タイトル:【音・絃】雨天の晩秋マスター:音無奏

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 29 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/03/11 00:17

●オープニング本文


 募る雨は激しく、屋根に、道路に打ち付けられて音をはじき出す。
 水たまりを車が通過し、波に似たざわめきをかき鳴らす。

 グラナダ攻略作戦も終盤に近づいていた、全ての作戦を終えるのはそう遠くない出来事であり、各地に撤収する人間も出始めている。
 それは報告をしにラストホープに戻る士官であったり、或いは重傷を負ってやむなく待機する傭兵だったりした。
 人員、物資の行き来が激しい各空港はオーバーワークを引き起こし、一部急ぎではない人員の移動はフランスを経由して行われている。

 そんな中、とあるフランスの空港は局地的大雨に見舞われていた。
 11月27日――日付上ではまだ秋と呼ぶべき季節で、しかし空気は冬が近い事を示して冷たい。
 雫が肌を濡らし、強いくらいの風が煽れば寒さが身体を凍えさせる。
 出入り口に目を向ければ、今しがた到着したのだろう、雨しぶきの中駆け込んでくるジャケット姿の人々。
 外の発着所に人足は既になく、動く気配のない車だけが駐留していた。

「困りましたね‥‥」
 雨、大雨である。
 旅客機など当然飛んでいるはずもなく、地上の交通が途絶えるのも時間の問題だろう。
 強いて今すぐラストホープに戻る必要がある訳でもないが、一日空港で缶詰めになることを歓迎出来るはずもない。
 ――朝の六時、リエル・イヴェール曹長は唇からやや重い息を吐き出した。
(「えーと‥‥帰ったら確かケーキを作るんでしたね、大量に届いたりんごは煮詰めて‥‥」)
 とはいえ、今日は帰れないのだから見送るほかない。屋敷に残してきた困った女性の事を思い出してこめかみを痛めつつ、膝のノートでスペイン戦線の報告書を纏める。
 ディスプレイの隅でメールの着信が通知され、それを呼び出して目を通すと『承諾』と書き込み総務課に送り返す。
(「連絡‥‥入れるべきですよね」)
 ティータイムが一日お預けとなるとブーイングは必至だろう、ノートを畳んで席を立ち、とりあえず後でもいいかと――‥‥

「あたしのケーキ君、約束どおり迎えに着たわよ!」

 ――とりあえず、自分は屋敷で待ってろと言った筈だった。
 振り向けばガーネットの服生地がまず目を引く。精々二週間隔てたくらいで見間違える筈もなく、その姿は確かに自分が戦場に赴く前に確認したそれで。
 礼儀作法はどこかに置き忘れてきたのか、スカートの裾をつまんでぱたぱたと走りより、歩きにくいのか時々躓いている。
 結局、リエルのところにたどり着く前に彼女はぺたんと座り込み、よほど探したのか見上げる顔は半泣き状態で。
「ノーラさん」
 そんな彼女にリエルは膝をついて目線をあわせ、にっこりと極上の笑みを浮かべ、
「作業着でうろつくのは屋敷の周辺だけにしなさい」
 でこぴん。

 ――立てますか、レディ。そんな歯の浮くようなやり取りが二人の間で交わされたのは置いといて。
「‥‥で、なんで喫茶店?」
「UPC絡みの店の一つです。営業とか資金源とか大切ですし」
 連絡によると、この大雨で従業員が出勤出来なくなったらしい。
 要は『どうにかしろ』――雨とはいえ、空港に人がいないかといわれるとその筈もなく、むしろ暇を持て余した人々が安らぐ場所を求めている。
「意外と広い店ですね、下とはちょっと変わった上階もありますよ」
 シンプルな一階に比べ、上の方は落ち着いたラウンジになっていた。カウンター風の席からソファまで、様々な座席のタイプが不思議に調和し、寛ぐ空間を作っている。
 一階のカウンターは外から見る左の隅側を占拠し、横に長い店構えは奥が窓に面していた。
 ここから見えるのは滑走路の風景で、振り続ける雨が白い靄のように景色を覆う。夜になればまた別なのだろうが、殺風景なそれは今見続けて面白いものでもなく、それに興味を示さないリエルはキッチンの方へと向かっていく。
「予備の従業員服は十分ですね、後はメニューと人手ですか‥‥」
 今からどうこうするのも無理があるので、ある程度のレシピの改変は許されている。
 『本日の特別メニュー』と書かれた黒板には白紙を貼り付け、これから決める事を示した。もう一枚『一日アルバイト募集』の紙を貼り付け、条件にラストホープ在住の人間限定である事を示す。
「身分確認か」
「‥‥クラウディア様」
 ロビーから来たのだろう、クレハを伴い、軍服もそのままにクラウディア中尉が姿を現した。
 少ない言葉からここにいる事の説明を問えば、淡々とした答えが返される。
「帰着ポイントがこの近くだったんだ。昨日の夜に着いて、今日の飛行機で戻る予定だったんだが‥‥」
 外を見渡し、首をすくめて。
「どうやら出来そうにない」
 クレハは――クラウディアの出迎えなのだろう、経緯はリエルたちと大差ないはずだ。
「本なりトランプなり買って、どこかで時間を潰すつもりだったのです」
 で、先に喫茶店の方に立ち寄ったらしい。買い物はこの後なのだろう。
 開店の準備をしているリエルたちを見れば、「楽しみにしていますわ」とクレハは微笑み、誰が来るか気になるからもう少しいますねと付け足す。
 愛用の白コートをロッカーに預け、黒エプロンのウェイター服に着替えたリエルはキッチンでもろもろの用意に取り掛かっていた。
「えーと‥‥」
「‥‥。手伝ってくれたらケーキの味見くらいはさせてあげますよ」
 慣れた手つきで材料を揃えながら伝えれば、ノーラが慌てて着替えに向かう物音が響く。
 十分ほどして。黒のベスト、白いブラウスのウェイター服に着替えてきたノーラが姿を現した。その姿を確認すると、リエルは僅かな沈黙を挟みながら手にした透明な手袋を外し、カウンターの外へと出てくる。
「クラウディア様、ヘアメイクキットをお貸し頂けますか」
「うむ」
 片脇に置いたバックの中からポーチが渡される、何故持っているかというと少し前に朝澄少尉の髪をいじってきたらしい。
 貸してもらったキットを手に、ついてきたノーラの方を向くと、
「席に座りなさい」
「はい」
 大人しく座るノーラの後ろに回り、櫛を髪にかける。つややかな感触を一通り整え、今度は上へと梳かしあげた。
 金色の髪を左手に纏め、整えたそれを下の方から纏めあげる。くるくると上まで纏めればそれを頭に固定し、真鍮のコームを差し込んだ。
 しっかりと髪を固定し、余った髪は逆毛を立たせてうなじへと流す。
 白いガラス細工のUピンを仕上げにさしこみ、僅か一分でスタイルを整えた。
「これでいいですよ」
 余り触らないようにと言いつけてまたキッチンの方に引っ込んでいく。
 自分は何をすればいいのかとノーラがまた一度追いかければ、「レジでも打っててください」と実に杜撰な答え。
「レジうちの経験はないんだけどっ‥‥」
「俺もないです」

 ともあれ、雨の一日が‥‥始まれる、のだろうか。

●参加者一覧

/ 石動 小夜子(ga0121) / 柚井 ソラ(ga0187) / 榊 兵衛(ga0388) / クラリッサ・メディスン(ga0853) / ロジー・ビィ(ga1031) / 新条 拓那(ga1294) / 如月・由梨(ga1805) / 叢雲(ga2494) / アッシュ・リーゲン(ga3804) / 宗太郎=シルエイト(ga4261) / UNKNOWN(ga4276) / アルヴァイム(ga5051) / 緋沼 京夜(ga6138) / アンドレアス・ラーセン(ga6523) / クラウディア・マリウス(ga6559) / 不知火真琴(ga7201) / Cerberus(ga8178) / 百地・悠季(ga8270) / ジュリエット・リーゲン(ga8384) / 結城加依理(ga9556) / 火絵 楓(gb0095) / 遠倉 雨音(gb0338) / 美崎 瑠璃(gb0339) / 姫咲 翼(gb2014) / 志烏 都色(gb2027) / レオン・マクタビッシュ(gb3673) / 風雪 時雨(gb3678) / 鈴木 一成(gb3878) / 水無月 春奈(gb4000

●リプレイ本文

 耳を澄ませば、雨は思う以上に近い。
 ガラスを一枚隔てた向こうで音が降り注ぎ、傾けた聴覚を冷たくくすぐった。

 ランプのアンティークホワイトが照らす店内。アルバイト募集中の張り紙に惹かれたのか、場所柄顔見知りの傭兵たちが多いのか――。
 準備中の看板から顔を出し、店内を窺う人は少なくない。
 到着時点から士官たちと同行し、店内へと踏み込んでいる傭兵たちもいた。
 瑠璃はリエルと同じ戦線帰り。その途中同じくグラナダに参加していた友人の雨音とも合流し、今はアルバイト募集の張り紙を前に瑠璃がはしゃぎ、雨音はそれを冷静に聞き流している。
 外の、バケツをひっくり返したとでも言うべき雨では帰れそうにない。エネルギーだけなら有り余っているし、暇も十二分にある。何よりこういうお店で一度バイトとかしてみたかったのだと。一緒にバイトしないかと瑠璃が雨音に誘いを差し出せば、「今はそんな気分じゃないんです」と彼女はすげなく断った。
「雨ちゃんのいけずー」
 引き留めたさげな瑠璃の傍をさっさと通り過ぎ、雨音はリエルの許可を得て窓際の席へと着席する。
 ――自分は雨が嫌いではない。
 『雨音』という名前のせいかもしれない。雨に嘆いてる人間は何人かいるようだが、自分は昔から雨に濡れる景色を眺めているのが好きだった。
 こんな所で足止めを食らうのは予想外だったが、自然に勝てない以上は仕方がない。
 ‥‥確かに、これだけ降ると情緒の欠片もありませんが。
 そう、思わず浮かぶ苦笑も漏らして。
 任務の合間の暇潰し用に、本を持ってきた事を幸いだと感じながら。今日中に一気に読んでしまおうと、持参したジャンルもばらばらな本から一冊を手に取り、読み始めた。
 集中すれば、聴覚には雨音だけが残る。ずらした視界には深い灰色に煙る空港の姿があった。
 ‥‥これも雨の一つの顔だと思えば、風情も感じるものだろう。

 前回の任務で負った傷が軋み、悶絶する京夜の横でクラウディア中尉は「大丈夫か?」と苦笑を向ける。
「喫茶店のバイトね。いっちょ腕を振るいますかっ♪」
 こういう話を聞いては黙っていられない――そう意気込み、拳を打ち付けて気合いを入れた行動が京夜を災いしていた。
「うぐぐっ、今回は大人しく仕事をしようかな。ぶっ倒れても馬鹿だし‥‥」
 中尉は苦笑を続けつつ覗き込み、なんとか平気なのを見てそうしろと頷きが返る。
 大人しく客をするという選択はないようで――その辺は何らかの性分でもあるのだろう。
「あ、シャムシエルさん!」
 数多い周囲同様、グラナダ帰りに足止めされたソラは、店内に見知った顔を見つけてほわりと微笑んだ。
「ソラくん、また会ったわね!」
 カウンターでケーキを並べていたノーラはソラの声に振り向き、声を返すと同時ににっこりと微笑む。
 ウェイター服に着替えた彼女は、どちらかというと仕事中のスーツ姿に近い。それよりはほんのり格好良くて、白と黒のコントラストが凛々しい。
 大丈夫なのかなと少し周囲を確認し、店長も店員も見とがめないのを確認すれば、ノーラの傍に駆け寄り、背伸びをしてこっそり耳打ちした。
「メイド服も素敵でしたが、その服装もお似合いですね」
 背伸びを戻し、ノーラが顔を見合わせて微笑むのと同時ににっこり。顔を綻ばせながらリエルの方も見て、
「それから‥‥お友達お元気でよかったですね」
 そうノーラにもう一度微笑む。
「ソラ君、ノーラさん!」
 声につられて二人が振り向けば、クラウディア・マリウスが上気に顔を赤くし、僅かに息を切らせながら、店の外に姿を現している。
 駆け寄ろうとして足を止める、準備前の店に踏み込んでいいのかどうか、ソラ同様少し迷ってから。見知った顔が多いのを見て店内へと駆け寄っていた。
「マリウスさん! こんにちは、マリウスさんも帰りですか?」
「ううん、私は友達を迎えに‥‥」
 ちょっと迷っちゃって、と。俯き気味にはにかみ、少し恥ずかしげに笑った。
 迷子というか――空港が間違ってるぞ、と。彼女に指摘する者は誰もいない。
(「あの方なら、確か迎えがくると言って別の空港に‥‥」)
 話が聞こえていたのか、その『友人』に心当たりのあるリエルは思わず黙り込む。
 合っているという保証もなく、後で確認でも取ってみようと思いつつ、今は口を噤む事にした。
 ふらりと、長い金髪をなびかせて店内を覗く人間がまた一人。
 空港の中、一カ所だけ見知った顔が多く、何より感じた妙な気配。きっとこの先では何かやるべき事があるのだと、そんな世話焼きの予感につれられて覗いてみれば。
「‥‥やっぱり、な」
 聞き覚えのある声に驚き、気配の元凶――クラウが驚いた顔とともに振り返っていた。
「わわ、奇遇ですね。アスさんも迷子ですか?」
「お前と一緒にすんな」

 店には何人かの傭兵が続けて立ち寄り、バイトに志願する。
 叢雲は制服に着替え、キッチンに顔を出していた。雨に濡れた服を乾かし、制服を暫し借りるついでに――と。
 フロア志望は十分人がいるし、料理は九年ほどやっている。以前ドイツに行った時にケーキの手ほどきも少しは受けていた。
 足手まといにはならないだろうと、軽食系のメニューをメインに、オーダーが来るまま多少のアレンジを加えて提供する。本来よりはワンランク上の味付けに――美味しければ文句は出ないだろうと、ほんの少しあったかもしれない悪戯も込めて。
 自分たちが去った後の厨房を気にかけつつ、休憩時間を縫ってレシピを書き記していく。
 感心したのか、同じく厨房にいた瑠璃が覗きこみ、それを更にひっそりとメモしていた。
 僅かな怪訝を含め、二人を目に留めるリエルと瑠璃の目が合う。
「‥‥あ、その目は『こいつ料理なんてできるのか?』とか思ってる目! けど心配ご無用! 騒々しいけど実はデキる女ですよ、あたしっ!」
 グラナダ戦線と同じく、厨房でもリエル曹長の指揮下で働くのだと。
 瑠璃の自己主張にリエルはくすっと苦笑を返し、否定は与えずに頷いた。

「有難う、鈴木さん。助かったわ」
 開店前、一成のフォローを得て、ノーラはなんとかレジ打ちに慣れつつある。
 事前、レジに小銭が十分に入っているかなどのチェックを彼がしてくれたおかげで、作業がスムーズに運んだのも助けになったのだろう。
 任せても平気かどうかをノーラに確認し、肯定の返事を得ればバックヤードへと引っ込んでいく。
 返却所に食器が溜まってるのを見れば、厨房に卸してもいいかと問い、お願いしますと他の傭兵たちからの声が返った。
「有難うございます。細かい気配りが行き届いてますね」
「え、あ‥‥なにかもうスミマセン!?」
 料理を運ぶリエルから声をかけられ、彼が驚きにまごまごすると、リエルの表情が少し仕方なさの苦笑いを帯びる。
 細かく入れた報告ゆえに、状況が全て把握されていたのは幸いだったのだろう。謝らなくていいですよ、と。それ以上は突っ込まれずに、引き続きお願いしますと言葉が残された。

「メイドの次はウェイトレスか。次は何をするつもりだ?」
 レジが空き、テーブルの掃除へと向かうノーラに聞き覚えのある声がかけられる。怪訝そうに声の方向へと振り向けば、Cerberusが客として席に訪れていた。
「知り合いが多いな‥‥エスプレッソを1つ」
 周囲を見渡し、呼び止めたついでにノーラへと注文が向けられる。レジの打ち方は教わったけど、注文を取るにはどうすればいいのか――。
 とっさに反応できないノーラに気づき、翼がハンディターミナルを手に駆け寄ると、仕事を引き継いでフォローする。
「あ、ありがと」
 背中から小声でかけられる声に翼はこっそり頷き、注文を取り終わってから振り向いて「気にするな」と小さく返した。
 ノーラは厨房へと引っ込み、程なくしてCerberusのもとにコーヒーが運ばれてくる。
 口にすれば、暖かい感触が雨に冷えた体に染み渡った。
 昔の自分は、この雨のように湿っぽかったなと思い返す。今は‥‥出会いが変えてくれたのだろう。

「ま〜ったく、ツいてないなぁ。ようやく一仕事終えたって言うのにこんな雨! やってる喫茶店があったのがせめてもの救いだね」
 店員から返ったタオルで髪を拭きながら、拓那は相方の小夜子とともに奥へと案内されていた。
 二人とも、グラナダの同じ依頼帰りに降られた雨宿り。
 偶々来た所で記録的な大雨に降られるだなんて、奇遇だと小夜子は思い――。
 二人で喫茶店、もしかしてこれはデートという物に近い状況ではないかと、思考がよぎってどぎまぎする。
「ん、小夜ちゃん、風邪引かないように‥‥。やっぱり雨は苦手だなぁ。いっそ雪になればな。払い落とすだけですむし、綺麗だし‥‥っくしょ!」
 拓那がまだ水気の残る姿で微笑みかければ、小夜子は慌ててこくこくと頷く。
 ――もうお付き合いを始めて半年過ぎましたけれど、改めて意識すると、何だか‥‥。
 慣れておくのも必要ですよね、内心そんな結論を下し、これはデートなんだと思って行動することに決めた。
 思考がまとまらず、自分が緊張していることを自覚しながら、この時期の雨は冷たいだろうと手を伸ばし、拓那の手を包み込む。
 振り返り、どうかしたのかと自分に笑みかける彼を直視出来ず、顔を俯かせると、反応だけを窺うように視線を上げた。
「そ、その‥‥寒いかな、と思いまして‥‥」
 暫く首をかしげていた拓那はそれを聞いて笑い、礼を言うと、手を重ねるまま小夜子の手を引き、彼女を二階のソファーへと導いていく。
 ソファー席を見つけ、触れあった手を名残惜しげに離せば、二人で向かい合って腰を下ろした。
「ご注文は何ですか?」
 一階からメニューを運び、二人に差し出したソラが頃合いを見計らって注文を問う。
「俺はローズティー」
「私は紅茶と‥‥お勧めはありますか?」
 拓那の注文に頷き、小夜子の問いにはメニューを借り受けると、ソラはじっと考え込む。
 紅茶に合わせて甘いものはどうかと見繕い、店員が多い‥‥それどころか、見知った顔が店員である事を問われれば、皆今日一日限りのバイトであることを答えた。
 降りていったソラは程なくして飲み物を持参して戻り、テーブルにカップを並べてお茶を淹れると、笑顔で一礼して降りていく。

「‥‥で、そっちも全員バイトか」
 頬に指を添え、客を決め込んだ中尉に向けて、クラウは「はい!」と笑って見せた。
「えへへ、なんかちょっと新鮮な感じですっ」
 似合いますか? と。身を翻し、クラウがウェイター服を披露すれば中尉から頷きが返る。ぶつからないように前へ寄る事を促されれば、はわ、と慌てながら立ち退き、思わずしゃきっとした背中を気にしていた。
「日頃の成果を発揮してがんばりますねっ」
 これでも某飲食店の看板娘だったのだと――最近サボり気味ですけど、と笑い。クレハからオレンジティーのオーダーを受け付けると、ぺこりとして厨房へと引き返していく。
 途中、二階から降りてきたソラと鉢合わせ、お互いの姿を見てへにゃりと笑い合う。
「ま、久々にやるかね」
 制服に着替えたアスもフロアへと出向き、クラウたちと鉢合わせた。
 髪は襟足でまとめられ、ウェイター服は長身に乱れなく着こなされている。
「ほわっ、素敵です、似合いますね!」
 感嘆混じりにクラウが褒め称え、「馬子にも衣装ですねっ」と続ければ。アスの口元が引きつり、困惑混じりの、仕方なさそうな笑みを作った。
「馬鹿にしてんのか褒めようとして失敗してんのか、判断に困りすぎだぞ」
 返されたクラウは「あれ?」と首をかしげる。
 注文受けてるんじゃなかったのか? とアスが問えば、クラウも思い出したのか、はわ、と慌てて厨房へと引っ込んでいく。
「はい、11番テーブルのお客様へオレンジティーです、それと‥‥」
 クラウは少し凝ったらしい紅茶類を叢雲から受け取り、随行してきたアスも他の人から運ぶ大量の甘味を受け取れば、二人してトレイに乗せてフロアへと引き返していった。
 それぞれのテーブルを回り、クラウはクレハたちの方にも移動しようとして、足を躓かせると、クラウの体が危ういバランスで傾く。
「はわわっ」
 数秒でも姿勢を保った分、状況を認識した周囲が凍り付いた。
 踏みとどまれず、指先からバランスが崩れれば手先の重さが消失する。零れる、と思った瞬間。伸びてきたアスの手がグラスを掴み、もう片手でトレイを回収すると、何も落とす事なく指先でクラウの襟首をひっつかんでいた。
 ぶらーんと、子猫のように掴まれたクラウはこけてないし、飲み物も零すことのなく無事。
「このドジっ娘が。金貰う以上、プロだろうが」
「うにゃぁ。ありがとうですけど‥‥普通に助けてくださいよっ」
 以前も似たような事があったかもしれない。自分を仰向けに見上げるクラウを見ながらそんな事を思い出して、思わずゆるみそうになる口元をこらえる。
「‥‥失礼、お騒がせ致しました」
 周囲が硬直を続ける中、何事もなかったかのようにトレイに飲み物を置き直し、コースターを添えて静々とクレハの前に差し出した。
 ようやく安堵の息が零れる中、クラウを立たせ、服の乱れを直した後で再び接客に行かせる。
 アスはバックへと引き返し、通りすがった厨房を覗いていた。誰かの姿を探し――視線が留まれば、叢雲とアスの目が合う。どうかしましたか? と問われれば言葉に詰まり、
「‥‥なんでもねぇ!」
 浮かんだかもしれない心配にそっぽを向き、水差しを手に引っ込んでいった。
 叢雲本人が気にしているかどうかは知らないが、制服の下、実はひそかに負っている重い怪我。
 でもやっぱり気にかかるのか、戻って顔だけ覗かせ、
「あー‥‥ちょっとは休憩もしろよ」
 と、叢雲に向けて告げる。
 客として訪れていた真琴は、窓側の席から厨房の方向を窺い、幼なじみを案じて小さく息をついた。
 ‥‥ついこの間酷い怪我を負ったばかりなのに、働いてて大丈夫なのかな。
 真琴の心配は払拭されない。叢雲はどこでも働いてばかりで、――らしいと言えばらしいけど。
 怪我してる時ぐらい大人しくしてれば良いのに、とは思う反面、心配した所で、どうせあの子が笑うだけなのもまた重々承知していた。
 読みかけの本はいつの間にかページを止め、指先では所在なさげにフォークが揺れている。思考はぐるぐると回り、口にしたミルクティーの熱さがほんのり沁みた。
 視線をずらし、雨に濡れた景色を目にふと思う。
 ‥‥昔から解ってはいた事だけど、誰かを好きになる気持ちが解らないのは、やっぱりおかしい事なんだよなぁ、と。
 最近しみじみ思っていたことが、手持ち無沙汰に思い返されていた。
 友人の事は勿論好きだし、こんな自分を好きだと言ってくれる人も好き。でも、それと恋愛としての好きとの違いはよく解らない。
 絶対に理解出来なければいけないものと言う気もしないのだけど、理解出来なければ人を傷つける事もあって。
 気持ちが少し沈み、また飲み物を口にする。
 ――ならやっぱり理解できなければいけないのかな、と。答えの出ない思考が、自問自答を繰り返していた。
 ‥‥心配といえば、宗太郎さんもそうで。
 彼は中尉たちの許可を得て、先ほど挨拶した二人と同席している。
 入ってきた時、なんだか元気がなさそうな事には気がついていたが、そこまで会話のしたことのない自分が、立ち入った事を聞くわけにもいかない。
 ‥‥せめて、この雨があがるまでには元気になられたら良いのですけれど、と。視界の先に、こっそり祈りを込めた。

「奇遇‥‥というわけでもないでしょうか。この雨ですし」
 中尉たちの席に訪れ、入店したばかりの宗太郎はそう微笑みかけた。同席の問いに二人は頷き、空いてる席を示して着席を促す。
 ウェイターを捕まえて適当に紅茶とケーキを頼み、笑顔で接客するクラウにまた笑みを浮かべて。
 重体の素振りを見せず、話は途切れさせずに。二人が相づちを打つ中、ふとよぎった思考が言葉を止めた。
 一瞬の隙に記憶が溢れ出す。肉の弾ける嫌な音と、立ちこめる血の臭い、状況が認識できず、ただ視界として記憶に残った深紅。
 催しかけた吐き気をぐっと飲み込み、宗太郎は絞り出すように言葉を向けた。
「‥‥もしもの話。許せない相手を追おうとして‥‥でもそれは、仲間に迷惑がかかるかもしれない行為で。オロールさんならそういう時‥‥どう、しますか?」
 仲間が守りたいと願った女性、自分たちの目の前で死なせてしまった女性。
 ‥‥その、彼女を殺した元凶を。
 仲間に我儘を言って、奴がいるかもしれないと要塞突入戦線に向かって貰った。でも奴の姿は要塞内にも、他の戦域内にも見あたらなくて。
 このまま追い続ければ、仲間には更に迷惑がかかってしまう。個人的な理由で、仲間を付き合わせる訳にはいかないのだと理性が冷静に告げる。
 ‥‥でも、体は奴を追おうとして。
 進む道が揺らいで見えた。向けられた問いに中尉は黙り込む、組んだ両手の指先は口元に当てられ、この問答に逃げ道なんてない事は双方とも理解しているのだろう。
「――私は、迷惑のかからない形で。確実な機会に締め上げにいく」
 軍人は総じて合理主義だ、と。彼女は続けて述べた。
 ルールでは激情を縛り付ける事は出来ない、故に強く望むなら、それを果たしにいくのだと。
 ‥‥後は、自分との折り合いだけ。
 迷惑がかかる事を望まないなら一人で行動する。共に行く事を望まれ、それを受け入れたのなら。可能性に対しての覚悟を抱え、望みを果たしに行く。
 付き合わせるなら、せめて作戦と目標は確認した上で。
 一度でなし得なくても諦めない、後悔だけはしないように、逃げる事にも結果はついて回るのだと付け足し。
「‥‥結果を承知で選んで、後悔するのはかっこわるいからな」
 零す苦笑は、張り詰めた言葉を溶かすために注がれた。

 雨のせいか、物思いに思考を引き寄せられる人は店員にも少なからずいる。
 ――翼は雨が嫌いだ。姉を失った『あの日』を思い出すから。
 濡れた窓を目に、集中していた筈の意識が引っ張られ、眉尻が下がると少し寂しげな表情を作る。
「疲れてないか? 無理すんなよー」
 ぼーっとしてしまっていたのか、アスから声をかけられれば、はっと我に返り、大丈夫だと言葉を返した。
「ん、ああスマナイ。ちょっと‥‥いろいろ思い出してな」
 心配げに自分の方を窺うアスに頷きを返し、もう一度平気である事を示す。
 厨房へ引っ込めば、甘い香りが少し嗅覚をくすぐり、同じ生徒会仲間である春奈が焼きたての菓子類を差し出してきていた。
「アップルパイ、あがりました」
 運ぶためにそれを受け取り、厨房から出てふと休憩スペースのほうを窺ってみる。クッキーが一皿テーブルの上に置かれ、春奈の字で「ご自由にどうぞ」と張り紙がつけられていた。
 後で食べてみるのもいいかもしれない、そんな事を思うと意識が訴えるまま、今は仕事に集中しようとフロアへ向かう。
 オーダーのままテーブルにアップルパイを運び、残ったお皿を下げていった。
 引き返す際、あのテーブルにオーダーを運ぶのは何皿目だったかとふと思い返す。
 ‥‥きっと、それは数えない方がいい。
 由梨もまた雨に足止めされ、喫茶店に立ち寄った一人だった。
 この時間も、落ち着くにはいいかもしれないのだと。最近はグラナダを立て続けにあちこち飛んで、身体の疲れも募っていた所だ。
 グラナダ戦線の中でも、気にかけていたあの人の安否は無事のようだったし――。
 ‥‥ステアーに撃墜されたと聞いて、かなり心配だったのですけど。
 手に抱え、人肌程度には暖められた指輪に視線を落とし、思わず口元が笑みを作った。
 触れる指先の力が、大事にする優しさを失わないまま、手放したくないのだとほんの少し強まる。
 グラナダへと赴く前、あの人に貰った婚約指輪。今回もあの人のお見舞い帰りで――。
 冷静な思考などとうに吹き飛び、触れあった幸せな気分は、まだ余韻として残る。
 気がつけば当初の紅茶に加え、ケーキを大量に追加注文している始末だが、ダイヤモンドの指輪のぬくもりはそんな事を大して気にさせる事もない。
 そんな訳で、オーダーが大量にあるのだが――厨房は仕事があることを一応喜ぶべきなのだろう。
 厨房も割合人数は充実している。皿洗いやゴミ出しなどはアスが時折手伝いつつ、一成と加依理、時雨が順番で回している。
 少し料理が出来る時雨は、片付けの手が空いてる時は軽食の手伝いなどもしつつ。
「ジュリエット、仕事するぞ、仕事!」
 何がやけになっているのか、アッシュは厨房でデザートを量産していた。
 妹のジュリエットはそれをたしなめつつも、一応は兄に付き合っている。病み上がりの身だったんだから、無理してでなくても良かったんじゃないかと問い、しかし聞く耳持たない兄に苦笑を零しながら。
「グラナダ戦線、怪我して休んでたら、寝過ごして参戦し損ねたそうですよ」
 帰ってきた翼が怪訝な顔をしているのに気づいたのか、リエルが聞き出した事を苦笑気味に答える。
 とはいえ、大量なデザートのオーダーがある以上、一応は料理を回す助けになっていた。
 いっそ賑やかとも言えるかもしれない、厨房の様子に一人安堵を覚えながら、加依理はこういうのもありかなと静かに苦笑する。
 作り置きをしておいたから、少し抜けてもいいかと京夜に問われれば、リエルはそれに頷き、時刻を切って休みを出した。

 甘味を持参し、戻ってきた京夜には「お疲れ様」と中尉たちから声がかけられる。
 トレイを手に、作り置きして来たのと同じメニューのデザートをテーブルいっぱいに並べれば、小さく感嘆混じりの声が二人から漏らされた。
「奢りだ。身体が身体なんで味の保証はしかねるけど‥‥」
 クレーム・シャンティーをたっぷり添えたタルトタタン、スリーズ・ノワールを入れて焼いたガトー・バスク。サブレ・フロランタンは深い飴色にこんがりと焼かれ、美味しそうな艶をライトの下に湛えていた。
 味については平気だろう、と中尉は笑う。頂きます、と二人して述べた後にそれぞれ菓子を口にすれば、言葉は味わいに暫し途切れた。
 ガトー・バスクを手にした中尉は、正統派でこれを作ってきたことに対して内心驚き、頼んだ紅茶と共に口にする。いい味だと漏れる言葉は、沈黙を挟んだ後に述べられ、続ける二口目が言葉を裏付けた。
 クレハはタルトタタンが気に入ったのか、切り分けたそれを添えられたクリームとともに味わい、広がるりんごの甘味が口元を綻びさせる、美味しいですと惜しみのない賛辞を続けて向け、後一つ、二人がまだ手につけてない菓子を気にすると、京夜が礼ののちに口を挟んだ。
「あー、クレハ。フロランタンは食べ過ぎないように。ある意味、傭兵向きの菓子だから」
 何故なのかとクレハが首をかしげれば、京夜が言葉を続ける。
「材料はバター、砂糖、小麦粉、卵に蜂蜜や生クリーム。それ一個でご飯1杯分のエネルギーが入ってるんだよ」
 説明を聞けば、クレハは納得したかのように頷く。外でも変わる事なく着込んだ着物を見やり、「その方が良さそうですわね」と、遅れ馳せながら同意を示して苦笑した。
 中尉もやはり気にするのか、菓子を前ににらめっこを続けている。
 その一方で、京夜は体力回復のためにと気にする風もなく食べ続け、二人は手持ち分を食するも、残りは「京夜に任せよう」で一致していた。
 落ち着けば、紅茶をメインに、甘味を摘むまったりとした時間が続く。
「最近は慌しかったから、友人とこんな風にまったりするのは久しぶりだ。時間を与えてくれた雨に感謝かな」
 京夜の言葉には言葉が返る事なく、二人の無言の肯定だけが示されていた。
 戦いを続ければ心は荒むもの、この時間を好んでくれればそれでいいのだと、別の意味で二人は雨に内心の感謝を示す。
 雨は未だ降り続け、時間も昼を回ったばかり。
 厨房にてリエルとアスの目が合い、思わず何らかのシンパシーが走るも、冒頭からノーラの世話を焼いてないリエルに対し、アスの表情に怪訝の色が少しにじむ。
 境遇が似てるだけに察したのか、リエルは問われるまでもなく答えを返していた。
「仕事中はしっかりしてるから、ノーラさんは放っておいても大丈夫ですよ。‥‥精神年齢はあれですけど」
 言ってる傍から、フロアへと向けた視界をクラウとノーラが交互によぎり、二人を見比べて思わず黙り込む。
 何が言いたいのか察したのか、アスは苦笑を零し、お互い大変だなと呟いていた。

 そんな風に二人がしみじみする傍、アルヴァイムと悠季が来店し、見知った顔がぞろぞろ店員まがいな行動しているのに気づきながらも敢えて無視しながら、クラウに案内されて窓際の席へと着席する。
 アルヴァイムに何を頼みたいのかと問われれば、この雨での寒空だからと、悠季は温かいロイヤルミルクティーとフルーツクレープを注文し、それを聞いたアルヴァイムはコーヒーと軽食を見繕って、ウェイターに伝えた。
 待ってる間、交わす言葉は途絶える。雨の打つ音が窓を隔てて聴覚に響き、遠い喧噪を眺めながら物思いに沈み込むアルヴァイムに、間を置いて悠季がその名を呼ぶ。耳は傾けていたのか、なんでもないのだとアルヴァイムは笑みを見せ、意識を思い返していた過去から引き戻した。
 ――今回の大規模に至るまで。自分を落とした赤い凶翼と、共に戦ったマドリード駐留軍。そして好敵手だったエルリッヒ。
 思わずまた引っ張られそうな自分の意識を押しとどめ、それを悠季だけにと向けた。
 今は羽を休めよう、道半ばで倒れて、この娘を泣かせるわけにはいかないからと。
 自分も変わる物だな、と笑い。自分の方を向くアルヴァイムに対し、今度は悠季が言葉を失う。でも彼はそれを気にした風もなく、相変わらず自分の方を見ていて。
 ‥‥どうしてこの人はここまであたしを気遣えるのだろうか、と、悠季は停止しかけた思考で思った。
 明らかに大人で余裕な彼、さりげなく好意を示してくれて、実績も能力もあたしよりは数段上位。
 ――それなのに、いやそれだからこそ。
 接し方が自分を気遣って柔らかく暖かい。受け答えも軽妙で器量の大きさが感じられて、手はゆっくりとさしのべられ、自分が対応におたおたする様子を、楽しみつつも見守ってくれている。
 自らを省みれば。自覚している外見が示す、伴っていない中身の対比。表面を取り繕う事は出来るのに自分を抑えきれず、辺り構わず喧嘩を売ってしまう自分は、余裕ある女性の振る舞いはおろか、まるで幼さの抜けない子供のようで。
 そんなのを見せつけているのに尚好意を抱いて貰えるなんて、比べるだけでも恥ずかしい。
 ‥‥でも、そんなあたしを好いて貰えるならば。
「ねぇ」
 言葉が震えるのも恥ずかしいからと、囁く声で彼の事を招き寄せる。近づけば顔を見られる事を拒み、意地を張って俯いた。
 心が、踏み出す覚悟に震える。それを振り払って微笑みを浮かべ、口元だけを寄せると、言葉だけははっきり伝わりますようにと意志を告げる。
「あたしの事‥‥好き?」
 好いて貰えるならば、言葉に示して欲しい。既に依存している自分だけど、それに応えて身も心も預けてしまいたいから。
 明らかに溺れてしまうだろうけど、それでもいいだろうかと、問うままに微笑んで彼のことを窺う。

 雨の音が大きい。まだ止む様子のない雨に、二階にいた拓那は暫し外を窺った。
 拓那は雨が余り好きになれない、濡れるし、外に出られないし、なんとなく気分も落ちてしまうから。でも忙しさの中、二人でゆっくり出来るこの時間は何よりも大切に思っている。
 拓那の視線に気づいたのか、小夜子は「雨が止んだら少し待って見ましょうね」と微笑みかけた。何故かと問う言葉には、虹がかかるかもしれないからと答えて。
 ――記録的な雨ですから、見られる虹もきっと綺麗です。
 そんな小夜子の誘いに頷き、それもいいかもしれないと内心同意を重ね、雨が上がる時を待ち遠しく思う。
 奥まった席には、榊とクラリッサが仲睦まじく座っていた。
 足止めされた事を意外だと思い、しかし恋人と過ごせる時を幸いだと喜びあって。
 デートするには色気のない格好だとクラリッサは笑い、でも自分たちは傭兵なのだから、お似合いなのかもしれないと同意を求める。
 テーブルに広げた今回の報告書に二人で目を通し、榊はそのうち一枚を手に取ると、小隊に犠牲者が出なかった事に安堵しながら、もう少し上手くやれれば良かったと自らの無力を嘆いた。
 そんな榊を、生き残る事が出来たのは、榊の指揮の賜物であるとクラリッサが労る。
 甘えるように身体を寄せ、残される事が辛いと、自分を残して一人死に急ぐ事はないようにと約束を求めれば、榊は唇を重ねる事でその返答とした。

 曇り空を見上げ、ソラの眉がふっと下がる。
 遮られた空は重く彼方が見えず、案じてた人の顔が思考に浮き上がれば、きゅうと胸が詰まった。
 最後にソラが聞いたのは、彼の人が重傷を負ったという消息。
 彼は今どこにいるのだろう、そう心に問えば焦りが募り、もうラストホープに帰還しているのかな、そんな馳せる思いが心配となって、また一つ心に落ちた。
 足止めされている事をもどかしく思い、トレイを抱える手に力が込められる。
 会って、安心したい。大丈夫なのだと、彼の口から聞きたい。
 俯きから笑顔が消えてる事をはっと自覚し、頭をふるふると振ると、心配する心をひっそりとしまいこんだ。
「笑顔笑顔、です」
 にっこりとまた笑顔を浮かべ、ぱたぱたと仕事に戻る。途中、ノーラとすれ違い、ヘアピンで留めた髪の下からまたお互いに笑い合う。
 ――笑顔のシャムシエルさんが何より一番綺麗です。
 彼女も仕事中は地が出る心配はなさそうで、交わした笑顔に少し元気を取り戻す。
 ざわざわする雨音は嫌いじゃないけど好きでもない、だから雨を忘れてわいわい過ごせますように、明るい青空の下みたいな気持のいい店内を願って、ソラはくるくると笑顔で給仕する。
 ――ぽかぽかした笑顔は人を幸せにするものだから、誰かを励ませるような笑顔でいられますようにと心が重ねて願う。
 厨房を覗き、美味しいと聞き及んでいる叢雲さんのお料理も後で食べたいな、とかひっそり思いながら。

 訪れた店内に見知った顔を見つけ、ロジーの表情が華やぐ。
 まずは誰から挨拶しようかと店の中で暫し迷い、視線が合った先、一人席に着いてるレオンが手を挙げて、それに応えた。
「相席、よろしくって?」
 問えばレオンが頷き、対面の席を示す。
「ここでお会い出来たのも何かの縁。そう考えると雨も良いものですわ」
 くすくすと笑い、着席しながら、ロジーは出会えたことを幸いだと言葉を吐露した。
 来客に気づいたソラがメニューを持参して訪れ、恭しくロジーへと差し出す。
「ロジーさん、ようこそいらっしゃいませ」
 幼さを残しながらも、凛々しく振る舞うソラの姿にロジーはまたきゃっきゃと喜び、メニューを開きながらお勧めを問うた。
「‥‥ミックスフルーツティーとかどうですか?」
 お茶そのものが甘さを帯びるフルーツティーはどうかとソラは問い返す。ハーブティーも思考の中に浮かんだが、柑橘系の甘く素敵な香りはきっとロジーさんが好んでくれると思うから。
 ロジーが頷けば、他に注文がない事を確認してソラは引っ込んでいった。
 待ち時間の間、二人の間では談笑が進み、レオンはそれを楽しみつつも慎重に言葉を選んで応じている。
 ロジーに非はなく、ただ自分の心が締め付けられているから。
 ――大事な人が傷ついたのは自らの無力のせい。
 辛さは未だ色あせず、彼の人は目を覚まさない。心情的に愚痴を零してしまわないように、今はよそうと、自戒を込めて胸にしまい込んだ。
 言葉を進め、通りかかったノーラを呼び止めると、ロジーもまた嬉々として彼女を手招きする。
「ノーラ? 見違えましたわ! ふふ、とってもお似合いですの」
 訪れたノーラが有難う、と微笑むのも仕事中の大人モードのそれ。数時間前にはこけて泣いてた事なんて微塵も感じさせず、会釈を交わすと手を振って去っていく。
「化けたな」
 レオンからそんな言葉が零れる、いじりたいのは山々だが、今日に限ってはそんな隙もなさそうで。
 礼儀作法の修行については、様になった立ち居振る舞いが十二分に証明していた。
「お待たせしました、レディ」
 聞き慣れない口調のなじみ深い声が、笑い合う二人にかけられる。視線を上げれば、ティーセットを持ったアスが訪れていた。
 テーブルを開けて貰うと、温めたカップを並べ始める。お茶を注ぎ、ロジーの前に差し出すと恭しく首を垂れた。
「化けましたわね? 素敵でしてよ!」
 驚き半分に、からかうロジーの言葉にもウェイターの態度を崩さず、笑みを向けてもう一度一礼する。
 そのまま下がっていく彼をロジーは見送り、淹れて貰ったフルーツティーを口にした。
 勧められるだけあって、温かく甘い優しい香りが味覚を包み込む。
 気がゆるみ、窓の外を眺めれば意識が物思いに引っ張られる。黒髪の思い人が思考を満たし、「あの方はどうしていらっしゃるのでしょう」と自然な疑問が浮き上がった。
 同じ雨を見つめているのだろうか。もう辛い思いはしませんようにと、案じる心が彼のことを思う。
「‥‥次にお会いする時は晴れた空のような笑顔で、ですわ」
 一呼吸を置き、微笑を浮かべて呟くロジーにレオンが怪訝そうな表情を向ける。
「なんでもありませんの」
 そう笑みは続き。このゆったりとした時間を楽しんで、こんな雨の日なら偶にはいいものだと、思う内心で言葉は締められた。

 窓際の席で、都色は物思いにふける。考えるのは苦手だけど‥‥雨の音に耳を傾け、今日は少し考えてみようと思った。
 気にかかるのはステアーが出たという報告、AWの時に初めて見たステアーの姿が頭に蘇り、僅かな動揺が心を乱す。
 傷は癒えて痛みはなく、でも悪夢のように焼き付いた、仲間たちが墜とされていく姿は未だ鮮明に思い返せる。
 募る悔しさと悲しさ、許せないという思い。
 あの機体を墜とすためにも、戦いを生き抜くためにも‥‥もっと経験を積んで、強くなる。‥‥強くならなくちゃいけないんだ。
「‥‥よし、頑張らなくっちゃ、ね」
 決意を胸に、僅かに吐きだした息で気持ちを切り替えた。
 顔を上げれば、顔見知りである雨音の姿が見える。せっかく今はのんびりする時間があるのだから。
 ‥‥お誘い、受けてくれるといいけど。
「あの、遠倉さん、良かったら一緒にお茶しませんか?」

 ふとした瞬間、叢雲の思考が昔の事を思い出す。
 厨房からは遠いけど、よく耳を傾ければ微かに雨音が混じっていて。雨にはいい思い出がないな、と。そんなことを思い返していた。
 今の自分の、始まった時とも言える日も雨で。思い返すのは、身体に染みついた雨の感触と血の赤、失われていく温もり。
 ‥‥は、と。嘆息する口元が苦笑を作り、それも懐かしい感触だと内心に告げる。
 本当に、今は幸せだと。懐旧に続く思いが心から溢れ、それを示すように、僅かな微笑が叢雲の口元から零れた。

 ――午後に差し掛かる頃。黒い人影が雨故に人もいないテラスに現れる。
 無人の席に、軽く水気を孕んだコートの裾をなびかせて。儚く霞む灰色の風景を前にして席についた。
 重心が背もたれにかかり、その長身が傾く。伸ばした足を組んで煙草を咥えると、ジッポで火をつけ、灰色の世界に火の赤が一瞬混じる。
 ゆっくりと吸い込み、時間をかけてはき出す。
 ご注文を。メニューを持参して訪れたリエルが短く問えば、カナッペと白のシャンパーニュ‥‥「テタンジェ・ノクターン・セック」を頼んだ。
 出されたのは、夜想曲の名を持つほのかな甘みのシャンパーニュ、室内から漏れ出る光で色合いがきらめき、口にすれば、フレッシュな香りが柔らかく情熱的に感覚を包んだ。
 アルコールが喉を通り、身体がほんのり熱を帯びれば、雨の世界を眺めて、少し物憂げに考え込む。
 ‥‥巷に雨の降る如く、か。
 この全てを埋もれさせようとする雨の街なら。苦しみの声もかき消え、涙も隠すだろう。心の涙も、魂の嘆きも。
 くるりと、目の前でグラスを回し、言葉は絶やしたままに、間を挟んでもう一口ワインをあおった。
 ワインが空になる頃、背中に気配を感じ、金色の髪がふと靡いたかと思えば。
 腕を絡めて引き寄せ、うなじに手を添えて口づけを深くする。
 重ね合う唇から、露わになったうなじをアルコールが一筋流れ落ち、その感触に数拍子かけて気がつけば、はっとして意識を取り戻した。
「‥‥あ、ああ。すまん。考え事をしていて、ね」
 困惑する彼女の頭を、軽く微笑んで撫でる。雨音が聴覚に注がれ続け、それに意識を取られたと思えば、またふっと深く考え込む様子を見せた。
 少し孤独に、誰も引き寄せないような。
 座り込む彼女を傍に、また幾瓶ものの酒を空にし。
「‥‥さて、行くか」
 テーブルに代金を置いて、足早に空港へと向かう。