長らく作ってなかったから本気で作り方を忘れてきた」
「えー、だったら尚更。何かワインに合いそうなものでもひとつっ」
「楽して美味しい所だけ頂く主義なんだ」
 そういいながらカットトマトをぱくりと口に運ぶ。
 すっきりした酸味とタマネギの甘み、和風ドレッシングのコクが大量の料理を前にしても食欲を増してくれる。
 そろそろまずいかなあ、等と思いつつ結局今日も人任せ。悠々自適な悠だった。

「ん、旨い‥‥」
「おや、ちゃんと手なんか合わせて、おりこうだねぇ」
 エイミーのロールキャベツに黙々と手をつけていたカララクをニット帽越しに撫でてみる梨那。
「美味しい野菜の作り手に感謝しつつ‥‥当たり前のことだ」
 トマトスープのロールキャベツはフォークだけで簡単に切れるほどに煮込まれており、
 スープに流れ溶け込む肉汁がまたジューシーで食欲をそそっていた。

「そういえば、蜜柑嬢。クリスマスのプレゼントのお礼をさせて欲しいな」
 すっ、と苺のロールケーキを差し出すエイミー。
「えっ、クリスマス? 何のこと? あれはオレンジサンタからのプレゼントよっ」
 ケーキを豪快に口へ運び、ウィンクするオレンジサンタに、思わず笑みが零れるのだった。

「――まったくもう。この前の依頼、藍風さんのことだから心配はないとは思ってたけど‥‥もう少し早く連絡くれてもいいじゃない?」
 そんな賑やかな食卓の片隅。幸せそうな笑顔でさくさくとメンチカツを頬張っていた耶子の頭をぽふぽふとして、蒼子が言う。
「うぅ、ゴメンナサイですー。あの時、聞いてる時は、何も考えられなくて」
 机にアゴをのせて、しょんぼりしながらちゅるちゅるとぺペロンチーノをすする耶子。
「でも、記憶には残ってたので、後で、凄くうれしかったですよー。落ち着けたのは、蒼子サンのおかげですー♪」
 にぱっと明るく、口をあけて笑う耶子に、それ以上蒼子も言う事はなくなってしまう。
「ま‥‥なんにせよ、無事で良かったわ‥‥本当に」
 少し照れた様子で、視線を逸らしてぼそぼそと段々声が小さくなっていく蒼子。
 そんな様子をじーっと見つめて、赤く染まった頬をぷにっとつついてみる耶子。
「なっ、なによっ」
「んー、蒼子サン、かわいいなーっておもってーですーv」
「かっ、かわ‥‥っ?!」
 からかわないでよね、と必死に訴える蒼子に、ウチこれでも蒼子サンよりおねーさんですよー?とぷにぷに反論する耶子だった。

 幸せそうな光景があちこちでやり取りされる中、一人、苺のプリンを口に運ぶレグ。
 プリンの腕にも自信はある。ミルクの風味を活かした味わいと爽やかな喉越しは絶品だ。
 だが――出来栄えは二の次で。
 この食材なら、もう半年会えていない彼、ズウィーク・デラードも、食べてくれる、とぼんやり考えていた。
 一緒に食卓を共有できていたら、どんなに美味しい食事になっただろうか。
 今日だけじゃない。楽しいことが起こる度に、もし彼が隣にいたら、と。
 本当だったら彼と一緒に幸せな時間を過ごせていただろうに、彼がいればもっと嬉しかっただろうに、と。
 楽しい事が起こる度に、そこに彼が居ない事で、逆に辛くもなる。
 頭がいっぱいなのではない、こう、ふとした時に度々脳裏にチラついてくるから、余計に悲しいのかも知れない。

「レグ」
 思いを馳せ、スプーンをがじがじと噛みながら、つい、ぽけーっとしてしまっていたレグ。
 はっ、と気がつくと。そこにはエイミーが顔を覗き込み、自信作のイチゴタルトをレグの口元に、あーん、と持ってきていた。
 そのまま何も考えずにパクっとすれば、豊かな甘みとみずみずしい苺の甘酸っぱさに、思わずじたばた小躍りしてしまう程だった。
「ありがとですよっv」
 そのままエイミーを食べてしまいそうな勢いでハグっとするレグ。
 目下の悩みに向き合う為にも、まずは出来るときに、幸せをチャージしておくことにするのだ。

「うん、真っ当な料理を前にして初めて分かる日頃の食生活の酷さ。レーションの割合がヤバい」
「あら、レーションも最近は美味しい。自衛隊のレーションとか好きよ。たくあんと、とり五目ラヴ」
 蜜柑がきゃっきゃと悠の糧食話に食いつきながら、新キャベツのぺペロンチーノの皿を空にしていく。

「レーションはカロリー高めにできているからな。油断すると太るぞ」
「良いんだ、太らない体質だし。美味い物があるなら少しくらい食べ過ぎても」
「『戦』がつくとはいえ、乙女の言葉とは思えんな」
「‥‥‥なんでさりげなく会話に入っててノーリアクションなのよ」
 いつのまにか悠のレーション話にとコーヒーカップに口を挟んでいたのは、ダークスーツの井上 雅だった。

「おや、雅さん。お疲れではありませんか?」
 零次が気づき、自作のタルトを取って渡す。
「甘い物、お嫌いでなければ‥‥元気出ますよ」
 黙って受け取ると、そのまま静かに口へと運ぶ。
 小さく口を動かして、少し目を開いてまゆが上がる。次に大口を開いてタルトにかぶりつく姿を見て零次はほっと微笑していた。

「すまんな、遅れた。前回の仕事の件で立て込んでいてな‥‥そのオニオングラタンスープをくれないか、好物なんだ」
 コクのあるチーズとじっくり煮込まれたタマネギ、ダブルのトロトロが生み出す旨みに、雅は夢中でブイヨンスプーンを動かしていった。
 コーヒーのおかわりを傍に置いてそんな雅をみている零次。

「‥‥‥アルベロのことか?」
 視線に気づき、だが自分の視線はスープに向けたままで、自ら話を切り出す雅。
「お聞きしたくはありますが、仕事の話は今は、というのであれば、またの機会でも」
「‥‥そうだな。湿っぽく、重い話になる。今はよそう」
 スプーンをからん、と空いた器に滑らせて、改めて零次をじっと見て雅が口を開く。
「だが、必ずまた力を借りなければならない事態が‥‥近いうち、来る。すまないが、その時は‥‥」
 頼む。その言葉を紡ぐよりも前に、零次はこくりと頷いた。
 その首肯を確認し、雅はコーヒーに手を伸ばした。

「やっぱり春キャベツはこれぐらい柔らかくないと!」
「キャベツはフォンデュ‥‥しないですよね、やっぱり」
「美味しいものに美味しいもので、もっと美味しいものが出来る、は実は嘘なのよ?」
「さて。俺が食べてないものは後どれとどれだ」
「今出す。待ってろ」
「待てカララク。何故ベストを漁る。食卓から‥‥」
「遅刻した人は皿洗いだぞ井上氏」
「俺はタバコより重いものは持てん」
「コーヒー持ってるじゃない!」
「スプーンも持ってるですよー」
「じゃあ残りのデザートのプリンは皆さんで食べちゃいましょう」
「面倒だ、でかいスプーンはないか、食い溜め用」

 朗らかで、穏やかで、和やかな春の食卓。
 数多の食欲を刺激する香りと、賑やかな歓談は、当分同席者を帰してくれそうにはなかった。