●リプレイ本文
男は息を潜める。
誰に追われている訳でもないのだが。
それでも息を潜める。
そろり、と壁越しに向こうの様子を窺う。
通りの向こう。
「‥‥見つけた‥‥やっと、見つけた‥‥」
自然と笑みが零れる。
歪んだ笑みが零れる。
さぁ、早く!
早く、あの方に持っていかなければ!
邪魔者をどうにか回避して、持って行かなければ!
「イチゴのシャルロットケーキ‥‥!」
「キメラが街中に、ね‥‥」
ホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は顎を擦る。
些か腑に落ちない点が有る。
自然に集まったのか、はたまた誰かに放されたのか。
どちらにしろ、脅威となる存在な事は間違い無かった。
「ケーキでも狙ってるのかな?」
目撃情報を整理しながら、獅堂 梓(
gc2346)は首を傾げる。
洋菓子店アン。
街に何店舗か在る洋菓子店の内の一つだ。
そのアンの周辺でキメラが目撃されているのだ。
「お菓子好きなキメラも居るものですね」
キメラに味の細かな違いが分かるとは思えない。
だが、現状は明らかに選んで其処に現れている。
ソウマ(
gc0505)は肩を竦めながら言う。
避難勧告が出て、疎らな人影を尻目に、アンへと向かう道すがら。
遠くの方で聞こえる遠吠えは――
「キメラ、か」
アローン(
gc0432)は彼方の空を眺めて呟く。
アンの方角。
「ん、急ごう?」
ユウ・ターナー(
gc2715)は駆け出し、振り向く。
そうして、ガチャリと金属音を鳴らし、その巨大なSMGを肩に担ぐ。
それに頷き、面々はアンへと向かって走り出す。
刻環 久遠(
gb4307)は、その最後尾に付けゆっくりと心を過去に落とす。
「――Atziluth」
銀髪が揺れる。
カンタレラ(
gb9927)は車のハンドルを切り、アン付近の路上に停車する。
「到着しました、準備はOKですか?」
車内、片手で地図を広げながら無線に問いかける。
問題無い、という意味合いの返事が幾つか返ってくる。
「では、作戦開始です」
無線から響くカンタレラの声に、其々が動き出す。
アン周辺の探索。
遠吠えこそ聞こえなくなったが、確実に近くに潜んでいる気配がする。
「それでは――ん?」
アローンと共に、探索に向かおうとしたソウマが気付く。
アン向かいの二軒の建物の間。
路地の、自分達の位置からでは見えない所に何かが居る。
ソウマの表情に何かを察したアローン。
「‥‥それでは、此方に向かいましょうか」
敢えて其方には向かわない。
気配が動かない事を考えれば、あちらは少なくとも気付いていないはず。
「キメラにしては頭が良いよな? 一般人なら、助けを求めてくるはずだしな」
アローンは横目で其方を見やり、ソウマと共に気配の裏に回る様に動き始める。
有る程度、見渡しの利く通りから外れる。
「ソウマおにーちゃんとアローンおにーちゃんが何か見つけたみたいだね」
カンタレラの報告を受け、ユウは置かれた木箱の上に飛び乗る。
そして、辺りを見回す様な仕草を取る。
妙に近くに潜んでいたものだな、と思いつつホアキンは頷く。
「何か有ればすぐに駆けつけられる距離だし、俺達は作戦通り動こう」
分かれて探索を行っているとは言えども、アンを基点にした行動。
然程、離れている訳ではなかった。
「そうだよねっ」
ユウは蒼い眼で其れを捉える。
「こうやってキメラが現れても大丈夫だよねっ」
ユウは引き金を思い切り引き、詰まれてあった空の木箱を次々と粉砕する。
砂埃の中、ポニー程の大きさの犬型のキメラが跳んでくる。
「心は青き空の如く、刃は紅い炎の如し」
前に飛び出したホアキンは、其の大太刀を抜く。
陽炎を伴う斬線が犬の牙と重なる。
「舞え、紅炎」
そして、ホアキンはそのまま犬を砂埃の中に押し返す。
「ホアキンおにーちゃん!」
「あぁ」
ユウの言葉に軽く頷くと、ホアキンはもう一度後ろに下がる。
同時にユウはヴァルハラで、目標の足元を掃射する。
「キメラを発見した、排除に移る」
ホアキンは無線の向こうのカンタレラに告げる。
「本当に躾のなっていない犬だこと」
漆黒の太刀を抜き、酷く冷たく嗤う久遠。
キメラが現れたのは本当に突然だった。
梓と久遠がアンの裏手に回り、小さな空間に出た時だった。
小さいながらも搬入口と思われる其処で、梓と久遠はキメラに出くわしたのだ。
不意を衝かれなかったのは、幸いだった。
梓はきりきりと弓の弦を引き、矢を放つ。
「この距離は僕の間合い‥‥いけぇ!」
矢は深々と犬の左肩に当たる部分に突き刺さり、爆ぜる。
その為に怯んだ隙を狙って――
「飼い主に代わって躾けて、刻んであげる」
久遠の口は確かに、アイシテアゲル、と動いた。
そうして刀を振り下ろす。
犬が低い呻り声を上げる。
犬は更に前に進み、久遠に体当たりを仕掛ける。
因って漆黒の刃は浅く入ってしまう。
追撃を避ける為、梓は矢を素早く放つ。
犬はそれで漸く、後ろに下がる。
「何匹居るか分かりませんし‥‥早めに片付けてしまいましょうか」
梓の言葉に久遠は頷く。
久遠はすぐさま赤黒い燐光と共に迅る。
今度こそ、久遠の刃は犬を確りと捉えた。
逃れて、苦しむ犬。
その姿を眺めながら、久遠は嗤みを深くする。
そうして、何度も、何度も斬りつける。
暫くした後、動かなくなった其れを眺めながら久遠は呟く。
「‥‥もう終わり?」
さもつまらなそうに其れを踏みつける。
「終わり、では無いみたいですよ」
そんな久遠を背に梓は呟く。
もう一匹。
今度は先手を取る事は出来なかった。
梓は犬の爪で薙がれ、その場に崩れる。
更に、その梓に喰らいつこうと犬は動く。
近過ぎて、矢に威力が篭るか分からなかった上に、久遠は間に合いそうになかった。
だから、気乗りはしなかったが、梓は其れを抜いた。
「ちっ、鬱陶しい」
黒い銃身から弾丸が、梓の口から黒い言葉が放たれる。
気付かれない内に、背後から声を掛ける。
「此処に仕事に来たのは、俺達だけだと思ったんだけどな」
アローンはわざとらしく肩を竦める。
巨大な両手斧を背負った男は、勢い良く振り返る。
「‥‥俺と同じ、能力者か」
「えぇ、キメラが現れたと聞きつけまして」
ソウマの答えに、男は暫く黙っていた。
「まぁ、いいや。 人手は多い方が良い、手伝えよ」
アローンはそう言うと、男に背を向ける。
歩き始めたアローンに、ソウマも続く。
「あぁ‥‥そうだな‥‥」
男は静かに覚醒し、両手斧を構える。
静かに、気付かれぬ様に。
「なんてな」
立ち止まり、アローンは吐き捨てる様に言う。
「手前みてぇな胡散臭い奴の手なんか借りるかよ」
「手は貸すさ‥‥お前らが死ぬ為のな!」
ソウマに狙いを定めた男は斧を高々と振り上げる。
そもそも警戒していたソウマは振り向くとバックラーを構え、少し下がる。
火花を散らしながら、弾かれた斧は地面を割る。
「綺麗なねーちゃんも居るんだし、焦るなって」
アローンが銃で牽制しながら、顎で男の後方を指す。
「私の車の中ですけれども‥‥少しお話、宜しいでしょうか?」
カンタレラと椿骸(
gc1136)が其処に立っていた。
男は挟撃の状況に陥っていたのだ。
しかし、笑う。
「そんなに話が聞きたかったら、こいつらに聞くんだな」
男が指を鳴らすと、犬が二匹。
屋根の上から降ってくる。
そして、間髪いれずソウマとアローン、カンタレラと椿骸に飛び掛かる。
更に、男はカンタレラ達に向かって走り出す。
「あの方に捧げるイチゴのシャルロットケーキが、欲しいだけなんだよ!」
黒幕を臭わせる言葉を発し、男はカンタレラ達の間をすり抜ける。
犬の対処に一瞬だが手を焼いたカンタレラ達は簡単に突破を許してしまう。
そのまま、通りに出てアンへと一直線。
だが――
男の身体は横に軽く吹き飛ばされてしまう。
「如何して俺達以外の能力者が居るのかと思っていたが」
黒幕でも居るのか、とキメラの排除を終え、戻ってきたホアキンが呟く。
事前にソウマ達からカンタレラ、其処から他の仲間へと連絡が回っていたのだった。
「ち、畜生! 邪魔するな!」
立ち上がった男は斧を大きく振り被りながら、ユウを狙って駆け出す。
「大人しくしてれば良いのにっ」
無数の鉛がアスファルトに穴を開けていく。
男の勢いは殺され、斧を楯にする様にして、その場に止まってしまった。
「畜生畜生畜生!!」
妙な焦り方だった。
まるで、何かに追われているかの様に。
「こっちは俺達に任せて、あの野郎を捕まえてデートでもしといてくれ」
アローンは二体の敵に向かって、銃を乱射し、その行動を抑える。
その間に、ソウマは前に飛び出る様に剣を構える。
炎がソウマを包み込み、剣の威力が跳ね上がる。
犬が小さく声を上げて絶命する。
その様子を見て、カンタレラはユウが押さえ込んでいる男の方を向く。
未だ武器は捨てていない。
だが、それも時間の問題だった。
ホアキンが間隙を縫って、男との間合いを詰め、その刀を大きく振るう。
見事なものだった。
巧く、男の武器を持つ親指を叩いて見せたのだ。
小さく呻きながら、男は大きな両手斧を地面に落とす。
「今です!」
カンタレラは椿骸と共に、男の確保に走る。
捕まってしまえば、男は目的を達成できない。
それが、彼にとっては問題だった様で――
隙を衝いて、再びアンへと走り出す。
が、その行く手を阻んだのは梓と久遠だった。
裏手での戦闘を終え、丁度戻ってきたのだった。
「煩い男ね」
男は梓の言葉と、突き付けられた銃口に一歩程後ずさる。
そうして、背後から追いついたカンタレラ達に捕まってしまった。
そもそも、如何して此処にいたのか?
名前、年齢、身分は?
仲間は居ないのか?
黒幕は居るのか、更にその黒幕についての情報は持っているのか?
最後に、キメラの数は?
そんな質問が幾つか浮かんでくる。
カンタレラはホアキンより受け取った手錠で男の自由を奪う。
「こんな形で失礼します‥‥」
そんなカンタレラの言葉。
それが男に届いていたかは疑わしかった。
拘束後、異常なまでに男の様子が変わったのだ。
「あの女に、ヘンゼル様に殺される‥‥いいや、殺された方がマシだ‥‥殺された方が‥‥」
黒幕は女なのか、と久遠は首を傾げながら男の目を覗き込む。
「何をそんなに怯えているのかしら?」
車に連行される途中、久遠に頬を撫でられ、男は身体をビクつかせる。
「妙ですね」
キメラを全て屠り、ソウマとアローンも戻って来ていた。
勿論、未だ全ての脅威が去ったとは言い切れない。
ホアキンやユウと共に周辺の警戒を怠る事は無かった。
「これで大丈夫ですよ」
先程とは打って変わっての態度の梓が、男の怪我を手当てする。
そんな梓の言葉も男には届いていなかった。
日は既に傾いており、赤紫の空が照らす中。
「どうやら、未だ居たらしいな」
ホアキンが刀を抜き、走り出す。
其れに合わせてユウもヴァルハラを構える。
一体、二体、三体。
梓も弓を引き、矢を放つ。
空を切った矢は一体の犬の目に突き刺さる。
その僅かな間に、久遠が距離を詰め一刀。
そうして、もう一刀。
鞘の柄尻から抜かれた仕込み刀が犬の首筋を斬り裂く。
更に、刀を突き立てる。
残りの二体がそんな久遠に狙いを定めて一瞬で跳ぶ。
しかし、ユウとアローンの起こす鉛の嵐に、その脚が止まる。
そうなってしまえば、決着はすぐだった。
ソウマはもう一度、炎のオーラを纏い犬の眉間に剣を深く突き刺す。
断末魔すらも上げずに崩れる犬。
最後の一体はホアキンの描いた斬線が綺麗に半分にしてしまった。
刹那、辺りは砂塵と静寂に支配される。
そんな中、従業員が避難して、誰も居ないはずの洋菓子店の中から人影一つ。
赤と黒のツートーンのフード付きのコート。
目深に被ったフードの間から覗いた、青い瞳と金髪のフェアリーウェーブの女。
カンタレラの傍まで、堂々と歩く。
気付かなかった。
汗を拭い、顔を上げたソウマの眼の端に写る。
「カンタレラさん!!」
ソウマの声に、カンタレラが咄嗟に反応する。
女の抜いた、銀の装飾銃が乾いた音を響かせる。
胸を貫く激しい痛み。
その音にソウマとカンタレラ以外の能力者が女の存在に気付く。
「おぉ? おぉ〜‥‥犬畜生を撃ったつもりだったがのぉ」
女、ヘンゼルはわざとらしく驚く。
舌打ちをして、ホアキンがカンタレラと男の元へ向かおうとする。
「動くなよ? 動いたらこの女の頭に穴が開くかもな」
そう言いつつ、ヘンゼルはカンタレラの四肢の付け根に、丁寧に銃弾を撃ち込んでいく。
その傷口の一つを、ヒールの踵で無理矢理開いていく。
「しかし、下衆な臭いしかしない自己犠牲を見せ付けてくれおって‥‥笑わせてくれるわ」
そう言って、ヘンゼルは高笑いをする。
「アハハハハハハハ! 何じゃ、脳味噌が腐ってしまいそうじゃ、アハハハハハハ!」
梓も、ユウも絶句する。
そんな面々の様子を見て、涙を拭い歩き始めるヘンゼル。
「お前らが下等過ぎて笑えてくるのぉ‥‥また、何処かで会うやもな」
ヘンゼルは懐に閉まっていた銀紙からイチゴの一口サイズのシャルロットケーキを取り出す。
一口齧って、その場に捨てる。
不味い、と言葉と共に。
カンタレラは意識を失っていた。
強く握り締められた鞭を手から引き剥がす。
梓は応急処置を施しながら、その痛々しい姿に偶に目を逸らしたくなる。
「もうキメラは居ないみたい」
周辺を巡回していたユウとホアキンが戻ってくる。
久遠はその報告を聞くと、呆然としている男を車に蹴り入れる。
「運転は俺がする」
アローンが運転席に座り、エンジンを掛ける。
ソウマは久遠と共に後部座席に、男を挟み込む様に乗り込む。
「後は任せた」
ホアキンは助手席に、そっとカンタレラを寝かせる。
軽く頷くと、アローンは車を発進させる。
走りさって行く車のテールランプを眺め、ホアキン、ユウ、梓、椿骸は立ち尽くす。
太陽が沈み、群青に染まった空の下。
洋菓子店アンの目の前は甘い匂いと血の臭いが混じった、何とも言えないニオイが立ち込めていた。