タイトル:【Null】試練マスター:STANZA

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/10/20 23:56

●オープニング本文


 この辺りではもう、朝晩はめっきり冷え込む様になっていた。
 居間の一角で赤々と炎を燃え立たせている暖炉の前に立ち、レイモンド・ヴァーノンは上着のポケットから薄汚れた封筒を取り出した。
 今まで何度、そうして宛名を眺めただろう。何度見ても、その名から思い起こされるものは何もない。その名の持ち主に関して、思い出す事もない。
 この手紙を読めば、この人物に関して‥‥そして、自分自身に関しても、何かしらの情報を得られるかもしれない。
 しかし彼は、手紙の封を切ろうとはしなかった。
 その代わり、燃えさかる暖炉の炎にそれをかざし‥‥思い直した様に、その手を引っ込める。そしてまた、思いを振り切る様に炎にかざし、迷い、引き戻す。
 だが、以前にもポストの前でそれと似た行動を繰り返していた事を、彼は知らない。
 投函口に手紙を差し入れ、手を離そうとして‥‥慌てて引き戻す。宛名や切手を確認するフリをしながら暫くポストの前に佇んでから、意を決して投函口へ。しかし、その手から離される事なく、手紙は再び上着のポケットに収まる。
 そこには何が書かれているのだろうか。ラブレターの類なら、彼がポストの前で不審な行動を繰り返していた事にも頷ける気がする。
 しかし結局、その手紙は誰にも届けられる事はなかった。彼自身の記憶にはないが、受け取るべき相手も既に亡い。
 レイモンドは溜息をついて暖炉の前から離れると、行き場を失った手紙をポケットに収めたままの上着を脱いで、椅子の背にかけた。
 そして、彼の為に用意された戦闘服に袖を通す。戦闘服とは言っても、見た目は彼がいつも着ている物と変わらない。しかし、その素材は強靱で伸縮性に富む特殊繊維で出来ていた。
 これから、レイモンド・ヴァーノンとしての最後の戦いが始まるのだ。
 尤も、今でさえ自分がレイモンド・ヴァーノンという人間であるという自覚には乏しく、己が如何なる存在になろうと、さほど気に留めてはいなかったが。
 ただ、失われた記憶が戻りさえすれば良い。
 その時に、自分がどんな状態になっていようとも。
「やくそく‥‥」
 それが果たされる事はもうないと、心の何処かで知っているのかもしれない。
 だが、それが何であるかもわからないままでは、生きる事も死ぬ事も出来ない。
「これが、最後の‥‥仕上げ」
 レイモンド‥‥Nullはロングコートの下に銃と長剣を隠し持つと、いつもの様に海岸へ出掛けた。

 その町にキメラの大群が現れたのは、その直後――朝もまだ早い頃の事だった。
 UPCに入った情報では、海岸から上陸したキメラは行く手を塞ぐ建物や、前回の経験から設置されたバリケード等を易々と破壊しながら、内陸の人口密集地を目指しているという。
 そして、その同じ情報はULT本部にももたらされていた。
「Null‥‥いや、レイモンドさん‥‥」
 モニタに映る情報を流し読み、セオドア・オーデンは小さく溜息をついた。
 レイモンドの父親は、前回の依頼の後に電話を入れてきたきりで、本部には姿を現していない。
 その時、父親は傭兵から教えられた手紙の宛先を尋ねて来た所だと言っていた。
 相手のジュリア・ランスという女性は、かつてレイモンドによって戦場から助け出されたのだという。その時に負った傷を治療する為に故郷へ帰って静養を続けていたが、その甲斐もなく帰らぬ人となったのは、レイモンドが重傷を負ったあの戦いに出る数日前の事だった。
『息子は知っていたのだ。その女性が既に亡くなっている事を』
 父親はそう言った。
『どんな縁があったのか、人付き合いの悪い息子にしては珍しく、その女性とだけは折に触れて連絡を取り合っていたらしく‥‥何か約束の様なものも交わしていたらしいのだがな』
 その内容については、相手の母親も知らされていなかった様だ。
『‥‥今の息子は‥‥彼女が亡くなった事も覚えていない。記憶を取り戻したところで、待っているのは‥‥そんな現実なんだ』
 もしも息子に誰か大切な人がいるなら、その人に会わせれば或いは記憶が戻るかもしれないと考えていた。戻らないにしても、その人となら新たにやり直す事も出来るのではないかと。
 しかし、その望みも絶たれた。
『もう、いい』
 自分が息子にしてやれる事は、もう何もない。
 それだけ言って、電話は切れた。以来、父親からの連絡はなかった。
「何も‥‥ない‥‥?」
 本当に何もないのか。本当にそれで良いのか。
 セオドアは机の上に置かれた息子の写真に目をやった。
 もし自分の息子が同じ状況に陥ったら‥‥そんなに簡単に諦められるだろうか。
 いや、しかし、何をやっても徒に苦しめるだけならば、寧ろ好きな様にさせてやるのが親心なのだろうか。
 わからない。
 わからないが‥‥彼にはまだ、引き返す道がある。
 このまま、彼を操るバグアの思惑通りに事を進めさせて良い筈もない。
 キメラ対応には既にUPCからも部隊が出動しているが、彼等は強化人間Nullに関する情報は得ていない。今回、その姿は確認されていないのだ。
 しかし、彼はいる。あの町の何処かに。
 それにUPCの軍人にとって、今の彼はただの敵だ。戦って倒す以外の選択肢はないだろう。
 傭兵達の力が必要だった。
 彼を人の側に繋ぎ止めておく為に――


 その頃。
 レイモンドの祖父を自称する老人は、大勢の住民と共に町の高台にある避難所に逃げ込み、助けが来るのを待っていた。
「誰か、レイモンドを‥‥わしの孫を知らんかね!?」
 老人は辺りを見回し、不安げな声で周囲の者に尋ねた。
「なんだ、一緒じゃないのか?」
 その言葉に、老人は首を振る。
「朝の散歩に出たきり‥‥まだ帰っておらんのじゃ。きっとまだ海岸に‥‥っ」
 そう言うと、老人は杖を頼りに立ち上がった。
「おい、爺さん。どこ行くんだ?」
「孫を、探しに‥‥っ」
 ふらふら、よたよた。周囲の制止も訊かず、老人は覚束ない足取りで避難所の出口を目指す。
「ちょ、待てよ爺さん! あんたも孫も、携帯とか持ってないのか!?」
 ふるふる。連絡手段はない。
「あー、じゃあ‥‥もしかしたら他の避難所にいるかもしれないし、もう少し落ち着くのを待ってから‥‥」
「その間に取り返しのつかん事になったら‥‥わしはあれの両親に何と言って詫びれば良いんじゃあぁぁぁ」
 老人は膝を折り、その場に泣き崩れた。
「‥‥ったく、しゃーねぇなぁこの爺さんは‥‥」
 一人の男が頭を掻きむしりながら言った。
「わかったよ、海岸だな?」
 探してきてやる。そう言うと、男は数人の仲間を引き連れて避難所を後にした。
 少ない人数なら、キメラ達の目を盗んで動く事も‥‥出来ない事はない筈だ。
 背後では、老人が膝をついたままの格好で手を合わせていた。
 礼の言葉を述べつつ孫の無事を祈り続ける老人の、隠された真の姿を、町の人々は誰も知らなかった。

●参加者一覧

終夜・無月(ga3084
20歳・♂・AA
犬彦・ハルトゼーカー(gc3817
18歳・♀・GD
ジョシュア・キルストン(gc4215
24歳・♂・PN
那月 ケイ(gc4469
24歳・♂・GD
安原 小鳥(gc4826
21歳・♀・ER
柊 美月(gc7930
16歳・♀・FC

●リプレイ本文

「さーて、ちょっと手癖の悪い猫どもを躾けてくるか」
 ひとり内陸部へ向かった犬彦・ハルトゼーカー(gc3817)は、手にした天槍ガブリエルの柄を握り直すと、海岸からの侵攻を阻止する様に布陣したUPC軍の前に飛び出した。
 一部では既に戦闘が始まっている。そして、あちこちに散らばり無秩序に突き進んで来るキメラに対応する為、その前線は延びきっていた。
「敵がどの程度居るか知らんが‥‥って、結構居るな」
 しかも散らばっている。これでは守り辛い。
「キメラの掃討に来た傭兵だ」
 可能であれば作戦の協力をと、犬彦は後方に位置するちょっと偉そうな軍人に声をかけてみた。
「確かに、連絡を受けてはいるが‥‥一人とは聞いていない」
「海岸の方でも一騒動あるらしいって事で、他の仲間はそっちに行ってる。ここは軍の協力があれば、うち一人で充分だからな」
 自身たっぷりの物言いに軍人は少し眉根を寄せたが、犬彦は構わず続けた。
「こいつら一箇所に‥‥うちのところまで誘導して貰いたい。そしたら敵の注意はうちが一手に引き受けるから、その隙にUPC軍の集中攻撃で一網打尽って寸法だ」
 本当に一人で大丈夫なのかと、軍人は訝る様な目を向ける。しかし、このままの形で前線を維持する事は難しいだろう。ならば、任せるしかないか。
「了解、任せとき!」
 犬彦は前線の更に前に飛び出すと、吠えた。
「こっちだ猫ども!」
 拳銃キャンサーをぶっ放し、キメラ達の気を惹く。それでも釣られない相手には仁王咆哮で無理やり注意を向けさせた。
 キメラ達の血走った目が犬彦を見据える。何の前触れもなく、殆ど全ての方角から炎弾が飛んで来た。
 しかし、炎弾対策に水属性の鎧を着込んで来た犬彦に、そんなものは効かない‥‥と言いたい所だが、流石に集中砲火を喰らっては涼しい顔もしていられない。しかしそこは気合いで乗り越え、犬彦は余裕の笑顔を見せた。
「こういう細かい気配りが大事やな、うん」
 それに、懐に飛び込んでしまえばもう炎弾は使ってこないだろう。インファイトなら、そうそう遅れをとるつもりはない。
「図体ばかりでかくなった雑種風情がよく吠える。うちに牙を向けたからには覚悟しろよ‥‥っと言っても通じないか‥‥」
 通じているなら、もっと素敵な罵詈雑言を浴びせてやるのだが。通じないなら、通じるモノを浴びせてやるまでだ。
 犬彦は手に持った槍で相手の爪や牙を弾き落とし、反撃の刃を浴びせまくる。
「狙え猛打賞!」
 ついでに打率十割。打点王にホームラン王、MVP‥‥

 その同じ頃。
 仲間達は要救助者の姿を探しつつ海岸へと急いでいた。
「五人の一般人が彼の元へ? ‥‥それも‥‥彼の保護者の嘆願で‥‥?」
 終夜・無月(ga3084)は避難所で聞いた話を反芻する。
「彼の保護者‥‥つまりバグアが‥‥」
 何を企んでいる?
「何を企んでいるにせよ‥‥彼等の死が何かの引鉄に成るのは確かでしょう‥‥」
 どきん。「死」という言葉に、柊 美月(gc7930)の鼓動が高まる。ふわふわと掴み所のない印象は普段と変わらないが、その内心はぴんと張り詰めていた。
「早く助けに行かないと‥‥」
 誰も死んで欲しくない。相手が何であろうと、誰であろうと‥‥必ず守り、無事に助け出す。
 しかし、海岸までの道に人影はなかった。彼等は既にNullの元へ辿り着いてしまったのだろうか。
「‥‥諦めるには‥‥まだ、早いです‥‥」
 自分達も、彼も。まだ間に合う。まだ戻れる。安原 小鳥(gc4826)は探査の眼を使い、見落としのない様に注意を払いつつ足を速める。不意の攻撃、見落としがちな敵の存在、人の存在‥‥しかし、それを感知しても要救助者を襲っているのでもなければ手を出さず、素通り。
(‥‥申し訳ないのですが、キメラは犬彦様に‥‥お任せします)
 心の中でお願いしますと手を合わせて先を急ぐ。
 と、海の方から風に乗って、人の話し声が聞こえて来た。
『おぉ‥‥ぃ‥‥レィ‥‥ド‥‥』
 誰かの名を呼ぶ声。
『良か‥‥無事‥‥か』
 発見を喜ぶ声が途切れ途切れに聞こえて来る。
 傭兵達は海岸に向けて全力で走った。

「レイモンド・ヴァーノン!!」
 その姿が視界に入った瞬間、那月 ケイ(gc4469)は仁王咆哮を発動させ、思い切り叫んだ。
 彼が今、何をしようとしているのか。救助に向かった五人は無事なのか。まず確認が必要な事はあったが、何を差し置いてもその注意を自分に向ける事が必要だった。
 ケイが呼んだのは、彼の人としての名前。人としての意識がまだ残っているなら、この名前に反応を示す筈だ。
 ロングコートを羽織った男の顔が、こちらを向く。大丈夫だ、彼はまだ‥‥人の側に居る。
 そこで漸く、傭兵達は現場の状況を確認する余裕を得た。
 Nullと男達の距離は手を伸ばせば届く程に近い。もし今、Nullが何か行動を起こせば、間に割って入るのは不可能に近い。だがNullは、傭兵達に顔を向けると同時に、コートの中に入れていた両手を外に出していた。
 話し合いの余地はあるという事か。
「ん? あんたらもコイツ探しに来たのか?」
 男達の一人がレイモンドの腕を肘で小突きながら軽い調子で言う。目の前で暗い口を開け、自分達を飲み込もうとしている存在には全く気付いていない様子だ。
「ったくお前は、こんな大勢に迷惑かけて‥‥」
 こいつは自分達が責任を持って爺さんの所に送り届けると、男は言った。
「ほら、行くぞ」
 だが、Nullは動かない。
「なんだ、キメラが怖いのか?」
「大丈夫だよ、地の利は断然こっちにあるし‥‥ココだって、なあ?」
 コンコン、もう一人が自分の頭を叩いて見せる。キメラを出し抜く事など簡単だと言うのだろう。
 しかし、恐らくそれは間違っている。彼等は見逃されたのだ‥‥ある目的の為に。
 その目的を探り、阻止するのが傭兵達の目的だった。
「その前に‥‥少し、良いでしょうか」
 レイモンドに話があるからと、ジョシュア・キルストン(gc4215)が進み出る。
 彼の答え、確かめさせて貰おう。
「‥‥また会ってしまいましたね、戦場で」
 男達に背を向けさせる位置に立ち、声をかける。
「‥‥戦場で、と‥‥お前が、言った」
 ぽつり、抑揚のない声でNullが応えた。
 覚えていたのか。どうやら、新たな記憶を獲得し、保持する事に関しては問題ない様だ。
(それならば‥‥)
 その様子を見て、小鳥は確信を持った。やはり、諦めるのはまだ早い。
(想い出は過去だけに、留まらず‥‥記憶に絶望するかは‥‥彼が決める事‥‥)
 もし絶望したとしても、彼には未来がある。これから先、新たな記憶を積み上げていく事も出来る筈だ。
 ‥‥彼が、人の側に留まって居さえすれば。
「何だ、あんたら知り合いか?」
 事情が飲み込めない男達が声を上げる。そんな彼等をNullの視界から隠す様に、美月がさりげなく間に割って入る。
「大丈夫です、すぐに安全な所にお連れしますので〜」
 状況次第では、すぐにとは行かないかもしれないが。
 その向こうでケイがNullに問う。
「レイモンド、まずはあんたがここに来た目的が知りたい。誰に指示されたのかも」
 その問いに、Nullが怪訝な表情を返した。見た事がない顔だ‥‥そう言っている様に。
「ああ、悪い」
 その表情に気付き、ケイは簡単に自己紹介をすると、一言付け加えた。
「この前、ここで会った奴の事‥‥覚えてるか?」
 こくり、Nullが頷く。
「‥‥次は、弁当を、と‥‥」
 確か、そう約束した。しかし、それが叶えられる事は‥‥もう、ないだろう。
「俺は、ここで‥‥あの五人を殺す。そうする事で、人である事を捨てる。‥‥祖父の、命令‥‥だ」
「分かっているのですか? ‥‥そんな事をすれば貴方の望みは絶対に叶わない‥‥」
 終夜が言った。しかし、Nullは首を振る。
「‥‥叶う。‥‥俺が、優秀な器になれば‥‥見返りに、記憶を戻すと」
「違うだろ」
 ケイが首を振った。
「あんたの思い出したい記憶は『レイモンド』のものだ。このまま戦い続けて人である事を放棄したら、記憶は二度と戻らないぞ」
 踏みとどまってくれ。まだ戻れる内に、現状に疑問を持ってくれ。
(こいつに何かあったら悲しむ人が身近にいるんだ。見捨てられないだろ!)
 しかし、ケイの願いにも関わらず、Nullは淡々と続けた。
「‥‥もう、猶予はない。失敗すれば‥‥奴は他の器を、探す」
 そうなれば、記憶は‥‥どんなものであろうと、永久に戻らない。人類側の医療技術では取り戻す事が出来ないと、既に匙を投げられているのだ。
「貴方のしている事が本当に過去を取り戻す事になるのですか?」
 ダメ押しの様に、ジョシュアが尋ねた。これが最期通告だ。
「僕は貴方の過去を知っている。けれどそれは貴方が自分で考え、手にしなれば意味がない」
 ぴくり、Nullの眉が動く。
「選びなさい。曲がらぬ思いでそれを望むなら、僕らと共に来る事を」
 問答無用で武器を向ける事はしない。大切なのは、選ぶ権利を与える事。その結果、戦う事になるなら‥‥止むを得ない。
「‥‥これは、俺が自分で考え‥‥決めた事。ヨリシロになれば、全てを取り戻せる。全てを知って‥‥死ぬ。お前に教える気がないなら、そうするしか、ない」
 Nullはコートを脱ぎ捨て、腰に帯びた武器を手に取った。
「今、ここで‥‥お前達の側に行けば、俺は‥‥殺される。何も、知らないまま‥‥思い出せない、まま」
「結局、そうなりますか」
 ジョシュアが面倒臭そうに言い、仕方がないという風に首を振る。
「では行きましょうか。皆さん、リラックスですよ♪」
 その声に、美月は雷刃トニトルスを抜き放つ。自分の力で歯が立つ相手とも思えなかったが、退く事は出来ない。彼等を守り通すのが、自分の役目。
「例え、この身を盾にしようと‥‥」
 その脇に、終夜が音もなく立った。彼もまた、民間人を守る事を第一に動いていた。だが、その視線はNullではなく、その向こうに広がる岩の陰に向けられていた。
「五対一は‥‥不公平、だな」
 Nullが何かの合図を送ると、そこから四体のキメラが現れた。これで数の上では互角だ。
「先程から感じていた気配は、これでしたか‥‥」
 終夜が呟く。周囲の状況に違和感を覚えて発動させたバイブレーションセンサー。そこで捉えた振動の正体。
「まずは、お前達から‥‥片付けさせて、貰う」
 キメラが吠え、Nullが目の前に居たジョシュアに向けて至近距離から銃を撃つ。
「‥‥っ!」
 高速機動で辛うじてそれを避けたジョシュアは、ケイの後ろに飛び込んだ。
「那月さん、守備力高そうですよね」
 このまま彼を盾にしてみようか。二刀小太刀、瑶林瓊樹を長いままで両手に構え、呟いた。
「って、おい!」
 そう言いつつも、ケイは仁王咆哮で自分の方にNullと‥‥そして周囲のキメラ達の注意を惹き付ける。
 その隙に、ジョシュアは迅雷 でNullの背後に回り、連剣舞で斬り付けた。手応えは、ない。Nullは攻撃を避ける事を覚えたらしい。回避から攻撃へ、ただし標的にされたのは盾役のケイだった。
 二体のキメラとNullにロックオンされたケイは、全力で盾を構えて攻撃に耐える。
 後方からは小鳥が超機械ケイティディッドで援護しつつ、呪歌を歌った。
「こうした術は、好きではありませんが‥‥ご容赦ください‥‥」
 キメラの動きが止まる。しかし、Nullはその呪縛を断ち切り、吠えた。
 一方では民間人を岩陰に待避させた終夜と美月が二体のキメラと対峙していた。
 終夜が敵の攻撃を後方に逸らさない様に自らを盾としている間に、迅雷で背後に回り込んだ美月がスマッシュを叩き込む。その攻撃でキメラの意識が背後に逸れた瞬間、終夜が反撃に出た。
 相手の急所を確実に狙う必中の一撃に続いて、全力を込めた必殺の一撃。それとほぼ同時に、後方から美月が刹那の目にも留まらぬ一撃を放つ。
 炎弾の空砲と断末魔の悲鳴を残し、キメラは海辺の砂に沈んだ。残るは一体、そしてケイが惹き付けている二体と‥‥
「‥‥俺は、今でも‥‥死んでいるのと、同じだ」
 Nullがぽつりと呟く。
 小鳥が歌い続ける呪歌によって、二体のキメラは動きを止めていた。今や、二対一‥‥数では傭兵達の方が優位に立っている。だが、それでも彼等は苦戦を強いられていた。
 ケイが相手の隙を作ろうと制圧射撃で銃弾の雨を降らせる。同時にジョシュアが小銃で背後から頭を狙う。
 当たれば能力のかなりの部分を削ぐ事が出来る筈だ。致命傷になったとしても、それはそれ。彼の生死に興味はなかった。
 しかし、銃弾はNullの頭部を掠めて飛び去る。後ろに目でも付いているのだろうか。
「‥‥どうした‥‥」
 ゆらり、Nullが後ろを向く。耳の上から、一筋の赤い糸が垂れていた。
「殺せ、壊せ‥‥俺を、完成させろぉ‥‥っ」
 大技の気配にジョシュアは身構え、叫ぶ。
「那月さん!」
 ケイは半ば条件反射でその前に飛び込み、盾を構えた。重すぎる一撃に耐えながら、しかしケイは心の中で呟いていた。戦いをやめてくれないだろうか、と。
 戦意を失えば、すぐにでも攻撃をやめるのに。だが、相手が戦いを望むなら‥‥こちらから降りる訳にはいかない。とは言え回復する暇もないのでは、いずれ勝負が決まる事は目に見えていた。
 と、小鳥の歌が変わった。ひまわりの唄が二人の体を包む。終夜と美月が残りのキメラを片付けてくれたらしい。
 しかし、それで状況が好転した訳ではなかった。寧ろ悪化したと言って良い‥‥一人の老人の出現によって。

 小鳥の目に、その老人は突然降って湧いた様に見えた。これが例の、Nullの「飼い主」であるバグアなのだろうか。
 と、Nullの動きが止まる。両手をだらりと下げ、呆然と立ちすくみ‥‥手にした武器を取り落とした。
 もう駄目だ。殺される。何も思い出せないままに、処分される。
「レイモンド?」
 様子がおかしいと声をかけたケイに、Nullは叫んだ。
「来るな、離れろ!」
 ‥‥それは、最後に残った人間としての心の欠片だったのかもしれない。
 それが弾けた時、Nullの体もまた、弾け飛んだ。
 強化人間の体内には、大抵の場合起爆装置が組み込まれている。それが作動したのだ。
 ジョシュアとケイは逃げる間もなく爆発に巻き込まれた。いや、その間があったとしても、二人はその場を動かなかっただろう。逃げれば後衛に被害が出る。折角助けた者達にも。
 同じ理由で、終夜は自らその爆発の中へ飛び込んで行った。

 三人が壁の役目をした事で被害は最小限に抑えられ、要救助者も全員が無事だった。
 内陸部のキメラ達も犬彦がしっかりと抑え込み、さしたる被害も出さずに作戦を終えていた。
 しかし、Nullは‥‥
 自爆と同時に蘇生術をかけ続ければ、助かる事もあるらしい。
 だが、傭兵達にその余裕はなかった。
 彼等が平静を取り戻した時、老人も、Nullも‥‥その痕跡は何処にも残されていなかった。