●リプレイ本文
アレクサンドラ・リイの実家にある森は広く静かで、虫や鳥の声が時折聞こえるだけだった。
まずはキメラの探索、リイの母親とのお茶会はそのあとだ。
「絶対に執事ですわ」
「メイドさんもいいと思うけど、執事もいいかな」
日下アオカ(
gc7294)と月居ヤエル(
gc7173)は森の前で何やら討論を繰り広げている。一体何が執事でメイドだというのだろうか。
「じゃあ、執事ですわね!」
そして何かが執事に決まったとき、リイが「じゃあ、森に入ろうか」と皆を先導して森へと入る。
今日のリイは私服で、白の開襟シャツとジーンズという軽装だ。
「初めて見るな」
追儺(
gc5241)が呟く。これまでは軍服しか見たことがない。
「私の実家だし‥‥気楽にしてもらおうと思ってな」
そう言いながら、リイは後ろに続く存在をちらちらと気に掛ける。
それは、スーツを身に纏った二足歩行の黒いラブラドール――ドッグ・ラブラード(
gb2486)。
「ところでドッグ、お前その格好‥‥」
「え、えと、なんでもないですっ!」
ドッグはぶんぶんと首を振る。
先の一件以来、動揺気味のドッグ。若干挙動不審なのもそのせいだ。この犬マスクも表情を隠すため。
(どーもシャキっとしないな‥‥)
ドッグはリイを盗み見る。
(いや、友人だし別になにもあれなのだけれどもー‥‥)
「‥‥女性なんですよね‥‥」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもないですっ」
ドッグはもう一度首を振った。
「キメラ退治! いないかもしれないけどキメラ退治!」
森を見渡す澄野・歌奏(
gc7584)は、明らかにキメラではない小動物を見かけては「キメラ!?」と観察する。
「ここは一つ、何も見逃さないぐらいの心構えで行くぜ!」
ドッグも気を取り直し、全力で捜索する。土の中、木の陰、葉の裏――余すところなく。彼は今、超仕事したい気分なのだ。
それに、以前は強化人間などもいたというから尚更だ。
「本当にいるかどうかは分からないみたいだけど、キメラがいたら大変だもんね! 隅々まで探索しなきゃ」
ヤエルは周囲を警戒しながらキメラの痕跡を探す。バイブレーションセンサーも活用するが、これといって怪しい存在は発見できない。
「リィさん、お休み取ることにしたんだね」
ヤエルはリイの背を見つめた。
「ああ。まあ‥‥こんなことになったから、本当に休めるかどうかは怪しいが」
振り返るリイは、前よりはリラックスしているように見える。
「‥‥で、訳がわからないまま連れて来られたけど‥‥とりあえずこの辺りを調べてキメラがいたら倒せばいいのね」
アオカとヤエルの両名に、なし崩しに連れてこられたシャルロット(
gc6678)は、溜息を漏らした。しかし、アオカは森に入るときに離脱して、今ここにはいない。
どこにいるかと言うと――。
「はじめまして。エリザベス=リイ様」
「あらあら、可愛いお嬢さん。初めまして。紅茶でもいかが?」
「いただきますわ」
――先にリイの母親とお茶。
とは言っても、のんびりしているわけではない。相手のペースに合わせて、聞き込みをしていたのだ。
キメラを目撃した場所や時間帯、それらを確認するために。
「時間は、いつだったかしら。場所は、敷地内かなあ。でも敷地ってどこまでだったかしら、チャールズ」
「ご自宅の敷地くらい覚えてくださいませ」
「じゃあ、私ってどこでキメラを見たのかしら」
「この敷地内でしょう?」
「だから、敷地ってどこまでだったかしら」
エリザベスと執事のやりとりに、アオカは目眩を覚える。だめだ、これは多分きっといつまで経っても同じことの繰り返しだ。
アオカは紅茶を飲み終えると、「それでは森に行って来ますわね」と笑顔で席を立った。
「無理ですわ。聞き込みすらできませんわ!」
がくがくと打ち震えながら合流したアオカ。一体何があったのかとヤエルとシャルロットが問うが、アオカは「考えるのも恐ろしいですわ」と首を振る。
「それにしても、何も痕跡がないな。古い傷なら結構見つかるが」
追儺は手近な木の幹に触れる。そこには古い刀傷があるものの、新しい痕跡は何もない。
「ああ、その傷跡は‥‥一昨年くらいかな、ここで強化人間に殺されかけたときについたものだ」
そう言って、リイは目を細めて木の幹を見つめた。
一時間ほど森を探索したが、特に何も見つからなかった。そして一同は旧屋敷の前に立つ。
「どうしますか?」
ドッグがリイに問う。場所が場所なだけに、リイが嫌がるならここの捜索は控えたほうがいいだろう。
しかしリイは、「大丈夫だ」と頷いた。
少し前までの自分なら、頑なに拒否しただろう。だが、今の自分は大丈夫――ちゃんと、向き合える。
そのとき、歌奏が「あっ」と声を上げた。
「あそこ、キメラ‥‥っ!」
それは、一階の窓。
そこにはじっとこちらを見つめる猫が二匹がいた。しかも、「ちっさくて、ふわふわしてて、くりくりしてて、かわいくて、もきゅーってしたくなっちゃう感じ」だ。
「キメラというか‥‥猫?」
シャルロットが首を傾げる。
「でも、キメラだね」
ヤエルが言う。そう、猫たちはキメラなのだ。
なぜなら、首から少し大きめのネームプレートを下げており、そこには「キメラ」と書かれていたから。
「間違いなくキメラですわね」
アオカが眉間に皺を寄せる。
「‥‥」
追儺はノーコメント。
「えぇと、リィさんっ」
ドッグがリイに振る。
「とりあえず、あの『キメラ』を捕獲しよう‥‥うん‥‥」
リイは思わず頭を抱えた。
猫‥‥じゃなかった、キメラは薄暗い旧屋敷内を所狭しと駆けめぐり、能力者達を翻弄する。
「援護するから、捕獲は任せるよんっ!」
キメラの動きを妨害すべく、歌奏が駆け回る。
歌奏にキメラ達が気を奪われている隙に、アオカとヤエル、そしてシャルロットが先回りして待ちかまえる。
「来ましたわ! ヤエルは右の子を、私とシャルロットさんは左の‥‥って、ヤエル、そっちじゃありませんわ!」
「右って言ったから‥‥っ」
「それは猫から見て右でしょう! 私が言ったのは向かって右! シャルロットさん、それはキメラを追いかけてきた歌奏さんですわ!」
「えっ、あっ!」
「うきゃぁっ!?」
「うにゃーご!」
左右がわからなくなったヤエルと、間違えて歌奏を捕獲してしまったシャルロットと、頭を抱えるアオカ。そしてその脇をすり抜けていくキメラ達。
「‥‥とりあえず、キメラを追うか」
「そうしよう」
追儺とドッグは冷静にキメラを追って階段を駆け上がる。他の四人もあとから追いかけてきた。リイは最後尾を、少し躊躇いながら。
やがてキメラは、ある部屋に飛び込んだ。そこは延焼を免れたようで、比較的綺麗な状態で残っていた。
中には、天井まで届くほどの本棚に並べられた書籍。
遺伝子工学や物理学、天文学、地質学――他にもあらゆる文献がそこにあった。
ここは、ヴィクトリア・リイの部屋――。
そして机の上には、ヴィクトリアの日記。
リイは意を決して中に入ると、日記を手に取ってみる。はらりと、日記に挟まっていた何かが落ちた。
それはどこかの湖の写真と、バグアの襲撃前に姉妹で撮った写真――。
「いつものキメラ騒動は‥‥本当はこのために‥‥?」
リイは母親の真意をそこに見て、困惑する。
「‥‥可愛いキメラだね!」
歌奏はキメラ――猫を二匹とも抱き上げ、リイに笑む。
「‥‥ん、そうだな」
リイは少しだけ表情を緩め、猫を受け取った。
キメラ騒動も終わり、これからエリザベスのお茶会だ。
リイは皆を客間に通して母親と執事に紹介する。
「皆様、今日はようこそ」
ぱやぽやにこにこ、エリザベスは皆を出迎える。
「似てない親子だな‥‥。ちょうど釣り合いが取れているかもしれないが‥‥」
リイと、ヴィクトリアと瓜二つの母親を見比べて呟く追儺。
しかし、家族と会えるのはそれだけで安らげるだろう。それだけでも帰る意味はある。
親子水入らず、ゆっくりできるといいが――。
「似てないかしら? もしかしてサーシャちゃんは空から降りてきた天使なのかも!」
「そういう意味じゃなくて」
「でも似てないからもしかしたら!」
「‥‥も、もう、いい」
追儺は頭痛がしてきた。しかりエリザベスは気にすることなく、今度はドッグに声をかける。
「うちのサーシャちゃんがお世話になっております」
「は、いつも、リィさんにはお世話になっております!」
思わず居住まいを正してエリザベスと執事に挨拶をするドッグ。もちろん、マスクを外し、靴を履き替えてある。
それにしても、なんだか懐かしい雰囲気だ。昔仕えていた屋敷を思い出す。
「犬とかいませんかね」
思わずきょろきょろしてしまうドッグは、部屋の隅でくつろいでいる黒のラブラドールを見つけて目を輝かせた。
「あら、お友達なのかしら?」
「ち、違いますよっ!?」
エリザベスに問われ、慌てて否定するドッグ。
「リイちゃん‥‥は、もういるから、エリザベスちゃんだね!」
にこにこと笑う歌奏に、エリザベスはぱっと顔を輝かせる。
「ええ、歌奏ちゃん! そうだ、お友達になりましょう! もちろん、皆様も。私とお茶をした人たちは、お友達!」
そんな様子を、遠い目で見つめるのは執事姿のシャルロット。その両脇には、ほくほく笑顔のアオカとヤエル。
「どうした、シャルロット」
「‥‥察してください」
がくりと肩を落とすシャルロット。アオカとヤエルの討論の結果がこれだ。
その時、執事がさりげなく窓を開けて風を通した。それを見て、アオカがシャルロットに何やら囁く。
「まるで自邸にいるように気を遣わせないのが彼等の仕事です。シャルロットさん、おわかりかしら?」
「‥‥はい」
完全にアオカとヤエル付きの執事状態となってしまい、いつものことと諦めて頷くシャルロット。
「シャル君はとても頑張ってるよね。チャールズさんをしっかりお手本にしないとね」
ヤエルはくすりと笑う。「チャールズは素敵な執事なのよ」とエリザベスも笑い、リイも表情を緩める。
「ふふ、漫才みたいなやりとりで気が少しはほぐれましたか?」
「ああ。ありがとう」
シャルロットに頷き返すリイ。
「サーシャちゃん、とても楽しい人たちね。私、家族が増えてとっても嬉しいわ」
母親のその言葉に、リイが思わずツッコミを入れる。
「友達じゃないんですか?」
「お茶をした人たちはみんな家族よ?」
「お母様の家族は一体何人ですか」
「数え切れないくらい!」
ダメだ、この母親ダメだ。リイは重苦しい溜息を漏らす。
「お前の母親は‥‥天然か? 話しているとペースを乱されっぱなしなんだが‥‥」
追儺がリイに言う。リイは「耐えろ」と言うことしかできなかった。
アオカはリイの母親と自身の父親を重ねていた。
――心配なのはわかっている。
「帰る場所があるから、旅立てる。それを忘れたわけではありませんわ」
帰るかどうかは別ですけど――と、半ば自嘲気味に言う。
気軽に帰るには重すぎる思い出もあるのかもしれない。
あの「場所」の出来事は、リイの中で整理されているのだろうか。アオカはリイのカップを持つ手を注視した。
緊張している様子はない。整理されているかはわからないが、覚悟はできているのだろう。
執事は――もう、何かを悟っているようだ。穏やかな眼差しで、リイを見ている。話題から心の準備をさせようと思ったが、その必要はなさそうだった。
そのとき、リイがカップを置いた。
そして少し改まった顔で、母親と執事を見る。話があると言って、二人を別室に誘った。
「‥‥アレクサンドラ」
追儺が一旦制止し、リイの緊張をほぐすように言葉を投げた。
「‥‥あったことを話すんだろう? 全部話してこい。親ってのは強い。ちゃんと受け止めてくれるさ。お前の気持ちも合わせてな」
「‥‥ん」
リイは小さく頷き、皆に軽く断りを入れてから一旦退室した。
リイ達は十五分ほどで戻ってきた。
笑顔のエリザベスと執事、そしてリイは――穏やかな顔をしている。
どのような話をしたのかはわからないが、彼等の表情が全てを物語る。
ドッグが、静かに歩み寄る。
こういうとき、部外者は何を言えるかわからない。ただ――。
「私は‥‥、私も、全力でお二人と向き合い、戦います」
それくらいしか言葉が浮かばない。本当はバグアから取り戻すと――考えても、詮無きことではあるが――。
「‥‥お願いね、ドッグさん」
エリザベスはドッグに笑みを向ける。ドッグは「はい!」と力強く頷いた。
そしてお茶会が再開される。
他愛もない話、リイとの依頼の話、他にも尽きない話題で時間は過ぎていく。
「アレクサンドラはよくからかわれているよ‥‥実際の戦闘となるとそうもいえないが、その前の話し合いではな。まじめに返してくれるから楽しいんだろうな」
「私、そんなにからかわれているか?」
追儺に首を傾げて返すリイ。
「知りたいな! リイちゃんの返し方とか!」
歌奏が身を乗り出すと、追儺が「たとえば‥‥」と語り出す。
「あとは、意外な一面もあったりするとか」
ヤエルが言うと、シャルロットが応じた。
「詳しくは知らないけど‥‥なんでもアリジゴクなキメラが‥‥うぐっ!?」
両側から脇腹にクリティカルヒットしたのは、アオカとリイの高速ツッコミ。言うなという無言のオーラが出ている。
「サーシャちゃん、蟻地獄嫌いなの? お母様初めて知ったわ!」
目を輝かせるエリザベス。頬を引き攣らせるアオカを見て「アオカちゃんもなのね!」と笑む。
アオカは蟻地獄連呼から逃れるように、部屋の隅にあるピアノへと歩み寄った。
そしてありふれた耳慣れた音楽から、ひまわりの唄の旋律を混ぜたアレンジを奏でる。
「‥‥ついて来れるかしら?」
その音色は、心の音で邸を包み込むように広がり、皆をも包む。
「綺麗な曲だね‥‥!」
歌奏がうっとりと耳を傾けると、誰もがアオカのピアノに身を委ねながら会話を続ける。
アオカはちらりとエリザベスを見た。
「‥‥お父様とそっくりですの」
――でも、リイさんは上官さんといい、回りに恵まれましたわね。
それも自分と同じかもしれない。
「‥‥別に、感謝など」
その言葉は、どこに向けてのものなのか。背に、穏やかなリイの視線を感じる。
「‥‥家族というのは、やはり、よいものですね」
ドッグはこのひとときを微笑ましく思っていた。ふと、主人や同僚の顔が浮かぶ。
そして随分と穏やかな表情をするようになったリイに、目を細める。
ふいにリイと視線が合った。リイは微かに笑んでから母親との歓談に戻る。
そしてエリザベスのもてなしは続く。
お茶会、夕食、それから、それから――。
今日はここに泊まることになるのだろう。
「本当に‥‥よいものですね」
ドッグは笑みを浮かべた。そして、祈る。
一瞬でも多く、リイ達に笑顔があるようにと――。