●リプレイ本文
●モノトーンの世界へ
空に垂れ込める雲に色彩を抜き取られたような風景が広がる。街も山々も白く雪に覆われ、北方に広がる津軽海峡は墨色で遠く函館方面は海面から湧き上がる霧で霞み陸地の影を見ることはできない。
「何がどうなっているかさっぱりだ」
地図に記された記号を頼りに空中から見える目的地を確認すると木場・純平(
ga3277)は窓外に視線を移す。
市街の一画に輪郭線がぼやけた巨大な白いドーム状の塊が見える。問題の霧の塊である。
「‥‥つかささん、巻き込まれてなければ良いんだけど」
下北の地で立て続けに起こるキメラ禍、不吉な予感を感じたヴァシュカ(
ga7064)は呟く。
ノイズの混じる短波ラジオからは行方不明者の氏名と被災地域周辺からの避難命令が読み上げられていた。淡々と伝えられる数百名の名前の中には九重・つかさ(gz0161)の名も含まれていた。
「今回は予告はなしだった、か」
嵐 一人(
gb1968)が意味ありげに呟く。
「ああみえて、なにか秘密を抱えているようだしな‥‥嫌な予感はする」
つかさにキメラ出現への関連があったとすれば、彼女がバグア側の工作員の可能性が高いと考えるのが自然であり、他の理由を推測する情報は誰も持っていない。
「‥‥後で九重に聞いてみるか」
任務が終われば、にゃんこ神社に寄るぐらいの余裕はあるだろう。
霧塊の周囲を取り囲む形で軍は警戒しており、一行を乗せた高速飛行艇は霧の内部に通じるバイパス道路上、臨時ヘリポートに着陸する。
霧は半径2kmまで広がって以来、外見の変化は無いという。中では事故車両が道を塞ぎ、蜘蛛型のキメラが徘徊している。見通しの悪さと障害物の為、徒歩でしか進めない。
(「不味いな‥‥」)
間近でみると霧は壁のように見上げる事のできるほどの偉容であり濃さであった。
「‥‥立て続けに発生するキメラによる襲撃事件。偶然では無く、何者かによる意図を感じるが‥‥」
「三流のやり方ですね‥‥。強硬手段に出るということは、いよいよ相手も手詰まりしてきた‥‥ということかもしれません」
煉条トヲイ(
ga0236)は繰り返される事件に共通の背景は無いかと呟く。真田 音夢(
ga8265)が予測を加えて言葉を続け、僅かな表情の変化を見せる。
2kmといえば一般人が歩いても30分掛からない。だが、キメラ出現のスーパー釜喜からの電話通報を最後に携帯電話や無線も含めあらゆる連絡が出来なくなっていた。それが人為によるものか単にキメラの影響であるかを調べる事が敵の意図を解く鍵であった。
(「力を合わせればなんとかなる」)
綿貫 衛司(
ga0056)は霧の外に顔を向け覚悟を決めた表情を見せると、自分の肩にケミカルライト貼り付ける。
霧の壁の中に入ってゆくと、湿り気を帯びた空気が全身に纏わりつく。気温が低いせいか髪の毛の先に付着した霧がわずかに凍る。霧の内部は見渡す限りの白い空間、伸ばした手先が見えないくらいの、恐ろしく深い霧。
「駄目みたいね」
衛司と同じくケミカルライトを用意したヴァシュカが肩を竦める。ホビーグッズに過ぎないそれは光が弱すぎた。
「目を塞がれた状態で取り残された人達は凄く不安だろう。一刻でも早く助けなければ」
翡焔・東雲(
gb2615)がランタンに火を灯すと周囲がぼんやりと明るくなる。気持ち先に進み易くなった。
「それじゃ出発にゃ〜」
アヤカ(
ga4624)は顎の下を懐中電灯で照らして、顔に光と影のコントラストを作って見せるとはにかんで言う。
「俺は先頭に立とう。体力には自信があるからね」
「出来れば走って行きたい所だが‥‥逸れたり、道を間違えたりしては元も子も無いしな」
純平が先頭を歩くことを申し出るとトヲイも並んで前を進む。
地面の冷たさが靴底から上ってくる。この異常な空間では地面の感覚が現実の世界と傭兵達を繋ぐ証だった。
●道程
霧の中に入って間もなく、列の最後部を歩く東雲の右腕にひんやりと湿った感覚が走った。
粘ついた何かが纏わりついていた。
「やだぁっ、こっち来るなぁっ。蜘蛛が一番苦手なんだよぉ」
東雲は切れ気味に赤い刃を振るうと蜘蛛キメラの脚を切り飛ばした。続けて振り下ろした刃が偶然に8つの目の中央付近を切り裂くと脆くもそれは頽れた。
「それにしても‥‥前後に人がいるはずなんだけど」
規則的に吹かれた呼笛の音が霧中に響き渡った。頭では仲間が居る事は分かっている。それでもヴァシュカは呼笛を吹かずには居られなかった。まもなく前後から笛の音が返される。
「だいじょうぶ‥‥です」
音夢の静かな声がする。視覚を聴覚で補完する判断は正しかった。6人が呼笛を用意する事となった傭兵達は結果的に全員が感覚を正常に保つ事が出来た。さらにAU−KVの距離メータやSASウォッチ、方位磁石と客観的に状況を確認する手段が整えられていた。
「おーっ! これも光るみたいにゃ! さっさと終わらせて、この鬱陶しい霧を何とかするニャ!」
「結構、なんとかなるものだな‥‥あ、あぶねぇっ!」
アヤカが蛍光灯のように光を発する莫邪宝剣を振り回しながら言うと、隣を歩いていた一人が宥めるよう言葉を返す。ちょっと試して見たかっただけとの事だったが、アヤカの前向きな明るさが沈み始めていた皆の心を少し和ませた。
「人はパンのみに生きるにあらずか‥‥」
誰かが何かに気づいたように呟いた。多くの人は目的のための行為や自身の価値観のために行動する。
外敵に対して団結した人間は強い。だが、その敵意が身内に向けられたとき、冷静な判断を失った人間は弱い。
一行は黙々とペースを乱さないように歩き続ける。30分に満たない時間の間にも襲撃は頻繁で相当数の蜘蛛キメラが居ることは間違いなかった。
「なんだ?」
トヲイが頭上で何かが点滅する気配に気づく。信号機である。
「ここを右折ですね」
ヴァシュカの声が響く。あと300m程進めば目標周辺に到着できる筈である。
前を歩く純平の足下でパリパリと霜が潰れるような音がする。
弾力のある蜘蛛の糸に針状に結晶化した氷が付着していた。
糸が張られてから誰も通っていないせいか‥‥そんなことを考えた瞬間、氷に覆われた糸からするすると何かが移動するような振動が伝わってくる。
「来るぞ!」
周囲からわさわさと蠢く気配が次第に膨らむ。
「ごめんなさい‥‥。苦しまずに‥‥逝かせてあげるのが、せめてもの情け」
音夢は蜘蛛糸を吐きかけられながらも、糸から伝わる振動を頼りに位置を定めると、繊細な体躯に秘められた破壊の力を発動させ、トルネードが生み出した空気の渦が粘つく蜘蛛の糸もろとも敵を巻き込んで空高く放り上げ地面に叩きつけた。
更なる敵意が周囲に満ちる。無数の蜘蛛キメラが周囲に集まってきていた。
「さんざ好き勝手やりやがったツケは纏めて払ってもらうぜ!」
「いや、みんな離れるな!」
近づく敵を叩き斬り、さらに踏み込んで攻撃を繰り出そうという一人を止める声がした。
8人の各々が背中合わせの形で周囲を取り囲んだ蜘蛛キメラを効率よく葬り去ってゆく。数分を待たずして一帯は破壊された蜘蛛キメラの残骸でいっぱいになった。
「迎撃のみに留めましょう!」
戦闘力の差を思い知ったのか、それとも倒されてしまったのか。周囲の殺気は次第に薄くなってくる。
戦いが落ち着くと、ここで襲われた人たちの物だと思われる遺留品がキメラの残骸に混じって散らばっている事に誰ともなく気づいた。片方だけの靴、帽子、鞄‥‥。
そして、東雲が倒れた路線バスの一角にランタンをかざすと乗降口に蜘蛛糸に包まれた人体が張り付いていた。
「‥‥酷い」
刹那、死体だと思っていた人体が口を開いた。
「た、たすけて」
霧の中で出会った初めての生存者。糸と霜で固まりを剥ぎ取るとその人は人形のように倒れ込む。
寒さと恐怖で衰弱しきっていた。
救援来たるの希望にバスの中に囚われていた生存者たちが次々と絞るように救いを乞う声をあげる。
蜘蛛に襲われ、霧中に留め置かれている者はまだまだ居るだろう。
生存者の可能性に銃器の使用を控えた衛司をはじめ傭兵達の決断は正しかった。蜘蛛が出現するのは『獲物』がある場所だから。
「この霧を何とかする事が先決だな」
純平はゆっくりと落ち着かせるような口調で言う。拘束から解いても体力を消耗した生存者は自力で歩けない。
「ちゃっちゃとキメラを倒して皆を助けますかねっ!」
先を急がねばならない予感にヴァシュカは霧の壁を真剣な表情で見つめると子供を宥めるように言った。
交差点から先の道には玉突き衝突を起こした車両が道を塞ぐように並ぶ。
●エイとの戦い
「発見しだい攻撃したいところだが、逃がしてしまっては元も子もないな」
半端な攻撃では自分達の到着を教える事にしかならない。純平の懸念はもっともだとトヲイも頷く。
作戦は囮がエイの注意を惹きつけ包囲して退路を断つというものだった。
「もう着いているはずなのですが」
ヴァシュカが駐車場への入口の看板をカンテラで照らすと確かに『スーパー釜喜』と書かれている。
「来んなっつってんだろ! おらぁ!」
半ば切れ気味に東雲が刀刃を振るうと軽い手応えの後に敵は容易く崩れた。
「なにがあったにゃ」
霧の流れの異変。鼻腔に流れる僅かな潮の香に予感めいた嫌なものを感じる。
「確かに何かいる‥‥でかいぞ」
2列に並んで進む一行の左上。霧の中を併走する巨大な脈打つ気配。攻撃目標のエイ型キメラだった。
純平はじっくりと様子をみる。突然現れたそれの浮遊高度は2m程。
空を飛べるエイは障害物に関係なく上下を含めたあらゆる方向に自由に移動できる。
高度を上げれば、傭兵たちが追尾する方法は無いに等しく、包囲する具体的な手だても皆無だった。ならば可能な策。全力の攻撃でその場に留めるしかない。
「逃亡されれば発見は困難。最初で最後のチャンスだ‥‥行くぞ!!」
絶対に倒す。
宙に留まるエイ型キメラに向かって地面を踏み込むとトヲイはシュナイザーに自身の持てる必殺の力を重ねる。
霧の壁を裂いて繰り出された刃の筋が弾力のあるエイの皮膚を切り裂いた。
刹那、輝く羽を背に浮かべると一人は地面を蹴る。自分を地に縛り付ける重力が存在しないかのように。次の瞬間にエイの背中に飛び乗ると、足下の柔らかい皮膚に向けて竜の爪の力を込めた散弾を放つ。
無数の穴を穿たれたエイはグモォーと低く長く響く叫びを繰り返す。
身体を激しく上下に波打たせて震わせ飛んで逃げようと暴れ始める。
「逃がしてたまるかよ!」
周囲の状況を的確に窺い知る事はできなかった。振り落とされまいと一人は渾身の力を込めて、散弾で穿たれた粘る穴に指を突っ込むと渾身の力を込めてその場に留まる。
続いて東雲も揺れるエイの後背部に飛び乗る事に成功すると、銃ではなく真っ赤な刀刃を繰り出し、足下に突き立ててそのまま斬り割く。口や鰓があるとするなら身体の下面。目は小さく発見が困難。故に出来る限りの深手を狙ったのだろう。
思わぬ深手、裂かれた尾部から体液が吹き出した。
エイ型キメラは鞭状に伸びた尾を東雲に向かって振り下ろす。
軽く宙を舞う感覚、東雲は地面に叩き落とされる。しかし彼女の腰に付けたランタンが転がり落ちて砕け、ぶちまけられたオイルに炎の帯が広がってゆく。
熱と炎の灯りに向かってトヲイの爪刃が追い討ちを掛けて繰り出される。
「‥‥死んでも逃がさん。このまま黄泉路へと送ってやる‥‥ッ!」
ずぶりと体表を突き破る感覚が腕に伝わると、そのまま構わずに横に裂く。
疲労を感じながらも次撃を繰り出そうとした瞬間、衛司がトヲイの横からざんと深く踏み込む。
敵の後背部に振るわれた直刀の刃は尻尾で受け止められたが、無駄の無い動作で斜めに威力を増幅させながら振り下ろした刃は尻尾の付け根に突き立てられた。
瞬間、鞭状の尻尾が振るわれた勢いで千切れ飛んだ。
(「させんぞ!」)
甚大な力を込めて振った純平のバイルスピアーが音夢に向かって落ちてきた尻尾を弾きとばす。
落下した尻尾が轟音を響かせる。
(「‥‥落とし前はつけてもらいます」)
音夢は心の中で呟く。直後、逆巻いた風が瀕死のエイ型キメラに追い打ちを掛ける。
飛行をコントロールする尻尾を失ったエイは風の渦に抗う事が出来ずに頭部から落下する。
僅かに霧が薄れ始めた。
全容を見せた手負いの敵に容赦のない攻撃が集中する。
間もなく、誰もが分かる形で命を絶った感触が伝わり戦いは終了した。
●救出
霧から解放された視界には異世界ような風景が広がっていた。
樹氷に覆われた木々がモンスターのような奇怪な形状を作り、氷着した霧の水分が針状、或いは羽毛のような構造を見せていた。
それらの中には蜘蛛の糸に包まれた人々、生きている者、既に死んでいる者、足だけ、手だけの者もいた。
上空には救助チームを乗せた輸送ヘリが現れ、本格的な救助活動が開始されたことを告げている。
建物に視線を移すと、正面のガラスが大きく割れていた。ただの商業施設に過ぎないスーパー釜気がキメラの凶刃を防ぎきることは出来なかったのである。
(「‥‥不味いな」)
傭兵達の一行は歩を進める。屋根のある店内は氷結だは免れていたが、天井から壁面に蜘蛛糸が張られ人体が吊り下げられている。
「シェルターもあるはずだ」
絶望的な想像を振り払うように衛司が円の内部に下向きの三角形が3つ描かれた記号を指さす。
『FALLOUT SHELTER』
シェルターを意味する表示である。
「完全に閉まってないみたいにゃ」
アヤカが懐中電灯で地下に続く通路を照らすと半開きの扉が見え、隙間の周囲には幾つかの白い塊があった。
瞬間、扉の奥から飛びかかる影。
「こんなところにまで!」
純平が前に踏み込んで突き出したパイルスピアが蜘蛛キメラを一蹴する。
白い固まりはバールで扉をこじ開けようとしていた男女の姿だと分かった。
人の気配の無い通路を先に進む。奥の二つめの扉があった。
「だれか? いるか?」
コントロールパネルに向かってトヲイが声を掛け、事態の終息を告げると、閂の外れる重い音が響き電動式の扉がゆっくりと開き始める。
「もう大丈夫だぞ」
置き去りにした同胞への罪悪感から人々の表情は暗かった。そのなかに純平はつかさの姿を認める。
意外な場所での再会だった。
広い駐車場では大湊の衛生隊を中心に治療活動が始まっていた。傭兵達も各々に出来る限りの協力をした。
暫くの会話の後、一人はさりげなくつかさに問いを投げた。
「なあ、お前何か隠してることないか?」
「私にもなにか出来ることがあるんじゃないかと思って‥‥」
つかさの眦に涙の雫が現れる。それ以上は何も聞けなかった。
自分を責めないようにと、ほんの一時、彼女を抱き締めた。