●リプレイ本文
スーツケースを海中から探し出して欲しい。簡単に言えばただそれだけの依頼の、そもそもの始まりの出来事を如月くれはから聞かされて、赤木・総一郎(
gc0803)はふと原村琴子を物憂げな眼差しで見つめた。
「‥‥母親、か」
どうかお願いしますと何度も頭を下げた彼女がした事は、決して誉められたものではない。けれどもこうして泣き腫らした顔で彼らの前に立つ琴子が、母を大切にしている事は疑いようもなく。
翻って我が身を見れば、親孝行と呼べるものをする機会もなく‥‥だが考えた所で詮無い事だと、総一郎は軽く頭を振った。考えた所で、今が変わるわけでもない。
ただ仕事に集中するだけだと、自らに言い聞かせて口を閉ざした男とはまた別に、榊兵衛(
ga0388)も琴子の傍らのくれはに感じるものがあったようで。ULTに依頼を出すのは決して安くはないし、報酬だって馬鹿にはならない。それを友人の為に払った彼女が、どんな事情があったにせよ友誼に厚い女性だというのは想像に難くない。
「ならば、我々としてもその期待に応えない訳にはいくまい」
「ええ‥‥安請け合いではなく心から思います。私達にお任せください、と」
リュティア・アマリリス(
gc0778)も胸に手を当てて頷いた。友情や家族の絆は、守るべき価値のあるとても大切なものだ。そのどちらをも守る為に、必ずや海底からビスクドールを見つけ出し、あるべき場所に返さなければ。
ただ闇雲に海を探すのは、KVという頼もしき相棒があっても無謀の一言に尽きる。里見・さやか(
ga0153)は各所を回り、現場海域の潮流や地形について情報を求めた。
「あまり、潮の流れは速くないようですが‥‥」
「離岸流がネックですね。数日前には高波もあったようですから、かなり沖まで流されているかもしれません」
調べたデータを前に真剣な顔で指を動かしながらシミュレーションを重ねるさやかの言葉に、同じデータを見ながら桜庭 結希(
gb9405)も難しい顔になる。兵衛と総一郎が現地の漁協に当たって提供して貰ったデータとも見比べて、高坂聖(
ga4517)も腕を組んだ。
あまり複雑な潮が流れている海域ではないので、ある程度の方向や距離は出せる。だが件のスーツケースが流されたと思われる頃は低気圧による大雨で波が高く、漁協に寄ればそういう時はしっかり船を繋いでおかないと遙か沖まで流されていく事もあるとかで。
スーツケースは本来、ある程度は水に浮かぶように設計されている。ならば波に乗って沖まで運ばれた後に沈んだ可能性が高い。
付近の海を虱潰しに探すと言っても限度はある。
「海域を区画で区切る形で捜索してはどうでしょう?」
結希のその言葉はもっともで、スーツケースが流れたと思しき方向の海域を区切って分担を決めた。数日かけても見つからないようなら、そこは可哀想だが諦めて貰うしかない、と総一郎も進言する。
だが必ず‥‥各々が相棒と頼む機体を見上げ、彼らは祈りにも似た決意を胸に抱くのだった。
◆
付近の海域は、スキューバダイビングも出来る程度の透明度を保っている。それを海中に潜った能力者達は、モニター映像越しに己の目で確かめた。
無論、陽光が射し込む限界を越えれば辺りを照らすライトが必要だが、視界は至って良好だ。
「この調子で見つかれば良いんですが。ね、マリンヨウヘイガー」
語り掛け、同意を求めるように操縦桿を握る手に力を込める。この良好な視界を保持するため、出来うる限り海底への着床を避けて砂が舞い上がるのを防ごうと、注意を払っているので尚更モニターやソナーへの注視が増える。
ストライクフェアリーの拡張現実を利用して、視界に映す計器類には異常は認められない。潮流のせいだろうか、わずかに機体が揺れている気がして、そんなはずはないと思い直す。
時折、辺りを警戒して回るリヴァイアサンの姿が見えた。さとみ機と兵衛機‥‥その姿をモニター越しの視界に移し、こちらは海底にとりついてアンカーテイルでディスタンを固定させた総一郎がふと、漁協で聞いた話を思い出す。
(時折現れる巨大な魚影、か‥‥)
原村琴子は、この辺りの浜には時折噛み跡のある流木が流れ着く事があると言った。周辺海域のデータの提供を依頼しがてら、対応してくれた相手にその事を尋ねてみると、漁師の中に時折巨大な魚影を見た、と言う者が出るという。辺りがスキューバも出来る透明度でありながら、そういったダイバーが殆ど居ないのもそれが理由だ。
実際にその姿は確認されていないし、噛み跡がその魚影のものと決まったわけでもない。だがそれでも警戒すべきだと、機動力の優る2機のリヴァイアサンに任せたのである。
彼らが彼らの仕事をするように、彼は彼の仕事をすべきだ。総一郎は「頼んだ」とでも言うようにポン、と軽く操縦席を叩く。叩いて、潮の流れに沿ってゆっくりと海底を移動する。
どこに流れたか解らないスーツケースを探すのは、砂浜に落としたイヤリングを探すのにも似た気の遠くなる作業だった。だが成し遂げてみせると、リュティアは人型へと変形させたらアルバトロス『ラグ』の腕を叶う限り繊細に操り、海底のくぼみや沈んだブロックをそっと動かし、或いはただ覗き込んで求めるものが引っかかっていないかを丹念に確認して回る。
(ビスクドールが入っているのですもの、ね)
陶磁器性の人形は、ただでさえ衝撃に弱い。琴子はタオルを干渉材に詰めたと言うが、嵐の高波に飲まれた際にどんな衝撃が加わっているか解らない。
そういう意味でも一刻も早く見つけ出さなければ‥‥リュティアの心を映すように、『ラグ』は海中をゆっくりと進む。巡航速度は出来る限り出さないように、万一の見落としもないように。
だがなかなか見つからない。もう幾つ目になるか解らない海図上の区画を潰した聖は、スーツケースを求めてモニターの海底と計器に凝らしていた目を、岩龍の頭上を通り過ぎる船影へと向けた。
人型に変形するのは邪道だと言う、愛称からして何やらこだわりがある事は伺えるさやかの『安房水軍』がゆったりと過ぎていく。先ほど通り過ぎていった兵衛の『興覇』も、こちらは人型に変じて槍を構えては居たものの、異常のある動きではなかった。
それを見て、また息を吐く。
「一体どこに‥‥」
思わず漏らした呟きに、無論『ステアアイ』は答えない。相棒はただ、奇妙に静かな電子音を返すだけだ。
最初の2日はそれで過ぎた。3日目も午前中はそれだけで、異常もなく終わり。
昼食を取る為地上に戻り、休息を取って再び機上の人となる。そうして全員がまた海中の人へと戻った、その午後ようやく事態は動いたのだ‥‥ある意味では予想通りに。
◆
「‥‥ッ、急接近する魚影がある!」
その異常を最初に捕らえたのは、もっとも沖合に居た兵衛操る『興覇』のソナーだった。黒いシミのような影がサーチ圏外から現れ、ぐんぐんと岸に、『興覇』に接近してくる。
距離は、計るのもばからしい。速度はKVとタメを張れる。
そこまでを冷静に解析し、仲間達に注意を促す無線を飛ばして、兵衛は『興覇』をわずかに潜水させた。ともに警戒に当たっているさやかの『安房水軍』もじきに現れるだろう。
「キメラなら、ここを通す訳にはいかないんでね」
ベヒモスを構える。まだ仲間からスーツケース発見の連絡は入っていない、故に辺りの海域を戦闘によって破壊する事は叶う限り避けたい。
だからこそのベヒモス。同じく無用な破壊を避けつつの遠距離攻撃手段としてのガウスガン。
ソナーを視界の端に捕らえ、モニターを睨んだ。映る影からしても巨大なそれだと言うのが良く判る。さやかから無線が入った。
「こちらのソナーも捕らえました。側面から回り込みます!」
「援護します」
捜索に当たっていたものの、自身の捜索海域にも近かったことから結希も『マリンヨウヘイガー』と共に現れる。こちらは海底ぎりぎりに位置を取った。
総一郎機、リュティア機、聖機はいささか遠い。もし強敵であれば援護を頼むとさやかが告げると、総一郎は「倒せるに越した事はないが」と呟き、スーツケース発見に全力を注ぐと言った。
こちらの目的はあくまでスーツケースの捜索。キメラ退治ではないのだから、目的を達成した上での無理な戦闘は不要だろう‥‥無論、それが地元の人々に深刻ではないにせよ影響を及ぼしていることも事実だし、本当にキメラならいずれ倒さねばならない相手だが。
了解、と無線を切って『安房水軍』のソナーを睨む。視覚で捕らえてからでは、最初の先制攻撃としては余りに遅い。
距離を測り、位置を確かめ、
「右対潜戦闘! 邪魔はさせません。セドナ魚雷、攻撃始め!」
「目標確認、魚雷発射!」
さやかと結希は同時に、2方向から魚雷を放った。『安房水軍』は左方から水平に、『マリンヨウヘイガー』は下方から上方へと。共に、海底にも海岸方向へも流れ弾が飛ばないよう計算しての射出。
魚雷の弾幕に隠れ、兵衛機『興覇』がブーストを利用した急速移動で魚影に突っ込んだ。鋭く突き出したベヒモスを、だが魚影は魚雷から逃れようと身を捩らせたおかげで結果的に回避する。
それは巨大な、巨大すぎる魚の姿をしていた。明らかに自然界のものとは思えない大きさに、あり得ないほど大きく成長した牙が口から剥き出しになっている。
「キメラに間違いないようですね」
『安房水軍』のコクピットでさやかが頷く。そのようだ、と答えた兵衛の通信は、何となくだがニヤリと笑ったような声色に聞こえて。
急速旋回し、KVを迂回して先に進もうとするキメラに、そうはさせじと結希機はガウスガンを放つ。放ちながら「水中じゃバニシングナックルが使えないのが、ちょっと残念‥‥かな」と呟くロボット大好き少女である。それを聞きながら、兵衛機がキメラの前方に回り込む為、水をうねらせ移動して。
そうしてキメラを迎撃する一方で、捜索班もスーツケース発見に全力を注ぐ。リュティアは焦る気持ちを堪えてモニターに映る海底を見つめ、ふとすれば急ぎ動かしてしまいそうになる『ラグ』のアームを、意識して丁寧に動かした。
総一郎も次の区画へとディスタンを動かし、アンカーテイルを海底に打ち込んだ。何度も繰り返してきた動作。だが惰性にはならぬよう、意識して操縦棹を握り直し、沖に出るにつれて増えてきたごつごつとした岩場の影に隠れては居ないかと殊更に神経を払ってモニターとソナーを見比べる。
その仲間達を守る為にも、この海のどこかにあるスーツケースとビスクドールを守る為にも。
「これで、決める‥‥ッ!」
モニターに映るキメラを睨みつけ、兵衛はガウスガンに持ち替えていた『興覇』の獲物をベヒモスへと替える。キメラの動きを留めるべく、『安房水軍』に積み込んだセドナ魚雷を出し尽くせとばかりに、さやかは発射スイッチを押し続けた。
下方からはガウスガンの射撃。逃げようとするキメラに結希操る『マリンヨウヘイガー』が放つ射撃が、魚キメラの行く手を阻む。
その魚体を睨み据え、兵衛は『興覇』を突撃させた。
「おおおぉぉぉ‥‥ッ!!」
この槍の一撃で必ず仕留める、その気合を裂帛させた怒号は、通信を通して全員のコクピットに響き渡ったのだった。
◆
スーツケースは、沖合いのほんの少しばかり海底が盛り上がった小山のような所に引っかかっていた。魚キメラ撃破後、今度は全員で海域を捜索に当たっていた能力者達に、リュティアから入った通信がその事実を告げる。
「中のビクスドールも無事です。後は一刻も早く、このビスクドールを琴子様とお母様にお返ししましょう」
見つけたスーツケースを宝物のように『ラグ』の両手に包み込み、海上に出て中を確認した彼女はそう、ほっと胸を撫で下ろす。幸い、海水が浸水した様子もない。陸に戻るまでに破損しないよう、搭乗口を開いてコクピット内にスーツケースを収納する。
そうして、全員で揃って戻った海岸で、機体から能力者達が降りてくるのを今は遅しと、原村琴子は待っていた。
「あの、今日は‥‥今日は、見つかりましたかッ!?」
「ええ。こちらで間違いないかご確認下さい」
すがりつくような口調にしっかり大きく頷いて、リュティアが差し出した一抱えもある大きなスーツケースを見て、琴子はハッと目を見開く。見開き、恐らく彼女にしか解らない幾つかの特徴を確かめて、それから震える手でスーツケースのロックを外す。
中から出てきたのは先ほども海上で確かめた、滑らかな陶磁の肌のビスクドール。精巧なガラスの瞳が青空を映してきらりと輝いたのを見て、ああ、と琴子は顔をぐしゃりと歪めてポロポロ涙を零し始めた。
「確かに‥‥ありがとう、本当にありがとうございました‥‥ッ」
「良かったわね、琴子、良かった! 本当にありがとうッ!!」
泣き崩れて何度も頭を下げる友人を抱きながら、くれはも勢いよく頭を下げた。彼女はこの依頼の為に、少なからぬ金銭をULTに支払っている。
自腹は嘘の代償だな、と総一郎はそんなくれはを見て1人、頷く。そもそものきっかけは、彼女が友人を相手に見栄を張り、それが嘘であると最後まで言い出せなかった事にあるというのだから。
2人を微笑ましく見つめながら、さやかが琴子に言った。
「琴子さん。いくらお腹立ちになったとはいえ、お母様の大切になさっているものを捨てるのは良くありませんよ」
「は、はい‥‥ッ」
「もう、やらないで下さいね。約束して下さいますか?」
「はい、はい‥‥ッ、ほ、ホントに、ホントにありがとう‥‥ッ」
さやかの言葉に頷きながら琴子は号泣した。そうしてハンドタオルで涙でぐしゃぐしゃになった顔を何度も拭きながら、ふと気付いて真っ赤に泣き腫らした目を能力者達の、正確には兵衛と総一郎と聖の上に向ける。
そっと、くれはの耳に口を寄せた。
「ね、くれは‥‥誰が彼氏?」
「うげ‥‥‥ッ!?」
「ちゃ、ちゃんとお礼、言わなくちゃ‥‥彼氏がお友達の傭兵さんにも声、かけてくれたんでしょ‥‥?」
泣き腫らして枯れかけた声は、しっかり能力者達の耳に届いていた。またそんな見栄を、と思わず呆れた視線を向けた一同に、くれはが必死の形相でぶんぶん首を振る。
だが琴子はきょとんとした眼差しで3人を見比べていて。
「‥‥くれは、良かったな」
総一郎は小さな息を吐きながらそう言った。友人も親も、どちらも大切なものだ。過去、それらを蔑ろにした事のある彼が言えた義理ではないが、だからこそ口裏を合わせて『大切なもの』を守る手伝いくらいはしよう――悪意ある嘘ではないのだし。
ぱっと琴子が顔を明るくして微笑む。その背後で、当のくれはは両手を合わせて全力で総一郎を拝み倒した。
ここでもまた1つ、能力者達によって尊く大切なものは守られたのである。