●リプレイ本文
‥‥仰げば、空は色の薄い晴天。
雲は数えるほどにしかなく、日差しは遮られる事なく大気を満たしている。
身を動かせば、ひんやりとした風の肌触り。少しの寒さはあるが、いい天気だった。
「うー‥‥?」
唸り声に特に意味はない、ぐるんぐるんと周囲を見渡しても、人一人いないのだから意味も持ちようはない。
強いて言うなら、暇だ。
住居兼店舗が綺麗に片付けられているのを見て、美崎 瑠璃(
gb0339)は同居人のらしさに改めて感心していた。
今日は臨時閉店、同居人は外出したようで、友人たちも遊びに来てはいない。
電灯の落ちた店内に日差しが差し込み、薄暗くも不思議な静寂の空間を作っている。
‥‥さて、何をしよう。
ぶらりと外に出れば、足は癖のままに本部へと向い、見上げるディスプレイには‥‥。
「‥‥お?」
見覚えのある名前、依頼ではないメモ書き。
これはチャンスだと、思考が真っ先に浮かんだ。
「お弁当‥‥久しぶりにいいかな?」
::
背中で銀髪をたなびかせ、少女の姿が視界の前を駆ける。
クラウディア・マリウス(
ga6559)は半周回ると自分に向かって手招きをかけ、次には何か見つけたのか、飛び上がりそうな程に、歓声を上げる。
「ねね、アグちゃん! あそこ、新しいお店かな?」
見覚えはないが、きっとそうなのだろう。急ぐ事もなく、アグレアーブル(
ga0095)はゆったりと歩んでいく。
興奮を抑えきれない友人が、自分の元に寄ってくるのもいつもの事。アグレアーブルは口の端が緩みそうになるのを感じながら、向けられる言葉に相槌を打っていく。
「そろそろお昼‥‥ね」
食べたいの? と目線で問えば、クラウディアの表情が溢れんばかりに輝いた。
「お昼にしよ、お昼っ」
物珍しさに惹かれてか、クラウディアが二歩三歩と先行する。振り向いて、ぶんぶんと手招きして来る姿は相変わらずの様相だった。
行き交う人々を見て目を細める。
止まることない流れは波のようで、少しの息苦しさと、僅かな安堵を宗太郎=シルエイト(
ga4261)に与えてくる。
世界が止まらず動いている事。
何よりも喜ぶべきことであり、しかし自分が足を止めても構わないのではないか、――そんな僅かな錯覚を自身に覚えさせる。
‥‥違う。
そう思いたい。
否定は自分の意志に向けられる。今は僅かばかりくすぶっているけど、流されてここまで来た訳ではないと確かめなおす。
ただ、平穏は倦怠に似ていた。
「‥‥ン、宗太郎クン!」
「‥‥ぁ」
呼び戻す声で一気に現実へ戻る、認識した視界は月森 花(
ga0053)が中心にいて、様々な記憶が溢れ――丁度胸下あたりで視線を交わす彼女に思わず笑みが漏れる。
「すみません、ちょっと考え事を」
言い方には含みがある。
笑ってくれた宗太郎を見て、許してあげてもいいかなぁなんて思わなくもないが、それより意識を向けてもらうために、花はむくれて見せる。
穏やかに笑む彼の内心はよくわからなくて、楽しくふるまって見せる事位しか出来ないけど、元気になって欲しかった。
考え込むのはいいが、沈んでしまうのは良くない。ちゃんと戻ってきてくれるように、手は今のように繋いでいたい。
「お昼、他に何を買おっか?」
「そうだな‥‥」
家で作った品はバスケットに入れて宗太郎が持っている。海苔で違う顔を作った幾らかのおにぎり、具は梅干一択――となれば足りないのはおかずの方で。
「フライドチキンとサラダ、なんてのはどうだ?」
昼の定番といったらそのあたりだろう。
「後は‥‥」
おはぎと煎茶、甘いものは現地にあるが、少しは和菓子も食べたい気分だった。
::
如月・由梨(
ga1805)は本部を後にする。
記憶に残るのは、依頼ではないメモ書き。休憩も必要なのだと自分に再度言い聞かせ、丁度お昼なのだからと迷いかけの意志を固める。
依頼合間の身軽さ、そして色々気づかない振りをしている自己欺瞞。
昼の時間まで暗く沈む必要がないのは今決めた事で、今日のお昼をどうしようか、思考はその一点のみに向かっていた。
中尉たちは確か屋上にいる、昼食に甘いものだけというのもどうかなので、何か買っていくのがいいだろう。
「ミア〜〜っ! ひっさしぶりぃ〜っ♪ 元気してたぁ?」
軽い衝突の音とともに、栗毛の少女が黒髪の少女に覆いかぶさる。
場所は屋上、エレベータの前。黒髪の少女――ミア・エルミナール(
ga0741)は少しよろめきながらも踏みとどまり、「‥‥それなりには」とぶっきらぼうな返事を返す。
抱きついた側の少女、Letia Bar(
ga6313)はその様子を見て首をかしげた。記憶をたどるなら――そう、昔はもっとハイテンションで明るい子だった筈だ。
考える、でも分からない。分からないけど、元気ならまぁいいかと気にしない事にした。
身体を離し、傍らの少年に視線を向ける。笑みを向け、二人の手を取り。
「さぁ、ミア、マナくん‥‥楽しいランチへレッツゴーっ」
席取りを二人に依頼し、Letiaは一旦姿を消してから再び戻ってきていた。
帰還早々、戻ってくる間に広げられたのだろうお弁当を見て、歓声を上げる。
「きゃーっ可愛いv」
愛輝(
ga3159)の手作り弁当、喜びを隠さないLetiaに対して、愛輝が穏やかな笑みを向ける。
「急がずゆっくり食べて下さいね」
タコさんウィンナーもハンバーグも入っている。Letiaは笑みを増す一方で、愛輝の子供扱いにもさして気にした様子がない。
食べてもいい? と問い、頷きを得ればミアにも食べようと声をかける。
「ん〜、美味しいv」
ミアのお弁当は? と覗き込めば、ミアがチリソースのホットドッグを掲げて見せる。
分けて欲しそうなLetiaの視線に、
「愛輝のとちょっとかぶるかもよ?」
と前置きするが、特に抵抗する様子もなく差し出した。
宗太郎と花の訪れに対し、リエル・イヴェール曹長は一礼を持って迎えた。
相変わらずのひんやりとした振る舞い、冷たい印象は拭えないが、人柄はそうでもないと花は既に知っている。
建前とか色々気にして‥‥自分たちも少しは食べ物を持ってきたのだと花が告げると、曹長は口元に笑みを見せた。
道行く場所で飲み物を確保し、花の興味が周辺に攫われれば、足取りがついつい店先へと向かっていく。
全ての買い物は少しずつにするように心がけている、ちょっと位なら‥‥きっと大丈夫。
::
明るい店先はやや物珍しさに満ちていた。
理由といえば、偏に黒桐白夜(
gb1936)がこういう所に足を運ばないのが原因で、別段苦手という訳でもないのだが、普段ならふらふらとアルコールのある方へと寄ってしまう。
こういう所にアルコールがあったら‥‥考えはするが。
‥‥うん、ないな。
漏れる苦笑とともに人々の間を抜け、さて何を食べようかねと周囲を物色する。
小ぶりのライトが照らすディスプレイも外食の際には見慣れたものだった、ふらりと足を向ければパン屋に入り、気分の赴くままに菓子パンをトレイに載せていく。
塩辛いものも好きだが、気分に問えば甘いものを欲する力の方が強い。
視線を回し、シュガーをまぶしたクロワッサンを手に取り、シナモンロールを選び、フレンチトーストを追加する。
紅茶と抹茶のシフォンを手にとって、仕上げに牛乳パック。
これからの甘味祭りに想像を働かせながら、ケーキに紅茶もいいが、パンにはミルクがいいのだと記憶を振り返る。
会計を済ませ、屋上へ。
開けた空間は、開けた空間での心地良さがある。
勿論、格納庫のとじた空間も秘密基地みたいで嫌いではないのだけれど、今は思いっきり身体を伸ばせる感触にレーゲン・シュナイダー(
ga4458)は浸っていた。
高い天井は、見上げると少しばかりそきそきする。格納庫もKVを収めるために天井が高くて、似てるけど違う部分に夢想を走らせる。
手には今日のお弁当を抱え、しかしパン屋の前で見知った顔を見つけて。
「Guten Tag☆」
驚いた表情で振り返る白夜に、ふふりとレグは笑みを向ける。
「こんにちは、白夜さん」
お昼ですか? と問うと頷きが返った。
「曹長が甘いもの配ってるってんで、行ってみよーかと」
レグがこくりと頷いて。
「私も中尉さんたちのとこに行く所です、一緒に行きませんか?」
::
屋上の人影は徐々に増えていく。
ちらほらと見える傭兵たちの姿は、依頼前か、鍛錬後か。サンドイッチ十個を食する堺・清四郎(
gb3564)が腹六分目だと言っているのはどういう事だろうか。
デザートに移った彼は、ワッフル二種類を前に、どのような方法でこの味を出せるのかと首をかしげている。
「こんなおいしいお菓子を孤児院の子供たちに差し入れたいものだ」
アグレアーブルは外周近く、パラソルの下に席を選ぶ。
隣にはクラウディアが興奮冷め切らぬ様子で着席し、色々と見て回った余韻か、首をすぼめて楽しげな笑みを漏らす。
広げる昼食は、アグレアーブルがバーガーとポテト、クラウディアがサンドイッチ。
二人ともそれぞれの出自の色が強く、アグレアーブルはアメリカ由来のジャンキーなファストフード、クラウディアのサンドイッチには生ハムとチーズ、味の深いツナとオリーブ、トマトが挟まれていた。
ハンバーガーをはむりかけて、アグレアーブルがしかめた顔で思いとどまる。
パンの間からピクルスを見つけ、つまみ出してぽい。他にもあるのだろうとハンバーガーを開けたら案の定で。
(ピクルスは抜いてって、言ったのに)
つまみ出しては放置、後でまとめてサヨウナラ。
改めて頬張ばれば故郷の味に満ち、感触に浸る一方、つまみ出されたピクルスを見てクラウディアがほわっと驚き。
「もう、勿体無いよー」
口を尖らせて抗議、そして自分のサンドイッチをはぐっと頬張り。
「美味しいっ」
笑みが満ちる。記憶を呼び起こす故に、慣れ親しんだ味は別格だ。
久しぶりのラストホープだと、空の近い景色を見上げる。
近未来だと称するべきなのだろう、ラストホープはその特性故に研究棟や整備工場などが身近に存在していた。
多少違和感こそあれど、随分と慣れてきたのだと秋月 愁矢(
gc1971)は思いを連ねる。
適応性は、記憶が一部欠如している事に由来しているのかもしれないが、その辺は余り深く考えるつもりもなかった。
「また‥‥すぐにでないとな」
出発待ちの依頼が一つある。無論急ぎではないが、忘れてはいけない事項だ。
腰に帯びた剣がちゃんと布に覆われている事を再確認し、まずは腹ごしらえでもするかと歩みをアーチに向ける。
注文し、運ぶトレイにはラーメンとチャーハン、餃子。思考はこれから赴く依頼の事、そして過去の反省に向けられており。
「‥‥うーむ」
ガラス張りの自動ドアを通りぬけ、レグと白夜は屋上へと抜ける。
植木を抜ける風の感触と、パラソルから溢れて満ちる日差しが心地いい。
いい天気だ、空気はひんやりしているけれど、日差しはテーブルや煉瓦に少しのぬくもりを与えていた。
リエルの姿はまだ見えない、だから二人は適当に席を見繕って待つ事にする。
片手に菓子パンを、白夜は背もたれに寄りかかって空を仰ぐ。髪の隙間からもぐりこんでくる空気がくすぐったくて、更に身体を伸ばせば息の抜ける感触が全身に行き渡った。
レグは自前のホットサンドを頬張り、空腹を久しぶりのように癒す。ようやくか、と身体が訴えているような気がして、食事の記憶を思い返すと途中で挫折した。
この前の、って限らなければ普通に思い出せるのに。たとえば人と食事しにいった時のこととか。
始めたからには一気に、恐らくそういう性質なのだろう。
作業を前にすればここまでいけると思ってしまう、そしてつぎ込んだ時間を補うように、食事もまたがっつりと取りたくなるのだ。
とりあえず、角砂糖をかじるような生活はよくないと思っている、うん。
リエルたちは屋上に上がり、中尉とクレハの元に合流していた。
緩やかな言葉を交わしていた二人は、三人の訪れを見て軽く手を上げ、話の輪に誘うように軽く言葉を振る。
「下は楽しかったか?」
食べ物関係は、どれが自分の好みに合うのかと、想像して選ぶのがいい。
早速とばかりに買ってきたもの、持ってきたものを広げ、適度に全員へ回し始める。
「‥‥甘いものが多いからって、それだけで昼を終える訳じゃないですよ?」
午前は士官としての業務があるから、余り作る時間が取れないのだとリエルは苦笑を漏らす。
前線バックアップを担う二人だから、時折はなまらないように身体を動かす必要もあった。
気分転換、というのも多少はある。別段執務室にこもるのが嫌な訳ではないが、気が変わる事位は時折訪れる。
先を越されていないかなぁ、微妙にはやる気持ちが瑠璃の思考に浮かぶ。
せっかく力を入れたのだから、目的くらいは届きたい。
「そーちょーっ! まだ食べられます?」
瑠璃が始めにそう問いかけたのも無理はない。
リエルたちのテーブルはお菓子だけでも十分な量があるのに、下で買ったものが更に追加されている。
幸いなのは、
「まだ何も食べてませんけど」
リエルが給仕をしていたため、食事のタイミングが少しずれた事か。
「あたしのお弁当、食べて感想お願いしまっす!」
「フランスでも似たようなシチュエーションがあったような‥‥まぁ、構いませんが」
自分は別にプロでもなんでもないのだと、リエルは苦笑交じりに頷く。
食事を終えた清四郎が語学の教本を抱えて立ち去るのと入れ替わりに、永瀬 霧也(
gc5985)が屋上へと訪れる。
見渡すかぎり、この場所のお昼はパン系の人気が高いようで、極稀におにぎりなどのお弁当をもつ人も見かける。
士官たちに菓子を分けて貰い、甘いな、と霧也が漏らす感想に中尉は短く頷いて見せる。
霧也から、次々と投げかける質問に答えつつも。
「昼食の時間は、人の過ごし方が見えていい」
貴様はどうだ? と士官が問い返してきた。
午前はどのような事をしたのか、それを隔ててどのような食事を摂りたくなったか、昼食中に何を思うのか。
「まぁ、他人に訊くのもいいが、自分の過ごし方を決めておいたほうが話は進むぞ」
ひと通り食事を終え、クラウディアの所はアグレアーブルがポテトをつまむだけとなった。
食事の内容が偏っている事に関して気にかけるつもりはなく、ポテトは野菜であり、栄養はサプリで補えばいいのだとアグレアーブルは一人頷く。
手元に向けられる視線がくすぐったい、だから、
「‥‥食べる?」
問いかければ、親友は「はわっ」と声を上げ、続ける笑顔で「うんっ!」と頷いた。
椅子を寄せられれば距離が近づく。手渡すでもなく、つまんだまま口元に向ければ、クラウディアがあーんと口を開けてくる。
いつもの事だ。口に近づけた所で放り込み、ぱくっと食べる様子が小動物のようで可愛い。
美味しい、と溢れて見える笑顔が好ましくて、アグレアーブルは更に食べさせるべく、次のポテトを手にとった。
白夜とレグの訪れに、テーブルの面々はやはり軽く手を挙げて応えた。
パンケーキやワッフルなどを分けて貰い、ついでとばかりにテーブル周りの空いた席に腰をおろす。
最初に告げられるのは、やはり久しぶりだという挨拶で。クレハは少し前に会ったばかりだが、中尉さんとは久しぶりだとレグはきゃっきゃとして手を振った。
初めましてだと言われれば、リエルはひんやりとしたかんばせを少し下げて見せる。
「クレハ嬢は初めまして、かな」
白夜の挨拶にはクレハも頷き、よろしくお願いしますねと笑みを浮かべてみせた。
「これってリエル曹長が作ったのか? すげーなぁ」
ラストホープには料理が得意な男が多すぎて、肩身が狭いのだと白夜は笑う。
一方のリエルは苦笑して、
「お菓子限定ですよ」
菓子以外を言うなら、一般生活レベルまでしか作ったことはない。
余り多くを望むつもりはないのだから、特に練習しようとも思わないのだとリエルは語った。
「‥‥そういえば、重要度の低い相談事が‥‥えと、アドレス教えてくれませんか?」
宗太郎の持ちかけは、回りくどい内容故に当然のような注目を集めた。
声に出す事が憚られるのだと付け足せば、相談に託けてアドレスをねだられてる気がするのだとリエルが漏らす。
ごまかす宗太郎に、リエルはアドレスを表示して見せ、
「重要度が低かったらシカトしますから」
甘えさせる訳ではないと告げるように、意地の悪い言葉を向けた。それでも律儀に内容には目を通して。
「此処は性能チートな人が多いので、色々めげる事もあるかもしれませんが」
白夜が横で頷くが、間違いなくこっちはめげていない。
「何かを出来るようになる事は、ゆったりとした道のりです」
幸せを抱え込めば、何かが出来るようになる事も意味合いが変わっていく。
出来ない事のある人は、これから多くの道を歩めるのだと告げ、それでも幸せなんて好きに求めればいいのだから、気の向いた時に行動を起こせばいいと言葉を虚空に贈った。
「あたしのお弁当はどうですか?」
「技術ではなく、俺の好みで答えますが」
頃合いを見て問いかけてきた瑠璃に、好みで言うなら好きですよ、とリエルは躊躇せずに答える。
軽いもの、さっぱりした味でまとめられていて、好感が持てると告げられれば、瑠璃は密やかにガッツポーズを作り、誰か交換しないかと周囲に持ちかけた。
提案には、多めに作ったからとレグが手を上げて応じる。
瑠璃の方は鶏・卵・鮭の三色そぼろご飯、牛肉のアスパラ巻きに蓮根・ごぼうのピリ辛きんぴら、ほうれん草とおかかのお浸し、ゆでブロッコリーとプチトマト。
レグの方はハンバーグサンドに、炒めたキャベツとベーコンのサンド、甘ーいカフェオレを添えていた。
弁当を持参して来た由梨は、あっさりと食事の輪の中に受け入れられた。
甘いものは好きだけれど、昼時の食事としてはどうなのだろうと漏らせば、中尉が笑いながらカップケーキと一口サイズのサンドイッチをよこしてくる。
カップケーキはしっとりとした甘さで、甘辛いソースのサンドイッチと予想以上に合っている。
大きめなパンは口触りがやや荒くて、レタスとハムと共に味わう内、トーストが胡桃混じりのものであると気づかせた。
「甘いものが食べたいかどうかは気分によるけどな」
ティータイムに置かれるべき内容という点に関しては、余り否定するつもりもないらしい。
合っている、よく合っているのだがやはり胸焼けするのではないか。
花が作った梅干しおにぎりについては、
「いいんじゃないか?」
中尉のコメントは曖昧極まりない。
おにぎりの顔には毎回視線を留めるものの、沈黙をコメントとして口に放り込む。
「‥‥ストイックな人なので」
無難な返答を選んでいるのではなく、素でこうなのだとリエルが苦笑交じりに付け足した。ある意味で軍人らしいと言うからには、曹長の方が変わっているのだろう。
食事が終わりに近づけば、怠惰じみた時間が訪れる。
それをよしとしながら、曹長は時折訪れる客人向けに甘味を振舞っていた。
組み合わせるクリームとジャムは客が望むままに、以前贈られた、林檎風味の蜂蜜を指せば穏やかな色を見せる。
「オロールさんっ」
顔見知りを見つけて、寄ってくるクラウディアに中尉は軽く手を挙げて応えた。
近づき、甘味を気にする様子があれば、皆に振舞ってるものだから貰ってもいいのだと曹長が告げる。
「はわ」
有難うっ、とクラウディアが笑んだ。友人を伴う申し出にもあっさりと許可が降り、一旦戻るとアグレアーブルの手を繋いで戻ってくる。
アグレアーブルは他人にさほど興味がない。しかし好物のパンケーキがあると教えられれば、気が向いたようで連れ立って足を向ける。
林檎の香りを孕み、蜂蜜の醸す甘さが感覚をくすぐった。暖かさを保つパンケーキにはよく合っていて。
「‥‥美味しい。これは、手作り?」
好まれて気を悪くする事はないのか、リエルはいくらか落ち着いた口調で肯定を告げた。
クラウディアが余すことなく喜びを表現すれば、そちらにも視線を向ける。
あたりが少し静かになれば、癒された空腹が眠りを欲してきた。
力を抜くような時間があり、ゆらゆらとした安穩が宗太郎の身を侵す。
まるで水の満ちたコップのよう。いつ溢れ出すのかが怖くて、こぼれないように慎重になってしまう。
動けなくて、それでも満たされているのは確かだから、ありえない停滞を夢見ていた。
満たされているのに足りないと思うのは不思議な感覚だった。器には限りがある、身の丈をわきまえろと思えば思考が暗く傾く。
確かに、掴めなかったものはあった。それを身の丈だと結論してしまえば何かが終わってしまう気がして、“この道はいけない”とばかりに思考を閉ざした。
休憩を取ることには、未だやや慣れない感じがする。
決してそれが珍しい訳ではないのだから、由梨の気持ち的な問題なのだろう。
忙しさは自分で望んだものだ、そのために自身に回す時間は殆どなくて、それでも完全に忘れた訳ではないのだから、久しく発揮していない料理の腕前を惜しく思ったりもする。
場面か、と中尉に相槌を打って貰いながら、料理の依頼でも受ければ違うのだろうかと考えたりして。
依頼に依存するあたりは回りくどいのだと思いつつも、
「愛妻弁当」
軽くむせた。
「料理を披露どうこうなんて、それか店でも開くか、だろう?
‥‥あ、からかったからって、後で仕返しするのはやめてくれ」
中尉って冗談も言えるんだなぁってぼんやり思いながら、それがまさか自分に来るとは、と妙な感嘆がある。
「店を開くつもりは‥‥」
自分で言うのもなんだが、依頼一辺倒で今日も外食に依存してしまっている。
「バイト位ならありだと思うけどな」
珍しく視線を上げたと思えば、中尉はクラウディアさんの方を見ている。
「ふへ?」と向こうが気づき、笑いながら軽く手を振られれば、少し戸惑ったように振り返していた。
デザートをどうぞ、と曹長にケーキを運び込まれれば、由梨に拒絶する術は余りない。
体重が乙女心に勝るはずもなく、飲み物がないから紅茶を分けてもらい、暖かな湯気の中、一息を着く。
俺にもくれるか? と尋ねる愁矢も曹長から甘味を貰っていた。
毎日食べても飽きないのだと、褒め称える愁矢にリエルは笑み、しかし一度短く否定を告げる。
「俺が飽きます」
意地悪に笑えば、意味を測りかねる愁矢が怪訝な色を見せた。
クリームを妙な顔模様風に載せられ、もう一つ食べます? と問われれば頷くしかない。
::
食後、三人共々落ち着いた頃合いに、Letiaはテーブルの下へと手を伸ばした。
「はっぴばーすでー とぅ ゆーっ♪ マナくんおめでとーっ」
お茶に手を伸ばせば、二人も減りの違うそれぞれに手をかける。
特別な合図を必要とせずに杯を交わし、祝福の言葉を最後まで唱えて笑みを湛える。
「有難うございます」
ミアの指から洋楽CDを手渡され、愛輝は礼を告げる一方で自分の“今まで”を思い返す。
ラストホープに来て以来、この日を特別だとした記憶はない。だから新鮮であり、感謝にも似て、少なからず特別な感情が滲んでいた。
テーブルの下から箱を取り出し、Letiaが先ほど購入したのだろう、ケーキを並べ始める。
「‥‥あ、私もケーキ」
色々食べられる方がいいと思って、とミアが箱を持ち出しつつ付け足せば、Letiaはミアにも笑みを向けた。
甘いものを苦手とする愛輝にも、Letiaによって糖分控えめなシフォンケーキが用意されている。無理をさせることなど、ある筈もない。
「ちゃんと食事とってるか?」
「‥‥ん、それなりには」
マナくんがミアの世話を焼く様子が微笑ましい。願わくはこの時間が少しでも長く続きますようにと、Letiaは二人の間で、ひっそりした祈りを抱き続けていた。
::
キメラ食が出来ない、そこまで言われた後、リエルはようやく会心したように頷きをこぼした。
「‥‥ああ、すみません。はなからそっちの発想がなかったもので」
バグアに属するものを食する事が出来ない、ドクター・ウェスト(
ga0241)はそんな事を語っていた。
「そして地球が戦うための武器である能力者が地球のものを食す、つまり地球のものを壊すことに我輩自身納得がいかなくなりつつあってね〜、最近は合成物で補うようになってきたのだよ〜」
壊す、その単語に反応するように、リエルは少し思考する時間を挟む。
「そこまでいくのは、やや根を詰めすぎだと思いますが‥‥そうですね」
こういう話もあるのだと、気軽な口調を見せ。
「『母なる星』‥‥という叙述を聞いたことがありますか?」
「地球の事だね〜」
はい、とリエルは重ねて頷き。
「数多の生命を抱える、命の星。呼び方なんて人それぞれです、なのでこれも一つの見方にすぎないのですが――」
一息をつき。
「地球にとって、生命とは子のようなのかもしれません。
生きて朽ちて、大地に返る。生きるために何かを貰い続ける、生命のサイクルです。一面を見れば略奪かもしれませんが、もう一面では、“育む”事ではないのかと」
それは分け与えの概念。恵みを貰い、骸を大地に返すように。命は星によって抱えられ、尽きた時に星へと返る。
「――生きる事は戦いに違いありません、でもそれは結果論に近い。
戦わせるために生まれた訳じゃないですよ、きっと」
望むのなら、それこそ戦わなくてもいいのだと、言外に告げた。
「‥‥ロマンチストなんだね〜」
いいえ、とリエルは首をかしげてみせた。
「ロマンチストじゃないから、時々理由をつけては、息をついてるんです」
難しい話終了。とはいえ、当人が去った後も話はもう少し続く。
「曹長って、そんな事考えてるんだ」
意外、とばかりの瑠璃の言葉に、リエルは苦笑してみせた。
「戦うために生まれた訳じゃない、それだけは確固として言えますから」
続きがありそうだったが、曹長はそこで言葉をやめてしまった。代わりとばかりに、振舞った甘味は美味しいかと瑠璃に問う。
「へ? あ、うん!」
訳が分からないまま、反射的に答えれば、曹長が笑って見せてくれた。
「楽しい人間が一人いれば、それだけ周囲が喜ぶんですよ」
リエルの理屈は、ひょっとしたら至極単純なものかもしれなかった。
ついでに、宗太郎がそれに頷き。
「保母気質が板についてますよね」
「貴方は後で兵舎裏に来なさい」
日差しが傾き始め、屋上の人影はだんだんと疎らになっていく。
「美味しいものを、有難う」
お返しはまたいずれと礼を告げ、立ち去る寸前にアグとレグの視線が合えば、レグの方がニコニコと手を振った。
‥‥夜間。
深藍の帳が降り、風が冷たくなった頃合いにその男は身を起こした。
窓から見える夜景は、宝石箱のように疎らな光を灯していて、建物の姿が影絵のように空を切り取る。
デスクのランプは退室と共に自動で消えた、その男は、ひっそりと自室を後にする。
「――昼の11時?」
夜間もアーチは営業している。
勿論、昼間とは大分色合いが違っていて。ライトを煌めかせ、夜間に光るビルも美しいことこの上ないのだが――招待状に記された時間とは、丁度12時間ほど違っていた。
「これは失敗した、な」
夜更かしが悪いのか、生活が悪いのか。時間を告げられて、夜だと思い込んでしまう習慣がそもそも悪いのかもしれない。
悪いからってどうにかするつもりはない、思考は既に切り替えられ、昼間に落ち着けた研究へと惹かれている。
――まずはBARで一杯飲もうかと、そんな事を思いながら。