タイトル:【音・絃】花曇りの一日マスター:音無奏

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 22 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/04/25 12:28

●オープニング本文


 日差しがガラスを隔てて、薄く黄金色に色づいたかのような錯覚。
 塔に近く、日当たりの良いこの部屋は、日差しに囲まれてぽかぽかと暖かい。

 部屋に入る前、リエルはノーラの頭に二度手を置き、手元のワゴンを押してテーブルの横に付けると、椅子を引いてノーラに着席を促す。
 ティーセットを並べ、お茶の用意を始める。暖かい部屋にお茶の香りが立ち上り、まどろみにも似た空間が形成されていた。
 窓の外から見える風景は変わる事なく長閑で、残雪が見えつつも、冬がまだ近いという事すら気にさせない。
 思わず眠ってしまいそうな空気に負けないように、ノーラは背筋を正すと運ばれたケーキに向き直る。
 困惑。言われていることを忘れている訳はない‥‥が、そのままテーブルに固まってしまった。
「いいですよ、楽にしてても。‥‥今度、俺が教え直してあげますから」
 まさか、という耳を疑う言葉に二度びっくり。
 自分をからかってるのかと思えばその様子もなく、粛々と用意を終わらせると、自分の目の前に着席する。
「‥‥仕事だと思えば、少しは引き締まるでしょう?」
 寝ぼけている訳でもない。組んだ両手を顎の下に置き、優しく問われる。思わずこくこくと頷けば、にっこりと極上の笑みが向けられた。

「‥‥で。またメイドなのね‥‥」
 ――それから数日後。着替えの済んだスカートの裾を掴み、ノーラはため息混じりに呟く。
 部屋を出れば、顔もうり二つな双子のメイドが自分を出迎え、静々と一礼していた。
 ――今度は修行ではなく、お茶会としてのメイドらしい。
 仕事で訪れているのだと思えば、パーティの席ではしたない真似もしないだろうと。
「今回はメイドですが、特定個人への奉仕は必要ありません」
 きっぱりとリエル。来訪者については彼らが困らない程度にもてなせばいいのだと、奉仕を求めてくる輩は相手にしなくていいと告げていた。
 メイドとはいえ、リエルの大切な客には違いない。それをガードするために双子のメイドがいて、万が一に備えて待機している。
 基本ルールは少ない。自分からお菓子を手にするの禁止、そしてお菓子をむやみに受け取ることも禁止。
 お菓子を受け取るときは微笑んで礼を述べて、意にそぐわぬならやんわりと辞退して。初対面の人間からは避けるべきだと、念入りに言い聞かせられていた。
「大丈夫‥‥よね」
 内心で自分に確認する。お茶会は五日後の午後から、リエルの屋敷の庭で行われる予定になっていた。


「お茶会のお知らせ、だそうです」
 本部の隅にひっそりと掲示されたお茶会のお知らせ。それをクレハはかいつまんで述べた後、参加を問う傭兵たちに頷きを返した。
 ほんの少しの躊躇を孕み、それを振り払う吐息を隔てた後。ゆっくりと選ぶようにして言葉を続ける。
「私は午前から行こうと思いますの、‥‥その、先回りして、お菓子作りに混ぜて貰おうかと」
 大切な人に、お茶菓子を作ってあげたいのだとクレハは言う。
 いいのかと問われる言葉に、またこくりと頷いた。屋敷の主の許可は得ていて、希望する人にはお菓子を作るためのスペースを事前に貸して貰える事になっていた。
 ロシア戦線が近く、それには多くの傭兵たちと士官が参戦する。三月のシベリア、真冬でこそないが十分に厳しい気候だ。
 ‥‥なんとなく、赴かれる前に約束を交わしたいという意味合いもあって。
「大事に思ってますけど、形にしないと伝わらない事もありますから」
 無事で戻りますように、と。思いは言葉だけで伝え切れず、お菓子に込める事にした。
 大切な人のためだけに、というのもなんなので。少しは皆に振る舞うお菓子も作ろうと思っている。
「‥‥口にしたら、死亡フラグを立てるなんて許しませんの」
 絶対口にさせてやるのだと、静かに意気込むクレハは彼女が望めば思い人が意に沿う事に気づいていない。
 ――その辺は、まだ色々と拙い未熟な身でもある故に。
「よければ皆様も一緒に行きませんか? ‥‥戦いの前、きっと思う事も伝えたい事もあると思います」

 冬を引きずった薄い曇り空に日差しは見えない、屋敷の庭では桜がほんのりと色づき、遠くて近い春の訪れを告げている。
 彼方へと広がる花曇りの空、寒い日々はもう暫くだけ続こうとしていた。

●参加者一覧

/ 柚井 ソラ(ga0187) / メアリー・エッセンバル(ga0194) / 赤霧・連(ga0668) / ロジー・ビィ(ga1031) / 棗・健太郎(ga1086) / 如月・由梨(ga1805) / 叢雲(ga2494) / 宗太郎=シルエイト(ga4261) / レーゲン・シュナイダー(ga4458) / アルヴァイム(ga5051) / 空閑 ハバキ(ga5172) / なつき(ga5710) / 緋沼 京夜(ga6138) / アンドレアス・ラーセン(ga6523) / クラウディア・マリウス(ga6559) / 不知火真琴(ga7201) / Cerberus(ga8178) / 百地・悠季(ga8270) / 仮染 勇輝(gb1239) / 美環 響(gb2863) / ルノア・アラバスター(gb5133) / 美環 玲(gb5471

●リプレイ本文

 曇り空より少し明るい位の、春の明け方。屋敷の庭園は与えられた水に濡れ、ひっそりと静謐を湛えている。
 瑞々しく、敢えて言うなら陽気がほんの少し足りない位で――そんな仄かに冷えた空気の中、屋敷は来客を迎えていた。

 午前。屋敷に訪れた傭兵たちをリエルと使用人達が出迎え、礼を向ける。
 コートや手荷物を侍女たちが預かれば、主人か、或いは客人同士か。互いに会釈を交わし合い、奥に進みながらも談笑の花が咲いた。
「ケーキく‥‥」
 まじめくさって言いかけた宗太郎の言葉は、リエルの人差し指を口元に向けられて遮られる。
 合わせた視線の先では、意地の悪い冷たい微笑がリエルの口元に滲み、止められた言葉のまま指は引っ込められた。
 ハバキから声をかけられれば、宗太郎をぽいっと放り出して、リエルは向けられる挨拶に柔らかく返礼する。
 元気に満ちた会釈に笑み、レグにも挨拶しながら、真琴の礼と挨拶には「お気に入り頂けたのなら幸いです」と頭を垂れ礼を返した。

「ロジー!」
 挨拶を済ませ、ハバキはなつきを伴ってロジーの方へと赴く。見つけた友人に抱きつき、腕を緩めてお互いに向き合い笑んでから、こっちだと示すようになつきを手招いた。
 足取りを踏み出して向かい、なつきは顔を上げ、少し上げた視線をロジーと合わせる。
「この子がまいらぶ。なつき、です♪」
 思考の隅で、顔が広いハバキの事を一拍子遅れて思う傍。くすぐったさを伴う笑みでハバキが言葉を付け足せば、なつきは微笑む彼女にぺこりと会釈した。
「御機嫌よう、ロジーと申しますわ。仲良くして下さいませね」
 なつきを見るロジーの笑みに嬉しさが増し、浮き足立ちそうな笑顔で、手を差しのべ重ね合わせるとなつきの手を包み込む。
 ‥‥綺麗な人だと、ロジーと視線を合わせ続けるなつきの思考に言葉が浮かび、表情がふわと滲んだ。
「ところで‥‥今日はやっぱりキッチンに?」
 ハバキが問えば、ロジーは笑みを崩さずにええと頷く。
 歩みを進め、案内された厨房は用具を並べて綺麗に片付けられ、入り口の傍には畳んだエプロンが幾つか用意されている。
 奥ではシェフたちがお菓子作りに取りかかっていて、幾人かはフォローのために待機しているのだろう、傭兵たちが案内されてくるのを見るや、深々と礼を向けてきた。

 一人分ずつ、用意されたスペースに傭兵たちはそれぞれ向かう。
 短く、断ち切った髪に頭巾をかぶせ、レグは必要な材料を手元に引き寄せる。
 肩の感触は以前より少し軽く、切った髪は強くあろうという決意。生き残ろうと強く思う心、オレンジの皮をすり下ろして混ぜたやや大人風味なオレンジケーキには、ロシアでの戦いを無事に切り抜けましょうという願いが込められていた。
 趣味の一つだから、お菓子作りはそれなりに自信があるのだと思えば、口元が少し綻ぶ。
 小さめのを二つ焼き、オレンジなら紅茶との相性も多分悪くないだろうと少し悩みながら、表面にアプリコットジャムを塗ってケーキを仕上げた。
 傍らに置いたレシピを覗きつつ、美味しそうに焼き上がった星形のクッキーを運びながら、クラウディア・マリウスはクレハが何を作っているのかと覗き込む。
 クレハが慎重な手つきで作るのはココアパウダー入りのシュプリッツ、生クリーム入りの絞りクッキーがふんわりと並べられ、香ばしい色合いを湛えていた。
「皆で、お菓子、作り、するのは、初めて、です」
 ルノアは悩みながら、自分のレパートリーから作る物をチョイスする。クッキーか、或いはシフォンケーキか‥‥助けを求めるようにきょろきょろすれば、パティシエが季節の果物はどうかとリンゴを勧めてくる。
 連れが甘い物好きだからと、先回りした玲はチョコレートケーキの製作に取りかかり、勇輝は誰かが言っていたリクエストを、せめてチーズケーキくらいならと作り始めた。
「オレンジジュースと砂糖は‥‥少なめで良いかな?」
 二つ作って一つにはレーズンを入れ、粉砂糖をかけてミントの葉を飾り付ける。
 事前に皆から要望を受け取った叢雲は、レシピを思い並べながら手を動かし始めていた。
 パティシエに意見を求めつつ、これまで受けた手ほどきや経験を思い出し、以前ドイツでも作った事があるザッハトルテ、要望されたレアチーズケーキに苺のショートやアップルパイも作り上げる。
 要望された分が足りるようにと、一つのみならず複数個を大量製作し、練り具合から焼き加減に至るまで細心の注意を払い、自らが出来得る最高の出来を何度も確認していた。
 真琴はロジーと共に、きゃっきゃしながらお菓子作りを進めていく。
 ホワイトデーのお返し代わりにと、真琴はホワイトチョコを練り込んでクッキーを作り、ロジーはシュークリームでマトリョーシカを作り始める。
 見ればシュークリームは直径30cmにも至り、中に一回り小さなシュークリームを、その中には更に‥‥と、プチシューに至るまで繰り返しシュークリームが納められていた。
 サイズに相応しい大皿には、各種ジャム、カスタードクリームや生クリーム、他正体不明な極彩色のソースも添えられ、シューにはロジー自ら育てた薔薇がぷすっと刺さっていた。
 ‥‥京夜を前にして、歩みを止めるなつきの背に優しい手が添えられる。
 視線を少し後ろに向ければ、ハバキの金髪が少し視界に揺れ、軽い感触が背中を押し出していた。
「京兄、煙草はほどほどにね?」
 一歩、二歩と踏み出して京夜の前に。ハバキは言葉を残すと身を翻し、二人の間に穏やかな空気が戻る事を願って席を外す。
 そんな彼を背中で見送り、視線を上げ、京夜の身に見慣れぬ義手、恐らくは二度と戻ることのない傷跡を目にすれば、開きかけた唇が閉ざされ、もう一度開いては逡巡して口ごもった。
 言いたい言葉が浮かばず、思索する言葉がつっかえ。
 ‥‥きっと、この先も彼は無茶をするのだろうから。
「‥‥お菓子。教えて、頂けませんか?」
 今この時、共に過ごす事を望んだ。
 数少ない、心許せる人物だからこそ大切にしたくて。同意を得れば、指示されるままに用意を進めていく。
 カシャカシャと、ボウルをかき混ぜれば言葉が途絶え、視線も重なり合う事はなかった。
 ただ、なつきの手つきを見る京夜が時折その横顔に視線を向け。――自分を大切にできなくて、ごめんな、と。心の中で呟いていて。
「そこでシナモンを入れるんだ」
 二人の間に、少し辛い空気が滲む。
 隣に感じあう存在、なつきが思い出すのは京夜が以前少しだけ自室で語ってくれた過去、彼が無茶をする理由。
 思い出す原初の記憶は一人。友人はバグアの襲来で命をなくし、無力感を振り払いたくて京夜は軍に入った。それで‥‥焼き付いた最後の記憶は、残骸の中、積み重なる焼けた死体と、身体を打つ雨の感触。
 背負うために歩き出した筈だった、未来を紡ぐために戦い、守る。もう死なせないと抱えた思いに偽りなどなく。
「そのために傷つく事を恐れない‥‥か」
 自然と、京夜の唇から言葉が漏れる。
 ただ、身体に染みついたのは強さではなく歪さ。欠落した自分の死や痛みに対する恐怖。
 ――新しく得たモノは喪ったモノの代わりにはならない。心は壊れたまま、無力感という名の絶望なんて到底振り払えそうになくて。
 心が壊れて破片が残り。守るために戦い、死んだ奴らの分も生きる事が支えになった。
 そうでもしないと、最後の欠片すら潰れてしまうから。あの時、自分に出来なかった事。それをせめて今なし得ようと、壊れた自分に自覚を抱きつつも、歩みを止めるつもりはないのだと結論付ける。
 その歪さ、余りにも偏ったエゴに辛さが更に溢れ。
「これからもケガを負うだろうけど、必ず帰ってくる」
 今、愛をくれる人たちに笑顔を返すため、生き続ける。その思いを新たに込め、ぎこちなく腕を伸ばし、手のひらでなつきの頭を包み込んだ。
 パタン、と。閉められたオープンのドアを前にして、顔を上げずに、なつきが京夜に向き直る。
 ――それは、ひょっとしたら似ているのかもしれない。
 自分を大切にしないこと、違うのはなつきが持たない、原因の有無で。
「物理的な傷は痕になります。精神的な傷は‥‥深いところに潜っていきます」
 漏らす言葉がほんの少し、ぶれた。
 恐怖という名の、精神的な安全装置が外れてしまっている彼に。約束以上に必要なものはなんだろうと求め。
「必ず帰ってくる事は当たり前です」
 伸ばしたがる手は届きそうになく、レールから外れた、自分を構成する世界から欠けないで欲しいのに。
「ただ‥‥」
 喉奥が引きつって、止まりそうな声を強引に吐き出す。
 焼き上がったクッキーを包み、リボンを結ぶ。揺れる言葉は結局伝える事はなく。
「‥‥ばかにつける薬は、ありませんものね」
 包んだクッキーを押しつけて、顔を上げた。
 笑いたいのに、触れる温度がぎこちなくて。ささやかに浮かべた表情は、きっととてもおかしいものになってしまっている。
 クッキーの感触が懐に触れ、それを受け取った京夜の、頑なな心が揺らいで。
「ありがとう」
 思う嬉しさと感じる苦さ、心に溢れる「ごめん」とその切なさに、失ったはずの左目が涙を零した気がした。

 ‥‥ふらりと、なつきは立ち去り。踏み出した足音も小さく、メアリーが京夜の傍へと歩み寄る。
 見上げる表情の眉尻は下がり、自分に気づいて振り向かれれば。覆われた左目の眼帯と無骨な義手が視界に入り、事前に話を聞いていただけの現実を目の前に突きつけられ、喉に言葉が詰まった。
「‥‥っ‥‥」
 何度見ても変わる事のない、その傷跡。何か言わなくては、何か声をかけなくてはならないのに。開いた唇からは吐息が漏れ、唇を覆うとすれば今度は涙が零れて。
 おかしい、おかしいのに。上げた手で涙を拭い、必死に言葉をはき出そうとして。
 頭を働かせ、恐らくは助けるために向かっていったのだろう、傷に至るまでの想像がフラッシュバックすれば。言葉はおろか、ただひたすらしゃくりあげる声が漏れた。
 ――止められたはずがない、でも辛い。
 それはきっと、とても京夜らしかった行動。何かを助けにいって勝ち得た、苦い苦い報酬。
「──京夜さんの作ってくれるお菓子が食べたいです。京夜さんの作ってくれるお菓子が、これからもいっぱい食べたいです」
 何か言わないと。ひたすら自分を追い詰めて、出てきたのは余りにも情けない言葉。
 いなくならないで欲しいと、必死に求めた言葉がそれだった。
「菓子は‥‥」
 まだ痛む身体と不慣れな片腕、以前と違う不安に、京夜が困った表情を抱える。でも、大切にしてくれようと、涙するメアリーを前に何かしてやりたいというのも本当で。
 ――傷は癒えない、でも抱えて歩いて行く事がなつきとメアリーの笑顔になるのなら。
「なら、手伝ってくれるか? 味が悪くても俺1人のせいじゃないだろ」
 袖で涙を拭い、問う言葉にメアリーがこくこくと頷いた。京夜の傍らに立ち、少し泣きはらした目で彼を見上げる。
 ‥‥傍に控える手は、決して積極的なものではなく。
 手を引いて歩くのではなく、各自の力を信じ、後ろから支えるそんな優しさ。
 食べたいのは京夜が作るお菓子だから、片腕で行い辛い所のみメアリーが手伝い、二人はお菓子を作り上げた。
「‥‥京夜さん、味がイマイチです」
 焼き上がったそれを前に、味見をしたメアリーが思わず素に戻ってコメントを漏らす。なんか、そんな不出来なお菓子がおかしくて、くしゃりと崩した表情が笑いを漏らした。
 コメントに困り、京夜が皿に手を伸ばせば、我に返ったメアリーが慌ててそれを取り上げる。
 大切に抱え込んだそれを一つ口に運び、また作ってくれた嬉しさに涙を零しながら、一つは京夜の前に差し出して。食べるのはいいけど没収はなしだと、しゃくり上げながら笑った。
「‥‥有難う」
 暫しあっけにとられた空白。普段より慌て気味なメアリーを見て、それが自分への気遣いだと知りつつ、菓子を受け取りながら、らしくない、と笑みが滲み。
「いつか美味いって言わせてみせるさ」
 唇で作られたもう一度の「有難う」。クッキーを口に言葉は少なく、しかし自然な笑顔が表情に浮かんだ。

 庭園の一角では、お茶会の準備が進められていた。
 メアリーが持参した手土産、緑の葉で下地を作り、優しい暖色系のガーベラをメインに、白いコデマリを添えた装花はクロスを被せたテーブルの中央に飾られている。
 ガーベラの花言葉『常に前進』、コデマリの花言葉『友情』、緑は癒しと平穏を願う色で。大規模作戦を皆で力を合わせて頑張ろうね、そんなメアリーの気持ちが花には込められていた。
 テーブルには食器一式に小振りのナプキンが用意され、カップとティーポットだけは別途用意されている所を見ると、お茶については甲斐甲斐しい人たちに淹れさせるつもりなのだろう。
 侍女服や執事服が着たいと、要望してきた二人の令嬢については、御菓子を作り終えた後別室に出向くように言い伝えている。

 テーブルの準備は整い、午後からの客人も訪れ、参加者は到着した順番に席へと着いている。
 笑みを浮かべ、玄関にて客人を出迎えるノーラと悠季の目が合い、少しはにかみが増した気がするノーラに、悠季は微笑みを返す。
 赤緑のインバネスコートを侍女に預け、スーツを纏うアルヴァイムのエスコートの元、案内される庭園へと歩みを進め、空いているテーブルに着いた。
 午前の御菓子作りも考えはしたが、厨房が立て込んでいる様子は割と容易く想像出来そうで、それを考えれば、客として振る舞うのも悪くないのだと悠季は思う。
 彼と向かい合って座り、募る思いを寄り添うように少し足し、内心感じる甘さに変わる様子などなく。
 チーズケーキをワンホール、紅茶とコーヒーのセットを一つずつ頼み、アルヴァイムは悠季の注文に対し「コーヒーはブラックで」と添えた。
 何か話そうと思い立ち、アルヴァイムの思考が大規模の事に傾きそうになれば、今日は止そうとそれを静かに伏せる。
 今は二人の時間を大事にしたい。過ぎし日は早く、視線を傍らに向ければ、悠季の存在がいることはいつの間にか当たり前になっていて。
 変わり目の記憶は既に埋もれてしまったけど、それを占めるのも闘争一辺倒ではなく、彼女の笑顔やそれ以外の――たとえばエルドラド復興などが増え、多少は人間らしくなったと言えるだろう。
 用意されていたのか、注文したものが運ばれてくるのにそう時間はかからず。ふと悠季が思い返せば、この状況は雨の空港に似た既視感があるのだと思考が浮かび。
 あの頃からは一季以上が過ぎ、めまぐるしく過ぎ去った時間を指折り数え、どんな時間であったかの思索に対し、満ち足りていたのだと結論付けた。
 それこそ、かつて何もかも失い、傭兵になることすら自棄だった一年前とは比べものにならなくて。
 ――結局、あの時は答えてくれなかったのだけど、思いは背中を押される形で告げ、それ以降は絶えず愛情を重ね合っている。
 夫婦のようだと周囲からは囃し立てられ。ゆったりとした時間にそれを思い返し、内心甘みが増した気がするのは錯覚か。
 両手で持ったティーカップに傾きが増し、日差しに瞳が細まれば、これでも当初は恥ずかしかったのだと、人知れず小さな言い訳を零した。
 それはまだ自身に引け目があった頃のお話。今は内助の功を行うためにもそうは言っていられず、怪我をすれば労りを囁き、生活の中で存分に甘えて構い、プロポーズに近い言葉から行われた同棲生活は、心身ともに満たしている。
 幸福感と呼ぶものかもしれない。彼の左手を取れば、自らの右頬に触れるよう導き、顔を傾ければ、自らとは異なる肌の感触が頬に触れる。
「ねぇ‥‥何を考えてる?」
 浸れるほど、情勢が穏やかでない事は承知していた、だからこそここにいる訳で。懸案に対し、思考を働かせずにはいられない彼に、解決を願って言葉を込める。
「あたしは何時でもアルの味方だからね、だからちゃんと待って居るわよ」
 くすりと笑めば、優しく頬を撫でる感触に目元がゆるみ、上げた視線を交わせば、温もりを大切とするように、添えた手に力がこもった。
「お互い、無理をしないようにな。戦いはまだ終わらない」
 伏せた思考を言葉にすることはなく、重ねられるアルヴァイムの言葉は、目の前の大規模戦闘だけに向けられたものではない。
 結婚し、子を持つことになっても、生きることは戦いだから。それは遙か将来、これからも二人が歩み続けるだろう未来に向けられていた。

 執事服に着替えたルノアは、皆が作ったもの以外でも、屋敷で用意した御菓子をそれぞれ足りないテーブルに運んでいる。
 屋敷のメイド服。ガーネットのロングスカートドレス、そして白く控えめなエプロンに着替えたクラウは、指示された通りに、お茶会の給仕に回っていた。
 席に人がつけばお湯でカップを温め、ポットと共に持参してお茶を淹れて。
 時々躓きかけるも、それは駄目だと――小さく意地を張るように踏みとどまり、慣れればぎこちなさも薄れ、表情に笑顔が浮かんでくる。
 あちこちへと、身を翻せばスカートが足下を揺らし。ソラの所に訪れ、クラウが姿をかがめて一礼すると二人に笑顔が咲いた。
 笑みが絶えぬうちに、クラウがお茶を淹れれば暖かい香りが二人を包む。
「はわ。ありがとうございますっ」
 暖かさを増すような、ソラのほわりとしたお礼に頷き、メイド服のポケットに手を伸ばすと、綺麗にラッピングされたクッキーを一袋、両手で持ってソラへと差し出した。
「えへ、プレゼントですっ。これから大変な戦いだけど、頑張ろうね!」
 はにかみが混じり、期待と伺いが持ち前の元気さに加わって、浮かべる笑顔に少し赤みを差す。
 一拍子挟み、クッキーを認識したソラが、クラウの笑顔に伝染されたようにより暖かみを増した笑顔を浮かべた。
 優しさをこめてクッキーを受け取り、大事に伝えられるもう一度のありがとう。嬉しさと――多分、大事な心で二人は笑いあい、来客に気づいたクラウが身を翻す。
「また来ますねっ。戦いが終ったら、また遊びましょ」
「もちろんっ。いっぱい遊んでくださると嬉しいです」

 時間を十数分遡り、ハバキは真琴とレグの三人で共にテーブルについていた。
 運ばれたお茶を口にすれば、三人の間にしばし言葉が途絶え、沈黙を挟めば、染み込むお茶の感触と共に、ハバキの眉尻が少し下がった。
 ――内心を漏らすと、京夜の怪我はハバキにとってもショックで。
 思い知るのは自分たちが死線を歩んでいる事、無事に帰ってこれる保証などどこにもなく――ふとすれば泣き出しそうな――恐れが。
 大切な誰かが傷つくかもしれない痛みが心をつかみ、自分の身に起こるかもしれない何かを凌駕して。
 詰まったかのような喉から、続けて零れる言葉は余りにも弱弱しいものだった。
「ねーレグ。もしもの時はなっちゃんを宜しく、ね」
 奥底で震えを帯びるその言葉。いつか唐突に訪れるかもしれない、自分の手が届かなくなる瞬間が何よりも怖い。
 破滅の先に待ち構えているだろう、喪失による痛み。歩みは心もとなく、抱える心はガラスの欠片に似て、食い破られぬ様身を抱いて震えれば、欠片が食い込んで胸を傷つける。
 自分のせいでそんな傷つき方をすることに、耐えられるはずがない。
 ハバキの頼みに対し、真剣な表情で頷きを返すと、レグは口を噤む。
 ――思わず叱り出しそうな自分をひっそりと抑えて。
 大事なのは二人とも同じだから。見捨てることはしないと、交わされる約束。
 でも、それとは別に、どこか納得しかねているレグがいた。
 それはきっとハバキに対するものではない怒り。気まぐれにも似た理不尽な災禍はやるせなさを募らせて、不安とともに胸を詰めていく。
 不安、あるいは寂しさ。失う事でぽっかりと空いた穴は、風の動きすら敏感すぎる位に悟り、冷たさに怯えて。
 レグが口にしなかったのは、置いていかないで欲しいということ。
 真琴は二人の言葉に何も挟まない。詳しい話を聞いていた京夜の事は、それを目にすれば否応なく認識もしたけれど。
 本人が選んだ事を後悔せず、結果に嘆いてない以上、真琴が嘆く理由もなくて。
 ――ただ、皆が皆、自分と同じ考えでないことも解っているから。
 せめて、話を終えた後は、少しずつでも楽しく過ごせますように。
 それまでは、黙って耳を傾けようと思う。下手な慰めも苦手だから、態々言葉を挟むような事もしないけど。言葉ではなく、態度で伝わるものがある事を願っていた。
 過ごしてる間に時間は戻り、アスがハバキたちのテーブルに訪れる。
 来客に気づいたクラウも、ポットを抱えながら訪れ、正装をしてきたアスの姿を目にすれば、あれ? と首を傾げて。
 たっぷり五秒ほど悩んだ後、「あっ」と漏れる声が、今まで来客の正体を認識していなかった事を物語っていた。
「誰かと思いましたっ」
 屈託なくクラウが言えば、察したアスが苦笑混じりにため息をつく。
「お前は俺が違う格好する度に判んなくなんのかよ‥‥」
 どうでしょう? と、問いにまた一度首を傾げ、クラウがテーブルの椅子を引くと、ルノアがテーブルに食器類を運んできた。
 並べられたソーサーにクラウがカップを重ね、他の三人にはお茶を補充し、アスの分は一度引き返してコーヒーを取って。
 クッキーを渡そうとポケットを探れば、足りない感触に違和感を覚え、厨房に忘れてしまった事に気づく。
「忘れものしたので取ってきますねっ」
 身を翻し、庭園からクラウの姿が消えれば、叢雲とロジーが菓子を運びながらやってきた。
「さぁお2人共、いつも有難うの気持ちなのですわ‥‥っ!」
 ロジーによって運びこまれる、薔薇がぶっ刺さった巨大シュー。極彩色のソース以外なら見た目は実に美しく、二人の前にででーんと置くと、「食べてくださいませ?」そう言わんばかりににっこりと微笑んだ。
 装飾の薔薇を引き抜きながら、引きつった笑いを漏らすアスに、いっそ楽しいのか普通に笑うハバキ。
「とびきりの生存フラグだね」
 ハバキが言葉を漏らし、アスも腹をくくったのか、二人揃って口にすれば、投げ出されたかのように揺さぶられる知覚。何が起こったのか、味を認識する暇すら与えられず、二人の意識がぶっつりと途絶えた。
 騒ぎの遙か後方、リエルが出した合図の元、ゾロ目を示したダイスがひっそりと侍女たちによってテーブルから片付けられる。
 Cerberusが呆れ気味にテーブルを眺め、揶揄の一つでもするべきかと悩むが、命には関わらないだろうと放置を決め込んだ。
 他の人たちによって揺さぶられれば、二人はテーブルに座ったまま意識を取り戻し、生きていることをびみょーに実感しながら、なんでもないといった風に笑う。
「‥‥一瞬、ばーさんに会ってきた」
 アスがぽつりと漏らせば、ロジーが「まぁ!」と驚く。不思議な事もあるのですわね、そう首を傾げる彼女に、アスは乾いた笑いで礼を述べた。
 余韻の覚めぬ中、なつきも戻ってくる。
 やってきた彼女を、真琴が手を振りながら笑顔で出迎え、空いたテーブルから椅子を一個余分に貰ってくると、なつきの席を作る。
 茶の供にと、真琴が午前中作ったクッキーを勧めれば、なつきの分の食器も直ちに運び込まれ、いないクラウに代わってルノアがお茶を淹れた。
 レグからもオレンジケーキを勧められ、クッキーの味はどうかと、へにゃりと笑いかける真琴に、ロジーのシュークリームで微妙に連帯感の芽生えたらしいアスたちがなつきを出迎える。
 賑やかな様子に、揺らいでた心がゆっくりと浮上するのを感じながら。なつきは勧められてお茶を口にする。
「‥‥おいし」
 瞼が落ち、漏れる吐息。暖かい感触に心が安らぎ、ほっと胸に染みこんでいた。

「どうぞ、レディ」
 一段落ついた頃。リエルの許可を得て、アスは事前の約束通り、ロジーに紅茶をサーブしていた。
 悪戯っぽく片目を閉ざせば、胸前で手を合わせたロジーが笑顔を浮かべる。
「有難う御座いますわ‥‥素敵な海賊紳士さん♪」
 冗談めかしてそう返せば、妙な芝居に二人共々おかしくなったのか、くすっと笑いあった。
 叢雲のお菓子が振る舞われれば、茶会はお菓子を突っつきながらの雑談モードに移っていく。
「いかがでしょうか‥‥? 今の自分の中では最高の出来、のつもりですが‥‥」
 きゃっきゃとお菓子を突っつく皆の傍、周囲を見渡し、叢雲が窺うように問う。
「ふふ、美味しいのですv さすが叢雲ですわ〜!」
 同じテーブル、ロジーがにっこりと笑顔を浮かべる傍、ソラもフォークを咥えながらこくこくと頷いていて。
 ケーキを飲み込むのが間に合っていないのを見るや、叢雲は「ゆっくりでいいですよ」と言葉を添えた。
「今日はお前が天使に見えるわ‥‥や、天使にしちゃ黒いけど」
 しみじみと、アスが感想を漏らせば今度は叢雲に苦笑が浮かぶ。ここで笑みの一つでも浮かべてみせれば、向こうからは角や羽でも幻視して見えるのかもしれない。
 悠季のところに続き、メアリーのところにも勇輝のチーズケーキが運び込まれる。
「メアリー隊長、これ俺が作ったんですけど‥‥食べて戴けますか?」
 紅茶とともに運び込まれ、勇輝が控え目に問えば、メアリーは頷きと共に一口分切り分け、口に運んで数拍子後、感想を漏らす。
「美味しい! 意外な才能があったんですね、勇輝さん」
 驚きの余り、さらっと失礼なことを漏らしているものの、嬉しげに笑む表情を見る限り、お気には召したらしい。
「ソラ。一口こーかん♪」
 椅子から体を乗り出し、テーブルを超えてハバキが要請を出せば、ソラは一瞬「えう?!」といった表情で硬直する。
 一口分のケーキをフォークに乗せ、にっこり笑顔で促されれば、釣られるようにソラの口がおずおずと開いた。
 ケーキが口に触れれば、唇が閉ざされる。ケーキを甘く噛みフォークから引き抜けば、味わう甘さに、ソラの表情がへにゃりと緩んだ。
 シンプルながら極上の甘みを詰め込んだ苺のショート、苺とクリームが口で溶ければ、程よい甘みが引き出される。
「ええと、じゃあお返しを‥‥」
 結構持ってきたのでどれにしよう、と迷い。これもおいしかったのでどうですか? と問えば、先ほど貰った勇輝のチーズケーキを一口分差し出す。
 差し出されたケーキをハバキはぱくっと口にし、もぐもぐと味わいながら「おいし♪」と笑んだ。

「連姉ちゃん。お菓子がいっぱいあるみたいだから一緒に食べよ!」
 全く未知なお茶会への招待状。服装は、作法はとかちこちになっていた連は棗の呼び声ではっと我に返る。
 周囲は既に楽しげな談笑を咲かせていて。気づいて貰えた事を確認し、ぺこりと一礼するルノアが二人をテーブルに案内していた。
 案内されるまま、棗と隣り合わせにちょこんと座れば、二人分のお茶が淹れられ、目の前にお菓子が運ばれてくる。
「ご、ゆっくり」
 辿々しく一礼してルノアが席を外す。数拍子挟み、ぎこちなさを残したままお茶に手を伸ばして口にすれば、周囲を包むのと同じ暖かさが、ゆっくりと感覚から伝わってきた。
 くしゃりと、クッキーをかじれば、お茶が帯びる苦みに甘さが混じる。
 暖かく、包むような甘さ。思わず言葉少なめになった連の瞼が降り、周囲の時間が凄く緩やかに落ちた気がした。
 これは大切な時間なのだと、連はまどろみながら幸せの暖かさを受ける。
 まだ手放していない意識の隅が、この時間を仮初にしないように守るべきだと囁く。
 判っている、数日もすればまた喧噪の時が続くこと。この時間は本物にしなければいけない。
 ‥‥でも、今日一日くらいは。
 兵舎にいる時、依頼に参加する時。それぞれ違う賑やかさを思い返し、偶には休憩も必要なのだと言葉が眠りに溶ける。
 その時間は健太郎さんと一緒に――それとも二人っきりが良かったかと内心自問すれば、思い人の言葉が耳元で囁かれた。
「連姉ちゃん、大好きだよ」
 瞬間、覚醒する意識。まどろみに傾いた自分の体を支える彼がいて、肩に回された手が自分を抱きしめている。
 瞳は閉ざし、まどろみの振りを続けたまま。内心の動悸が、ひそかに繰り返されていた。

 響は、時刻通りお茶会に到着する。
 玲とは二人でいこうと示し合わせたはずが、後から先に着いて待っているとの連絡が入り、到着してみれば、玲が笑顔を浮かべて自分を待っている。
 多少の疑問こそ抱きつつも、誘われるままに会場に向かい、先に確保してたらしき席に着けば、玲の手作りであろうチョコレートケーキが用意されていた。
 二人とも好きな甘いもの、玲が改めてスカートを摘み一礼すれば、不審が融けて響に笑顔が浮かぶ。返礼するように手を差し出し、どこからともなく薔薇を出現させて玲に捧げた。
 大規模、お互い無理をしないように。 薔薇を受け取った玲が響に寄り添うと、頬に唇をかすめて祈りのキスを捧げる。
「汝の魂に幸いあれ」
 恥ずかしさに少し頬を染め、でもにっこりと笑って見せる。効果抜群のおまじないだからと、言外で彼の無事を祈っていた。

「自分の手が届く範囲くらいは、護りたいですしね」
 雑談は、そんな叢雲の言葉から続いている。
 隊長としての意気込み――そんな大層なものではないのだと添え、「全員無事に生きて帰る」という答えから続けられた言葉だった。
 思えば、こういう機会は久しぶりかもしれない。またこうして皆で話をするためにも、大規模では力を尽くすと意志を込める。
「人の縁というのも不思議ですね。私達、普通なら出会う事すらなかったと思います」
 少し憂いを帯び、ソラがカップに添えた手に力を込めた。
 切なげに募る願い。吐息を零せば、お茶の湯気が乱れて心もとなく揺れる。
 苦しげな気持ちのやり場に困り、思い願うのは一つの事。
 極寒の地ロシア、そこで亡くなった人をソラは知っている。辛い顔も悲しい顔も、見ると苦しくなる。だから周りにはもう誰も死んでほしくない。
 ――俺の大好きな人たちが、みんなみんな、ちゃんと帰って来られますように。
 そして、俺も‥‥笑っていられますように。
 アスは、自らの腕を拘束する薔薇の蔦を見やる。
「‥‥病んでる、かねぇ」
 苦笑交じりに漏らす独り言。友人との時間は大切なもので、しかしアスには戦う意味が別にあった。
 必ず還ってくる、未だ開放されざる『彼』のために。
「戦いに赴く前に約束を交わす‥‥か」
 離れた場所、Cerberusは一人ごちていた。
 想いは時に枷となる、かつて恋人を殺めた事に後悔し、それに囚われた自分のように。
「‥‥だが、するかどうかは置いておいても心に何かを刻んでおくのも悪くはないな」
 しゃらんと、ペンダントが音を立てる。

 アスとハバキが交わす言葉は、ひどく何気なかった。
 少しくらいなら、臨むべき戦いに話をしようとも思っていただろうけど、結局交わすのはいつもの関係ない話で。笑いに満ちた時間を過ごせば、募るのは信頼ばかり。
 絆は、既にこれ以上の約束を必要としていなかった。
「‥‥で。さっきから落ち着かないでどうしたの?」
「あ、ああ‥‥そろそろ戻ってくる頃だと思ってな」
 少し手間取ってる様子なのは予想済みだとして、ハバキの問いにアスが苦笑を浮かべる。屋敷のほうに視線を傾けて返せば、ハバキも大体の内容は察したようだった。
 話をすればなんとやら、何か抱えた人影が屋敷から走りよってくる。
 その様子に微妙な嫌な予感を抱きつつ、二人揃ってテーブルを背にし、自分たちの間に障害物はなく、後少しかと思われれば――手前でクラウの体が傾ぐ。
 腕の中からクッキーが浮き、もつれた体からスカートが膨れ上がって、ふわりと髪が舞い上がれば体が重力に引き寄せられる。
「はわわ」
 余りのスローモーションに転ぶかと思われた時、差しのばした手でハバキがクラウの体を支えていた。
「お怪我はありませんか、レディ?」
 軽く笑い、ちゃんと立たせてから傾いだヘッドドレスもハバキが直してくれる。傍ではアスがクッキーを残らずキャッチし、頭を抱えていた。
 危機一髪にきょとんと反応が遅れ、二人に助けられた事が判ると笑って礼を告げる。
 クッキーを受け取り、砕けてないのを確認すると、セーフでした、とはにかんで。それぞれハバキとアス、なつきに一袋ずつ渡していた。
「沢山作ったので、お兄ちゃん達にもプレゼントですっ」
 改めて受け取れば、ハバキは贈り物を大事そうに抱え、アスは嬉しさがこらえきれず、笑ってクラウの頭を撫で礼を告げる。
 未だ嬉しさの余韻が残るのか、撫でられて笑う彼女に感慨を抱きつつ、アスは瞳を細めて笑みを返した。

「あ‥‥れ?」
 クラウが給仕に戻れば、気づけば見知らぬ女性がもう一人いる、スカートを摘んで一礼するも、伏し目がちの視線は首を傾げてる自分に気づいたのか、唇を薄く開いた。
「‥‥マリウス、私だ」
「オ、オロールさん‥‥ですか?」
 声を聞けば間違いようもなく、反射的に零れた声に、クラウディア中尉は頷きを返す。
 姿は裾に沿ってレースを二段重ねにした白のカーディガン、膝元までのドレスは薄い水色で。サイドアップにされた豪奢な金髪が、辛うじてひんやりとした面影を残している。
 毛先を留めたクローバーのヘアピンだけがいつもと変わらぬまま、普段の――悪く言えば野暮ったい軍装とは似通う所もなく、反応の追いつかないクラウが言葉を失えば、中尉の表情に苦笑が滲んだ。
 普段はエスコートする側だから、と。自らのイメージとは合わぬ事を、重ねる言葉で認める。
 中央あたりの席に、待っていたクレハと共に着き、お茶を淹れてもらえれば、宗太郎がよろよろとやってきた。
 相席してもいいかと宗太郎が問い、頷きを返せば、どうも燃えつきた様子で席につく。
「お宅の曹長‥‥手強すぎますよ‥‥」
 一言漏らせば、中尉も概ねの様子は察したようだった。
 ――あれから数度攻防を重ねたが、宗太郎の目的が達される事は一度たりとてなかった。
 リエルがケーキを作ってくれる事はおろか、呼び名すら言い切れたことはなくて。
 ノーラにアドバイスを求めれば、「落とすってなぁに?」とあえなく玉砕し、依頼の時より真剣なのに、激しく報われていない。
 信条を曲げないとか、思いを貫く以前に宗太郎の精神が挫けそうだった。
 とはいえ、浮かぶ表情はどちらかというと楽しさの色が濃くて。
「そうそう。グラナダの時はありがとうございました」
 宗太郎はそう話を切り替えてきた。あの時の迷いがなくなった訳ではないのだけど、今は前に進めている。
 奴は必ず倒す、思いは必ず貫くのだという決心。中尉は一声返事を返し、礼を受け取った事を示した。
「‥‥助けが必要になったら、いつでも言ってくださいね。恩は返しますから」
 言葉をかけられれば、中尉は首を傾げる。言葉を測るように沈黙を挟めば、少し苦笑が滲んだ。
「そうだな。必要となったら」
 煮え切らない答えは、後方に徹していた身であるからこそ。
 クラウやレグ、真琴たちから振る舞って貰ったお菓子に礼を言い、クレハがお返しにいくのだと、菓子を持って立ち上がるのに頷いていた。

 隅の席、休憩を取るルノアが日向ぼっこをしている近く。
 由梨は一人席に座り、運ばれてきたお茶とお菓子を嗜んでいた。
 今日は、なんとなく安らぎを得たい気分だったのかもしれない。この後に楽しみを思う余裕がない事は明らかで、苛烈に繰り広げる闘争は息継ぎすら圧迫する。
 立ちふさがるだろう強大な敵の事が思考に浮かべば、茶会の後に待ち受けてるアグリッパの破壊任務を思い出し、癒しに倦怠した思考が今は止めようと静かに閉ざした。
 戦場で摩耗した心には、休憩が必要だ。口にする温かさ、繊細な砂糖菓子が舌に溶ければ喉に流れ込み、感じる甘さに思わず目を細める。
 言葉はなく、払拭されない僅かな不安を思いに押し込めて。絶対に生き残る、思いは硬く胸に抱えられていた。

 給仕のために、ノーラが会場を横切れば、ロジーが彼女を手招いて引き留める。
 振り向けば、引き寄せられた手にお菓子を握らされ、にっこりと笑んだロジーが言葉を添える。
「お似合いですわv」
 お互いが浮かべる笑みは更に増し、すれ違うように二人は別れ、ノーラは別のテーブルに。
「はわ。またメイドさんなのですね?」
 訪れたノーラに、ソラはそう言ってにっこりと笑んだ。
 ――また一緒にケーキ食べれたらなって思ってたのですけど‥‥。
 そこで言いよどむと首をかしげる、じっと視線を上げて合わせ、大丈夫かと不安を孕んで問えば、少しだけでもいいのだと添えた。
 少し考え込み、微笑と共に頷きを得れば、いそいそと椅子を引いて着席を促す。
 お菓子の補充に来たのか、クラウがお皿を抱えて現れれば、クラウさんもどうかとソラから誘いが出された。
 仕事中であることに少し迷い、周囲を見渡せば、待機中のルノアとリエルは察したのかそれぞれ頷きを返す。
 スカートを摘み、小さく一礼してご一緒することに決定。
 共に過ごす時間に、三人からそれぞれの笑みが綻んだ。