●リプレイ本文
●出航の夜
シトシトと雨が降り始めていた。潮風が冷たい。
回天丸の艦橋の上に登った伊佐美 希明(
ga0214)は北に視線を向ける。灯りが少なく薄暗い工場群の向こう側に市街地の灯火が輝いて見えた。だが、静かな筈の夜は汽笛とサイレンの音でかき乱されている。
「私らは間違ってたのかな‥‥」
視線を太平洋側に向けると、主砲をこちらに向けた護衛艦が進路を阻むように停泊している。
「対応を誤れば攻撃されるかもしれませんね」
夜十字・信人(
ga8235)はそう言うと、サーチライトを照らしながら近づいてくる2隻のコルベット艦を睨む。
「同じものが守りたかった筈なのに、ただの殺虫剤届けるのもこのザマだ」
希明は神妙な顔で呟く。
大量の化学剤を買い付けた事実はすぐに治安組織に知る所となり、行き先が中立地帯である事から様々な憶測が飛び交っていた。
「ボクたちを調べるつもりなんだね」
柊 理(
ga8731)はダウンジャケットの衿を立てると弱々しく呟く。
まもなく2隻のコルベット艦が回天丸の両側面をが押さえると歩み板が架けられ、小銃に防弾アーマーで武装した黒ずくめの兵隊がドカドカと乗り込んでくる。人数は100人ほど。甲鉄隊と呼ばれる部隊らしい。
手際よく船内の要所を押さえた兵士達は無線で連絡を取り合いながら、
「急げ! こっちだ!」
などと大声をあげつつ、乗組員を船倉へ集めて行く。
煉条トヲイ(
ga0236)は実力行使での強行突破は避けたいと考えていたが、出港直後の湾内で動きを止められるとまでは予想していなかった。
全員が集められた船倉には拷問器具が目につくように設置され金属の輪っかがライトに照らされて不気味に輝いていた。
「私が少佐の中島四郎だ。君たちには暴力的破壊活動を画策しているとの嫌疑が掛かってる」
(「そんなことない」)
クラウディア・マリウス(
ga6559)の表情が曇る。
「だって、困ってる人がいるんだよ? この荷物を届けることが、何で暴力的破壊活動になるのですか!」
クラウディアは正面を見据えるとハッキリとした声で訴える。中島はその真摯な瞳を値踏みするように見返すと、フンと鼻をならす。
「きゃあっ!」
刹那、黒尽くめの隊員が、3人掛かりでクラウディアをうつ伏せに倒すと後ろ手に拘束する。
「なにをする! ひどい事するな!」
突然の乱暴な行為に柚井 ソラ(
ga0187)は怒りを込めて兵士を突き飛ばす。
「ソラ君待って! 人間同士で争うなんて、悲しすぎるよっ」
中島は再びフンと鼻を鳴らすと、その小僧から痛めつけてやれと指示を出す。
「俺たちは貴方たちをどうこうしたいわけじゃないんです!」
ソラは後ろ手を押さえられたまま訴える。
実力で言えば腕を押さえている兵士を振りほどく事は容易く、指揮官に襲いかかる事もできただろう。
だが、ここに居る能力者の多くが己の持つ牙を隠したまま穏便に事を乗り切る道を探している。
ここで戦えば任務が達成できないばかりか、大きな犠牲が出る事を理解していたからだ。
そして、港の外では護衛艦が砲の照準をこちらに合わせている。さらに両舷はコルベット艦に押さえられてる。
「待て! 旧型の水中KVも乗せてはいるが、キメラやワームを警戒しての最低限の備えだ。気に入らないなら、差し押さえてもいい。私達は殺虫剤が無事届けられれば文句は無い」
疑惑を晴らしたいという希明の言葉だったが、中島は船倉の一画に固定されたKVに視線を向けて眉を顰める。
「少佐! こんなものが!」
持ち込まれたのは大口径ガトリング砲。油を染み込ませた布でぐるぐる巻きにされ目立たない場所にワイヤーで固定されていたと隊員は報告している。船内の各所には他にも対ワームのライフル砲等の対キメラの携行装備が隠されていた。
「それは俺のですよ」
状況の悪化を懸念した信人が悪びれもせずに言う。
「これほどの武器を持ち込んでいるとはな」
中島は厭らしい笑みを浮かべると静かな口調で言う。
「思い違いをしてないか? バグアどもに襲われるかもしれないからな、備えは必要じゃないのか?」
そう言うと、煙管に仕込まれた小太刀を取り出してみせる。
「俺たちはドロナワ氏に個人的に雇われた傭兵だ。今回、軍は絡んでおらず、介入をする気は無い」
トヲイも続ける。依頼を受けたに過ぎないと。
「婆さんが首謀者か?」
依頼に問題があるとするならば、追求されるのは依頼主だ。
「やれやれ、まだ素性に気付かないのかい? 鈍感な少佐さんだねぇ。この子達は何も知らないよ」
ドロナワ・マレー(gz0074)は中島に近づくと慇懃な調子で言う。
未知生物対策組織(ULT)は名目上は国際平和維持機構(UPC)の下部組織であるが、実質的には独立した民間企業だ。そして、UPCがULTの全てを把握している訳ではない。
「ラストホープから派遣されてる事ぐらいすぐに分かるさ。戦歴も立派なものだな。‥‥黒幕はULTか?」
「さぁ依頼主の事は言えないな。拷問にでも掛けて聞き出してみるかい?」
中島は気まずそうな表情を見せる。ULTが関与する依頼を妨害すれば大きな問題に発展しかねない。中立政権とは敵対しているが、開戦している訳ではないから。
「俺達の目的はこれを苫小牧まで輸送する事。理由は――今、北海道で発生している蝗害を食い止める為だ」
話の流れが変わった。トヲイは誠実に知っている目的のみを述べる。
実のところULTは関係ないが、相手が勝手に勘違いした事を訂正する義理は無いだろう。
(「穏便に行かせてくれないか?」)
ドロナワは中島にそう囁きながら、名刺を渡すついでに誰にも見えないように金貨を握らせた。
「分かった、ちょっと確認する」
すぐに中島は無線でどこかに連絡を取りはじめる。上官に判断を仰いでいるのだろう。
「積み荷はピレスロイドだ。まぁでかい蚊取り線香を運んでいるのと同じようなもんだな」
ちょっと調べればピレスロイドが何であるかは分かる。信人はどうって事のない積み荷であることを強調する。
無線でのやり取りの後、中島は部隊に撤収命令を下すのだった。
「あんな嘘‥‥大丈夫なのか?」
能見・亮平(
gb9492)は不安な表情を見せる。
「嘘は言っていない。自分からULTの任務とは言ってないし、内容に同意もしていない」
ドロナワは心配ないといった様子で笑う。
交渉や説得とは異なる意見を折衝によって調整することだ。相手の思考を変えようとすれば必ず衝突する。
●三陸沖へ
「貴艦ノ、安全ナル、航海ト、健闘ヲ、祈ル」
さっきまで砲口をこちらに向けていた護衛艦からの発光信号だ。
どうしても伝えたい言葉だったのだろう。去年まではその船が盾の役割を担っていたのだから。
個人の気持ちと組織の都合はしばしば相克する。自分の気持ちだけで生きてゆければどんなにか幸せだろうか。
(「馬鹿馬鹿しいだろ? 宇宙人と戦争をしているのに、人間同士でさ」)
次第に離れて行くかつては味方だった艦影を目で追いながら希明は思う。
(「最後に北海道に来たのが独立する前だったっけ‥‥」)
理はそんな事を思いながら、ブリッジから外に通じる階段を登る。
「よろしくお願いします」
希明にそう声を掛けると理はGooDLuckを発動し双眼鏡を手にする。
「警戒は皆で分担すればいいのかな?」
回天丸の巡航速度は約15ノット。一般的なフェリーより遅い。
仙台から苫小牧まではほぼ一昼夜かかる為、誰かに任せっきりと言う訳には行かない。
「いざという時にすぐ出られなくては意味がないからな」
一方、白鐘剣一郎(
ga0184)はKVの確認にも余念がない。
KVはクレーンで吊上げてから海面に下ろす手順で発進する。5分もあれば出撃できるだろう。
「交代だ」
信人は軍用外套で北風に耐えながら、外に出ると双眼鏡で周囲を見渡してみる。
ブリッジ内からも進路の確認は出来るが、外の方がよく見える事もあるのだ。
●襟裳岬南西海域
未だ襲撃はない。以前であれば、確実にキメラに遭遇している筈だった。
「前方に漁船群です」
理がハキハキした口調で、ブリッジに連絡をいれる。
「面舵、方位2−9−5に進路変更」
漁の最中の船団のなかを突っ切るわけにも行かない。
「2隻近づいてきます」
「おいおい40ノット近くでてるんじゃないか?」
理の言葉に希明が続ける。そんな速い漁船がある筈は無い。双眼鏡を覗いてみると黒尽くめの人の姿が見える。
「あからさまに怪しいですね」
剣一郎が回避方法を案ずるが低速な輸送船が振り切れる速度ではない。KVを出撃させれば牽制する事は可能だが、それでは事を荒立ててしまう。
前方からやって来た2隻の不審船は、先導してやろうと無線で一方的に言い、急速に近づいてくる。
不審船が目と鼻の先に到着して間もなく、船体が揺れた。
「スクリューになにか絡み付きました! 推進機停止」
そんな声が船全体に響く。スクリューを止めた船は慣性だけで進み続ける。
「やはり、そうは問屋が下ろしてはくれない‥‥か。
「海賊ですか、ちょうど良い。此処で話をつけておくのも手です。なに?」
トヲイの言葉に信人が続ける。不審船は間近にまで近づいる。
刹那、黒づくめの戦闘員が凄まじい跳躍力で甲板に飛び乗って来た。
続いて後ろからハーピが続々と現れる。不審船の中に隠されていたらしい。
瞬間、2体のハーピーが花火のように爆発した。希明がライフルを放ったのだ。
「天都神影流・虚空閃っ」
続けて、剣一郎の放った剣圧がハーピーを真っ二つに切り裂く。
さらに、ソラが放った弓矢がキメラの頭部を粉々に砕く。
黒尽くめの戦闘員の後ろから木っ端微塵に砕け散ったハーピーの肉片と体液がバラバラと降る。
「‥‥おとなしく、え?」
リーダーらしき人物が銃を空に向けたままのポーズで呆然としている。
最後に残っていたハーピーもトヲイが戦闘員の目の前で爪を振るうと2つの肉塊に変わり果ててべちゃりと甲板の上に落ちる。
海賊が連れて来たハーピーは、海賊が言いかけた台詞を言い終わる前に全滅してしまった。
予想外の展開に気まずそうな雰囲気を漂わせている。
「今は‥‥立場の違いだけの理由で、牙を剥き合ってる場合じゃないと思うのです」
ソラは静かに、問いつめるでも無く、責める訳でもなく、どこかおっとりと、寝ぼけたようなほやほやした口調で語りかける。
「ひいいッ!」
圧倒的な戦闘力を見せられて、海賊の戦意は消え失せていた。
「積み荷はピレスロイド‥‥殺虫剤だ。俺達の目的はこれを苫小牧まで輸送する事。理由は――今、北海道で発生している蝗害を食い止める為だ」
トヲイはそう言いながら海賊の一人に近づいてゆく。
「君たちがもし自分だけが良ければいい、との考えでないのなら。帯広や千歳の惨状の只中に居る人々を思えるのなら、一緒に来てみないか?」
2隻の不審船は戦闘員達を置き去りにしたまま逃げ出していた。
帰る所を失った海賊に理は提案してみる。
海賊が強化人間なのか装備によって身体能力を向上させているのかは分からないが、普通に怯えている所を見ると、洗脳されて居る訳ではない事だけは確かだ。
「私は少なくとも、人を救いたくて能力者になった。‥‥お前達はどうなんだよ。何が一番大事なんだ、守りたいんだ? 大事なものを守ると決めたら、手段なんか選んでられねぇだろ」
「ああ、手段なんて選んでられねぇな」
希明の言葉に戦闘員のリーダーはそう言葉を返すと、ヘルメットを外す。意外な事に中身は50歳に手が届きそうな婦人だった。
海賊のリーダはさらに続ける。住んでいる場所がたまたまバグア地域になっただけだ。自分等は能力者なんかにはなれないし、家や仕事を捨てて移住する事もできない。
「困ってる人を助ける‥‥じゃだめなんですか? 少しでも良くなるならやらなきゃダメなんです」
余計な事を言うつもりは無かったが、クラウディアはそう語りかけた。
確かに全ての人を助ける事はできないと理も思う。善意の押しつけとなってもやるべきことはある筈だ。
●苫小牧へ
「さぁ先を急ごう」
剣一郎は頼むぞと声を掛けると、クレーンで2機のテンタクルスを下ろす。水中に潜るとソラと亮平はスクリューに絡み付いたワイヤーの除去を開始する。
「結構細かい作業もできるのだな」
亮平はテンタクルスの指を器用に操り絡んだワイヤーをほどいてゆく。
能力者には特別な経験はなくてもエミタに搭載されているAIのサポートで様々なことが出来るのだ。
テンタくんは大好きな子と豪語するソラもそんな亮平の様子を楽しそうに見ている。兵器であるKVにもこんな芸当ができるものなのだと。何よりも誰も傷つかず苫小牧に向かえそうな事が心を軽くしていた。
7時間後。予定より少し遅れたが、船は苫小牧港に到着した。
「普通の街と全然変わらないのだな」
苫小牧は中立政権の本拠地となっており、実質的な首都としての機能を持った事で活況を呈している。
だが、かつては食糧自給率190%と算出された北海道の生産力がどれほど低下しているかは不明だ。
「餓死者ばかりの地域は、地獄だったよ。誰一人として、あんな死体にさせてたまるものか」
身体に蓄えられた脂肪と筋肉を使い切っての死がどれほど惨たらしいものであるかを信人は知っていた。
苫小牧には北海道から脱出を目論む人達も流入していた。そして多くの人が船にも乗れずに留まっていた。
「できたての国じゃ、こんな所まで手は回らないんだよ」
「親バグア派の手の者か?」
剣一郎が声のする方に視線を向けると、そこにはツインテールに眼鏡の女の子が居た。深紅のドレスに金髪の。
「リリアン! なんでこんな所に?」
希明は吹き出しそうになりながらもライフルを構える。
「この程度の変装じゃ、ばれちゃうみたいだね」
リリアンは掛けていた眼鏡を正面に投げ捨てると、そのままの指差して言う。
「構わないよ。撃ってみなよ。あんたらにできるのはそれを振り回して不幸を増やす事じゃないのか?」
「リリアンもこれ以上の被害は困るんじゃないか?」
トヲイが話題に割って入る。リリアンは一瞬、眉を顰めると、
「ふふ、余計な事を喋るな。ふふ、あんたらの社会が誰の為ものだか考えてみるんだね」
リリアンは話をすり替えているだけに過ぎない。バグアは間違いなく人類社会にとっての絶対悪だ。
だが、社会からはみ出たものの末路を知るものにとっては、リリアンの言葉は麻薬になりうるだろう。
「だまされるな! ヨリシロは単純な欲求を最優先するからな。ただ、それだけだ」
希明がそれを言い終える前にリリアンの姿は目の前で消えてしまった。