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　青い街を篠突く雨は、気配も、喧騒も、全てを包み込んでいた。
　滝のように流れる雨、その雨音に似たノイズに混じり、ハッキリと聞こえてきた無線。
　腕の中に構えていた対物ライフルを放り出し―――

　気付いた時には、ヘリを飛び下りていた。

　濡れて重くなった服、キメラとの戦闘で傷ついた体を引きずりながら、
　一心不乱に路地を駆けた。
　自分が今どこを走っているのかわからない、立っているのか、動いているかも曖昧で、
　宙を埋め尽くす雨粒の簾から、掻き集めるように酸素を求めながら、狭い道を進んでいた。


「‥‥無様な姿だね、兄さん」
　声の方へ、重くなった首を上げる。
　視線の先には、男が立っていた。
　身長は同じぐらいか、整った顔立ちと、銀髪の長い髪に雨の滴る様は、
　寂れ、荒れ果てた周囲の外観とは違い実に艶めかしい雰囲気を醸し出していた。
　
　かける言葉も無しに、懐からリボルバーを取り出す。
　照準の奥に頭を捉えたまま、鋭く睨みつける。男は、動かなかった。

「早く僕を止めないと、次は、どこの誰が危ない目にあうか、わからないね？　そうそう、また新しい神のキメラを作ったんだ。わかってるよ、当然、止めにくるんだろう？」
「ふざ‥‥けるな！」
　振り絞る様に、引き金を三回。
　だが、ふらつくように少し体を逸らしただけで、男は弾を避けてしまう。

「父親と‥‥母親の恨み‥‥こんな形でしか、晴らせないのが残念だ‥‥」
　痛むわき腹から手を離し、両手で銃を支える。
　すると、目の前の男は、余裕綽々としていた表情に、陰りを見せる。

「恨み‥‥？　兄さん、僕を、恨んでいるのかい？」
　灰色の空気の中で、男に何かが沸々と込み上げている。

「‥ふざ‥けるな‥」
「‥‥なんだ」
「恨んでいたのは‥‥恨んでいたのは‥‥僕の方だ！！」
「どういう――ッ！」
　雨粒が打ち払われ、自分に向かってくる。
　その飛沫に隠れるように、一瞬で空を斬ったシャムシールの刃。
　曲刀の軌道が、自分の視界の下に潜ったかと思えば、口の中が一気に鉄臭くなり血の塊を漏らす。
　毛細血管破れ赤く染まっていく目を下に向ければ、腹が大きく裂かれていた。　
　冷たい外気に晒され、血と肉が持つ熱を顕著に感じる。
　
「さよならだ、兄さん。　‥‥贖罪を」
　投槍のように手から撃ち下ろされるシャムシールは、
　背中の骨を砕き、地面に突き刺さる。
　
　赤い視界が白く遠くなってゆく中、最後に見たのは、
　どこを見ているか、いや、見るべき場所を無くした、虚ろで冷ややかな目をした、銀髪の男だった。


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「―――待てッ！！」
　手を伸ばし体を起こせば、雨は止んでいた。
　空は無く、白い天井と白い壁、白いシーツに白いカーテン。
　ベッドの隣では、柚木　蜜柑が驚いた顔で手を止め、白黒した目で彼を見ている。
　井上　雅は、病室にいた。

「‥‥あれ、アボカド、嫌いだった？」
「‥‥相変わらず、何の話だ」
　話についていけずとも日常への帰還を感じ、ため息にささやかな安堵を込める。
「剥いてたのよ。病人に果物剥いてあげるのは、何て言うか、そう、特権じゃない？」
　得意げな顔で、果物ナイフを回しながら蜜柑が言う。
　皿には、うさぎや鶴の形をした、無駄に綺麗な飾り切りのアボカドが並んでいた。
　
「病人にアボカドはどうなんだ‥‥」
「あら、ギネスで最も栄養価の高い果物と言えば、アボカドなのに‥‥ドリアンにしなかったから、褒めて？」

　そうか、自分は病人だったのか、と、
　ブルーシティーで切り裂かれた腹に手をやり、やっと認識した。
　視界には、腕に連れられて点滴のチューブも目に入る。

「傷‥‥痛む？」
「いや、思ったほどではない。‥‥寧ろ、死んだと思っていたからな、あの致命傷に比べれば、どうと言う事は無い」
「‥‥何が、あったの？」
　ナイフを置き、強い目つきで、雅の顔を覗きこむ。思わず視線を窓の外へと向けるが、ガラスに映る彼女の視線は揺るがない。
　仕事でも、プライベートでも、この顔付きになれば、彼女の前で冗談や、はぐらかしは通用しない。
　長い付き合いで重々心得ていた雅は、観念したとばかりにため息を吐き、向き直った。


「優に‥‥弟に‥‥会った。　もう何年も会っていなかったあいつは、バグア側に立ち、俺を見下ろしていた」
　煙草の代わりに、アボカドを口へと放りこみ、言葉を探すように紡ぎ出した。
　舌が重いのは、濃厚な果実のせいではない、何から言うべきか、言葉に詰まる。
　その横で、息も、声も漏らさず、静かに蜜柑は耳を傾けたままにしていた。

「優は‥‥俺達の両親を殺し、家を出た。程なくして、バグアの支配も近付き、俺は優の足取りを探す為に家を離れ、情報屋稼業に身を投じた。だが、全く影も形も見えなかった。‥‥傭兵に、なるまではな」
「傭兵で、バグアの動向が掴めるようになってから‥‥？」
「そうだ。各地で報告されていた、神話・伝承を模したキメラの足取りを追っているうちに‥‥俺は、優に踊らされているのではないかという、微かな疑問が過ぎった」
　目を上げれば、拳が震えていた。
　あのポーカーフェイスが、瓦解しないよう力を込め歪んでいる。

「ハッキリとわかっている事がある。‥‥わかって、しまった」
　声も、掠れていた。振り絞るように、出したくない、認めたくない言葉に、必死で力を込めようとしている。
「久しぶりに会った俺の弟は、バグアの、強化人間だった‥‥！」
　涙こそ流さない、寡黙な闇の世界に生きた男は、もう涙を忘れてしまったのかもわからない。
　だが、悲しみをぶつける場所がなく、吐き出した歯痒さは自分で飲み込み、受け止める事しか出来ず、
　雅は、触れれば崩れる、穴だらけのコンクリートのようにぼろぼろの状態だった。

「‥‥悪いことをしたな。結局は、影では自分の利益の為に動いていた俺を、オペレーターのお前は、罵ってくれても構わない」　
「‥‥‥」
　自責の念を晒し、頭を下げる雅。
　だが、蜜柑は震えていた拳を、両の掌で優しく包み込んだ。

「今はまだ、何も言わないでおいてあげる。あんたは、一人で少し考えたいタイプでしょう？　だから‥‥落ち着いたら、また私に顔を見せなさいっ。これは、約束だからね」
　ここで顔を少しでも赤くすれば甘酸っぱい雰囲気だったであろうが、
　彼女はそうじゃない。底抜けに面倒見が良い、聖母のような優しさで、雅のことを見ているのだった。

「‥‥すまんな」
「気にしないで。　‥‥それで、どうするの？　これから」
「家を‥‥実家を、壊してこようと思う」
「えっ‥‥？」
「‥‥いいんだ。枷というか‥‥もう、俺には‥‥必要のないものだ」

　一度は落ち着きを取り戻したかと思えた雅。
　その彼の白く、遠い目を見て、蜜柑は包んだ掌に力を込める。
　杞憂ならば良いが、煙のようにふわりと掻き消えてしまいそうな‥‥そんな懸念を、蜜柑は覚えてしまった。

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「あんたは情報屋で、あたしは傭兵家業。売り買いするモノなんて決まってるだろ？」
　音を立てる鉄の門を抜け、ドアの前で振り返って、ウェイケル・クスペリア（gb9006）――ウェルが雅に言う。
「情報屋が情報を欲していて、その為に体を張る人がいる。取引の内容、売り買いする量と質はあんたが決めればいい。乗れなきゃ降りるだけだ。商売としてのあたし等の関係は、それだけだろ」
　腕を組み、わずかに見かねたような表情で口を開く。
　その言葉が、態度が最善なのかはわからない。
　だが、ウェルの言葉は、今雅に一歩踏み出す為の力を確かに与えた。

　首を振ってから、ため息を吐く雅。
「すまない。プロらしくなかった。依頼である以上、これは、お前達との『仕事』だったな。まずは、手をつけよう。憂うのは、それからだ」
　そして、懐から煙草を取りだし火をつけると、脇に吊っていた短身のショットガンを蝶番へ４発。
　立ち込める埃と煙、晴れない靄の中でも、火口の光は標の如く赤く確かに燃えていた。


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「洗いざらい吐いちまいな」
　ある扉を前にして、１００ｔハンマーを取り出し言うのは、時枝・悠（ga8810）
　雅は一瞬、虚を突かれたようにぽかんと口を開けていた。
「間違えた。プライベートに踏み込む気はないが、以後の仕事に絡む範囲くらいはな」
「問題無い。せいぜい、有能な司会者とゴールデンタイムの枠を用意しておいてくれ」
　立てつけの問題で開かないドアを、軽い一振りで奥の壁まで吹き飛ばす。
「何と言うかこう、蜜柑に気を遣わせるってのも相当だね、全く」
　少しだけ雅を一瞥し、そう言ってからハンマーを担ぎ直す。雅は、首を傾げていた。

　彼らが辿りついた雅の部屋は、
　机とベッドと本棚のみという、道楽っ気のかけらもないシンプルな部屋だった。
　依神　隼瀬（gb2747）と悠が、アルバムや本を漁り、少ない痕跡の交友関係をリストアップし、そこから情報を辿ろうとしていく。
　後になってわかる話だが、知り合いのほとんど――元々少ないが――は本格的なバグアの侵攻でやられてしまったり、行方知らずとなったものがほとんどで、
　まともな情報はほとんど手に入らなかった。

「一緒に居た頃の話‥‥少し訊いてみたいです‥‥家族の仲良かったのかな、とか‥‥」
　降ろした本の山に埋もれそうになりながら、ハミル・ジャウザール（gb4773）が口を開いて雅に聞く。
「良かったか、と言われたら、良くは無かっただろうな」
　少し陰った顔で一冊の本に視線を落としながら、雅はぽつりと言った。
「父は議員で、母はその秘書。俺は、帝王学を含め徹底的な英才教育を叩きこまれていた。野心家だった父は‥‥議員で得たコネや資金を使って、財団を築きあげたかったらしい」
　手を止め、語り続ける雅をじっと見るハミルを横に、雅は何かを紛らわすかのように手を動かし続けながら話を続けていく。
「そんな中で産まれてきたのが、弟、優だ。父の戦力になるようにと、弟にも俺と同じような教育環境が与えられた。　‥‥だが、あいつは、ついてこれなかった」
　壁の向こうを見るような遠い目で、語りが重くなってゆく。
　表情は冷たさを帯びていた。
「髪の色と背格好しか似ていない人物。いきなり弟だ、と目の前に突きだされても、全く実感がわかなかった。そこに立っている使用人と何が違うのか。弟とは、何をしてくれるものなんだ。弟には、何をするものなんだ。弟とは―――何だ」
　夢中で、しかし淡々と過去の歪みを漏らしてゆく雅。そしてふと子供の頃とはいえ、大人げない思考の吐露に、ばつの悪い顔をする。
「そんな事から‥‥歳も立場も近い存在を、仲間であり、家族であると認識するには‥‥臆していた」
　家族の話、そして弟に抱いていた自責を聞き終え、ハミルは口をつぐむ。
　姉妹や兄妹で人類側とバグア側に分かれた人を、他にも知っているという。
　洗脳ならば助けてあげたい、そう思ったが、この場合はどちらなのか。聞いた限りでは、雅の方は特に嫌っていなかったようだが‥‥


「おぉ！みやびん若い！可愛いじゃないですかー♪」
「あら‥‥可愛い写真ですね」
　ふと、本の物色に飽きたエイミ・シーン（gb9420）が机から写真を見つけだし嬉々とはしゃぐ。
　隣からは皇　織歌（gb7184）も覗きこんでいる。
　弟が生まれた時の写真だ、と付け加えたタイミングで、雅の端末から呼び出し音が鳴り響いた。
「どうした。悪いが、仕事なら‥‥」
『んーん、そこに織歌っているでしょ？　代わってっ。頼まれごとされててね』
「あら‥‥行き成りで申し訳ありません‥‥ありがとうございました」
　薄い雑誌程の液晶端末を無言で手渡す。織歌は一言感謝を述べて受け取ると、
　現れたのは『議員一家、惨殺』と言う、新聞記事のタイトルだった。


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『骨董品の曲刀で滅茶苦茶に斬りつけられ――』
　織歌は画面の新聞記事を熟読しつつ、
　一行は弟、優の部屋を捜索していた。
　日差しには恵まれず、土の匂いと侵入してくる虫が、環境の悪さを物語っていた。
　優の部屋も兄に負けず劣らずシンプルだったが、本棚や机、床や壁には傷が目立ち、
　机の上には、ノートパソコンが一台、静かに置かれていた。

　悠と隼瀬は、雅の部屋に引き続き神話伝承関連物を探り出す。
　だが優の部屋には、逆にそういった『おとぎ』の類は一切置いてなかった。
　エイミとウェルも、家族との思い出関係の品を探っていく。
　時間は、さほどかからなかった。
　なぜなら、この部屋にもそういった思い出の品や人との繋がりを記憶するものが、極端に少なかったのだ。

「そういえば‥‥井上さんの弟さんって‥‥中国で僕を殺しかけてくれた人、なのかな‥‥？」
「写真は‥‥これかな？　少し幼いかも知れないけど」
　盗聴器などがなかったか、コンセントの差し込み口を工具で開けていたハミルに、
　今給黎　伽織（gb5215）が調べていた物の中から、一枚――しかなかった――写真を取り出す。
　くすんでもなお上品さを伺わせる銀色の髪、まつ毛までかかったそれに隠れて、死んだ魚のような白い目をしている少年が、
　そこには写っていた。

「優の‥‥１４、ちょうど、事件を起こした頃の写真だな。中国の件も、後で資料を確認している。‥‥すまない、ハミル、間違いなく俺の弟だ」
（兄弟の確執‥‥なんて、甘いものじゃなさそうだね。肉親に手を掛けて、強化人間となり、殺意を向けて来た‥‥か。そこまでの怨讐を、どうやったら抱く‥‥？）
　机に手を付き、じっと思案を巡らせる伽織。
　調べていた優の手帳は、　中身はほとんど真っ白。
　４ページ目程に小さく『どうせ何か書いても書かなくても、親や使用人が僕の事を連れ回す。だったらこんなの必要ないよね』と、
　自分の置かれていた状況を自嘲するようなことが書かれていた。

「‥‥ん？」
　スイッチを入れる分の電力が回復したパソコンを開きながら、
　今日何度目かの『探査の眼』と『ＧｏｏＤＬｕｃｋ』を発動させた伽織。
　交友関係を漁り終えた隼瀬に徐にパスすると、本棚へと近づいてゆく。
　本棚の仕切り板は、全てがやや右にと傾いていた。
　もしそれがただの老朽化じゃないとしたら。子供の背丈と発想から想像を、足を駆けてハシゴのように――
　眺めていてふと思い至った考えから、天井を小突く。
　高い天井から、一枚の天井板と、一冊の本が落ちてくる。
　質の良い革製のブックカバー。中身を開くと――

「あ――！　見てこれ！」
　突如、パソコンをいじっていた隼瀬が声をあげる。
　小さな画面を押し合い覗きこむと、隠すこともなくある一つのフォルダに『バグア』と小さく名前が書かれていた。

『これは‥‥』
　伽織と隼瀬の言葉が重なる。
　日記の中には、厳しい家族への恨み、兄への嫉妬が淡々と綴られており、
　フォルダの中には、バグアの写真や基地、研究所へのアクセス方法等に関する資料が纏められていた。



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「お兄さんにはキツいかも？」
「いや‥‥大丈夫だ。親の死については、もう恐れていない」
　隼瀬が気遣いながら、一同が入っていくのはリビング。
　応接も兼ねた広く調度品等に溢れる、くつろぐには少し煌びやかな部屋。
　織歌の提案もあり、調査も兼ねて一度情報統合をすることにした。

「日記を見る限りでは、動機が補完されては来ましたが‥‥」
　妹が居る為か兄弟の件が気に成り、弟と兄が仲違いする切欠を重点的に気にしていた織歌。

「その辺りも踏まえて‥‥弟が、両親を殺害した理由に心当たりはねーのか？」
　腕を組んで思案していたウェルが、雅に視線を流して問う。
「親と優も、最初から仲違いしていたわけではない。だが‥‥思った通りに、英才教育を飲み込めない優に、いつしか失望の念を抱き、それを当たり散らすようにしていた感は‥‥今思えば、否めないかも知れん」
「両親の部屋を探した時に、戸籍謄本と日記が出てきたな。本当に血が繋がっている関係で、そこまでするかとは思ったけど」
　悠がとさっ、と一冊の日記を長テーブルの上に放る。
　雅や優の日記と違い、使い込まれてボロボロになっているのが伺えた。
　隼瀬が拾い、ハミルが覗いてページは捲れていく。

「『優は望んだ子供ではなかった。まぁ、戦力はあった方が良い。名前は‥‥後付けだが雅と優で優雅でいいだろう』何‥‥これ‥‥」
「愛情の欠片も‥‥伺えませんね‥‥そこが動機に繋がるかと言われると‥‥すぐに答えは出せませんが‥‥」　　
　ソファーの埃も払わず、疲れた顔をして腰を降ろす雅。
　組んだ指の奥で、深いため息が漏れた。

　両親の日記の横に、それ以上にボロボロになった本を取り出して置く雅。
「優が、キメラに持たせていた‥‥俺のお気に入りだった本だ。　食事時、ここで叱責される優を横に、親にも逆らえず、弟を守る術すら至らなかった俺は‥‥この本の裏に隠れていた。眼を伏して、逃げていた。‥‥小さかったよ」
　自嘲気味に顔を覆う雅。
　いつものポーカーフェイスが、自身に満ちた態度がどんどんと瓦解してゆく様は、
　今まで見せた雅の姿のどれよりも一番人間らしく思えてしまうのは、言い得ぬ不思議な感覚だった。

「んー？　とすると、弟さんはいつこの本を手に入れたんでしょうねー？」

　エイミの疑問に灰色の脳細胞が白もうとした瞬間、
　背後からどすん、と激しい物音が聞こえた。
　振り返ってみると、両親を殺した凶器が飾ってあった壁の足元に、四角い穴が空いている。

「スマートさには欠けるけど‥‥当たりを引いたみたいだね」
　穴の底からは、幸運の女神に悪戯され、打った頭をおさえる伽織。
　彼の視線の先には、小さな研究施設の様なものが残っていた。


　調査を終えた一行は、雅の望み通り、家を壊す作業に取り掛かっていた。
　エイミが調整済みのロケットパンチをここぞとばかりに乱れ撃ち、
　悠が１００ｔハンマーを柱や壁にチーズのように穴をあけていく。

「基本的には、家族愛の欠乏や自身の扱いの理不尽さによるところを‥‥付け込まれた、という形になるのでしょうか‥‥」
　ドリルランサーを携えて、優に関する結論を導く織歌。
　伽織が見つけた小さな研究施設――ほぼ小部屋――は、
　バグア側になってからの優が、占領中なので人目につかないだろうと敢えて選んだ隠れ家だったようだ。
　そこには、雅の部屋から持ち出された神話・伝承系の本の数々。
　そしてそこからいかにキメラに再現するかというような資料案が纏め挙げられていた。
「わざわざ‥‥こんなことをするのなら‥‥やっぱり‥‥弟さんは振り向いて欲しかったのかな‥‥」
　少しだけ工面してもらった爆薬を設置し終えたハミルが、雅の傍でぽつりという。
　研究日誌の熱の入れようには、多少狂気染みたものが伺えた分、その説は一概にも否定出来なかった。

「みやびん、インドで私が言ったこと覚えてますかー？」
「‥‥おなかすいたからあれ買ってください、だったか」
　じと目でロケットパンチを構えられ、雅は冗談だ、と軽く両手をあげる。

「私ならいくらでもお手伝いしますから、だから無茶だけはしないようにですよ、っていいましたよねー？　私にはみやびんの苦しみはわかりませんけどそれでもいつでも助けになりますから」
　見えないところで無茶してないかが心配だった。
　今度は、この包帯の下に隠した傷だけでは、済まないかも知れないから――

「それと、前を向くことを忘れずに♪」
　下げていた視線がエイミの手に顔を包まれ、ぐいっと上げられる。
　佇む屋敷が、ハミルの合図で崩れていく。
　瓦礫の粉塵が立ち込める中で細めた目は、埃のせいだけではなかった。

「物と一緒に過去も壊せたら、もっと楽に生きられるだろうか。‥‥戯言だなあ」
「壊れたならまた作ればいい。いつだって遅いことはないみたいですよ？」
　ひと仕事終えた、と息を吐いて言う悠に、エイミが言葉を添える。
「‥‥絆も、ほつれたら、また結べるだろうか」
　口に運ぼうとした煙草を手の中で止めて、神妙な静けさで呟く雅。
「そこに糸口がある限り、大丈夫だと思いますよ」
　エイミの一言で、雅の唇が、少しだけ自然に綻んだ。

「ま、キリのいいトコで蜜柑に顔みせてやれよ」
　雅の背中をぽんと叩いて、生返事をする彼の先を歩いてゆくウェル。
　利己の為に生きる事に、何の後ろめたさも感じない性格ゆえに、
　むしろ雅のそれには利益よりも精神的な損失であり、破滅に通じる何かを感じていた。
　今はまだ口を出す心算は無いのでおとなしくしていたが‥‥今日の雅は、彼女の目にどう映ったか。
　少なくとも、急な手を打つようでは、なかったのではないだろうか。

「まだ、僕たちに何か、黙ってることは無い？　１人で解決しようとか思ってる？」
「ない‥‥はずだ。思い出しても、もう隠さん」
　静かになった敷地、一人離れて煙草を吸い始めた雅に、静かに後ろから伽織が近づいた。

「次に会った時、弟と戦える？」
「昨日の今日みたいなものだ。まだすぐにどうする、とは決めかねているが‥‥」
「自分の家族の問題だとか、悲劇の主人公を気取るのもいいんだけどさ。弟の生み出したキメラによって、一般人にも被害が出てる。もうきみ１人の問題じゃないんだ 」
「手厳しいな‥‥」
　だが、それは紛うこと無い事実。
　苦笑すら漏らさず、真摯に聞きとめながら、雅は憂いと共に煙を吐き出した。

「俺や、取り巻く環境の業が、少しずつ積み重なり招いた結果だ。追いかけているつもりが、目を背けていた。それを気付かされた、良い機会だった‥‥感謝している」
　火を消してから、足を踏み出す雅。
　振りかえらない彼の代わりに、伽織が家の跡を少し眺めてから、遅れて続く。

　地下室で手に入れた優のレポートに度々登場する、両親惨殺前から不安定だった優に、
　バグア側の立場として彼を支えていた人物の名前――アルベロ。
　
　真実は、綻びを現す――。