タイトル:【Null】接近マスター:STANZA

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/06/22 02:05

●オープニング本文


「分析の結果が出たそうですね。それで、息子は‥‥っ!?」
 ULTのオペレーター、セオドア・オーデン(gz0421)の許を訪れた初老の男は、勧められた椅子に腰を降ろす事もなく詰め寄る様にそう訊ねた。
 先日の依頼で傭兵達が持ち帰った血液や、様々な情報。それを詳しく調べ、検討した結果、得た結論は――
「あなたのご子息、レイモンドさんは‥‥ほぼ間違いなく強化人間です」
 セオドアが言った。
 その言葉を聞き、男は暫し息を詰める。言葉の意味を理解するのに時間を要しているのだろうか。
 やがて深い溜め息と共に、男は椅子にその身を沈めた。
「‥‥では、まだ‥‥助かるのだな‥‥」
「今の所は、恐らく」
 助かる、という言葉の意味に思いを巡らせながら、セオドアが答える。
「傭兵達の話では、レイモンドさんの意識は行方不明になった時よりも更に混乱した状況にある様です。全く会話にならず、言葉らしい言葉を発する事もなかったという事ですから‥‥」
「しかし、戻れるのだろう? この間、ニュースで見た‥‥強化人間が治療されたと。息子も、奴等の手から取り戻せれば‥‥!」
 確かに、戻れるかもしれない。彼がそれまでに、自らの道を塞ぐ様な事をしなければ。
「息子は今、どこに居るんだ」
「わかりません」
 先日現れた町には、彼との繋がりを示すものは何もなかった。
「何もないなら‥‥何故そこに現れたんだ? バグアの根城が、その近くにあるんじゃないのか?」
「‥‥それも、考えられますね‥‥」
 散歩がてら、ウォーミングアップも兼ねて、基地の周辺をちょっと歩いてみた。先日の襲撃には、そんな軽さがあった様にも思う。
 しかし、町の住民は彼の顔を知らない様子だった事から見ると、少なくとも生活圏が重ならない程度には離れているか、或いは正体を隠して潜んでいたのか‥‥。
「調べてくれ」
 男が言った。
「奴等の基地に乗り込んで、息子を取り返してくれ」
「‥‥いきなりそれは、無茶ですよ」
 セオドアが首を振る。
 その周辺には、これまで確認されているバグアの基地や関係する施設はない。まずはきちんと調査をしてからでないと、命を無駄にする事になりかねない。
「もし、彼との戦いで命を落とす者が出た場合‥‥治療は難しくなります」
「どういう事だ?」
「‥‥殺人者の命乞いをする者は、世の中にそう多くはない‥‥という事です」
 それが自分の意思ではなかったとしても、助命は難しい。
「もう少し、時間を下さい。まだ、わからない事が多すぎます。彼が強化人間だという事は、上に必ずバグアがいる筈です。まずはそれを片付けないと、レイモンドさんの身柄を確保するのは難しいでしょう」
「‥‥そうか」
 男は小さく溜息をついた。
「しかし‥‥調べている間に、あの子がまた‥‥人を襲ったら?」
「防ぎます。どんなに暴れようと‥‥必ず」
 自分が、と言えないのは辛いが‥‥傭兵達なら、その願いを叶えてくれるだろう。
 それに、彼のエミタはまだ機能している。戦う為に覚醒を繰り返せば、それだけ残り時間が減る事になるのだ。
「わかった」
 男が頷く。その背が、少しだけ縮んだ様に見えた。


 その頃、とある場所では――
「困りますね、あなた。私のいない所で、あんな無茶な戦いをされては」
 コンコン。手にした杖の先で、老人は全裸で目の前に立つ青年の向こう脛を叩く。
「後ろを向きなさい‥‥よし、何処にも傷跡は残っていない様だね」
 服を着ろと言われて、Null‥‥レイモンド・ヴァーノンはのろのろとした動作でシャツに袖を通した。普通はまず下から隠そうとするものを、彼は昔からそうだった‥‥と、ここに彼の父親がいたならば、そう言うだろう。記憶を失っても、そんな癖だけは変わらずに残っていた。
「あなたの体は、いずれ私の物になる。大事に扱って下さいよ」
 安楽椅子に深く腰掛け、足を組んだ老人は「行って良し」と言う様に杖を振った。
 それに従い、Nullは黙って背を向ける。
「ああ、そうそう」
 思い出した様に老人が言う。
「暫くは大人しくしていて下さいね。あなたにはまだ、強化する余地がありそうですから‥‥それが終わったら、また遊びましょう」
 遊ぶとは、戦いの事だ。
 部屋を出るNullの背を見送ると、老人は立ち上がった。真っ直ぐに背を伸ばし、窓辺へと歩み寄る。どうやら、杖は飾りの様だ。
「まったく、良い拾い物をしました‥‥器の記憶など邪魔なガラクタでしかありませんからね」
 この体をヨリシロにした当初は、その強い感情を持て余していたものだ。かつてはヒトの持つ感情に興味を抱き、それを内側から観察した事もあったが‥‥もういい。
 あんなもの、邪魔なだけだ。
「その点、あれは良いですね。余計な記憶や感情を持たず、しかし知識と戦闘能力は高いレベルで安定している‥‥」
 あんな器が欲しかったのだ。
 僅かに残った記憶や感情の欠片を破壊し尽くし、それから。
 美味しくいただこう。

 老人の部屋を辞したNullは、自室としてあてがわれた何もない部屋の真ん中に、ぼんやりと突っ立っていた。
 彼は今、老人の孫という触れ込みで、この家に住んでいる。少し精神を病んでしまった為に、一人暮らしの祖父の世話をしながら、この海辺の静かな町で療養をしている事になっていた。
 外に出る事は滅多にないが、彼はまだ誰もいない早朝に、近くの海辺を散歩するのが好きだった。
 そして、そんな時は必ず‥‥ここに来てから与えられたものではなく、彼の唯一の私物であるジャケットを着ていた。彼が行方不明になった時に着ていたもので、ポケットには‥‥何かが入っていた。
 それは、まだ封を切られていない手紙。宛名は、今の彼には思い出せない、誰か。
 しかし、ポケットに手を入れて、それに触れていると‥‥忘れてはいけない何かが思い出せる様な気がしていた。
 忘れてはいけない、約束。
 忘れたくなかった、何か。
 ヨリシロになれば全て思い出せると、老人は言った。

 願いを叶えてやる、と。

●参加者一覧

漸 王零(ga2930
20歳・♂・AA
終夜・無月(ga3084
20歳・♂・AA
UNKNOWN(ga4276
35歳・♂・ER
辰巳 空(ga4698
20歳・♂・PN
ジョシュア・キルストン(gc4215
24歳・♂・PN
レイ・ニア(gc6805
19歳・♀・CA

●リプレイ本文

「軽く打合せでもしておこう、か」
 ULT本部の一角。UNKNOWN(ga4276)は兎皮の黒帽子の角度を弄りつつ、その縁から鋭い眼光を覗かせる。この辺りは禁煙区画の為、残念ながら咥え煙草はご遠慮頂いているが、それだけで彼の身に纏う空気が損なわれる事はなかった。
『私はこの辺りから調査を始めてみます』
 そう書いたメモを見せ、レイ・ニア(gc6805)は地図の一点を指差した。前回、キメラを連れて最初に目撃された位置と、逃げた位置から方角を絞った一番近い町。
「強化人間‥‥高い戦闘能力を持つエースアサルトですか‥‥」
 手渡された資料に目を通しつつ、終夜・無月(ga3084)が呟く。
「この場所から、足跡を辿ってみましょうか」
 キメラが通った場所には何かしらの痕跡が残る筈だ。それを辿れば、恐らくは。
「調査か‥‥さぁってどうしたものか‥‥」
 暫し考え、漸 王零(ga2930)は何か閃いた様子で頷くと、レイが目指す町の隣を指差した。
「とりあえず‥‥我はぶらりと立ち寄った旅人を装うかな」
 潜伏先の候補として、周辺で残る町はあとひとつ。
「では、そこは私が」
 辰巳 空(ga4698)が手を挙げる。これで決まりだ。
「後は各自で‥‥幸運を、と」
 黒帽子の鍔の下で、UNKNOWNが口の端を歪めた。


「‥‥息子について、か」
 三人の訪問者を前に、レイモンドの父アーノルド・ヴァーノンは溜息混じりに呟いた。
「私の話など聞いても役には立たんと思うがね」
 前置きをして、彼は三人を子供部屋へ案内した。
「私が知っているのは、この部屋で暮らしていた頃の息子だけだ。それでも良いなら‥‥何でも訊いてくれ」
 それを受けて、まずはジョシュア・キルストン(gc4215)が口火を切った。
「レイモンドさんが行方不明になった時の事は、覚えていますか?」
 時間帯、服装、何か言い残していなかったか‥‥何でも良い。
「ここに戻ってからも、殆ど顔を合わせる事もなかったからな」
 父親は寂しげな笑みを漏らした。
「ただ‥‥着ていたのは多分、あの上着だ。軍にいた時から、ずっと着ていた物らしいが‥‥いつも、その上着のポケットに両手を突っ込んでいた」
 昔、息子が幼かった頃は行儀が悪いと叱ったものだが。
「彼の趣味とか交友とか‥‥何か、知りませんか?」
 些細な事で良いのだ。案外、意外なものが手掛かりになるかもしれない。
「‥‥昔は、こんなものが好きだったが‥‥なぁ」
 父親はいかにも子供らしい趣味に溢れた部屋を見渡した。
「手紙とか残ってませんかねぇ? やりとりした手紙とか、僕は結構大事にとっとくタイプなんですが♪」
「残念だが‥‥息子は君とは逆だったらしいな。軍の宿舎にも、殆ど何もなかった。そこにある鞄の中身が、息子の全財産だよ」
 部屋の隅にある小さな鞄を、父親は目で指し示す。了解を得てそれを開くと、中に入っていたのは数枚の着替えにタオル、歯磨きや髭剃り‥‥まるで旅行支度だ。どれも軍からの支給品の様で、これといった特徴もない。他に、日記や手帳、知人のアドレスを書いたメモなどを探してみたが、手掛かりになりそうな物は何もなかった。
「メモは取らずに、全てを頭の中だけに残していたらしいな」
「ふむ‥‥」
 UNKNOWNは黒革手帳のページを繰りながら、情報を整理してみる。
 ここに来る前に立ち寄ったUPCでの聞き込みでも、大した情報は得られなかった。人付き合いは最小限、特に親しかった者もなく、恋人もいない‥‥と、大抵の者が答えている。ただ、所属していた分隊のメンバーとは親しかった様だが‥‥それも、最後の作戦で彼を除く全員が戦死、もしくは行方不明になっていた。
 彼等は危険な任務に当たる事の多い、精鋭部隊だった。死と隣り合わせの毎日なら、余計な荷物は持たないという選択もあるだろうが‥‥
「何かキーワードが欲しい、な」
 戦わずにすませたいなら相手を知って行かないと、いけない。まずは相手と話す為の記憶を呼び起こす為にも、何か。
「そうなると、古い記憶の方が良いかもしれませんね‥‥」
 終夜が言った。最近の事は忘れても、子供の頃の事は記憶の底に残っているかもしれない。
 好きな事や物、特に愛用していた物、それに癖など。
「甘いお菓子が好きだったな。私は禁止していたが」
 それに、と机の引き出しを指し示す。そこには沢山の貝殻や小石が入っていた。
「昔、家族で海に行った時に拾ったものだ」
 海が好きなのか、それが家族で出掛けた最後の思い出だからなのか、それはわからないが。


 その頃、一足先に調査に出掛けた王零は、目星をつけた町の人々に突撃インタビューを試みていた。
 事前に仕入れた標的の情報を頭の中に、物騒な魔剣は荷物の中にどうにか隠し‥‥
 今日の彼は「いろんな土地を旅してそこの事を記録に残して何かしらの形で公開しようと思いつき、旅を始めたばかりの青年」という設定。名前を訊かれた時は「王」と名乗るつもりだった。
 町の歴史や名物、今話題の人物や自慢話など、そうした記事に書かれていそうな事柄を手当り次第に尋ねて回る。
「なんか変わった人はいないか?」
「最近ここらへんに来た人に話を聞いてみたいけど誰かいないか?」
 その間にそんな質問も挟んでみるが、増えていくのはメモばかり。本気で旅行記が書けそうな位だが、本来の目的はそこではない。
「ここは、ハズレだったかな」

「‥‥『ヌル』ですか‥‥」
 町の地図を見て、空は呟く。その名前からすると、量産前提の試作品の様だが‥‥バグアが大規模な作戦行動を起こす準備でもしているのだろうか。そうだとしたら、早めに潰さなければ。
 前回、傭兵が接触している所から警戒されているのは確かだ。聞き込み一つをとってもなるべく傭兵の活動の痕跡を残さない様にしたい所だが‥‥さて、どの程度集まるものか。
 まずは傭兵だと悟られない様、公共交通機関で現地に入る。表向きは行方不明者の探索という名目で地元の警察に協力を依頼しておき、自分は聞き込みへ。
「最近、この辺りで食料を買い占めたり、集会を開く等異様な行動はありませんでしたか?」
 ただの噂話でも良い。何かないだろうか。
 一通り回って、最後に警察へ立ち寄る。しかし、目ぼしい情報は得られなかった。
 バグアが傭兵の動向を注視していない訳が無い。傭兵側が動いていると知られる前に味方に警戒を促せる程の確たる情報が欲しい所だが‥‥。
 この町では、ないのだろうか。

『この人を、知りませんか?』
 レイは当たりを付けた町でNullの写真を手に、市場や食料品店を歩いて回っていた。
 どんなに姿を隠そうとしても、何も食べない訳にはいかない。それに、普通の生活を装っていなければ却って目立ってしまうかもしれないし。
 そうして探し回るうちに、ばったり出会ったのは‥‥別ルートで辿り着いた終夜だった。
 記者を装い、先日キメラの襲撃を受けた町の人々から情報を得、更には探査の眼とGooDLuckを駆使してその痕跡を追い、辿り着いた町。そこにレイが居たという事は、Nullはこの町に潜んでいると見て良いだろう。
「急ぎませんとね‥‥」
 他の仲間とも連絡を取り、二人は別れた。町を絞れたと言っても、その何処に彼がいるのか‥‥
 父親の話から海の近くではないかと見当を付け、その付近にある菓子店、郵便局の局員や海辺近くに住む漁師等に尋ねて歩く。
「‥‥この兄ちゃんかどうかは、わからんが」
 毎朝の様に、高台の住宅地の方から砂浜に下りて来る人物がいるとの情報を得、終夜は住宅地へ。
 ‥‥と。
「ああ、ここだよ、ここ!」
 元気なおばちゃんの声が、住宅街に響く。その隣には王零の姿があった。
「ちょっと変わってるけど良い子なのよぉ。お爺ちゃんの面倒よく見てねぇ‥‥ちょっとぉ、お客さんだよーっ!」
 ピンポーン! 盛大に喋りながら、おばちゃんは呼び鈴を押した。
 それに応えて玄関先に現れたのは‥‥資料で見た顔。レイモンド‥‥Nullだ。
「あ、そうそう。コレあんた宛ての手紙だってさ‥‥可愛い女の子から。ラブレターかい?」
 それは、レイが託したものだった。

 おばちゃんが去った後、王零はNullに話を聞いてみる事にした。なるべく自然体を装いつつ、町の人々に話した通りに旅行記の材料として、町に住んでみた感想や好きな場所などを一通り。
 聞いていた話とは違い、Nullは饒舌だった。感情が欠けた感はあるが、質問には答える。訊かれたらこう答えろと、予め教えられていたかの様な印象を受けた。
 王零が話を聞く間、終夜は道を探した通りすがりのふりをして、建物の周囲をそれとなく探ってみる。だが、足は止めない。あくまでもただの通行人として、場所の確認と外から一瞥した限りのセキュリティー等を簡単に確認するだけに留めておいた。
 詳しい調査は連絡を受けて合流した空の役割だ。王零との会話を終えたNullが家の中へ戻ると、空はバイブレーションセンサーで中の様子を探る。捉えられたのは、人の気配が二つ。
 それ以上の事はわからなかったが、今は事実関係を掴むのが最優先だ。少なくとも、彼はこの町に溶け込んでいるらしい。それがわかっただけでも収穫‥‥だろうか。


 場所の特定が済んだ後は、個別に接触を試みる事になった。
「騒ぎになっていない以上普通に暮らしてるんでしょうが、暇ですね」
 物陰に隠れ、欠伸を噛み殺すジョシュア。その「普通の家」を見張る彼は、傭兵である事を隠していない。どうせバレているのだろうという気持ちもあるが、万が一の場合彼と戦えるのは自分達だけだ。
「攻撃しなければ反撃してこないとはわかっていますが‥‥っと」
 夕暮れも近くなった頃、Nullが姿を現した。父親がお気に入りだと言っていた上着のポケットに両手を突っ込み、周囲を警戒する風もなく歩き出す。ジョシュアはその後をこっそりと‥‥尾行していたつもりだったのだが。
 くるり、Nullが振り向いた。
「また会いましたね。おっと、今日は物騒なやりとりは無しです」
 物騒な物を持ち歩いているのは、自分の方だったが。見た所、Nullは丸腰の様だった。
「意思がない訳でもないのでしょう? 貴方は何の為に戦うのですか」
「‥‥戦えば、取り戻せる」
 ぼそり、Nullが呟く。
「何を?」
「‥‥失った、もの」
「それは‥‥?」
 Nullは首を振った。そして、問答は終わりだとばかりに背を向ける。
「ご家族やご友人に伝えたい事はありませんか?」
「‥‥祖父は、ここに。両親は、離れている。‥‥訊かれたら、そう答える」
「そう答えろと、誰かに言われたのですか?」
「祖父が。‥‥父と名乗る男、いたが‥‥わからない。約束、だけ」
 ポケットの中で、何かがカサリと音を立てた。
「思い出せば‥‥死ねる。だから、戦う」
 それだけ言うと、Nullは背を向ける。ジョシュアはその背に声をかけた。
「‥‥また会いましょう。次は戦場で」
「‥‥戦場、で」
 呟く様に答え、Nullは歩き去る。
 その姿が角を曲がって消えるまで、ジョシュアは暫しその場に留まり続け‥‥再び静かに歩き出す。この先の浜辺では、レイがNullを待っている筈だった。

 ひとり浜辺に座り、レイはぼんやりと海を眺めていた。
 武器は持たない。傭兵だとわかる装備も、全て置いて来た。ただ、Nullに会いたい。会って話がしたい。それだけだから。
 商店街で会ったおばちゃんに託した手紙には、前に一度会ったことがある事、もう一度会って話がしたい事、日が沈む頃に浜辺で待っている事と‥‥それに、本名。鈴原レイと、書いた。
 会いに来て、くれるだろうか。ひとりで‥‥それとも、誰かと? もし来てくれたら、どんな話をしようか‥‥
 Nullを待ちながら、レイは本部で調べた彼の記録を思い返していた。
 彼が怪我を負った最後の作戦は上官の作戦ミスとも、仲間の裏切りがあったとも聞くが、真実を知る者はもう誰もいない。唯一生き残ったレイモンドだけがそれを知っていた筈だが、その記憶は闇に閉ざされてしまった。
(‥‥!)
 砂を踏む足音に、振り返る。
「Null‥‥さん」
 恐る恐る、声を出してみた。周囲には誰もいない。二人きりなら‥‥大丈夫。
 こっそり岩陰に隠れて様子を窺っている、ジョシュアの存在には気付いていなかった。
「来てくれたんですね。ありがとうございます」
 レイはぺこりと頭を下げ、心に溜めていた言葉を投げかける。
 好きな物は何? 一緒に住んでいるのは誰? 将来の夢とかあるのかな?
 その殆どに答えは返ってこなかったが、それでもいい。とにかく‥‥もう一度会って、話をして‥‥出来れば名前を覚えて貰って。
「Nullさんとは不思議と安心して話せるんです」
「‥‥そう、か」
「今度来た時はお弁当作ってきますから、Nullさんの事もう少し教えてくださいね、約束ですよ」
 その言葉に、Nullは黙って頷く。次は戦場‥‥とは、言えなかった。


 翌朝。
 Nullはいつもの様に、砂浜に姿を見せた。その手はポケットから出し‥‥何かを握っている。その何かを、Nullはじっと見つめていた。
 昨日、傭兵達と会った事で、何か‥‥心に触れるものでもあったのだろうか。
「おはようございます」
 自分も朝の散歩のふりをした終夜が声をかけた。気さくに天気の話などをしながら、相手を観察してみる。傷の具合は、力量は、そして強化人間としてどの程度の改造を受けているのか‥‥だが、外から見ただけでわかる様な変化は見付けられなかった。
 そして、暫く後。
(時間があればもっと雰囲気を騙すのだが)
 UNKNOWNはこれまでに得た情報を元に、警戒されにくい雰囲気を纏い、演技を組み立て‥‥ふらりと砂浜に姿を現す。
 暫くは所在なげに紫煙をくゆらせ、ぼんやりと浜を眺め‥‥ふと気付いた様に声をかける。
「旅で出会った者に届け物を頼まれて、ね」
 景色を見ながら旅の話を問わず語り、その中にかつての仲間の名を入れて反応を窺う。だが、記憶に触れるものは何もない様だった。
 その代わり、手にした手紙をじっと見つめている。
「さて、次はどこに行こうか‥‥どこかに届け物でもあれば、私が預かろう、か」
 さりげなく手紙に視線を向けてみる。だが、Nullは首を振った。
「俺は‥‥この人を、知らない」
 記憶にはないが、何故か大切で‥‥けれど、苦くて‥‥痛い。
 その理由を、知りたい。
「協力すれば、思い出せると‥‥祖父が、言った」
「そう、か」
 ちらりと見えたジュリア・ランスという名前と、住所。
 それを頼りに、探してみようか。その人に話を聞く事が出来れば、何かわかるかもしれない。
 そうすれば、彼はこちら側に戻るだろうか?


 Nullと別れ、UNKNOWNはひとりその住所を探す。
 しかし、その場所に‥‥宛名の女性は存在しなかった。
 ‥‥この世の、何処にも。