タイトル:【決戦】舞台袖の道化師マスター:瀬良はひふ

シナリオ形態: ショート
難易度: 不明
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/10/09 22:15

●オープニング本文


●???
「‥‥さて、どうする?」
 目の前の男は、さもつまらなそうに俺に聞く。
 その足元には、ついさっきまで俺の仲間だったモノが転がっている。
「う‥‥」
 頭のどこかで、逃げろ、と冷静な自分が叫んでいるのはわかっていた。
 最初から、それは叫んでいたのだ。
「うわあああああああああああああああああ!!!!」
 その叫びを、怒りと、恐怖と、強迫観念にも似た責任感とが塗りつぶす。
 冷静な判断など、この場で誰ができるものか。
 そんな俺を、その男はちらりと一瞥し――視界の隅で禍々しい光が瞬いた気がした。

●???
「何で、わざわざここに来るんでしょうね」
 不思議そうに、アリスが首を傾げた。
「ちょっかい出さなければ、何もしないのに」
 アルゲディ(gz0224)は、少しだけ笑う。
「ご老体も馬鹿ではない、ということだ。この基地に、戦略的な意味はほぼない。本星からも、前線からも中途半端な位置だ。だが‥‥そこに、何故か戦力が配備される」
 幸か不幸か、と青年は続けた。
「俺は多少有名らしい。再生体とはいえ、一定の戦力を有する個体が配備された基地‥‥」
「人間には目障りってことですか?」
「決戦に赴こうという時に、不安要素を排除しておきたいのは、人情というものだ」
 くつくつと、笑い声が響く。
「‥‥逃げたところで、誰に批判されるわけでもなかろうに」
 誰ともなく呟きながら、青年は血に濡れたカギ爪から足元の死体に視線を移した。
 まだ若い兵士の死体だ。
 新兵、ではないだろうが、ベテランでもないのだろう。装備は、まだ使い込まれてはいない。
 後方の予備兵力、といったところか。
「自分が許さないんですよ、きっと」
 アリスがぽつりと零す。
「逃げたらいいって、わかってても‥‥。怖いけど、すごく怖いけど‥‥逃げたくない、逃げられないんです」
「‥‥」
 何かを重ね合わせるように、少女は言葉を紡ぐ。
 その声を、アルゲディは静かに聞いていた。
『死に場所くらい、好きにさせてやればいい』
 いつか言った台詞が、脳裏によぎる。
「死に場所を見つけた、ということか。それが意識したものでなくとも‥‥」
「兄さん、私、本当は‥‥」
 言いかけたアリスの唇に、青年の左手の人差し指が当てられた。
「夢から醒めるだけだ、アリス‥‥。すべて、すぐに元に戻る」
「‥‥うん」
 慰めのつもりなのかどうか、青年のその言葉に、少女は小さく頷いた。

●???
「あの人、変わったと思わない?」
 アルフレッド=マイヤーが言う。
「確かに‥‥」
 ブリジット=イーデンは、僅かに頷いた。
「再生の影響、でしょうか」
「というか、そういう役なんじゃない? リリア様もいないし、暫定的な主人が彼女なんでしょ」
「‥‥それは」
 随分と退廃的な、と言いかけて、ブリジットは口をつぐむ。
 代わりに、別の話題を切り出した。
「レーダーに反応がありますが」
「お客が多いね」
 けらけらと男は笑う。
「そろそろ、本命が来る頃合いかな? 怖い怖い」
「‥‥お逃げにならないので?」
「んー? G区画に、光学迷彩HWがあるから、君はそれで逃げなよ」
「フレッド、あなたは?」
 重ねて問われ、マイヤーは少しだけ苦笑してみせた。
「いやー、閣下が新しいの手に入れちゃったし? 流石にここで逃げると、粛清されちゃうだろうからねぇ」
 やる気に満ちた上司は辛いね、と男はおどける。
 実際に、ブライトン、今は佐渡京太郎だが、その派閥の中でマイヤーほどやる気の無いものも多くはない。
 綱紀粛正といった名目は、今のブライトンにとっては選ぶのに躊躇のないものだろう。
「まー、でも、仕方ないでしょ」
 仕方ない。
 その言葉に、はて、とブリジットは小首を傾げる。
 マイヤーには、あまり相応しくない言葉に思えたからだ。
「ほら、この時期にエクスカリバー級が、前線から離れたところ攻めないでしょ。よっぽどの何かがなければさ。前門の虎後門の狼ってね。だから、仕方ないかなーってさ」
 男はそう言うと、もう一度けらけらと笑った。

●艦橋
 エクスカリバー級巡洋艦、アロンダイト。
 この艦を預かる、スティーヴン・ルーク少佐は幾度目かもわからぬため息をついた。
「ボス、幸運が逃げますぜ」
「逃げるほど残っているとは驚きだ」
「ハハハ! 違いない!」
 いかにも歴戦の、といったクルーたちが豪快に笑う。
 そんな心地良い緊張感と明るい雰囲気に満ちた艦橋で、それでも少佐はため息をつく。
「苦労をかけるな、艦長」
「いえ、慣れていますから」
 声をかけたのは、ラウディ=ジョージ(gz0099)だ。
 彼は、艦長席の右後方にある、オブザーバー席に座っていた。
「‥‥といいますか、実を言えば、嬉しくもあるのです。前線ではないとはいえ、ようやくマトモな作戦行動を取れるのですから」
 仮にも主力艦である、エクスカリバー級。
 その一隻であるアロンダイトだったが、その特殊な運用思想から、専ら後方の輸送任務に従事していたことは一部で知られるのみである。
 この艦の建造された時期は、同級の艦の運用を模索する時期でもあったことが、アロンダイトの運命を決したといっても良い。
 火器を減じた分、本格的なKV母艦の機能を有する本艦は、単艦で一つの戦闘単位を保持できる――というのは建前の話で、結局は火力の大部分をKVに依存する以上、配備されるKVがなければ使い物にならない、ということだ。
 そして、そのKVの多くはヴァルキリー級空母、及びUKシリーズに回され、その他もリギル・ケンタウルス級に搭載する方が使い勝手が良い、となれば、アロンダイトへのKV隊配備の優先度の低さは自明である。
 要するに、アロンダイトは持て余されていた。そこに配備されたクルーも含めて。
「‥‥そうか」
 ラウディは、目の前のルークという人間の素性を思い返す。
 闘将、現場第一主義、と言えば聞こえは良いが、上から見れば使いづらいことこの上ない人材ではある。なまじ有能である分、だ。
 だからこそ、名誉ある閑職、アロンダイトの艦長などに押し込められていた。
 そして、そこに目をつけたのが、ラウディだった
 アルフレッド=マイヤーが宇宙に逃れたという情報を得た男は、何とか宇宙での足を確保しようとしていた。ある程度自律が可能で、多少の無茶も効くような。
「頼んだ、ルーク艦長」
「アイ、サー」
 そう言って席を立つラウディに、ルークは手慣れた様子で敬礼を返した。



 暗礁宙域の一画に存在する、バグアの基地。
 小型ながら、そこには再生したトリプル・イーグルと、マイヤーなるバグアが配備されているという。
 数度の討伐隊派遣は、すべて未帰還という結果に終わった。
 UPCはこれを受け、エクスカリバー級の派遣、及びラストホープの傭兵への依頼を決定した。

●参加者一覧

煉条トヲイ(ga0236
21歳・♂・AA
鳴神 伊織(ga0421
22歳・♀・AA
赤村 咲(ga1042
30歳・♂・JG
漸 王零(ga2930
20歳・♂・AA
鐘依 透(ga6282
22歳・♂・PN
九条院つばめ(ga6530
16歳・♀・AA
赤崎羽矢子(gb2140
28歳・♀・PN
ミリハナク(gc4008
24歳・♀・AA

●リプレイ本文

●アリスのお茶会
 散発的に襲い来るキメラは、さしたる障害にすらならなかった。
 トラップもなく、ひたすらに続く通路は、傭兵達の口数を少なくしていく。
(なぜ、こんな小規模基地にウィリアムとマイヤーが配備されている?)
 煉条トヲイ(ga0236)は、疑念を拭えなかった。
 妙な違和感を覚えていたのは、果たして彼だけだろうか。
 少なくとも、生前のアルゲディ(gz0224)を知る者は‥‥多少なりとも、感じていただろう。
 それは、あの青年が再生してから、ずっとなのかもしれないが。
(‥‥これが、お前の選んだ決着の付け方なのか? ウィリアム‥‥)
「先遣隊がやられている以上、無視するわけにもいきませんから‥‥ね」
 赤村 咲(ga1042)が不意に呟いた。
 トヲイの葛藤を見透かした、というよりは、同じ事を考えていたのだろう。
「どうも、再生体ってやつと戦うのは興が乗らないんだが‥‥」
 咲の声で沈黙が破れたのか、漸 王零(ga2930)がそう言って頬を掻く。
 あら、と応じたのはミリハナク(gc4008)だ。
「そうですの? 私、ヴァルハラのようなシステムで素敵だと思いますけれど」
「まぁ、ミリハはそうだろうけど‥‥あたしも、ちょっち複雑かなぁ」
 やれやれ、と赤崎羽矢子(gb2140)が苦笑した。
「まさか、死んだ後まで縁が続くなんてね。運命、宿命‥‥いや、腐れ縁だね」
「腐れ縁、ですか。言い得て妙ですね」
 くす、と鳴神 伊織(ga0421)が笑う。
「腐れ縁‥‥」
 その言葉を、九条院つばめ(ga6530)は噛み締めるように呟く。
 アルゲディではない。マイヤー、アルフレッド=マイヤーがその対象だ。
(また、何かよからぬ事を企んでいるのでしょうか‥‥?)
 じくりと、胸の奥で感情が燻る。
 自然と表情を曇らせたつばめを、鐘依 透(ga6282)がそっと撫でた。
「大丈夫‥‥僕も、皆も、ついてる」
 恋人の声に、少女の肩から僅かに力が抜ける。
「ありがとう、ございます」
 微笑んだつばめに、透もまた笑みを返し――一行の目の前に、扉が現れた。



「ようこそ」
 扉を開けた先にいたのはアルゲディ、そしてアリスだ。
 青年は椅子に腰掛け、本を読んでいる。そして少女は、湯気の立つカップを傾けている。お茶、だろうか。
 それは、仲の良い兄妹のティータイム、に見えなくはない。
 部屋のあちらこちらに、べっとりと血糊が張り付いていなければ。
「‥‥これ、は」
 ひどく退廃的な光景に、つばめは思わず絶句してしまう。
「ウィリアム‥‥お前は‥‥」
「誰が来るかと思っていれば‥‥トヲイ、イオリ、サキ、そしてハヤコ、か。悪くないメンバーだ」
 ぱたん、と本が閉じられた。辛うじて見えたそのタイトルは、有名な童話だ。
 咄嗟に構えた8人を尻目に、アルゲディは手元のソーサーからカップを取り上げる。
「通りたければ、通るがいい。マイヤーはこの先だ」
「‥‥それを信じろ、というのか」
 咲の問いに、青年は肩をすくめてみせた。
「戦う気はない、と答えてやったはずだがな」
「ならば、何故、再び戦場に立った?」
 トヲイが問いを重ねる。
「戦場?」
 ふ、と青年は笑いを零す。
「ここが、かね? 本星からも、前線からも遠いここが、戦場だと?」
「兄さん、やっぱり分かってないですよ、こいつら」
 アリスが、やれやれ、と呆れたように口を開いた。
「疑うしかできないから、わざわざ来るんです」
「何を‥‥」
 透の戸惑ったような声を、少女は鼻で笑う。
「じゃあ逆に聞くけど‥‥ここに来てから、私達からあんた達に何かした?」
「それは」
 兵士を、と答えようとして、咲は口をつぐむ。
 そう、この場合に限っては、最初に手を出したのは――。
「どうせ、何かされる前に、とかそういう理由なんでしょ?」
 不安要素は排除する。
 今回の依頼自体、それに則ったものだ。
 見透かしたように、アリスはため息をつく。
「やっぱりね。だから、嫌いなの」
「そういじめてやるな、アリス。くく、まぁ、日頃の行いというやつさ。疑心暗鬼になるのも、無理はない」
「‥‥つまり、汝らは振りかかる火の粉を払っただけ、と言いたいのだな」
 組んだ腕を解きながら、王零が言う。
 うーん、と羽矢子が指で額を叩いた。
「言い分は分からないではないけどね」
 でも、と彼女は続ける。
「李下に冠を、って言うでしょ。何で、もっと静かなとこに行かなかったのさ」
「不可能だからだ」
「‥‥どういう事です?」
 即答されたその答えに、伊織が眉をひそめる。
「アイコが粛清されたからな。元同僚の、俺への監視も強い。‥‥アキラが再生された話を聞かないのも、同じ理由だろう」
 それに、とアルゲディは続けた。
「時間も、あまり無いしな」
「‥‥やっぱり、バグアが勝つなんて思ってないんでしょ」
「勝とうが負けようが、だ。ハヤコ」
 諭すような口調に、羽矢子は若干ムッとした表情を見せ‥‥ため息をつく。
「‥‥まぁ、話してわかるとは思っちゃいないけどさ」
「そうだな。準備万端を整えている者も、待たせている」
 くつくつとアルゲディが笑う。
 その視線の先には、重機関銃を地に据え付けて、ウズウズと青年を見つめるミリハナクの姿があった。

●再生ジョーカー
「――はじめまして、有名人さん。新たな記憶として、この戦いを覚えて眠ってくださると嬉しいわ」
 華やかな、そしてどこか獰猛な笑顔を浮かべて、ミリハナクはしゃなりと礼をする。
「ふ、ダンスの前に名前を聞こうか、お嬢さん」
「まぁ‥‥ミリハナク、と申しますわ」
「では、ミリハナク。生憎と、この生の記憶は続かぬらしいが、相手を務めさせていただこう。‥‥アリス」
 優雅な礼を返し、青年は少女に目配せをする。
 その視線に頷くと、アリスは傭兵達に舌を出してから、部屋の隅へと走っていく。
「結局、こうなりますか」
 呆れたように、伊織が息をついた。
「お互い、会話よりはこの方が『らしい』だろう?」
「‥‥お前はそれでいいのか? ウィリアム」
「覚悟がないなら、下がっていろ、トヲイ。誰に批判されるわけでもない」
 その声に、トヲイは明鏡止水を構える事で応える。
 それでいい、とばかりに、アルゲディは目を閉じた。
「さて‥‥噂の上級クラスとやらの真価、見せてもらおう」
 ニィ、と青年の口元が三日月状に歪む。
 程なく開かれた双眸は、かつての狂気を宿していた。



 爆音にも似た連射音が、空間を圧した。
 ミリハナクの放ったM−183重機関銃の弾丸が、周囲の空気を抉りながらアルゲディへと殺到する。
 青年は、慌てた風もなくマントを翻す。ビロードのような布地が大口径の弾丸を包み込み、その威力を打ち消す。
 微かに驚いたようなミリハナクは、銃撃の効果は薄いと見切りをつけると、ゆったりとした巫女服の袖から目にも留まらぬ速さで何かを投擲する。
「ほぅ」
 判断の速さに口角を吊り上げ、アルゲディはカギ爪で飛来したモノを叩き落した。苦無だ。
 一瞬逸れた気を突くように、羽矢子が側面から迫る。
 針の穴を通すように、細剣の切っ先が青年の左肩に突き立つ。が、まだ浅い。
「ウィリアムッ!」
 そこへ、地面を這うように、トヲイが駆け込んできている。
 掬い上げるように振るわれた大剣の切っ先を、アルゲディは半身を捻って避け――小銃の弾丸がその背を打った。
「卑怯とは言うまい? 再生体」
 半包囲するように間合いを取りながら、銃撃の主、王零が挑発するように言う。
「くく、戦いに卑怯も堂々もあるものか」
「いい台詞だ。生きているときに会いたかったな」
「レディを差し置いてお喋りですの?」
 豪、と大気が逆巻いた。
 ミリハナクの滅斧が、頭蓋ごと粉砕する勢いで迫っている。
 振り向きざま、青年のカギ爪が斧を迎撃した。思わず耳を抑えるほどの、金属同士が激突する音。
 みしり、と互いの腕が軋む。
「‥‥腕力には自信があったのだがな」
「こちらのセリフですわ」
 斧とカギ爪とが、時折火花を散らすほどの鍔迫り合い。
 だが、それも長くは続かない。
「合いの手は必要か? アルゲディ」
 言うが早いか、咲がSMGを撃ち放つ。
 足元で弾ける弾丸を、青年はバックステップで踊るように回避していくも、その先ではつばめが槍を構えている。
「周到なものだ」
「‥‥敵を恐れず、侮らず、ただ全力を尽くす。――それだけです!」
 隼風が唸り、アルゲディの胴体を穿つ寸前で、青年の左手が穂先を掴む。
 それを見越していた少女は、槍を捻りつつ引き戻した。僅かに青年の体勢が崩れる。
 更に、透が続いた。
 魔剣が閃き、振るわれたカギ爪との間に火花が散る。
 多対一に加え、ほぼ全周からの攻撃に対してもなお反応し、捌いてくる。透は、敵ながらその実力に舌を巻いた。
「アルゲディ‥‥貴方の強さには、正直憧れます」
「それは光栄だ」
「‥‥貴方くらい、強かったなら」
 続く言葉を飲み込み、透は魔剣を振り払い、飛び退く。
「一人で勝てると思いましたか?」
 音もなく、伊織が間合いを詰めている。
「ふ、言ったろう」
 喉元に突き立たんとした鬼蛍の刀身を、カギ爪が掴む。微かに喉へと食い込んだ切っ先から、鮮血が滴る。
「勝とうが負けようが、とな」
「戯言を」
「‥‥その言動。お前こそ、覚悟が足りていないな、ウィリアム!」
 壁を蹴り天井を蹴り、トヲイが大上段から明鏡止水を打ち下ろす。
 伊織の鬼蛍でカギ爪は塞がっている。
 アルゲディは凄絶な笑みを浮かべ、迫り来る刃へと裏拳のように左拳を叩きつけた。
 刃は外れたが、青年の体は無防備に開く。
「兄さん!」
 アリスの悲痛な声が響いた。
 羽矢子が駆け込んでいる。
「‥‥バカだ! 大バカだよ、あんた!」
 開いた体を、そのまま縫い付けるように、ハミングバードが今度こそ青年の左肩を貫く。
「言い残す事はございまして?」
「見事」
「それは光栄ですわ」
 ミリハナクの瞳が喜悦に染まる。
 直後、眩く輝いたゲヘナが青年の胴体を袈裟斬りに裂いた。

●眠りの国のアリス
 液体の落下音と共に、アルゲディが朱に染まった床に膝をつく。
「――ッ!」
 声にならない叫びを上げ、アリスが青年に駆け寄る。
 透は一瞬だけ制止しようとして、思い留まった。
「‥‥アリス、落ち着け」
 アルゲディが、アリスの頭を軽く撫でた。
 びくりと震えた少女が、怯えたように青年を見つめる。
 僅かにふらつきながら立ち上がったアルゲディに、傭兵達は構えを解く。
 最早、戦えまい。そして、命も長くはないはずだ。
「‥‥随分と殊勝じゃないか、お前らしくもない」
「くく、まぁ、な」
 咲の声に、青年は笑った。
 その声が何故か、咲の心に残る。
「‥‥敢えて問う。――アリスと共に、静かに余生を送る事はできなかったのか?」
 トヲイが、どこか寂しげに問う。
「静かな余生、ですって?」
 答えたのは、アリスだった。
「そんなの、送れるわけ――!」
 言葉は続かなかった。代わりに、嗚咽が聞こえる。
「‥‥結局、俺達はご老体の掌の上だ。そして、アリスはご老体から遠くは離れられん。この意味は、わかるだろう」
 引き継いだアルゲディは、そう言って、僅かに皮肉気な笑みを浮かべた。
「生きるためには、仕方なかった、と?」
「‥‥死なないためには、いや、殺されないためには、か」
 つばめの声に、青年は顎に手を当てる。
「俺自身はともかく、アリスがいる」
「優しい、んですね」
 透がぽつりと呟いた。
 一瞬の間が空き、アルゲディは笑う。
「くく、何を言うかと思えば。‥‥俺は、求められた役割を果たしているにすぎん」
「‥‥やっぱり、あなた、アリスのために生きてるのね?」
 苦虫を噛み潰すように言いながら、羽矢子が腕を組んだ
 薄々、予感はしていた。と言うよりは、違和感に説明をつけるには、それが一番しっくりとくる。
「え?」
 意外、とばかりにアリスが青年を見上げた。
「‥‥さて、な」
「兄さ‥‥あ‥‥」
 何かを呼びかけようとして、少女は唐突に崩れ落ちる。
「あ‥‥れ‥‥?」
 寸前で支えた青年の腕にすがり、アリスは不思議そうに目を瞬かせる。
「急に‥‥眠い‥‥の、兄、さ‥‥」
「‥‥そうか。安心しろ。すぐそばにいる」
「あ‥‥ね、兄さ‥‥ありが‥‥とう‥‥」
「ああ。お休み、アリス」
 アルゲディの声に、少女は嬉しそうに微笑むと、そのまま眠りについた。二度とは、目覚めないだろう。
 沈黙する傭兵達を尻目に、青年は少女を部屋の片隅のソファに寝かせると、振り返る。
「勝とうが負けようが‥‥。見ての通り、長くはなかったのさ」
「不完全な再生、だったのか」
 咲が、辛うじて言葉を絞り出した。
 そして、やりきれないというように首を振る。
「無常ですね」
 ぽつりと伊織が呟く。
 あの少女は、何のために蘇ったのだろう。何のために、もう一度死んだのだろうか。
 と、びしゃりと床を液体が叩いた。アルゲディが血を吐いている。
「‥‥時間か」
「何で」
 羽矢子が呻くように口を開いた。
「何でよ! 何でそんな‥‥! 最初から達観した振りして、命を、あの子のためだったら、何でもっと大事に――!」
「――俺には勝ちすぎる役だったのさ、ハヤコ。ふ‥‥泣くな。無様な道化と、笑うがいい」
「泣いてなんか‥‥!」
 ぐしぐしと目元を拭い、羽矢子はアルゲディを睨みつける。
「お前といいトヲイといい、物好きが多い‥‥」
 そこでもう一度、青年は喀血した。
「再生体、死ぬ前に聞く。‥‥マイヤーはどこだ?」
 王零の問いに、アルゲディは奥の扉を指した。
「最初に言っただろう。この先だ、とな」
「‥‥何故、そんなに平然としていられるんです?」
 透が、思わず問うた。
 強いから? これは、強さ、なのか?
「忘れるな。希望と絶望が表裏であるように‥‥死も、夢の如きものだ」
 アルゲディは、そう言ってくつくつと笑う。
「お前達に討たれるのも一興と思ったが、やはり、俺には潔すぎよう」
 独り言のように言いつつ、青年は続けた。
「‥‥ああ、マイヤーには用心する事だ。奴は、厄介だぞ」
「言われずとも、わかっている」
「そうかな‥‥。くく、まぁ、気張るがいい」
 咲の声に、アルゲディは掠れた笑いを返し、視線を伊織とミリハナクに向ける。
「ではな。イオリ、ミリハナク、退屈ならば冥府を尋ねるがいい。いつでも相手をしてやろう」
「まぁ、喜んで」
「お断りです」
「あら‥‥」
 冗談めかせてミリハナクが笑い――青年は徐に自らの喉を掻き切った。
「っ‥‥!」
 つばめが息を呑む。
 壮絶な光景に、少女の目を恋人が覆った。
「‥‥いつの日か冥府で再会する日まで――さらばだ、ウィリアム」
「再生体、いや、アルゲディ‥‥これだけの奴が、『厄介』と呼ぶ、か。マイヤー」
 トヲイの脇で、王零が考えこむ。
 この戦いに、あるいは介入があるかとも考えていたが、毛ほどの反応もない。
 黒幕へと続く扉を前に、重苦しい沈黙が傭兵達を包んでいた。