タイトル:誰かが、誰かのためにマスター:周利 芽乃香

シナリオ形態: イベント
難易度: やや易
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/01/14 09:15

●オープニング本文


 カンパネラ学園の学生食堂で、時折お茶会が開かれる事がある。
 誰が始めたかなんて、もう誰も知らない。
 『どうぞのお茶』――そう呼ばれるお茶会は、誰かの善意で続いている。

●稀なお茶会
 『どうぞのお茶』とは、年中無休のように見えるカンパネラ学園学生食堂の僅かな営業時間外に起こる現象だ。
 厨房担当の職員達は全員不在、メニューが供される事のない状況では利用する学生も殆どいない。場所だけは空いているから一休みや自習に立ち寄る学生がいる程度だ。
 そんな営業時間外の食堂に、いつしか湯が入ったポットとカップが伏せられたトレイが置かれるようになった。

 ――休憩している人、お茶が飲みたいなら自由にどうぞ。

 使っていいのはテーブル上のポットとカップのみだ。そのうち茶葉を持ち込む学生が現れ、トレイにはティーバッグやドリップバッグ、インスタント粉末の瓶が入った籠が置かれるようになった。
 最初に誰が籠を置いたのやら、誰にも解らない。
 ただひとつ確かなのは、誰かの善意が他の利用者の善意で繋がって、自由にお茶が飲めるスペースが成立していたという事実だけだった。

 このお茶会を利用するのに必要なのは、先人への感謝と良識だけだ。
 営業時間外の食堂を開放してくれている職員への感謝、次の誰かの為に茶葉を残して行った利用者。次使う人の為に迷惑を掛けない心配り。
 例えば、いかに普段から食堂のおばちゃんと仲が良くサービスされている間柄であっても、この茶会に於いては勝手に厨房へ入る事は許されぬ。営業時間外の厨房は無人だ、他人の職場に勝手に立ち入るのがマナー違反なのは容易く想像できるだろう。
 では使用した食器類はどうすればいいかと言うと、食器返却台の水が張られた流し台に浸けておくだけで充分だ。それで気が済まないなら、返却時に他者への感謝を呟いておけばいい。
 誰かが誰かの為に、ちょっとした感謝と気遣いを。職員達は流し台の水に利用者の気遣いを知るだろう。

●白いマフラー
 世間はクリスマスが過ぎ年末年始の慌しい時期。帰省した職員も多く、今日は『どうぞのお茶』の日らしい。
 日向の空き席を確保した高城ソニア(gz0347)は、のんびり編み物をしていた。
 棒針編みだ。白い毛糸で10cm程編み進めては裏返す。延々と長いものを編んでいる様子から、どうやらマフラーを作っているようだった。
(クリスマスには間に合いませんでしたけど‥‥)
 白いマフラーは、きっと似合うはず。
 送る相手を思い浮かべて、ソニアは微笑した。活動的な人だから白はすぐに汚れてしまうかもしれない。でもきっと似合うから。
 ぐるぐる反転させる度、長くなったマフラー地はくるんくるんにねじれた。時折手を休めて丁寧に整える。
 一休みしようと手元のカップに手を伸ばし、ソニアはコーヒーがすっかり冷めているのに気が付いた。
「レンジ、使わせてもらえましたっけ‥‥」
 厨房前のカウンターの上にある電子レンジへ目を向け、電源が入っているのに安堵する。温め直してお茶にしよう。
 鞄からドーナツショップの紙袋を取り出したソニアは、冷めたカップを抱えてカウンターへと歩き始めた。

●参加者一覧

/ 綿貫 衛司(ga0056) / 最上 憐 (gb0002) / ソーニャ(gb5824) / ラサ・ジェネシス(gc2273) / レインウォーカー(gc2524) / 村雨 紫狼(gc7632

●リプレイ本文

●食堂の休日
 退席中に相席になったようだ。ソニアが温めなおしたコーヒーカップを手に戻ると、向かい側の席には見慣れた赤い髪の背中が座っていた。
「レインさん」
 彼女がレインウォーカー(gc2524)を愛称で呼ぶようになったのは何時の事だったか――道化を自称し仮名で傭兵活動をしている青年は、ソニアに呼ばれて片手を挙げ応えた。
「やっぱり来ていたかぁ。コレ、お約束の差し入れってねぇ」
 席に戻ったソニアに言って、薄紙の包みを差し出した。
 甘い香りを纏った包みの中身はいつものようにクッキーに違いない。菓子作りを趣味とする彼のクッキーを心待ちにしているソニアは有り難く受け取って――続いて喜ばしい報告に目を見開いた。
「ちなみにコレ、オーストラリアで正式な商品として売り出されるようになったんだよぉ」
「商品に‥‥! おめでとうございます!」
 何でもレシピを監修したそうで、販売中の製品にはトランプカードのオマケが付いているのだとか。
 クッキーとトランプカード? 一見繋がりのなさそうな組み合わせに首を傾げつつ包みを開いたソニアは、次の瞬間歓声を上げた。
「まあ、可愛い!」
 喜色満面で声を挙げたのも無理はない。中から現れたのはトランプカードを模したクッキーだったのだから。なるほど、だからオマケがトランプカードなのか。
 たくさん作って来たからと、レインウォーカーは感心するソニアを残して食堂内の皆にも勧め始めた。
「食べるのが勿体無いくらい可愛いです‥‥」
 うっとり眺めているソニアに気付いたラサ・ジェネシス(gc2273)が、とてとてと近付いてきた。
「先輩、お久しぶりデス!」
「あ、ラサさん! レインさんのクッキーがですね‥‥」
 手にしたクッキーの謂れを語り始めるソニア。我が事のように喜ぶ彼女と共に喜び、勧められるまま1枚取ったラサは、しみじみと呟いた。
「最強のパティシエのクッキーか‥‥心して食べないト」
「‥‥誰の事を言っている?」
 一巡りして来たレインウォーカーが背後に立っていた。勿論、とラサとソニアが彼を示したのは言うまでもない。

 テーブルの上に載っている白い毛糸と編地を見てラサが言った。
「マフラーですカ、器用ですネ」
「真っ直ぐ編んでいるだけですよ?」
 実際ソニアは基本の編み方しかしていなかったのだけど、縒りの強弱が付いた毛糸を使っていたので模様のような変化に富んだ編地になっていた。またこれは編み手の下手さを上手くカバーする糸の選択でもある。
「1本の糸ガ、マフラーに‥‥は、イケナイ、わ、我輩は皆にお茶とおやつ配ってきますネ」
 桁違いに大量の鈴カステラの一部を残して、ラサは食堂内を廻り始めた。
 ちなみにこの鈴カステラ、ラサのお手製である。味は大成功、でも作り過ぎたのはちょっと失敗――材料の単位を間違えたのは内緒だ。
「先生、良かったらドウゾ」
 卓の一つで書き物をしている男性にもお裾分け。腕に実習生を示す『教育実習』の腕章をはめている綿貫 衛司(ga0056)は、生真面目かつ誠実に自分は実習生だと返した。
 実はまだ、先生と呼ばれるのはこそばゆい。何せ職員室にいるのが落ち着かなくて営業時間外の食堂で自習をしているくらいなのだ。そんな自分が先生と呼ばれるのは――と考えてしまうのは衛司の真面目さゆえであろう。
「実習中でも、先生は先生デス」
 学園生のラサからすれば衛司は傭兵の先達であり、教えを請う相手である。バグアと戦う以前から戦地に身を置き大勢を護る為に戦ってきた衛司の言動には、若い傭兵達と一線を画する重みがあるのだ。
「ありがとう、いただくよ」
 柔らかく笑んで、衛司は教本に栞紐を挟んで閉じた。次いでノート上に溜まった消しゴムのかすを丁寧に集めてティッシュに包み、閉じたノートは『実戦活動論』と書かれた教本の上に重ねる。どこまでも几帳面な男だ。
 持込のカップにスティックカフェオレを入れて、お湯を拝借する。温かさに一息付きながら、衛司はラサ達のような年端もいかない若者達が、戦争や戦場で青春を浪費する事態が来なければ良いと思った。
(矛盾しているか‥‥いや)
 衛司が教鞭を取る予定の実戦活動は決して若者に戦いを推奨する為のものではない。正しい武器の扱い方も、戦場での生き残り方も、非常時の対応を教授するためのものだ。非常時は備え――そもそも来なければ良いものなのだ。

 棒状のドーナツを千切って口元へ運んでいたソニアは、村雨 紫狼(gc7632)の話に思わずドーナツを取り落とした。
「あ、もったいねー」
 ぽとりと皿に落ちたあと、小さい欠片がころんころんとテーブルの下へ転がってゆく。慌てて回収して紙ナフキンに包んだソニアは、紫狼の顔をまじまじ見つめて尋ねた。
「‥‥それで、本当なんですか!? 鐘楼が巨大ロボになった‥‥って」
「ああ、俺が嘘付いた事があったか? あ、そっちのドーナツもーらいっ」
 落としてなかった大きい方の欠片を横取りして、ぱくり。
 呆気に取られたままのソニアに、紫狼は人差し指を唇に当てて尤もらしく小声で語った。
「外部には秘密なんだけどな‥‥宇宙のカンパネラ学園な、あれ最終決戦で巨大ロボ『ガクエーン』に変形したんだよ」
「あの大きさが変形して‥‥」
「そうそ、メチャでっかくてさー 大活躍だったぜー で、変形したまんまじゃ地球には戻れないってんで、まだ宇宙にあるんだよ」
「そうだったんですか‥‥」
 という事は、宇宙に残っているUPC軍や傭兵達はガクエーンのフォローの為に――等々、何やら大きな誤解を抱え込んだようだ。
 生憎メカものには疎い娘なだけに想像できる範囲の限界はあったけれど、ソニアは彼女なりにすっかり信じ込んでしまった。
(ごめんな、ソニアちゃん)
 僅かに良心を痛めつつも紫狼は思う。こんな世界だからこそ、何も知らないソニアの存在は貴重なのだと。
 戦いは命の奪い合いだ。まともに語るには衝撃的な内容も多い。疑心や憎しみといった負の感情を知らぬこの娘には、このままでいて欲しい。大法螺でハッタリをかましたのは紫狼なりの優しさなのだった。
「ガクエーンさん、元に戻れるといいですね‥‥」
 同情混じりの溜息吐いて、コーヒーカップに口を付けたソニアの様子を、紫狼はスケッチブックに写し取る。素直で汚れなき少女の横顔だ。
「ところで、紫狼さんは何をしてらっしゃるんですか?」
「‥‥あ、俺? いやー 新しい機体制御用補助AIの画像表示用CGキャラクターモデルをだな‥‥」
 もごもごと言い訳して、紫狼は目を逸らした。

●繋ぐ想い
 ソニアが編み針を動かしている。その手付きを、最上 憐 (gb0002)がじっと見つめていた。
「‥‥ん。ソニア。編み物。出来たんだ。かなり。意外」
「ふふ、私にだって編めますよ?」
 髪やら紐やら編みこんでしまっても引っ張れば容易く抜けるし、時々編目を外してしまっても目立たない――不揃いな編目さえ縒りの強弱がきつい糸のおかげで中々さまになっていた。
「‥‥ん。なるほど。確かに。編む事は。出来るんだね。編む事は」
「もう、師匠ったら‥‥」
 膨れるソニアを他所に、憐はいつものように購買で勝ち取った大量のカレーパンを胃に納め続け、ラサはまるで魔法を見るかのように目を輝かせている。
「こうやって動かしているだけでできるなんて魔法みたいデス」
「糸と糸が絡み合って形作られる‥‥君はそこにどんな思いを編み込むのかな」
 憐にクグロフを切り分けてやりながらソーニャ(gb5824)が言った。

 1本の糸が棒と糸の交差で編目になって、次へ繋がって、1枚の布になる。
 繋ぐ人の心が、想いが、形になってゆく。

「君の想いは、あったかそうだね。羨ましいなぁ」
 ソーニャはソニアにもクグロフを取り分けて、言った。憐は八割方が砂糖とミルクのスペシャルカフェオレで喉を潤すと、早速クグロフに手を伸ばしている。
「クグロフはマリー・アントワネットの大好物だったんだって」
 そう言って、ソーニャはカップへ紅茶を注ぎ淹れた。いつもながら丁寧な淹れ方だ。正式な方法で入れられた水色は橙、花のような香りが立っている――今日の茶葉はギャル、低地で栽培される品種だ。
 ラサのカップと自分のカップに注ぎ淹れ、ありし日の貴婦人の如き仕草でカップを傾けたソーニャは、断頭台に消えた王妃を偲んだ。
「ねぇ、知ってる? 向こう見ずな浪費家のように語られるマリーだけど、本当は結構良識的だったんだよ」
 貧困者の為にカンパを募ったり子らに玩具を我慢させたり、母としてのマリーは決して贅沢に浸りきった女ではなかったと言う。そも『パンがなければ菓子を食べればいい』の文言も彼女の言葉ではないとか。
「‥‥時にデマは現実を凌駕し、歴史的事実にすり替わる」
 時の王妃への嫉妬は凄まじく、中傷や流言飛語の類は後を絶たなかった。誰が発したかも判らない悪意の言葉は、やがて真実として認知されてゆく――マリーがどんなに誠意を尽くそうと、凝り固まった負の感情に阻まれて、民衆の胸には決して届く事はなかったのだろう。
「‥‥ねぇ。ボク達はどうなんだろうね」
 ぽつりと言ったソーニャの声音が寂しげに感じて、ソニアは編む手を止めた。
 稀に現れるエミタ適合者の内、エミタを埋め込んだ能力者。あるいはUPC軍に保護された強化人間達――大多数の人類にとって異端であろう特異な存在。
「うふ、そんな顔しないで。安心して? ボクは知っているから」
 これから沢山出逢わなければならないだろう、嘘や欺瞞、見たくも聞きたくもない負の要素――でも、きっと大丈夫。
 毅然と最期に臨んだ、かの気高き王妃のように、ソーニャはソニアへ厳かに告げた。
「君の優しさは必ず本当を見つけ出す。そして、それは周りにも本当を見る勇気と優しさを与える」
 あたたかな雰囲気に惹かれて此処へ来たソーニャだから言える。人恋しくて此処へ来て、満たされた彼女だから解るのだ。
 ふいに、ソニアの額に温もりが落ちた。
「君が挫けそうな時はボクがそばにいるよ。ボクが挫けそうな時に君がそばにいるように」
 まるで陽だまりのような――暖かな、キス。
 友達に、なろう。
 ソーニャの言葉にソニアは泣き出しそうな顔で微笑した。もうとっくの昔に友達じゃないですか、と。

●これから
 昼を過ぎても相変わらず、ソニアは編み物を続けている。
「‥‥ん。ソニアは。クリスマスケーキとか。お餅とか。たらふく。食べた?」
「んー、人並にはいただきましたよ? お餅は砂糖醤油が好きです」
 憐に反応しつつ編み針を動かすソニアの手付きを見るともなしに見ている内に、レインウォーカーには編み間違いの瞬間が何となく判るようにもなってきていたが、敢えて指摘せずに世間話を続けていた。
 トランプクッキーを1枚摘んで、彼は言う。
「戦争は終わったけど戦い自体は終わらない。バグアの残党も活動しているしねぇ」
「まだ戦後処理が残っているんですね」
 クッキーを嵌め込んで、戦いは終わらないさとレインウォーカーは微かに皮肉を交えた笑みを浮かべて言った。
 そんな彼の手元を、ラサが食い入るように見つめている。今、彼らはお菓子の家を組み立てているのだった。
「お、お菓子で家が作れるのカ‥‥すごい、のダ‥‥」
 感動! と表情に表して、ラサは目を輝かせている。クグロフと鈴カステラでオブジェを作ってみたり、お手伝いも積極的だ。時折、憐の手により失敗作が一掃されたりパーツが減ったりするのはご愛嬌。
 ラサから小さめのオブジェを1個貰って、レインウォーカーは屋根に取り付けた。煙突になるらしい。
「残党が駆逐された後は昔のようになる‥‥人と人との戦いにねぇ」
 戦いある限り傭兵の需要はある。繰り返されてきた歴史が証明している通り、完全な非戦なんて日は来ない。
 現実を見据え、それはそれで構わないと朱の道化は言った。
「ボクは傭兵として戦い続けるよ。例え能力者でなくなったとしても。それに結局の所、ボクは戦いが好きだからさぁ」
 ずっとこうして生きて来た、それが自分の生き方なのだから。

 そう言えば、とレインウォーカーは悪戯っぽく笑った。
「お前は結局実戦経験ゼロだったなぁ」
「‥‥う」
「ま、お前らしいといえばらしいけどねぇ。それで、これからどうするか考えてるのか?」
 唇を尖らせて固まったソニアは小さく「はい」と頷いて俯いた。
 その様子から察するに、まだ固まり切っていないか少し迷いがあるらしい。憐はソニアを覗き込んで尋ねた。
「‥‥ん。ソニアは。将来。こうなりたいとか。こうありたいとかの。ビジョン。指針って。あるの?」
「そうですね‥‥ところで師匠は、どうなさるんです?」
「‥‥ん。私は。依頼が。ある限り。今まで通り。世界中を。巡るよ。食べ物。依頼が。ある限り」
 だけど、能力者が必要とされなくなる日が来る事も想定していると憐は言う。そのために、今まで以上に学園で戦い以外の知識も吸収したいのだ――と。
「‥‥ん。10年。20年。先の。事を。考えて。少し。勉学に。励もうかと。思う」
「皆さん考えておられるのですネ‥‥我輩は‥‥うーん、うーん」
 真剣に考え込むラサの横で、ソニアは「私は‥‥」編みかけのマフラーに指を遊ばせ、小さく息を吸った。
「私は‥‥皆さんの、能力者のお役に立ちたいです」
 バグアを退けた今、エミタを宿す能力者の必要性は無くなってゆくかもしれない。
 しかし未だ戦い続ける能力者達がいる。前線で戦う彼らの為に、自分にできる事を考えたい――そう、ソニアは言った。
「まだ‥‥詳しく考えてはいないのですけれど‥‥」
「いいんじゃないか。それがお前の選んだ答えなら」
「‥‥ん。ソニアは。最初に。会った。時に。比べて。変わったね。ちゃんと。自分の。意思が。存在してる」
 入学当初を思い出し、憐は頷いた。何をして良いか分からないと混乱していたあの頃の、ソニアの姿が懐かしいほどに。
 あれから2年半――決して一人前ではないけれど彼女なりに成長したと、当時を知る者達は、そう思うのだ。

●お菓子の家
 やがて。
「こんなに綺麗だと食べるのがもったいないのダ‥‥」
 完成したお菓子の家をうっとり見つめてラサは呟いた。
 確かに、すぐに崩して食べてしまうのは、あまりにも惜しい。だから皆は同じ事を考えて――
「喜んでくれるといいですネ」
「きっと伝わりますよ。さ、消灯しますよ」
 すっかり無人になった食堂を、最後の数人が立ち去ろうとしていた。
 翌朝、出勤した職員は見つけるだろう。板チョコに感謝の言葉が刻まれたお菓子の家を。

 ところで、とレインウォーカーはソニアの鞄を指差した。
「誰に編んでたのか、聞いてなかったなぁ?」
 そう言えばお教えするタイミング逃してましたねとソニアは軽く笑って、級友に贈るのだと答えた。
 依頼に出ずっぱりで何かと厄介事を押し付けられた相手が、春にはカンパネラを去るのだと言う。正式に軍所属となり前線に立ち続けるそうだ。
「レインさん達と同じ‥‥ずっとこの先も能力者を続けるんですよ」
 寒い地域へ配属される事があるかもしれないから、餞別代わりにマフラーを編んでいるのだとソニア。白を選んだのは彼女にきっと似合うからだと言って微笑んだ。
「いい友達に逢えたんだなぁ‥‥と、ああ、そうだ。ボクも言い忘れるところだった」
「何です?」
 レインウォーカーは微かに優しく笑んで、『本当の名前』をソニアに教えてくれた。
 その瞬間ソニアの脳裏に厳しくも優しい紅の大地が広がったのは、彼女の読書傾向に拠るものだろう。それが正しい解釈かどうかは判らない、しかしソニアには彼の本当の名前が、とても似つかわしいものに思えてならなかった。
「これがボクの本当の、そして大切な名前だ。覚えてくれたら嬉しいねぇ」
 勿論です、とソニアは頷いたのだった。