タイトル:Last scenery.〜Annieマスター:蓮華・水無月

シナリオ形態: ショート
難易度: 易しい
参加人数: 5 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/04/06 01:25

●オープニング本文


 やれやれ、と何度目になるか解らないため息を吐き、アニーはぎゅっと愛犬サーの首に抱きついた。そうしてまた吐いた、大きな大きなため息が、サーの毛皮を揺らして、消える。
 周りには思いつくままに散乱した、蓋の開いたダンボールや作り付けのクローゼットから引っ張り出した衣類、食器を包むのに買ってきた緩衝材。日頃の彼女の、女性らしい華やかさはないが質実剛健そのもの、と言った具合にすっきり整頓された部屋を知っている者が見たら、何があったのかと目を見張るような光景だ。
 とはいえこの、日頃のアニーらしからぬ乱れた部屋はそのまま、彼女の心情そのものでもあった。だからまた、吐き出した大きな大きなため息に、くぅ、とサーが鼻を鳴らす。
 ――彼女にイギリス諜報部への帰還の辞令が出たのは、つい先日の事だ。先日のマクシミリアン=杉野と言い――余談ながら、杉野は情報漏えいの罪に問われて現在、謹慎処分中の身だ――どうして誰も彼もそう言う事を気軽に言ってくるのか解らないのだが、いきなりアニー宛にイギリスのエドワードから電話がかかってきたかと思うと、『シリング少尉、そろそろイギリスの霧が恋しくなっただろう?』と言い出したのだ。
 聞けばそもそも、アニーがLHに異動になったのもエドワードと杉野の間でのやりとりがあったからだと聞くし、杉野が謹慎処分で済んだのも、エドワードが『結果としてサバーカとキヨヒメの事件の解決に役立った』と助言したからだと聞く。つまる所、2人の上司の間で良い様に振り回されていたのだろうか、と思うとため息も吐きたくなるわけで。
 のろのろと引越しの準備を進めていたものの、どうにも気持ちが晴れない。それは結局何も語らないまま彼女の目の前で死んだ『キヨヒメ』マリアのせいかも知れないし、最初から一時的な異動と言われていたとはいえ1年半以上を過ごした部屋に、それなりの愛着が湧いて居るからかもしれない。
 思えば、物も増えた。間取りだって完全に身体が覚えているし、窓からの景色を見て『帰ってきた』とほっとする事も少なくない。
 それはもちろん、イギリスに帰れるのは嬉しくないわけじゃ、ないけれども。イギリスに戻った所で仕事の都合上、1人暮らしなのは変わらないにせよ、家族に連絡したら揃って大喜びで、従弟のユリウス・マクレーンなんてLHまで迎えに行くと言い出す始末だ。
 宿舎を出て、イギリスに戻る期日は着実に、迫っている。引越しの手配も済ませたし、新居ももう確保してあるから、後は荷物を作るだけ、なのだ。
 けれども――部屋を見回してちょっと考え、アニーはそれら全てを放棄して、サーのお散歩セットを取った。

「――お散歩に行こうか、サー」

 そうしてお散歩セットの中からリードを出しながら告げると、途端、されるがままになっていたサーは大喜びで、千切れんばかりに尻尾を振り始める。そんなサーにちょっと笑いながら、リードを着けてアニーは立ち上がった。
 LHがこれで最後というわけではないけれど、1年半以上を過ごした場所はやはり、感慨深いような気がする。だったらたまには1日、サーと一緒にのんびり歩いて回って見るのも良いかも、知れない。

「‥‥ぁ、でも夕方は舞香さんが来るんだった」

 先日、元同僚の雪島舞香(ゆきしま・まいか)から来た電話を思い出し、アニーは小さく呟いた。つい先日も妹と一緒にLHに来たばかりだけれども、また何かしら用があってやって来るから、せっかくだし夕食でも一緒に、と誘われたのだ。
 イギリスに帰ってしまったら、こうして舞香と気軽に約束を交わす事もなくなるのかもしれない。LHに居る間、自分がマヘリアと電話やメールはしながらも、会う事はなかった様に。
 ふと、そんな事を思って感傷に浸りかけた頭を、ぶん、と振った。

「じゃあ、舞香さんとの約束までの間ね、サー」
「ウォンッ!」

 アニーの言葉に元気良く吠え、尻尾を振って颯爽と歩き出したサーに引きずられるように、彼女もまたLHの街並みを歩き出す。もう、どこを見ても春の気配が漂っている、街。


 ――さぁ、どこに行こう。

●参加者一覧

ロジー・ビィ(ga1031
24歳・♀・AA
藤村 瑠亥(ga3862
22歳・♂・PN
アンドレアス・ラーセン(ga6523
28歳・♂・ER
神撫(gb0167
27歳・♂・AA
遠倉 雨音(gb0338
24歳・♀・JG

●リプレイ本文

 空に輝く太陽を見つめ、ぽつり、アンドレアス・ラーセン(ga6523)は呟いた。

「蛇、か」

 以前関わっていた事件が、ロシアで一応の決着を見た、その報告書。記された、蛇と呼ばれた女の末路。
 一通り読んだものの、結局、判らない事ばかりだったと、思う。蛇――ズミヤーは何を望んでいたのか。あれ程までにアニーを憎んだのは何故なのか――推測できなくもないが、結局は謎のままだ。
 ぶらり、歩き出す。そぞろ歩きには良い気候、今宵のサプライズパーティーにはまだ時間があったから、アスはのんびり散歩をしながら思いを巡らせている。久しぶりに作曲をしようかとも思ったが、何となく止めた。

(――人間がそこにいる限り、俺の探求は続くという訳だ)

 シガレットのフィルターを軽く噛み、思う。
 そこにアニーへの憎悪があった事は確かだ。親バグアを巡る彼是は、その舞台装置に過ぎなくて――それすら利己の為に利用出来てしまうのが、人間と言う物なのだろう。





 ソレイユが不意に足を止めたのに、遠倉 雨音(gb0338)は眼差しを巡らせた。そうして春の気配の中に、既知を見つけて小さく口元を綻ばせる。
 雨音が気付いたのに、あちらも気付いた。銀のおさげが揺れ、青い瞳がまぁるく見開かれる。

「雨音さん」
「偶然ですね、アニーさん」

 彼女に、雨音は微笑んだ。はい、と大きく頷いた、アニーがサーと一緒に駆けてきて、並んで歩き出す。
 それはいつかと同じ光景。そう、思い出して雨音はくすりと笑った。

「アニーさんがLHに着任した時も、こうして散歩中に会いましたよね」
「ぁ。そう言えば」

 くすくす、くすくす。顔を見合わせ笑うのは酷く平和で、いつも明るくほんわかしている彼女にはぴったりな気がした。
 とはいえ、本当にそれだけだったら彼女とかれこれ4年以上、付き合っては居ない。知り合ってからこの前のマリアの一件まで、その雰囲気に似合わず随分ハードな経験をしている彼女が気がかりで、気付いたら随分と時間が経っていたのだ。
 なぜだか懐かしくそう思い出してしまうのは、予感がしたからかも、知れない。案の定、ふと笑い声が途切れた瞬間、アニーはイギリスに戻る事になったと、告げた。
 そうですか、と呟いた声色が、寂しげに響いたのが自分でも、解る。だからその想いのままに、言葉を紡いだ。

「友達がいなくなって、ソレイユが寂しがります‥‥勿論、私も」
「雨音さん‥‥」
「また何かあればいつでも連絡して下さい。幾らでも力になります。――尤も、私よりも先に連絡すべき人がいます、が」

 くす、とそんな噂をすれば、道の先にまさにその神撫(gb0167)の姿があった。何とも良いタイミングだと、雨音はまた笑い。
 「用事がありますから」と断り、雨音は頭を下げた。そうしてソレイユと散歩道を歩いていく、後ろ姿を「今までお疲れ様。――ありがとう」と見送ってから、神撫はアニーへと向き直る。
 見上げたアニーと、サーの首の角度がちょうど同じで何だか、笑った。ぽふりと彼女の頭を撫で、サーの頭をわしわしすると、「ちょっと歩こうか」と促して歩き出す。
 彼女がLHを離れる事になったのは、聞いた。意外と言うよりは、とうとう、という気持ちが強い。
 同じLHに居れば偶然出会う事も、互いの休暇に待ち合わせる事も出来るけれども、これからはそう簡単にはいかなくなる。まして戦争の終わった今では、傭兵に出される軍からの依頼も少なくなるだろう。
 とはいえ彼女は人質になったり単機で牽制に出たりと、どう考えても作戦士官の仕事でない事ばかりをしていた。さらには伊達巻を作ったり、チョコを作ったり、変な事だって一杯していて。
 ――それでも彼女は軍人、だから。

(鼠の件も何とか片付いたし、これからは普通の軍務に戻れるのかな?)

 出来ればもう前線には出ないで済むと良いと、思う。また何か危ない目にあってるんじゃと、心配しなくて済むから。
 そう、考え出すと思いは自然、先へと向かう。とはいえ、自分自身の『これから』もまだ、神撫には定められてはいなかった。
 自分が軍人という柄ではない自覚はあるが、今更元の生活に戻る事も出来はしない。ならば新しい未来をと模索しても、教師でも目指してみるか、ぐらいしか思いつかなくて。
 けれどもただ1つ、願っている事は、ある。

(ここが最後のチャンスかな? ‥‥覚悟を決めるか‥‥)

 そう考え、すぅ、と神撫は息を吸い込んだ。込み上げてきた緊張を、唾と共に何とか呑み干す。
 アニー、と呼んだ声は少し、震えていたかも知れない。ん? と何気なく振り返った彼女が、神撫を見上げてくる。
 そんな彼女を見下ろして、幾度か迷って。ようやく神撫は、絞り出すようにその言葉を、紡いだ。

「アニー‥‥ずっと一緒にいてくれないか?」
「‥‥‥ッ」

 神撫の言葉の意味する所。この先もずっと一緒にいて、一生共に歩んで欲しいという、願い。
 それを理解したアニーは軽く息を飲み――それから照れた顔で、嬉しそうに頷いた。

「――うん、神撫。ずっと、一緒にいようね」
「ああ。‥‥ずっと。しばらくイギリスで待ってて」

 噛み締めるように告げて、神撫はアニーを抱き締める。そうして、すぐに迎えに行くからと紡いだ言葉に、腕の中の彼女がまた頷いたのに、幸せを噛み締めた。





 薔薇の手入れをしながら、すっかり春らしくなった陽射しをロジー・ビィ(ga1031)は受けていた。こんな日は何だか、のんびり過ごしたくなるものだ。
 だから薔薇の手入れをして。それから愛犬のハスキーを振り返る。

「ラグーンさん、お散歩に行きましょう?」
――ウォン!

 ロジーの言葉に、待ってましたとばかりに鳴き声が返った。そんなラグーンにリードをつけて、春に染まり始めた町へと歩き出す。
 暖かな陽射しは、先日まで居た極寒のロシアが夢物語だったかのようだ。そしてあの時の事すらも。
 そう、思ってロジーは眼差しを揺らした。

(本当にもう、この世から居なくなってしまったなんて‥‥)

 マリアと名乗り、キヨヒメと呼ばれた女。彼女の『幸せ』とは何だったのだろう。アニーを憎み、命を狙い、叶わず死を選んだ理由は――それ程のプライドは一体、どこにあったのだろう。
 或いは彼女は本当は、まったく違う事を望んでいたのかもしれない。大蛇に変じ、安珍を焼き殺した清姫のように、アニーだけではなく、諸共に‥‥?

(‥‥いいえ、考え過ぎでしょうか)

 ふ、とロジーは息を吐き、小さく首を振る。それでもあの誇り高さを、生きる為に使えていれば――もっと違う方向に発揮出来ていれば、彼女の何かは変わったのではないかと、思わずにはいられない。
 それは、ロジー自身にも言える事かも知れなかった。もっと違う方向。もっと違う道――

「‥‥? ラグーンさん?」

 ふいにぐいとリードを引っ張られ、ロジーは目を瞬かせて物思いから我に返った。と、公園の垣根の向こうに、既知が居る事に気付く。
 アニーとサー。神撫も――それから、アスも居る――
 とくん、と高鳴る胸を宥めて、ロジーはラグーンを促した。そうして彼らに近付いて、ぐるりと見回し微笑む。

「御機嫌よう、アニー。神撫とアンドレアスも。お元気でして、サー?」
「あぁ。‥‥そうだ。ロシアでは、お疲れさん」

 そんなロジーを、自身も先ほどたまたまアニー達に会ったアスは、少し複雑な表情で見ながらそう言った。知らず、懐を守る様に手を添える。
 ここには、ロジーに渡したい物が入っていた。けれどもそれは、今じゃない。
 だから労う意味を込めて、短く伝えた言葉にロジーは「えぇ」と頷いた。残らず噛み締めようとする様に。
 そんなロジーから眩しそうに目を逸らし、アスはアニーへと向き直った。

「で、いつまでこっちに居るんだ? 引っ越しの手伝いは要るか?」
「引っ越し? アニー、引っ越されますの?」
「そうなんです。またイギリスに戻る事になって‥‥」
「戻り先は諜報部なんだよな、狸親父は何か言ってたか?」

 アスの言葉に、アニーはちょっと困った顔になる。そうして息を吐き出して、辞令が電話で気軽に伝えられた事と、暇だろうと言われた事を告げると、らしいとアスは苦笑した。
 そうしていつも通りを崩さないまま、「最後に皆で飲むのも‥‥いや、アマネの処でお茶が無難か?」と腕を組むと、アニーが「雨音さんにもさっき会いましたよ」と笑う。これから用事があると言っていたらしいから、今行っても不在だろう。
 ふん、と鼻を鳴らしてアスは、矛先を変える事にした。

「で、キミは今後どうするのかねカンナ君よ」
「えッ!? えー‥‥っと‥‥」
「ア、アスさん! その、です、ね‥‥ッ!?」

 ニヤリ、笑って尋ねた言葉に途端、真っ赤になった2人に答えを察する。喜ばしい事だ――どんな選択にせよ、祝福するつもりでいたのだが。
 また無意識に懐を押さえ、ロジーをチラリ、見る。それからにやりと笑ってくしゃり、アニーの頭を撫でた。

「おめでとさん」
「あ、ありがとう、ございます‥‥」
「え、と。その、ありがとう。アスはこの後、どうするんだ?」

 故郷に帰ってバンドをするのか、ふらふら世界中を放浪するのか。どちらでも似合う気がすると、言った神撫にまたにやりと笑って、アスはサーの頭を撫でる。
 そうして「また後でな」とひらり、手を振って離れていくアスの後を、追ってロジーも同じ方向へと歩き出した。ちらり、伺うようにアスを見上げると、金の髪の向こうで何やら複雑な青い瞳が彼女を見下ろして、けれども何も言わない。
 だから隣に並んで歩きながら、言った。

「思えばアンドレアスとも、多くの時間を過ごして来ましたわね。コスプレパーティ、覚えてまして?」
「――あぁ」

 そんな事もあったなと、懐かしく思い出す。一番信頼する相棒として、一緒にこなした依頼はたくさんあって、ちょっとやそっとで語り尽くせるものではない。
 けれども今は、この時間が愛おしかった。今までもこれからも、アスにとってロジーが一番信頼できる相棒なのは、間違いないのだから。
 それは、ロジーにとっても同じで。あの黒髪の青年を想い合ったり、他にも色々、本当に色々とあって――その、歩んできた道の上に、今があって。

(だから、あたしはこれで良かったのですわ)

 ロジーはそう、自身に言い聞かせるように考えた。もっと違う方向が、もっと違う道があったかも知れないけれども、その時々の選択を重ねた上での今が在り、今の自分が在り、これからの自分が居るのだから。
 とはいえ、未来はどうなるのか判らないのだけれども、それもまた楽しい事だと、思う。だから依頼の話をしながらも、ロジーはきっと、と思っていた。
 きっと。どんな未来でも、心から受け入れよう――と。





 用事がある、と言ったのは嘘ではなかった。一旦家に帰ってソレイユにお留守番を頼んだ後、雨音が向かったのは恋人の藤村 瑠亥(ga3862)との待ち合わせだ。
 話があるから会いたいと、呼び出された。待ち合わせよりかなり早く着いたはずだが、瑠亥はすでに来ていて、しかもどうやらずいぶん待たせてしまったらしい。

「申し訳ありません、瑠亥。待たせてしまいましたか」
「あぁ、いや‥‥」

 そう言いながら向かいの席についた雨音に、瑠亥は曖昧に頷き、何杯目になるか自分でも覚えていないコーヒーを飲んだ。――これからの事をどう切り出すか、ずっと悩んでいたのだ。
 やって来た店員に、雨音が飲み物を頼む。そうして彼女の日常を彩る出来事を、何とはなしに話してくれるのを、聞いて。
 ふ、と沈黙が落ちる。その沈黙に後押しされるように、雨音が、言った。

「決戦の前に行った夏祭りの帰りで交わした約束‥‥聞かせてもらえますか‥‥?」

 その言葉に、ああ、と目眩にも似たため息を吐いて、頷く。――結局、気の利いた切り出し方を、思いつけなかった。
 だから瑠亥が紡ぐのは、迷いながらの率直な言葉だ。

「俺は、多分ずっと今のようなことを続ける‥‥」

 自分に出来る事など、それ位だと思っている。戦い、戦い、戦う事。血塗れの中から、何かを掬い上げる事。
 それは戦争が終わった今となっては、用意された数ある選択肢の一つに過ぎない。だから雨音にはもう止めて欲しいと思っているけれども、彼女の事だからせめて区切りまでと、きっと言うのだろう。

「雨音も、多分まだつづけるんだろう?」
「はい。私一人に出来る事なんてたかが知れています‥‥でも、まだ混迷の中にある世界で、この力が少しでも役に立つ事がきっとあるはずだから」

 案の定、雨音はそう頷いた。瑠亥だけではない、他の知人にも銃を置く事を薦められているが――今はまだ能力者を辞められない、と思うのだ。
 だから、と告げた強い眼差しに、ああ、と瑠亥は頷きを返す。それもまた雨音だと思うから、これ以上止めはしないし、その選択を否定もしない。

「ただ――もし、自分で区切りがきたと思ったら、その時は銃を置いて欲しいかな」
「瑠亥‥‥」
「やはり俺は、雨音も危険な目に遭って欲しくないんだ。それに‥‥雨音には、待っていて、欲しい」

 ただそれだけの言葉を紡ぐのに、震える手と唇を必死で抑え込んだ。心臓は破裂寸前に暴れてるし、そんな自分勝手な、と怒られやしないかと冷や冷やしている。
 これまでどれだけ迷惑を、心配を、苦労をかけたのか、瑠亥は理解している。そうして、それでもまだ傍に居てくれる彼女に、なお近くに居て欲しいと、思ったから。
 普段の瑠亥ならこんな事、絶対に言わない。だが柄じゃないなんて言ってられる時間は、とっくに過ぎ去った。
 だから。瑠亥は心に想うままに、懇願するように、彼女に紡ぐ。

「こんな俺でも、構わないと言うのなら。許されるなら、ずっと傍にいてくれないか? これまで通り、ということではなく、恋人としてでなく、妻として‥‥」

 懐から、用意してきたエンゲージリングを取り出して、恭しく差し出した。そうして慈悲を請うように、告げる。

「‥‥俺と。結婚してくれ」

 ――沈黙が、落ちた。瑠亥はじっと、答えを待っていて――雨音は胸が一杯になってしまって、思うように言葉が出てこなくて。
 この気持ちをどう、現せば良いのか。どう彼に伝えれば良いのか、惑う雨音の頬を不意に、一筋の涙が、伝う。

「‥‥嬉しくても涙が出るって、本当なんですね」

 それを、拭いながら幸せに微笑んだ雨音の左手を、瑠亥は取った。その細い薬指に、そっとエンゲージリングを嵌める。
 そうして大切に、力強く彼女の身体を抱き寄せ、抱き締めた。

「雨音、愛している。‥‥これからもよろしく頼む」
「――私も。愛しています、瑠亥。ふつつか者ではありますが‥‥これからもずっと貴方のお傍に、いさせて下さい‥‥」

 どうか、ずっと。いつまでも。
 そう、幸せな恋人達は互いに抱き締め合い、誓い合ったのだった――