●リプレイ本文
暗闇と静寂、安眠の吐息の中。
両者は手振りと唇の形だけで会話を遂げる。
どこまで通じているか怪しいものだが、試みさせるのは人の習慣故か。
少女が窓際から離れ、そして。
人ひとり分の距離を隔て、御影・朔夜(
ga0240)の前に来た少女が挨拶がわりの笑みを作る。
それにわずか口元を緩めて見せ、朔夜は彼女を寝室から遠ざけると、眠れないのかと問うた。
「‥‥外に、出てみるか?
‥‥丁度、外を歩きたいと思っていてね。無論、君さえ良ければだが‥‥」
輝く少女の表情が返答を物語る。笑みは楽しさから一転嬉しげなものに変わり、ダンスで円を描くようにして、少女の歩みが朔夜に向き合ったまま外へ向かう。
早く行こうと。せがむような仕草と期待に、苦笑のような悪くない笑みが浮かび、朔夜が歩みだすのを合図として、二人は外の世界に踏み出していた。
風が満ち、空気が踊る、建物の外は中と明らかに別世界だった。
空は高く、雲の先にある星まで見渡せる。歩ける空間は森に切り取られたわずかしかないけど、両手を振り回しても問題ないほどに広かった。
冷たい夜風は肌に心地いい位で、子供たちが外を望む理由もこれかもしれないと、朔夜は会心と共に吐息を漏らす。
広場は、無人ではなかった。
玄関を駆けるセシリアは、階段脇に正座している宗太郎=シルエイト(
ga4261)を怪訝そうに見やり。
「何これ? 置物?」
ある意味冷ややかより酷い攻撃が飛んだ。
「いえ、その。一応護衛です‥‥」
がっくりと項垂れる様子が少女の笑いを誘う。気落ちしないでとセシリアは小さく手を振り、宗太郎と別れると残りの階段を降りながら、興味深そうに周囲を環視する。
「お‥‥暇過ぎて退屈だったのよ。どっか行くならあたしも連れてけー」
グラスを置く音と共に、柵を飛び越えて鷹代 由稀(
ga1601)が玄関脇に降りる。椅子に座ったUNKNOWN(
ga4276)が見送りの視線を向け、神城 姫奈(
gb4662)も同行を申し出て――傭兵たちが集う夜中、軽い『夜語り』が始まっていた。
先頭を少女が歩き、由稀、朔夜、姫奈と続く。
少女が空を仰ぎ、背中でたなびく髪は羽のように揺れていた。ふとすれば鳥のようで、後ろ姿に幻覚を見れば、軋みに似た恐れが朔夜の歩みを鈍らせる。
それでも、はにかむ笑顔を見れば和みもするのだ、空が好きなのか? と問えば、そうだと少女は迷いなく即答した。
朔夜に言葉を促されると、考えながらの言葉が続く。
「風も雲も好き、世界が流れているって感じがするから」
それでも、翳る程度に悩みがあるのは――
「流れる空を見ていると、時々揺らぎを思い出してしまうの。ふわふわ、ふわふわって」
姫奈が、
「同じ空の下にいるんだから、きっとその人も同じ空を見上げてるよ」
と煽れば、少女は首をかしげて。
「空に思われたいって、考えたこともないわ」
仰ぐのも祈るのも全て一方的な行為、少女が抱くのは見返りを求めていない思慕なのだろう。
「そーねー‥‥繋がりってーと、コレかな」
由稀が口を開くと、セシリアは興味深そうに彼女の隣に並ぶ。かざすように左手を見せれば、色濃いルビーの指輪があり、セシリアは感嘆するように息を漏らした。
「最初に会った時はあたしが助ける立場だったんだけど‥‥その過程で惚れちゃってねー」
ストレートな告白宣言に、わぁとセシリアが顔を赤くする。
目の前でリアクションされると照れるな、そんな思考で口元を緩めながらも、由稀は話を続け。
「相談してた人に『全てを敵にしても愛せるか』って聞かれた事もあったわね。
答え? 『上等よ』だったわね」
何が楽しいのか、セシリアは笑みを深くする。いいなぁと零れる言葉から察するに、羨望なのだろう。
「そのすぐ後につき合うようになって‥‥
同じ能力者だから、仕事の時は離れてること多いけど‥‥
この指輪がある限り、傍にいてくれるって思えるから帰ってこれる‥‥かな」
照れ混じりの由稀に対し、セシリアがくすぐったそうに笑い続ける。
「いやー、我ながら依存心強すぎて参っちゃうわ」
由稀が締めくくれば、「とても素敵」と嬉しげなセシリアの言葉で応えられた。
「遠出しすぎると危ないし、ペンションに戻ろうか。向こうにいる人にも、お話聞いてみない?」
由稀が誘うと、セシリアは素直に頷いてくれる。
察するに、懐かれたらしい。
「‥‥ってワケで先に戻るわ。‥‥ほんじゃま、ごゆっくりぃ〜」
セシリアの後ろに付き、由稀は少女に見えないように振り返って笑う。
残されたのは、朔夜と姫奈の二人だけだった。
「あの時の問い‥‥今なら答えられると思うんだ」
「‥‥、ああ」
姫奈の問いかけに対し、朔夜はさほど驚いた色を見せない。
忘れていた訳ではない、ただ答えが来る事を期待していなかっただけだというように。
向けられる視線が続きを促す、答えられるなら耳を傾けようと。
だから姫奈は語る。全ては想像に留まり実感しようのないものだけど、やはり大切な誰かを喪った場合、自分は泣き悲しみ落ち込むのだろうと。
ただ、一人で立ち直ることが出来なくなっても、周囲には人が、友達や家族がいるのだと語った。
「多分、喪った『人』――も、見守ってくれるんじゃないかな」
世界で独りっきりにならない限り、頼れる人がいると。
「もしも大切な人を喪ってそうなってしまっているのなら‥‥その『頼れる人』、御影さんの支えに私がなりたい」
言葉に返事はない、風が草地を凪ぎ、木の葉を揺らして波のような音を立てる。
「‥‥そうか」
口の端を上げ、朔夜が吐息と共に疲れたような笑みを浮かべる。
踏み出した一歩は、姫奈に背を向け、遠ざかっていった。
澄んだ色を背にして、月映す影は自身の歩む先に。自身の穢れを見つめるようにして、朔夜の視線は相変わらず諦観に満ちていた。
「うぅ‥‥さぶっ」
痺れる足に鞭打って立ち上がり、宗太郎が身を震わせて体の雪を落とす。
遠目には丁度由稀がセシリアを連れて戻ってきた所で、少女がはしゃいでいるあたり、由稀と仲良くなった様子が見て取れる。
広場では秋月 愁矢(
gc1971)が見張りをかねて焚き火を起こし、白鐘剣一郎(
ga0184)はそれを基点にして巡回に出向いているため、席を外している。
朧 幸乃(
ga3078)は室内に、かすかな匂いは、中でホットミルクでも作っているのだろう。
匂いといえば、広場の方からもう一つある。
吐息混じりに、愁矢が夜空を見上げる。
見上げる視界は美しい一方、思考の中では、どうも処理しきれない思いが溢れている。
一つは、任務での失敗続き。少し気負いすぎているのかもしれないと理性は促し、それを御することが出来るかとの不安が多少存在していた。
記録の振り返りは後悔と自戒を生む、剣一郎が淹れてくれたコーヒーを手に、気を紛らわせるために焚き火を突っつけば、銀にくるまれた楕円の物体が枯葉の中から顔を出す。
戻ってきたセシリアを目に、愁矢は思考の停止を自覚していた。それが持て余す思考のもう一つで――子供を前に戸惑うのは、自身に対する幼少の記憶が欠落しているせいか。
ないものは仕方がないと、それは比較的早めに諦めがつく。
戸惑いは幾らか抱えながらも、愁矢は焚き火からアルミに包まれた焼き芋を掘り出して。
「眠くなった‥‥って訳じゃなさそうだな。とりあえず、食うか?」
本当にやりたい事なのか、考えを促す愁矢の問いにセシリアはさして迷いを見せずに頷く。
どうすればそれが出来るか考えればいい、と愁矢が触れたあたりで、ようやく彼女は迷い混じりの笑みを見せた。
「私、シューレ様の事が大好きだけど、シューレ様の事、余りよく知らないの。
あ、とても偉い人だってことはわかるよ?」
良く知らないのに、大好き。子供の思考は愁矢にとって馴染みの薄いものだったが、彼女の知るシューレが、今彼女にとって『大好き』なのは間違いないのだろう。
だから、セシリアは思いを雲に喩えたのかもしれないと、付き添ったままの由稀は思う。
空の世界は、翼のない人間にとって未知。飛行艇で横切る事はあっても、それが馴染み深いとは言いがたい。
定例の巡回を終え、戻ってきた剣一郎も話の輪に加わっていた。
まず彼は、自身が愁矢と同意見である事を述べ、セシリアに考える事を促した後、思いを確かめるためにも、行動を起こすのがいいのだと言葉を告げた。
セシリアの笑みが返る、迷いを持つ彼女にとって、力強い助言だったらしい。
「‥‥今夜は夜空が綺麗だな」
愁矢の言葉を合図に、それぞれが空を見上げれば、首筋の隙間に冷たい風が入り込む。
「ああ、故郷を思い出す」
懐旧を込め、相槌を打つ剣一郎に、周囲が視線で言葉を促した。
喋りすぎの予感を抱えながらも、剣一郎は望まれるまま話を続け。
「俺の実家は、長野の奥にあってな」
親が早逝したことは、口にしない。祖父母に育てられた事だけ告げ、今宵の空は余りにも澄んで星が綺麗だから、つい思い出したのだと柔らかな笑みを作る。
「ね」
由稀が呼ぶ声も、柔らかい。振り返るセシリアに、由稀は少し意地悪そうな笑みを向けて。
「『全てを敵に回しても』ってのは大げさだけど、セシリアちゃんにはそう思える相手はいるのかな?」
問いかけは、互いに考える間を作る。
「もしも世界を敵に回す必要があるのなら――」
セシリアの笑みは諦観にも、悲しみにも見えた。
子供の身は無力すぎて、男の子でもない彼女は、何が出来るかに対して一つしか思いつかなかったのだろう。
「‥‥ごめん、私はやっぱり臆病かも。
シューレ様のことが大好きだけど、一緒に死ぬより、一緒に生きたいの」
後ろ手に掴む服裾には、セシリアの怖れと抗いが示されている。
おどかしてしまったかな、と由稀が思う一方で、愁矢が言葉を継ぎ。
「本当に必要になったら言うといい、出世払いでなんとかしてやる」
外の話を聞きながら、幸乃はゆっくりと鍋のミルクをかき混ぜていた。
セシリアは皆と打ち解けているようだと、思考には安心がある。
夜は寂莫を誘うけど、一人でないなら心細さから守られるだろう。
空は、キッチンの窓からも見えていて、眺めれば思いも集い、遣り残したことがあったのだと、口惜しさに似た記憶が後ろ髪を引く。
どこか心惹かれ、ゆっくりと歩んでいこうと思っていた人。やむをえない事情で去っていったその人には、結局思いも感謝も伝えずじまいだった。
口惜しさはある、思い返せば悲しみも寂しさもあった。
痛みに至らないのは、かつての彼らが今の自分を作ってくれたと、その思いに守られている確信があったからだろう。
――会えて良かったと、そう言える。
ならば何を迷う事があるだろう、全て良かったと、そう言える自分に繋げられるかもしれないのだから。
「不安や諦めばかりで生きるのなんて、つまらないよね‥‥」
歩めば道は続いていく、いい方向になるように、努力する事も出来る。
セシリアは既に悲しみを知っているかもしれない、もしも彼女のような子が友達にいたら、彼女はどうするのだろう。
「ミルクが入りましたよ‥‥」
諦めることはない。どうだったかなんて、決めるのは常に何年も先の自分だ。
「ああ――寂しさはある、ね」
席は、玄関横にある、UNKNOWNが鎮座するテラスに移っていた。
卓の上には幾つかの書籍、グラスのワイン、宗太郎の持ち込んだ安酒。夜の酒盛りの中、更にセシリアのミルクカップをテーブルに混ぜ、ゆったりとしたペースで空を見上げての話が続けられる。
「待つ時間も嫌いじゃない」
振り返りに至る時間も甘美であり、切なさは望みが果たされるまでの享受だ。
「おじちゃんは、きっと私と違うのね」
セシリアの足は、椅子の上でぶらぶらと揺れている。難しい表情は、ほとんど感覚で話をしているためか。
「おじちゃんは世界が好きなんだって感じ取れるわ。
私は、あくまで空の向こうにいるただ一人が好きだから、きっと違うと思うの」
「ああ――」
UNKNOWNの吐息は、肯定にも羨望にも聞こえる。
刹那的に生きているようで、実のところ退廃的に快楽に浸っている。掻き抱くように、酔って溺れぬ程度に。
「私はこの世界で、二つだけ欲しいものがあってね」
そこまでは口にするのに、内容はなかなか言ってくれない。
視線がちらりと宗太郎の方を捉え。
「――いや、違うな。私はきっと、思ってる以上に恵まれてる」
「そう――ですね、俺は口下手なんですが‥‥」
視線を向けられた宗太郎が、戸惑い気味に語り始める。
「口より先に、体が動く性分なもので」
自分は頑固なのだろうと、語っていて苦笑が溢れる。望んだことを、望むまま進んできた実感は槍を握り続けてきた手にあった。
だからなのか、諦めの思考は余りない。
信じ続けてきた心の強さ。誰よりも自分が思ったら、行動でそれを示して見せる他ないと、信じる心があった。
「初心貫徹、正直が一番ですよ。
傷ついても、迷っても‥‥誰もそれを笑う資格なんてありませんから」
思いの強さ、それは力になる。
「遮二無二になれば、意外と道も開くもので‥‥」
言いかけた所で、宗太郎の笑みは翳りのある穏やかさに変わり、手指は腰の刀へ沿うように触れる。
「――案外、思いも通じたりするものですよ」
口調は力強い、死した友は今も心の支えになり、強さの一部となり続けている。
「私も――空は好きだよ」
朔夜は、テラス外にあるだろう夜空を見つめ続けている。左手指にタバコを挟み、右指は左の手首を覆っていた。
「仰げばそこには、手を伸ばしたくなる程の輝きがある。
追い求めた事に――後悔はない」
思いに触れれば、縛られたかのように体が止まってしまう。幻想に縋りつきかけて、漏らす吐息が体の束縛をようやく振り払う。
「ハンカチを――迷うなら贈れば良い、後で後悔する程に惨めなものはないよ」
気配に視線を下げれば、セシリアはすぐ近くまで寄ってきていた。
「今回、私に一番近かったのは、きっと朔夜さんね」
朔夜の前で、セシリアは夜空を見上げる。体は少しふらついていて、それでもこれだけは言いたいとばかりに視線を戻してはっきりと。
「きっと――私も、空に手を出そうと思うだろうから」
掌に感触があったと思えば、セシリアが朔夜の手をとったまま船を漕いでいた。
そろそろ限界か、そう判断して朔夜はセシリアの体を持ち上げる。
背中には安らかに眠りを預けられる感触、感じる僅かな後ろめたさから目を背けて、朔夜は帰途を歩み始めていた。