●オープニング本文
前回のリプレイを見る チャールズ・グロブナーは、ひとまずUPCネリス基地で身柄を預かられている。
事実上の、軟禁だ。
「記憶が戻ったと聞いたが」
「‥‥ああ、ジョージ兄さん。兄さんにも、迷惑をかけたね」
ラウディ=ジョージ(gz0099)は、そう言う従弟を呆れたように見返した。
何事か皮肉を返そうとして、男は首を振る。
「――まぁ、いいさ。積もる話は、全てが終わったらにしよう。‥‥今日は休め」
チャールズの体調が十全でないのは、容易に推察できた。
それが、多少の休息で回復しないことも。
分厚い金属製の扉が、重々しい音を立てて閉じた。
「‥‥全てが終わったら、か。チッ、俺らしくもない」
吐き捨てるように呟き、ラウディは歩き出す。
部屋の外で控えていたクラウディアは、無言でその後に続く。
ガレキ街でチャールズが保護されて後の展開は、余りにも順調だった。
敵の動きは鳴りを潜め、チャールズは穏やかに検査と取り調べとに応じ、成功率の問題は別として、エミタ治療に同意も示した。
「クラウディア」
「はい」
「‥‥アルフレッド=マイヤーについて、もう一度洗い直す」
男の声に、女は静かに頷く。
北米における主要なバグアが次々と撃破されてなお、マイヤーと称するバグアは異質な存在感を放ち続けている。
いや、強力なバグアが除かれたからこそ、この敵の特異さが目立ち始めてきた、というべきなのか。
このバグアの最も恐ろしい性質は、表舞台には中々姿を見せないというところだ。
数度の遭遇例はあるものの、まともな交戦を行った事はない。
あからさまに手を抜いているか、逃げの一手に徹するかの二択だ。そして、逃げに転じたマイヤーは、驚くべき敏捷さで離脱してしまう。
加えて、活動地域は特定できても、その拠点を掴めた例は、フーバーダムという例外を除いて存在しない。
結果として、このバグアについて分かっている事といえば、「バグア軍の科学者である」、「邪智に長ける」、「異常に逃げ足が速い」、といった程度に留まっている。
「せめて、ヨリシロの素性ははっきりさせんとな。幸い、手がかりはある」
「容姿と名前が判明していますから、数日中には」
「タイゲタとプレイオネ、アルキオネを調査に回せ。残りは、ジャン・バルドーの行方を捜させろ」
手早く指示を下すと、ラウディは苛立たしげに前髪をかき上げ、もう一度舌打ちをする。
「‥‥チッ、如何にリリアやゼオン・ジハイドに隠れていたとはいえ、こうも後手に回らされるとはな」
業腹だ、と男は奥歯に力を込めると、プレアデスの詰所へと向かった。
嵐の前の静けさ、とでも言うべきなのだろうか。
チャールズは部屋で一人、そんな事を考えている。
酷く穏やかな心持ちだった。
だが、そんな心境とは対照的に、痛みは全身に広がりつつあった。同時に、左腕の感覚も半ば以上が失せている。
「‥‥すべてが終わったら、か」
青年は微笑んだ。
残り時間は、多くはない。
仮にジャンとの対決を生き延びたとしても、その後エミタ治療まで持つかは、正直なところ疑問だった。
「俺は、いつも気づくのが遅い」
呟き、チャールズは苦笑する。
「――守りたかったなぁ、トリス‥‥俺は‥‥」
だから、と青年は一人語りを続けた。
「皆に知って欲しかったんだ。トリスは、確かに生きていたと‥‥こんなにも、素晴らしい命だったと‥‥」
沈黙が降りる。
しばらくして、チャールズは立ち上がると、鉄格子の付いた窓から外を見やった。
「俺は、世界を救うヒーローじゃなくても、大切な人を守れるなら、それでよかった。でも、なれなかった。なのに、俺の心には、まだ熱が燻ってる。立ち止まるなと、胸の奥で叫ぶんだ。トリス‥‥だから俺は、せめて父さんと、エド兄さんと‥‥君の愛した、いや、愛している『世界』を守るよ。今度こそ」
誓うように拳を眼前に捧げ、青年は目を閉じる。
「――この命を賭けて」
どこかで、マイヤーが笑っている。
「良い感じになってきたねぇ」
「何が、でしょう」
ブリジット=イーデンが、無感情に問い返した。
男は、ちっちっと指を振る。
「もちろん、チャーリーの事さ。生体金属と記憶を共有した事で、彼はもう一歩特殊な改造人間になった」
「‥‥どういうことです?」
「複数の情報体を持つ個体になったのさ。――理論上、ね」
不意に、マイヤーは真剣な表情となる。
思わず、ブリジットは身震いした。
だから、と男は続けた。
「僕は羨ましい。チャーリーは、僕らが100年単位で昇った階段を、1年足らずで駆け上がってる。これは、君たち人間の可能性が、どれだけ大きいかを示してるよ。そうだね、遠からず、君らは時間さえ支配するかもしれない」
いつの間にか、マイヤーはあっけらかんとした声に戻っている。
「‥‥彼を、次のヨリシロに?」
「まさかー! そんな勿体ないことしないよ! チャーリーはね、チャーリーだから、味があるのさ」
けらけらと男は笑った。
羨ましい、とまで評した人間をヨリシロにするのは、勿体ない、と言う。
バグアとしても、マイヤーは異端児なのだろうか。
「複数の情報体、とは、具体的にどういった利点が?」
あからさまに、ブリジットは話題を逸らした。
それには触れず、男は、そうだね、と思案する。
「極端な例を挙げよう。情報とはつまり、記憶だろ?」
「ええ」
「記憶は、命の証さ」
「‥‥複数の命を持つ、と?」
「あはは。だから、極論だよ」
ただ、とマイヤーは悪戯っぽく微笑んだ。
「仮にそうだとして――どの命も同じとは、限らないけどね」
「‥‥記憶と心は、別」
「そう。君の言葉だよ」
記憶がなくとも、心さえ生きていれば、それはチャールズであった。
だが、記憶が生きていたとしても、心が死んでしまえば‥‥?
「チャールズは、心に宿る焔に従う。その焔が燃え尽きたとき、彼は『死ぬ』のさ」
予言めいた口調で、マイヤーは語る。
その表情は実に楽しそうで――ブリジットは、酷く悲しくなった。
その日、前線を監視する見張り台と、それに付随する小規模な駐屯地が、文字通り全滅した。
突然の嵐のように吹き荒れた災厄は、そこに駐留していたUPC小隊の30名ほどの兵士を、例外なく物言わぬ骸と変えた。
『アー、聞こえますかァ? 聞こえてんナ、ひヒ、おイ、ちゃんと伝えろヨ?』
粗野な男の声が、駐屯地の無線を介してUPCネリス基地へと届いた。
『明日ダ。昼前がいいナ、昼飯までには終わらせてェ。来ねェなラ、別にいいゼ? 別の場所の別の兵士が死ぬだけだからヨ』
下卑た笑い声。
ジャン・バルドーだ。
『あア、下っ端が聞いてんなラ、分かんねェカ? 俺ァ、ジャン・バルドー。チャールズって奴ニ、ちゃーんと伝えろヨ?』
そこで、通信は切れる。
居合わせたラウディは、即座に基地司令と掛け合い‥‥チャールズと、ラストホープとに情報が伝えられた。
●リプレイ本文
●予感
ネズミでさえ、天敵の猫に一矢を報いる事がある。
強固な堤防でさえ、蟻の穴から崩壊する事がある。
まして、ジャン・バルドーはネズミなどではなく、蟻の穴を見過ごすお人好しでもなかった。
何故、ジャンはUPC小隊30名『全員』を殺害できたのか?
仮に、その部隊に能力者が配属されていなかったとしても、『救援を請う間もなく』全滅するなど、あり得る話だろうか?
兵士たちは素人ではない。訓練を受けたプロだ。
ましてや、前線の監視を任務とする以上、敵襲を察したならば真っ先に事態を基地へと報告し、その後に時間稼ぎと撤退を開始する。
‥‥通常ならば、そのはずだ。
では、何故兵士たちは『何もできずに』殺されたのか?
まさか、兵士全員が一箇所に固まっていたわけでも、眠っていたわけでもあるまい。
極めて膨大な数のキメラに、一瞬でもみ潰されたのだろうか?
ジャン自身が、何か特殊な能力を得ていたのだろうか?
それとも別の何かが、プロの兵士30名に『何もさせずに殺す手段』が、用意されていたのだろうか?
あるいは、それら全てが重なっていたのだろうか?
少し考えただけでも、この事態が極めて警戒すべきものだと判断できる。
何を以って部隊が全滅したにせよ、僅かの気の緩みも許されないのは明白だ。
彼らには、それは分かっていただろうに。
確かにジャンは、相対的に見れば『強敵』ではないだろう。
かつて北米を脅かしたトリプル・イーグル、ゾディアック、ゼオン・ジハイド、そしてリリア・ベルナールに比べれば、いや、いわゆる下級のバグアと比べても、二段も三段も格が落ちる。
特殊な装備を持つとはいえ、結局はただの強化人間なのだ。
――その『格下』が、『弱い』敵が、何故ああも強気でいられたのだろうか。
単なる身の程知らず?
単なるハッタリ?
ジャンとは、そんな小者だったのだろうか?
‥‥この違和感だけでも、彼らには細心の注意を払う必要があった。
そう、敵が『弱い』からこそ、絶対に油断するべきではなかったというのに。
最後の最後で、天秤は僅かに傾く。
その小さな傾斜を取り戻す術は既に存在せず――。
「‥‥動けますか?」
赤村 咲(
ga1042)が、チャールズ・グロブナーに問う。
この場合の動くとは、戦えるか、という意味だ。
やや考える青年に、北柴 航三郎(
ga4410)が言葉を重ねた。
「この期に及んで、心配掛けたくないとかなかろーもん? ‥‥うるさい事ばっか言って、悪いけど」
「いや‥‥どう説明したものか、と思っただけだよ。そうだな‥‥左腕の感覚は、殆ど無い。右腕も、少し違和感が出てきた」
でも、とチャールズは続ける。
「動くよ。少なくとも、今のところはね」
証明するように左腕が動かされ、その手を少女がそっと握る。白銀 楓(
gb1539)だ。
「‥‥一緒に戦って、勝ちましょう」
絡めた指にきゅっと力を込めて、楓は青年を見上げる。
(やっと掴めたこの手を、もう離したくないから‥‥)
その瞳に込められた想いは、一抹の不安の裏返しかもしれない。
それを察したのかどうか、チャールズは右手を優しく楓の頭に載せた。
くすぐったそうにはにかむ少女の後ろから、もう一人の少女――明神坂 アリス(
gc6119)が抱きつくように被さる。
唐突な抱擁に、きゃっ、と可愛らしい悲鳴を上げた楓を見て、アリスは悪戯っぽく笑った。
「えへへ、メイプ‥‥じゃなかった、楓、チャールズの事、頼んだよっ!」
ともすれば、すぐにでも湿っぽい雰囲気になってしまう。状況は、その程度には差し迫っていた。
だからこそ、アリスの明るさは、この場では貴重な清涼剤であったろう。
ころころと笑い合う二人の少女は、じゃれ合うようにして離れていく。
鐘依 透(
ga6282)が、そんな情景を見ながら語りかける。
「――必ず、生き抜きましょう。一緒に」
「そう、だな」
チャールズが、ゆっくりと応えた。
気のせいか、その返事には迷いがあるように感じられ、ケイ・リヒャルト(
ga0598)が穏やかに告げる。
「お節介でしょうけど‥‥言わせてね? 皆、貴方を失くしたくないの。貴方自身を護る事が、皆を護る事でもあるのよ」
だから、とケイは続ける。
「生きて、ね」
「‥‥大丈夫。無駄死にする気はないよ」
安心させるように、青年は頷いてみせた。
そこに嘘はないように聞こえ、ケイは応じて頷きを返す。
「私たちも、お手伝いします。勝手に支えるって、この前偉そうな事を言っちゃいましたからね。‥‥無様な戦いは、しません」
透の傍らに立った九条院つばめ(
ga6530)が、自分に言い聞かせるように述べた。
強い決意を秘めた微笑を浮かべ、つばめは透に視線を向ける。
「‥‥もう一つ、支えたい大切な背中がありますしね」
「あら、お熱いわね」
冗談めかせてケイが笑うと、透が頬を赤らめた。
決戦の前の、最後の一時が穏やかに過ぎていく。
――それは正に、嵐の前の静けさであったのだ。
荒涼とした、という表現がぴったりだろう。
訪れている春の息吹さえ否定するような、荒れ果てた大地が広がっている。
そこここに広がった赤い染みは、惨劇の残滓。兵士たちの成れの果て。
そこに群がる黒い塊は、惨劇の原因。死体を貪るキメラの群れ。
蠢くキメラの丘の上に腰を下ろすのは、惨劇の立役者。ブラック・ライダー、ジャン・バルドー。
その光景は、生命に対して余りにも冒涜的に見え、集った傭兵たちの殆どは思わず目を逸らした。
そんな彼らの例外の一人、湊 獅子鷹(
gc0233)は一歩踏み出すと、ジャンへと話しかける。
「よう、ジャン。元気だったか? ‥‥随分と派手に殺したじゃねえか。そんなに、一人でくたばるのが怖いか?」
「ひヒ、飽きずによく来んナ、てめェもヨ。マ、予想通りって奴だガ、あア、怖いかっテ?」
ジャンはその問いに、嘲るような笑みを浮かべた。
「ひはハ! そうサ! 僕ちゃん怖がりなんですゥ!」
ブゥン、と耳障りな羽音を立てて、キメラが飛び上がる。
甲虫キメラ。それも、以前から見た機械化タイプと、通常タイプのものが入り混じっている。
その数は、もはや数える気さえ起きない。
「さぁて‥‥それじゃ、仲間を頼むぞ。ジャンの方は‥‥まぁ、なんとかするさ」
魔剣を担ぎ、漸 王零(
ga2930)が肩越しにチャールズへと声をかけた。
それはつまり、最も厄介な敵を自分たちが抑えている間に、周囲を掃除してくれという依頼だ。
頷いた青年に男は満足気に笑うと、悠々と歩き出す。
その背に獅子鷹と、ジャック・ジェリア(
gc0672)が続いた。
「よう、宣言通り救済しに来てやったぞ。‥‥全力でな」
「あァ? ご苦労なこったゼ、てめェ‥‥」
呆れたようにジャンはため息をついて見せ、その腰のベルトに手を掛ける。そこからは、一瞬だ。
男の呟きと同時に、黒きライダーが出現する。
応じるように、チャールズもまた虚空に向けてトリガーを引いた。
紅い輝きと共に、青年は真紅の装甲を纏う。
耳障りな羽音が爆音となり、キメラが弾丸のように飛び始める。
それを号砲として、戦いの火蓋は落とされた。
単なる数の比だけで言うならば、傭兵たちに勝ち目など見えない。
それ程に、キメラは多数だった。
「何、この数‥‥!」
バイブレーションセンサーを発動させたルティス・バルトは、思わず耳を押さえてしまう。
直感的に動体の数を知る事ができるこのスキルをもってしても、正確な数が掴めない。
まるで、ここだけ大規模作戦の最中であるようだ。
それでも、辛うじてその数が三桁ではない事は把握する。
「焦ってはいけません、なるべく正確な数と位置を!」
夏 炎西はそう叫びつつも、それが容易ではない事を知覚していた。
このスキルは振動を媒介とする以上、動体の数に比例して精度は落ちていってしまう。
それを補うのが使用者の能力と集中力であるが、それにも限界はある。
まして、このキメラの数では、少なからず自衛の必要さえあるのだ。
その意味では、ラウディ=ジョージとクラウディアの二人を周辺警戒に回した事は、大きな助けとなったと言える。
これには炎西とルティスの護衛も含まれており、これがなければ、二人が満足な索敵を行えたかは怪しかっただろう。
(あの時の約束は、まだ生きてるんだからね、チャールズ!)
迫るキメラに小銃「S−01」で銃撃を加えながら、アリスは小指にちらと視線を落とす。
一人だけで無理をしないで、という約束。
自分たちを頼って欲しい、という願い。
それは確かに伝わっているはずなのに、不安感が拭えなかった。
また、あの時のように――自分の手の届かぬところで、決定的な、致命的な何かが起こりそうな、予感めいた不吉な感覚。
「‥‥ここまで来てバッドエンドになんて、絶っ対にさせないっ!」
それを振り払うように、アリスは叫ぶ。
その叫びを、甲虫キメラの羽音がかき消した。
「忌々しい‥‥!」
咲が苛立たしげに吐き捨てる。
キメラに斬り込む4人、透、つばめ、楓、そしてチャールズも、そこだけを切り取れば優勢だ。
そんな前衛に援護射撃を行いながら、支援役のアリスもカバーする。
綱渡りにも似た役割を男が果たせているのは、キメラの動きがどこか緩慢である事も大きく関わっている。
いや、緩慢というよりは、何かを企んでいるような、本気ではないという方が正しいかもしれない。
「ジャンは何を企んでいる‥‥?」
司令塔たるジャンは、王零らと戦闘中だ。
仮に何らかの策を持っていたとして、それを実行できる余裕があるだろうか。
まず、無いはずだ。
傭兵たちが、隙を見せない限りは。
――ぞわりと、咲の背中を悪寒が這う。
(何だ‥‥この嫌な感じは‥‥?)
肌の粟立ちを抑えるように、男は歯を噛み締める。
歯車がズレているような、不快な違和感があった。
「チャールズさん、バイクを‥‥ファフニールを待機させておいてください!」
キメラの甲殻の隙間に魔剣を滑りこませながら、透が声を張り上げる。
ジャンのバイク、ニーズホッグはワームの一種だ。であれば、確実に使ってくる。
対して、チャールズのバイクもまた、ジャンのそれと同等のものだ。
ならば、有効なカウンター足りえる。
「了解だ!」
応じた青年の声に、甲高いエンジンの音が羽音をつんざいて響いた。
「不安要素が一つ減りましたね。‥‥はぁっ!」
つばめが隼風を繰り出す。
魔剣に貫かれて弱ったキメラが、その穂先で命を刈り取られた。
「左は私がカバーします! チャールズさんは遠慮なく戦ってください!」
「‥‥任せた」
楓が聖剣を振るい、その援護を受けて、チャールズはキメラを叩き伏せていく。
透とつばめ、楓とチャールズ、二組のペアが、決して早くはないものの、キメラを確実に減らしていく。
そう、敵は多いからこそ、一体ずつ着実に。その方針は正しい。
ジャンというジョーカーは、味方が抑えている。
それを信頼すればこそ、焦る必要はない‥‥はずだった。
●致命
強力なジャンの一撃を、ジャックが完全に防ぐ。
「へェ? 口だけじゃねェってカ?」
「お互いにね」
それなり以上の殺意を込めた攻撃だったのだろう。
ジャンは、それを防がれた事で、ようやくジャックに意識を向けたようだった。
そのために払った対価は、絶対防御に用いた布都御魂だったが、それは織り込み済みだ。
「ま、俺と遊んでくれるなら歓迎するけど‥‥」
ダメになった両刃の刀をアーミーナイフと持ち替えつつ、ジャックはちらと視線を敵から外す。
「お前の首狙ってるやつはたくさんいるぞ?」
言うが早いか、ジャックはバックステップで距離を取った。
そこに、ケイが放ったガトリングの銃弾が殺到する。
ジャンの足元がガリガリと抉られ、土塊と岩の破片が舞う。
それらを目くらましとして、王零と獅子鷹が踏み込んでいた。
左右から迫る魔剣と大太刀が、ハサミのようにジャンの首を刈り取らんとする。
身を捻ってジャンは身体を沈み込ませ、バネのように脚を跳ね上げた。火花が散り、刃が弾かれる。
「お前、チャールズに嫉妬してるだろ?」
すれ違いざま、獅子鷹が言葉を投げた。
「はン? 先輩を嫉妬ねェ‥‥」
「とぼけるかよ。まあ、どうでもいいさ」
ざり、と足が脆い地面を噛む。
向き直った獅子鷹が、息もつかせず切り込んだ。
「俺もアイツが嫌いだからな!」
「あァ、そりゃ同感だワ」
掬い上げるような斬撃と脚甲とがぶつかり合い、激しい金属音が鳴る。
獅子鷹は迎撃された勢いに逆らうことなく、後ろへと跳んだ。
そこに、再びジャックが詰め寄ってくる。
「‥‥つーかヨ」
唐突に、ジャンは興を削がれたように息をつく。
それを単なる挑発と受け流し、ジャックは至近距離からSMG「スコール」を構えた。
(四肢挫き付きの横薙ぎの射撃‥‥避けられるものなら!)
「喧嘩した事ねーだロ、てめェ」
銃声が連続してSMGが弾丸を吐き出し――それらは全て当たらない。
何故なら、その銃身をジャンが押さえたからだ。
「‥‥なっ!?」
「舐めてんのかとも思ったけどヨ」
当然と言えば、余りにも当然だ。
超接近戦での射撃は、確かに避けられまい。だが、それ程に近い距離で、果たして大人しく撃たせる敵がいるのだろうか?
「ただの素人だワ、うざってェ」
「言ってくれるね‥‥!」
銃を掴んだジャンの手が、黒い闇を宿す。
灰褐色の銃身は、べきりと音を立てて呆気無く砕けた。
ジャックは、過去に自身が対峙してきた強敵と比較して、「ジャンが弱く見える」と思っていた。だから、正面から相対した。だから、嘲りながら戦っていた。挑発に乗った敵を自分だけで抑えれば、味方の被害は減ると信じて。
――それは、酷く危うい考え、油断であったというのに。
「違うってんなラ、凌いでみせろヨ。自称ベテランさんよォ」
そしてそれは、本来なら生じなかったはずの隙を生んだ。致命的な。
バイザーの下でジャンは凄絶な笑みを浮かべ、パチンと指を鳴らす。
同時に、数体のキメラが突っ込んでくる。
ジャックは咄嗟に苦無を取り出すと、もう片方の手に持ったアーミーナイフとでそれらを切りつける。
だが、ギィと鳴く甲虫は切り刻まれながらも向かってくる。それは攻撃というよりも、別の目的があるように見えた。
更に、後続が次々と飛来してきていた。
そしてそれは、ジャック以外の味方も同様だ。虫どもが、弾丸のように傭兵たちに向かっている。
突然の豹変に、各自が自身の対処で精一杯となる。
「チィッ!」
明らかに尋常ではない。
その予感が、絶対防御を使用させる。だが、飛来するキメラより先に練力が限界を迎えた。
既にナイフと苦無は使い物にならず、残るは匕首のみ。
スキルもなく、味方からの援護もなく。
そして、ジャックは悟る。自身が油断していたという事実を。
遂に、虫が男の迎撃を掻い潜った。体当たりの勢いで、虫はその脚をがっちりと男に絡める。
「――ボン」
ジャンが、握りこぶしを開いた。
同時に、キメラが爆発する。
生体ミサイル、とでも言うべきか。兵士たちはこの餌食となったに違いなく、それを知ったところで、既に手遅れだった。
密着状態の爆発によって、さしもの能力者といえど動きが止まる。
普段、どれだけの防御力を誇っていても、無防備の一瞬を狙われては意味が無い。
全身を覆う鎧の隙間に、暗黒の貫手がずぶりと抉り込まれる。
「――がはっ!?」
「大道芸の道具ハ、一応壊しといてやらァ」
血を吐いたジャックに下卑た笑い声を上げながら、ジャンが悠々とナイフ類を蹴り砕き――その背に銃弾が殺到する。
「汚い手をお離しなさい」
いち早く、ケイがキメラを処理し終えていた。
次いで、王零らも体勢を立て直す。ジャンの周りには、キメラが少なかった事が幸いした。
一方で、透らのキメラ対応班は、まだ時を必要としているようだ。
男は鼻を鳴らして、ジャックを振り払うように投げ捨てる。
どうと転がったジャックに、慌てたように航三郎が練成治療を行ったが、意識は戻らない。
「ジャン、お前‥‥!」
仲間の惨状に、獅子鷹が激昂する。
「ひハ! 俺がよォ、小細工しねェとでも思ってたかヨ!」
嘲るようにジャンが笑い‥‥凄まじい剣戟音が響き始めた。
味方に何か良くない事が起こった、というのは、キメラ対応班も理解していた。
多少の無理をしてでも、ジャンと戦う味方と合流しなければならない、と。
アリスが練成強化を施し、咲が、透が、楓が、チャールズが、ある一点にキメラを追い立てるべく動く。
そして、飛燕が舞った。
「薙ぎ払う――! 『穿燕槍・天墜』!」
十字撃。
十文字を描いた衝撃波が、多くのキメラを飲み込んだ。
無茶をした代償は、至近距離で受けた爆発の傷。リターンに対するリスクとしては、まずまずだろう。
アリスの練成治療もあって、動けない程ではない。
――だが、その間にジャンはダーケインを発動していた。
もっとも、それらは王零らにしても予測済みだ。
マトモに打ち合う事は極力避け、ケイと航三郎の援護でジャンの動きを鈍らせる。そこを、突く。
「まったく、予想以上だな汝は!」
楽しげに王零が叫んだ。
ジャックが抜けた穴は、かなり大きい。それをカバーする以上、王零と獅子鷹の負担は跳ね上がっている。
だからこそ、と男は思った。
「上位クラスになった甲斐があるというものだ!」
「はン、うざってェ!」
振るわれた漆黒の杭を、魔剣が受け流す。
そこに、獅子鷹が絶妙なタイミングで斬り込む。
火花が散って、黒い装甲に傷が入る。
「いいゼ、出し惜しみはなしダ!」
ジャンは叫ぶと、大きく得物を振りかぶった。
その気配に、王零と獅子鷹は距離を取る。ほぼ同時に、漆黒の杭が更に闇を深くし始める。
「いけない‥‥! 明神坂さん!」
「うん!」
航三郎の合図で、アリスの練成弱体が飛ぶ。
合わせて、航三郎の電波増強からの虚実空間。
それは一瞬その闇を揺らがせ――
「うざってェってんだろォガ!」
怒号と共に、闇が渦巻いた。
それは、さながらブラックホールだ。光さえ抜け出せぬ、黒き死。
「ダークラッシュァ!」
「っこの‥‥下衆がぁ!」
一瞬でジャンは獅子鷹に襲いかかる。
大太刀が迎撃に跳ね上がり、その刃が闇をすり抜けた。――防御不能の一撃。
だが、獅子鷹はそれを察してもなお刃を振り抜いた。抜刀の速度なら、遥かに優っているのだ。影を斬って、黒い装甲にヒビが入る。
「てめェ‥‥ハラワタァぶち撒けやがレ!」
「させるかっ!」
激昂したジャンによって、闇が獅子鷹の腹部を食い破る直前、真紅の光が瞬く。
そして闇は軌道を変え、獅子鷹の肩を抉り取るにとどまった。
「――かはっ」
チャールズが、ジャンの腕を跳ねあげている。
「リープかヨ‥‥! 邪魔すんじゃねェ、ファーストォ!」
「‥‥俺の使命は、立ち向かうことだ! 恐怖に! 悪意に! そして自分自身に!」
チャールズが叫ぶ。
闇が翻り、青年の心臓めがけて走った。
「俺の心に焔が宿っているなら‥‥俺の意志に、その資格があるなら!」
「チャールズさん!」
「チャールズ!」
止める暇さえ、なかった。
楓とアリスの悲痛な叫びが響く。
「応えろ‥‥ブレイズッ!」
再び、チャールズの姿が消え――闇が弾き飛ばされた。
そして、ジャンの背後にもう一つの影が現れる。
『――ライダーキック』
背後の影もまた、チャールズだった。鏡合わせのように、二人の青年はその脚を眩いばかりの真紅に輝かせ、同時に回し蹴りを放つ。
前後からの一撃が同時にジャンへと加わり、逃げ場の無い衝撃が男の体内を暴れまわる。
「ガ‥‥あァアッ!」
それでもなお、ジャンは足掻いた。
一人に戻ったチャールズは、糸の切れた人形のように吹き飛ばされ‥‥入れ替わりに、王零が雷の如く踏み込む。
白刃が幾重も閃き――黒い装甲に、深々と刺突が突き立った。
「これが‥‥汝の言う救済‥‥だ」
呟く王零の口の端からも、血が伝っている。
苦し紛れのジャンの貫手が、王零の脇腹に突き刺さっていた。
「ひヒ‥‥まァ、殺してたんダ‥‥殺されもすらァナ‥‥」
ずるりと刃が抜かれ、ジャンが一歩二歩と後退する。
「ごふ‥‥汝の生き様に、悔いはないか?」
血を吐きながら、王零が問う。
ジャンは変身を解除すると、ニタリと笑った。
「‥‥ハ、ねェナ、んなもン‥‥」
答えるなり、男は倒れ込む。
死んだのだと周囲が理解した瞬間、その躯が燃え上がった。
●Bad Result
灰と化したジャンに応じるように、戦場の片隅で炎が上がった。
炎西らが抑えていたジャンのバイクが、主に殉じたのだ。
であれば、バイクが残っている以上、チャールズはまだ生きているはずだ。
足をもつれさせながらも、楓とアリスが青年の元に走り寄る。
「チャールズさん‥‥! しっかりして!」
楓の呼びかけに、チャールズが薄く目を開いた。
「‥‥大丈夫。意識は、あるよ」
「ああ、よかった! ――死んじゃダメだよ! 許さないんだから!」
アリスが、懸命に練成治療を施しながら絶叫する。
「トリスが愛していた――ううん、愛している『世界』は! チャールズがいなくちゃ始まらないんだよっ!? トリスだけじゃない! チャールズの家族にも、僕にも、楓にも、ここにいる他の皆の『世界』にも! チャールズの存在はしっかりと刻まれてるんだっ!」
「そうです!」
楓が、その叫びを引き継ぐ。
「優しく頭を撫でて欲しい、ぎゅって抱きしめて欲しい、それから、それから‥‥! もっと、一緒にしたい事、して欲しい事、いっぱい‥‥だから! 私は‥‥チャールズさんと一緒に生きたいッ!」
青年の腕にすがるように、少女らはしゃがみ込む。
「‥‥ありがとう」
一言だけ青年は答えると、眠るように目を閉じた。
慌てたように、アリスが脈を取る。生きている。
「すぐに、基地から救急隊が到着します」
「だから‥‥落ち着いて、ね?」
透とつばめが駆け寄ってくる。
元気づけるように、つばめが少女たちの肩を抱いた。無言で何度も頷く彼女らに、つばめは優しく微笑む。
まだ、油断できる状況ではない。
3人はゆっくりと立ち上がると、透と共にチャールズを護るように周囲を見回す。
「‥‥見えた!」
透が、地平線に救急隊の車両を見つけた。
程無く、チャールズを始めとして重傷を負った者が運び込まれ、基地へと搬送されていく。
それを見送りながら、咲は呟いた。
「‥‥彼は用済みだとでも、言うのか?」
「マイヤー‥‥結局、何の動きも‥‥」
航三郎が応じる。
警戒は、結局無駄に終わった。もちろん、それは好都合かもしれない。
それでも、胸の内の不快感までは、打ち消しようがなかった。
どこかで、アルフレッド=マイヤーがぼやいている。
「生き残ると思ったんだけどなー」
「そう‥‥ですね」
ブリジット=イーデンが悲しげに相槌を打ち、問う。
「‥‥仮に、生き残ったとして、どうするおつもりでした?」
「ん? 何もしないよ。チャーリーは、もう限界だったしね。『ミラー』まで発動してくれて、もーお釣りをあげたいくらいさ」
「‥‥」
その答えに、女は無言でため息をつく。
可能性があったが故に、諦めきれないのだ。
「にしても、アレだね。そろそろ地上も物騒だし、宇宙に行こうかな」
「‥‥アーマーシステムの成果報告が、フロリダから求められているようですが」
「量産型作ったって、今更意味ないと思うけどなぁ。まぁ、研究の成果が欲しいってんなら、あげるけどさ。‥‥ええと、『彼らの戦闘データを元にし、強化人間用外骨格、ASの量産データも完成できた。その功績により、彼らは二階級特進の上――』」
適当な報告文を作り始めるマイヤーを横目に、ブリジットが呟く。
「‥‥オベロン‥‥いえ、エンディミオン?」
「彼の事かい? 詩的な表現だね」
けらけらと男は笑い、そうなると、と続けた。
「妖精の女王か、月の女神が必要だな」
「戯言‥‥です」
ブリジットは首を振る。
これが戯曲か神話なら、どれだけ救いのある話になったのだろうか、と。
自らに、それを求める資格は無いのだ、とも。
応急処置を終え目覚めた者を含めて、傭兵たちが集められた。
ラウディから、話があるというのだ。
「――おめでとう。最小限の犠牲で、依頼は達成だ」
「‥‥ラウディ様!」
男が痛烈な皮肉を口にしたところで、思わずクラウディアが咎めた。
ラウディはそれを手で制し、続ける。
「クライアントは俺だ。‥‥嫌味の一つも言わせろ」
そこで一旦言葉を切ってから、男は苦々しげに吐き捨てた。
「ジャンを討ったのは、事実だ。報酬は払うさ。――全額は出さんがな」
ラウディはそう言うなり踵を返し、早足で去っていく。
その後ろ姿を見送ってから、クラウディアは申し訳なさそうに傭兵たちに頭を下げた。
「‥‥失礼いたしました。お気を悪くなされたなら、申し訳ありません」
ですが、と彼女は悲しげに続ける。
「――ですが、どうかご承知ください。ジョージとチャールズ様は‥‥兄弟も同然だったのです。皆様方と同じか、それ以上に‥‥親密な‥‥」
目を伏せたまま、女はもう一度深々と礼をすると、ラウディの後を追った。
居心地の悪い沈黙が、辺りを包んでいる。
ラウディとクラウディアは、何故。
その意味するところを、少しずつ皆が理解し始める。
嘘だ、と誰かが小さく呟いた。
チャールズ・グロブナー。
度重なる戦いと消耗によって、その身体は限界を迎えていた。
それは、エミタ治療には耐えられぬ、と判断されるほどに。
アルバート・グロブナー大佐は、その判断に何も抗論しなかったという。
仮に、大佐がその職を返上してでも訴えれば、UPCも無碍にはできなかっただろう。
だが、彼にはできなかった。彼には、彼を信頼して戦い続けてきた部下たちがいたのだ。
窮極のところ、チャールズの件は「私事」である。
「私事」を理由に、「公」たる軍務を終わらせる英断をするには、アルバートは多くのものを背負い過ぎていた。
アルバートは、死にゆく息子に何事かを語ったという。
だがそれが何であったかは、ついぞ明らかになることはなかった。
青年は今、ようやく訪れた安息の日々を過ごしている。
既に四肢の感覚はなく、移動には車椅子と介添えが必要だ。
とはいえ、その暮らしも長くは続かないのだろう。
それでも、チャールズは穏やかに最期の時を生きている。
ある日、見舞い客たちが青年の病室を訪れると、ベッドはもぬけの殻となっていた。
動けるはずはない。
しかし、もしかしたら、あるいは、青年は回復したのかもしれない。
――そんな期待を、僅かでも抱いてしまう事は、罪なのだろうか。
例え、それがどれだけ荒唐無稽でも、信じたいと思ってしまう事は。
青年は、病院から近い丘の上にいた。
一本の木が、眼下に広がる街を見守っている。
「‥‥やぁ。すまない、心配をかけたかな」
本当ですよ、と誰かが笑う。
「はは。今日は、気分が良いんだ。久々に‥‥手足が動いてくれる」
続きを促すように、誰かがゆっくりと頷く。
「‥‥俺はね、戦友を失った時に、死んでいたのかもしれない。トリスを失った時に、死んでいたのかもしれない」
だから、と青年は続けた。
「――今の俺は、それこそ神様のお情けで、生きてきたようなものなんだ」
そんな事はない、と誰かが否定する。
「はは‥‥そのおかげで、君たちに出会えた。短い付き合いだったが‥‥かけがえのない、絆だったと思ってる」
過去形なのか、と誰かが首を傾げる。
「ありがとう。‥‥すまない」
何故謝るのか、と誰かが目を潤ませる。
「‥‥春は、いいな。命の息吹に満ちて、世界が一段と綺麗に見える。‥‥トリスも春が好きだったが、今なら、その気持ちがよく分かるよ」
そうだね、と誰かが頷く。
「俺は、もう、戦えない。残念だが、もう、走れないんだ。だから‥‥」
青年は、そこから先を少しだけ飲み込んだ。
「――俺の代わりに、とは言わない。全てを、とも言わない。ただ、手の届く命を、守って欲しいんだ」
任せろ、と誰かが応じる。
「命は、絆だ。その輝きは誰かに受け継がれて、きっと、永遠に続いていく。――トリスの命が、俺に力を与えてくれたように‥‥」
青年は、そう言って微笑んだ。
「少し‥‥疲れたな‥‥」
不意に、青年は木にもたれた。
休んだ方がいい、と誰かが言う。
「ああ‥‥そうさせて‥‥もらうよ‥‥」
青年は苦笑して、ゆっくりと座り込む。
「‥‥穏やかな‥‥気分だ‥‥随分と‥‥」
まどろむように、青年は目を閉じる。
「鳥の声‥‥そよ風と‥‥優しい日差し‥‥」
とてもいい日だ、と誰かが笑う。
「世界は‥‥暖かいな‥‥」
おやすみなさい、と誰かが囁く。
「‥‥ありがとう‥‥おやすみ‥‥」
「おやすみ‥‥なさい‥‥」
嗚咽とともに、止めどなく溢れる涙が頬を伝う。
二度と覚める眠りではないと、その場の誰もが悟っていた。
それでも、チャールズは穏やかに、微笑んでいたのだ。
残された者たちにとって、それだけが小さな、そして唯一の救いだった。
その日、チャールズ・グロブナーは、永遠の眠りについた。