タイトル:【櫻】少女の願い。マスター:蓮華・水無月

シナリオ形態: イベント
難易度: やや易
参加人数: 4 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/04/14 14:26

●オープニング本文


 積み重なっていた仕事が、漸く片付いてきつつあった。昨年から続く立て続けの事件や作業の連続に、ミユ・ベルナール(gz0022)は多分に疲労を深めていた。
 彼女は自らを多忙に追い込み続けて来たから、ある意味で当然の結果ではあるのだが、それは妹であるリリア・ベルナール(gz0203)の死に対して思う所があった故の‥‥昇華的な、あるいは逃避的な行動だったのかもしれない。
 ただ、それすらも消化されつつある。後の仕事はいずれもミユでなくても処理出来るものばかりで、急に出来た時間の隙間が唐突に溜まりに溜まった疲労を意識させた。
 時間ができると、つい、物思いに耽ってしまう。
 戦争は未だ止まない。だが、戦争だけでは人は、疲れてしまい‥‥そうしていつか、折れてしまう。その事をミユは、あの日以来痛切に感じていたのだった。
 喪失の痛みは、未だ癒えていない。だからこそミユは、何か出来たら、と。そう思ったのだった。

「‥‥ん」

 出来る事をやろう、と思った。
 傭兵に。兵士に。企業に。人に。何か出来る事を、と。
 折しも時期は四月も近しく。
 ――宴の季節だった。





 春は、華やかな色が似合う。華やかで、優しくて、柔らかな色。見るだけでこちらの気持ちまでもが優しくなるような、そんな色。
 街を行く人々の装いもすっかり明るくなって、足取りもどこか軽やかだ。店先に並ぶ商品もすっかり春の様相で、開けた窓からふわりと飛び込んできた風を感じると、ふいと気まぐれに、足の向くままにそぞろ歩いてみたくなる。
 そんな、衝動に任せて少女もまた、春めく街に紛れ込んだ。どこという目的もなく、なんとなく足を向けた先は近所にある大きな公園だ。
 そこでもまたたくさんの人が、思い思いに春の風情を楽しんで居て、少女はなんだか嬉しくなる。スキップを踏みそうな上機嫌で公園を歩く、その足元を見下ろせば、可憐に蕾を綻ばせる菫。
 見上げたハクモクレンは満開だ。向こうに見える桜の枝は、もう少しすれば綻ぶだろうか。
 それにまた、嬉しくなる。芝生の中の小道に逸れれば、もっとたくさんの小さな、可憐な花たちが控えめに、精一杯に春の訪れを告げて居て、見ているだけでもうきうきして。

「お兄ちゃんもいっしょに来れれば良かったのに、な」

 ぽつり、思い出して呟いた。能力者である兄は、実は少女はその縁で故郷の日本を離れてLHで一緒に暮らしているのだけれども、先日の依頼で怪我を負って先日、ようやく退院したばかりで。
 家を出る前に誘ったけれども、兄は笑って「楽しんでおいで」と少女の頭を撫でただけだった。退院はしたけれども、まだまだ静養するようにと言い渡された兄だから、少女に心配をさせてはいけないと気遣ったのだろう。
 そんな、優しい兄だった。だからこそ、兄にも一緒にこの華やかな春を楽しんでもらえたら、どんなにか嬉しい事だろうと、思って。

「‥‥ぁ。お花見、するんだ」

 ほんの少し暗くなった、少女の眼差しが公園の中の掲示板に張り出してあった、1枚の張り紙を見て明るくなった。なんでもアメリカにある、KVを造っている大きな会社の社長さんが、盛大なお花見をするのだと言う。
 KVといえば兄が乗るロボットだ、という程度の認識なら少女にもあった。難しい事はあまり良く解らないけれども、何度か兄がこの会社の名前を口にしていたのも、覚えている。

「お兄ちゃん、いっしょに行ってくれる、かな」

 少女のような一般参加も大歓迎と、張り紙には書かれてあった。この会社のお花見に一緒に行こうと誘ったら、きっと同じ能力者の人だっていっぱい来るだろうし、兄も気が紛れるのではないだろうか。
 お花見と言えば、満開の桜。桜の下で食べる、美味しいお料理。華やかで優しい色の、可愛くて綺麗な花見菓子。

「おいしいお菓子を作れたら、お兄ちゃん、いっしょに行ってくれるかな?」

 そこまで連想で考えて、少女はほっこり微笑んだ。生憎、少女はお菓子というものはもちろん、お料理というものをした事がない。興味がないわけじゃないのだけれど、家に居る時は兄が全部作ってくれるし、居ない時にはやっぱり兄が作り置きの料理を冷凍庫に入れて行ってくれるので、やっぱり作らなくて良いのだ。
 でもだからこそ、いつも美味しいお菓子やお料理を作ってくれる兄に、お礼の気持ちも込めて。美味しい美味しい花見菓子を作って、美味しいよと褒めてもらって、そうして一緒に桜の下で春を楽しめたら、嬉しいのに。
 そう、考えて少女は自分の思いつきに、すごくすごく嬉しくなった。

「ぇっと。困った時はゆーぴーしーに行ってお願いするんだよ、ってお兄ちゃん、言ってたよね」

 正確には、困った人がUPCにやって来て助けてくださいってお願いをしていく、そのお手伝いをお兄ちゃん達はしてるんだよ、と言っていたのだが、些細な矛盾に過ぎないだろう。兄の言葉を思い出した少女は、ますます嬉しくなって公園をあとにして、ゆーぴーしーってどっちかな、と呟ききょろきょろしながら街を歩き始めたのだった。





 ――数時間後。親切な通りすがりの人に連れられて、やって来た10歳の少女のささやかなお願いが、本部に並ぶ事になる。

『能力者さん、お願いです。お兄ちゃんにあげる、美味しいお花見のお菓子をいっしょに作ってください。』

●参加者一覧

/ R.R.(ga5135) / 時枝・悠(ga8810) / ソーニャ(gb5824) / 雨宮 彼方(gc8813

●リプレイ本文

 強いてそこに理由を挙げるなら、時枝・悠(ga8810)がその依頼を受けた理由は『息抜きのため』だった。
 バグアとの邂逅以来、幾つもの激しい戦いを経て、ようやく地球を人類の手に取り戻す目処が見えてきて。それでもまだまだ終わりが見えるようで見えず、見えないようで目の前に現れたようにも見える――そんな、戦いの最中で。

(まさか、こんな依頼が並んでいるとは思わなかったから、かな)

 本部でモニタに映し出される依頼一覧を見ていた彼女の目に、不意に飛び込んできた依頼――依頼と言うにもささやかな、お願い。
 息抜きのためだけであれば、そもそもこんな、LHに幾つかある小学校の、家庭科室にまでやってくる必要はない。お花見をやるというのなら、そちらに参加すれば良いだけの話だ。
 けれども。目に飛び込んできたその、杉原コハルという少女の依頼を受けて、悠は此処にやってきた。それは多分、彼女の心の中のどこかの不意を突かれたからで、そうして気が向いたから、なのだろう、多分。
 そんな、自分自身でも心の動きを計りかねて分析を重ねる悠に、けれどもコハルは気付いた様子はなかった。お願いに応えてやってきてくれた4人の能力者達に、嬉しそうな満面の笑顔を浮かべている。
 家庭科室の鍵を開けてくれた、コハルの担任だという女性がそんな教え子を窘めた。

「杉原さん。こんな時は、お兄さんお姉さん達に何て言うんだった?」
「あ! 能力者のお兄さんお姉さん、お手伝いに来てクダサッテありがとーございます!」

 一部、舌を噛みそうになりながら何とかその台詞を言い終えたコハルは、ほっとした笑顔でぺこんと大きく頭を下げ、それから伺うように担任を振り返った。こくり、微笑んだ女性に、今度ははにかむように笑う。
 そんな教え子の頭を撫でてから、女性もまた能力者たちに頭を下げて「何かあったら職員室まで声をかけて下さい」と言い置き、家庭科室を出て行った。道具は、なんでも自由に使ってもらって構わない、という。
 トン、と軽い音を残して閉まった家庭科室の扉から、眼差しをコハルへと移してソーニャ(gb5824)が、軽く膝を折って同じ高さで笑いかけた。

「頑張って、お兄さんが一緒にお花見に行きたくなるようなお菓子を作ろう」
「どんなお菓子が良いでしょうね」
「甘いものならいいアルか?」

 ソーニャの言葉に、雨宮 彼方(gc8813)とR.R.(ga5135)(アル アル)がふむ、と腕を組む。お菓子、というだけなら幾つかレシピは思い浮かぶが、さてお花見で、となるとどんなものが相応しいのか。
 ついでに言えば、あくまで彼らに求められているのは『コハルと一緒に』お菓子を作ることだから、コハル自身が作れるものでなくてはいけないだろう。ナニがいいアルかね、と右に、左に首をかしげるR.R.である。
 中華料理にも甘いお菓子は幾つもあるが、その中でお花見に相応しいもの。そうしてコハルに作れそうなもの――
 当のコハルはわくわくと、子供用の可愛らしいエプロンをつけて張り切った様子だ。家庭科の調理実習もまだ始まっていない少女にとって、まさに初めてのお料理なのだから、楽しみなのも仕方ないだろう。
 そんなコハルを見て、悠は小さく、笑う。子供の頼みを放っておけないような、優しい性格をしていないと、自分自身では思っていたし、お花見のためにと興味を惹かれずにはいられない性格でもない。

(依頼内容は一緒に菓子を作る、以上。‥‥彼女にゃ、小額じゃない報酬だろうに、な)

 日頃、能力者たちが受ける依頼と比べれば、小額の報酬を提示された今回の依頼。けれどもその依頼料は、小学生のお小遣いを貯めて出されたのかと思えば、素直に受け取って良いのかすら悩ましい。
 見上げてくる、コハルの眼差しを見下ろした。

「作り方を覚えておけば、兄妹で一緒に作る機会だとかも出来るだろう。多分」
「うん、がんばる! お兄ちゃん、よろこんでくれるかなぁ」
「きっと大丈夫ですよ」

 悠の言葉に、嬉しそうに満面の笑みを浮かべたコハルの呟きに、彼方がひょいと肩をすくめる。彼自身は、さてどんなお菓子が良いものだか、考えがまとまらないままやって来てしまったから、今回はコハルと一緒に他の人たちのお菓子作りのお手伝い。
 小学校の家庭科室に、小さな笑顔が華やかに弾けた。





 小学校の家庭科室と言うのは、案外カリキュラムの中では出番の少ない部屋である。まず調理実習というものが少ない学校が多いし、調理クラブのような部活動を行っている小学校も、そうそう一般的ではない。
 ましてまだ小学校も始まったばかりのこの時期では、せいぜいが掃除当番で換気にやってくる位で、使用されることはまずないと言っても良かった。だからこそ担任も、家庭科室の使用を許可したのだろう。
 そのせいだろうか、どこか独特の空気の漂う場所で、R.R.は鼻眼鏡をくいと上げ、作業台の下に作りつけられた棚から見つけた、手ごろな大きさの鍋を片手で振って重さを確かめた。幾度かその作業を繰り返してコンロの上に置く。
 軽くコックをひねってみて、青い炎が吹き出すのを確かめ、ほっと息を吐いた。

「あまり火が強くないアルけど、なんとかなるアルかね」
「冷蔵庫も、もう少ししたら使えそうだ」

 家庭科室の隅にどーんと置かれた、かなり古いタイプの冷蔵庫の中を覗いた悠が、ほんのり冷えてきた空気を確かめてそう言った。調理実習がある時だけ、朝最初に来た児童がコンセントを入れて、家庭科の時間まで材料を入れておくのだとか。
 羊羹を作ろうと思っていた悠だから、簡単に作ろうと思えばやはり、冷蔵庫は必須だったのでほっとする。それからもう一つ、自分が食べたかったからという理由で羊羹を作ろうと思ったけれども、他の仲間とレシピが被らなくて良かった、とも。
 羊羹というのはそこそこ見栄えがして、その割に作るのも比較的楽なお菓子だし、花見菓子としてそこまでかけ離れても居ない。まして今回、彼女が材料として用意してきたのは、透き通るような桜色も可愛らしい桜餡だから、なおさら花に映えるだろう。
 そう、考えながら作業台の上に材料を並べて、さらに家庭科室の戸棚を覗き回って必要な道具を確保する。その向こうでソーニャが黙々と、ムースの下拵えに取りかかっていた。
 ソーニャが作りたいのは、土台にちょっぴりしょっぱめのスポンジを敷き、その上にムースとゼリーを重ねる桜ムース。とはいえスポンジは市販のものでも代用できるので、メインはムースとゼリーの種づくり。
 材料の紙を確認しながら、計量カップやキッチン計のメモリとにらめっこするソーニャの視界に、キラキラした眼差しでR.R.の横に立ち、ボウルと格闘するコハルの姿が入った。言われたとおりに白玉粉と水、胡麻油を混ぜているのだが、案外、生地をまとめるのが難しいらしい。
 それでも何とか全部混ぜ終えて、粉っぽいところがなくなったとR.R.に合格点をもらったコハルは、満足そうな表情の中にほんの少しだけ疲れた様子を見せながら、呟いた。

「低学年の時にやった、粘土みたい」
「粘土アルか。コハルちゃんは粘土遊びは得意アルか? 次はこの生地を伸ばして、用意した餡を包んでお団子に丸めるアルよ」
「うん!」

 あまりと言えばあまり、子供らしいと言えば子供らしいコハルの言い様に、R.R.は苦笑しながら何種類かの餡を入れた小さなボウルを指さす。その言葉に、大きく頷いたコハルは両手でお団子を丸める仕草をしながら、ボウルの中を覗き込んだ。
 芝麻球(チーマーザァオ)、というのがR.R.の作ろうとしているお菓子である。日本語で言えばごま団子。本来なら胡麻餡を、今コハルが何とか練り上げた白玉生地に包んで胡麻をまぶして揚げる、というお菓子。
 けれどもせっかく、コハルの兄をお花見に誘うための花見菓子をというのだから、ただ在り来たりの胡麻餡だけでは面白くない。だからR.R.が用意したのは、それ以外にも小豆餡や、悠が用意したのと同じ桜餡といった、日本人が好みそうなもの。
 適当な量の生地を取って伸ばし、心持ち少なめの餡を入れてくるんと包み、ころころと手のひらでお団子にする。言葉で説明すればそれだけなのだが、そのさじ加減が実はかなり、難しい。
 案の定、コハルは幾つも餡をはち切れさせたり、逆に生地のほうが多くてうまく丸まらなかったりして、うーんと眉を寄せながら一生懸命、幾つもお団子を作っていく。それも1つの餡だけを入れたり、幾つも餡を合わせたり、少女の創作力は実に自由だ。
 そうして何とかまとめあがった、お団子を少し置いて馴染ませよう並べたお皿をちらりと見ながら、悠はふつふつと沸き始めたお湯をゆっくり、木べらでかき混ぜて寒天を溶かしていく。ここで溶け残りがあると、あとで固まり方にバラつきが出るから注意が必要だ。
 とことこと、やってきて覗いたコハルに「混ぜるか?」と尋ねると、少女はこっくり笑顔で頷いた。小学生の背丈に合わせて作られた低いコンロの前に立ち、鍋の中を興味深げに覗きながらゆっくりとかき混ぜる。

「次は砂糖を入れるから、それも全部溶けるまで混ぜてくれるか?」
「うん!」

 分量に計った砂糖を、寒天が全部溶けた鍋に続けて流し込むと、こっくり頷いたコハルの顔は使命感で満ちている。真剣に鍋の底を睨み付ける少女に、小さく悠は笑った。
 桜にちなんだ羊羹ならばと、用意したのは白餡と桜餡。もしくは桜葉の塩漬けでもと思ったが、悠が立ち寄った食材店には桜餡のほうが一般的だったようだ。
 幸い道具はすべて揃っていたから――とはいえ、羊羹を作るのに必要な道具も、さほど珍しいものはないのだが――綺麗に洗って消毒しておいた寒天流しを作業台の上に並べる。もし足りなかったら、ようは固めるための入れ物なのだから、適当な食器に流し込んで冷蔵庫に入れても良い。

(案外、あるもんだな)

 学校なんて、しかも小学校なんて久しぶりだったから、どんな道具があったのかすらろくに覚えていなかったけれども。あちらこちらの棚を開け回ったものの、探してみれば案外、揃うものだ。
 と言って、流し固めるか、もしくは後で型を抜くのにあればと思っていた桜の抜き型が見つからなかった代わりに、出てきた謎の木製の道具がところてん器だと判明した時には、笑ってしまったが。誰か、教職員がおやつにでも作っているのか。

「お姉ちゃん、おさとう、ぜんぶ溶けたよ!」
「あぁ、ありがとう。じゃあそれを半分に分けて――コハルちゃんは、こっちの桜餡を溶かしてくれ」
「うん。このピンクのあんこだよね?」

 先ほども桜餡を見たコハルは、すぐに頷いて悠の指さした桜餡をどぼんと煮立った寒天に放り込んだ。それから少し困ったように、鍋の底に沈んだピンクの固まりを見つめる。
 先ほどの砂糖とは違い、餡は溶けるまでにいささか時間がかかるから、戸惑っているのだろう。木べらで突っついているコハルに、崩しながら溶かすように言うと、おっかなびっくりと崩しながらゆっくり、ゆっくり鍋をかき混ぜた。
 そうしてゆっくりと餡も溶かし、そこから焦げないように気をつけて混ぜながら、煮詰めていく。餡が濃厚な方が良ければ最初の水も少な目でじっくり煮詰めればいいし、水羊羹みたいな食感が味わいたければ水は多めでさらりとしている方がいい。
 コハルに頼んだ桜餡のピンクと、自分の手元の鍋の白練餡の白が、実に華やかで春らしい装いだった。良い具合まで煮詰まったら、火を止めて濡れた布巾であら熱を取り、用意した寒天流に流し込む。
 せっかくだから、白とピンクを重ねた羊羹も作ろうと、白練餡の方は少し重た目に煮詰めて、先に寒天流の半分ほどまで流し込んで冷蔵庫に入れておく。そうして振り返ってみると、コハルは白とピンクを混ぜて、マーブル模様を作ろうと苦心していた。
 あまり他に工夫する場所がないとはいえ、見た目で拘れるのがこのレシピの良いところだろう。お料理が初めてのコハルも、そのおかげか先ほどから、初めてだからと言う以上に楽しくお手伝いをしている。
 それは、ソーニャがゼリーの中に、桜の花を並べているのを見た時も、同じで。丸い枠型で適当な厚さに切ったスポンジの上に、チェリームースの生地を流し込んで種を抜いたチェリーを入れ、その上に透明なゼリー液をそっと注いで加工済みの桜の花を並べていく様子は、まるでカンバスに絵を描くのにも似ている。
 それに気付いた途端、寒天流を全部冷蔵庫に納め、今はR.R.と一緒に寝かせていた芝麻球を揚げていたコハルの顔が、ぱっと輝いた。気付いたソーニャが「一緒にやる?」と声をかけると、頷きかけて、はっと思い出してR.R.を振り仰ぐ。
 行ってみたいけれども、まだお手伝いが途中だからどうしよう。そんな葛藤の見える少女に、すでに揚がった3つの芝麻球が、火の通り加減も問題ないことを確かめたR.R.が、「後はやっておくアルね」と頷いて。
 今度は何が始まるんだろうと、楽しそうにやってきたコハルに、型抜き済みのスポンジをムース型に並べてもらう。その上に種を抜いたチェリーを乗せていって、桃色のムースを流し込み。
 一緒に、その上に桜の花を並べた。たくさん、たくさん――まるで桜が開花して行く様に。
 その作業と、どんどんと増えていく花に目をきらきらさせて手を動かしていたコハルの名を呼ぶと、きょとん、と少女が振り返った。そんな彼女の、ほんの少し開いた唇の中に、まだ種を抜いていないチェリーをぽんと放り込む。
 びっくりと、目を見開いた少女がもごもごと口を動かし、途端に嬉しそうに笑顔を綻ばせた。そうしてさくらんぼの果肉を飲み込んで、残った種を出そうとする、コハルの唇をそっと指で押さえる。

「ねぇ、種も飲んで」
「‥‥?」
「お願い。――おまじないなんだ」

 真剣な眼差しのソーニャに、コハルはこっくんと喉を鳴らして、小さな種を飲み込んだ。そうして伺うようにソーニャを見上げるのに、そっと唇から指を離して、微笑む。
 お姉ちゃん、と呼ばれて。なぁに、と返した。

「おまじないって、どんなおまじない?」
「内緒。誰かに教えたら叶わなくなっちゃうの」
「‥‥!」

 ソーニャの言葉に、コハルがびっくりしたように目を丸くして、それから両手で自分の口を塞ぐ。きっと、おまじないが叶わなくなったら大変、と思ったのだろう。
 地域にも寄るだろうけれど、コハルぐらいの年頃の少女の多くは、おまじないという言葉に敏感だ。授業中に難しいところを当てられませんように、テストで山が当たりますように、大好きなカレと目が合いますように。
 他愛のない願いをかけて、数え切れないほどのおまじないに少女達は夢中になる。だからこそ、ソーニャのおまじないが叶わなかったらどうしようと、心配になってしまったコハルに今度は、先ほど型抜きをしたスポンジの切れ端をはい、と差し出した。

「大丈夫。コハルちゃんのおかげできっと、叶うよ」
「――ほんと?」
「ほんと」

 頷いてスポンジを渡すと、にっこり笑顔になったコハルが嬉しそうにスポンジを口に放り込む。ちょっぴりしょっぱさを感じるスポンジは、それでも少女には十分魅力的なスイーツだったようだ。
 コハルちゃん、と冷蔵庫から寒天流しを取り出した悠が、そんな少女を手招きした。

「ほら、見てごらん。綺麗に固まってるだろう」
「‥‥!! すごい! おみせで売ってるのとおんなじだね!」

 ぱたぱたと、走り寄ったコハルが悠に言われるまま、寒天流しをのぞき込んだ瞬間、そんな歓声が上がる。羊羹を食べたことはあるにしても、目の前で実際に作っているところを見たことのない少女にとって、お店で買ってきたものしか見たことのない羊羹がこんなに簡単に出来るなんて、まるで魔法のようだ。
 ましてこの羊羹は、自分自身が生まれて初めてお手伝いをして作ったもの。そう思うとますますわくわくしてきたコハルを、どこか柔らかい眼差しで見下ろし悠は、他の寒天流しの中身もきちんと固まっていることを確かめた。
 そうしてぽふり、少女の頭を撫でる。

「どうせだからみんなで休憩がてら、味も同じか、確かめてみるか?」
「ワタシもおやつに、中華まんをちょうどふかした所アルね。中身はあんこアル。一緒にどうぞアルよ」
「良いんですか?」

 悠とR.R.の言葉に、彼方が調理の最中で出てきた洗い物を片づける手を止め、ひょいと問いかけた。もちろん、と頷くと礼を言って残りの洗い物を一気に片づけ、食器棚から適当な皿を取り出して並べる。
 ぱたん、と入れ替わりに冷蔵庫の扉を閉じたソーニャが、ちょっとしたお茶会状態になった机を振り返った。

「ボクの方は、後は冷やして固めるだけかな。――お兄さん、喜んでくれると良いね」
「うん!」

 そうして椅子に腰掛けながら、言ったソーニャの言葉にコハルが元気よく頷く。ソーニャのお手伝いをしたムースも、それからR.R.に教えてもらって一生懸命丸めて揚げた芝麻球も、この羊羹だってきっと兄は驚いて、それから「がんばったね」と誉めてくれるだろう。
 それにそれに、いったい兄は、コハルの大活躍(?)を聞いたらどんな顔になるだろうか。想像するだけでわくわくして、くすくすと嬉しそうに笑った少女を見守る目は知らず、柔らかい。
 不意を突かれたのだと、誰にともなく悠はまた、胸の中だけで呟いた。それは心の不意であり、思考の不意でも、ある。
 数え切れないほどの大きな戦いがあり、LHですら戦火に晒された。バグアの女王を名乗る指揮官が現れ、多くの仲間が戦いの場を宇宙へと移していく――その中で。
 それでもまだこの世界には、こんなささやかな願いが当たり前にあるのだと、言うこと。コハルにとっては、バグアを倒すのと同じかそれ以上に、大好きな兄にお菓子を作ってお花見に誘うことが、この上なく大事な願いなのだということ。
 悠が不意を突かれたのは、きっと――そういうことだ。





 一仕事を終えたせいだろうか、いつでも美しい面影を宿す桜だけれども、今夜はより儚く美しい姿を誇っているようにも見えた。美しく――まるで、異世界に下ろした根からうつつへと姿を垣間見せたような。
 今は、5分咲きと言ったところか。桜の命は儚いから、すぐに満開となって散っていくだろう。
 R.R.は白い花の綻ぶ枝差し渡す小道を歩きながら、腰を落ち着けるのにふさわしい場所を探し、そう考えた。片手にはお花見用に作ったお料理の残り、もう片方の手には持参した、たくさんのお酒。
 肉饅頭にシュウマイ、棒棒鶏(バンバンジー)に炸子鶏(ザーツゥーチー、から揚げ)。中華料理の中でも比較的、日本人にも馴染みの深い料理ばかりをセレクトして、せっかくだからとお花見のために拵えたのだ。
 味は薄めで。とは言っても、己が濃い味好みだということを自覚しているR.R.にとっての『薄味』だから、おそらく花見にやってくる人々の下にはちょうどいいくらいの味付けのはずだ。
 その、いうなれば大衆に迎合しているとも言える味付けを、非難する料理人も居るだろう。けれども自分が作る料理は、高級飯店で出されるような最高の、代わりに限られた一握りの人の口にしか入らない料理じゃなくていい。代わりにたくさんの人にたくさん美味しいものを食べて欲しい、というのがR.R.の願いであり、料理人としてのポリシーである。
 だから。自分が作り、ぜひ花見にと渡した料理の数々が、やってきた人々の舌に合っていれば良いと、心から願う。
 本番の花見までは後もう少しだけれども、今日も公園にはちらほらと、夜桜を楽しむ人の姿が見えた。楽しそうにほろ酔い加減で、あるいはもうすっかり花なんて放り出して、仲間同士で楽しげに歌いだす酔客も居る始末。
 桜の下で飲む酒は、昼も良ければ夜も良い。こんな夜に酩酊すれば、知らない桜の世界に紛れ込んでしまいそうだけれども――

(桜の下には死体が埋まってる、って)

 R.R.とは違う小道をただ1人で歩きながら、ソーニャは頭上のほの青い桜の花を見上げた。桜の下には死体が埋まっていると、最初に言い出したのは果たして誰なのだろう。
 西洋ならば、死体が埋まっているのは薔薇。蔦に抱かれて眠る死体を、日本では桜の根が守るという。
 その、趣は全く異なるのに、実はどちらも薔薇科の植物だというのは面白い偶然と言うべきなのか、皮肉と言うべきなのか。

(満開の桜は――咲き際も、散り際も見事、で)

 あっと言う間に華やかに咲き誇り、華やかなままに散っていく桜はまさに、潔さの象徴とも言うべきで。きっと、日本人にとって桜が特別であるのは、その様子に己の生き様を重ねたのだろう。
 華やかに、潔く。儚くも、艶やかな――

(でも桜は結構、したたか)

 ふわり、踊る花びらを受け止めて、花の下を巡り歩くソーニャはまるで、自らも花びらと戯れ踊っているかのようにも見えた。揺れる髪に花びらが落ち、ふわりと揺れてまた風に舞い。
 どこからともなく取り出した、さくらんぼに口付けるように唇を寄せ、飲み込んだ。柔らかな果肉を前歯で齧り、カリリ、と当たった種を飲み込む――コハルにそうしたように、喉を鳴らして。
 そうしてまるで種の軌跡をなぞるように、細い指先で唇から喉へとなぞり、胸の真ん中を辿り――体の中心。へその上に指先を置いて、ふふ、と笑う。
 ――桜には男と女がいて、花の咲くこのわずかな時期に子供を作るのだと、いう。その子供であるサクランボを、さらに芽吹く命宿すその種を、収めた腹の中には今、ソーニャの子ではない、命があると言うこと。


(ボクは多分子供は産めない、けど)

 過去すら思い出せず、記憶のある限り成長した様子のないこの身体ではきっと、人並みの幸いは望めないのだろうと、思っている、けど。こんな風に、当たり前の女性のように腹に命を宿して、生まれるはずもない命に想いを馳せる夜があっても良いと思うのは――夜を映して輝く桜の魔力だろうか。
 当たり前に、当たり前に――ソーニャがサクランボの種を飲ませた、あの少女のように。おそらくはソーニャとは違って、当たり前に成長し、誰かと結ばれ、子を生むのであろうコハルのように。
 ごろり、桜の根元に寝転がり、夜空に浮かぶ桜を見上げた。このままとろりと微睡んで、己の屍を食んだ桜が美しい花を枝いっぱいに綻ばせ、子供を作る夢を見れたら良い。ソーニャを苗床に育った桜の作った子は、それはソーニャの子と言えるだろうか。
 ならばこの身をいくら食んでも良いと、囁きかけたソーニャの言葉に、桜がそより、枝を揺らす。揺れた拍子に毀れた花びらが、ソーニャの視界を流れて空へと吸い込まれていく。
 それは――ソーニャにとってうっとりするほど甘美で、涙が出るほど幸せな、夢想。この公園の桜たちも、誰かのそんな夢を抱いて、花を咲かせているのだろうか。

「‥‥良い夜アルね」

 手にした杯の中、ひらりと迷い込んできた桜の花びらに目を細め、R.R.は小さく一人ごちた。くい、と杯を煽って花弁ごと飲み干し、炸子鶏を放り込んではまた杯に満たした酒を煽る。
 気の向くままに花を愛で、杯を重ねて過ごす夜も、なかなか趣のあるものだ。少しばかりの粗相があっても、桜が夢と消してくれる。
 だから、桜の花を相手に、心の赴くままに。月と桜の魔法が解けるまでには、まだまだ時間はたっぷりあるのだから。



 一足早い花見る夜は、こうしてゆるり、ゆるりと過ぎていくのだった。