タイトル:夏祭りマスター:蓮華・水無月

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 12 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/07/28 16:02

●オープニング本文


 とん、と軽く、足を一歩踏み出した。

「‥‥‥あれ?」

 そうしてから、一体何をしようとしていたのだったか、どこへ行こうとしていたのだったか、すっぽり抜けてしまった自分に、気付く。さて、どこに行こうとしていたのだったか。何をしようとしていたのだったか。
 うーん、としばらく首を捻って、まぁ良いやと歩き出した。歩いているうちに、思い出すこともあるだろう。
 だからとん、と再び軽く、足を一歩踏み出した。踏み出して、夕暮れに染まる町を歩き出した。
 通り過ぎる車の音。地面から這い上がってくる熱気。ふわり、それらを拭い去るように吹き抜ける夕方の風は、涼しい。
 てく、てく、てくと、あてどもなく町を歩くうち、遠くから、太鼓の音が聞こえてきた。それに併せて聞こえてくるのは、ひゅるりと賑やかな笛の音。

(‥‥ぁ)

 思いついて見回せば、ちらり、ほらり、浴衣で歩く人の姿が見えた。向こうからやってくる子供が手に提げているのは、ビニール袋に泳ぐ赤い金魚。あっちの子供は、水風船。
 あぁそうだ、と思い出す。自分は、近所の夏祭りに行こうとしていたのだった。
 誰かと約束があったわけじゃないけれども、夏祭りをやると聞いたから、ちょっと気になって。せっかくだから覗いてみようと、興味本位で。

「誰か、来てるかな?」

 やっと思い出せたことにすっきりして、足取りも軽やかに、今度こそ夏祭りへと向かって歩きながら、ほんの少し楽しみにそう、呟いた。約束があるわけじゃない、けれども、他にも誰か話を聞いた知り合いが、やってきているかもしれない。
 誰かに会えたら良いのになと、思いながら町を、歩く。そろそろ夕闇も迫ってきて、行く手からは賑やかなざわめきが聞こえてきた。
 ――それはとある夏祭りの夜の、出来事。

●参加者一覧

/ 石動 小夜子(ga0121) / 鏑木 硯(ga0280) / 弓亜 石榴(ga0468) / ロジー・ビィ(ga1031) / シャロン・エイヴァリー(ga1843) / ラルス・フェルセン(ga5133) / シーヴ・王(ga5638) / 鐘依 透(ga6282) / アンドレアス・ラーセン(ga6523) / 九条院つばめ(ga6530) / 美具・ザム・ツバイ(gc0857) / カズキ・S・玖珂(gc5095

●リプレイ本文

 ざわざわと、祭の活気と熱気がざわめき、満ち溢れている。それに目を細めてラルス・フェルセン(ga5133)は、手を繋いだ妹を振り返った。

「賑やかですね〜。せっかくだからー、夫婦水入らずでー、来れば良かったのに〜」

 結婚した妹に、珍しく誘われやって来たは良いけれども、影も形も見えない義弟にふと不安が過ぎったりもする。アイドルのマネージャーをしている彼は、今日も仕事で忙しく飛び回っているのだろうか。
 その問いかけに、シーヴ・王(ga5638)はぱちりと目を瞬かせた。

「偶にゃ大兄様と出歩くのも悪かねぇです」

 確かに普段なら夫と来る所なのだけれど、こうでもして連れ出さなければ、ラルスはまず1人で祭になんて行かないだろう。それに夫が忙しいのも事実だ。
 だから。たまには息抜きも必要でありやがるですよ? と言ったシーヴに、ラルスはありがとう、とほんわり頷いた。確かにこうして誘われなければ、1人で出かけたりはしないだろう。
 ――とはいえ。

「‥‥ですが、手! そう引っ張っては‥‥痛い痛い痛いッ!」
「いろんな出店がありやがるですね。大兄様はどこを見たいでありやがりますか?」

 力の強い妹に、ぎゅぅっと手を握られて涙目の兄をぐいぐい引っ張り、人ごみを縫って歩くシーヴである。どこかで大兄様に良く似た悲鳴が聞こえる気がしやがりますね、とか思っていたり。
 そんな賑やかな2人連れの通り過ぎた先に、待ち合わせの相手を見つけてシャロン・エイヴァリー(ga1843)が「Hi♪」と手を挙げた。

「お待たせ♪ 慣れてないから時間かかっちゃったわ」
「大丈夫ですよ」

 白地に波を纏った浴衣姿のシャロンに目を細め、笑顔で鏑木 硯(ga0280)は首を振る。彼女がいつ来るかなと人ごみの中に姿を探すのは、待ち遠しくもあり、楽しいひと時でもあった。
 そ? と笑ったシャロンと2人、並んで屋台の中へと、繰り出す。が、すぐに彼女の眼差しは、見たことのない珍しい食べ物に釘付けになった。

「硯、硯、これ何これ? 白い雲みたいなの売ってるんだけど‥‥」
「綿菓子ですね。‥‥シャロンさん?」
「わあ! 面白いわよ、硯!」

 そう、説明をしかけた硯は、当のシャロンが周りに居た子供たちと一緒になって、綿菓子屋の親父がくるくると割り箸で器用に綿を巻き取っていく様に、ぴたっと張り付いて見入っているのを見て、微笑んだ。そうしてしばらく、のんびりと彼女が堪能するのを待ってまた、歩き出す。
 その傍ら、さっそくゲットした綿菓子をほくほく食むついていたシャロンは、ふと知り合いにすれ違ったような気がして振り返った。今のは、ロジー・ビィ(ga1031)ではなかろうか。けれども1人漂う様子に、声をかけるのを躊躇われる。
 何より当のロジーはと言えば、シャロンとすれ違ったのにも気付かず、賑やかな人ごみをどこか遠い世界を眺める心地で見つめていて。

(嗚呼、こんな時に『あの人』か『彼』が隣に居れば‥‥)

 何を見ても、何につけてもそう感じて、ため息を吐く。けれども気まぐれにやってきた夏祭に、早々都合よく現れるはずもないと――叶わぬ願いを抱いてしまう己にまた、ため息。
 それにふと、少し前の恋人の姿を思い出して、鐘依 透(ga6282)は気遣わしげにロジーの後姿を見送った。彼女も、この夏祭をきっかけに元気になってくれると良いのだけれども。
 今日はその九条院つばめ(ga6530)からのお誘い。前に流星群を見ようと誘った、御礼だと言われたけれども――ほんの少し強引だったと思うけれども、何か役に立てたのだろうか。
 ならばそれで十分なんだけど、と思う透だったけれども、つばめにとってはあのサプライズの流星群と、何より透に貰った励ましの言葉のおかげで気持ちがだいぶ、楽になったから。そのお礼もかねての夏祭デート、透が楽しんでくれれば良いのになと、思う。
 ね、と向けた眼差しに、返る微笑みは優しい。一緒に居られるだけで嬉しいと、手を繋いで歩きながらふと、つばめは透の眼差しが気になった。

「久しぶりに着ましたけど‥‥えっと、変じゃないです、よね?」
「え、ううん。‥‥その‥‥すごく、似合ってる‥‥」

 揺れる紫陽花の浴衣と、浴衣を着たつばめにしっかり見惚れていた透は、心配そうなつばめに慌ててふるると首を振る。うっかりすれば、いつまでだって見つめてしまいそうだ。
 やはり祭といえば浴衣だと、また違う場所で弓亜 石榴(ga0468)も、親友の浴衣姿に満足そうに頷いていた。自身は赤い向日葵柄の浴衣を纏い、石動 小夜子(ga0121)に着せたのは水色地の金魚柄。
 自分のチョイスに間違いはなかった、と満足げな石榴に、小夜子もなんとなく浮き立つ気分を感じる。恋人と一緒に楽しむ夏祭もいいけれど、親友と楽しむ夏祭もまた格別だ。

「よし、じゃあまずはあそこの焼きトウモロコシ屋から行くよ、小夜子さん♪」
「はい。ふふ、本当に、色々な出店がありますね」

 びしっ、と目に付いた屋台を指差し、楽しげに歩き出した石榴に微笑みながら、小夜子はしみじみと辺りを見回す。数え切れない位の出店は、食べ物やら遊びやら、中にはよく解らない屋台まであって本当に賑やかだ。
 ところで、とその賑やかな人ごみをじっと見ながら、こほんと咳払いをして美具・ザム・ツバイ(gc0857)はつんと鼻を上げた。

「日ノ本の祭とやらには初めて参加するのじゃ。いったいどのような故事とか由来があるのかのう? 聞いても解らなかったのじゃ」
「さぁな」

 美具の言葉に、けれどもカズキ・S・玖珂(gc5095)はひょいと肩を竦める。どちらかと言えばカズキには、祭の由来よりもどこからこれだけの人ごみが出てきたのかの方が、気になった――せっかく恋人に誘われたからと来たものの、実は人ごみが苦手だったり、する。
 ふぅむ、と美具はそんなカズキの反応に、唸り声を上げた。とはいえすぐに、まぁ良いか、と辺りを見回す。
 常に己の果たすべき義務や、己に課せられた重責を意識し、全うしてきた美具にとっては、どんな祭であっても心躍るイベントだ。レディの嗜みとして由来は気にしてみたものの、実の所、彼女の心を惹きつけて止まないのは、今も良い匂いを漂わせている出店の数々。

「では、参ろうか」
「ああ。――浴衣、可愛いな」

 美具に促されて歩き出しながら、カズキはやっとその言葉を紡ぎだした。そうか? と嬉しそうな美具が纏うのは、桃色の布地に大輪のバラが幾つも咲いた、実に華やかな浴衣。
 心なしか足取りも嬉しそうに、草履を鳴らして歩き出した彼女にほっと、息を吐く。女性がオシャレをしていたら、ちゃんと気付いて褒めるべし――彼が最近悟った、女性と付き合う極意の1つ。
 とはいえ当の本人はと言えば、とりあえずのTシャツとジーンズだったりするので、今一歩というところである。





 ぼんやりと、アンドレアス・ラーセン(ga6523)は人ごみの中を歩いていた。先日以来――ずっと、自分自身を縛っていた思いに石を投じられて以来、何とはなしに落ち着かない日々が続いて、いて。
 ふらりとこの辺りを通りかかったら、夏祭をやるという張り紙を、見た。どうやら打ち上げ花火もやるらしい。だから気まぐれにやってきては見たものの――やっぱりどこか、落ち着かなくて。

「そういえば、イベントごとだってのに、ロジーと約束すらしなかった、な」

 ぽつり、居心地の悪さの原因の1つに思い当たり、呟く。或いは最初からそれが解っていて、目を背けていた理由。
 この、傍らに彼女が居ないというだけで妙に居心地の悪い落ち着かなさを感じるのは、むしろ今までが一緒に行動し過ぎていたからかもしれないとすら、思う。イベントごとでも、依頼でも、何とはなしに、そして当たり前に共に行動することが多かった、から。
 とはいえ今からロジーにメールして、来れないかと呼び出す気にもなれない。だからメールに伸びかけた手をシガレットへと向けかけ、この人混みの中ではさすがにそれもどうかとため息を吐きかけて――息を、呑む。
 眼差しの先。たった今まで考えていた、ここに居るはずのないロジーが、そこに居て――それはロジーにとっても、同じで。
 同時に、たった今まで虚しさで満ちていた胸が急速に、安堵で塗り替えられていくのを、感じた。アスが居た、と。会えた、と。ただそれだけで、ほっと出来る自分に――己がどんなに彼を求めて止まなかったのか、強く自覚する。
 ならばこの偶然に、身を任せてみようかと。彼に、彼の金の髪に手を、伸ばし。

「アンドレアス‥‥」

 そう立ち尽くす、2人から少し離れた場所にある屋台では、熱々のホットドッグを手にした石榴が「はい、小夜子さん♪」と良い笑顔で傍らの友人に差し出していた。

「このソーセージは美味しいよ♪ あーん♪」
「ざ、石榴さん‥‥」

 さすがにそれは恥ずかしくないかと、何となく辺りを見回す小夜子である。とはいえせっかくのお祭。顔を真っ赤にしながら、えい、と覚悟を決めて差し出されたホットドッグにぱくりと齧り付いたら、顔のすぐ傍でパシャリ、と音がした。
 ぇ? と齧り付いたまま目だけを横に動かしたら、石榴がとくとくとした良い笑顔で「お宝画像ゲットだね〜♪」と携帯を弄っている。
 慌ててもぐもぐと口の中のホットドックを飲み込んだ。

「石榴さん? 何を‥‥」
「ん? 口に入れた瞬間の小夜子さんの可愛い写真だよ。ほら、今日来てない小夜子さんの恋人に見せてあげなきゃ」
「!?」
「というわけでほら、小夜子さんも彼氏に見せる気持ちで、えろ可愛く食べてみせてー♪」
「〜〜〜ッ、石榴さんッ!!」

 ついに怒った小夜子に、あははと石榴が笑ってホットドッグに齧り付いた。けれどもはみ出したケチャップですぐに口の周りが汚れる親友に、はぁ、とため息を吐いて小夜子はハンカチで拭ってやる。
 ありがと、と礼を言って残りのホットドッグを口に押し込み、小夜子の手をぎゅっと握った。

「ほらほら、まだ一杯お店はあるよ〜。どんどん回ってどんどん食べなきゃ♪」
「ふふ。射的があれば、挑戦してみたいです、ね。なぜか解りませんけど好きなんです」
「射的か。どっかにはあるんじゃないかな?」

 そうして、人混みの中をどんどん2人は歩き出す。あちこち引っ張りまわして、ちょっと浴衣の着崩れた小夜子さんもえろ風情があって可愛い♪ と石榴が思っていたのはもちろん、秘密。
 並ぶ屋台は色とりどりで、飴玉、冷やしきゅうり、カキ氷にチョコケーキ。焼き鳥、から揚げ、ポップコーン、食べ物だけでも数え上げられないほど。
 そのうちのクレープ屋の1つの前で、シーヴは「あ!」と立ち止まった。

「クレープ買おうです!」

 お祭り屋台特有の、ちょっと安っぽい感じのクレープは、それでもひどく美味しそうに見える。んー、とシーヴは少し考えてから、屋台のお兄さんを見上げた。

「何にしましょう?」
「んと‥‥シーヴはストロベリーで、大兄様はチョコバナナが好きでありやがったですよね? それ、1個ずつ頼みやがるです」
「はい、ストロベリーにチョコバナナね」

 ジュッ、と良い匂いをさせてクレープ皮を焼き始めたお兄さんは、慣れた手つきであっという間に注文の品を作り上げる。はいよ、と渡してくれたクレープは、街中で買ったそれよりもやっぱり美味しそうだ。
 お財布を出しかけたシーヴを、慣れた手つきでラルスは制する。

「お代は私が支払います〜」
「大兄様」
「兄なのですからー、当然ですよ〜。それにしてもシーヴ、クレープの好みー、よく覚えてーいましたね〜」

 お金を払いながら言ったラルスの言葉に、当たり前だとシーヴは思う。幼い頃に行った故郷のお祭り、自分を含む7人兄弟を率いていたこの兄は、いつもこうやって弟妹達に屋台のクレープを買ってくれた。
 クレープだけじゃなくて、色々と。きっと大変だっただろうと、今から振り返ってみれば、思う。それでもラルスはいつだって、当たり前ですよと笑ってくれるのだ。
 一緒に並んで、齧りながら歩き出す。少々お行儀は悪いけれども、これも祭の醍醐味とラルスは苦笑しながら久し振りに妹と一緒に食べるクレープを味わい。

「‥‥大兄様は、まだ結婚しねぇんですか?」
「ぶは‥‥ッ!?

 次の瞬間、妹から飛び出した言葉に、口の中のクレープを全部吹き出した。慌てて口元を拭きながら辺りを見回し、吹き出したクレープの被害にあった人が居ないかどうか確かめる。どうやら大丈夫だったようだ。

「きゅ、急に何ですか〜。はぁ、周りにご迷惑をかけずにー、済んでよかったです〜」
「‥‥大兄様もそれなりにいい歳なので聞いてみたですが‥‥」

 クレープ吹くとか汚ねぇです、と呆れた顔の妹に、吹かせたのはお前でしょうと思う。だが妹が、何もラルスをからかったり、興味本位で聞いたわけじゃないのも、解っている。
 だからちょっとだけ咳払いをして気持ちを切り替え、末妹がお嫁に行ったら考える、と笑った兄を、シーヴは複雑な気持ちで見つめた。
 いつも家族を一番に考え、愛し、守ってくれる兄のおかげで、家族はみんな幸せに暮らしてる。自分も、自分以外も、みんな。けれどもそのために、兄が己の幸せを逃すのではないかと、心配なのだ。

「もう少し自分のコトも考えるが良しと思う、ですよ。――大兄様も幸せにならねぇとダメです」
「――今でも私は十分に幸せですよ〜」

 そう、呟くようなシーヴの言葉に、笑ってラルスは可愛い妹の頭を撫でる。ラルスにとってそれは本当に、掛け値のない真実だ。
 だからクレープを仲良く齧り、並んで歩く兄妹とすれ違って、美具はほぅ、とクレープを見つめた。この祭には、あのようなものも売っているのか。
 そう思いながらカズキの腕にしがみつき、足を進める美具である。最初は小ぶりな袱紗を1つ下げ、カズキと並んでそぞろ歩いていたものの、背の低さゆえかあっという間に人混みに飲み込まれてしまうのだ。
 難儀だな、とカズキは思う。彼女を抱きかかえるか、背負うか、いっそ肩に担いでしまえば楽だろうと考えたりもするのだが――そんな事を言おうものなら、どんなに怒られるかも解っている。
 だから差し出した手に、ぴとりと寄り添う美具の重みを感じ。ぶらりと屋台を覗いて回るカズキの傍らで、いつもならばこの程度の人混み、むしろ邪魔だとばかりに薙ぎ払って突き進む美具もまた、大人しく彼の腕にしがみつく。
 それは、カズキの前でそんな事が出来るはずもない、という羞恥心かもしれなかったし。祭を楽しんでいる人々を蹴散らしていくなんて、という理性かもしれなかったし――或いは彼女もまた稚い1人の少女のように、ふわふわと楽しんでいたのかも、知れないし。
 ふらり、次に通りがかったのは金魚すくいの屋台だった。広く浅い台に張られた水の中で、赤と黒の金魚がせわしなく泳いでいる。
 これは聞いた覚えがある、と美具は目を輝かせ、台の前に歩み寄った。

「ふむ、これが金魚すくいとやらか。どうれ、久々に腕が鳴るわ」
「‥‥こういう祭は初めてなんじゃなかったのか」

 美具の言葉に、思わず突っ込みを入れるカズキである。その野暮な言葉にぐっと詰まったものの「ならば勝負してみるか?」と胸を張って美具は挑発した。
 もちろん言われた通り、金魚すくいだって初めてだし、他の屋台だって殆どが初めて見るものだ。だが普段は出来る女を自負し、そのように振舞っている美具にとって、それはもはや習い性であり、己のプライドと意地のかかった真剣勝負でも、ある。
 ならば恋人としてこの勝負、受けざるを得ないというものだ――それが甲斐性というものだろう。
 それぞれコインを渡し、おばさんからお椀とポイを受け取った。そうして気迫でエイッと金魚を跳ね上げた美具を横目に、恐る恐る掬いにかかり――あっけなく、ポイの紙が破れてしまう。
 優雅に泳いで逃げる金魚と、優越感に満ちた眼差しで自分を見る美具の眼差しに、ぎり、と奥歯を噛み締めた。たかが遊びだ。たかが遊び、だが――悔しすぎる。

「‥‥マスター、ワン・モアだ」

 ピン、とコインを跳ねてリベンジを要求した。そうして新たなポイを片手に、カズキの己との戦い(?)は幕をあけ。
 ――数十分後。ぐったりと疲れた顔でベンチに座り、憮然とたこ焼きを頬張るカズキと、その傍らで奢ってもらったたこ焼きをつつく美具の姿が、そこにはあった。
 勝負は冷静さを欠いた時点で負けとは、誰が言った言葉だっただろう。案の定の大負けに、カズキはタコを噛み締めながら考える――故郷に居た頃は悪魔の魚だった頭足類も、LHに来てから色々な文化に触れ、今では難なく食べられるようになった。
 傍らのご機嫌な美具を、ちらりと見て。目の前を行く往来をつと、眺め。不意に沸いた悪戯心に、ブスリ、とたこ焼きを爪楊枝でしっかり刺した。

「美具。アー」
「な!?」

 そうして差し出されたたこ焼きの意味を、解らない美具ではない。顔を赤くして、わたわたする彼女を見れたことに満足して、けれどももっと見ていたくて、ほら、とカズキは促すように、たこ焼きを彼女の口に近付けた。
 往来は、まだ絶えない。普段ならこんな事はしない。けれども。

「お前も気にするな。今日は、デートだ。‥‥ほら、アー」
「〜〜〜〜〜ッ」

 当たり前の顔で自信満々に言い切られ、逡巡の末に美具は目を瞑って差し出されたたこ焼きに齧り付く。そうして口いっぱいに広がるたこ焼きを味わう美具の耳に、シャロンの楽しそうな声がどこからともなく、届いた。

「わあ、これ林檎よね? 丸ごと飴で包んじゃってる」
「林檎飴ですね。他にもブドウや、ミカンもありますよ」
「え? ‥‥わあ、ホント!」

 面白いのね、と言いながらさっそく林檎飴を買い求め、どうやって食べるのかじっと睨めっこするシャロンである。噛り付いてみたり、舐めてみたり。
 先ほどはたこ焼きにも挑戦してみた。硯と仲良く半分こして、はふはふ食べるのはいつもと違う感じで、楽しい。
 日本風の夏祭を楽しんでもらえているようだと、そんな様子に硯はほっと胸を撫で下ろす。そうしてしょっちゅう、楽しそうな笑顔を弾けさせる彼女に見惚れて、居る。
 慣れない浴衣のシャロンを気遣いながら、ゆっくり屋台を通り過ぎて、途中で焼きとうもろこしを1本、買った。シャロンに「1口どうぞ」と差し出すと、ふぅん、と齧りつく。
 くすくす、くすくす。笑いあって人混みの中を、いつもと違う感じでただ歩くのが、楽しい。

「あ、見て見て硯! マスクがいっぱい並んでるわ!」
「お面屋さんですね。アニメのキャラクターとか、結構人気があるんですよ」
「お面かあ‥‥よし、なら私はこの『おりむちゅうじょう』を‥‥」
「‥‥シャ、シャロンさん‥‥‥」

 何であえてそれに行きますか、と心の中でこっそり硯は思う。というかこのお面作ったの誰。
 そんな硯の内心をよそに、嬉々として購入しようとしたシャロンの目の前で、件のお面は幸いにも(?)別の誰かに購入されていった。あーあ、と結構残念そうにまた林檎飴を齧り始めたシャロンは、けれども少し離れた所に射的の屋台があるのを見つけると、すぐにぱっと顔を輝かせる。

「硯、あれしましょ!」
「射的ですか?」
「そう! あの棚に並んでるのを打ち落とすの?」

 良いながらお金を払い、玩具の銃を受け取る。んー、とどれを狙うか考えていたシャロンの横で、硯もお金を払って銃を受け取り、シャロンさん、と声をかけた。
 なぁに? と振り返ったら、硯の笑顔。

「せっかくだから勝負しませんか? タダだと盛り上がらないから、負けた方が勝った方のお願いを1つ聞く、とか」
「勝負? 良いわ。こう見えても私のクラスはスナイパーよ」
「いつからですか」

 違うでしょ、と苦笑しながら硯は真剣なまなざしで、どれを狙うか棚と睨めっこを始めた。そんな硯の横顔をちらりと見て、ふぅん、とシャロンは思う。
 何をお願いするかは、勝負が付くまで秘密。それなら、と考えて大きなイルカのぬいぐるみに狙いをつけたシャロンから、少し離れた同じ屋台の射撃台には、実は透とつばめもまた仲良く射的に興じていたのだけれども。

「やっぱり、難しいものですね」
「でも惜しかったよ、つばめさん」

 せっかく来たのだから、どうせなら普段やる機会のない射的をやってみようかなと、奮闘してみたは良いのだけれども。残念ながら、1つも的を落とせず終わってしまったのだ。
 透もその傍らで同じく、どうせだから大物をと狙いを定めてみたのだが、大きなクマのぬいぐるみは揺らぎもしなかった。だがつばめが狙った犬のぬいぐるみはゆらりと大きく揺れたのだから、実に惜しい所だ。
 そう話しながら、傍にあった焼きそばの屋台で1つ注文をすると、それならとつばめは隣のベビーカステラの屋台を覗き込んだ。せっかく2人で回るんだから、相手とは違うものを。そうして分け合いっこをしたら、たくさんの味を楽しめる。

「お祭りの屋台の食べ物は‥‥何だか美味しく感じるよね」
「ふふ、お腹いっぱいでも不思議と手が伸びてしまいますよね。そしてこの回りの賑やかな空気が、味をより美味しく感じさせてくれるのかも」
「そう、なのかな。ふふ‥‥この食べ歩き感が良いのかな」

 くすくす話しながら、お互いの食べ物をあげたり、貰ったり。そうしている間にも、通り過ぎる屋台で心惹かれるものを見つけると、うーん、と睨めっこして。
 その中にふと、懐かしいものを見つけて透は足を止めた。型抜き。子供の頃はそういえば良くやったなぁ、と思い出すと妙に懐かしく感慨深くて、なんだか無性にやりたくなってくる。
 子供の頃は屋台のおじさんに苦い顔をさせる程度の腕前は持っていたと、記憶している透である。とはいえそれからもう随分と経つから、どれだけ出来るだろう。
 気配を察したつばめが、透さん、と声をかけた。 

「焼きそば、持ってましょうか?」
「あ‥‥うん。ありがとう、つばめさん」

 はい、と空けた手を差し出してくれた、つばめに礼を言って焼きそばを手渡しながら、思う。つばめも見てくれているのなら尚更、良い所を見せたい。あの頃の感覚を、全力で思い出さなければ。
 だから透は渡されたプレートを前に、針を右手に持って、バグアと戦う時もかくやと思わせる気迫をもって、型に挑む。その、真剣な横顔や、慎重に動く手を、つばめは横に座って静かに見つめていた。
 集中力を乱してはいけない。だから声はかけないけれど、心の中で全力で応援する。
 慎重に、慎重に。昔の勘と、能力者になってから積み重ねた修練や経験も活かして、全神経を集中して――

「‥‥よしッ!」
「わ、綺麗‥‥!」

 ふぅ、と大きく息を吐いて最後の部分を抜き取った、透の手元を同じぐらい真剣に見つめていたつばめがぱっと笑顔になった。ぱちぱちと、思わず大きな拍手をする。
 ありがとう、とはにかみながらそんな恋人に礼を言い、見上げた店主は幼い頃に見たのと同じ、苦い顔。それが何だか嬉しくて、透はまた、はにかみ、笑った。





 人いきれに少し疲れた身には、この静かさは心地良い。夏祭会場を見下ろすビルの屋上で、美具はしみじみと吹き抜ける涼やかな風を味わった。
 あの、むせ返るような祭の気配はさすがに、此処までは届いてこない。けれどもどうせ打ち上げ花火を見るのであれば、眺めは良い方が良い。
 屋上の手すりに並んでもたれ、買い込んで来たお好み焼きやジャンボフランクフルトを齧る。かき氷は、急いで食べないと氷水になってしまうからとっくに、器は空だ。
 そうして2人で、待つことしばし。

 ――ドォォ‥‥ンッ!
 ――ドドォォォ‥‥ンッ!

「始まったのじゃ」
「すげえ‥‥」

 不意に空に響いた轟音と共に、ぱっと夜空に咲いた大きな花に、美具とカズキの目は釘付けになった。打ち上げ花火が始まると、何やら一気に祭はクライマックスに突入したような気持ちになる。
 幾つも、幾つも。同時に、或いはぽつぽつと――夜空に華やかに咲く、花火。
 日本の花火は素晴らしいと、カズキは思う。ただ鮮やかに咲き誇るだけではなく、日本風の侘び寂を備えていると言えば良いのだろうか、消え行く散り際や、時に鼓膜が痛いほどに鳴り響く轟音がふと途切れた瞬間の、静寂すらも感動せずには居られない。
 打ち上げ側もそれを心得ているかのように、一気に打ち上げたかと思えば不意に途切れさせる。その静寂が身体に染み渡った頃、再び夜空に大輪の花が咲く。
 同じく夜空に見惚れる美具の、小さな手をぎゅっと握った。それを、美具は握り返した。

「――また来年も、君と花火がみたい」
「当たり前じゃ。来年も、共に見よう」

 そうして、次を約束出来る幸せを噛み締めながら、囁きあう恋人達の頭上にまた、大きな花火が1つ、咲く。それをぼんやり見上げたアスは、花火か、と呟いた。
 華やかな、鮮やかな。儚く、力強く――夜空を彩る、花火。
 それに混じってちりちりと、虫の鳴く声が聞こえた。人ごみを避けてやってきた河原は、ほんの少し花火見物には不人気なポイントなのか、他に人影はない。
 今の気分に相応しい場所だった。流れる川の音と、さやかに鳴く虫の音と、時折聞こえる打ち上げ花火の音だけが静寂を満たす、場所。
 場所を変えようとここまで誘ったロジーが、そんなアスに努めて明るく言った。

「線香花火を持ってきましたの」

 微笑み、かばんの中から取り出したのは、一束の線香花火。夜空に咲く花火とは対照的な、ささやかで儚くて健気な――まさに日本の侘び寂を象徴するとでもいうべき、花火。
 小さなろうそくにライターで火を点けて、河原の石の上に立てた。そっと線香花火を一本、それぞれ手に持って火に近づけると、ぽっと小さな明かりが灯る。
 パチパチ、パチパチ。
 同じ名を持ちながら、空に咲くそれとは比べ物にならないほどささやかで――奇妙に心惹かれる、線香花火の小さな、灯り。
 ちらり、その炎を静かに見下ろすロジーを見た。消えない迷いはまだ、アスの胸の中にある。何度も何度も、飽きるほどに自分の胸に繰り返し、投げた問いの答えはまだ、見えない。
 それでも――自分を必要としてくれる人が、居るのならば。ここに居て欲しいと、本心から言ってくれるのならば――そう、揺れる心を表すかのように、花火が揺れる。
 ぽつり、ロジーが言った。

「『彼』のことが好きでしたわ。ずっと」

 『彼』。黒髪の麗しい少年。ずっとずっと、彼がロジーは好きだった。
 けれども――彼はいつもすぐ傍に居るわけじゃ、なくて。ロジーが苦しいとき、悲しいとき、楽しいとき、嬉しいとき、どんな時だって傍に居てくれたのは――傍らに居るこの、金髪に碧眼のアスで。
 どうしてあんな事言ったんだ? アスの言葉が耳に蘇った。それは自分自身からの問いかけでもあった。――どうして、あんな事を言ったの?
 その答えは、出ている。例えアスの答えがどんなものであったとしても、その答えは、ロジーの想いは変わらない。

「『彼』に今抱いているのは、愛情と言うものなのかもしれません」
「そう、か‥‥」
「でも‥‥アンドレアス。貴方に今抱いているのは‥‥恋情だと言ったら?」

 大切に大切に、吐き出した言葉に揺れる想いと共に、ぽつり、線香花火が地に落ちる。その、落ちた火からそっとアスへと眼差しを戻し、ロジーはひたむきに彼を見上げて。
 その静けさから離れた場所にもまた、別の静けさと穏やかさが満ちている。ベンチにそっと腰掛けて、差し渡す木々の枝の間から見える打ち上げ花火は、黒々とした緑と相俟ってとても、綺麗。
 そっとつばめの手を握り、透がぽつり、呟いた。

「流星群も凄かったけど‥‥花火も凄いよね‥‥」

 少し前には2人で流星群をこうして見上げたけれども、花火はまたそれとは違った味わいがある。どんな綺麗な景色も、楽しいイベントも、ただお互いが居るというだけでさらに特別な時間に感じられた。
 そんな特別な時間を、ささやかな幸せを、いつもつばめは透にくれる。
 
「‥‥今日は、ありがとう‥‥ううん、いつも、ありがとう」
「私こそ‥‥今日は、そしていつもありがとうございます」

 握られた手をそっと優しく握り返して、つばめはそんな透に微笑んだ。つばめにとってもまた、透はいつもと区別でささやかな幸せをくれる、かけがえのない人だ。
 いつも、いつでも、自分の事を想ってくれる優しい人。守ろうとしてくれる――守りたい、人。

(これから先も‥‥この繋いだ手が離れないように。一緒に歩いていきましょうね、透さん)

 だからそっと願いを込めて、透の手を優しく、しっかりと握る。その暖かなぬくもりを、この穏やかでかけがえのない時間を守りたいと――つばめと歩む未来を手に入れたいと、透は思う。
 そうして幸せに寄り添い空を見上げる、恋人たちから少し離れた祭の人混みの中を、ちらほら夜空を見上げながら、小夜子と石榴は歩いていた。胸に抱いているのは、小さな小さな亀のぬいぐるみ。
 小夜子が射的で何とか落としたぬいぐるみは、愛らしいひょうきんな顔で同じく花火を見上げていた。そのぬいぐるみと、しっかり胸に抱く小夜子を楽しそうに見上げながら、石榴は水風船をばしばし叩く。
 本当は金魚すくいも結構良い線行ったのだけれど、世話が出来ないからと、ポイが破れた時点で石榴は全部水槽に返してしまった。それを、もったいないと思う反面で、石榴らしいとも、思う。
 優しい、優しい人だから。敵にすら優しい石榴だから――彼女らしくて、少し、胸が痛くなる。

「‥‥石榴さんが心配、です」

 ぎゅっと亀のぬいぐるみを抱き締めて、小夜子はそっと石榴に告げた。きっともうすぐ、大きな戦いがある。戦争が終わる日も近いと、みんなが感じていて――そろそろ終わると、思っていて。
 きっと、最後の戦いは遠くない。そしてその戦いは、きっと小さくはない。
 その戦いの中できっと、この優しすぎる親友はどれだけ胸を痛め、心配に心を悩ませるのだろう。共に戦っている小夜子や、他のたくさんの親しい人達の無事や、その他の色んな事をきっと、気にしてしまうに違いない。
 だから。

「石榴さん‥‥皆が一緒ですから、気負いすぎないで下さいね」
「‥‥うん、ありがとう、小夜子さん」

 告げた言葉に、頷いた石榴は穏やかだ。そうしてまた楽しそうな笑顔を浮かべて「やっぱり、これもらって正解だったよ♪」とべしべし、水風船を叩いて遊ぶ。
 そんな彼女が居たから今まで、小夜子は戦ってこれた。彼女には言わないけれども、彼女の存在が小夜子を支えた。
 だから、今度は自分が石榴のために戦う番だと、思う。自分のすべてをかけて、この悲しいくらいに優しい、大切な親友のために――

(も、勿論一番は、大切な彼の為、ですけど‥‥)

 誰に聞かれている訳でもないのに、わたわたと思い浮かんだ面影に顔を赤くしながら脳内でそう付け加える小夜子を見て、ありがと、ともう一度石榴は小さく呟いた。べし、と水風船を叩く。
 これなら生き物じゃないから、自分が居なくても大丈夫。小さな赤い金魚は見ていて可愛いし心が癒されるけれども、世話出来ないまま死んでしまったら可哀想、だから。
 そんな事を考えながら、べしべし水風船を叩いて歩いていたら、小さな祠を見つけた。ここは神社というわけじゃないみたいだけれども、この辺りに住んでいる人が祀っているのだろう。
 小夜子さん、と傍らを行く友人を、呼び止める。

「お参りしてかない? 鶴亀神社でもお参りできるけど、いろんなトコでやった方がご利益も多くなりそうじゃない♪」
「そう、ですね。お参り、しましょうか」

 石榴の言葉に頷いて、小夜子は小さな祠の前にそっと膝を折った。亀のぬいぐるみを膝の上に置き、拍手を打った手を合わせて目を閉じる。
 その横で石榴も同じように、膝を折って手を合わせ。

(もうすぐ、きっと最終決戦だから‥‥せめて私の大切な人達が無事でいますように)

 そうして彼女が紡いだ願いは、やはり優しい、優しい願い。どうか叶いますようにと、幾度も祈った願いをまたかけて、2人は再び歩き出す。
 今度は、手を繋いで一緒に。――来年もまた、こうして一緒に夏祭を楽しもうと、約束をして。
 けれども、来年――その言葉は、今年はなんだか特別な響きを持つと、シャロンは思う。戦争中の身ともなれば、それは確かにやってくるかも判らなくて――でも来るならきっと、今年と変わらない日々がまたやって来るのだと、何とはなしに感じていて。
 だが今は、違う。

「来年は」

 自身の心を探るように、だからシャロンはその思いを言葉に、紡ぐ。

「来年の今頃は、もう私たちLHに居ないかもしれないわね」

 戦争が終わったら。バグアと戦うために集まった自分達は、LHに居る必要がなくなって――それ以前にもしかしたら、LHすらなくなっているかもしれなくて。
 何かが終わるということは、何かが決定的に変わるということだ。そのために頑張っているのに――寂しいのは、ここで生まれたたくさんの絆が、かけがえないから。

「‥‥でも、来年もまた硯と一緒にお祭りを見に行けたら‥‥素敵ね」
「ええ、是非。――来年も一緒に楽しみましょう、シャロンさん」

 シャロンの言葉に暗に含まれた、同じ傭兵という立場を失っても会える2人であれば良いという、願いを確かに受け取って、硯はしっかり頷いた。硯もまた、すべてが終わったとしてもシャロンと折に触れて会いたいと、共に居たいと願っている。
 良かったと、シャロンが明るい笑顔になった。それからふと、思い出して首をかしげる。

「そういえば硯。お願いって何なの?」
「そ、れは‥‥」

 尋ねた瞬間、しどろもどろと頬を赤くして言葉を濁した硯の顔を、シャロンはじっと覗き込む。実のところ、硯の願いを叶えてあげたかったから、射的も金魚すくいも、わざと大物を狙って勝ちを譲ったのだ。
 だから願いをと、促したシャロンの耳に、あの、としどろもどろもな硯の言葉が、届いた。

「その‥‥それじゃあ、あの、勝者に祝福のキス、を、お願いしても、良いです、か‥‥? あ、もちろんほっぺたで‥‥!」

 実のところ、言葉にすればただそれだけの願いを紡ぎ出すのに、恐ろしく気力と勇気が必要だった硯である。そんな硯を見上げて、シャロンはにこ、と微笑んだ。

「Of course.」

 そうして唇を硯の頬に寄せる。勝者への祝福と、これからもよろしくね、の願いを込めた、キス。
 そんな2人から離れた、花火が始まってもなお変わらず賑やかな人混みの中で、あ、とシーヴは並ぶ屋台の一つに目を留めた。大兄様、と傍らのラルスを振り返る。

「あそこに、可愛い猫の小物が売ってやがるですが、見‥‥」
「はッ! 猫グッズのお店!?」
「‥‥って、言ってる間に走って行きやがりましたね‥‥」

 シーヴの言葉が終わるのも待たず、人ごみを掻き分けて屋台に走っていく兄の背に、はぁ、と何だかため息が出た。けれどもそれは、相変わらずだな、という微笑ましいそれ。
 もとより猫が大好きなラルスである。まして今は飼い猫を実家に預けていて、写真や動画、猫グッズで心を慰める日々だ。
 そんなラルスの前に現れた、これでもかというほど猫グッズに満ち溢れたこの屋台は、まさに楽園といっても過言では、ない。猫のうちわにぬいぐるみ、ストラップにカレンダーに‥‥ああ、もう、数え切れない。

「どれも可愛いですねー‥‥目移りしてしまいます〜」

 キラキラと目を輝かせてあれこれと見比べるラルスは、確かに幸せそうだと、シーヴは思う。とはいえ、やっぱりいつまでも結婚しない兄のことは心配だけれども――今は置いておいても良い話、だろう。

「大兄様。お守りがわりにキーホルダーでもプレゼントするですよ」
「え? シーヴが、プレゼントしてー、くれるのですか〜?」

 うんうんと幸せそうに、真剣にどれを買おうか悩んでいるラルスにそう、声をかけた。すると、彼はぱっと嬉しそうに妹を振り返る。
 大好きな猫グッズ、だからではない。もちろんそれも重要だけれども、それより何より重要なのは、愛する可愛い妹がそれをプレゼントしてくれる、という事実だ。
 だから、もらったキーホルダーを大切に大切に、手のひらの中に握りこむ。そうして、満面の笑みでありがとうと、言った。

「ふふ、良いお祭りのお土産になりました〜。大切にしますね〜」
「――そんくらい、いつでもプレゼントするですよ。さぁお祭りはまだまだ。もっと楽しみやがるですよ」

 そんな兄にちょっと照れた様子でシーヴはそう言い、ほら、と手を差し伸べた。その手をラルスは恭しく握る。久々の兄妹水入らずの祭のひとときはまだ、続くのだから。

「ではお姫様、最後まで楽しみましょうか」
「次はどこに行くですかね〜」
「‥‥だから、手! お前は力が強いのですから、もっと加減を‥‥痛い痛い痛い!」
「ぁ、大兄様。あそこにくじ引きのお店がありやがりますよ?」

 ――そんな風に、夏祭の夜はそれぞれに、ゆっくりと更けていくのだった。