●リプレイ本文
●蟹
「守るべきものはこの地球であり‥‥多くの力なき人々なんだよね」
蒼河 拓人(
gb2873)は心に刻むように言うと、目の前にある自分の故郷や家族をそのままにしておけない兵士たちの思いと全体の戦いをコントロールしなければならない群の両方に思いを巡らせる。
「独立か。形に拘らずに信念を貫いた結果がそれか。住民を見捨てれなかった気持ちはよくわかる」
赤崎羽矢子(
gb2140)は手元の貫通弾の数を確認しながら、箱田CEOの方を見る。
一か八かの交渉には多くの人の命がかかっている。槍を手にした箱田の表情は固く近寄りがたい雰囲気が漂っていた。
「大西の旦那はやっぱり‥‥?」
伊佐美 希明(
ga0214)が先日の戦い以来、行方不明となっている大西少将の安否を問うと、箱田は黙って首を横に振る。
「交渉するために力と知恵を示せか、単純だが嫌いじゃない思考だ」
時任 絃也(
ga0983)の言葉に同意を示す箱田に、羽矢子が交渉こそが貴方のやるべき仕事だと釘を刺す。
ドーム内のフィールドには既に水がたっぷりと張られていた。開閉式の天井は閉ざされているものの、気温は野外とあまり変わらない。張られた水の中には赤黒く饅頭のように丸く、表面がすべすべした蟹が佇んでいる。
「水は苦手なんだけどなぁ‥‥、だが、蟹か‥‥。焼蟹‥‥ 茹蟹‥‥。うむ、実に旨そうだ」
希明は蟹の姿を発見すると不安な気持ちを振り払わんと呟きながら、雷の力を帯びた弾頭矢を選ぶと、水の中に足を踏みいれる。
「冷てぇ!」
「すごく‥‥冷たいの」
水温は気にしなければ戦いに支障をきたす程ではないが、注意が必要なものである。
終夜・朔(
ga9003)は冷たさに驚いた尻尾を逆立てたまま、とっぷりと水に浸かったパンプスに悲しげな視線を一瞬だけ向けると、
「朔‥‥頑張るの」
静かな表情でつぶやき、前を向き直し決意を新たにする。
「確かに、敵は1体だけ。距離は100mちょっとぐらいでしょうか?」
直江 夢理(
gb3361)は囮として蟹キメラとの距離を詰めてゆく。いざというときはミカエルの装甲が護ってくれる自信があった。
「なかなか動き出しませんね」
三田 好子(
ga4192)は動きを見せない蟹キメラにやきもきしながらも、練成弱体を有効に発動するために慎重に距離を目測する。回復手段をもつ彼女の存在は大きく、その重要性を理解した箱田も槍を構える。
「さぁって、観客に蟹味噌ぶちまけて見せようじゃないか」
間もなく敵を射程に収めることができる。クルメタルP−38のグリップを握る秋月 九蔵(
gb1711)の手にも力が入る。
「‥‥えっ!」
先頭に位置する夢理と朔が蟹キメラまでおよそ30mほどに近づき、夢理が竜の翼を発動させた瞬間、蟹キメラは凄まじい速さで横歩きをみせると、夢理ではなく朔に向かって鋏を振るう。
「朔さん!」
ロエティシアの爪刃に当たった蟹の鋏が、嫌な音を立て火花を散らす。辛うじて攻撃を受け流した朔であったが、肩への重い衝撃が痛みとなって残った。
「危ない‥‥の」
射撃武器を持った者達が一斉に得物を構えた瞬間、大波となった大量の水が全身に浴びせ掛けられた。
「ぶあっ!」
水の飛沫に細かな狙いが定まらず、攻撃の連係がかき乱される中、好子は落ち着いて敵を見据え、練成弱体のスキルを発動させる。
「これじゃだめだ!」
拓人と朔は前衛と後衛を切り替える規則的な攻撃は現実的ではないことを知る。
実際、水場での移動が得意な蟹キメラはやすやすと前衛と後衛の間に侵入してくる。
「ごちゃごちゃ言ってる暇があったら動け!」
希明の咆哮に続いて、稲光を帯びた爆発が蟹キメラの顔部を包む。間髪を入れずに希明は次の矢を番えて放つ。即射のスキルである。痛打を受け、怒りで我を忘れた蟹キメラは多量の泡を吐き出し、鋏を振り回す。
蟹キメラの激しい動きを好機と判断した羽矢子は振り上げられた鋏の付け根を狙ってエナジーガンを放つ。だが、それは激しく動く鋏の先端に命中するに留まる。
実際、身体を狙えば確実なダメージを重ねられる可能性が高かったが、次に控える新たな敵の予感に、多くの者が一撃の重さにこだわり部位を狙ったことが戦闘の能率を下げていた。
泡の広がりを懸念しながら絃也が射撃を加えると、弾丸は泡を突き抜けて、蟹キメラの体表に傷を刻む。
やられるだけに見えた蟹キメラは両の刃を、羽矢子へ突き出した。瞬間、朔が疾風脚を発動させると両者の間に割って入る。辛うじて直撃を避けた羽矢子だったが、振るわれた巨大な鋏の重圧に2人とも無傷では済まなかった。
だが、蟹キメラの猛攻はこれが最後だった。
圧倒的な火力と手数を擁する能力者たちに対して、強固な防御力を誇る蟹キメラも長く持ちこたえるはずはない。
「あら、自分がやられる側になるとは思わなかったですか♪?」
好子の放った凄まじい威力の電磁波の渦が蟹キメラを捉えた瞬間、腹部に閃光が走り、蠢かせていた2つの鋏が水面を叩きズシャーン!! と音が響いた。
●虎
「あんたたちの戦い、観せてもらってるからね」
黄金色に輝く髪のひと房に指先を絡めリリアン・ドースン(gz0110)は遥か頭上の部屋から無邪気に語りかける。
リリアンの言葉に悪意は微塵も無く、好子の傷の治療を行いたいという申し出も拒まない。
羽矢子は自分たちの力を見せつけることで、交渉が有利に運べばと考えていたが、ここまでの戦いは圧倒的勝利であるとは言い難かった。
一行のダメージが各々が持ち込んだ救急セットや好子の錬成治療によって癒されて行く間、水の引いたフィールドは、適度に乾いた芝の地面へと切り替えられてゆく。
「まったく好き勝手いいやがる」
絃也は視線の先に金色に輝く虎を捉えると、皮肉を込めて呟き、持ち替えた得物を構える。
「いつ此方に飛び掛って来るか分からないので気が抜けませんね」
包囲すれば飛び越えられ、固まれば自在な攻撃を許す可能性があると、好子は一抹の不安を感じていた。
戦いが始まると、一行は即座に連携が取れる自分の間合いを気にしながら慎重に歩を進めた。
やや前方を羽矢子と絃也が進み、さらに、その先を一人突出した夢理が虎キメラに近づいてゆく。
「閃光手榴弾はいります!!」
一帯に良く響く声を上げて、夢理が駆けると、虎キメラも地面の芝を散らしながら、彼女の左側面に回り込むように肉薄し、大きな白い牙の生え揃った顎を開いた。瞬間、閃光手榴弾が起爆し、激しい爆音と閃光とがフィールドを包む。
「今だ! つっこめっ!」
だが、閃光に警戒しやや間を開けていた一行と獣との距離は少し開き過ぎている。
拓人が、むう、と短く唸った瞬間、虎キメラに喰らいつかれた夢理の身体が宙を舞い赤い飛沫をまき散らす。だが、竜の鱗の力を流し込まれたアーマーは深手を生まぬように夢理の身を護ってくれた。
「夢理!」
叫んだ希明の矢が目にも留まらぬ速度で虎キメラに命中すると、凄まじい爆発を呼び体液を弾けさせた。
瞬間、ダメージに驚いた虎キメラは宙高く舞い上がり、陣形の中央部へと割り込んできた。
だが、好子は目の前に現れた敵に、落ち着いて錬成弱体を発動させた。
「サイエンティストの戦いとはこういう事なのです!」
そのとき好子の視線が僅かな間、虎キメラと瞳と重なった。走馬燈にように平和だった頃の北海道の想い出が浮かび‥‥次の瞬間、獣の強靱な前脚が振り下ろされた。
「観念するの」
だが、朔が繰り出す爪刃から刻まれた筋が虎キメラの腹部を赤く染める。
さらに、絃也の拳が的確に獣の弱点を突き、目にもとまらぬ早さで振るわれたエクリュの爪刃は前脚に深い破壊の痕を刻む。
怒り狂った虎キメラは、さらに攻撃を画策する絃也の無防備な腹部を圧倒的な重量を乗せた爪の一刺しで貫くとそのまま振り飛ばし、素早い足捌きで傭兵達の陣の中央部から外周部へと回り込む。
膝を突く絃也。傷口から肉と臓腑の欠片の交じった血がどくどくと流れ出た。苦痛に目の前が真っ赤に染まる。
「誰も死なせません! もう誰も!」
好子が祈りを込めて錬成治療を施すも、もはや絃也が戦い続けることは出来そうも無かった。
「木々の間を飛び回るハミングバードの機動力を舐めるんじゃないよ!」
戦いの行方に不吉な暗雲が掛かった刹那、風が吹いた。敵の側面に、最良のタイミングで回り込んだ羽矢子が、細身の刃からの横薙ぎの一閃を加えた。そして続けての一撃が前脚の関節を捉え、瞬間、虎キメラの前足が宙を舞った。
咆哮を上げ3本足でよろよろと立つ手負いの獣に一気に勝負を掛ける一行。
「みなさん、一気に行きましょう!」
統制された動きにこだわり続けた拓人が声を掛けると、各々が繰り出す攻撃が身動きの取れない虎キメラに集中する。
爆煙に包まれ、全身に無数の傷を刻まれる様子に一行は虎キメラの死を、戦闘の終わりを確信した。
●交渉
拓人は軽く一礼の後、顔を上げると持ち込んだザッハトルテとココアを差し出す。
「喩え敵だとしても、こういう場で礼節を欠くのはやっぱり違うと思うしね」
リリアンはご機嫌な様子で微笑んでおり、彼女の手前には武人といった雰囲気の男が立っており、ハルゼイと名乗ると、持ち込まれた贈り物を一通り受け取ると、ゆっくりとした口調で話を切り出した。
「話したいこととはなんだ?」
「石狩共和国がUPCとバグアの緩衝地帯となる事は、双方にメリットがある筈――」
発言の許しに、最初に夢理が口を開いたのに続き、箱田CEOは己が石狩平野の人類勢力の代表であると告げる。
(「今すぐにでも貴様らをここから追い出したい」)
そんな形相で睨む希明の視線にハルゼイはすかさず釘を刺す。
「なにか言いたいことがあるのかな?」
「い、いや別に」
突然の振りを意外に思うも、穏やかに進む会話に水を差すまいと、希明は怒りを心の内に秘めたまま下を向く。
(「この子が‥‥みんなが前に‥‥戦ったって言う敵なの」)
朔は、テーブルの角に隠れるように顔を出しリリアンを見つめる。
「他には何か?」
ハルゼイはそんな朔の様子にも目を配りながら、会談を進めてゆく。
「正直、ステアー搭乗者がいて拮抗しているようでは戦争が得意な種族ではないようですし。宇宙で活動できるなら生物由来の資源以外はそこまで貴重‥‥」
「わたくし、あなたの考えたお話なんて聞きたくありませんわ」
うんうんと聞いていたリリアンがくすくすと笑みを浮かべて好子の言葉を遮るように言葉を発した。
「知りたがりさんなんだね」
好子の額に汗が流れる。
リリアンは笑顔で平板な胸に指を当てると、可笑しげに肩を揺らした。
「石狩を落としても、本州には無傷のUPC軍が控えてる事をお忘れなく」
「わたくし、戦われているみなさまのことには、きちんと目をむけているつもりですよ」
日本各地で消耗を続けるUPC軍の事実を知るリリアンは、そんなことをわざわざ指摘する気もしなかった。
(「ば、ばれているよ」)
リリアンの発言に羽矢子は背筋にいやな汗が流れるのを感じた。相手が知らない事実であれば、ハッタリも効いたかも知れない。だが、知っている相手に対してのハッタリは無謀である。
「援軍を得れねばこのまま共倒れだぞ、人相手にお前さんはこれを是とするのか?」
リリアンの様子に気づかずに絃也がそう言った刹那、リリアンは林檎ジュースの入ったグラスを空にして、
「それでも、よろしくってよ」
軽く応えると、絃也へと微笑みを向ける。沈黙が場を支配した。
このままでは戦いが継続されてしまう。箱田が交渉を続ける糸口を探そうとするも、間もなくハルゼイが会談の終了を意味する言葉を告げた。
終わってしまった。形容しがたい脱力感が漂うなか、九蔵が口を開いた。
「ああ、そうだ、もしわたしがアメリカで出会った強化人間と会う機会があれば、九蔵がよろしく言っていたと伝えてください」
特に深い意味はなかったのかもしれない。だが、リリアンが興味を示してしまった。
「九蔵で、よろしくて? それならあんたを送り届けてあげてもよろしくてよ」
「送り‥‥届ける?」
予期せぬ返答。リリアンの発言の意味を理解しないまま九蔵が返す言葉を考えていると、リリアンが大輪の花の如き笑みを浮かべる。
次の瞬間、床から這い上がってきた無数の金属質の触手が身体を引き千切らんほどの力で九蔵を絞めつける。そして、触手の先端は捕らえた獲物を食い千切らんと身体の弱い部分へと襲いかかる。
「なっ‥‥ぐっ‥‥このっ‥‥やあああぁ!」
「なにをする! デコ助! たった今から、アンタは私の獲物だ!」
突然の残虐な行為に希明は反射的に矢を番える。瞬間、ばきんと爆ぜるような音が耳元で鳴り響き、何が起こったか分からないまま意識が朦朧としてゆく。
「き、汚ねぇ‥‥」
「やめてください! 何を考えているのですか? あなたには愛はないのですか?」
夢理がどうして良いか分からずに叫ぶ。
「‥‥どうして、僕が」
「しっかりして! 絶対に助けます!」
黒い瞳が血で赤く濡れ、訳が分からないと視線が宙を泳ぎはじめた九蔵に好子が懸命に錬成治療を施す。
「――これは必要なことだよ?」
不運にも九蔵の口にした者をリリアンは知っていた。そして、その者がバグアでなければ、このような事にはならなかったかも知れない。
「絶対に護って見せます!」
夢理には暴虐を防ぐ手だてはなにひとつ無かった。
だが、そう言って仁王立ちする夢理に向かってリリアンは屈託のない笑みを向けた。
「緑の髪の人、お気をわるくなさらないでね」
リリアンが言うと触手は床下に消えた。
(「この子が、赤い魔女の名を持つバグア‥‥」)
言葉は通じているのに、かみ合わないリリアンとの会話に羽矢子は複雑としかいえない感情しか見いだせなかった。
よくよく考えると、リリアンは終始、機嫌がよかった。
「すきにしてみたら? 次にお会いできる日があれば楽しみにしているよ」
最後にリリアンが発した言葉は曖昧で捉え所が無い。
ただ一つ分かることは、今回の戦いはリリアンにとってお気に召す部分があったらしい事。
もし、次の機会があるとすれば、リリアンは何を言ってくるのだろうか?
理解できない思考に大きな不安を抱きながらも、箱田と傭兵達の一行は交渉の場と後にした。