タイトル:愛しのクレメンタインマスター:STANZA

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/09/23 00:45

●オープニング本文


 おーまだーり おーまだーり ♪
 おーまだ〜り くれめんた〜ぃ ♪

 調子外れな歌声が、軽快にハンマーを振るう音と共に洞窟の高い天井に響く。

 おーまだーり おーまだーり ♪
 おーまだ〜り くれめんた〜ぃ ♪

「おま、そこは違うだろ?」
 予想に反して再び同じ歌詞を繰り返した隣の男に、俺は思わず文句を付けた。
 だが、そいつは俺の文句などまるっきり意に介さない様子で歌い続け、一段落した所で漸く答えを返した。
「だって俺、ココしか知らねーんだもん。あ、でもな、メロディーは全部知ってんだぜ?」
 だから、全て同じ歌詞で歌い続けているらしい。
 言われてみれば、上手い具合にメロディーにハマっている。
「でもなぁ、鉱石掘りの作業にその歌は‥‥少し不吉なんじゃなんか?」
 そう言った俺に、あいつは「何で?」と聞き返した。
 他の歌詞を知らないんじゃ無理もないか。
「あのな、この歌は死んじまった恋人を想って作られたモノなんだ。しかもその恋人ってのが‥‥お前、フォーティナイナーズって知ってるか?」
「アメフトのチーム」
「ちげーよ」
 1849年、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアに殺到した人々の事だ。
「で、その死んだ恋人ってのが、その娘で‥‥つまりさ、俺達も似た様な事をしてるワケで‥‥」
 俺達が探しているのは金脈じゃないが、珍しい石を探して地球の胎内をウロつき回ってるっていう点じゃ、似た者同士だろう。
「なんか、不吉だと思わないか? 縁起でもないっつーか」
「あぁ、お前‥‥ゲン担ぎとか好きだもんなぁ」
 ははは、と笑いながら、あいつは再び軽快なハンマーの音を響かせ始めた。
「でも、大丈夫だ。俺のクレメンタインはすこぶる元気だからな!」
「え?」
「俺の嫁。クレメンタインって名前なんだ」
「お前‥‥いつ結婚したんだ?」
 聞いてないぞ。
 って言うか、何だコイツ。暇さえあれば俺とつるんで、こうして殆ど何の役にも立たない石探しに熱中してるってのに。いつの間に、そんな‥‥そんな、羨ましい。
「ずるいぞ、抜け駆けだ」
「ん? お前も欲しいか? 確か、あれの妹だか姉ちゃんだかも、貰い手探してるって言ってたしなぁ」
「‥‥は?」
「猫だよ、猫」
 がっはっはー、という豪快な笑い声が洞窟にこだまして、わんわんと響く。
「騙されたか? 騙されたろ?」
 がっはっはー!
「おま‥‥っ」
 ああ、もう。コイツはいつもこうだ。この調子で、俺はいつも振り回されっぱなし。
 ま、俺もそれが楽しくて、こうして休みの度に一緒に出掛けてるんだけど。
「ふふふー、猫の嫁は良いぞぉ〜?」
 脱力して座り込んだ俺には構わず、あいつは続けた。
「わがままで自分勝手で気紛れで、気に入らない事があるとすぐ怒るしなぁ」
「それって‥‥良いのか?」
「良いんだよ、下手にこっちの機嫌を伺ったりしない所が良い」
「そんなもんかなぁ」
「そうだよ、嫌なものは嫌で、はっきりしてる。嫌だけど、相手の事を考えて我慢して付き合う、なんて事は絶対ない」
「それは‥‥思いやりに欠けるって言わないか?」
「ま、悪く言えばそうだが、そうやって思いやって我慢して‥‥挙げ句にブチ切れてオシマイってのより、格段に良い」
 ‥‥何かあったんだろうか、コイツ。やけにシミジミと語りやがる。
「それに、猫って奴は飼い主がいなけりゃいないで、食い物と水さえ置いときゃ好き勝手に過ごしてるからな。こんなに遅くまで何処に行ってたんだ、なんて問い詰める事もない」
 やっぱり、何かあったんだ。
「その代わり、帰ってみたら家の中がメチャクチャに引っ繰り返されてた、なんて事もあるがな。ま、それも楽しみのひとつさ。今日はどれだけやられてるか、とか、大人しくしてたらご褒美でもやろうとか‥‥帰るのが楽しみなる」
「なるほどねぇ」
「それに、ほら。待ってる奴がいれば、どうしても無事に帰らなきゃって気にもなるだろ?」
 ――待ってるのは、お前じゃなくてお前がくれる餌だけなんじゃないか――なんて、ちょっと意地悪な事を言ってみたくなったが、喉元まで出かかったそれを、俺は引っ込めた。
 再び調子外れな歌声を響かせ始めたあいつの横顔が、無邪気な子供の様に楽しそうで、嬉しそうで‥‥幸せそう、だったから。
「愛しのクレメンタイン、か。なあ、今度会わせろよ、自慢の嫁にさ」
「んー、いいけど‥‥あいつ、人見知りが激しいからなぁ。どっかに隠れて出て来ないかもしれないぞ?」
 ‥‥今のは、ノロケか?


 しかし、今。
 クレメンタインは俺の家にいる。
 あいつが、死んじまったから。

 俺達の趣味は鉱物採集。珍しい石を求めてあちこちの岩場や洞窟を巡るのが、俺達の休日の過ごし方だった。
 俺もあいつも他に仕事を持ってるし、そんなに遠くへは行けない。
 だが、町に近い場所だからといって安全であるという保証もなく、二人ともそれなりの覚悟は持っていた。
 危険な事はわかっている。でもやめられない。それが趣味ってもんだ。
 だから‥‥多分、あいつも納得の上で死んでいったんだと思う。そう、思いたい。

 あの時、あいつは一人で少し先を行っていた。
 向こうに何か光るものを見つけたと、そう嬉しそうに言った瞬間。
 洞窟の天井が崩落して――あいつの姿は、あっという間に見えなくなった。
 最初の崩落が引き金になったのか、出口へと逃げる俺の後を追う様に、次々と岩が降って来る。
 気が付いた時には、俺は洞窟の前で腰を抜かし、その潰れた入口を呆然と見つめていた。


 二次災害の危険があるとの事で、あいつの捜索は早々に打ち切られた。
 その後、俺は石集めをやめた。
 そしてあいつは俺の部屋に飾られた写真の中で笑っている。
 膝に金色の長毛猫を抱いて。
 クレメンタイン――俺はクレムと縮めて呼んでいるが、彼女は俺の膝には決して乗らない。
 それなりに懐いてはいるが、それこそ餌の為だけなんじゃないかと、時々思う。
 いつも窓から外を見ていて、誰かの帰りを待っている様な――

「なあ、クレム。お別れを‥‥言いに行くか?」
 俺は猫をキャリーに入れると、あの洞窟に向かった。
 あいつはもう帰って来ないのだと、猫に教える為‥‥いや、自分を納得させる為か。
 それとも、助けようともせずに真っ先に逃げた事を詫びる為か。

 現場はあの時と違っていた。
 誰がやったのか、入口を塞いだ岩がどかされ、いや、砕かれている。
 そこに残る大きな足跡と、剛毛の束。
 と、キャリーの中で猫が暴れ出し‥‥その予想外の力に耐えかねた扉が壊れ、外れた。
「クレム!」
 俺の声には見向きもせず、猫は暗い洞窟に消えて行った。

 おーまだーり おーまだーり ♪
 おーまだ〜り くれめんた〜ぃ ♪

 奥の暗がりから、調子外れの歌が聞こえた気がした。
 そして、何か巨大な獣の様な咆吼。
 ここは、キメラの巣になっているのだろうか‥‥?

●参加者一覧

レーゲン・シュナイダー(ga4458
25歳・♀・ST
神楽 菖蒲(gb8448
26歳・♀・AA
湊 獅子鷹(gc0233
17歳・♂・AA
エリス・ランパード(gc1229
16歳・♀・EL
春夏冬 晶(gc3526
25歳・♂・CA
秦本 新(gc3832
21歳・♂・HD
ルティス・バルト(gc7633
26歳・♂・EP
葵杉 翔太(gc7634
17歳・♂・BM

●リプレイ本文

 Oh my darling‥‥
 洞窟の前に立つ秦本 新(gc3832)の耳には、その歌声は聞こえない。いや、ここに居る誰の耳にも。
 という事は、やはり依頼人の空耳だったのだろうか。
 助ける事が出来なかった友人。生きていて欲しいと願う気持ちが、それを聞かせたのか。
「猫以外に、探したいものがあるんじゃないの?」
 そう問いかけた神楽 菖蒲(gb8448)に、沈黙が答える。図星、か。
 彼の捜し物が無事である可能性は殆どないだろう。だが、探して‥‥連れて帰れるものなら、そうしてやりたい。集まった仲間達の誰もがそう考えていた。
 しかし、まずは猫の保護が最優先だ。
「‥‥今度は、きっと間に合います。行きましょう、クレムを助けに」
「そうですよね。今度は‥‥きっと」
 新の言葉に依頼人は頷き、暗い洞窟の奥に目を凝らす。
 そんな少し張り詰めた様子の彼の目の前に四角い密閉容器が突き出された。顔を上げると、レーゲン・シュナイダー(ga4458)の笑顔が目に飛び込んで来る。
「猫さんの一大事だと聞いて! 救出、がんばりますっ」
 容器の中には茹でて解した鶏のササミがぎっしり詰まっていた。
「うん、ありがとう。それ‥‥大好きなんですよ、彼女」
 依頼人は嬉しそうに顔を綻ばせた。これなら匂いに誘われて出て来てくれるかもしれない。
(彼女、か)
 名前を聞いて、そうだろうとは思っていたが。
「猫とは言え、レディに間違いは無いだろう。レディを放っておくのは俺の美学に反する‥‥死力を尽くすとしよう」
 ルティス・バルト(gc7633)は恭しく頭を下げた。
「それに‥‥俺は猫好きだったりするんだ」
 家で帰りを待つレディの姿を思い浮かべ、ルティスはくすりと笑みを漏らす。
「ルティスは猫係か。じゃあ俺はキメラ対応だな」
 葵杉 翔太(gc7634)がそう言った途端‥‥ルティスの口から大袈裟な溜息が漏れた。
「今回は担当が分かれてしまったね、翔太さん。‥‥寂しいかい?」
「はぁ!?」
「俺は寂しいよ。翔太さんの隣に居られないのは、ね」
 ルティスは目を伏せ、がっくりと肩を落とす。からかっているのか、それとも‥‥
「余計な事は言うな! 馬鹿か!」
 翔太は僅かに頬を染めつつ、ぷいと顔を背けた。
「大体する事は違っても基本一緒に行動だろ? 多分」
「それは、そうだけど」
「じゃあ良いじゃねーか‥‥いや、べ、別に良く無いぞ!」
「ん、そうだね、良かった」
「良くねーって!」
「‥‥と、また顔が赤いけど‥‥どうしたんだい?」
「うるさい、馬鹿!」
 ますます赤くなるツンデレさん。
 と、そんな微笑ましい痴話喧嘩もどきは放っといて。
「俺ら傭兵はキメラ退治のプロだ。安心して俺らについて来な」
 春夏冬 晶(gc3526)が、依頼人の肩を軽く叩きながら自信たっぷりの笑顔を見せる。洞窟内での彼の護衛は、晶と新の担当だ。
「よーし、秦本。キメラが出て来たら手前が前線な。俺はこの身を盾にして依頼人を守るからよ」
 きりりと凛々しい晶くん。しかし‥‥
「ところで‥‥キメラ? なんだそりゃ喰えるのか?」
 って、オイ。
「いや、冗談だぞ? ほら、なんだ‥‥この場の雰囲気を和ませようとしてだな!」
 ‥‥そういう事に、しておこうか。
 約一名は頼りになるか微妙だが、依頼人にはその二人から絶対に離れないようにと厳しく言い渡し、菖蒲は先に立って歩き出した。

 ランタンの僅かな明かりだけを頼りに、一行は洞窟の奥へと進む。
 落盤で塞がれた道や、新たに出来た道。洞窟の規模自体は変わらないが、内部の様子は依頼人が以前に来た時とはすっかり様変わりしていた。
 それでも、洞窟歩きに慣れた者がいる事は心強い。そのアドバイスを元に、暗視ゴーグルを着けた菖蒲が道を拓いて行く。その後ろ襟に提げられたケミカルライトが、皆に進むべき方向を教えていた。
 その光から目を離さない様に、こねこのぬいぐるみを入れた猫用ケージを抱えたレーゲンが続く。あの光を見失ったら迷子になる。そんな気がする。迷子属性はない筈だが‥‥
「この辺、足下が悪いから気を付け――」
「きゃ!」
 菖蒲が注意を促すも、時既に遅し。本人は慌てて戻った菖蒲に支えられて無事だったが、代わりにケージが宙に舞い‥‥中のぬいぐるみが飛び出した。
「猫探しか、動物に好かれた試しはねえんだけどな」
 苦笑いを漏らしつつ、湊 獅子鷹(gc0233)が足下に転がってきたぬいぐるみを拾い上げる。これなら、引っ掻かれたり逃げられたりする事もないのだが。
「‥‥お静かに。バイブレーションセンサーの感度が鈍ってしまいますわ」
 覚醒し、お嬢様言葉になったエリス・ランパード(gc1229)が、ぴしゃりと言った。
 小さな猫が立てる、小さな振動。意識を集中しなければ捉えられない程の僅かな動き。
「ぁ‥‥悪い」
 獅子鷹は、ばつが悪そうに体を縮めた。エリスは友人の妹。その護衛の為に参加した訳なのだが‥‥何故か、彼女には勝てない気がする。いや、格闘家としての腕の問題ではなく。
 何度か見た事がある程度だし、可愛いというか綺麗というか、そんな印象を持っているだけで、そう深く知っている訳ではないのだが。
(御守りというか何というかまあいい、いつも通りに仕事をこなすだけだ)
 緊張を押し隠し、獅子鷹は右腕の防御用義手を盾の様に前に出して仕事モードに切り替える。
 しかし、辺りに敵の気配はない。エリスとルティスが使うセンサーにも反応はなかった。
「人よりも小さいモノ、か。キメラに相対してなければ良いんだけど‥‥」
「‥‥しかし、何故洞窟の奥へ? 何か、気になる物でもあったのでしょうか」
 ルティスの言葉に頷きつつ、新が疑問を投げかけた。
(それがキメラなら、逆に逃げるはず‥‥)
 洞窟のあちこちに残る爪痕などの痕跡から見て、キメラは巨大な熊ほどもある猛獣だろう。数はそう多くはない様だが、猫が寄って行くとも思えない。
(‥‥とするなら他に?)
 他に‥‥元の飼い主、か?
「‥‥消えた猫とその主人‥‥」
 翔太がぽつりと言った。
「その主人も生きている事を願いつつ、か‥‥。‥‥何か遣る瀬ねーな。こういうのは‥‥」
 生きていれば良し。駄目なら、遺品の一つでも捜して持って帰りたい所だ。
 いや、それ以上に最悪な状態になっている事も考えられる。
 せめて、人のままであって欲しい。そう願いつつ、一行は洞窟の奥へと歩を進める。
「しかし洞窟ってのはもうちっと汚ねぇモンかと思ってたんだが、案外綺麗なモンだなぁ」
 そんな中、敢えて空気を読まない晶は一人マイペース。
「‥‥なんだよ? べ、別に腰が引けてる訳じゃねぇよ? これはスリ足で歩く事で極力足音を出さないようにするスキルなんだぜ?」
 ‥‥本人がそう言うなら、そういう以下略。

 そして、暫く奥に進んだ頃‥‥
「もうそろそろ、かな‥‥様子は変わってますけど、距離的にはこの辺りだと」
 依頼人の言葉に、エリスとルティスはもう一度センサーを使ってみた。
「人より小さい反応‥‥見つけましたわ」
 わかるのは、距離と大きさ、そして数。方角はわからないが、二人で使えば割り出しも可能だ。
 他に反応はない。人のサイズも、それ以上の大きさも。少なくとも今の所、猫に危険はない様だ。
「名前を呼びながら近づいてみようか」
「いや、それなら声色の柔らかい女性の方が良いだろう」
 ルティスの提案に菖蒲は首を振った。猫を見つけたら慌てず騒がず、まともに光を浴びせず。そして大抵の猫は男性の低い声が好きではない。
 だが、元売れっ子ホストは引き下がらなかった。
「大丈夫、俺はレディの扱いには定評が‥‥」
「それは人間の話だろ」
 翔太がツッコミを入れるが、それでもメゲない。レディには人間も猫も関係ないのだ。
 しかし、ここでレーゲンの冷静かつ説得力に溢れた一言が。
「私達傭兵の声は警戒されてしまうかもしれませんね。でも、飼い主さんなら‥‥」
 それもそうか。
 そんな訳で、猫の名前を呼びつつ、一行は静かに洞窟の奥へ。
「にゃーん」
 やがて、か細い声が遠くから聞こえてきた。
「クレム!?」
「にゃーん」
 呼ばれればちゃんと返事をする、お利口さんだ。しかし、近寄っては来ない。
「クレメンタイン」
 レーゲンは猫の名前を略さずに呼んでみた。
「ほら、美味しいササミがありますよー。可愛いお友達もいますよー」
 しかし、彼女は釣られない。
「にゃーん、にゃーん」
 ここに来いと呼んでいるのだろうか。
 その声を頼りに、一行は更に進む。猫を見付けたのは、大きく崩れた岩盤が幾重にも積み重なった場所だった。
「ここ‥‥です」
 最初の崩落現場。あの時、彼等はここに居た。
「にゃーん」
 猫は崩れた岩をカリカリと引っ掻いている。そこに、彼が居るのか。あの岩の下敷きになって、命があるとは思えないが‥‥
「隙間に挟まって、運良く生き延びた事も考えられます」
 新が言った。遺体が見つからない限り、生存の可能性はある。
 しかし、バイブレーションセンサーの結果によって、その希望は打ち砕かれた。
 その気になれば心臓の鼓動さえ感知出来るセンサーに引っかかったのは、巨大な振動――キメラだった。
「クレム、おいで!」
 回収を急ごうと依頼人が呼ぶ。しかし、猫は頑として動かない。
「仕方ないわね」
 菖蒲は猫の首根っこを素早く掴むと、レーゲンが持つケージに押し込んだ。それを依頼人の腕に押し付けると、彼女を庇う様に立つ。
「落ち着いて‥‥私か、春夏冬さんの後ろへ。必ず守ります」
 新が盾を構えた、その時――奥の暗がりから咆吼が響いた。
「うぉぉぉぉ、なんだ、キメラが出やがったのか!?」
 おろおろ、わたわた。依頼人を守る筈の晶は右往左往。そして、その姿が視界に入るや、依頼人の手を引いて脱兎の如く逃走した!
「クマーっ!?」
 いや、逃げるんじゃない! 依頼人を安全な所まで待避させるだけだ! ‥‥と、そういう事に以下略。
 その退路を守る様に、新もまた超機械で牽制しつつ後退する。
「ま、離れてくれた方がやり易いな」
 翔太は先手必勝で一気に距離を詰めると、両手に持ったダガーの刃を仁王立ちになったキメラの腹に突き刺した。
 しかし、足は短いが腕は太くて長い熊の様なキメラの腹は厚い皮下脂肪に覆われて、少々の攻撃ではビクともしない。
「なら、これでどうだ!」
 翔太は紅蓮衝撃を叩き込み、続いて獣突で洞窟の壁から遠ざけるついでに、待ち構える仲間の前に突き出した。
「悪いけどキメラに構ってる暇はねーんだよ」
 まだ、やる事があるのだ。猫を探して、それで終わりではない。
「そら、楽しいお掃除タイムだ」
 振り上げた腕を、獅子鷹は右手の義手で受け流し、左手に持った獅子牡丹で流し斬りを入れる。
 エリスはその背後から超機械で攻撃を加えて行った。
 ルティスが呪歌で動きを止め、レーゲンが練成弱体や強化でサポート。戦いは傭兵達の圧倒的な火力の前に、あっけなく終わるかに見えた。
 だが――
「もう一頭います!」
 レーゲンの声と同時に、横手の暗がりから新手の一頭が現れた。それは地響きを立て、周囲の壁を震わせながら、雄叫びと共に突っ込んで来る――真っ直ぐに、エリスに向かって。
 だが、エリスが怯む事なく蹴りを見舞おうと身構えた瞬間、目の前に獅子鷹が立ち塞がった。
「アンタを怪我させるわけにはいかないんでね」
 痛みは感じない。自分が傷付く事も気にしない。エリスが何かを言いたそうに、自分をじっと睨んでいる事も気にしない‥‥いや、気付かない。
 攻撃を防がれたキメラは、その標的を変えて後方のレーゲンを狙う。だが、その前には菖蒲がいた。
「たかがキメラが、私を抜けるとでも?」
 菖蒲は片刃の直刀を縦に斬り降ろし、そのまま刃を地面に突き刺す。勢い余って抜けなくなったと見せかけて、それを軸に体ごと後ろ回し蹴りを繰り出した。そして、着地と同時にそれを引き抜き、そのままの勢いで薙ぎ払う。
 しかし、いくら銃器を封印しても大きな図体をしたキメラに大暴れされては洞窟が保たない。これ以上数が増える様なら、洞窟ごと封印する手も考えるべきか。
 だが、ここに潜むキメラはその二頭だけの様だった。

 これ以上の崩落を招かない様、素早く静かに確実に倒す。それが終わったら‥‥
「連れて帰るのは、無理かな」
 崩落現場を見て、ルティスは声を落とした。能力者の力なら、この岩をどかす事も不可能ではないかもしれない。しかし、作業には二次災害の危険が伴う。そこまでの危険を冒す事を、依頼人は望んでいなかった。
「これが見付かったし‥‥」
 彼が手にしているのは、使い古されたハンマー。周囲の捜索で傭兵達が探し当てたものだ。
「‥‥もう、いいよな‥‥クレム」
 崩れた岩の欠片には鉱物の結晶が多く含まれているのだろう。ランタンの光を受けて輝くそれは、石好きには最高の寝床だ。ケージの中で暴れていた猫も、今は外に出されて大人しく瓦礫の傍に座っていた。その尻尾が、ふさりと揺れる。
 人も猫も、一応の区切りを付けられたのだろうか。
「これ、差し上げますね」
 もしかしたら苔や何かで飢えを凌いでいたかもしれないと、生存に望みをかけていたレーゲンは、その為に用意した水とレーションを置いた。
 新も持っていた食料をその場に供える。だが、花を手向けた者は誰も居ない。きっと、誰もが心のどこかで生存を信じていたから――
「代わりに、歌でもどうかな」
 ルティスが奏でる鎮魂歌の調べが、洞窟の中を静かに満たしていった。


「あのねぇ‥‥、湊くん」
 外の光を浴び、新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで人心地が付いた頃。
 皆から離れた場所に獅子鷹を呼んだエリスは、雷を落とした。
「‥‥庇ってくれるのは嬉しいけど、それで自分が一方的に傷付いてたら意味ないでしょっ!」
「え?」
「それよ、その怪我!」
 兄が気にかけていたのは、こういう事だったのか。
「でも俺は‥‥俺と同じ人間を出さない為に‥‥」
「誰かを守るんだったら、自分の身もしっかり守りなさいっ! そうじゃないと『最悪』相手に取って一生の重石になる場合だってあるんだからねっ!!」
「あ‥‥ごめん、なさい」
 しょもーん。項垂れる獅子鷹。
「‥‥でもまぁ、そのおかげで無事に済んだ訳だし」
 エリスはまだ少し怒った様子で応急処置を始めた。お陰で手つきが少々荒っぽくなるが、文句は言わせない。
 そして、ぽつり。
「‥‥ありがとね」
「あ‥‥うん」
 顔の熱さを感じながら、そっぽを向いて応える獅子鷹。怒られたのは初めてだが、不思議と悪い気はしなかった。

 その頃、洞窟の奥では――
「‥‥あれ、全員どこ行ったんだ?」
 晶が一人、迷子になっていた。ただし、本人に自覚はない。
「俺以外が迷子になるとはまったく困ったもんだぜ‥‥もしもぉぉぉし、誰かいませんかぁぁぁ!?」
 ま、そんなに広くもないし‥‥そのうち出て来るよね。多分、きっと。