タイトル:【RR】キヨヒメ〜Annieマスター:蓮華・水無月

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 11 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/02/28 12:45

●オープニング本文


 雪空を焦がした大火を、男は今でも思い出せる。アレクセイ・イヴァノフと名乗っていた頃の、ちっぽけで無力な人間に過ぎなかった自分が暮らしていた、ちっぽけで貧しい町を浄化した炎だ。
 今、見上げた雪空にその影は何処にも見えない。あれがいつの事だったのかも、忘れてしまった。元より興味もなかったが。
 工場の偵察を終え去っていく連中の姿に、苦笑いしてプラントの中に戻る。UPCロシア軍が、あの町に仮設拠点を置いている事は知っていた。
 足元にはメンテナンスを受けられず死んで行った、強化人間の仲間達の骸。とはいえ彼等がアレクを仲間と思っていたかは知らないし、アレクはそうは思っていなかった。
 バグアに強化人間にしてもらって、このプラントの警備を任された同僚。例えるならそれが、彼等に向ける感情に1番近い。
 どうやらアレクはバグアにとって、魅力的なヨリシロ候補とは成り得なかったらしく、強化人間になったといっても一兵卒が良い所だった。それでもいずれバグアが地球を制圧し、人類を統治すれば、自分は奴らに勝てるのだと思っていた。
 あのちっぽけな町の、下らない連中に。大した能もなく、這い上がってやろうという気概もないくせに、周りがそうしようとする事は決して許さなかった、最低な大人どもに。
 だがバグアは負け、このプラントを統括していたバグアも宇宙へ去った。赤い月は、消えた。
 負けたのだ、己が掴み取ろうとした運命そのものに。だがあの日の選択を、今になっても少しも後悔していないのは、考えてみれば不思議な事だった。

(まぁ良い)

 アレクは首を振り、プラントの管制室に戻る。今はそこが彼の居場所だった。他に残っている強化人間は、もう居ないのだ。
 この運命を後悔しないなら、後はどこまで足掻けるか、それだけだ。そう思いながら戻ると、迎える者など居ないはずの部屋の椅子がクルリと回り、艶やかな笑みを浮かべた女が「優雅に散歩?」と笑いかけてきた。
 あの日、あのちっぽけな町から共に逃げた女。ナタリア・ドストエフスカヤ、今は何と名乗って居るのか知らないが、男と一緒に町を燃やした女。
 彼女との間に恋愛感情があった訳でもなく、ましてや友人でもなかった。だがあの頃から妙に情報通だったナタリアは、アレクが自分と同じ事を考えている事を知り、共謀を持ちかけたのだ。
 偶然、あの辺りをバグアが制圧にかかっている事を、察知したのもナタリアだった。そうして彼女は、恐らくは怖じけづいた自分がバグア側ではなく人類側に寝返る事を警戒したのだろう、アレクがバグアに取り入るお膳立てまでしておいて、だが自分は何にも縛られたくないと姿を消し。
 一体何をどうしたものか、次に会った時にはズミヤーと名乗って、情報屋としてバグアに有利な情報を流してきた。見返りは、強化人間となった彼が守るプラントで製造しているキメラ。実に解りやすい取引だった。
 そんな女だった。ズミヤー、蛇を名乗る女は、それに相応しく冷酷で、何処からでも相手の隙に入り込む油断の無さがあった。
 顔をしかめたアレクに、蛇は艶やかに笑う。

「見事に落ちぶれたのね」
「お前もな、ナーシャ」
「――そんな娘はあの日、炎の中で死んだわ」

 言い返した途端、不愉快に顔をしかめた女に満足した。だがそれだけだ。そんなものはアレクの自己満足に過ぎなかったし、もはやそれすらどうでも良い、と思える虚しさが男の中には巣喰っていた。
 そんな、疲れた様子の男から目を逸らし、蛇はモニターに映し出される無人のプラントを見る。ただ延々と、あてどもなく製造され続けるキメラ。あちらこちらに放置された、死んだ強化人間達。
 それらをたっぷり見つめてから、蛇はアレクを振り返った。

「助けて欲しい? 軍では、強化人間を人間に戻す技術を持っているわ。貴方が間に合うのかは知らないけれども」

 その言葉に、アレクはクッ、と肩を揺らした。今さら、ただの無力な人間に戻りたいとは、これっぽっちも思わない。
 だが、蛇がなぜそんな事を言い出したのかには、興味を覚えた。アレクがそんな事をこれっぽっちも望まない事は、この女なら尋ねるまでもなく解っている筈だったからだ。
 だから敢えて、問い掛ける。

「見返りに寄るな。お前はそういう女だ」
「無償の厚意なんて存在しないわ。――どうしても殺したい男と女が居るのよ。だから――何もかも全部、壊して頂戴?」

 笑った女の顔を、見つめた自分がどんな表情をしていたのか、アレクには解らなかった。それほど女の求める『見返り』は、彼には理解し難いものだったのだ。
 この女が。利害のみで動く蛇が。誰を切り捨てるにも躊躇いを覚えないズミヤーが――どうしても殺したい男女、だって?
 一瞬の思考停止の後に、アレクは腹を抱えて笑い転げた。思えばこんなに笑ったのは、人間だった頃すらなかったかも知れない。

「変わったな、蛇。壊したい程に執着が出来たのか」
「戯言は聞きたくないわ。返事は?」
「Я буду сотрудничать.(協力しよう)」

 不機嫌な女に、上機嫌に男は応えた。こんな茶番を、見逃す理由は何処にもない。





 能力者達の執り成しもあって、偵察中に起きた戦闘について、アニー・シリングが責任を問われる事はなかった。そもそも、そんなものがなくても不問にしても良い程度に、彼らが持ち帰ってきた情報がロシア軍にとって貴重だったという事もある。
 敵戦力、程度、プラント内見取り図。解る範囲での監視カメラや、仕掛け等もありがたい。
 ゆえにアニーはそのまま、ロシア軍と能力者による制圧作戦の立案と現場指揮を任された。その目的は、完全なバグア勢力の国内からの排除であり、殲滅である。
 拝命しました、と踵を鳴らして敬礼して仮司令部を後にして、ふぅ、と細い息を吐いた。この制圧作戦が成功すれば、ロシアの地がまた1つ、人類の手に取り戻される。

(頑張ろう)

 頭の隅に過ぎった女性の影を振り払い、アニーはブリーフィングルーム――という名の大部屋――へ向かって歩き出した。そうしながらも彼女の中には、自分とそっくりの容貌を持つ女性の影が、ちらついたままだった。

●参加者一覧

/ ロジー・ビィ(ga1031) / 東野 灯吾(ga4411) / リゼット・ランドルフ(ga5171) / 神撫(gb0167) / 遠倉 雨音(gb0338) / セレスタ・レネンティア(gb1731) / リヴァル・クロウ(gb2337) / 鳳覚羅(gb3095) / BLADE(gc6335) / ミシェル・オーリオ(gc6415) / 李・雪蘭(gc7876

●リプレイ本文

 おい、と男が呼んだ。何、と女が答えた。

「お前が殺したいのは――」
「‥‥‥」

 冷たい沈黙を返す女に、男は肩を竦め。そうして互いに背を向けた。





 気持ちの上でロシアは遠い。ならばせっかくだからもう一仕事、キメラプラント殲滅の為に戦っていくかと、BLADE(gc6335)はやって来た。
 ――が、どうやらそれだけではなさそうな空気を、感じる。何より気になったのは、やって来たメンバーが今回の指揮官であるアニーと係わり合いのある人間が多いらしい、と言う事で。
 今もセレスタ・レネンティア(gb1731)がアニーに「今回は宜しくお願いします」と頭を下げている。それから少し感慨深く呟いた。

「しかし私も正式に入隊したので、アニーさんは上官という事になるんですね」
「ぁ、そういえば‥‥。でも、何だか変な感じです」

 セレスタの言葉に、アニーもくすぐったそうに笑う。そんな彼女に纏わる色々の事が気になり、調べていたBLADEだが、時間もなく、判ったのはかろうじて目標のプラントに居るマリアという女が、翻訳家としても一応きちんと活動をしていて、著書も幾らかはあるらしい、という程度で。
 だがロジー・ビィ(ga1031)らマリアに関わってきた能力者にとっては、油断のならない敵。プラントを強い眼差しでまっすぐ見つめ、ロジーは「貴女は其処にいらして?」と小さく呟いた。

(マリア‥‥清姫‥‥貴女の為すべき、為されていない事。絶対に止めて見せましてよ)
「これが最終対決、になるんすかね‥‥」

 同じくプラントを眺める東野 灯吾(ga4411)は、少し複雑な気持ちで息を吐く。油断も容赦もする気はないが、何となく、何かが違う。
 何だかな、ともやもやした気持ちを表す言葉を見つけられず、吐き出したため息はまた、遠倉 雨音(gb0338)のものでもあった。
 前回の偵察は一応成功という事になっているが、それはマリアが見逃したからだ。だがなぜ彼女が見逃したのか、そもそも彼女の狙いは何なのか――その気になれば、雨音達をその場で殺す事も出来たかもしれないのに。
 解らない事だらけで、気になる事だらけ。それでも本番でまで同じように下手を打つ訳には行かないのだから、くれぐれも用心しなければ。
 きゅッ、と唇を噛み締め、銃の調整を確かめる。そこから少し離れた場所で、リゼット・ランドルフ(ga5171)ら【ガーデン】の仲間とその友人達は、神撫(gb0167)から改めて状況を聞き、それぞれに頭を振ったり、ため息を吐いて肩を竦めた。
 神撫から『猫の手も借りたい』状況と聞き、元よりロシアの状況も気になっていたので、出来る限り尽力しようとやってきたリゼットでは、あるが。そんな彼女からの連絡でやってきた鳳覚羅(gb3095)やリヴァル・クロウ(gb2337)も、互いに顔を見合わせた。

「ここにもバグアの残滓か‥‥戦いはまだ終焉を迎えていないみたいだね」
「ああ‥‥そうみたいだな」

 苦笑する覚羅に、リヴァルが頷く。そうしてそっと胸の中でだけ(‥‥相変わらず神撫は苦労している)と呟き。
 すぐに気持ちを切り替えて、仲間達に「内部は経験者に一任する。こちらは逃走経路及び、軍の要人の護衛に専念する」と告げた。敵が状況を変えようとするならば、恐らく狙ってくるのは指揮官や、それに強い影響を及ぼす人物だろう。
 その意見には灯吾も賛成だった。場合によっては偵察の折に見かけた強化人間らしき男と、手分けして襲ってくるかもしれない。
 リヴァルと灯吾の指摘に、神撫も頷いた。それは戦略的にも正しい。
 だからこそ、ここでケリを付けてしまいたい。そう思いながら神撫はアニーに向き直り、真剣な面持ちで誓うように告げた。

「‥‥何があっても、君だけは守ってみせるよ」
「――ありがとう、神撫。神撫は私が守るからね」

 その言葉に、少し頬を赤くしながら同じく真剣に言った、アニーの言葉を周りの能力者とロシア軍は、揃って礼儀正しく見ないふりをしてくれる。それに気付いた神撫は、ごほん、と1つ咳払いをして空気を換えるべく、ミシェル・オーリオ(gc6415)に声をかけた。

「ミシェルさんは中と外、どちらに回りますか?」
「んー、そね。どっちが多く神撫に貸しを作れるかしら?」

 尋ねられて悪戯っぽく笑うミシェルは、半分以上は本気でその為にロシアまでやって来ている。とは言えもちろん、神撫を手伝おう、という気持ちはちゃんとあるわけで。
 答えに窮した神撫にまた面白そうに笑い、ミシェルは内部潜入に回る、と告げた。そんな2人を含めた能力者達にアニーが、作戦の最終確認をする。
 すでに偵察作戦の情報は、彼らに提供されていた。後はそれぞれの役割に併せてどう動くか――そんなやり取りを聞きながら、李・雪蘭(gc7876)の視線は知らず、複雑な色合いを帯びてプラントへと向けられる。

(ここには居るのだろうか‥‥)

 北京が占拠されていた頃、バグアに連れて行かれたきりの愛する子供達。解放された後も、生きてるのか、死んだのかすら判らなくて――判らない以上、諦められなくて――諦めたくなくて。
 けれども雪蘭に出来る事はただ、こうしてバグアの残滓が残る場所を、愛する子供達の姿を探す事しかない。あのプラントのキメラは人の顔を持っているというから尚更、その中に居るのではないかという気持ちと、居て欲しくないという気持ちが入り乱れ。
 ふ、と吐いたため息は小さく、白く輝き、雪原の上に零れ落ちる。その行方が判らなくなった頃、覚羅がぴんと気合を漲らせ、けれども気軽な調子で、言った。

「さて、はじめようか。この地を取り戻すためにね」

 ――バグアの手から、人類の手へ。





 キメラ達は、彼らが動き出すと同時に行動を開始した。流石にあちらも今回は見逃す気はないのだろう。
 アニーの全体指揮の元、能力者達は事前の打ち合わせ通りに散開した。何より先ずは、プラントへの侵入路を切り開かなければならない。

「マリア・アナスタシア、どこまでも厄介そうな人です」

 狙撃銃に貫通弾を込めながら、セレスタは彼女を思い苦い気持ちと共に呟いた。流れる動作で近付いてきた無人機に、先ずは一発中枢部らしき箇所を狙い撃つ。
 ガガッ、と鈍い音がして、無人機が衝撃に後退した。だが多少動きが鈍っただけで、変わらず進みレーザーを撃とうとする相手から距離を取り、さらに引き金を引く。
 そんなセレスタとはまた違う戦域で、リヴァルは常にアニーと神撫の位置を確認しながら、向かってくる敵を着実に排除していった。もちろんアニーは言わば俄か指揮官であって、軍の要人なら他にも居るが、今この戦場で一番危険なのは彼女であり、彼だ。
 だからリヴァルのみならずリゼットもまた、別の場所から2人を護衛する。そうして敵に近寄られる前に、気配を察した端から弾丸を放って、相手の動きを牽制して。
 同時に灯吾は、プラント内部やその影からの狙撃などがないかにも注意を払う。マリアがこのプラントに関わっているのなら、それは十分予測してしかるべき事態だった。
 故に辺りに気を配りながらも、灯吾はロシア軍の砲撃部隊が支援しやすいよう、出来るだけ一箇所に敵を集めるべく戦場を走り回る。そうしながら内部班が突入路を確保出来る様に、そうしてその道をそのまま、退路として守れるように――
 雨音のSMGが弾幕を展開し、それに紛れて覚羅のバラキエルが火を吹いて、敵を撃ち抜いていく。その状況を適時無線で伝えながら、神撫とリゼットは近付いてきた敵を確実に殲滅して行った。
 そんな能力者の外周を包囲するように、ロシア軍もまた展開し、援護射撃や砲撃を加えていく。雪原に着弾した砲弾が雪と一緒に、キメラと無人機を巻き上げたのを、傭兵能力者のみならずロシア軍の能力者も止めを刺して走り回り。
 さらにロシア軍の砲撃は、BLADEの依頼でプラントそのものにも及んでいた。突入するのに問題がない程度に、主に外壁に向けて放たれた砲弾は、着実に外壁を崩していく――偵察でも報告された通り、人類の工場を接収し、プラントに改造したのだろうと思わせる脆さだ。
 だがさすがにバグアの手も入っているだけあって、内部までは容易に崩れない。アニーが砲撃手に建物への砲撃終了を告げるのを聞きながら、BLADEは双眼鏡を覗き込んだ。
 外の敵はまだまだ残っているが、突入の頃合は間違いなく今だ。それを確認して双眼鏡を仕舞い、同じく突入の準備をする仲間に駆け寄った。
 外部班を振り返る。

「そろそろ内部に突入する。外の方よろしく」
「何かあれば連絡します」

 そうして告げたBLADEと雨音の言葉に、外部班が頷く。それに小さく手を挙げて、制圧班は雪原に拓かれた侵入路を素早く駆け抜け、プラントの中へと姿を消した。





 侵入したのは偵察時と同じ、プラントの裏口に当たる部分だ。とはいえ偵察時には敵の気配も殆どなかった廊下には、能力者達を待ち構えるようにキメラと無人機が配置されている、という事で。しかも明らかに何者かの――恐らくは強化人間かマリアの指示で配置されているようだ。
 ふふ、とその光景にミシェルは笑い、端から見れば楽しげな様子で得物を構えた。

「道を作るくらいの事しか出来ないかしらね? 覚悟なさい?」
「十分でしてよ――速攻で倒しますわ」

 援護の体勢を整えながら言うミシェルに、ロジーが小太刀を構えて敵を睨み据える。彼女らの敵はこの先に居るマリアなり、強化人間であって、いちいちキメラどもの相手をして消耗する訳には行かないのだ。
 その為にも、せずに済む戦闘は出来るだけ避けたい。避けられないならば、せめて即効で倒して消耗を少なくしたい――そう考えるロジーに、仲間達も頷く。
 雨音らが的確な射撃で敵の動きを止め、其処をついて止めを刺す。無人機の隙間を狙い、キメラの心臓らしき部分を貫いて。
 ある程度、動きを止めた所で肩で息をするBLADEが、言った。

「行くか。後は強行突破出来そうだ」
「そうですね」

 その言葉に頷きながら、雨音はふと天井を見上げ、その向こう、2Fに居るのであろうマリアを思う。恐らくは、イギリス諜報部の某人に『キヨヒメ』と呼ばれる女性。

(マリアさんが清姫だと言うのなら‥‥その身の炎でアニーさんが焼かれないようにしなければ、ですね)

 清姫‥‥恋焦がれた男に裏切られ、怒りのあまり大蛇に変じて相手を焼き尽くしたという、日本の古い伝承の姫。だが彼女の炎は今、アニーへと向けられている。
 能力者として、何より友人として、それを防がなければ。そう、雨音は手の中のグリップを握り直す。
 一丸となって廊下を駆け抜け、どうしても倒さねば進めない敵以外は可能な限り迂回して、能力者達は培養室へと差し掛かった。ここにも待ち構えていたキメラを、やはり速攻で斬り付け、援護射撃で止めを刺す。
 2Fへと上がる階段は、この先だった。だがその前にやって置くべき事がある――培養室で今も培養され続けているキメラだ。
 室内を覗き込めば、何頭かのキメラがうろうろと培養槽の間を動き回っているのが見えた。とはいえ培養槽のお陰で見通しは悪く、一体何頭程度居るのか、無人機も居るのかは判らない。

「では、私はキメラ達の対処向かう」

 キメラ培養室の入り口の前で、けれども雪蘭はそう告げ、1人仲間から離れた。他の仲間が管制室の制圧に向かっている間に、培養室内のキメラを始末するのだ。
 培養室で培養されているキメラが、全て増援に回ればさらなる脅威になる。ならば生命維持設備を破壊してしまえば、例え管制室からの指示があっても、現在いる以上のキメラは出ないのではないか。
 それを第一目標に、管制室へと向かう仲間を見送った雪蘭は、培養室へと足を踏み入れた。途端、ずらりと並ぶ培養槽と、その中に浮かぶキメラ達が目に飛び込んでくる。
 奇怪な身体を持つ、人そのものの顔をしたキメラ。そこに愛する2人の我が子のそれがない事に、落胆と安堵を覚えながら、雪蘭は多少の哀れみを持って呟いた。

「このキメラ達、言わばまだ母親の胎内。出てこれば脅威だが、出てこないのであればそのまま安らかに死んで逝く願う。‥‥勝者側の傲慢だがな」

 最後は自嘲気味に吐き捨てると、槽そのものではなくそこに連なる管やコードを破壊し始める。生命維持が出来なくなったキメラ達が、眠ったまま死ねれば良いと考えながら。





 プラント外部の掃討作戦は、思っていたよりも難航していた。なぜかロシア軍の動きがたまに乱れ、突如攻撃の手が緩んだり、或いは必要のない場所に砲撃を加えたりするのだ。
 能力者達も聞いているロシア軍の無線からは、アニーの指揮が聞こえるのだが、その指示も時々矛盾したものが直後に発令されたり、と思えば訂正が入ったりする。始めての戦場、久々の作戦指揮で、勘が鈍っているのだろうか。
 ロシア軍の兵達も俄か指揮官のこの指示には辟易しているようで、肩を竦めてやれやれと頭を振る光景もまま、見られた。だが能力者がその分を着実にカバーしていく事で、何とか掃討は進んでいき。
 プラント外部に放置されていた、何台かの車はほぼ完全に凍りつき、動くかどうかも怪しかったが、見つけるたびに給油タンクや機関部、動力を壊して使用出来ないようにする。その間にも襲い来る無人機をコンバットナイフで退け、止めを刺しながら、セレスタは晴れた冷たい空気を大きく吸い込んだ。

(――中に突入した方々が心配ですが、今は目の前の事に集中しなければ)

 この作戦の乱れは、明らかに何者かの意志が働いているように感じられた。という事は中の仲間も苦戦を強いられているかもしれない。
 だが、そのためにも、まずは。そうして己の役割を果たしてから、内部班の心配と、助けが要るかを考えれば良い――
 ならば己の索敵範囲の敵は一体たりとも討ち漏らすまいと、気合いを込めてコンバットナイフを構えるセレスタから、少し離れた戦場の一角では、キメラと無人機にすっかり周りを囲まれた青年が、やれやれ、と肩を竦めて居た。

「囲まれたか‥‥」

 ひょい、と気軽な様子で呟きながら、覚羅はベオウルフへと得物を持ち変える。その言葉を理解して居たとしても動きを止める事はないであろう、キメラ達に語りかけながら、巨大な斧の握りを確かめて。
 呟く言葉は絶対の自信の現れであり、敵への死刑宣告でも、ある。

「けどね、数多の戦場を駆け抜け死線を掻い潜ってきた俺にとって‥‥この程度‥‥もはや脅威足りえない‥‥出直してこい」

 そう、宣言するや否や覚羅の身体が瞬時に動き、辺りに群がっていたキメラ達を十字の衝撃が吹き飛ばした。まだ息のあるものはさらに止めをさし、さらに戦場を駆け巡って新たな敵を屠りに回る。
 そんな能力者達の活躍とロシア軍の奮闘により、それでも着実に雪原に展開する敵は減って行った。まだ目立った動きのないプラントからも、出てくる敵は今の所、居ないようだ。
 動く物の殆どなくなった雪原を見回し、知らず、リゼットは大きく肩で息をした。

「何とか退路も確保出来ましたね」
「ええ‥‥もっと、集中的にキメラや無人機、けしかけてくるかもと思ってけど」

 それに灯吾は頷いて、同じく、外面的には静かに見えるプラントを見やる。果たしてマリアはあの中に居るのだろうか――居るとしたら自爆も考えてるかも知れないと、突入前に仲間に懸念は伝えたけれども。
 当のアニーに対して、思ったほどの攻撃はない。それが彼らの護衛によるものなのか、何かの意図による物なのかは不明だが――どっちらにしても、残らず迎え撃つ覚悟だった。

(もう、ここで終わりにしねえと‥‥続けても、誰の為にもならねえよ‥‥)

 この戦いは、関わった人々の誰にも益をもたらさないように、灯吾には感じられる。中心人物であるマリアにさえ、何ももたらさないような――そんな奇妙な感じがするのだ。
 そんな灯吾から離れた場所で、護衛対象のどちらにも被害が出て居ない事を、確かめながらリヴァルが言った。 

「何とか終わったか‥‥?」
「うん。あとはロシア軍にも工場を包囲してもらって‥‥内部班の成果を待つか‥‥」

 その言葉に神撫がそう、呟いた時だった。目の端を動く銀色に振り返ると、指揮を執っていたアニーが駆け寄って来る。
 強張った表情。それをいぶかしみ、慣れない雪の中を危うげに走る彼女に声をかける。

「何かあったの? 指揮が乱れてたみたいだけど」
「ううん。私じゃなくて、多分‥‥」

 言いかけたアニーが不意に口を閉ざし、目を見開いて能力者達の向こうを見た。釣られて背後を振り返った能力者達は、揃って目を見開く。
 ロシア軍の兵に囲まれ、にこやかに談笑している女性。彼女は能力者達の視線に気がつくと、こくり、と首を傾げる――そのしぐさはまさにアニーそのもので。
 何事か、周りの兵に言った。それに頷き、こちらを――アニーを見た眼差しは、険しい。
 兵の1人が、能力者達に声をかけた。

「お下がり下さい。その女は我々が捕らえます」
「‥‥? 何を言ってるんだ?」
「シリング少尉のご命令です。少尉の姿をした偽者を捕らえよ、と」

 その言葉に、理解する。彼女は瓜二つの容貌を利用してアニーに成りすまし、一部のロシア兵を手なずけたのだ。
 下がれ、とリヴァルは警告する。仲間達に、そうして兵達に。
 ああして軍の制服を着ていれば、確かに聞いていた通り彼女達は良く似ていた。だが、能力者達の傍に本物のアニーが居る以上、彼女がアニーのはずはない。
 ならば、あの女は――そう、警戒するリヴァルに目を細め、彼女は、マリアは一瞬だけ、艶やかに笑った。そうして僅かの暇も置かず、アニー目掛けて手の中に隠していた拳銃の引き金を、引く。





 当然ながら2Fにもまた、件のキメラは控えていた。例えるならゾンビの大群に迫られて居るようで、はっきり言って気分の良い光景ではない。

「キモ〜〜〜ッ! 来るなぁぁ〜〜〜ッ」

 叫びながら手近なキメラを吹っ飛ばすBLADEに、言葉にこそ出さねど他の能力者達も似たような気持ちだった。また同時に、哀れみすらも感じさせる。
 2Fに並ぶ小部屋には、以前は鍵も掛かっておらず、中にも何もなかったという事だったが、念のために調べてみると幾つか、鍵が掛けられた部屋が存在した。強引に鍵を壊して中を改め、仕掛けられていた罠やキメラ、無人機を排除する。
 幾つ目かの小部屋を改めながら、不意にミシェルが尋ねた。

「そういえば、マリアっていうのも強化人間なの?」
「解りませんわ。思えばあたし達も、マリアについて何も知りませんの――人間かどうかさえ」

 それにロジーは軽く首を振る。一体幾つの仮面を被っているのか、全て剥いだ後に何かが残るのか、それすらも解らない。ただ確かなのは、彼女が只者であるはずがない、という事だけ。
 ――管制室の前に辿り着き、能力者達はそこでようやく足を止め、閉ざされた扉を見つめた。ここに至るまでのキメラ達の的確な配置、こちらの動きを読んだ増援。ならば確実に、この中には誰かが居るのだろう。
 こく、と互いに頷き合った。雨音が扉の駆動部に銃弾を打ち込み、中からの不意打ちに注意しながらゆっくりとドアを開け。
 ――中にはプラント外部や内部の様子を刻一刻と映していく、壁一面のモニターがあった。その前の椅子に、座る人影。
 だが、その人影はどう見ても、女性のものではありえなかった。扉を抉じ開けられ、踏み込まれてなお頓着した様子もなく、人影はモニターを眺めている。
 不意に、モニターに2人の女性が映った。同じような雪景色を背景にした――違う場所にいると思われるのに、同じ人物に見える映像。
 粗い画像は判別が難しかったが、1つがアニーでもう1つがマリアだと言う事は明白だった。並んだモニターに映る2人を見比べた、椅子の主がくるりと振り返って立ち上がる――男だ。

「お前達はあの娘がなぜナーシャに似ているか、知っているのか?」
「ナーシャ‥‥マリアさんの事ですか?」
「ふん、今はそう名乗ってるのか‥‥やはり変わったな」

 少し首を傾げた雨音の言葉に、男は口中で一人ごちた。それからこきりと首を鳴らし、能力者達を見回す。
 背の高い男だった。疲れ切ったような、淀んだ空気を全身にこびり付かせていながら、爛々と輝く眼差しは戦意に満ち、戦いの気配とそれ以外の何かに興奮しているようにも見える。
 能力者達からの注目を受けて、威風堂々と立つ男が、それほど強いとは思えない。だが多くの強化人間やバグアの持つ、一種独特の意識と覚悟は確かに、彼の中にも根付いているようだ。
 残念だが、と歌うように男は告げた。

「ナーシャ‥‥いや、マリアだったか? は居ない。ここは俺の城だ。とはいえ、奴の予想より釣られた能力者は少なかったようだな」
「釣られた‥‥」
「奴は蛇だ。相手に気付かれず懐に忍び寄り、噛み付くのが性だ。そして貴様らは、撒かれた餌に誘き寄せられた餌らしい。俺を囮扱いとは、まったくたいした女だよ」

 よく喋る男だ。誰かとの会話に飢えていたのかも知れないと、ロジーはふと思う。あの戦意以外の熱を帯びた興奮は、それ故のものなのかもしれない。
 だが、それだけだった。男は彼女達を殺す気だったし、彼女達も彼を倒す気で来ている。ましてマリアが外に居るのであれば、早々に制圧して戻った方が良いのは明白だ。

(さくっと倒させてもらいますわ)

 ロジーはM−121を構えながらそう考える。あくまで彼女達にとって、目標はこのキメラプラントの制圧であり、マリアだ。
 出入り口を背に、ミシェルがガトリングの引き金を握り締めた。同時にロジーと雨音が、それぞれM−121とSMGを掃射する。
 瞬時に展開した幾重もの弾幕に、強化人間が素早く飛び退るのが見えた。それを追うようにSMGを走らせた雨音は、不意にその手を止めて拳銃へと持ち替え、室内を素早く見回して跳弾させられる場所と、強化人間に当てられそうな角度を探す。
 とは言え、狙って撃つのは難しいものだが、不意打ちには十分になる。案の定、雨音の放った弾丸は床に跳ね返って敵を掠め、モニターにめり込みショートさせるに留まったが、一瞬動きを止めるには十分だった。
 その隙を狙って、ロジーがエネルギーガンを手に迫っていくのを、BLADEが支援する。ガトリングのマガジンを入れ替えたミシェルが、別方向からそれを補うように援護した。
 だが強化人間も、ただそれを待っているだけではない。危うい所で0距離を避け、身を捩じらせながら逆にロジーの足を捕らえようとするのを、床を蹴って避ける。
 その激しい戦いの音と気配は、階下のキメラ培養室にも届いていた。だがそれと気付きながらも、雪蘭はそちらへと向かう事が出来ない。
 培養槽へと連なる管を壊し始めた瞬間、気付いたキメラ達が雪蘭めがけて攻撃し始めた。それらは数も少なく、さほどの怪我も負わず始末し終えたのだが、雪蘭の敵はそれだけではなかったのだ。
 すでに成熟し、後は取り出されるのを待つばかりだったキメラも、エネルギーの供給が止まると自ら培養槽を破り、這い出してきた。動きはすでに稼動していた個体に比べれば鈍いが、圧倒的に数が多い。
 引き金を引きながら、思わず呻き声が漏れる。

「く‥‥ッ! 管制室は‥‥まだ!?」

 そう、見上げた2Fでは強化人間が、多勢の能力者に着実に追い詰められていた。そのせいだろうか、少しずつ、強化人間の動きが鈍り始める。
 いける、と誰もが思った。だが、このまま押し切ろうと各々が握る得物に力を込めたその瞬間、思わず目を疑う出来事が起こった――当の強化人間が、大きく後ろに跳躍したかと思うと、そのままの勢いで壁を破ったのだ。
 良く見ればそこは培養室の吹き抜けから、壁を一枚隔てただけの空間だった。恐らく、元は窓として管制室から培養室を見下ろせるようになっていたのを、何らかの理由で塞いだのだろう。逃走路を塞ぐ位置取りを心がけていたミシェルだが、見つけていないルートまでは塞げない。
 な、と一瞬目を見張った後、慌てて壁の大穴から下を覗くと、強化人間が破壊の後も生々しい培養室内を駆け抜け、外部へと通じる扉を解放して出ていく所だった。それに従うかのように出ていくキメラと、それらをぐったりした様子で見送る雪蘭も見える。
 彼女の周りに居たキメラの大半は、すでに息絶えていた。だがまだ戦意を持って動き回り、強化人間にも着いて行かなかった個体を、雨音が狙撃して止めを刺す。
 それから階下に声をかけた。

「雪蘭さん、大丈夫ですか」
「大丈夫だ。でも‥‥」
「ああ」

 雪蘭の言葉の続きを察し、BLADEが頷いた。強化人間はプラントから出て行ってしまった――止めを刺す前に、逃げられてしまったのだ。
 とにかく、追わねばならない。ひとまず合流しようと互いに約束して、管制室の能力者達はCP類のコード等を切断したり、本体自体に弾丸を撃ち込んで滅茶苦茶に壊し、その間に雪蘭は再度培養室内に処理漏れがないか確かめて。
 培養室を出ようとして、ぎくりと足を止めた。破壊している時には気付かなかった――それは強化人間の死体。どうやら、バグアのメンテナンスを受けられず死んだ強化人間は、相当数居るらしい。
 死体の顔はまだ、年若い。はっと息を呑んでから、違う、と強く頭を振った。

「‥‥ッ、あの子は、違う。私の子じゃ、ない‥‥」

 ぶん、と強く頭を振り、せめて迷いなく死んで逝けた事を祈りながら廊下に出た雪蘭に、何かあったらしいとは気付かないふりをしてBLADEは合流した。そうして培養室の状況を確認して、仲間達と揃ってプラントの外へ、出る。
 彼女に掛けられる言葉を、BLADEは持たなかった。愛する我が子を求め、戦場をさ迷い続ける母を相手に、どんな言葉を掛けた所で口先だけの安っぽい同情になるだろう。
 ならば、何も掛けない方が雪蘭にとっても良い。そうして無言のまま、己のやるべき事をやった方が有意義だ。
 だからBLADEは、能力者達はただ、走る。走り、アレクを追う。





 パン‥‥ッ!
 乾いた音が雪原に響き、ぱっと鮮血が散った。だがそれはアニーの物ではない――寸での所で身を捻じ込んだ、リヴァルの物だ。幸い頬を掠っただけで、さしたるダメージではない。
 歩兵達が得物を構え、『偽者』を庇った能力者に疑いの眼差しを向ける。そんな彼らを置き去りに、マリアは1歩進み出ると、能力者達に向かってにっこりした。

「素敵な余興でしょ?」

 その言葉に、アニーが神撫に抱き竦め守られながら「やっぱり」と呟く。幾度も乱れたロシア軍の動き、矛盾や訂正の多かった指揮――それはマリアが無線に割り込み、アニーのふりをして引っ掻き回していたのだ。
 リヴァルはそのまま2人を背に庇い「後退しろ、ここは我々で抑える」と告げた。言いながら、周りの仲間に眼差しで合図する。
 神撫の性格上、あれほどアニーと似た相手とまともに戦えはしないだろう。ならば彼女の護衛を任せ、彼や仲間達で対処した方が良い。
 あら、とマリアが笑った。

「『酷いです。私を手伝いに来てくれたんでしょ?』」
「貴女ではありません。私達は神撫さんの為に、本物のアニーさんを守りに来たんです――貴女や、貴女の仲間から」

 彼女の言葉に、リゼットが顔を強張らせる。よくも言ったものだと、非難の篭った眼差しにマリアはまた笑い、兵士達に合図した――どうやらマリアは、彼女が本物のアニーだとすっかり信じ込ませたらしい。
 マリアの指示に、兵士達が能力者を取り囲む。強引に突破するのは容易いが、幾らなんでも彼らを傷つける訳には行かないだろう。
 どうするべきか、迷う。マリアは盾を手に入れると同時に、能力者に対する人質を手に入れたも同然だった。

「とにかく、マリアは捕縛を」
「解ってるよ、神撫」

 彼女には聞きたい事、確かめたい事が山ほどある。だから捕まえて確かめたいと、大人しくアニーを守って仲間達の後ろに下がりながら告げた神撫に、覚羅がぱちんとウインクした。
 神撫達とロシア兵の、さらに間にリゼットが立つ。とにかくマリアを捕まえねばと接近しようとセレスタは、ロシア兵を傷つけないよう細心の注意を払ってじりじり進みながら、声を張り上げた。

「諦めて降伏して下さい! あなたにもう逃げ場はありません」
「『落ち着いて下さい、セレスタさん。早く偽者を捕まえないと、皆さんだって罪に問われちゃいます』」
「うわぁ‥‥」

 そっくりアニーの声色と口調を真似た、マリアに誰からとも知れず声が漏れる。それはアニーを真似る彼女への嫌悪でもあり、これほどに似ていたのかと言う驚きでもあって。
 とは言え、ならば、どうするべきか。多少ロシア兵に被害を出しても強引にマリアを捕らえるか、まずは彼らを説得し、こちらに居るのが本物だと理解させるべきか。
 思案に動きが止まったその時、プラントの方で騒ぎが起こった。突然中から飛び出してきた男が、包囲していたロシア軍の兵を次々と雪に沈め始めた、というのだ。
 内部班は失敗したのか――不安が過ぎる能力者達の元に、強化人間が逃げた事と、制圧そのものには成功したと無線が入る。逆にマリアの顔には、初めて、忌々しげな表情が宿った。
 それに、チャンスだ、とリヴァルは思う。恐らくマリアにとって、強化人間の登場は計算外なのだろう。それはこちらの付け込む隙になるだろうし――何より、リヴァルがここに来てやりたいと願っていた、神撫に先頭での見せ場を作りたい、明るい未来を掴ませたい、という目的を果たす事も出来そうだ。
 だから視線を巡らせると、確かにこちらに向かってくる大柄な男の姿が見えた。あれが、件の強化人間なのだろう。

「リゼット、ここは任せた。俺は神撫とあちらに回る」
「解りました。覚羅さんは?」
「僕もあちらに行こうかな」
「‥‥‥ッ、アレク! 早く壊して!」

 能力者達の会話に、何かの堰が切れたかのようにマリアが『アニー』の仮面をかなぐり捨て、多少ヒステリックにそう叫んだ。叫び、手に持った拳銃の照準を再びアニーへと合わせる。
 銃口は、正確に彼女の顔を狙っていた。大きく目を見開き、即座に自身の拳銃を引き抜くアニーの盾になるべく、リゼットは彼女達の間に立つ。
 放たれた弾丸は、けれどもリゼットを傷つけるには至らなかった。同時に、マリアの言葉にロシア兵に動揺が走ったのを見逃さず、セレスタと灯吾が同時にマリアへと走る。
 アニーそっくりの顔が、憎悪に歪むのを間近で見ながら同時に腕を掴むと、こちらが驚くほど簡単に彼女は捕まった。暴れる素振りすらなく、掴まれた腕の痛みに喘いで居るのは、演技には思えない。
 慌てて腕を緩めながら、セレスタと灯吾は顔を見合わせた。能力者や強化人間、バグアであればこう簡単にはいかないし、あっさり抵抗を封じされる事もないだろう――彼女は、一般人なのだ。
 これほど事態を引っ掻き回しておいて、能力者を翻弄し、強化人間――アレクと呼んだか――とすら対等らしい彼女がまさか、と思う。だが同時に、彼女ならば、という思いも一抹、存在した――マリア・アナスタシアはどこまでも、得体が知れない。
 とは言えこれすら、彼女の演技ではないと決まったわけではない。念のため、セレスタと灯吾はそのまま2人がかりでマリアを雪に押さえつけ、腕を背中に回して拘束した。
 その間に、リヴァルと神撫、覚羅は強化人間アレクと対峙している。すでにプラント内部でそれなりにダメージを負ったのだろう、あちらこちらに傷を負い、血を流しながらも眼差しは力強く、それでいて拭い切れぬ倦怠感にも似た何かを全身に纏わりつかせている。
 リゼットがロシア軍に「援護を!」と叫ぶのが聞こえた。それに動き出す人の気配をも感じながら、リヴァルは振り返らず、神撫と覚羅に告げる。

「‥‥チャンスは必ず作る。後は任せたぞ」
「僕もサポートするよ。止めは任せた」
「ああ」

 友人達の気遣いに、しっかり頷いたのを確認してからリヴァルと覚羅は、目と目を見合わせ同時に動き出した。見た所、目に見える場所に銃等の遠距離武器は持って居ないようだが、油断は禁物だ。
 動き出した能力者に、アレクも警戒の眼差しを向けながら、手にした大剣をぐっと構える。見た所近接武器のようだが――

(試させてもらうか‥‥)

 こちらも剣である事を見せつけたリヴァルに、アレクが目玉だけをぎょろりと動かす。覚羅や神撫も手にしているのは戦斧だ。
 遠距離攻撃が出来るならば、その場からでも撃てる距離。だがアレクはぐっと一瞬身体を低くして、次の瞬間能力者達へと咆哮を上げて向かってきた。

「をぉぉぉぉ‥‥ッ!」
「――ふぅん。速さはそれなり、かな」

 近付いてくる男に、あくまで余裕を見せて観察しながら、覚羅は呟き紙一重で男の突進を交わす。と同時にベオウルフを振り下ろした、斬撃を逃れた所にリヴァルが不意打ちを兼ねた片刃を振り下ろし、注意を引いた。
 力だけはありそうな、アレクを相手に狙うのは腕の付け根や脚。近接戦では殊に力のかかる場所であり、一度傷を負えば自らの攻撃ですらさらに痛めつける事になる場所。
 そんな能力者達の攻撃に、ようやくマトモに動くようになったロシア兵が援護射撃を加える。チッ、と舌打ちしたアレクに苦笑して、覚羅はさらに彼を翻弄すべく、リヴァルの動きに合わせてさらに斬撃を叩き込んだ。
 それでなくとも多勢に無勢のアレクは、ここでも苦戦を強いられる。とはいえすでに、彼は引く気はないようだ――工場から飛び出してきたのは、或いは、そうしてでも果たさねばならない『何か』があったのかも、知れない。
 だが、それもここで終わりだ――覚羅の攻撃に翻弄されるアレクに、リヴァルは四肢挫きで動きを止め、さらに月読で渾身の力で男の足を刺し貫いた。
 ぐっ、とアレクの唇から、苦悶の動きが漏れる――その隙を、神撫は見逃さない。友人達が作ってくれたこのチャンスを、最大限に活かすべく大きく踏み込み、手にした戦斧を振り上げて。
 ――ザシュ‥‥ッ!
 ありったけの力を込め、スキルを載せて振り下ろした神撫の渾身の一撃が、アレクの左装甲を破壊し、そのまま肉まで到達した。深々と刺さった刃は肉を裂き、明らかな致命傷に男の両目が大きく見開かれ。
 斧が抜けると同時に、がくり、アレクが膝を突いた。カハッ、と喉の奥から空気の塊が漏れ、力なく、力強い声が空気を震わせる。

「蛇‥‥ッ! 貴様、の‥‥願いは叶え、られん‥‥」

 すまん、と白い吐息と共に呟き、アレクはついに動きを止めた。雪原の雪にどさりと大きな身体が崩れ落ち、全身から流れる血がゆっくりと雪原を赤く染めていく。
 神撫とリヴァル、覚羅が荒い息を吐きながら、手を上げてパン! と景気良く打ち合わせ。

「――さぁ、マリアさん。まだ、貴女の手駒は残ってますか?」

 それを見届けた、セレスタが感情の見えない声色で問いかけると、マリアの手から女性が扱うには随分大柄な拳銃が落ちた。それを蹴り飛ばし、やれやれ、と灯吾が息を吐く。
 雪の上に押さえつけられたマリアを見下ろし、神撫が言った。

「――さぁ、ここで決着と行こう。何がしたかったのか、何が目的なのか――とりあえず、今はお前を捕らえて一連の騒動の終幕と行きたいな」
「作戦終了、ですね」

 神撫の言葉に、セレスタの言葉が重なる。誰の物とも知れぬ紫煙が辺りに広がって、ロシアの冷たい空気の中に溶けた。





 何となく、予感はしていた。マリアを見つけたら絶対に逃走を許さず、何としてでも全速力で追って捕縛しようと、思っていたけれど。
 ――彼女はもう逃げないんじゃないかとも、思っていた。そんな灯吾の予想通り、マリアは捕らえられて抵抗も、逃げる素振りすら見せず、傲然と笑っている。
 雪に押さえつけられ、両腕を背中で拘束されてすら、笑いながら憎々しげな眼差しでアニーを見つめていて。何をするか判らないと、警戒を解かない能力者達にマリアがふと、瞳を伏せる。
 途端、どこか危うげに見えるマリアは、やはり、アニーに瓜二つだった。小さな声で呟いた、言葉が聞き取れず聞き返す。

「‥‥? なんすか」
「彼は‥‥サバーカは何か、私の事を言ってたかしら‥‥?」
「――最大級の弱みを握られてた、って」
「そう‥‥やっぱり『私』を最後まで見なかったのね‥‥」

 突然の問いに、戸惑いながらもそう答えると、クッ、と女は喉を鳴らした。そうして小さく呟いた、次の瞬間女はカハッと鮮血を吐く。
 驚き、慌てて女の顔を覗き込んだが、すでに命の気配はなかった。どうやらすでに仕込んであった口中の毒を飲み込み、留めに舌を噛み切ったらしい。
 雪原に、鮮やかな赤が染み込んだ。