タイトル:【RR】破滅の雪〜Annieマスター:蓮華・水無月

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/01/29 20:28

●オープニング本文


 『犬』の牙が折れたのは、とある暑い夏の盛りの、どうという事はない戦場。UPC軍と敵対する軍に雇われ、別動部隊として襲撃する役を任された。
 だがその作戦は、他ならぬ彼自身の失態により終わった。彼が司令官を狙撃しようとしたのを、UPC軍の士官に気付かれたからだ。
 その士官こそ、アニー・シリング。絶対に気付かれないはずの距離を気付かれて大敗を喫し、『犬』は傭兵としての信頼を著しく損なわれ。
 以来、どんな相手を狙ってもスコープの向こうに彼女の幻がちらついた。また気付かれる――『犬』は引き金を引けなくなった。

「――けど私、一体何の事か判らないんだよね」

 久しぶりの電話の向こうのマヘリアに、アニーはそうため息を吐く。彼女が能力者と纏めた報告書は、勿論イギリス諜報部にも届いていた。
 『ようは逆恨みでしょ?』とマヘリアの楽しげな声。それはきっと、間違いじゃない。『犬』は勝手にアニーをトラウマとして牙を折り、その牙を取り戻す為に敢えて同じ狙撃という方法で彼女を狙い続けたのだ。
 でも、しっくり来ない。それはきっとマリアの存在が、その理由のどこからも欠けているからだ。

『「犬」はロシアで「キヨヒメ」と会ったのよね』
「――何、その『キヨヒメ』って」
『知らないわよ。大佐がそう呼んでたんだもの』

 そう言われて、ふぅん、と曖昧に頷く。キヨヒメ。あのエドワードが言うなら、きっと意味のある呼称なのだろう。
 ――『犬』はロシアでとある女情報屋と出会い、様々な情報を得ていた。アニーを狙う機会を得る為に、一時的に例の組織に協力する手はずを整えたのも彼女だという。
 それがマリアの事だとすれば、随分と長い付き合いだ。だが『犬』は、マリアが女情報屋だとは認めなかった。

『まぁ、ウチとしては欲しい情報は揃ったみたいよ』
「アレで? マヘリアも読んだ?」
『必要な所はね。キメラは関係ないし』

 あっさりとした言葉に、そうだよね、と息を吐く。例の組織は親バグアを匂わせ同志を集めながらも、エヴァンスの真の思想を理解していた者は、実の所ほとんど居なかったのだ。
 『犬』は組織で機会を待ちながら、彼等に協力して幾つかのテロ行為には関わった。しかし当のアニーがイギリスを離れたので、組織を離れLHへやって来たのだという。
 その情報自体は彼が独自に仕入れたもので、その頃すでに女情報屋とは縁を切っていた。かつての廃ビルは、キメラが先で彼が後だった――『犬』はアニーのLHでの初任務を嗅ぎ付け、隣にたまたま在った工事現場に潜り込んだに過ぎない。
 じゃね、とマヘリアが言ったのに、うん、と頷いて携帯を切る。
 マリアと、女情報屋との関係について、『犬』は吐こうとはしなかった。それでも、遊園地のキメラは女情報屋が手配した物だという事は、彼の言葉を繋ぎ合わせれば推測できた。
 『犬』の苦い顔を、思い出す。

『彼女に何か、弱みを握られていた?』
『ああ。最大級の、な』

 ならばその弱みは何だろう。やっぱり、すっきりしない。

(マリアさんを捕まえなきゃ)

 ため息を吐き、手の中の携帯を放り出した。行方不明の彼女だが、『犬』が漏らした言葉から調べて、判った事はある。
 ズミヤー。それはかつてロシア圏で、己の利害が一致した時のみに動き、そうでなければ切り捨てる冷酷さから『蛇』とあだ名された女情報屋だ。





 アニーにロシア行きの辞令が出たのは、年も明けてすぐの事である。

「舞香が会いたがっていたよ。能力者から紅茶セットを貰ったとかで、君と会う時の為に取っておくそうだ」

 束の間の休暇に日本に帰っていた上司のマクシミリアン・杉野が、朝一番に顔を合わせるや否やそう言ってから、「でもその前に、君には私と一緒にロシアへ出向して貰いたい」と告げたのだ。
 今、ロシアでは国土を完全に人類側に取り戻すべく、各地で戦乱が勃発している。その中で、ロシア軍の面々では強面過ぎて、赴いた傭兵との窓口役軍人が足りていない、とも聞いていた。
 だから、マクシムの伝え方が気軽過ぎただけで正式な辞令だと聞けば、アニーに拒否する理由はない。拝命しました、と頷いて準備をしていたら、ちょうど出勤してきた午後方の同僚が、彼女の肩を叩いてこう言った。

「ぁ、そだ。ロシア土産よろしくね」
「え?」
「やだ、さっき言ってたじゃない。今度、ロシアに遊びに行くって」

 笑った彼女に、首を捻る。アニーは出向するのであって遊びに行く訳ではないし、何よりその辞令は今朝出たばかりなのだ。
 なぜそれを、来たばかりの彼女が知っているのだろう? 不審に思うアニーと同様に、彼女もまた不審を感じたらしく、首を捻った。

「ランチのお店で言ってた、よね? 今日からオフだからって」
「私、今日は朝から軍に詰めてました」

 言いながら、彼女が一体誰と自分を間違えたのか、アニーには判っていた――マリアだ。
 だが、なぜそれをわざわざ知らせるのだろう? 何も知らないアニーを待伏せた方が、理に適ってるし効率も良い。それにどうやって、アニーがロシアに行く事を知ったのだろう?
 悩むアニーの疑問を、先に解いたのはマクシムだった。脳裏に、先程の昼休憩時に交わしたチャットの会話が蘇る。チャットを趣味としている彼は、ハウンドと名乗る相手と長らく、チャット上の友人として付き合っていて。

『今度ロシアに遊びに行くんだ』
『例のお気に入りと、か?』
『うん、まあね。ハウンド、君は冬のバカンスは?』
『俺は仕事だ』
『それはご愁傷様』

 先日捕まった『犬』のコードネームを知り、ひやりとした物が背筋を過ぎったのは、事実だ。だがそれ以降も相手はチャットルームに現れて、マクシムを安心させた。
 チャット上ではマクシムは、旅行趣味の会社員と名乗っている。だがもしマクシムの正体を知っていれば、そして相手が『犬』と繋がりのある人間だったのならば、ただそれだけの情報でも事実を推測する事は出来るだろう。
 完全にマクシムの失態だった。顔を覆って天を仰ぎ、呻いた上司に驚いたアニー達部下に、力無く彼は笑う。

「どうやら、今度は私が軍法会議にかかって来る番のようだ」

 マクシミリアン・杉野がその足で事実関係を上層部に報告し、拘束されたのはその日のうちの事である。





 結局、アニーは1人でUPCロシア軍へ出向した。そこで拝命したのは、とあるキメラプラント工場の偵察を依頼する能力者への対応とサポートだ。
 ロシア国内には未だ、数多のバグア拠点が残されており、アニーが担当する事になったキメラプラント工場もその1つである。とはいえそれはロシアの中心部からも程遠い、言うなれば片田舎に在る比較的小規模な工場という事だった。
 頭を切り替えよう、と思う。解らない事は幾つもある、マリアもこの国の何処かに居て、アニーを狙っているのかもしれない。
 だがまず彼女が成すべき事は、少尉として目の前の任務を遂行する事だ。

●参加者一覧

ロジー・ビィ(ga1031
24歳・♀・AA
東野 灯吾(ga4411
25歳・♂・PN
神撫(gb0167
27歳・♂・AA
遠倉 雨音(gb0338
24歳・♀・JG
魔津度 狂津輝(gc0914
28歳・♂・HD
レオーネ・ジュニパー(gc7368
12歳・♀・ST

●リプレイ本文

 ほわぁ、と無邪気な声が雪原に響いた。

「雪がふかふか‥‥ふゎッ!?」
「‥‥ッと、大丈夫ですか?」

 そうしてはしゃぐレオーネ・ジュニパー(gc7368)が、雪に足を取られて顔面から雪に突っ込んだのを、アニーが引っ張り起こす。その横で神撫(gb0167)は、今回の任務を思って僅かに息を吐いた。
 偵察は、神撫にとって苦手な分野だ。とはいえアニーが担当するなら協力したいが――また作戦士官以外の任務かと思うと落ち着かないし。そもそも人手不足で能力者相手も慣れているから、と言う理由でのロシア行きも気に入らない。今回は動向が漏れてないと良いんだけどなと、考えた神撫は不意に、あ‥‥ッ、と声を上げた。

「サバーカはどうなった?」
「『犬』は神撫達のお陰で調書が取れたし、この間、英国に移送されたよ」

 彼はあくまで雇われの傭兵で、思想犯ではない。アニーへの個人的な襲撃は恐らく、『上の方の色々』で軽減されたのだろう――それは恐らく雪島舞香に対して取られた措置と同じものだ。
 バグア本星が去っても今回の任務の様に危険はまだあるし、その中で負った傷の癒えない人も、いる。舞香も『犬』も、大きな意味ではその被害者なのだろうか――そう考えながら東野 灯吾(ga4411)はアニーを呼んだ。

「マリア、まだ捕まってないんすよね? その後の行方とか‥‥俺らに話して問題ない範囲で、教えて貰えませんか」

 その言葉に、アニーはちょっと困ったように、マリアらしき人物が今回の任務の先回りをしている可能性と、それが上司から漏れた事を、告げる。それはまた、彼女が狙われる可能性が高い、という事だ。
 そっすか、と灯吾は難しい顔になった。マリアは危険人物だと、思う。ならば一刻も早く捕まえてアニーや、舞香が安心して出歩けるようにしたい。
 そう思う灯吾の横で、遠倉 雨音(gb0338)は思考を巡らせた。六甲ではキメラも手配した『ズミヤー』がマリアなら、その気になればまたキメラを差し向ける事が出来る、と言うことだ。ならば次は、何を企んで居るのだろう。

「――何があってもいいように、警戒はしておく必要がありそうですね」
「そうですわね」

 その言葉に頷きながら、ロジー・ビィ(ga1031)が考えていたのはまた別の事だった。
 女情報屋『ズミヤー』。キヨヒメ。ズミヤーとはロシア語で蛇を意味し、キヨヒメが清姫ならばそれは――
 だが今は任務だと、キュッ、とロジーは唇を噛み締める。彼女達は、ロシアの地を完全に人類の手に取り戻すべくやって来たのだから。





 2台の雪上車が、雪原を走っていく。そのうちの1台に揺られ、魔津度 狂津輝(gc0914)は白しかない窓の外を怠惰に眺めた。
 本当は纏っているバイドロスに、移動中に雪原迷彩を施そうと思っていたが、生憎ペイント出来る時間も道具もない。基地で相談してみれば、工兵がとりあえず白に塗ってくれたのだが、となれば道中で彼がやれる事は、ただ流れ行く白を眺めるのみで。
 その狂津輝の乗る雪上車を運転する、神撫が傍らのアニーをちらり、見た。

「寒くない?」
「うん。ありがと、神撫」

 そう、笑ったアニーの耳当てとマフラーは、神撫が用意してきたもの。本音としては彼女に安全な基地に居て欲しかったけれども、ロジーが彼女を連れて行った方が良いと推したのだ。
 アニーの意思次第と断りながらも、マリアを誘き寄せるならば居た方が良い、それもなるべく工場外部に、と告げたロジーの論にも一理ある。しかも『外部なら護る方もいらっしゃいますしね!』『そうですね! アニーお姉さんをお願いしますね!』とロジーのみならず、レオーネにまで発破をかけられた。
 雪上車はそれぞれに外部警戒班と内部侵入班に分かれ、一路、工場へと向かう。地図はと尋ねたら、このまま真っ直ぐだと何もない雪原を指差された。
 確かに、拠点から少し走らせれば動物の足跡も見当たらないような雪原で、地図も何もないだろう。太陽の位置から方向は割り出せるから、帰りに迷う事はなさそうだ。
 拠点から10Km地点まで来た所で、彼らは1台を停め、もう1台へと乗り移った。ロシア軍が確認している、人類側の制空権はここまでだ。
 ゆえに1台を安全圏に置いていき、慎重に双眼鏡等で辺りを確認しながら、さらに雪上車を走らせる。その間も常に太陽の位置や角度に注意して、レンズが反射して光らない様、灯吾は気を配った。
 彼等の様子を、どこでマリアが見ているとも限らない。そうして銃声の一発も鳴らされれば、それで終わりだ。そう思うと無意識に、ぐっ、と双眼鏡を握る手に力が入る。

「そろそろ、でしょうか」

 同じく前方を観察していた雨音の言葉に全員、運転手の神撫を見て、彼が頷くのを確認した。相変わらず何もない雪原だが、目標のキメラプラントはここから1Km程度のはずだ。
 幸い、ここまでは何もなかった。ここからはさらに慎重に、出来るだけ音を立てないよう進まねばならない。
 歩き出してすぐ、奇妙な足跡が雪面に多数あるのに気付いた。強いて例えるなら毛むくじゃらの人間の手だ――しかも一体どれほどの数が居るのか、足跡からは想像もつかない。
 プラントで製造されているキメラの物だとすれば、すぐにでも出会う可能性がある。それぞれに雪原迷彩の工夫を凝らしてきたが、どこまで欺けるだろうか。
 見回す限り、双眼鏡で見える範囲にもキメラらしき姿はない。だが歩くうち、ぁ、と誰かが声を上げた。

「あれだ」
「2階建て、といった所でしょうか」

 神撫の言葉に、目を細めて対象を見た雨音が相槌を打つ。小さな工場だとは聞いていたが、確かにそれはさほど大きくはない、せいぜい2階建て程度の寂れた自動車工場、といった風情だった。
 だが、中身までそうとは限らない。現にすでに双眼鏡で視認出来るだけでも、キメラらしき姿のみならず、無人機も多数居る。
 能力者達はそこで一旦止まり、それらをじっくりと観察した。どの程度の強さなのか、数はどの位なのか。外部だけではなく、出来れば内部も突入前にある程度把握しておきたい。

「よく見えないですけど、明るいって事は中にも誰か居るんですよね?」
「ええ。それにあの量――あの隙を突いて内部に侵入するのは、なかなか大変そうですね」
「でも手薄な所もありますわ。罠かも知れませんけれども」

 内部偵察班の女性3人は、揃って双眼鏡を覗きながら話し合う。実際、敵の動きはまったく統率が取れてない様だが、じっくり回ってみると一カ所、まさに裏口とでも言うべき場所だけは1匹のキメラが立つだけなのだ。
 罠か。偶然か。
 だが侵入するならあそこからしかないと、覚悟を決めた侵入班と外部班で、無言で耳につけた無線のイヤホンを確認し合った。盗聴される危険もあるが、本当に万が一の時だけは通信する、と言う事で折り合いがついている。
 そうして静かにプラントへと向かっていく3人の背を、外部班は敵の動向に目を配りながら見送った。





 素早くキメラを排除し、3人はプラント内部へと侵入した。
 両手で大きな鞄を抱え上げながら、レオーネは近くに工場内の案内板等が無いか確認する。だがそれらしきものは見当たらず、ただまっすぐな薄暗い廊下の両脇に、点々とフットライトが光って居るだけだ。
 すぐには動き出さず、先ずは目につく範囲を観察した。監視カメラはよほど巧妙に隠されて居るのか、すぐには見当たらない。ざっと見回す限り、元々あった工場をプラントに改造したのだろうか。

(だとすれば少し、やりやすいですわね)

 予め購入してきた筆記用具を紙の上で躍らせながら、ロジーは思う。もちろん改造されては居るだろうが、ベースが人間のそれなら構造の予想は立てやすい。
 ゆっくりと歩き出しながらロジーはマッピングを開始する。小柄な身体を活かし、普通の背丈では入れなさそうな所に頭を突っ込んだりするレオーネの言葉も、残らず詳細に書き付けて。
 そんな2人から少し離れた場所を、隠密潜行した雨音が、歩く。不自然なほど建物内に敵はなく、僅かに見えた監視カメラもロジーがロシア軍から借りたペイント弾で処理出来る程度の数だが、油断は出来ない。

(むしろ最大級に警戒するべき、ですね)

 外に対して、中の手薄さは不自然だ。サプレッサーを付けた銃のグリップを握り直し、いざという時に伏兵となれるよう、ただしいつでも2人をフォロー出来るよう、雨音は無言で足を進める。
 このまま進んでも良いのだろうか。培養液に満たされた容器が整然と並び、キメラが製造され続けている様子を記憶し、記載しながらふと、迷う。

(誘われている‥‥?)

 キメラも無人機も、プラントを動かして居るはずのバグア側戦力も居ない。或いは工場自体がバグア側の囮で、どこか別の場所でこちらの動きを見ているのだろうか?
 考えたものの、答えが出るはずもない。ついに1匹のキメラにも出会わないまま、管制室らしき扉の前まで辿り着いた彼女達は、いっそこのまま制圧してしまった方が作戦の手間が省けるのではないか、とすら考え。
 ロジーは仲間に、問い掛ける。

「せっかく見つけたのですから、制圧しまして? それとも一旦引き上げまして?」
「そうですね‥‥」
「‥‥ッ、待って下さい」

 ロジーの提案に、首を捻りかけたレオーネの言葉を、押し殺した雨音の制止の声が遮った。そうしてロジーとレオーネに眼差しだけで示した先で、ゆっくりと管制室の扉が、開き。
 無人の部屋の中、幾つものモニターが工場内を、そうして管制室を覗き込む3人の背中を映し出しているのが、見えた。その前に置かれた大きな椅子の背は、ぎしぎしと揺れている。
 そうして刻一刻と変わる幾つものモニターに、一瞬、椅子の主が映った。――マリアだ。
 彼女はこちらが自分に気付いたのを知って微笑み、くるリ、椅子を回して3人へと向き直った。

「お久し振り。元気そうで嬉しいわ」
「――貴女も」

 そうして当たり前の様に言った、マリアに雨音は目を細めて返す。拳銃の銃口を油断なく、そして躊躇いなく彼女へと向けた。
 だが、彼女は動じない。微笑んだまま、いっそ無防備に見ているだけだ。
 何か罠が仕掛けられているのか。だから優位の表情で動かないのか‥‥それとも別の理由が‥‥?
 もし灯吾がこの場に居たならば、迷わずマリアを捕らえに動いただろう。だがそこまでするべきか、彼女達にはまだ判断がつかない。
 部屋に踏み込めないまま、ロジーは問いかける。

「ズミヤーと言う女を知っていまして?」
「Да.」
「では、キヨヒメという女は?」
「蛇に変じた日本の姫の名前ね」
「さすがは『翻訳家』ですわね。ではマリア――貴女の本当の狙いは――?」
「さぁ?」

 マリアは笑った。だがその瞬間、すぅ、と危険に目を細めたのを、レオーネは見た。
 1年前、レオーネと手を繋いでLHの楽器屋を巡った人と同じとは思えない。あの時の寂しそうな、幸せそうなそれとは違う、どこか壊れた笑顔でマリアが、コントロールパネルに手を伸ばす。
 途端、パシュッ、と音がしてマリアと彼女達の間を隔てる扉が閉まり、キメラと無人機が廊下の向こうに現れる。

「‥‥ッ!」

 3人は顔を見合わせ、素早く無線で外部の仲間へと連絡を取り、出口へ向かって駆け出した。





 敵はまったくこちらを見向きもせず、ただうろついているだけだった。万一の罠や襲撃に備えながら、灯吾はそこに紛れて近付いてくる気配がないか、周囲にも気を配る。
 バグアや強化人間ならば、恐らく強い気配を持っているだろう。だが時々位置を変え、工場の周りを警戒して歩いても、それを見つける事は出来ない。

「それにしても、あんま気分の良いキメラじゃないっすね」
「だな」

 じっと見つめていた灯吾の呟きに、神撫が頷いた。彼の傍ではアニーが端末を操り、情報を打ち込んで分析に努めている。
 キメラは、足跡から察した通り毛むくじゃらの猿のような手を4本持っていた。尻尾は蛇の様にくねり、体躯はびっしりと羽毛に覆われて、犬の様な頭部に人間に見える顔がついている。
 一体どんな能力を持ち、どんな攻撃をしてくるのか、見ているだけでは掴めなかった。視線の先で、キメラはただうろうろと動き回るのみだ。
 そんな3人とは違って、狂津輝だけはマイペースにやる気なく辺りを見回すだけだった。彼は常に、戦闘以外ではそんな物だ。

「あーあ。そろそろ、奴らが襲ってきてくれないと退屈で死にそうだぜな」
「縁起でもない」

 狂津輝の言葉に神撫が顔を顰めた。最悪の場合は戦闘も覚悟しているが、あくまで偵察任務なのだ。それが問題になってアニーに懲戒が行ったらどうしてくれる。
 だが不意に、明らかに敵の動きが変わった。全個体がぐるりと一斉に能力者達を向くと、こちらに向かってきたのだ。
 内部班は大丈夫だろうかと、心配した直後に無線が飛んできて、やはりキメラ達に追われていると連絡が入る。それがマリアの差し金だと聞き、妙に納得した――最初から奴らの動きがおかしかった理由は、それだろう。
 ゆらり、狂津輝が嬉しそうに瞳を爛々と輝かせた。

「やっと出番か。いっちょ派手に暴れてやるぜ‥‥ッ」

 退屈な偵察任務より、敵を倒す方がよほど心躍る。狂津輝は得物を構え、向かってくるキメラに狙いを定め。
 力の限り、挽き肉にせんばかりに振り下ろす。

「敵は赤い染みにしてやるぜ、ヒャッハーッ!」
「程ほどにして下さいっすよッ!」

 言いながら灯吾も得物を構え、向かってきた無人機に狙いを定める。幸い、狂津輝は内部侵入班の事を忘れた訳ではないようだ。
 だがそんな狂津輝は敵にも良い標的のようで、敵が集中する。それを見ながら神撫はアニーを守り、近付かれる前にソニックブームで脚を狙った。
 そうして向かってくる敵を倒す内、裏口から出てくる影が見えた。3つ。

「お待たせしました‥‥ッ」

 転がる様に雨音達が駆け出してきて、そうしながら背後から迫ってくるキメラを撃ち抜く。そんな彼女達と合流して、今度は一路、雪道を駆けながら逃亡し。
 ある程度走った時点で、ふと、追撃が来ない事に気付いて振り返ると、すでに敵はこちらに興味を失った様にまた動きを止め、あてどもなく工場の周りをさ迷っていた。その中に、立つ男の影が見える――あれが、あのプラントを本来支配して居るバグア、または強化人間だろうか?
 立ち止まり、息を整えた。双眼鏡で確認したかったが、またいつ気が変わって襲ってくるとも限らない。
 その影だけを目に焼き付け、自分達のつけてきた足跡を辿って雪上車まで戻ると、果たして車は無事にそこに残されて居た。見逃された、という感情が、誰の胸にともなく去来する。
 だが、ある程度の戦力は解った。構造も、ある程度把握出来た。
 ならばこの情報を、拠点まで持ち帰らねばならない。自らにそう言い聞かせながら、彼らは雪上車に乗り込んだのだった。