●リプレイ本文
小村田礼子が住んでいるのは山奥にポツリと佇む、端正な純和風の家屋だった。辺りはぐるりと山に囲まれている。いわゆる大自然。
紅坂・陽媛(
ga0451)はしみじみ呟いた。
「のんびりする所だよねー。キメラが居るとは思えないくらい」
「ですね」
頷いたのはアーク・ランドル、現在一緒に家の周りを警戒中だ。小村田家を襲ったという銀狼型キメラは、今もって捕獲も退治もされていない。それを知っていて、警戒しているつもりでもつい気が緩んでしまいそうな、そんなのどかな風景だ。
だが、と2人は小村田家を振り返る。半月前、銀狼に襲われた爪痕があの家屋に生々しく刻み込まれていたのも、彼らは目撃している。抉れた廊下に、傷だらけの柱に、破れを補修した襖に、明らかに新しく張り直された襖紙に。
「――危ないって、判ってるのにね。どうして引っ越すのが嫌なのかな?」
「生まれ育った土地、と言うだけにしては頑なでしたね」
陽媛の呟きに、律儀にアークが返事する。そうだよねぇ、と頷く。
礼子の主張は一貫している。ここは生まれ育った土地で、夫や息子や孫たちの思い出の一杯詰まった大切な場所だから。そうして訪れた彼らに言った。「ここは危ないからお帰りなさい。貴方達みたいに若い人が、命を粗末にしたものじゃありませんよ」と。
それは、まるで。
「おばあちゃんの命は粗末にして良い、みたいな言い方だよ、ね」
ポツリ、と呟いた言葉が、全員の気持ちを代弁していた。
さて、小村田礼子説得を祖母より命じられ悠斗は、親友から脳みそまで食欲と筋肉で出来ているとか、ナイロンザイルの神経だとか、散々な酷評を払拭すべく、鋭意努力していた――かと思いきや、
「ぉおっ、ばあちゃん、この野菜炒めマジ美味い! 野菜がこんなに美味いとは、あ、お代わり!」
「まぁ、気持ちの良い食べっぷり。まだありますから、たんと召し上がれ」
「ぃやったッ!」
やっぱり食欲に忠実に生きていた。しかも説得に来た相手にご飯を作らせていた。
大きなお茶碗に山盛りのご飯と、ほかほか湯気を立てる野菜炒めを満面の笑みでがっつく少年に、ペアを組んだアリオノーラ・天野(
ga5128)は思わず天を仰ぐ。
(長谷川さんにまかせては話はまとまりそうにありませんわね)
まとまらないどころか、始まりもしていない。長谷川悠斗の胃袋、恐るべし。
眉間に皺が寄るノーラに、気付いた礼子が「あら」と頬に手を当てた。
「若いお嬢さんがそんな難しい顔をなさって。貴方も召し上がる? 孫もそうだったのよ、お腹が空いてくるとすぐギュゥゥッ、と難しいお顔になってね。おばあちゃんがご飯を作ってあげるとすぐにご機嫌良しさんになってね‥‥」
「‥‥‥頂きますわ」
特にお腹が空いていた訳ではなかったが、ノーラはそう申し出た。そんな懐かしそうな顔で語られて、最後には悲しそうに居間へと視線を向けられては弱い――居間には、彼女1人を残して旅立った家族が、まだ白木の小さな箱の中にいる。
あらそうぉ、と翳りはあるものの嬉しそうな表情で、食器棚からお茶碗を取り出す礼子。ご飯をよそって置かれたのは上品な朱色の線の入った小さな、多分若い女性向けのお茶碗――そういえば悠斗の使っているのは明らかに男性用。恐らく、亡くなった夫か息子のものだろう。
神妙な表情でお椀を持ち上げる。嬉しそうに――懐かしそうにニコニコ見守る礼子をちらりと見て、まったく何も考えていない様子で口一杯ご飯を頬張る悠斗を見て。
「‥‥これが長谷川さんの説得、ですか」
「んぁ? 食わないなら貰うぞ?」
――あまり高尚な事を考えていない様だったが、案外悠斗の祖母の選択は間違いでもなかったのかも知れない、とほんの少しだけノーラは思った。
「ばあさんは後を追いたいのかも知れんな」
霞む稜線に目を凝らしながら言った夜光 魅鞘(
gb5117)に、桃ノ宮 遊(
gb5984)は小さな同意を返しながら辺りに警戒の視線を走らせた。もうそろそろ日が沈む。銀狼が通常のそれと同じ生態を持っているかは知れないが、夜が来ればこちらが圧倒的不利になるのは火を見るより明らかだ。
一番の理想を言えば、到着したその日のうちに礼子を説得し、ラストホープへ帰還出来れば良かった。だが、温泉友達が幾度掻き口説いても首を縦には振らなかった彼女を、その気にさせるのは難しい。危険を承知で、恐らくは死を望んでこの地に居る人に、安全を理由に移住を薦めても意味が無いのは想像に難くない。
だとしても。
「皆さーん。お夕飯の支度が出来ましたよー」
勝手口でそう叫ぶ、割烹着姿の礼子の姿が見える。傭兵達が礼子を置いて帰る意思がない事が判ると、ほんの少し困った顔になって、だがほんの少し嬉しそうに、じゃあお泊りの支度をしましょうねぇ、と笑った。
その彼女が一体どんな気持ちでこの地に留まり続けるのか――
ノーラと悠斗が見回りに出るのを見送って、ニコニコ顔でお茶碗にご飯をよそう礼子に礼を言って食卓につく。陽媛とアークはこの後交替予定だ。
大皿には山盛りの、たっぷりの料理。わざわざ用意したのかと驚けば「つい作り過ぎてしまうんですよ。今日は皆さんがいらして助かったわ」と寂しそうに微笑む。
「あたし、こうゆうのって苦手なんやけど‥‥」
山盛りの料理を前に、神妙な顔で遊が言った。
「あなたが生きてるって事が、みんなが生きてたって証なんや、思うけどなぁ」
「そうねぇ‥‥そういう考え方も、あるのでしょうねぇ」
その言葉を礼子は否定しなかった。否定はしなかった、けれど。
「でも、ね。考えてしまうんですよ‥‥あの日、夫や、息子や、嫁や、孫がどんなに痛くて、辛くて、寂しい思いをしたのかと‥‥私だけが温泉なんかに行っている間に、ねぇ‥‥」
続いた言葉と、その表情で、そう考えては居ない事も判った。居間の方を見つめる礼子の表情が、家族から取り残された喪失感を――自分だけが生き残ってしまった悔恨を物語っていた。
魅鞘は溜息を吐く。礼子が家族の後を追いたいと言うのなら、何かを言う権利はない。それは彼女の意思なのだから。
でも、知ってしまた以上は見過ごせない。それが人情というものだと、魅鞘は思う――それをしてしまえば、礼子を見殺しにしたのと同じ事になる。
だから何かを言おうとした、その瞬間、テーブルの上に置いてあった遊のトランシーバーが通信をキャッチした。発信者はアーク。
『出ました、銀狼です! 数、目視で5‥‥6体!』
「了解! ‥‥やって。結構多いなぁ」
「ああ。ばあさん、危険だから外には出るなよ」
さっと顔色を変えた礼子にそう言い置いて、2人は真剣な顔付きになって各々の武器を確かめて慌しく飛び出していく。数が多ければ仲間が到着するまで隠れて待機、と打ち合わせはしてあるが、到着は一刻も早いに越した事はない。
そして礼子も。
「――銀狼」
思い出すのはあの日の光景。見渡す限りの血に沈んだ、家族の抜け殻の澱んだ虚ろな瞳。2人の言葉など聞いていなかった、脳裏に浮かぶその光景だけがリアルで。
そして彼女は、自分でも良く判らない衝動に従って歩き始めた。
最初に現れたのは1頭の銀狼だった。堂々とした体躯の、キメラと判っていてなお誇り高さを窺わせる容貌。
咄嗟にトランシーバーを取り出すうちにも数が増え、打ち合わせ通り手頃な岩の陰に隠れて待機してたアークと陽媛が、駆けつけた仲間達に簡潔に状況を説明する。
「今で10頭だよ。あの、ちょっと大きめのが群のボスみたい」
「仲間が揃うのを待ってたみたいだけど、アレから増えない所を見ると打ち止めなのかも知れません」
「もしくは私達に見えない所に待機しているのか、ですわね。私は援護射撃をしますわ。長谷川さん」
「ぉおッ、身体を動かす事なら任せとけ!」
「よろしくお願いしますわ。勝手な行動を取った場合は、判ってますわね?」
エネルギーガンを構えながら言ったノーラに念を押され、話を振られた悠斗はごつい剣を構えながら『勿論』と胸を叩いた。事前に、勝手な行動を取った場合はカップ麺を取り上げる事を言明されている。ノーラの「貴方のような方には手綱をつけておかないと何をするか判りませんもの」という言葉を、本人も否定できなかったのが悲しい。
そんなやり取りに苦笑しながら、残る仲間も戦闘準備を整える。さすがに傭兵達の気配に気付いたのか、ボスらしき個体がこちらを振り返った。夜闇にキラリ、と輝く獣の双眸。
太い足で銀狼の群が疾走を開始したのと、悠斗が嬉々としてガチ勝負を挑みに走り出したのは同時だった。あ、バカ、とアークが天を仰ぐ。何も考えずに突っ込んで行ったのは明白だ――つまり、背後の守りは何一つ考えちゃ居ない。何しろ訓練の時はいつも、無鉄砲に突っ込む悠斗の背後をアークが守る、というか守らざるを得なくなっていたので、ノーラにも同じ事を期待しているのだろう。
舌打ちしたノーラが先頭の銀狼に狙いを定め、まずは先制攻撃をお見舞いする。こちらはきっちり連係を打ち合わせていた陽媛とアークが追って走り出し、同じく魅鞘と遊が銀狼に立ち向かう。
その時にはすでに群は傭兵達のすぐ傍まで近付いていた。ノーラの一発で怯んだ先頭を追い抜いた銀狼が、手近に居た悠斗に襲い掛かる。学生とは言え悠斗も能力者、そこは危うげなく初撃を受け止め、押し返す。
「やるやん、坊や!」
瞬天速で追いついた遊が、ひゅぅ、と口笛など吹きそうな様子でそれを見、そして両手の鎌切を振るう。ギャイン! と鳴いた銀狼にすかさず魅鞘が迫り、円閃を叩き込む。
(確かにオレは実戦経験はまだまだだが)
ならばなおの事、実戦経験を積まなければお話にならない。彼女は前線を望み、その為の鍛錬を積んできている。打って出なければ何も出来る事はない、という自覚がある。
積極的に、ハイペースに。出来る事がそれだけなら、それだけの事をただひたすらに。
「ン‥‥ッ、アークさん、頼めるかなッ!」
ぞろりと並んだ牙を愛剣で受け止めた陽媛の叫びに、すかさずアークが横合いから一瞬の隙をついて銀狼の腹を蹴り上げた。知能戦が得意そうに見えるが、アークの専門は格闘技。しなやかに身体を捌いて強引に陽媛と引き離し、押さえ込んだ所に陽媛の愛剣が一閃して止めを刺す。どっかの馬鹿と違って戦いやすいな、とアークはしみじみ感動した。
銀狼はボスを中心に、連係らしきものすら窺わせる攻撃を仕掛けてくた。故に、それを受ける傭兵達も2人1組となり(若干1名暴走中)、一頭ずつ確実に数を減らす事を心がける。
と、援護射撃を行っていたノーラは不意に、スコープの中の銀狼の動きが変わった事に気付いた。まるで気を散らすように‥‥否。
「おばあさん‥‥ッ」
思わずスコープから目を離し、現れた礼子を険しい眼差しで見た。なぜ此処に!?
傭兵達より早く玲子に気付いていた銀狼達が、まず、か弱そうな人間を血祭りに上げようと攻撃の矛先を変える。疾走。礼子は動けない。動かないのか。
「危ないッ!」
咄嗟に遊が動いた。瞬天速で一気に間合いを詰めて、疾風脚、そして瞬即撃への流れるコンボ。辛うじて退けた銀狼をノーラが撃ち、さらに追いついてきた魅鞘が仕留めた。ほっと一息。だがまだ敵は残っている。
ペタン、と礼子がへたり込んだ。
「どうして‥‥私は、連れて行ってくれないの‥‥ッ」
「後追いは認められませんわ! 貴女が生きているからこそ、ご家族の事を思い出す事が出来るのではありませんの!」
礼子が居なくなれば、彼女の家族の事を想う者は誰も居なくなる。それは本当の意味の『死』だ。礼子が生きて家族を想えばこそ、彼らは礼子の中で生き続ける。
だから、生きて欲しい。生きて欲しいから彼女達は来て、礼子を守る為に、生かす為に銀狼と戦っている。
そんな傭兵達の、傷付き血を流してなお闘志を失わぬその姿に、礼子はいつしか涙を零していた。
「どうして、と思ったの」
湯気の上がる湯のみを見つめながら、悄然とした表情でポツリと礼子はそう言った。
現れた銀狼をすべて退治した傭兵達は、その後、とにもかくにも礼子を連れて家に戻り、傷の手当を施した。幸いにして礼子に怪我はなく、戦闘で負った傷自体もそれほど深刻なものではないようだ。ノーラのGooDLuckが、こんな所で効いたのかも知れない。
そんな礼子を落ち着かせようと、台所中を漁りまわった女性陣が緑茶を発見して何とかお茶を淹れ、適当な湯飲みに人数分注いで配膳し――礼子が、そう言ったのだ。
「孫はようやく小学生に上がったばかりで、息子夫婦もようやく仕事で認められて、これからって言う時だったのに」
温泉旅行が唯一の趣味の礼子を、いつも家族は快く送り出してくれた。あの旅行の日だって、ゆっくりしておいでと夫が言って、お母さんの趣味だからねと息子夫婦が言って。僕もおばあちゃんと一緒に行きたいと可愛らしいわがままを言った孫に、じゃあ次は一緒に行きましょうねぇ、と礼子は指きりげんまんした。
全部、こんなにも鮮やかに覚えているのに。次の約束は、果たされない。
そっか、と陽媛が呟く。
「でも‥‥おばあさんだけでも助かって、皆は喜んでるんじゃないかなって、ボクは思うよ」
「だから、1日でも長く生きるのが、あなたの使命ちゃうか?」
その為にも、より設備の整ったらストホープでの生活の方が良いだろう。此処に戻ってきてはいけないと言う事ではない――戻りたければ、それこそ悠斗にでも付いてきてもらえば良い。
遊の言葉に、ノーラが頷く。
「亡くなった方達の為に理由が必要なのなら、長谷川さんのおばあさんの為に、いえ、私達を生かす為に来てくださると嬉しいですわ」
「悠斗も、悠斗のばあさんも、オレ達もばあさんが心配なんだ。ばあさんに生きていて欲しいんだよ」
陽媛の、ノーラの、魅鞘の、遊の、アークの真剣な眼差しが礼子に注がれた。それをゆっくりと見回して、最後に礼子は悠斗を見て。
「‥‥あなたも、そう思うのかしら?」
「ぉおッ、なんなら次の夏休みにはウチのばあちゃんとオレとアークで此処に泊り込んでも良いしなッ! ばあちゃんの飯も美味いけど、ラスホプの飯も美味いからきっと好きになるぞ!」
「長谷川さんッ! あなたはご飯の事しか考えてませんの!?」
結局出た『メシ美味い』発言に、ノーラがプツンと叱り付け。それに、礼子は小さく微笑んだ。
「‥‥皆さんみたいな方がいらっしゃる、ラストホープもきっと素敵な所なのでしょうね」
いつか孫にも聞かせてあげなくちゃね、と呟いて、礼子はついに、ラストホープへの移住を承諾したのだった。
後日。その節はお世話になりました、としたためた丁寧なお礼状が、礼子から傭兵各位に届けられたと言う。