●リプレイ本文
空に輝く太陽を見つめ、ぽつり、アンドレアス・ラーセン(
ga6523)は呟いた。
「蛇、か」
以前関わっていた事件が、ロシアで一応の決着を見た、その報告書。記された、蛇と呼ばれた女の末路。
一通り読んだものの、結局、判らない事ばかりだったと、思う。蛇――ズミヤーは何を望んでいたのか。あれ程までにアニーを憎んだのは何故なのか――推測できなくもないが、結局は謎のままだ。
ぶらり、歩き出す。そぞろ歩きには良い気候、今宵のサプライズパーティーにはまだ時間があったから、アスはのんびり散歩をしながら思いを巡らせている。久しぶりに作曲をしようかとも思ったが、何となく止めた。
(――人間がそこにいる限り、俺の探求は続くという訳だ)
シガレットのフィルターを軽く噛み、思う。
そこにアニーへの憎悪があった事は確かだ。親バグアを巡る彼是は、その舞台装置に過ぎなくて――それすら利己の為に利用出来てしまうのが、人間と言う物なのだろう。
●
ソレイユが不意に足を止めたのに、遠倉 雨音(
gb0338)は眼差しを巡らせた。そうして春の気配の中に、既知を見つけて小さく口元を綻ばせる。
雨音が気付いたのに、あちらも気付いた。銀のおさげが揺れ、青い瞳がまぁるく見開かれる。
「雨音さん」
「偶然ですね、アニーさん」
彼女に、雨音は微笑んだ。はい、と大きく頷いた、アニーがサーと一緒に駆けてきて、並んで歩き出す。
それはいつかと同じ光景。そう、思い出して雨音はくすりと笑った。
「アニーさんがLHに着任した時も、こうして散歩中に会いましたよね」
「ぁ。そう言えば」
くすくす、くすくす。顔を見合わせ笑うのは酷く平和で、いつも明るくほんわかしている彼女にはぴったりな気がした。
とはいえ、本当にそれだけだったら彼女とかれこれ4年以上、付き合っては居ない。知り合ってからこの前のマリアの一件まで、その雰囲気に似合わず随分ハードな経験をしている彼女が気がかりで、気付いたら随分と時間が経っていたのだ。
なぜだか懐かしくそう思い出してしまうのは、予感がしたからかも、知れない。案の定、ふと笑い声が途切れた瞬間、アニーはイギリスに戻る事になったと、告げた。
そうですか、と呟いた声色が、寂しげに響いたのが自分でも、解る。だからその想いのままに、言葉を紡いだ。
「友達がいなくなって、ソレイユが寂しがります‥‥勿論、私も」
「雨音さん‥‥」
「また何かあればいつでも連絡して下さい。幾らでも力になります。――尤も、私よりも先に連絡すべき人がいます、が」
くす、とそんな噂をすれば、道の先にまさにその神撫(
gb0167)の姿があった。何とも良いタイミングだと、雨音はまた笑い。
「用事がありますから」と断り、雨音は頭を下げた。そうしてソレイユと散歩道を歩いていく、後ろ姿を「今までお疲れ様。――ありがとう」と見送ってから、神撫はアニーへと向き直る。
見上げたアニーと、サーの首の角度がちょうど同じで何だか、笑った。ぽふりと彼女の頭を撫で、サーの頭をわしわしすると、「ちょっと歩こうか」と促して歩き出す。
彼女がLHを離れる事になったのは、聞いた。意外と言うよりは、とうとう、という気持ちが強い。
同じLHに居れば偶然出会う事も、互いの休暇に待ち合わせる事も出来るけれども、これからはそう簡単にはいかなくなる。まして戦争の終わった今では、傭兵に出される軍からの依頼も少なくなるだろう。
とはいえ彼女は人質になったり単機で牽制に出たりと、どう考えても作戦士官の仕事でない事ばかりをしていた。さらには伊達巻を作ったり、チョコを作ったり、変な事だって一杯していて。
――それでも彼女は軍人、だから。
(鼠の件も何とか片付いたし、これからは普通の軍務に戻れるのかな?)
出来ればもう前線には出ないで済むと良いと、思う。また何か危ない目にあってるんじゃと、心配しなくて済むから。
そう、考え出すと思いは自然、先へと向かう。とはいえ、自分自身の『これから』もまだ、神撫には定められてはいなかった。
自分が軍人という柄ではない自覚はあるが、今更元の生活に戻る事も出来はしない。ならば新しい未来をと模索しても、教師でも目指してみるか、ぐらいしか思いつかなくて。
けれどもただ1つ、願っている事は、ある。
(ここが最後のチャンスかな? ‥‥覚悟を決めるか‥‥)
そう考え、すぅ、と神撫は息を吸い込んだ。込み上げてきた緊張を、唾と共に何とか呑み干す。
アニー、と呼んだ声は少し、震えていたかも知れない。ん? と何気なく振り返った彼女が、神撫を見上げてくる。
そんな彼女を見下ろして、幾度か迷って。ようやく神撫は、絞り出すようにその言葉を、紡いだ。
「アニー‥‥ずっと一緒にいてくれないか?」
「‥‥‥ッ」
神撫の言葉の意味する所。この先もずっと一緒にいて、一生共に歩んで欲しいという、願い。
それを理解したアニーは軽く息を飲み――それから照れた顔で、嬉しそうに頷いた。
「――うん、神撫。ずっと、一緒にいようね」
「ああ。‥‥ずっと。しばらくイギリスで待ってて」
噛み締めるように告げて、神撫はアニーを抱き締める。そうして、すぐに迎えに行くからと紡いだ言葉に、腕の中の彼女がまた頷いたのに、幸せを噛み締めた。
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薔薇の手入れをしながら、すっかり春らしくなった陽射しをロジー・ビィ(
ga1031)は受けていた。こんな日は何だか、のんびり過ごしたくなるものだ。
だから薔薇の手入れをして。それから愛犬のハスキーを振り返る。
「ラグーンさん、お散歩に行きましょう?」
――ウォン!
ロジーの言葉に、待ってましたとばかりに鳴き声が返った。そんなラグーンにリードをつけて、春に染まり始めた町へと歩き出す。
暖かな陽射しは、先日まで居た極寒のロシアが夢物語だったかのようだ。そしてあの時の事すらも。
そう、思ってロジーは眼差しを揺らした。
(本当にもう、この世から居なくなってしまったなんて‥‥)
マリアと名乗り、キヨヒメと呼ばれた女。彼女の『幸せ』とは何だったのだろう。アニーを憎み、命を狙い、叶わず死を選んだ理由は――それ程のプライドは一体、どこにあったのだろう。
或いは彼女は本当は、まったく違う事を望んでいたのかもしれない。大蛇に変じ、安珍を焼き殺した清姫のように、アニーだけではなく、諸共に‥‥?
(‥‥いいえ、考え過ぎでしょうか)
ふ、とロジーは息を吐き、小さく首を振る。それでもあの誇り高さを、生きる為に使えていれば――もっと違う方向に発揮出来ていれば、彼女の何かは変わったのではないかと、思わずにはいられない。
それは、ロジー自身にも言える事かも知れなかった。もっと違う方向。もっと違う道――
「‥‥? ラグーンさん?」
ふいにぐいとリードを引っ張られ、ロジーは目を瞬かせて物思いから我に返った。と、公園の垣根の向こうに、既知が居る事に気付く。
アニーとサー。神撫も――それから、アスも居る――
とくん、と高鳴る胸を宥めて、ロジーはラグーンを促した。そうして彼らに近付いて、ぐるりと見回し微笑む。
「御機嫌よう、アニー。神撫とアンドレアスも。お元気でして、サー?」
「あぁ。‥‥そうだ。ロシアでは、お疲れさん」
そんなロジーを、自身も先ほどたまたまアニー達に会ったアスは、少し複雑な表情で見ながらそう言った。知らず、懐を守る様に手を添える。
ここには、ロジーに渡したい物が入っていた。けれどもそれは、今じゃない。
だから労う意味を込めて、短く伝えた言葉にロジーは「えぇ」と頷いた。残らず噛み締めようとする様に。
そんなロジーから眩しそうに目を逸らし、アスはアニーへと向き直った。
「で、いつまでこっちに居るんだ? 引っ越しの手伝いは要るか?」
「引っ越し? アニー、引っ越されますの?」
「そうなんです。またイギリスに戻る事になって‥‥」
「戻り先は諜報部なんだよな、狸親父は何か言ってたか?」
アスの言葉に、アニーはちょっと困った顔になる。そうして息を吐き出して、辞令が電話で気軽に伝えられた事と、暇だろうと言われた事を告げると、らしいとアスは苦笑した。
そうしていつも通りを崩さないまま、「最後に皆で飲むのも‥‥いや、アマネの処でお茶が無難か?」と腕を組むと、アニーが「雨音さんにもさっき会いましたよ」と笑う。これから用事があると言っていたらしいから、今行っても不在だろう。
ふん、と鼻を鳴らしてアスは、矛先を変える事にした。
「で、キミは今後どうするのかねカンナ君よ」
「えッ!? えー‥‥っと‥‥」
「ア、アスさん! その、です、ね‥‥ッ!?」
ニヤリ、笑って尋ねた言葉に途端、真っ赤になった2人に答えを察する。喜ばしい事だ――どんな選択にせよ、祝福するつもりでいたのだが。
また無意識に懐を押さえ、ロジーをチラリ、見る。それからにやりと笑ってくしゃり、アニーの頭を撫でた。
「おめでとさん」
「あ、ありがとう、ございます‥‥」
「え、と。その、ありがとう。アスはこの後、どうするんだ?」
故郷に帰ってバンドをするのか、ふらふら世界中を放浪するのか。どちらでも似合う気がすると、言った神撫にまたにやりと笑って、アスはサーの頭を撫でる。
そうして「また後でな」とひらり、手を振って離れていくアスの後を、追ってロジーも同じ方向へと歩き出した。ちらり、伺うようにアスを見上げると、金の髪の向こうで何やら複雑な青い瞳が彼女を見下ろして、けれども何も言わない。
だから隣に並んで歩きながら、言った。
「思えばアンドレアスとも、多くの時間を過ごして来ましたわね。コスプレパーティ、覚えてまして?」
「――あぁ」
そんな事もあったなと、懐かしく思い出す。一番信頼する相棒として、一緒にこなした依頼はたくさんあって、ちょっとやそっとで語り尽くせるものではない。
けれども今は、この時間が愛おしかった。今までもこれからも、アスにとってロジーが一番信頼できる相棒なのは、間違いないのだから。
それは、ロジーにとっても同じで。あの黒髪の青年を想い合ったり、他にも色々、本当に色々とあって――その、歩んできた道の上に、今があって。
(だから、あたしはこれで良かったのですわ)
ロジーはそう、自身に言い聞かせるように考えた。もっと違う方向が、もっと違う道があったかも知れないけれども、その時々の選択を重ねた上での今が在り、今の自分が在り、これからの自分が居るのだから。
とはいえ、未来はどうなるのか判らないのだけれども、それもまた楽しい事だと、思う。だから依頼の話をしながらも、ロジーはきっと、と思っていた。
きっと。どんな未来でも、心から受け入れよう――と。
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用事がある、と言ったのは嘘ではなかった。一旦家に帰ってソレイユにお留守番を頼んだ後、雨音が向かったのは恋人の藤村 瑠亥(
ga3862)との待ち合わせだ。
話があるから会いたいと、呼び出された。待ち合わせよりかなり早く着いたはずだが、瑠亥はすでに来ていて、しかもどうやらずいぶん待たせてしまったらしい。
「申し訳ありません、瑠亥。待たせてしまいましたか」
「あぁ、いや‥‥」
そう言いながら向かいの席についた雨音に、瑠亥は曖昧に頷き、何杯目になるか自分でも覚えていないコーヒーを飲んだ。――これからの事をどう切り出すか、ずっと悩んでいたのだ。
やって来た店員に、雨音が飲み物を頼む。そうして彼女の日常を彩る出来事を、何とはなしに話してくれるのを、聞いて。
ふ、と沈黙が落ちる。その沈黙に後押しされるように、雨音が、言った。
「決戦の前に行った夏祭りの帰りで交わした約束‥‥聞かせてもらえますか‥‥?」
その言葉に、ああ、と目眩にも似たため息を吐いて、頷く。――結局、気の利いた切り出し方を、思いつけなかった。
だから瑠亥が紡ぐのは、迷いながらの率直な言葉だ。
「俺は、多分ずっと今のようなことを続ける‥‥」
自分に出来る事など、それ位だと思っている。戦い、戦い、戦う事。血塗れの中から、何かを掬い上げる事。
それは戦争が終わった今となっては、用意された数ある選択肢の一つに過ぎない。だから雨音にはもう止めて欲しいと思っているけれども、彼女の事だからせめて区切りまでと、きっと言うのだろう。
「雨音も、多分まだつづけるんだろう?」
「はい。私一人に出来る事なんてたかが知れています‥‥でも、まだ混迷の中にある世界で、この力が少しでも役に立つ事がきっとあるはずだから」
案の定、雨音はそう頷いた。瑠亥だけではない、他の知人にも銃を置く事を薦められているが――今はまだ能力者を辞められない、と思うのだ。
だから、と告げた強い眼差しに、ああ、と瑠亥は頷きを返す。それもまた雨音だと思うから、これ以上止めはしないし、その選択を否定もしない。
「ただ――もし、自分で区切りがきたと思ったら、その時は銃を置いて欲しいかな」
「瑠亥‥‥」
「やはり俺は、雨音も危険な目に遭って欲しくないんだ。それに‥‥雨音には、待っていて、欲しい」
ただそれだけの言葉を紡ぐのに、震える手と唇を必死で抑え込んだ。心臓は破裂寸前に暴れてるし、そんな自分勝手な、と怒られやしないかと冷や冷やしている。
これまでどれだけ迷惑を、心配を、苦労をかけたのか、瑠亥は理解している。そうして、それでもまだ傍に居てくれる彼女に、なお近くに居て欲しいと、思ったから。
普段の瑠亥ならこんな事、絶対に言わない。だが柄じゃないなんて言ってられる時間は、とっくに過ぎ去った。
だから。瑠亥は心に想うままに、懇願するように、彼女に紡ぐ。
「こんな俺でも、構わないと言うのなら。許されるなら、ずっと傍にいてくれないか? これまで通り、ということではなく、恋人としてでなく、妻として‥‥」
懐から、用意してきたエンゲージリングを取り出して、恭しく差し出した。そうして慈悲を請うように、告げる。
「‥‥俺と。結婚してくれ」
――沈黙が、落ちた。瑠亥はじっと、答えを待っていて――雨音は胸が一杯になってしまって、思うように言葉が出てこなくて。
この気持ちをどう、現せば良いのか。どう彼に伝えれば良いのか、惑う雨音の頬を不意に、一筋の涙が、伝う。
「‥‥嬉しくても涙が出るって、本当なんですね」
それを、拭いながら幸せに微笑んだ雨音の左手を、瑠亥は取った。その細い薬指に、そっとエンゲージリングを嵌める。
そうして大切に、力強く彼女の身体を抱き寄せ、抱き締めた。
「雨音、愛している。‥‥これからもよろしく頼む」
「――私も。愛しています、瑠亥。ふつつか者ではありますが‥‥これからもずっと貴方のお傍に、いさせて下さい‥‥」
どうか、ずっと。いつまでも。
そう、幸せな恋人達は互いに抱き締め合い、誓い合ったのだった――