●リプレイ本文
送り迎えの車両から降り、林間を通って渓流へと抜ける。
木漏れ日の外、岩場には土の香りを払拭するほどの強い日差しが満ちていた。
視界は眩しく、降り注ぐ熱は息苦しさすら錯覚させる。
幾人かの顔見知りと挨拶を交わし、クレハは車に残って傭兵たちを見送った。
傭兵たちがたどり着いたのは、キメラが目撃されたという現場そのもの。民間人には退避して貰っているのか、目撃者の家族含め一帯に人影は見あたらない。
「綺麗な所だね。せっかくの家族旅行を台無しにした野暮なキメラはどこかな?」
掲げた掌で日差しを遮りながら、水面を見回す今給黎 伽織(
gb5215)に諫早 清見(
ga4915)が視線を向ける。事の経緯を聴いていただけに、人のいない渓流は清見に複雑な感想を抱かせていた。
最近は水辺での戦いを多く感じるが、別段水棲キメラが増えた訳ではなく、恐らくは自分たちの行動範囲が広まっているのだろう。
それは勝ち得た信頼による依頼の拡大か。技術の拡大も一役買っているのだろうと、進んできた道を自戒すると同時に、清見は自分が持った槍に強く感謝を抱いた。
(「‥‥あの辺り、かな」)
恐らくは姉妹が遊んでいたのだろう、水底をのぞき込んで、清見は比較的浅い足場にあたりを付ける。
浅瀬を選ぶなら、浸かるのは膝までで済むだろう。川岸で戦うならこの辺が適しているが、やはり水は重くて、行動の制約からは逃れられそうにない。
戦闘の際、移動に適した足場を記憶しながら、井上冬樹(
gb5526)は巡視を進めていった。
ガイスト(
ga7104)は指先を切り、渓流を踏み進めながら囮として血を流していく。その様子をなつき(
ga5710)は川岸でじっと見つめながら、突如水の中へと踏み入った。
音と共に、巻き上がった水しぶきがなつきの姿を一瞬覆い隠す。浅瀬の深さはなつきの膝をやや超えた位で、沈む心配はなかった。アーミーナイフを持った手で張り付いた髪を除け、もう片方の掌を切り裂く。
「‥‥指より、此方の方が量は」
ぴりっとした感覚が痛みの実感をなつきに与え、水面へと向ける指先は、流れる雫より痺れのほうがより強く伝わってくる。
岩場が透けて見える水面に薄く赤が差し、すぐさま水流に流されて消えていった。
血は絶えず流され続けているけど、もはや自分ですら水面から看取る事は出来ない。その様子をなつきは無為に見つめている。
指を切るよりは血の量も多く、何より簡単に乾かない。囮である二人を中心に、他の仲間たちは索敵を進めていた。
向かいに渡れる場所はないかと、マリオン・コーダンテ(
ga8411)は一通り回ってくるも、中々理想的な足場が見あたらない。
「平面だったら飛び越えられそうなんだけどなぁ‥‥」
岩場は向かいに渡るマリオンの助走を許さず、足場は平面どころかこれほどの凸凹もないだろう。水底を覗けばいくつか突起はあるものの、深さを計算すれば川の中央辺りで水に浸かる事になりそうだ。
向かいは何もないのだから、キメラが行く事はないわよね、とマリオンは無理矢理自分を納得させる。
少しどうだ、と。緑間 徹(
gb7712)は持参した紙コップに水筒の冷えた水を注ぎ、マリオンに差し出していた。
水流は見目涼しいが、だからといって炎天下の影響がまったく無くなる訳ではない。ハイペースで広域を見て回った自分は無論、重い荷物を引きずってる徹も額が汗ばんでいる。
徹は25kg位の大剣を一本、更にもう一つ予備だと思われる水中用の大剣を持っていた。疲労も募るもので、水分補給は夏ばて対策にありがたい。
「‥‥わかってはいたのだが、この剣が重いのだよ‥‥ん?」
「どうかした?」
渓流を眺めながら、水を口に含む徹が首を傾げる。その様子にマリオンは疑問を投げ、遠目で確信がつかないのか徹も言いよどんだ。
「いや‥‥ここからだと遠いな、おい、ガイストのオッサン――」
「‥‥待て、来たぞ」
下流の岩陰に何かを見た気がして、徹が移動しながら声を上げかける。しかし用件の前に、下流を見つめながらガイストが敵が釣れた事を告げた。青草はともかく、人を襲う本能を持つキメラには血が有効だったのだろう。なつきは手をぬぐって川から上がり、ホルスターから銃を抜く。
敵が来たとなれば致し方なく、確認は後回しだ。このまま迎え撃てば、恐らくは戦闘に巻き込む心配もない。
「陸揚げ出来そうですか?」
水無月 蒼依(
gb4278)が問うが、ガイストの表情は厳しい。
「難しいな、物理的に追い立てる必要があるかもしれん」
水中は向こうのフィールドだ、餌があった所で態々放棄してくるとも思えない。
浅瀬ぎりぎりに陣取り、川岸と幅を取る。槍の刃を水に入れ、敵の突撃が来るが一撃目は受けない。ガイストは身を躱して敵を素通りさせ、後ろに回り込む。退路を阻む形になり、同時に川岸にいる後衛たちの射線が開けた。
連続する射撃はしかし水に潜って躱される。追いすがって移動しながら、蒼依が逃げ足を防ぐため矢を放ち、エミタの力で抜刀した徹がそのままアロンダイトを振り下ろす。
浅い。
手応えの薄さが徹に少しの焦りを生んだ、水しぶきの中、逃れる敵の姿がちらつく。刃が届かないなど決してないが、高所からの振り下ろしは高度分刃の回る場所が浅くなる。振る時に身を投げ出せば多少は稼げるが、落水の可能性は非常に高い。
両手剣のリーチは、この地形で決して悪い事ばかりではなかった、重さには破壊力もある、だがそれを生かそうと思うのなら。
「水に入るしかないか」
敵は恐らく一撃離脱で獲物を襲うタイプだろう。引きつけるのも挑発するのも成功率が薄いと判断し、清見は水中に入って立ち位置を意識し始める。徹が両手剣を担ぎ直し、背を向ける敵へと再び迫った。
「どうした、山羊座。川辺の蟹がそんなに怖いか?」
地を蹴って跳躍分高度を加え、落水するのも厭わず大剣を振り下ろす。確実に当てるため、細かい狙いなど付けられる筈もないが、体重が破壊力に加わり、水をたたき割った。
川岸から攻撃されれば、敵は川の中央へと逃げる、その立ち位置を好機とし、水しぶきからよろめく魚影に向かって清見が蹴りを入れる。水底に突き刺した槍を支点としているため、水圧に負ける事はない。それどころかエミタの力が後押しし、キメラがサッカーボールのように水から蹴り上げられる。
何度かバウンドし、岩場に引っかかってキメラは動きを止めた。後衛達の次弾装填はいつも通りに、はじき出される薬莢が岩場を転がり、傍らで無機質な音を響かせる。照準を合わせ直しながら、伽織がうっすらと笑みを作った。
「やぁ、‥‥山羊くさいね、君」
角を狙い、胴体を穿ち、敵が立ち上がる前に一斉掃射が降り注ぐ。渓流とキメラの間には蒼依が迅雷で割り込み、弾幕が収まったのを見計らって刃を翳した。
「川には帰しませんよ。このまま、地上で相手していただきますわ」
蒼依の武器は弓から刀に持ち替えている。割り込みから振り向き、遠心力に力を載せて刀を円閃で振り抜く。手応えに甘えず強引に二連撃を続け、山羊の前足を切り刻んだ。
流石に叩き折る事は出来なかったが、敵が立ち上がった所で痛みと出血で心許ない。
地を蹴り、脚力だけで突進するも、ろくな力が入っていないためか、マリオンはアーミーナイフで受けて躱わした。
「そんな格好じゃあたしのダンスの相手は務まらないわよ!」
陸揚げした魚に酷かしら、と思うもマリオンは手を緩めない。目の前にいるのは都合がいいとばかりに、自分から下がるどころか吹き飛ばしてやるとばかりに銃撃を叩き込む。
「‥‥続きます」
覚醒状態に移行し、感情が抑制された冬樹に余計な思考など浮かんでくる筈もない、敵が「まだ死んでいない」という事だけ冷静に理解し、手が次の矢を番える。力の溜めに弓がきしみ、放った矢が側面から敵の胴体を正確に縫い止めた。
「お前の出番だ、アキレウス」
水に入っていた面々が戦局に復帰する。陸に上がり、徹は大剣を持ち替えていた。態々口にするまでもない。陸揚げ成功したことに勝利を確信しながら、敵の退路を完全に防ぎ、傭兵たちはキメラを取り囲んだ。
――戦闘は終えられた。後処理を本部に依頼しながら、戦闘前に言いかけたことは何かとガイストが徹に問う。
「水んなかに気になるものが見えたから、ガイストのオッサンに確認して貰おうと思ったんだ」
直前に近づいたから、見えたのは白い飾りの指輪で間違いないのだと徹は告げる。通常なら見間違いも心配する筈だが、自信は星の巡りか。
「なぜならば、今日の蟹座は最高だからな」
ふむ、とガイストが渓流を振り返る。下流ゆえか川は広く、水面が日差しに煌めいていた。
「詳しい場所は判るか?」
「‥‥探し直させてくれる時間はあるか?」
中途半端なのは、星座キメラなんかと関わったのが外因だろう。
結局探索は避けて通れないようで、一行はそれぞれ探索用の装備に着替えていた。
指輪違いなんて事がないように確認を取れば、指輪は徹が見た通り、白い模造品の宝石を飾ってあるのだと携帯ごしに妹から答えが返る。目撃者の一家が現場にいないのは、事後処理が終わっていないためか、業者によるキメラの死骸撤去がされるまで、一般人は立ち入り禁止らしい。
脅威の排除を報告し、来られない一家に対し傭兵たちは「必ず見つける」と代わる代わるに告げる。
戦闘で濡れた衣服は、徹の持ってきたローブで太陽の下に吊され、女性陣の着替えはマリオンが用意したテントの中で行われる、男性陣にはクレハが車を空けてくれた。
今回の件に関して言えば、姉妹が無事なのは素直に喜ばしいと清見は思う。
二人に怪我がないのは指輪が守ってくれたように思えて、必ず見つけてあげたいのだと、指輪を探し出す事で姉妹に笑顔が戻る事を望んだ。
着替えを終え、蒼依は水の中をかき分けて進む。灼熱の日差しが冗談に思えるほど、浸る感触は冷たかった。
「‥‥あんまり深いところになければ良いのですけど‥‥」
幸い水は透き通り、水底を見るのに顔を突っ込む必要はない。ただ蒼依は水深より小柄で、一番深い中央に踏み入る事が難しかった。
浮きながら水底を覗くのは‥‥出来なくはないだろうが、かなりの確率で水を飲む事だろう。
男性の裸体に免疫がないらしく、冬樹は意識して下流から視線をそらし、戦闘の後始末に回っている。
マリオンは水中用の装備を持って来ておらず、可能性を言うなら岩陰に引っかかっている筈だと、川岸を見て回っている。なつきは泳げない、自然と深い所はゴーグルを拝借してきた男性陣の役目になっていた。
なつきを気にかけて冬樹が視線を向ければ、彼女は落としたらしき人形を浅瀬から拾い上げている。
拾う直前、なつきは声を上げたさげに唇を開いたまま、一瞬固まっていた。
一旦水から上がり、陽の良く当たる場所に人形を置いて乾かす。また捜し物に戻る‥‥と思えば、下流の面々が水から上がって来ていた。
どうやら見つかったらしい。
見つけた指輪は伽織から依頼人のクレハに渡される、蒼依は見つかって良かった事、これからも大切にして欲しいのだと言付けも一緒に託していた。
帰還にはもう少し時間があり、傭兵たちは水辺で思い思いにたむろっている。デビュー戦の戦果に満足しながら、徹は二振りの大剣を手入れしていた。
「こいつにとっても初戦闘だったのだよ」
サイレントキラーに乗ったことはあるが、実戦といえばこれが初めてだ。無論、携えた剣も同様に。
陸上で使ったアキレウスを満足げに見やり、徹は剣を刀剣袋へ収めた。とりあえず炎天下に苦労して剣を二振り持って来た甲斐はあったようだ。
マリオンは冷たげな水と戯れながら、思いっきり肢体を伸ばす。今回は地形が思わしくなく、軽業の本領を発揮出来なかったが、その分体は気持ちよく動かしておこうと思っていた。
事後処理待ちなのか、傭兵たちと同じく待機状態のクレハは、冬樹の所を通りかかると、はにかんで手を振り合う。
それなりに川を遡って上流に行けば、水の落ちる滝壺があった。
此処は緑も近くて、木漏れ日を避ければさほど暑くはない。水は恐らく肌寒い位なのだろう、炙られた熱が逃げるのを感じつつ、伽織はしっとりとした風景に目を細めていた。
クレハが訪れたのに気づけば、改めて挨拶を交わし合い、落ちる飛沫にまた視線を戻す。
「前回の神社も綺麗だったけど‥‥ここもいい所だね」
「ふふ。ええ、よい場所を選びましたわね」
手を合わせるクレハの笑みは深かった。日差しが水の清らかさを強調し、かかる樹陰が渓流に色合いをつける。生が強調される季節では、岸で跳ねる飛沫すら風流に映った。
指輪の探索を終え、ぎっくり腰になったガイストになつきは湿布を渡す。
「‥‥安静にしていれば、三週間位で治りますよ」
安静にするガイスト、おろおろと心配する冬樹。自然と川岸にはこの三人が集まって座る事になった。沈黙は長続きせず、ガイストが話を始める。
――かつては、自分に親など勤まる筈がないと思っていたこと。妻と死別し、退路を失った状態で向き合い、得たものがあること。
無茶はほどほどに、たまには顔を見せてあげなさい、と説く彼に対し、冬樹は曖昧な笑みを返した。
両親の愛情を疑った事などない。ただ、愛されている事が判るから、勝手な劣等感を抱く自分が嫌いだった。
自分を変えようと思ってラストホープに来て、――変われるだろうか、なんて問いにも、踏み出したばかりの自分は、まだ言葉を持ち合わせていない。
「‥‥命を育てる事に自信のある人なんて、そうそう居るでしょうか?」
考えと同時に、問いがなつきの口をつく。上げかけた視線も思索が進むに連れ、合わせる事なく伏せられた。
親になったことも、なる予定もない。ただ、命を育む――それが酷く恐ろしい事だとは判っていた。
理由が浮かんでも、問われればきっと答えられない。
「理解できない‥‥経験した事のないものと向き合うこと。それに必要なものは、何でしょうね」
問いはなつきの中に存在するからこそ、答えはなかった。首を振りかけ、しかし頷く。衝突を望まず、言葉を噤んだ。
親とは、子供が生きているだけで幸せなのだとガイストは説く。ただ、幸福と笑顔があれば幸せで。きっとそうなんだろう、となつきは思う。でも。
(「‥‥信じてはいない」)
一瞥した先には、岩場の人形が暑く灼けていた。きっと、自分はガイストの言葉通りにはしない。親が心配しているかどうかすら解らないというのに。